BLEACH No name   作:鈴夢

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The Night Before Everything Changes

 

 

 

┈┈┈┈┈┈┈

 

 

 

それは

ありふれた出会いのはずだった

世界が再び

動き出すまでは

 

 

 

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The Night Before Everything Changes

 

 

 

 

 

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夜風が、静かな住宅街を抜けていく。

 

午後九時。

空座町の片隅にあるコンビニで、無類井馨はレジに立っていた。

 

「ありがとうございました」

 

機械的な挨拶を口にしながら、商品を袋へ詰める。

 

平穏な夜だった。

いつもと同じ、何も無く。

少なくとも――数秒前までは。

 

自動ドアが開く。

軽快な電子音。

 

「いらっしゃいま……」

 

そして入ってきた人物を見た瞬間、馨はわずかに目を見開いた。

 

「……あ」

「あぁあっ!!」

 

同時だった。

 

オレンジ色の髪。

鋭い目つき。

見覚えのある顔。

――あの時出会った青年、黒崎一護だった。

 

彼は一直線にレジへやって来ると、ビシッと指を突き付ける。

 

「あん時の!!」

「お客様、いきなり指差すのはいかがなものかと。」

「いやいやいや!!」

 

一護は勢いよくカウンターへ身を乗り出した。

 

「あんた何もんなんだよ!?」

「お客様、店内ではお静かに」

「誤魔化すな!!」

 

馨は小さくため息を吐いた。

やはり覚えていたらしい。

 

「((……黒崎一護。ルキアから力を譲渡された現世の人間――))」

 

馨はカウンターに肘を着き、真っ直ぐと彼を見上げた。

 

「なんであの時、急に消えたんだよ。」

「……なんとなく。」

 

一護はカウンターに両手を置いて馨をじっと見下ろした。

 

 

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あの日。

虚に狙われていた女。

 

 

死神姿になったかと思えば、

たった一撃で虚を倒した。

呼吸をするように、簡単に。

 

"――ただの通りすがり"

 

それだけを零し、目の前から直ぐに消えたのだ。

 

とんでもない速さで。

あれが所謂、歩法と言うもの、瞬歩ってやつなのかと。

 

にしても、有り得ない力だった。

その日のことをルキアに話しても、あいつは何も語らなかった。

 

それほどに、忘れる方が難しい瞬間だった。

 

 

┈┈┈┈┈┈

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「話、聞かせてくれよ」

「嫌です」

「即答!?」

 

馨はカウンターから肘を外すと、背後に置いてあったパイプ椅子に腰掛ける。

そして新聞を手に取ると改めて一護に視線を向けた。

 

「仕事中なんだけど」

「何時までだよ。」

「零時」

 

一護はレジ横の時計を見る。

まだまだ退勤まで時間がある。

 

「じゃあ終わるまで待つ」

「まだ三時間くらいあるけど?」

「いい」

 

引き下がらない彼に馨はある意味興味が湧いた。そこでちょっとした意地悪を口にする。

 

「高校生でしょ?」

「……だから?」

 

馨は少し首を傾げた。

 

「補導、されるんじゃない?」

「ぐっ……」

「しかも見てくれから"ザ・不良"だし。下手したら通報しないといけないかもだし。」

 

妙に正論だった。

思わず一護の顔が引きつる。

 

馨は勝ち誇るように微笑む。

 

「お子様は早く帰って寝なさいな」

「誰がお子様だ!!」

「高校生」

「歳そんな変わんねぇだろ!!」

「君より歳上です。褒めてくれてるの?」

「……え?」

「ふふ」

 

思わず笑う。

それがまた気に入らないらしい。

一護は盛大に顔をしかめた。

 

「絶対帰らねぇからな」

「そう」

「待つからな」

「はいはい」

「本当に待つからな!?」

「うん……あ!後ろ、お客さん」

 

馨は手をひらひら振るう。

そして次に並んでいた男性の対応をいつも通りこなす。

 

「……」

 

一護はしばらく睨み続けていたが、

 

「……ちくしょう」

 

と呟きながらアイスを一つ持ってレジへ向かった。

 

 

 

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コンビニの自動ドアが、静かな電子音とともに閉じる。

 

馨はバイトを終え、廃棄予定の弁当の入った袋を片手に店を後にする。

 

午前零時過ぎ。

昼間の喧騒が嘘のように、空座町は静まり返っていた。

 

店の制服の上に薄手のパーカーを羽織った馨は、小さく肩を回しながら夜道へ出る。

 

その数歩後ろ。

馨は気配を感じとりながらも、歩みを止めなかった。

 

「……」

「……」

 

一定に保たれた距離。

しばらくして馨はため息を漏らすと立ち止まる。

 

「……」

 

馨はゆっくりと振り向く。

そこには、当然のような顔をして、黒崎一護が付いてきていたのだった。

 

しかも"死神の姿で"

 

「"コレ"だったら、補導も何も関係ねえだろ?」

 

自信満々そうな表情。

してやった、と言わんばかりに一護は馨に視線をむける?

 

「確かに。頭使ったね?」

「だろ?」

 

一護は馨の目の前に立つ。

背丈の高いオレンジの髪をした彼。

馨はどこか懐かしさを感じながらも、彼をじっと見つめた。

 

「…で、…なにしてるの?」

 

一護は即答した。

 

「待ってた」

「見れば分かる」

「じゃあ聞くなよ」

「聞きたくもなるでしょ」

 

思わずため息が漏れる。

 

三時間近く。

この高校生は本当に店の前で待っていたのだ。

 

「暇なの?」

「暇じゃねえよ」

「じゃあ帰ればよかったじゃない」

「帰ったら話聞けねえだろ」

「呆れた……」

 

馨は額を押さえた。

だが一護は気にした様子もなく歩き出す。

 

仕方なく、馨もその隣に並んだ。

 

街灯がぽつぽつと続く夜道。

二人の影が長く伸びている。

 

「……」

「……」

 

少しの沈黙。

一護はふっと隣の馨に視線を移す。

綺麗な横顔、パッと見年齢は同じくらいにしか見えない。

 

しかし落ち着いた口振。なりより、あの強さ。

 

普通では無いことは理解していた。

 

「((何もんなんだ、本当に……))」

 

そのとき、先に口を開いたのは一護だった。

 

 

 

「……あんたのこと、浦原さんから聞いた」

 

その言葉に、馨の足が止まる。

 

「……どこまで?」

「ほとんど何も」

「でしょうね」

「ただ、あんたがすげえ死神だってことだけ」

 

「……はは。"すげえ死神"、ね。」

 

馨は苦笑した。

あの男らしい。

 

肝心なところは何も話さない。

そして同時に、浦原の企みを理解した気がした。

 

この少年に意図的に接触をさせたのだろう。とことん"あの男らしい"。

 

「ルキアにも聞いたんだけどさ」

 

一護は頭を掻く。

 

「全然教えてくれねえんだよ」

 

馨は僅かに拳に力を込めた。

 

「……そう」

「話そうとすると露骨に話変えるし」

「そう」

「最後には殴られた」

「それはあなたが悪いんじゃない?」

「なんでだよ!」

 

即答だった。

馨の口元がわずかに緩む。

 

それを見て、一護は少しだけ安心したような顔になる。

 

だが次の瞬間。

その表情は真剣なものへ変わった。

 

「でもさ」

 

夜風が吹く。

オレンジ色の髪が揺れた。

 

「俺、あんたに頼みたいことがある。」

 

馨は黙って続きを待つ。

 

「死神として」

 

一護の声が低くなる。

 

「俺を強くしてくれ」

 

馨はじっと、彼を見つめる。

 

静かな夜だった。

遠くで電車の走る音だけが聞こえる。

 

真剣な眼差し、彼は本気だ。

 

「……急ね」

「わりいな。」

 

一護はまっすぐだった。

真っ直ぐ過ぎるくらい。

 

「((――本当に……あの人にみたいに無茶苦茶))」

 

脳裏に浮かぶ、最愛の人。

ふと重ねてしまう。

 

 

「……俺、強くなりたいんだ」

「どうして?」

「守りたいからだよ」

 

迷いのない答え。

それはどこか。

 

やはり、よく似ていた。

馨の胸がわずかに痛む。

 

 

「ルキアも」

 

本気の眼差し

 

「井上も」

 

その中にある優しい心

 

「石田も」

 

力強い声色

 

「チャドも」

 

強い決意

 

「"みんなだ"」

 

一護は前を向いたまま続ける。

凛とした横顔。

馨は不思議と惹き付けられてしまう。

 

 

「今のままじゃ足りねえんだ。敵が出てくるたびに誰かに助けられてる」

「……」

「そんなの嫌なんだよ」

 

街灯の光が、その横顔を照らす。

 

まだ子供だ。

けれど。その瞳だけは妙に強かった。

 

「だから、俺に教えてくれ」

 

大きな手が馨の肩を掴む。

 

「俺は昔から霊が見えた」

「……うん」

「普通じゃねえことくらい知ってる」

「うん」

「でも今なら分かる」

 

一護は馨にしっかりと向き直り、真っ直ぐと口にした。

 

「俺、この世界のこと何も知らねえ。……死神も虚も、何もわかんねえ。」

「別に分からなくても困らないでしょ?」

「……真剣に話してんだけど、俺。」

「ふふっ」

 

少しだけ笑った。

本当に、おかしいくらい"あの人に似てる"と。

 

真っ直ぐで、純粋で、ちょっと馬鹿で。

 

だけど誰よりも芯がある。

 

「なんか、あんたなら導いてくれそうなんだよ」

 

その言葉に。

 

「…………」

 

馨は思わず目を細めた。

 

"導く"

そんな資格が自分にあるのだろうか。

 

数十年、逃げ続けてきた。

尸魂界からも。

仲間からも。

真実からも。

 

何より――自分自身から。

 

「……一度しか会ってないのに?」

 

静かに問い返す。

すると一護は肩を竦めた。

 

「そうだなー……普通に考えたら変だよな」

「変ね」

「まあ、でも」

 

一護は笑う。

 

どこか不器用で。

どこか馬鹿みたいに。

真っ直ぐな笑顔だった。

 

「なんとなくだよ」

「なんとなかぁ……」

 

馨は呆れたように呟く。

 

「それで人を信用するの?」

「する時はする」

「危機感ないわね」

「言われたくねえ」

「どういう意味?」

「夜中に女一人で歩いてる人に言われたくねえ」

 

馨はまん丸と目を見開く。

やはりまだ子供だ。不器用な優しさと、子供っぽい発言にクスッと笑ってしまう。

 

「ふふ……はははっ!」

「何笑って…」

 

馨は凛とした声でハッキリという。

 

「""私は強いから""」

 

力強い、本物の言葉。

馨も心の中ではっとしていた。

 

久しぶりに口にした気がする。

自分は強いんだと。

不思議と、彼に引っ張られる。

 

死神としての自分が、蘇ってきた。

 

 

「……否定できねえ」

「でしょ?」

 

思わず二人とも吹き出す。

短い笑い声が夜に溶けた。

 

 

 

だが。

笑いが消えると、再び静寂が戻る。

 

そして馨は前を向いたまま、小さく言った。

 

「"でも"」

 

馨は再び歩き出す。

 

「やめておいた方がいい」

 

一護の表情が変わる。

彼女を追うように歩き出す。

 

「ここまで言わせといて、なんでだよ?」

「私は先生に向いてない」

「そんなこと聞いてねえ」

「それに」

 

馨は少しだけ目を伏せた。

 

「私は誰かを導けるような人間じゃない」

 

その声は。

どこか遠くを見ていた。

 

一護には理由が分からない。

 

だが、その横顔がひどく寂しそうに見えた。

 

まるで。

何かを諦めてしまった人の顔だった。

 

「それでも」

 

一護は引き下がらない。

 

「俺はあんたがいい」

 

馨は思わず眉をひそめる。

 

「適当じゃない?」

「適当じゃねえよ。直感でそう思ったんだよ。」

「直感って……やっぱり適当」

「違ぇよ!」

 

即座に叫ぶ一護。

 

「そういう意味じゃねえ!」

「はいはい」

「笑うな!」

「笑ってない」

「絶対笑ってるだろ!」

 

夜道に二人の声が響く。

 

そのやり取りに。

馨はほんの少しだけ。

 

本当にほんの少しだけ。

 

忘れていた感覚を思い出していた。

 

――人と歩くこと。

 

――誰かに必要とされること。

 

そして気付かない。

 

隣を歩く少年の横顔に。

 

遠い昔、もう二度と会えないはずの人の面影を重ね始めていることに。

 

 

「…………」

 

街灯の光が二人を照らす。

 

深夜の空座町。

静まり返った道の上。

 

死神と死神代行。

 

その本当の出会いが、ようやく始まろうとしていた。

 

 

┈┈┈┈┈┈

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翌日――

――浦原商店

 

 

┈┈┈┈┈┈

 

 

 

昼下がりの浦原商店。

青々とし澄み渡った空が広がっていた。

 

「うおおおぉぉぉ!!」

「……」

 

庭ではジン太が木刀を振り回し、ウルルがそれを無表情で避けていた。

 

いつも通りの光景。

そしてそこに現れたのは見慣れた客人。

 

「"こんにちは"」

 

馨が声を掛けると、ウルルはぺこりと頭を下げる。ジン太もそれに気づくと嬉しそうに笑みを零した。

 

「こんにちは、馨さん」

「おう馨!!今日は仕事休みか?」

 

ジン太が木刀を肩に担ぎながら聞く。

 

「夜勤明けよ」

「相変わらず働いてんなあ」

「生活があるもの」

 

軽く笑いながらそう返し、馨はそのまま店の奥へ向かった。

 

「……」

 

目指す先は決まっている。

 

縁側だった。

案の定、そこにはいつもの男がいた。

 

柱にもたれ、扇子をぱたぱたと動かしながら茶を飲んでいる。

 

浦原喜助。

その傍らには黒猫が一匹。

 

陽だまりの中で丸くなっていた。

 

馨は猫の前にしゃがみ込む。

 

「こんにちは、"おふたりとも"」

 

黒猫は片目だけ開けた。

そのまま何も言わない。

馨は小さく笑うと、ひょいと抱き上げた。

 

慣れたものだった。

猫も特に抵抗しない。

そのまま縁側へ腰を下ろし、膝の上へ乗せる。

 

「おや」

 

浦原が扇子越しに笑う。

 

「夜一サンは相変わらず馨サンに懐いてますねぇ」

「あなたよりはね」

「ひどいなあ」

 

まったく傷付いた様子もない。

むしろ楽しそうだった。

 

馨は猫の背中を撫でながら、目の前に置かれた湯呑みに手を伸ばした。

 

どうやら自分の分まで用意されていたらしい。

 

 

「「…………」」

 

しばらく風鈴の音だけが響く。

 

ちりん――

――ちりん

 

静かな時間。

やがて浦原が湯呑みを置いた。

 

「会いましたか?」

 

扇子の向こうから声が飛ぶ。

 

「黒崎サンと」

 

馨は夜一の背を撫でながら小さく息を吐く。

 

「聞かなくても分かってたんでしょう?」

「まぁ」

 

浦原は悪びれもなく笑った。

 

「昨日の夜、空座町の霊圧が随分騒がしかったですし」

「それだけ?」

「それだけで十分っスよ」

 

嘘だ。

長い付き合いだ。

そんなことくらい分かる。

 

馨は呆れたように息を吐いた。

 

「盗み聞きしてました?」

「そんな物騒なことしてませんよー」

 

即答だった。

しかし顔は笑っている。

 

「してた顔してる」

「心外っスねぇ」

「その台詞も聞き飽きた」

 

浦原は肩をすくめた。

縁側に少しだけ沈黙が落ちる。

 

風鈴が再び揺れる。

 

ちりん――

――ちりん

 

 

涼やかな音が響く。

再び浦原が口を開く。

 

「それで?どうでした?」

 

馨は少し考えた。

昨夜のことを思い出す。

 

真っ直ぐな瞳。

迷いのない言葉。

 

――死神として。

――俺を強くしてくれ。

 

――教えてくれ。

 

たった一度や二度会った程度の相手に向けるには、あまりにも真っ直ぐな言葉だった。

 

馨は小さく笑った。

 

「変な子だった」

「へぇ?」

 

浦原が興味深そうに眉を上げる。

 

「変、ですか」

「まっすぐ過ぎるんですよ。」

 

馨は空を見上げた。

雲がゆっくり流れている。

 

「普通なら避けるでしょう?死神だとか、虚だとか。知らない世界にわざわざ首を突っ込もうなんて思わない」

 

馨は黒猫の頭を優しく撫で続ける。

 

「……怖いもの」

 

浦原は黙って聞いている。

 

 

馨は続けた。

 

「でもあの子は違う」

 

黒猫の瞳が開かれる。

 

「知りたいんじゃない……なんて言うか、背負おうとしてる」

 

その言葉に浦原の目が少しだけ細くなった。

 

「背負う?」

「ええ」

 

馨は膝の上の猫を優しく抱き上げた。

 

「誰かを守れるようになりたいんでしょうね」

 

愛おしく、抱きしめる。

 

「自分のためじゃなくて」

 

弱々しく、甘い声。

 

「……最初から」

 

静かな音。

 

「……ふうん。」

 

それを聞いた浦原は、どこか納得したように頷いた。

 

「黒崎サンらしいっスね」

「彼のこと、どれくらい知ってるの?」

「多少は」

「多少って……あの子には私のことを話したみたいですし。多少って関係とは思えないんですけど?」

「本当ッスよ」

 

曖昧な返事。

相変わらずだった。

 

馨は呆れながらも、それ以上追及はしない。

 

聞いたところでまともな答えは返ってこない。

 

それもまた長い付き合いで理解していた。

 

「それで?」

 

浦原が再び尋ねる。

 

「教えるんですか?」

 

その問いに馨は答えなかった。

 

代わりに黒猫を再び膝に下ろすと、ゆっくりと茶を飲む。

 

少しぬるくなった茶だった。

答えを待つように浦原も黙る。

 

やがて馨はぽつりと言った。

 

 

 

 

 

 

「どうだろう。……正直、関わらない方がいいと思ってる」

 

本音だった。

数十年、ようやく手に入れた静かな日常。

 

それを壊したくない。

もう尸魂界にも。

死神にも。

 

関わりたくない。

 

ルキアと再会した時、正直揺らいだ。

あの子にやたらと関わる浦原の怪しい動きも、気になるのは事実。

 

しかし、私は関わるべきではないのでは?と僅かに揺らぐ。

 

自分は強いんだと、確かに彼に伝えた時。死神としての自分がまた蘇った。

 

――だが……わからない。

 

 

悩む馨を横に、浦原は扇子を閉じる。

 

「"でも"」

 

浦原が小さく笑う。

 

「放っておけないって顔してますよ」

 

馨は眉をひそめた。

 

「そんな顔してる?」

「ええ」

 

即答だった。

 

「昔から、アナタはそうだった。」

「……」

「自分のことより相手を。ボクは見てきましたからね。」

 

その言葉に馨は思わず苦笑する。

 

否定できなかった。

昨夜、あの少年の言葉が頭から離れない。

 

まるで昔の誰かを見ているようで。

だから余計に厄介だった。

 

 

""真っ直ぐに自分を見上げていた橙色の髪""

 

――教えてくれ。

――俺を強くしてくれ。

 

あの眼差しが離れない。

怖いほど真っ直ぐだった。

 

知らない世界に足を踏み入れる恐ろしさを知りながら、それでも進もうとしている目だった。

 

馨は小さく息を吐いた。

 

「……困った、本当に。」

 

ぽつりと漏れた言葉。

浦原は湯呑みに口を付けながら横目で見る。

 

「何がです?」

「……本当なら」

 

馨は目を伏せる。

 

「もう……関わる気なんてなかったの。この数十年。」

 

静かな声だった。

 

「死神も、尸魂界も、虚も……"全部"」

「……」

「もう終わったことにしたかった」

 

数十年。

長いようで短かった時間。

 

逃げ続けてきたとも言える。

忘れようとしてきたとも言える。

 

それでも――

 

「どうしても忘れられない。」

 

そう言った馨の表情は、自嘲にも似ていた。

 

浦原は何も言わない。

ただ黙って続きを待つ。

 

「彼の横顔が」

 

その言葉に。

浦原の目がわずかに細くなった。

 

馨は気付かないまま続ける。

 

「自分が傷付くって分かってるのに、怖いはずなのに、それでも前に進もうとしてる」

 

あの橙色が頭から離れない。

 

「知ろうとしてる、戦おうとしてる。」

 

そして、ふっと苦く笑った。

 

「"私は逃げたのにね"」

 

誰に向けた言葉だったのか。

 

自分自身か。

それとも――

 

「……」

 

浦原は静かに茶を置いた。

かちゃり、と小さな音が鳴る。

 

そして。

 

「で、どうするんですか?」

 

その問いは穏やかだった。

 

責めるでもなく。

急かすでもなく。

ただ尋ねる。

 

馨は答えられない。

 

答えが出ていないからだ。

 

関わればまた巻き込まれる。

 

傷付くかもしれない。

 

失うかもしれない。

 

それは嫌だった。

 

けれど。

関わらないという選択肢を考えるたび、胸の奥が妙にざわつく。

 

そんな馨を見て、浦原はふっと笑った。

 

「重ねますか?」

 

馨の指先が止まる。

 

「……何を?」

 

分かっていた。

聞き返したのは時間稼ぎに過ぎない。

 

浦原は視線を庭へ向けたまま言った。

 

「"あの方と"」

 

静寂。

 

風鈴の音だけが遠く響く。

 

「あの方、ですよ。」

 

その言葉だけで十分だった。

 

""志波海燕""

名前を出さなくても分かる。

 

馨はしばらく何も言わなかった。

ただ黒猫の背を撫で続ける。

 

やがて。

 

「……似てないよ」

 

小さくそう言った。

 

「全然」

 

即答だった。

海燕はもっと大人だった。

 

もっと豪快で。

もっと人懐っこくて。

 

もっと――

 

「全然違う」

 

そう繰り返した。

 

しかし。

浦原は珍しく反論しない。

 

ただ静かに聞いている。

その沈黙が妙に居心地悪かった。

 

馨は視線を落とした。

 

 

「でも」

 

言葉が漏れる。

 

「ほんの一瞬、」

 

そして少しだけ苦笑した。

 

「本当に一瞬だけど、似てると思う時があった。」

 

跳ねた髪。

 

誰かのために傷付くことを恐れないところ。

 

考える前に身体が動くところ。

 

そして何より。

 

「""放っておけないところ""」

 

その瞬間。

 

「……っ……!」

 

馨自身が一番驚いたような顔をした。

 

口にして初めて気付いたのだ。

自分が何に惹かれているのか。

 

浦原はそれを見て小さく笑う。

 

「なるほど」

「……何よ」

「いえ」

 

扇子を広げる。

ぱたぱたと風を送る音。

 

「安心しました」

「何が?」

「少なくとも」

 

浦原は空を見上げた。

 

「黒崎サンを見てるんじゃなくて、黒崎サン自身を見てるみたいなんで」

 

その言葉に。

馨は少しだけ目を見開いた。

 

海燕の代わり。

面影。

幻。

 

もしそうだったなら、きっと関わるべきではない。

 

けれど。

昨夜から頭を離れないのは、海燕ではなく。

 

""黒崎一護という少年そのものだった""

 

「っ……」

 

それを見透かされた気がして。

馨は小さく眉を寄せる。

 

「……嫌な言い方」

「褒めてるんスよ」

「褒められた気がしないんです」

「それは残念」

 

浦原は肩を竦めた。

だがその目だけは笑っていた。

 

まるで、ようやく止まっていた歯車が動き出したことを知っているように。

 

縁側に静かな風が吹く。

馨は何も言わなかった。

膝の上の黒猫を撫でながら、ただ視線を庭へ向けている。

 

だが浦原には分かっていた。

黒崎一護のことを考えている。

 

そして同時に。

自分自身のことも。

ずっと目を逸らしてきたことも。

 

浦原は扇子を閉じた。

ぱたり、と小さな音が鳴る。

 

「馨サン」

 

珍しく、少しだけ真面目な声だった。

 

馨が視線だけを向ける。

 

「何?」

 

浦原はしばらく言葉を選ぶように黙った。

 

そして――

 

「あなたの斬魄刀も」

 

静かに言った。

 

「あなた自身のことも」

 

グイ、と近づく顔。

 

「知りたくありませんか?」

 

その言葉に。

馨の眉がわずかに動く。

 

「……今さら?」

「今さらっスよ」

 

即答だった。

浦原は笑わない。

冗談も言わない。

 

ただ真っ直ぐに見ていた。

 

「ボクはずっと思ってました。"あなたは何も知らない"」

 

馨は目を細める。

 

「喧嘩売ってる?」

「いいえ」

 

浦原は首を振る。

 

「事実です」

 

その言葉に少し棘が混じる。

だがそれは責めるためではなかった。

 

「あなたは自分の力を恐れてる」

「……」

「出生も、その力の源の理由も。……だから調べない」

「……」

「知ろうとしない」

「……」

「見ない」

「……」

「触れない」

「……」

「気付かないふりをする」

 

ひとつひとつ。

積み重ねるように言葉が落ちていく。

 

「それで数十年」

 

静かな声だった。

だからこそ重い。

馨は視線を落とした。

 

否定できなかった。

 

 

自分の斬魄刀――"無名"

 

その力。

その異常性。

その正体。

 

自分の力の源――"隠された本当の自分"

 

聞かされたことのない出生。

山本元柳斎重國が関わる意味。

 

 

知ろうと思えば知れたかもしれない。

だが知れば、また尸魂界に近付く。

 

過去に近付く。

真実に近付く。

だから避けた。

避け続けた。

 

浦原は続ける。

 

「でも、きっと黒崎サンは違う」

 

その名前に。

馨の指先がわずかに止まる。

 

「彼は怖くても進む、傷付いても知ろうとする。知らないことを知らないままにしない」

 

力強い浦原の眼差し。

 

「"それが強さです"」

 

風鈴が鳴った。

ちりん、と。

 

浦原は空を見上げる。

 

「だから」

 

そして少しだけ笑った。

 

「惹かれたんじゃないですか?」

 

馨は答えない。

答えられない。

図星だったからだ。

 

浦原はそんな彼女を横目に見ながら続ける。

 

「ボクはね」

 

その声は穏やかだった。

いつもの胡散臭い笑みもない。

 

「知りたいんです」

 

馨が顔を上げる。

浦原は真っ直ぐ前を向いていた。

 

「もっと」

 

そして。

 

「もっとアナタを」

 

静寂。

 

風が吹く。

黒猫の尻尾がゆっくり揺れる。

浦原は続けた。

 

「あなたは誰なんです?」

 

過去に立ち戻る。

 

「何者なんです?」

 

懐かしい。

 

「どうしてそんな斬魄刀を持ってるんです?」

 

浦原と山本のみが知る、無名の力。

 

「どうしてそこまで強いんです?」

 

自分はどこで生まれ、ここまで生きているのか。

 

「どうして生き残ったんです?」

 

意図して、何者かに生かされた。

 

「どうして――」

 

そこで一度言葉を切る。

 

 

 

「――どうしてそんなに全部を諦めた顔をするんです?」

 

その一言だけが。

妙に鋭く胸へ刺さった。

 

馨は思わず目を伏せる。

何も言い返せない。

浦原は責めているわけではない。

 

知りたいのだ、純粋に。

 

研究者として。

友人として。

 

そして。

長い時間を共にした人間として。

 

「だから」

 

浦原は少しだけ笑った。

 

「黒崎サンに興味を持ったなら、ついででいいんスよ。もっと自分自身にも興味を持ってみません?」

「……自分自身……」

 

馨は自身の手を見つめた。

 

「案外」

 

扇子をぱたぱたと風を送りながら、浦原は笑う。

 

「面白いことが分かるかもしれませんし」

 

その言葉に。

馨は思わず小さく笑った。

 

本当に。

この男はずるい。

 

無理に背中を押さない。

答えを決めない。

 

けれど。

気付けば前を向かせようとしている。

 

まるで――"昔からずっとそうだったように"

 

 

 

┈┈┈┈┈┈┈

┈┈┈┈┈┈┈┈

 

 

 

 

 

┈┈┈┈┈┈┈

┈┈┈┈

 

 

 

 

┈┈┈┈┈┈┈┈

 

 

 

 

 

 

夜の空座町。

人気のない工場地帯。

 

昼間の喧騒が嘘のように静まり返った工場地帯には、時折吹く風と、虚の咆哮だけが響いていた。

 

街灯の明かりがまばらに伸びる道路。

 

崩れた倉庫。

 

人気のない高架下。

 

そんな場所を駆け回る影があった。

 

 

黒崎一護。

井上織姫。

茶渡泰虎。

石田雨竜。

朽木ルキア。

 

そして――

少し離れたビルの屋上に立つ無類井馨。

 

さらにその近く。

別の建物の屋上にはルキアの姿もあった。

 

ただし。

二人は言葉を交わさない。

 

「……」

「……」

 

目が合うこともない。

 

ルキアはただ遠くから戦況を見守り。

馨もまた、それ以上何もしない。

 

ただ見ているだけだった。

 

 

 

 

 

 

 

「うおおおおおおおっ!!」

 

一護の斬月が唸る。

飛びかかってきた虚の仮面を真っ二つに叩き割る。

 

爆散する虚。

その霊子の残光が夜空へ溶けていく。

 

「次っ!!どこだ!!」

「左だ!黒崎!」

 

石田の飛廉脚が閃く。

霊子の矢が夜空を切り裂き、別の虚の額を正確に撃ち抜いた。

 

「チャド!」

「任せろ」

 

低く答えたチャドの拳が振り抜かれる。

 

大きな破壊音と共に虚が壁ごと吹き飛んだ。

 

 

 

その横では――

 

「きゃあああああああ!!」

 

織姫が全力疾走していた。

 

「なんでなんですかぁぁぁ!!なんで私ばっかり追いかけられるんですかぁぁ!!」

 

後ろには虚三体。

しかも全員織姫しか見ていない。

 

「うわーーーん!馨さーーん!助けてくださぁぁぁぁぁい!!」

 

泣きそうな声が夜空に響く。

そしてその声は当然のように届く。

 

少し離れたビルの屋上。

月明かりに照らされながら、馨は縁に腰掛けていた。

 

足をぶらぶらさせながら戦況を眺めている。

 

まるで花火見物だった。

 

「頑張って」

「冷たぁぁぁぁぁい!!」

 

織姫が絶叫する。

 

「見てますよね!?今見てましたよね!?」

「見てるよ」

「だったら!!」

「応援してる」

「そうじゃないんですぅぅぅ!!」

 

織姫が逃げ惑う中、一護がすかさず虚を薙ぎ倒す。かなり疲労が溜まっているのか額からは汗が止まらず、ぜえぜえと息を切らしていた。

 

そんな一護が思わず叫ぶ。

 

「だからそれ応援になってねぇんだよ!!」

「なってる」

「どこがだ!!」

「気持ちの問題」

「一番いらねぇ!!」

 

2人の掛け合いもお手の物だった。

"あー言えばこう言う"

短期間でそんなことを言い合える妙な関係が生まれていたのだった。

 

 

 

「……」

 

 

屋上の反対側。

さらに高い建物の上。

 

ルキアが一人で立っていた。

 

風に黒髪が揺れる。視線は戦場に向けられていた。

 

だが本当に見ているのは――

 

違う――屋上に座る馨だった。

 

「……」

 

会話はない。

目も合わせない。

 

ただ見ているだけ。

言葉を掛ける勇気がまだ出ない。

 

だから、遠くから見守ることしかできなかった。

 

 

 

 

 

その頃。

下では石田が額を押さえていた。

 

「無類井さん」

「何?」

「あなた本当に見てるだけなんですか?」

「ええ」

「本当に?」

「本当に」

「絶対に?」

 

「……絶対ではないかな。」

 

馨の言葉に、石田が少し安心した顔をした瞬間。馨は小さく笑うと畳み掛けるようにことばをつづけた。

 

 

「"死にそうになったら"」

 

まるで悪魔だった。

"黒崎が連れてきた死神"というものだから期待はしていなかったが……やはり死神はとことん恐ろしい。

 

「基準が重いんですよ!!」

 

石田は即答した。

 

 

 

 

 

 

刹那、その横では茶渡が巨大な虚を受け止める。

 

 

「――っく!!」

 

ありえない重さが全身に加わる、

建物が大きく揺れた。

 

だが次の瞬間。

 

「!?」

 

虚ごと壁に埋まったのだ。

 

「「「…………」」」

 

 

沈黙する一護、織姫、石田。

 

 

 

「チャド?」

「茶渡君!!」

「おい!無事か!?」

 

3人が壁に近づく。

 

「チャド?」

「……」

「おい!返事しろ!」

「……」

 

しばらく反応がない中、冷や汗を流す三人。

 

 

すると数十秒後、壁の中から――

 

 

「……""問題ない""」

 

親指を立て、何も無かったと言わんばかりに壁から脱出する茶渡。

 

 

「問題あるだろ!!」

 

石田が即座に突っ込んだ。

続けて織姫が涙目で叫ぶ。

 

「チャド君が建築資材みたいになってますぅぅ!!」

 

その様子を見て、屋上の馨が微かに笑う、

 

「ふふっ」

 

肩を震わせて笑っている。

 

 

 

「大丈夫そうだね。」

 

満月を背に、余裕そうに笑う馨。

それを見上げる一護はついに声を荒あげた。

 

「はぁ!?どこがだよ!!」

 

本気でキレた声色、表情。

しかし、馨は表情ひとつ変えない。

 

「見てるだけなら帰れよ!!」

「嫌よ」

「なんでだよ!!」

「面白いもの」

「オレら見世物じゃねぇ!!」

 

その時。

コンが一護の肩の上で腕を組む。

 

「なあなあ、一護」

「あ?」

「オレは分かったぜ」

「ああん?何がだ」

 

「――馨はな」

 

真剣な顔。

思わずほかの三人も息を飲む。

 

「ただオレたちを見に来てるんじゃねぇ」

 

一護の頭の上に移動し、右腕を前に突き出す。

 

 

 

「これはつまり……!!」

 

 

 

勿体ぶる。

全員がさらに期待をした目で見る。

 

 

 

コンは意気揚々と声を上げた。

そして腕を組み、うんうん頷く。

 

 

「オレたちの失敗を酒の肴にしてる!!」

 

沈黙。

固まる一同。

 

そして全員の視線が屋上の馨へと向けられた。

 

馨はにっこりと微笑み――

 

「"否定できないわね"」

 

余裕そうな佇まい。

ある意味それが恐ろしい。

 

その姿を前に、織姫が思わず涙ぐんでは声を上げた。

 

「うわぁぁぁん!!」

「おい!どうした!?井上!!」

「私たちが戦ってるのを見ながらお酒飲んでる馨さん想像しちゃったの!!」

 

一護が心配する横で、呑気に想像する織姫に石田と茶渡はポカンとしていた。

 

「……そこですか」

「想像力が豊かだな」

 

馨はケタケタと笑う。

 

「お酒なんて飲んでないけど?」

「本当ですか!?」

 

刹那、馨は傍らから湯呑みを取り出し、何故か一緒に置かれている急須を見せつける。

 

ほんのりと湯気が漂う美味しいお茶。それが余計に恐怖を生み出す。

 

「お茶よ」

「もっと怖いですぅぅぅ!!」

 

屋上の馨は首を傾げる。

まるで自覚がない。

 

それが余計に怖かった。

 

「おい!」

 

一護が屋上へ向かって怒鳴る。

 

「マジでヤバい時は助けろよ!」

「ちゃんと見てるから」

「信用できねぇ!」

「失礼」

 

馨は肩を竦める。

 

「まだ本当にヤバい時なんて無かったでしょ?」

 

その言葉に。

一護のこめかみに青筋が浮かんだ。

 

「いや!あっただろ!……ほら!オレなんて横っ腹切られてんだよ!」

「浅いしすぐ治るでしょ?」

「そういう問題じゃねえ!」

「……そう?」

「そうだよ!!」

 

斬魄刀を振り回しながら叫ぶ。

 

「死にかけてから助ける奴があるか!」

「死にかけたら助ける」

「だからそれが遅ぇって言ってんだろ!!」

「でも、まだ生きてる。」

「結果論だろ!!」

 

石田が小さく頷く。

 

「珍しく黒崎に同意だ。」

「珍しくは余計だ!」

 

「オレも同意見です」

「チャドまで!?」

 

織姫もぶんぶん頷く。

 

「私もですー!」

「井上も!?」

 

満場一致だった。

しかし当の本人だけは涼しい顔をしている。

 

 

 

だが、その後に馨は手すりに肘をついて、静かに口を開く。

 

「そんなに心配しなくても」

 

じっと、彼らを見下ろす。

 

「あなた達が思ってるより、ちゃんと見てるよ。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、その時だった。

 

 

 

――"ぞわり"

 

 

 

空気が一気に重く変化した。

 

 

 

笑い声が止まる。

霊圧。

圧倒的な霊圧。

 

石田の顔色が変わる。

 

「これは……」

 

一護も振り返る。

 

「なんだこれ……」

 

 

遠く。

工場群の向こう。

 

巨大な影。

今までの虚とは比べ物にならない。

 

異様な巨体。

異様な殺気。

異様な霊圧。

 

地面が震える。

 

 

 

ルキアが目を見開く。

 

「まずい……!」

 

 

その巨体が。

こちらへ脚を振り下ろした。

巨大な影が全員を覆う。

 

 

「なっ!?」

「地面が割れてっ」

「きゃあ!!」

「……っ」

 

同時に足場が一気に崩れてしまう。既に全員が疲労に苛まれ、怪我さえも負っていた。

 

「((……クソ!!足に力が入らねえ…………!))」

 

逃げ切れない。

刀さえも振り上げられないほどの霊圧と揺れ。

 

 

「((死――))」

 

間に合わない。

誰もがそう悟った瞬間。

 

 

 

夜空に声が響く。

 

 

 

「――""縛道の七十三""――」

 

 

静かな声だった。

 

 

なのに。

その一言だけで空気が変わる。

 

 

「「「!?」」」

 

 

全員が振り返る。

 

 

 

屋上。

風に黒髪を揺らす馨。

 

 

片手を上げている。

もう片方には湯呑みを持って――

 

 

 

「""倒山晶""」

 

 

 

瞬間。

巨大な結晶状の障壁が出現した。

 

 

轟音。

振り下ろされた虚の脚が空中で停止する。

 

 

 

ビルが揺れる。

道路が砕ける。

 

 

 

だが。

結界は微動だにしない。

 

 

馨は片手のまま。

まるで重さなど存在しないかのように。

 

 

 

「ほら」

 

 

微笑んだ。

 

 

「"こういうこと"」

 

 

 

腰を抜かした一護が絶叫した。

 

 

「最初からやれよぉぉぉぉ!!」

「必要なかったでしょ?」

「今必要だったんだよ!!」

「だからやったじゃない」

「そういう問題か!?」

 

馨は楽しそうに笑った。

そして指先を軽く振る。

 

次の瞬間、巨大な鬼道が炸裂した。

 

 

「ギャアアアアアアアアアアアア!!!」

 

咆哮と共に、虚が遥か彼方へ吹き飛ぶ。

 

夜空の星になった。

 

 

 

「「「……」」」

 

沈黙――そして。

 

 

コンが叫ぶ。

 

 

 

「……馨……」

 

ぷるぷる震える。

 

「馨ぅ……」

 

涙を浮かべる。

 

 

 

「かっけえええええええええええええええ!!」

 

コンの容赦ない叫び声。

それは一護の耳元で炸裂した。

 

「うるせえ!!」

 

「……まあ。今のは見てたうちか?」

「うん。そうだね?」

「……ああ。」

 

その賑やかな光景の中。

 

 

「……」

 

ルキアだけは笑えなかった。

 

 

 

遠くから馨を見る。

 

 

あの日。

自分が拒絶した人。

 

信じられなかった人。

 

 

 

けれど。

目の前の彼女は何も変わらない。

 

 

 

昔と同じように。

 

 

 

誰かを守っている。

 

 

 

胸の奥が苦しくなる。

 

 

「……っ……」

 

呼びたい。

 

「((……馨殿は……やはり冤罪なのか?))」

 

話したい。

 

 

「((真実は……なんなのだろうか。))」

 

 

 

 

月明かりの下。

ルキアはただ静かに唇を噛み締める。

 

 

そして馨は。

そんなルキアの視線に気付いているのかいないのか。

 

 

 

ただいつものように。

優しく笑いながら、一護たちの成長を見守っていた。

 

 

 

 

┈┈┈┈┈┈┈┈

┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈

 

 

 

 

 

 

時は流れ――

 

 

 

 

 

 

空座町の空には静かな月が浮かんでいた。

 

昼間の騒がしさが嘘のように街は眠りにつき、人気のないビルの屋上を夜風が吹き抜ける。

 

その空間に――

二つの影が降り立った。

 

死覇装姿の二人。

 

一人は首元に白銀の布を優雅に垂らした死神。月光の下に立つだけで周囲の空気を支配していた。

 

そしてもう一人、六番隊副隊長の腕章を付けた赤髪の男。

 

朽木白哉と阿散井恋次。

着地と同時に恋次が周囲を見渡す。

 

「思ったより静かッスね」

「……」

 

白哉は答えない。

ただ夜の街を見下ろしていた。

 

恋次は肩を竦める。

 

「隊長」

 

返事はない。

 

「とっととルキア見つけて連れて帰りましょう。」

「……」

「面倒事になる前に」

 

静かな風が吹く。

白哉の黒髪が揺れる。

 

しかし返事はない。

恋次は怪訝そうに眉をひそめた。

 

「……隊長?」

 

ようやく。

白哉がゆっくりと目を細める。

 

視線は街の遥か向こう。

誰も気付けないほど微かに。

消え入りそうなほど小さく。

 

だが確かにそこに存在する霊圧。

 

懐かしい感覚だった。

 

忘れるはずもない。

忘れたことなど一度もない。

 

 

「((馨殿――))」

 

 

遠い記憶が脳裏を過る。

 

 

まだ幼かった頃。

手を引かれた日。

剣を教わった日。

初めて褒められた日。

憧れという感情を知った日。

 

そして――

 

あの日。

尸魂界から消えた人。

誰よりも信じていた人。

 

 

 

数十年という時を経ても。

その霊圧だけは間違えようがなかった。

 

 

 

白哉の指先がわずかに動く。

誰にも分からないほど微かに。

 

恋次が首を傾げる。

 

「どうしたんスか?」

 

沈黙。

 

月明かりが白哉の横顔を照らす。

 

様々な感情が胸の奥を過ぎっていた。

 

 

 

懐かしさ。

安堵。

後悔。

 

そして――

 

 

 

言葉にできない感情。

 

 

 

だが、それを表に出す男ではない。

 

 

白哉はゆっくりと視線を外した。

 

 

 

「……何でもない」

 

 

低く。

いつも通りの声だった。

 

恋次は肩を竦める。

 

 

「……そうッスか」

 

 

 

そして二人は再び歩き出す。

 

 

 

静かな夜。

その背中を月光が照らしていた。

 

 

 

白哉はもう振り返らない。

だが胸の奥には確かに残っていた。

 

 

 

消えたはずの人。

二度と会うことはないと思っていた人。

 

 

 

その霊圧が――

 

 

 

今、この空座町にある。

 

 

 

夜風が吹く。

 

誰も知らないまま。

 

 

物語は静かに動き始めていた。

 

 

 

┈┈┈┈┈┈┈

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