BLEACH No name   作:鈴夢

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TURN BUCK

 

 

 

┈┈┈┈┈┈

 

 

 

戻りたかったわけじゃない

 

忘れられなかっただけだ

 

そして今

 

過去が私を呼んでいる

 

 

 

┈┈┈┈┈┈

 

 

 

 

TURN BUCK

 

 

 

 

 

┈┈┈┈┈┈

┈┈┈┈┈┈┈┈

 

 

 

 

 

旅禍の侵入から半日。

 

五番隊隊舎。

隊長執務室には静かな灯りが灯っていた。

 

 

窓の外には穏やかな月。

虫の鳴く声が遠くから聞こえる。

 

本来なら隊士たちも寝静まる時間。

 

それでも執務机には書類が積まれ、藍染惣右介は変わらぬ穏やかな表情で筆を走らせていた。

 

さらさらと紙の上を滑る筆先。

 

「…………」

 

静寂。

その空気を壊さないように、そっと襖が開く。

 

 

 

「――""隊長""」

 

小さな声。

藍染は顔を上げた。

 

そこにいたのは五番隊副隊長、雛森桃だった。

 

寝巻き姿。

少しだけ恥ずかしそうに襖の隙間から顔を覗かせている。

 

藍染は優しく微笑んだ。

 

「こんばんは、雛森君」

「まだ起きていたんですか」

「仕事が少し残っていてね」

 

いつもの声。

いつもの笑顔。

 

それだけで雛森の表情が緩む。

藍染は手を止め、雛森を迎え入れる。

 

「風邪をひくよ。入りなさい」

「はい」

 

雛森は嬉しそうに部屋へ入る。

同時に、信頼されていると理解すると雛森は嬉しくて堪らなかった。

 

隊長室の隅。

藍染の背を前に、ゆっくりと腰を下ろす。

 

「どうした?話があるんじゃなかったのかい?」

「はい。その……」

 

雛森は言いづらいのか躊躇する。

それを直ぐに汲み取るのは藍染だった。

 

「"阿散井くんの容体はどうなのかな?"」

 

侵入者である"旅禍"の存在。

雛森と同期である阿散井は旅禍によって負傷したのだ。

 

「は、はい。命に別状はないと思います。」

「それはよかった。」

 

藍染の柔らかい口調にほっとする。

しかし本題はそこではなかった。

雛森は別の意味で阿散井をあんじていたのだ。

 

そして、藍染はそれさえも見透かしていたのか、言葉を続けた。

 

「隊首会のほうも心配には及ばないよ。朽木隊長は罷免を唱えたが、反対にあってそれもなくなった。」

「え……」

「傷が癒えれば、すぐに本隊に戻れるはずだ」

「それってもしかして……藍染隊長が反対してくださったんですか?」

「僕だけじゃないよ。彼は優秀だし、みんなに好かれている。彼が罷免されて喜ぶ者は護廷十三隊に一人だっていやしないさ。」

 

藍染は背後に座る雛森に振り返るとにっこりと笑った。全てをわかっていた藍染。副隊長である雛森のことなどなんでもお見通しなのだ。

ここに来た目的、それは阿散井の事。

雛森は思わず涙ぐむ。

 

「……藍染隊長」

「ん」

「……このまま隊長を見ていてもいいですか?」

「構わないよ。好きなだけいるといい。」

藍染は再び机へ向かう。

雛森はそんな背中を見つめていた。

 

尊敬する人。

誰よりも優しい人。

誰よりも信頼している人。

 

「((……本当に……優しい人))」

 

陽だまりのような暖かさ。

五番隊が昔から安泰なのは"この人がいるから"なのだと、雛森は再理解する。

 

誰よりも人のことを信じ

誰よりも他を助け

 

まさに鏡のような人物だと――

 

 

「……」

 

だからこそ、ふと。

再理解した今日こそ、聞いてみたかった。

 

 

「隊長」

「ん?」

 

筆を動かしたまま藍染が返事をする。

雛森は少し言葉を選んだ。

 

「……昔の事件の事なんですけど……」

 

藍染の筆先が僅かに止まる。

本当に僅かに。

 

だが雛森は気付かなかった。

 

 

「私はその頃まだ席官でもなかったので、詳しく知らないんです」

 

藍染は黙って聞いている。

 

「でも」

 

雛森は視線を落とした。

 

「最近、少し気になっていて」

 

そして口にする。

 

「"無類井馨三席"のことです」

 

その瞬間だった。

筆が止まる、完全に。

 

部屋の空気が一瞬だけ変わった。

 

静寂。

月明かりだけが障子を照らしている。

 

雛森は目を瞬く。

"あの藍染隊長"が微かに反応したのだ。

 

「((…………))」

 

それだけで十分だった。

やはり何かある。

誰も詳しく話したがらない。

 

隊内でも触れられない。

まるで禁句のような存在。

 

無類井馨。

"元"十三番隊三席。

隊士二十八名を殺害した大罪人。

 

そして尸魂界を裏切った逃亡者。

それが表向きの記録だった。

 

だが。どこかおかしい。

 

誰も本当の話をしない。

誰も詳しく語らない。

 

そして。

藍染が今、明らかに反応した。

 

雛森の胸がざわつく。

 

もしかすると。

隊長にとって特別な人だったのだろうか。

 

そんな考えが頭を過る。

 

 

無類井馨は女性。

隊長は優しい。

誰にでも優しい。

 

それでも。

胸の奥が少しだけ痛む。

 

理由は自分でも分かっていた。

 

――"嫉妬"だ。

子供じみている。

 

分かっている。

それでも知りたかった。

 

隊長にとってどんな存在だったのか。

 

「ご存知なんですか?」

 

雛森は尋ねる。

 

「……」

 

藍染はしばらく何も言わなかった。

背中を向けたまま。

月明かりが肩へ落ちる。

 

やがて。

静かに振り返った。

 

そこには。

いつもの優しい笑顔があった。

 

何も変わらない。

何一つ。

 

「そうだね」

 

穏やかな声。

 

「彼女のことはよく知っているよ」

 

雛森の目が少し開く。

やはりそうだった。

藍染は視線を窓の外へ向ける。

 

どこか懐かしそうに。

遠い昔を見るように。

 

「私が知る死神の中でも、特に才能に恵まれていた」

 

静かな言葉。

それは本心だった。

 

鬼道。

白打。

瞬歩。

斬魄刀。

 

どれを取っても規格外。

藍染自身が認めるほどに。

 

「優しい人でもあった」

 

藍染は続ける。

 

「誰かのために怒れて、誰かのために泣ける、そんな人だったかな。」

 

雛森は困惑する。

あまりにも記録と違う。

 

 

「でも……」

 

思わず口を開く。

 

「……資料には」

「雛森君」

 

藍染は微笑んだ。

悲しそうに。

どこか寂しそうに。

 

「人は時に」

 

小さく息を吐く。

 

「信じられない過ちを犯してしまうものだからね」

 

優しい声だった。

誰も疑わない声だった。

雛森は静かに俯く。

 

そういうものなのだろうか。

優しい人でも。

壊れてしまうことがあるのだろうか。

 

藍染はそんな彼女を見つめていた。

穏やかに。優しく。

慈しむように。

 

そして心の奥底で、静かに笑う。

 

無類井馨。

その名前を聞くのは久しぶりだった。

 

長い時間だった。

だが、計画は順調に進んでいる。

 

彼女も。

旅禍も。

護廷十三隊も。

 

誰もまだ気付いていない。

自分が盤上を動かしていることに。

 

藍染は再び机へ向き直る。

 

筆を取る。

 

その口元には。

誰にも見えないほど小さな笑みが浮かんでいた。

 

しばらく話した後。

藍染は静かに筆を置いた。

 

机の上に積まれた書類。

灯りに照らされた執務室。

 

夜は更けている。

藍染は穏やかに微笑んだ。

 

「さあ、もう寝なさい、雛森君」

 

優しい声だった。

雛森は少しだけ名残惜しそうに顔を上げる。

 

「でも隊長は……」

「私はまだ少し仕事が残っているからね」

 

藍染は苦笑する。

 

「心配しなくていい。君が気にすることじゃない」

 

そう言うと立ち上がった。

 

雛森の側へと寄り、しゃがみ込むと目線を合わせる。

 

「っ!」

 

雛森は思わず背筋を伸ばした。

 

鼓動が速くなる。

近い。

隊長が近い。

 

それだけで胸が苦しくなる。

 

藍染は何も言わず、自分が羽織っていた寝巻きの羽織を彼女にそっと肩口まで掛けてやった。

 

まるで幼い子供にするように。

 

優しく。

丁寧に。

――優しい匂いに包み込まれる。

 

雛森の頬が赤く染まった。

 

「た、隊長……」

 

藍染は微笑むだけだった。

 

そして。

そっと雛森の手を取る。

 

大きな手。

温かい。

雛森の細い指が包み込まれる。

 

その温もりに胸がいっぱいになる。

 

藍染は視線を合わせた。

優しく。

どこまでも優しく。

 

まるでこの世の全てを肯定するような眼差しだった。

 

「雛森君」

 

低く穏やかな声。

雛森は見つめ返す。

 

藍染は静かに言った。

 

「君は何も心配しなくていい」

 

その言葉に雛森の肩から力が抜ける。

 

「難しいことも、辛いことも、苦しいことも」

「たい、ちょ……」

「全部」

 

藍染の親指が優しく彼女の手を撫でる。

 

「私が背負う」

 

雛森の瞳が揺れた。

 

「だから君は」

 

藍染は微笑む。

慈愛に満ちた顔で。

 

「"今まで通り笑っていてくれればいい"」

 

低音に潜む甘い声だった。

安心する声だった。

 

聞いているだけで不安が消えていく。

 

「君は優しい子だからね?誰かのために悩んでしまう。誰かのために傷付いてしまう」

「ぁ……」

「でも」

 

藍染はゆっくり頭へ手を伸ばした。

柔らかな髪を撫でる。

 

何度も。

何度も。

 

子供をあやすように。

 

「そんな必要はないんだ」

 

雛森の目が潤む。

 

嬉しかった。

隊長が自分を見てくれている。

信じてくれている。

守ろうとしてくれている。

それだけで幸せだった。

 

藍染は最後にもう一度髪を撫でた。

 

「いい子だ」

 

その一言に。

雛森の胸は満たされる。

 

何も疑わない。

疑う理由もない。

 

この人は優しい。

この人は正しい。

この人は自分を守ってくれる。

 

 

心の底から、そう信じていた。

 

「……はい」

 

小さく返事をする。

 

雛森は藍染の胸元に顔を埋めた。

安心したように。

幸せそうに。

 

目を閉じる。

藍染はそんな姿を静かに見下ろしていた。

 

「……」

 

 

 

 

 

 

やがて寝息が聞こえ始める。

穏やかな寝顔。

何も知らない少女の寝顔だった。

 

藍染はしばらくそれを見つめる。

優しい表情のまま。

変わらない微笑みのまま。

 

そして誰にも聞こえないほど小さく呟いた。

 

「――そう」

 

静かな声。

 

「君はそのままでいい」

 

月明かりが部屋へ差し込む。

穏やかな夜だった。

あまりにも穏やかで。

 

だからこそ。

その優しさの奥に隠されたものは、誰にも見えなかった。

 

 

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翌朝。

静まり返った瀞霊廷内。

 

 

「……ぁ」

「なっ……」

 

死神たちが一点を見つめる。

 

真っ赤に染まる壁

争ったような形跡はほとんど無い。

 

だが、間違いなく、

"藍染惣右介は何者かに殺害された"

 

磔にされた死体はどう見ても"藍染惣右介"だった。

 

 

 

「雛森!来るな!」

 

彼女を制止する日番谷冬獅郎の声。

しかしその脚は止まらない。

 

「おい!松本!雛森を止めろ!」

「……っ……雛森!」

 

松本乱菊が立ち塞がる。

しかし、異様な空気と微かに感じる霊圧に、雛森は無表情でさらに近づく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ぁ……ああ……あ……」

 

"その光景"を目にした時

雛森は膝から崩れ落ち、耳を塞ぎたくなるような悲鳴をあげたのだった。

 

 

「いゃぁぁぁぁぁああああああああ!!!!!」

 

狂ったような叫び声。

 

「藍染隊長ォおおおお!!!!!」

 

張り裂けるような叫び。

 

朝の静寂を引き裂くように。

隊士たちが一斉に顔を上げる。

 

何事かと駆け出す足音。

騒然とする五番隊。

 

そして。

その光景を目にした者たちは言葉を失った。

 

執務棟の高い壁。

 

そこに。

藍染惣右介の亡骸が磔にされていた。

 

胸を貫かれ。

高く吊るされたその姿は。

まるで見せしめのようだった。

 

血が壁を伝う。

朝日に照らされる赤。

誰もが息を呑む。

 

 

五番隊隊長。

藍染惣右介。

 

その死はあまりにも衝撃的だった。

 

「そんな……」

「嘘だろ……」

「隊長が……?」

 

混乱が広がる。

隊士たちの顔から血の気が引いていく。

 

その足元では。

雛森が崩れ落ちていた。

 

震える手。

涙。

信じられないという表情。

 

「隊長……」

 

声にならない。

 

 

昨夜まで話していた。

優しく笑っていた。

頭を撫でてくれた。

 

その人が。

 

今。

目の前で。

 

冷たく動かなくなっている。

 

「隊長……」

 

掠れた声。

 

次の瞬間。

 

再び絶叫が響いた。

 

「隊長ォォォォッ!!」

 

その悲鳴は。

 

五番隊だけでなく。

瀞霊廷全体へ広がっていく。

 

やがて各隊へ緊急連絡が飛ぶ。

 

隊長格の死亡。

異常事態。

旅禍侵入。

 

 

 

混乱。

 

 

 

静かだった尸魂界は一変した。

 

誰もが空気の変化を感じていた。

何かがおかしい。

何かが始まっている。

誰にもまだ分からない。

 

だが確実に。

瀞霊廷を覆う巨大な陰謀が。

ゆっくりと牙を剥き始めていた。

 

 

 

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一護たちが尸魂界へ向かってから、数日が過ぎていた。

 

 

空座町。

深夜。

 

コンビニの自動ドアが静かに閉まる。

 

「お疲れさまです」

 

馨は頭を下げると、バックヤードで受け取った期限切れの弁当が入った袋を持ち直した。

 

夜風が吹く。

 

街灯に照らされた住宅街を一人歩く。

 

誰もいない。

 

聞こえるのは遠くを走る車の音だけ。

 

変わらない夜。

変わらない帰り道。

変わらない毎日。

 

そのはずだった。

 

それなのに。

最近は妙に静かだった。

 

理由は分かっている。

一護たちがいないからだ。

 

騒がしい少年も。

妙に理屈っぽい眼鏡も。

心配性の優しい女の子も。

大きな背中の青年も。

 

誰もいない。

 

「……」

 

たった数日。

 

それだけなのに。

胸のどこかにぽっかりと穴が空いたようだった。

 

アパートへ帰る。

古い階段を上る。

鍵を回す。

 

狭い部屋。

小さなテーブル。

古い扇風機。

 

見慣れた景色。

 

「……」

 

 

誰も待っていない部屋。

馨は小さく息を吐いた。

 

 

シンクに袋を置き、弁当を温める。

 

一人で食べる。

風呂へ入る。

髪を乾かす。

布団を敷く。

 

「……」

 

毎日繰り返してきた生活。

何十年もそうして生きてきた。

 

何も考えないように。

何も思い出さないように。

 

けれど。

最近は駄目だった。

 

目を閉じる度に浮かぶ。

 

オレンジ色の髪。

真っ直ぐな瞳。

 

『""信じてくれ""』

 

あの言葉が離れない。

 

「((……尸魂界は……どうなってるんだろう。))」

 

ルキアは無事だろうか。

一護は怪我をしていないだろうか。

 

石田は?織姫は?茶渡は?夜一は?

 

「((彼らと対峙する死神たちは――))」

 

白哉、浮竹、――

様々な死神の顔が浮かぶ。

 

「((藍染隊長も……彼らと何れ対峙し合う――))」

 

 

考えても仕方ない。

そう分かっているのに。

考えずにはいられなかった。

 

「……」

 

馨は寝返りを打つ。

天井を見上げる。

 

薄暗い部屋……静かだった。

耳が痛くなるほどに。

 

やがて。

少しずつ。

――少しずつ。

 

意識が沈んでいく。

 

 

 

 

深く。

 

 

 

 

┈┈┈┈┈┈

 

 

 

 

深く。

 

 

 

 

 

┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈

 

 

 

暗闇へ

 

 

┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈

 

 

 

 

 

 

 

そして――――。

 

 

 

 

 

 

「――!?」

 

 

風が吹いた。

さらり、と頬を撫でる。

 

涼しい。

懐かしい風だった。

 

馨はゆっくりと目を開く。

最初に見えたのは月だった。

 

大きな満月。

夜空に浮かぶ白い光。

次に見えたのは木々。

 

そして縁側。

虫の鳴く声。

 

庭石。

揺れる木陰。

 

懐かしい景色。

懐かしすぎる景色。

 

 

「……あれ」

 

馨は瞬きをした。

身体を起こす。

畳の匂い。

風の冷たさ。

 

どれも妙に鮮明だった。

 

「((……これは夢……?))」

 

そう思った。

 

だが、夢にしてはあまりにも現実だった。

 

ゆっくりと自分を見る。

 

淡い藍色の着流し。

昔使っていた寝巻き。

十三番隊時代のものだ。

 

胸が小さく鳴る。

 

「……夢……」

 

呟く。

 

返事はない。

ただ夜風だけが吹いている。

 

その時だった。

 

 

 

「……ッ……」

 

 

ふと。

視界の先に人影が見えた。

 

「あ……ぁ……」

 

 

 

縁側の端。

月を見上げる背中。

 

黒い髪。

広い肩。

見慣れた後ろ姿。

 

忘れるはずがない。

忘れられるはずがない。

 

「……ッ……か」

 

 

馨の呼吸が止まる。

世界から音が消えた。

心臓だけがうるさい。

 

 

嘘だ。

そんなはずない。

あり得ない。

 

分かっている。

分かっているのに。

 

目が離せなかった。

 

足が勝手に動く。

 

一歩。

また一歩。

 

「……ッ……」

 

近付く。

声が出ない。

 

名前を呼べない。

呼んだ瞬間に消えてしまいそうで。

 

ただ必死に歩く。

 

 

 

そして。

気付けば。

 

 

 

「――!!」

 

その背中へ抱きついていた。

 

まるで溺れる人間みたいに。

失ったものへ縋り付くように。

 

ぎゅっと。

強く……強く。

 

抱きしめる。

 

「……ぅ……う」

 

温かかった。

その温もりに。

馨の瞳が揺れた。

 

すると。

 

「お?」

 

懐かしい声が聞こえた。

思わず身体が震える。

 

振り返る。

 

そこにいたのは――――。

 

 

 

「馨?」

 

 

"志波海燕"だった。

 

 

月明かりの下で。

昔と何一つ変わらない笑顔でそこにいた。

 

 

 

 

 

何度夢に見たかわからない。

何度会いたいと願ったかわからない。

 

馨の唇が震えた。

 

「……か、……いえん、さん」

 

声にならない掠れた声だった。

背中がゆっくり振り返る。

 

 

優しい笑顔。

懐かしい顔。

何一つ変わらない。

 

志波海燕がそこにいた。

 

 

 

気づけば、涙が溢れていた。

 

 

「お、おい!?」

 

海燕が驚いた声を上げる。

けれど馨は離さなかった。

 

肩へ顔を埋める。

必死だった。

子供のようだった。

 

何十年もの想いが溢れていた。

 

「海燕さん……」

 

震える声。

 

「海燕さん……!」

 

何度も。

何度も名前を呼ぶ。

 

海燕は困ったように笑った。

そして優しく頭へ手を置く。

 

昔と同じように。

 

「どうしたんだよ」

 

その言葉で。

馨の心は壊れてしまった。

 

「……いる」

「ん?」

「ずっと……いるんです……」

 

涙が零れる。

止まらない。

 

「あなたがいるんです」

 

海燕の胸元を掴む。

必死に。

縋るように。

 

「どこに行っても」

「……」

「何をしても」

「……」

「忘れようとしても」

 

声が震える。

 

「朝起きても……夜眠っても、笑っても、泣いても」

「……」

「あなたがいるんです……」

 

涙がぽろぽろと落ちる。

 

「だから進めない……」

「……」

「置いていけない……!」

「……」

「できないんです……」

 

海燕は黙って聞いていた。

馨は首を振る。

 

子供のように。

何度も何度も。

 

「私は……ッ私はまだ……あなたを……」

 

そこまで言った時だった。

 

突然。

海燕の手が馨の肩を掴んだ。

 

ぐっと強く。

馨が顔を上げる。

 

そこにいた海燕は。

優しいだけの顔をしていなかった。

 

副隊長として仲間を叱る時の顔。

誰よりも真っ直ぐな男の顔。

 

「馨」

 

低い声だった。

 

「……はい」

「もう、俺に縛られるな」

 

馨の瞳が揺れた。

 

「……」

「前に進め」

「…ッ…できない!」

 

即答だった。

海燕は眉を寄せる。

 

「できないんです」

「できる」

「できません」

「できる」

「無理です」

 

涙が溢れる。

 

「だって私は……!」

 

海燕の顔を見る。

 

「あなたを愛してるんです……!」

 

叫ぶような声だった。

 

「今でも……ずっと……ずっと好きなんです……!だから…忘れられない……!」

 

馨は震えていた。

目の前にいる人が、本当にそこにいるようで。

 

夢だと分かっているのに。

夢だと分かっているからこそ。

 

余計に苦しかった。

 

 

海燕の着流しを握り締める指に力が入る。

離したくなかった、もう二度と。

 

絶対に。

 

「……っ」

 

声にならない。

喉が潰れたみたいに言葉が出てこない。

 

代わりに涙だけが溢れていた。

 

ぽろぽろと、止まることなく。

海燕の胸元を濡らしていく。

 

 

「忘れられない……忘れたくない……」

「……」

「でも……」

 

馨は顔を歪めた。

 

「声も……顔も……少しずつ思い出せなくなっていくの……」

 

胸が潰れそうだった。

 

「怖いの……あなたを忘れるのが怖い……」

 

海燕は馨の言葉に眉を下げ、同じように今にでも泣き出しそうだった。

 

「あなたに会いたい……」

「……馨」

「会いたい……」

「……」

「もう一度だけでいいから……」

「……」

「会いたい……」

 

その言葉は願いだった。

 

祈りだった。

誰にも言えなかった本音だった。

 

海燕は静かに目を閉じた。

 

そしてゆっくりと馨を抱き寄せた。

 

大きな腕が背中へ回る。

包み込むように。

 

壊れ物を扱うように。

 

優しく。

柔く。

 

「ッ……」

 

馨の身体がびくりと震えた。

あまりにも懐かしい温もりだった。

 

海燕は馨の後頭部に手を添える。

昔と同じように。

 

そっと髪を撫でた。

 

「……ごめんな」

 

低い声だった。

馨の肩が震える。

海燕はもう一度言った。

 

「ごめん」

 

その声には後悔が滲んでいた。

 

「ひとりにして……悪い」

 

馨は首を振る。

違う。違うと言いたかった。

 

でも涙で言葉にならない。

海燕は続けた。

 

「苦しかったよな」

「……」

「寂しかったよな」

「……」

「怖かったよな」

 

一つ一つ。

確かめるように。

 

馨が抱えてきた年月を拾い上げるように。

 

「ごめんな」

 

ぽん、と背中を叩く。――優しく。

 

「よく頑張ったな」

 

その一言で。

馨は完全に崩れた。

 

「っ……!」

 

声にならない悲鳴が漏れる。

海燕の胸に顔を埋める。

 

泣きじゃくる。

子供みたいに。

嗚咽を漏らしながら。

 

海燕は何も急かさなかった。

何も否定しなかった。

 

ただ抱き締めていた。

昔と同じ温度で。

昔と同じ優しさで。

 

月明かりの下。

海燕は泣き続ける馨の髪を撫でながら、小さく目を閉じた。

 

まるで失った時間を埋めるように。

まるで最愛の妻を安心させるように。

 

そして、誰にも聞こえないほど小さな声で呟いた。

 

「愛してるよ、馨」

 

その言葉だけは。どんなに長い時間を越えても。何一つ変わっていなかった。

 

「……馨」

 

海燕は馨を抱きしめたまま

 

「俺はな」

 

彼も声が震えていた。

 

「お前に幸せになって欲しかったんだよ」

「……」

「笑って欲しかった」

「……」

「生きて欲しかった」

「……」

「前を向いて欲しかった」

 

海燕の目も少し赤かった。

 

「俺を理由に止まるな」

「……」

「俺を理由に自分を閉じ込めるな」

「……」

「そんなの」

 

海燕は苦笑する。

 

「悲しいだろ」

 

馨は何も言えなかった。

海燕はゆっくりと言う。

 

一言一言を噛み締めるように。

 

「お前はお前だ」

「……」

「俺じゃない」

「……」

「志波海燕の人生じゃない」

「……」

「無類井馨の人生だ」

 

どうしようもなく、胸が痛かった。

 

 

「お前の人生は」

 

海燕は真っ直ぐ見つめる。

 

「お前のもんだろ」

「……ぅ……かい、え……さ」

「ったく、こんなに泣き虫だったか?」

 

涙が止まらない。

海燕は笑った。

 

あの日と同じ笑顔で。

 

「見つけろ」

「……」

「真実を」

「……」

「お前が何者なのか」

「……」

「何のために生まれたのか」

「……」

「何を守りたいのか」

 

真剣な眼差しが

 

「そして知れ」

「……」

「お前は何者なのか」

 

馨は息を呑む。

海燕はゆっくりと胸に手を当てた。

 

そして。

最後に、まるで何かを託すように言った。

 

 

 

 

 

「――"心はな"」

 

馨の涙が止まる。

 

「誰かに預けるためにあるんじゃねえ。託すんだ。」

 

過去、自分を失いそうになった時、話してくれた言葉だ。

 

「縛られるためにあるんでもねえ。……俺の心は……ずっとお前のここにある。お前を護ってる。」

 

海燕は優しく笑った。

あの日と同じように。

 

「心は、自分で選ぶためにある」

「……」

「何を信じるか」

「……」

「誰を信じるか」

「……」

「どこへ進むか」

「……」

「何を守るか」

 

海燕は静かに馨の胸元を指で小突く。

 

「全部ここだ」

「……ッ」

「馨」

「……」

「お前の心が決めるんだ」

 

その瞬間。

 

世界が揺らいだ。

 

月が滲む。

縁側が遠ざかる。

夢が終わる。

 

消えていく海燕へ、馨は必死に手を伸ばした。

 

「待って……!」

 

海燕は振り返らない。

ただ片手を上げて。

最後に一言だけ残した。

 

「見つけろ」

 

夜風に溶ける声。

 

「お前の真実を」

 

そして最後に。

優しく。

けれど確かに。

 

名を呼んだ。

 

「"無類井馨"」

 

その瞬間。世界が揺らぐ。

月明かりが崩れる。

縁側が遠ざかる。

海燕の姿が薄れていく。

 

「待っ――」

 

伸ばした手は届かない。

 

「海燕さん!」

 

叫ぶ。

必死に。

 

「海燕さん!!」

 

消えていく。

それでも海燕は笑っていた。

 

最後まで。

優しく。

 

誇らしそうに。

 

 

 

 

┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈

┈┈┈┈┈┈┈┈┈

┈┈┈┈┈┈┈┈

┈┈┈┈┈┈┈

┈┈┈┈┈┈

 

 

 

 

 

 

――そして。

 

 

┈┈┈┈┈┈

 

 

「――ッ!?」

 

馨は目を覚ました。

 

「……はぁ……ッ……」

 

勢いよく身体を起こす。

 

呼吸が荒い。

胸が苦しい。

心臓が激しく脈打つ。

 

気付けば。

 

「……ぁ……」

 

頬は涙で濡れていた。

 

薄暗い部屋。

古い天井。

扇風機の音。

 

見慣れたアパート。

 

 

「((……海燕……さん))」

 

夢だった。

ただの夢。

 

それなのに。

胸の奥だけが熱かった。

 

耳の奥で、今も声が響いている。

 

 

――見つけろ。

――真実を。

――無類井馨。

 

馨は震える手で胸元を押さえた。

 

そして、誰もいない部屋で。

声にならない声を漏らした。

 

「……真実」

 

零れた涙は。

この数十年で一番、温かかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

頬を伝う涙を乱暴に拭う。

 

「……」

 

馨は俯いたまま拳を握る。

 

数十年間。

ずっと逃げ続けてきた。

 

知ることを恐れて。

思い出すことを恐れて。

真実から目を逸らして。

 

けれど。

もう逃げられない。

 

海燕は最後まで自分のことを心配していた。

 

ならば。

今度こそ前を向かなければならない。

 

馨はゆっくり立ち上がった。

そしてキッチンへと向かい、蛇口をひねると冷水で顔を冷やす。

 

「……ふー……」

 

長い沈黙。

 

「……」

 

 

 

 

そして。

静かに口を開いた。

 

「……"行かなきゃ"」

 

次の瞬間。

霊圧が溢れ出した。

 

 

 

部屋の空気が震える。

黒い死覇装が身体を包み込む。

 

死神としての本来の姿。

 

長い黒髪が揺れ、

切れ長の瞳が鋭く細められる。

 

無類井馨は窓を開け放つ。

夜風が吹き込む。

 

空には月。

遠い昔。

仲間たちと駆けた夜と同じ月だった。

 

 

「…"待ってて"」

 

誰に向けた言葉だったのか、自分でも分からなかった。

 

海燕か。

ルキアか。

一護か。

 

それとも。

""過去に取り残された自分自身か""

 

 

 

 

瞬間、姿が消える。

 

屋根から屋根へ。

夜の空座町を駆け抜ける。

 

迷いはなかった。

目指す場所は一つ。

 

 

 

┈┈┈┈┈┈┈

 

 

 

 

数分後――

――浦原商店

 

 

┈┈┈┈

 

 

 

 

見慣れた店の前へ降り立つ。

 

着地した瞬間だった。

店の灯りが漏れていることに気付く。

 

 

深夜。

とっくに閉店している時間。

 

それなのに。

まるで最初から分かっていたように。

 

店の扉は開いていた。

 

「……」

 

馨は息を整えることもなく中へ入る。

 

五十年間、何度も出入りした場所だった。

 

逃亡者だった自分に居場所を与えてくれた場所。

 

帰る場所だと思っていた場所。

 

けれど今夜だけは違う。

 

ここは帰る場所ではない。

旅立つ場所だった。

 

馨は静かに引き戸を開ける。

からん、と小さな音が鳴った。

 

返事はない。

当然だった。

 

もう閉店している時間だ。

それでも彼女は迷いなく奥へ進む。

 

畳の匂い。

木造の床が軋む音。

 

何一つ変わっていない。

それなのに、今夜だけはどこか違って見えた。

 

胸の奥が妙にざわつく。

 

不安なのか。

緊張なのか。

 

あるいは――期待なのか。

自分でも分からなかった。

 

居間を抜ける。

そのまま地下へ続く扉の前に立つ。

 

何度も通った階段だった。

 

「……ふー……」

 

馨は小さく息を吐く。

そして階段を降り始める。

 

一段。

また一段。

 

降りるたびに空気が変わっていく。

 

地上の温もりが遠ざかり、代わりに冷たく澄んだ霊子の気配が濃くなっていく。

 

やがて最後の段を踏みしめた。

 

広大な地下空間。

見上げるほどの天井。

果ての見えない訓練場。

 

その中央に――

巨大な門が立っていた。

 

穿界門。

 

鈍く光を放つその姿は、まるで異世界へ続く神殿の門のようだった。

 

馨は思わず立ち止まる。

視線を奪われた。

 

本当に行くのだと。

その現実を突き付けられた気がした。

 

 

「……」

 

門の傍らにふたつの影。

 

腕を組み。

静かに立っている。

 

まるでずっと待っていたかのように。

 

「いらっしゃい」

 

穏やかな声――浦原喜助だった。

 

帽子の下から細い目を向ける。

その顔には驚きが一切ない。

 

予想していた。

 

いや。

確信していたような顔だった。

 

そして隣。

巨大な身体を組んだまま立つ男――握菱鉄裁。

 

「準備は出来ております」

 

低く落ち着いた声。

 

「……喜助さん、鉄裁さん。」

 

馨は二人を見つめた。

しばらく言葉が出ない。

 

「……ははっ」

 

すると浦原が小さく笑う。

 

「いやぁ」

 

扇子を広げる。

 

「もっと悩むかと思ったんスけどねぇ」

「……」

「意外と早かったっス」

 

馨は目を細める。

 

「知ってたんですか」

「そりゃあ」

 

浦原は肩を竦めた。

 

「長い付き合いっスから」

「……」

「そろそろ来ると思ってましたよ」

 

静かな沈黙。

鉄裁も頷く。

 

「浦原殿は数日前から準備を進めておりました」

「……鉄裁サン」

「事実です」

 

即答だった。

浦原が苦笑する。

 

「余計なこと言わなくていいんスよ」

「事実ですので」

「だから真顔で言わないで欲しいんスよ」

 

いつものやり取り。

変わらない空気。

 

少しだけ。

馨の肩から力が抜ける。

 

浦原はそんな彼女を見て。

ほんの少しだけ真面目な顔になった。

 

「行くんスね」

 

その一言。

馨は静かに目を閉じた。

 

脳裏に浮かぶ。

 

 

 

ルキア。

一護。

海燕。

 

そして。

 

 

 

"雨の夜"

血に染まった十三番隊。

失われた仲間たち。

 

知らなければ楽だった。

逃げ続ければ傷付かなかった。

 

それでも。

もう決めた。

ゆっくり目を開く。

 

迷いはなかった。

 

 

 

 

「……行ってきます」

 

馨は小さくそう告げた。

紫がかった霊圧を纏いながら、ゆっくりと穿界門へ向き直る。

 

門の向こうにあるのは尸魂界。

二度と戻りたくないと思った場所。

 

愛した人を失った場所。

そして、自分が全てを奪われた場所。

 

それでも今は、不思議と足が震えていなかった。

 

一歩。

前へ踏み出そうとした、その時だった。

 

 

「ッ……?」

 

不意に背後から腕が伸びる。

馨の身体がふわりと後ろへ引き寄せられた。

 

「……え」

 

思わず目を見開く。

背中に伝わる温もり。

聞き慣れた霊圧。

振り返るより先に、耳元で声がした。

 

とても静かな声だった。

 

「"やっと"――」

 

浦原の声。

普段の軽薄さなど欠片もない。

 

長い年月の想いを押し殺したような声だった。

 

「……やっと、続きが始まるんスね」

 

馨の瞳が揺れる。

浦原は離さない。

まるで今だけは、送り出す前に伝えたいことがあるのだとでも言うように。

 

「喜助さん……」

 

掠れた声。

浦原は小さく笑った。

 

「長かったっス」

 

その一言に全てが込められていた。

 

逃亡。

喪失。

後悔。

沈黙。

 

現世で過ごした月日。

誰より近くで見てきたのは浦原だった。

 

夜中に悪夢で目を覚ます姿も。

海燕の名を呼びながら泣く姿も。

何もかも諦めたような瞳も。

 

全部知っている。

 

――だからこそ。

浦原は静かに続けた。

 

「あの時の真実を」

 

「あなた自身の潔白を」

 

「今度は、あなた自身の手で掴んできてください」

 

馨は唇を噛む。

涙が出そうになる。

けれど浦原は慰めない。

 

励まさない。

ただ信じている。

 

それが分かるからこそ苦しかった。

 

「あなたはずっと……自分を信じられなかった。だから今度くらい、自分のために戦ってください」

 

馨は目を閉じる。

背中越しに伝わる温もりが優しい。

 

逃亡者だった自分を受け入れてくれた人。

 

何も聞かずに居場所をくれた人。

 

五十年間。

 

ずっと隣にいてくれた人。

 

浦原は最後にそっと額を馨の髪へ預ける。

 

一瞬だけ。

本当に一瞬だけだった。

 

「頼みますよ」

 

その声は少しだけ震えていた。

 

「馨サン」

 

馨の肩が小さく揺れる。

そして浦原はゆっくり身体を離した。

 

もう引き止めない。

送り出すために。

 

「黒崎サンたちのことも。」

 

馨は振り返る。

 

浦原はいつものように扇子を開きながら笑っていた。

 

だけどその笑顔は、どこか寂しそうだった。

 

「頼みます」

 

馨はしばらく何も言えなかった。

 

やがて小さく笑う。

 

「……ふふっ」

 

本当に自然な笑みだった。

 

「ええ」

 

静かに頷く。

 

「任せてください」

 

その言葉に浦原は満足そうに目を細めた。

 

馨は前を向く。

もう振り返らない。

 

背中には、信じて送り出してくれる人がいる。

 

だから前へ進める。

 

 

 

穿界門の光が彼女を包む。

 

浦原は、その背中が見えなくなるまで、ただ静かに見送っていた。

 

まるで。

 

長い長い物語の続きを見届けるように。

 

 

 

 

 

 

 

 

┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈

 

 

 

 

 

 

 

┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈

 

 

 

 

 

 

 

┈┈┈┈┈┈┈┈┈

 

 

 

 

 

――"隊長"

 

 

 

 

┈┈┈

 

 

 

私は、あなたが大好きだった。

 

隊長。

 

いつだって優しかった。

 

失敗して落ち込んだ時も。

 

自信をなくして俯いた時も。

 

あなたは責めたりしなかった。

 

大丈夫だよ、と。

 

君ならできるよ、と。

 

そう言って微笑んでくれた。

 

その笑顔が好きだった。

 

その声が好きだった。

 

その背中が好きだった。

 

誰よりも立派で。

 

誰よりも優しくて。

 

誰よりも尊敬できる死神だった。

 

だから信じていた。

 

疑ったことなんて、一度もなかった。

 

あなたの言葉なら正しいと。

 

あなたの進む道なら間違いないと。

 

私は、本気でそう思っていた。

 

なのに。

 

どうして。

 

どうしてあなたが。

 

どうして、そんな顔で笑うのですか。

 

私の知っている藍染隊長は。

 

私が憧れたあなたは。

 

そんな人じゃなかったはずなのに。

 

私はただ、

 

あの日々が好きだった。

 

五番隊が好きだった。

 

あなたの隣で笑っていられる時間が好きだった。

 

それだけだったのに。

 

 

 

 

 

┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈

 

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