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帰る場所など
もう無いと思っていた
それでも
私の名を呼ぶ声が
確かにそこにあった
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RETURN
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┈┈┈┈┈┈┈┈
薄暗い通路を歩きながら、日番谷冬獅郎は違和感を隠せずにいた。
完全に警備から抜け落ちた四十六室。
入口を破壊しても警報すら鳴らない。
"何かがおかしい"
四十六室から今の今まで司令はくだっていたが……何も気配を感じない。
「隊長」
「……ああ。気をつけろ、松本。」
警戒する日番谷冬獅郎。その後ろを、副隊長である松本乱菊が心配そうな足取りで続く。
尸魂界は、静かに軋んでいた。
藍染惣右介の死から数日。
本来ならば、その死の真相究明に全隊が動いていなければならないはずだった。
だが現実は違った。
瀞霊廷の空気は異様だった。
誰もが藍染の死を口にする。
誰もが旅禍の侵入を警戒する。
だが、その二つがまるで無関係であるかのように扱われていた。
あまりにも不自然だった。
十番隊隊長・日番谷冬獅郎は、その違和感を見過ごせなかった。
「……おかしい」
人気のない回廊を歩きながら呟く。
後ろを歩く松本が首を傾げた。
「何がです?」
「全部だ」
短く答える。
「藍染が殺された。市丸も吉良も……様子がおかしい。侵入者である旅禍も含め、……異様だ。」
日番谷は足を止めない。
その声音には苛立ちが滲んでいた。
「普通なら四十六室は即座に調査命令を出す」
「ですね」
「だが出ていない」
松本も流石に表情を引き締める。
言われてみれば、その通りだった。
藍染は隊長格。
その死は尸魂界を揺るがす大事件である。
にもかかわらず。
中央四十六室は異様なほど静かだった。
まるで――
興味がないかのように。
「藍染が死んでから、四十六室は一度も姿を見せていない」
日番谷は低く言った。
「誰とも会わず、誰にも顔を見せず、それでいて命令だけは出し続けている」
松本の眉が僅かに寄る。
「隊長、それって……」
「ああ」
日番谷の瞳が鋭く細められた。
「おかしいんだよ。何もかも。」
風が吹いた。
冷たい風だった。
瀞霊廷の空気そのものが不気味に感じられる。
旅禍の侵入。
ルキアの処刑。
藍染の死。
全てが一本の線で繋がっているような感覚。
しかし、その答えが見えない。
中央四十六室。
尸魂界最高司法機関。
普段であれば、護廷十三隊の隊長といえど気軽に立ち入ることは許されない場所。
だが今の日番谷に迷いはなかった。
そして今、二人は中央四十六室へと向かっている。
「――中央四十六室」
その声は低く、どこか硬かった。
「尸魂界全土から集められた四十人の賢者と六人の裁判官で構成される、尸魂界最高司法機関」
日番谷は続けた。
「尸魂界だろうが現世だろうが関係ねぇ。死神の犯した罪や咎は、全てそこで裁かれる」
石造りの廊下に足音が響く。
「裁定を下すだけじゃねぇ。必要と判断されれば、その執行のために隠密機動、鬼道衆、護廷十三隊にまで命令が下る――"一度下った裁定には、たとえ隊長格であっても異を唱えることは許されない"」
その言葉には、日番谷自身の複雑な感情が滲んでいた。
護廷十三隊の隊長。
それは尸魂界でも最高位に近い立場だ。
それでもなお。
中央四十六室の前では、その権限すら意味を持たない。
「法の上に立つ組織じゃねぇ」
日番谷は静かに言う。
「法そのものだ」
乱菊は思わず口を閉ざした。
普段は飄々としている彼女でさえ、その言葉の重みを理解していた。
長い歴史の中で築き上げられた秩序。
誰も逆らえない絶対の権威。
それが中央四十六室。
やがて二人の前に、巨大な扉が現れる。
「……それが四十六室だ」
その言葉と共に、二人は静かに足を踏み入れた。
重い扉が軋みながら開く。
その瞬間――
「「!?」」
鉄臭い匂いが流れ出した。
松本の顔色が変わる。
日番谷の瞳が見開かれた。
中は暗い。
だが見えた。
床に広がる赤黒い染み。
壁。
柱。
そして――
倒れ伏す人影。
一人ではない。
二人でもない。
幾十。
幾十。
幾十。
中央四十六室を構成する賢者たちと裁判官たち。
その全員が、無惨な姿で。
物言わぬ骸となって転がっていた。
空気が止まる。
時間が止まる。
松本が震える声を漏らした。
「……なに、これ……」
誰も答えない。
答えられる者がいない。
中央四十六室は――
既に、ずっと前に。
全滅していた。
┈┈┈┈┈
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四十六室、中央地下議事堂のさらに奥――
「……ここはここは
回廊を歩くのは市丸と雛森。
慣れた様子で歩き進める市丸の背後を心配そうに雛森がついて行く。
「どうして私をこんなところに?市丸隊長?」
「……今までここに来たことは?雛森ちゃん」
「そんな、ここは完全禁踏区域じゃないですか?見るのも初めてです」
無数に塔が立ち並ぶ。
それは無機質な林のようだった。
「――あわせたい人おんねん」
そしてとある塔のひとつにたどり着くと市丸は向き直る。
「あわせたい?私にですか?」
「こっちおいで。」
内部へと誘う。
雛森は警戒する様子を見せるも恐る恐る足を踏み入れる。
「ほれ、見てみ。――""後ろ""」
「……後ろ?」
「……ぁ」
振り向いた瞬間。
あの人が立っていた。
隊長羽織を纏い、穏やかに微笑むあの人。
「"藍染…隊長……"」
「久しぶりたね、雛森くん」
声が弾む。
「藍染隊長!」
涙が滲む。
目の前には、生きていた藍染惣右介がいた。
ずっと探していた人。
信じ続けていた人。
失ったと思っていた人。
柔らかな微笑み。
何一つ変わらない。
いつもの藍染だった。
その笑顔を見た瞬間、雛森の足から力が抜けた。
安堵だった。
心の奥底から込み上げる喜びだった。
「よかった……」
涙が頬を伝う。
「本当に……よかったです……」
駆け寄る。
もう何も考えられなかった。
藍染が生きている。
それだけで十分だった。
藍染はそんな彼女を静かに見つめ、優しく抱きとめる。
「雛森くん」
優しい声だった。
いつもと同じ。
隊舎で聞いていた声。
書類仕事の合間にかけてくれた声。
失敗した時に励ましてくれた声。
雛森は泣きながら笑った。
「隊長……」
「君は本当に優しいね」
藍染がそっと手を伸ばす。
雛森は疑わない。
疑えるはずがない。
藍染の手が頬に触れる。
暖かい。
懐かしい。
「((……藍染隊長の匂い……))」
それだけで胸がいっぱいになった。
「隊長……私……」
言葉が続かない。
涙ばかりが溢れてくる。
藍染は微笑んだまま言った。
「――ありがとう」
その声だけが妙に静かだった。
「""さようなら""」
雛森の瞳が揺れた。
意味が理解できなかった。
理解できないまま、藍染の腕が動く。
「ぇ……」
銀色の刃が閃いた。
一瞬だった。
あまりにも速かった。
「あ」
熱い。
そう思った時には、すでに刀身が胸を貫いていた。
雛森の身体が硬直する。
呼吸が止まる。
視線を落とす。
自分の胸に突き刺さる刃。
鮮やかな赤。
滴り落ちる血。
理解が追いつかない。
「た……い……ちょう……?」
震える声が漏れる。
藍染は答えない。
ただ静かに見下ろしている。
「((これは……何……?))」
その瞳には、もう優しさなど欠片もなかった。
雛森の世界が音を失う。
何かの間違いだ。
きっと。
きっとそうだ。
そうでなければならない。
だって――
私は。
私はずっと。
あなたを。
「……なん、で……」
かすれた声が漏れる。
藍染は何も言わない。
ただ刀を引き抜いた。
鮮血が宙に散る。
雛森の身体が崩れ落ちる。
冷たい床が近づいてくる。
視界が滲む。
最後まで見えていたのは。
誰よりも信じていた人の姿だった。
そしてその微笑みだけが、どこまでも遠かった。
「――"行くぞ、ギン"」
「"はい、藍染隊長"――」
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――同刻
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「――ッ」
穿界門の中を、馨は走っていた。
足元に流れる霊子の道が、白く、細く、闇の奥へ続いている。
背後にはもう現世の気配はない。
浦原商店の地下の匂いも、テッサイの静かな視線も、浦原の掴んだ手の温度も、すべて遠ざかっていく。
ただ前だけを見ていた。
けれど、走れば走るほど、耳の奥に浦原の声が蘇る。
┈┈
「"今回のルートは、正規の穿界門じゃありません"」
出立の直前。
浦原はいつもの笑みを消して、ひどく真面目な顔をしていた。
「瀞霊廷の結界を真正面から抜けるのは無理っス。今の尸魂界は警戒態勢に近い。黒崎サン達の侵入で、結界も隊士達も神経を尖らせてるでしょう」
馨は黙って聞いていた。
「だから、別の道を使います」
「別の道?」
「五十年前、あなたが尸魂界から消えた時の道です」
その言葉に、馨の指先が僅かに揺れた。
浦原は、気づかないふりをした。
「当時、あなたの移送経路は誰かの手で書き換えられていた。表向きには中央地下牢への移送。けれど実際には、途中で霊子の流れが不自然に逸れていたんス」
馨は息を呑んだ。
誰が、とは訊かなかった。
訊かなくても分かった。
「――"白哉様"」
小さく零れた声に、浦原は何も答えなかった。
ただ、穿界門の縁に手を置き、静かに告げた。
「その歪みは、完全には消えていません。五十年経った今でも、ほんの僅かに残っている。そこへ座標を合わせます」
「出る場所は?」
「中央四十六室の外縁。正確には、清浄塔居林に近い地下回廊」
馨の顔が強張った。
中央四十六室。
あの日、自分を裁いた場所。
罪を着せられ、声を奪われ、すべてを失った場所。
浦原は言った。
「嫌なら、別の道を探します」
馨は首を横に振った。
「いいえ」
そして、まっすぐ前を見た。
「そこが、一番早いなら」
┈┈┈┈
回想が途切れる。
穿界門の出口が見えた。
白い光が、闇の向こうに広がる。
「((……見えた))」
馨は速度を落とさなかった。
そのまま光の中へ飛び込む。
「……っ」
視界が、一瞬だけ白く弾けた。
次の瞬間。
「わ……っと……」
足裏に、冷たい石の感触が返ってきた。
馨は膝を落とし、音もなく着地する。
そこは、暗い回廊だった。
高く重い天井。
整然と並ぶ石柱。
静かすぎる空気。
そして、息が詰まるほど濃い霊子の沈黙。
「((久しぶり……))」
尸魂界。
瀞霊廷。
数十年ぶりに戻ってきたその場所は、記憶の中よりもずっと冷たかった。
「……戻ってきた」
声に出すつもりはなかった。
けれど、唇が勝手に動いていた。
馨の胸の奥が、微かに震える。
懐かしさではない。
安堵でもない。
もっと古く、もっと苦いもの。
あの日、縛られた手首。
冷たい視線。
裁きの声。
海燕の名を叫んでも、誰にも届かなかった記憶。
馨は目を伏せ、すぐに呼吸を整えた。
動揺している暇はない。
ここに来た理由。
ルキアを救うこと。
黒崎一護達の無事を確かめること。
そして……真実に追いつくこと。
「……ふー……」
馨は自分の霊圧を限界まで沈めた。
紫がかった気配を、衣の内側へ押し込めるようにして隠す。
見つかってはいけない。
まだ、誰にも。
自分が尸魂界へ戻ったと知られれば、面倒なことになる。
まずはルキア。
次に一護。
そう考え、回廊の奥へ進もうとした時だった。
「……?」
馨の足が止まった。
空気が、おかしい。
清浄塔居林。
中央四十六室の居住域。
本来ならば、ここには静寂がある。
けれどそれは、秩序の静けさであるはずだった。
「((なにか……おかしい))」
今ここにあるのは違う。
死んだような静けさ。
誰かが息を潜めているのではない。
もう、誰も息をしていない。
そんな沈黙だった。
「……何?」
馨は眉を寄せた。
その時、微かに血の匂いがした。
新しい。
まだ乾き切っていない血の匂い。
「――っ!」
馨は迷わず走り出した。
足音を殺しながら、しかし速度は落とさない。
角を曲がる。
長い回廊を抜ける。
そして、開けた空間に出た瞬間。
馨は息を止めた。
「なっ……!」
床に、人が倒れていた。
小柄な少女だった。
死覇装。
胸元に広がる赤。
白い頬からは血の気が引いている。
一瞬、死体に見えた。
馨の身体が先に動く。
「……」
少女の傍に膝をつき、首元へ指を添える。
「……生きてる」
本当に僅かだった。
今にも消えそうな鼓動。
馨は少女の胸元を見た。
深い刺し傷。
正確すぎる一撃。
心臓を外しているようで、ほとんど外していない。
殺す気がないのではない。
死ぬまでの時間を操るような傷だった。
馨の表情が険しくなる。
「誰が、こんな……」
その時、少女の肩にかかる副官章が目に入った。
‘‘"五番隊"‘
馨の瞳が微かに揺れた。
「五番隊……副隊長?」
五番隊の副隊長。
この子が、今ここで。
胸を刺されて倒れている。
馨は奥歯を噛んだ。
状況が繋がらない。
ルキアの処刑。
黒崎一護達の侵入。
中央四十六室の異様な沈黙。
そして、五番隊副隊長の瀕死。
嫌な予感が、背筋を這い上がる。
「((この原因を追いたいところだけど……まずは助けないと。))」
馨は少女の胸に両手を翳した。
淡い回道の光が、血に濡れた死覇装を照らす。
「大丈夫」
誰に言うでもなく、馨は呟いた。
「まだ、間に合う」
その瞬間。
奥の方から、凍えるような霊圧が爆ぜた。
氷のように鋭く、怒りに震えた霊圧。
そしてもうひとつ――"懐かしい"霊圧。
馨は顔を上げる。
「((この霊圧……))」
しかも、近い。
少女を刺した者が、まだこの先にいる。
「……待って……何故……」
馨は一瞬だけ迷った。
追うべきか。
治すべきか。
けれど、迷いはすぐに消えた。
馨は両手に霊圧を込め直す。
今ここで、この子を置いていくことはできない。
「……まずは、あなたから」
数十年ぶりに戻った瀞霊廷で。
馨が最初に触れたのは、敵でも、真実でも、復讐でもなかった。
消えかけたひとつの命だった。
雛森の胸元に翳した両手から、柔らかな回道の光が溢れる。
裂けた肉がゆっくりと閉じていく。
失われ続けていた血が止まり、か細かった鼓動が僅かに力を取り戻す。
完全な治療には程遠い。
それでも今は十分だった。
命を繋ぐ。
まずはそれだけでいい。
その時だった。
馨の瞳が僅かに揺れる。
「……ん……」
感じていた霊圧。
隊長格の霊圧が3三つ。
うちひとつに懐かしさは感じなかった。
問題はその傍にいる二つの霊圧。
ひとつは柔らかく穏やかでありながら、底知れない深淵を隠したような気配。
もうひとつは細く鋭く、不気味なほど軽い気配。
知らない霊圧ではない。
むしろ、忘れたことがない。
五番隊隊長――藍染惣右介。
そして――市丸ギン。
馨の呼吸が止まる。
何故だ。
何故、中央四十六室で。
何故、五番隊副隊長が刺されている。
何故、ひとつの霊圧を前に戦っている。
胸の奥で嫌な予感が膨れ上がる。
だが考えるのは後だ。
馨は雛森の身体を静かに横たえる。
「少しだけ待っていて。」
返事はない。
けれど呼吸はある。
ここから離れても問題ないと判断した馨。
次の瞬間。
黒い影が消えた。
風だけが残る。
┈┈┈
数秒後。
崩れた回廊の先。
日番谷冬獅郎が壁にもたれかかるように倒れていた。
「ッ……が……クソ……」
胸から血を流しながら。
視線だけが前方を睨み続けている。
その先には。
藍染。
市丸。
二人の背中。
しかし日番谷にはもう追う力は残されていなかった。
「くっ……!」
身体が動かない。
意識も霞む。
その時。
「……ん……?」
ふわりと黒い影が目の前へ降り立った。
見知らぬ女だった。
長い黒髪。
死覇装。
だが所属を示す腕章も階級章もない。
日番谷は眉をひそめる。
「……なんだ……てめぇは……」
女は答えない。
そのまま膝をつく。
掌が胸元へ添えられる。
温かな霊圧。
回道だ。
隊長格ですら驚くほど精密な治療。
砕かれた肉体が修復されていく。
日番谷が息を呑む。
「喋らないで。」
静かな声だった。
感情を抑えた声。
けれど不思議と逆らえない。
「ま、ずい……」
日番谷は震える声で言う。
「……が……」
その言葉を遮るように。
女は静かに答えた。
「……静かに。」
まるで子供を落ち着かせるような声だった。
「五番隊の副官章をつけた子なら大丈夫。」
日番谷の目が見開かれる。
「……よかった……雛森…」
「……応急処置は終わった。」
その言葉に。
日番谷の肩から僅かに力が抜けた。
安堵。
しかし同時に疑問が生まれる。
「((この女は……何もんだ……))」
目の前の女は誰だ。
見たことがない。
しかしこの回道。
この霊圧。
普通ではない。
「……お前……何者だ……」
女は一瞬だけ沈黙した。
そして。
まるで当たり前のことを告げるように。
静かに口を開く。
「無類井馨。」
日番谷の目が見開かれる。
聞いたことがある。
どこかで。
随分昔の記録で。
だが思い出せない。
「……」
馨は立ち上がった。
そして、2人を襲ったであろう人物たちの気配を感じ取る。
既に姿は無い。
しかし、馨は確信した。
┈┈
遠く。
藍染は立ち止まった。
市丸も足を止める。
二人は同時に振り返る。
そして。藍染は笑った。
穏やかに。
懐かしい友人を迎えるように。
「"やっとだ"」
市丸は口元を歪めた。
「ほんまですね。」
肩をすくめる。
藍染は笑う。
まるで今日という日を。
最初から知っていたかのように。
「役者は揃った。」
静かな声だった。
「これでようやく幕が上がる。」
まるで。この男だけが。
何十年も前から未来を見ていたような。
そんな笑みだった。
「"全て計画通りだ"」
┈┈┈┈
その瞬間。
馨は藍染達が消えた方向から視線を外す。
怒りに任せて追うことも、飛びかかることはしない。
今、優先すべきことは別にある。
伝えなければならない。
今すぐ。
全員に。
「……返事は結構です。瞬きだけで。……あなたは十番隊隊長で間違いありませんね?」
「……」
「奥にいた五番隊副隊長の名は"ヒナモリ"で間違いありませんね?」
「……」
日番谷は瞬きをし、馨に全てを委ねる。
その刹那。
馨は目を閉じた。
両手を組む。
莫大な霊圧が静かに広がり始めた。
「……ッ……」
日番谷が息を呑む。
空気が震える。
隊長格ですら滅多に見ない精密な高度な霊圧。
そして馨は詠唱を始める。
低く。
澄んだ声で。
「――"黒白の網 二十二の橋梁"」
「"六十六の冠帯"」
「"足跡・遠雷・尖峰・回地・夜伏"」
「"雲海・蒼い列を成し"」
「"太円に満ちて天を挺れ"」
霊圧が空へ伸びる。
瀞霊廷全域を覆うほどに。
そして。
馨は静かに告げる。
「"縛道の七十七――"」
巨大な霊圧が天へ放たれる。
「""天挺空羅""」
その瞬間。
瀞霊廷中の隊長、副隊長、死神達の耳へ。
五十年ぶりに。
無類井馨の声が響き渡った。
目には見えない光の網が瀞霊廷全域へ広がっていく。
隊舎。
街路。
門前。
戦場。
屋根の上。
地下牢。
そのすべてを覆い尽くすように。
今まさに侵入者と交戦していた死神達が。
「……なんだ!?」
「誰の霊圧だ!」
オレンジ色の髪をした青年が
「……この霊圧……」
巡回中の隊士達が。
各隊の隊長、副隊長達が。
「……懐かしいねえ、浮竹。山じい。」
「……っ!?」
「……」
一斉に足を止めた。
耳元で声がする。
知らないはずなのに。
何故か聞き逃してはいけないと本能が告げる声。
静かで。
凛としていて。
どこか懐かしい声。
『――瀞霊廷内、前死神へ告げる。』
声が響く。
冷静で、揺るがない声。
戦場の喧騒すら押し退けるように。
『現在、禁踏区域・清浄塔居林にて、五番隊 ヒナモリ副隊長を発見。』
できるだけ端的に、的確に。
『胸部刺創による重傷。しかし応急処置は完了。一命は取り留めています。』
京楽春水が編み笠の下で目を細めた。
浮竹十四郎が息を止める。
『また、中央四十六室、中央地下議事堂にて、十番隊隊長 を発見。意識あり。しかし重傷。』
┈┈┈
別の場所で戦闘していた松本と吉良は動きを止めた。
「……!?隊長!!」
松本の顔色が変わる。
「そんな……雛森くんには……なにもしないって」
同じく吉良も絶望した。
┈┈┈
『繰り返す。五番隊副隊長、十番隊隊長は生存。ただし至急の治療を要する。』
声は途切れない。
むしろここからが本題だった。
馨は静かに四十六室の方角へ視線を向ける。
壊された建物。
漂う血の匂い。
沈黙した裁きの間。
そして告げた。
『中央四十六室。構成員、全員の死亡を確認。』
瀞霊廷の空気が凍り付いた。
誰も声を上げない。
上げられない。
四十六室。
尸魂界の最高司法機関。
絶対であるはずの存在。
その全滅という言葉を理解するのに。
誰もが一瞬を要した。
『中央四十六室は壊滅状態。生存者は確認できず。』
静かな声だった。
だからこそ恐ろしい。
事実だけを告げる声だった。
『四番隊隊士は至急、清浄塔居林へ。五番隊副隊長 十番隊隊長 。両名の保護の最優先を。』
そして。
馨はゆっくりと顔を上げた。
遠く。
霊圧の残穢を感じる。
「((……藍染隊長。……いえ、"藍染惣右介"……))」
数十年。
逃げ続けた過去。
その過去との結びつきは分からない。
だが現在。この混乱を弄んでいるのはあの男で間違いない。
「((喜助さん。……あなたは……分かっていたのね。))」
馨の瞳が鋭く細められる。
そして。
瀞霊廷全域へ向けて。
最後の言葉を放つ。
『容疑者は二名。』
遠くで、藍染の笑みが深くなる。
『藍染惣右介』
あらゆる場所で息を呑む音がした。
『市丸ギン』
隊舎がざわめく。
誰もが耳を疑った。
だが馨の声は揺るがない。
『他にも協力者の存在の可能性有り。』
『発見次第、総力を以て拘束。』
『繰り返す。』
┈┈┈┈
「バカな!藍染が!?」
「……だってさ、どうする?山じい。」
交戦していた京楽、浮竹、山本元柳斎重國は動きを止める。
┈┈┈
『藍染惣右介、市丸ギン。』
『両名を即時確保せよ。』
沈黙。
瀞霊廷全体が息を止めている。
その静寂の中。
馨は最後に名乗った。
『以上。』
一瞬だけ目を閉じる。
そして。
失われたはずの名を。
尸魂界全土へ響かせた。
『――""無類井馨""』
『報告を終了する。』
その瞬間。
瀞霊廷中の死神達が凍り付いた。
藍染の名でも。
四十六室全滅でもない。
最後に告げられたその名こそが。
消えたはずの死神が。
今、この瀞霊廷へ帰ってきたことを意味していた。
┈┈┈┈┈
天挺空羅が消える。
しかしその声だけは。
誰の耳にも焼き付いて離れなかった。
瀞霊廷の空に静寂が落ちる。
そして。
過去の彼女を知る者達は同じことを思った。
""ありえない""
無類井馨は
数十年前に消えたはずだ。
死んだわけではない。
だが戻ることもない。
そう思われていた。
だからこそ。
その名は瀞霊廷にとって亡霊だった。
しかし今。
その亡霊が。
自らの名を告げた。
┈┈┈┈
黒崎一護は息を呑んだ。
「――ッ」
瓦礫の上。
斬月を肩に担いだまま、空を見上げる。
聞き間違えるはずがない。
聞き慣れた声だった。
何度も刀を交えた。
何度も怒られた。
何度も追い込まれた。
そして。
尸魂界へ来る直前。
別れたばかりの声。
「……馨。」
思わず笑う。
心のどこかで。
来るんじゃないかと思っていた。
それでも。
本当に来るとは思わなかった。
「はっ……。」
口元が上がる。
「やっぱ来たじゃねぇか。」
期待。
安心。
そして。
どうしようもない高揚。
一護の胸が熱くなる。
┈┈
近くで聞いていた井上織姫が顔を上げる。
「馨さん……!」
思わず両手を胸の前で握る。
来てくれた。
それだけで涙が出そうになる。
「よかった……。」
石田は眼鏡を押し上げた。
表情は変わらない。
だが安堵は隠せない。
「……来るとは思っていた。」
冷静な声だった。
しかしその口元は僅かに緩んでいる。
「だが、本当に来るとはな。」
茶渡も静かに頷く。
「ああ。」
それだけだった。
だが十分だった。
仲間が増えた。
それも、とてつもなく頼もしい仲間が。
「……なんだ……って……」
しかし、その傍らでは拳を震わせているものもいた。
「……岩鷲さん?」
織姫が直ぐにその様子に気づく。
釣られるように石田と茶渡も振り向いた。
「無類井……馨って――」
兄の最愛の人だった
そして、
"兄を殺した悪人"でもあった
┈┈
「はぁ、はぁ、はぁ……ッ」
阿散井恋次は走っていた。
その腕の中には諸兄を免れたルキアの姿がある。
傷だらけの身体。
それでも足は止めない。
空から聞こえた報告と名前。
恋次が目を見開き、動揺しながらも足を止めなかった。
「無類井……?」
聞いたことがある。
だが。
もっと大きく反応したのは。
「……姉………様」
ルキアだった。
「姉様……」
震える声。
ルキアの瞳から涙が零れていた。
「姉様……!」
長い年月。
もう会えないと思っていた人。
そして再会した人。
自分は馨を見捨てたも同然なのに、馨は自分を見捨てていなかったのだ。
「""止まれ""」
刹那、二人の行き場を塞ぐ人物が現れる。
┈┈┈
一方。
一護との戦いを終えた朽木白哉は、静かに立っていた。
千本桜は消えている。
全身に傷。
疲労も深い。
それでも倒れない。
その耳に届いた。
彼女の声。
「……」
白哉はゆっくりと空を見上げる。
幼い頃。
朽木邸で出会った女性。
いつも真っ直ぐだった人。
誰よりも強く。
誰よりも優しかった人。
「……そうか。」
僅かに。
本当に僅かに。
白哉の口元が緩む。
誰も気付かないほどの笑み。
「漸く、戻ったか。」
その一言だけだった。
しかし。
そこには長い年月の想いが込められていた。
┈┈┈
「はははっ!!」
夜一は屋根の上で笑う。
金色の瞳が細まる。
「ようやく来たのう!」
知っていた。
「砕蜂!停戦じゃ!」
「はあ!?」
「聞いたじゃろう。今お主が追うべきは儂じゃない。藍染と市丸じゃ。」
「何を言う!?大罪人の言葉など信じるわけ――」
刹那、死神たちの霊圧が変化する。
争いあっていた総隊長、京楽と浮竹も鎮まり。
次々と動きが変わっていたのだ。
「これを感じても尚、主は馨を大罪人と申すか?」
「ッ!」
「ようやく……今までの歪みが明かされるんじゃ。」
夜一は双極の丘へと視野を向ける。
風が髪を揺らす。
その顔はどこか誇らしかった。
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京楽春水は編笠を押さえる。
そして静かに目を閉じた。
懐かしい声だった。
「……馨ちゃん」
よく七緒の相手をしていた十三番隊三席。
昼間から酒を片手にしていると、よく文句を言われたものだ。
全部思い出す。
「……"待ってたよ"。」
誰に聞かせるでもない。
独り言だった。
だが。
その声はどこか優しかった。
長い長い年月を越えて。
ようやく帰ってきた友へ向けるような声だった。
「……」
浮竹は言葉を失っていた。
呼吸が止まる。
胸が苦しい。
違う。
苦しいのではない。
込み上げてくる。
どうしようもなく。
込み上げてくる。
海燕を失った日。
馨を失った日。
守れなかった後悔。
今度はルキアさえも失うところだった。
何もできなかった自分。
長い間、
ずっと胸に残り続けていたもの。
そのすべてが。
今。
溶けていく。
「馨……。」
震える声。
掠れる声。
浮竹は空を見上げた。
目元を押さえる。
そして。
本当に久しぶりに。
心から笑った。
「――""よく、戻ってきた""」
その言葉だけが。
静かに風の中へ消えていった。
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――その場の空気は、張り詰めていた。
中央四十六室の奥。
崩れた壁。
血の匂い。
倒れ伏す賢者たち。
そして重傷の雛森桃と日番谷冬獅郎。
そこへようやく四番隊を中心とした救護班が到着した。
隊士たちの視線が、一斉に一人の女へ向く。
黒い死覇装。
長い黒髪。
そして誰もが知る、その顔。
知らぬ者も背筋を凍らせる、その死神。
五十年前に尸魂界を震撼させた大罪人。
"無類井馨"
ざわり、と空気が揺れた。
「まさか……」
「無類井……馨……」
「生きていたのか……」
誰かが呟く。
驚愕。
警戒。
困惑。
様々な感情が入り混じる。
「――ッ!!」
その中を、一人の副隊長が前へ出た。
抜き放たれた斬魄刀。
切っ先が真っ直ぐ馨へ向けられる。
「動かないでください。」
静かな声だった。
だが明確な敵意を含んでいる。
虎徹勇音。
四番隊副隊長。
かつて、妹の"虎徹清音"を通じて何度も顔を合わせた相手だった。
馨もその顔を見て、小さく目を細める。
「勇音さん。」
「その名で呼ばないでください。」
ぴしゃりと言い放つ。
勇音の瞳は険しかった。
「無類井馨。……あなたの先程の発言を……」
刀を握る手に力が入る。
「信じられるとでも思っているのですか。」
周囲の隊士たちも武器を構える。
当然だった。
五十年前の事件。
二十八名の隊士を殺害したとされた死神。
逃亡犯。
大罪人。
そんな女が突然現れ。
藍染、市丸を追え
協力者を探せ
そして、ルキアの処刑を止めさせるような混乱をさらに招いた。
信じられるはずがない。
だが。
馨は微動だにしなかった。
言い返しもしない。
ただ静かに勇音を見つめ返す。
「……当然です。」
その声は穏やかだった。
「私が同じ立場でも、信じません。」
勇音の眉が僅かに動く。
「なら――」
「ですが。」
馨は続けた。
「五番隊副隊長も十番隊隊長も……生死を彷徨っていた。」
「ッ……それは」
「今は私を疑う時間ではありません。」
その視線が負傷者へ向く。
「どうか助けてあげてください。私が施したのは応急処置に過ぎません。」
静かな言葉だった。
だからこそ。
その場の誰よりも重かった。
しかし勇音は刀を下ろさない。
「直ぐに、藍染惣右介を追わせてください。」
「許しません。ここまでが……もし貴女の策であるかもしれません。」
「……」
「あなたは罪人です。」
「……」
「あなたの言葉だけで――」
勇音は馨にさらに近づく。
目の前の罪人をここで見逃す訳には、と。
「――""勇音""」
その瞬間。
凛とした声が響いた。
場の空気が変わる。
隊士たちが一斉に振り返る。
そこに立っていたのは。
「――卯ノ花隊長。」
馨は名を呼んだ。
四番隊隊長――卯ノ花烈。
かつて、自分の回道の精度を褒めてくれた人でもあった。
柔らかな微笑みを浮かべながら歩いてくる。
その姿を見た瞬間。
周囲の隊士たちは自然と道を開けた。
卯ノ花は馨の前で立ち止まる。
そして。
昔と何も変わらない微笑みを向けた。
「お久しぶりですね。」
ほんの少し。
優しく目を細める。
「馨さん。」
その声に、馨は初めて僅かに表情を和らげた。
背筋を正し。
静かに頭を下げる。
「ご無沙汰しております。卯ノ花隊長。」
二人の間に流れる空気は穏やかだった。
まるで五十年という歳月が存在しなかったかのように。
馨は頭を下げたまま言う。
「罰は後で受けます。逃げるつもりもありません。」
そして真っ直ぐ卯ノ花を見る。
「ですが今だけは。どうか私の行動をお許しください。」
沈黙。
周囲の隊士たちが固唾を飲む。
勇音も息を呑む。
そして。
卯ノ花は微笑んだ。
「……いいでしょう。」
その一言だった。
「隊長!?」
勇音が思わず声を上げる。
「罪人の発言を信じるのですか!?藍染隊長は既に――」
「勇音。」
空気が変わった。
卯ノ花の声は穏やかだった。
穏やかなまま。
だが逆らえない。
勇音は思わず口を閉ざす。
「今は。」
卯ノ花は周囲を見渡す。
既に息絶えた屍、
そして負傷したふたり、
「負傷者の手当が最優先です。」
それだけだった。
だが四番隊全員が理解する。
これは命令だ。
「刀を下ろしなさい。」
隊士たちは迷いながらも従う。
一人。
また一人。
馨へ向けられていた刃が下ろされていく。
「……くっ……」
勇音も悔しそうに唇を噛みながら刀を納めた。
卯ノ花は再び馨を見る。
その瞳には疑いも敵意もない。
ただ患者を見る医師のような静かな眼差し。
「馨さん。」
「はい。」
「……どうか。」
卯ノ花は微笑む。
「この混乱を、鎮めてください。」
微笑みに隠れる真剣な眼差し。
「今の瀞霊廷には……貴女の力が必要です。」
その言葉に。
馨は深く頭を下げた。
「承知しました。」
次の瞬間にはもう動いていた。
周囲には風だけが残る。
瞬歩で姿を消す馨。
その場に残された死神たちは、罪人とは思えない彼女が残した微笑みを、忘れることができなかった。
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