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未来は明るい?
——笑わせるな。
あの夜、
私は光ごと斬った。
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――Lie
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土砂降りの雨だった。
空を裂いたような豪雨が、流魂街を容赦なく打ちつけている。
その雨の中、
無類井馨は、崩れ落ちたまま動けなかった。
馨の握る刃は、深く──志波海燕の胸へ突き刺さっている。
「……ぁ…あッ……」
震える声が漏れる。
海燕の身体がゆっくりと馨にもたれ掛かる。
支えなければ倒れてしまうほど力を失ったその身体を、馨は咄嗟に抱き留めていた。
温かい。
なのに、その温もりは少しずつ消えていく。
「あ、……ぁあ……かい、えん……ッ……」
返事はない。
「…海燕ッ……う」
ただ雨だけが降り続いている。
「うぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあ!!!!」
馨の泣き叫ぶ声だけが、暗い流魂街に響いていた。
┈┈┈
──"そこで、夢は途切れた"
「……っ、はぁ……」
浅い呼吸と共に、馨は目を開ける。
額にはじっとりと汗が滲んでいた。
「…………夢……」
静かな部屋。
降り続いていたはずの雨音はない。
代わりに聞こえるのは、どこか遠くの風の音だけ。
馨はしばらくの間、布団を握り締めたまま動けなかった。
まるで今でも、自分の手に血の感触が残っている気がして。
おもむろに枕元へ手を伸ばす。
掴んだ携帯電話の画面には、午前二時の文字が浮かんでいた。
「……最悪」
小さく呟き、馨は息を吐く。
あの夢を見た後では、もう眠れる気がしなかった。
しばらく天井を見つめていた馨だったが、やがて諦めたように身体を起こす。寝巻きの上から適当に上着を羽織り、そのまま静かに家を出た。
「……ッ……寒」
馨の住むアパートは、空座町の外れにある古い二階建てだった。
年月を感じさせる薄汚れた外壁。
錆の浮いた手すり。
廊下の蛍光灯は一つ切れていて、薄暗い。
ドアを閉める音が、静かな深夜にやけに大きく響く。
馨は肩に羽織った上着を軽く引き寄せ、そのまま外階段へ向かう。
ぎし、と。
一段降りるたび、古びた鉄階段が軋む。
「……」
見下ろした先には、人気のない路地と白い街灯の明かり。
まるで世界から取り残されたような静けさだった。
馨は無意識に息を吐き、ゆっくりと階段を降りていく。
カン、……カン。
規則的な足音だけが、寂れたアパートに小さく響いていた。
深夜の空座町は静かだ。
昼間の喧騒が嘘のように、人の気配がない。
街灯だけが白く道路を照らし、自動販売機の明かりがぽつりぽつりと夜道に浮かんでいる。
馨はゆっくりと歩きながら、夜空を見上げた。
黒く澄んだ空。
吐いた息が、白い。
秋の夜中は冷え込む。
思わず両肩を抱くように腕を擦りながら、馨は人気のない道を歩き続けた。
「……はぁ」
気づけば近所の小さな公園まで来ていた。
昼間は子どもたちの声で賑わうその場所も、深夜二時を過ぎた今は静まり返っている。
古びた街灯が、ぼんやりと砂場を照らしていた。
馨はゆっくりとブランコへ腰を下ろす。
きぃ、と。
錆びた鎖が小さく鳴いた。
足先で地面を軽く蹴るたび、ブランコが僅かに揺れる。
冷たい風が頬を撫でた。心地良い。
「……」
彼女はそのまま夜空を見上げる。
雲の隙間から覗く月は淡く、どこか遠い。
「……」
静かな時間だった。
けれど心だけは、少しも静まらない。
心音に耳を傾け、落ち着こうと、ゆっくりと目を閉じる。
「((……嗚呼、心地好い――))」
自然に、記憶の底へ沈むように。
意識は過去へと引きずり込まれていった。
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┈┈┈┈┈┈┈
――今から、およそ百十年前。
真央霊術院――
長い廊下のあちこちで、ひそひそと声が飛び交っていた。
「見た?あの子……」
「今年入った新入生だろ?」
「最年少らしいぞ」
ざわめきは、一人の少女へ向けられている。
「初日の鬼道の授業で、いきなり高等鬼道を使ったって。」
「しかも詠唱破棄だったらしい」
「嘘でしょ?」
「いや、本当だって。白打の実技でも上級生を半殺しにしかけたとか──」
噂は尾ひれをつけながら広がっていく。
そんな視線の中心を少女は静かに歩いていた。
教材を片手に抱え、一定の歩幅で廊下を進む。
騒ぎなど聞こえていないかのように。
少女の名――
艶のある黒髪。
整った横顔。
まだ幼さの残る年齢のはずなのに、その佇まいは妙に落ち着いていた。
まるでずっと年上の人間のように。
自然と周囲の目を引く美貌。
だからこそ向けられる感情も様々だった。
憧れ。
好奇。
嫉妬。
畏れ。
すれ違う生徒たちの視線を浴びながらも、馨は一度も顔を上げない。
ただ静かに、霊術院の廊下を歩き続けていた。
少し離れた場所では、男子生徒たちが馨を見ながら騒いでいた。
「めちゃくちゃ綺麗じゃね?」
「いや怖ぇって、あの女」
「近寄り難いんだよなぁ……」
「目が合ったらボコボコにされそうだよな?」
若者らしい無遠慮な声が飛び交う。
「……」
その輪の中で、一人だけ馨を見ていない青年がいた。
廊下の窓にもたれ、頬杖をつきながら外の空を眺めている。
「――"志波"、お前ほんと興味ないんだな?」
仲間の一人が笑いながら肩を小突く。
すると青年は、面倒そうに視線だけを動かした。
「……別に、そういうわけじゃねぇよ」
志波海燕。
後の十三番隊副隊長となる男。
少し癖のある黒髪に、どこか鋭さを感じさせる目元。
ぶっきらぼうな口調とは裏腹に、面倒見の良さが滲む雰囲気を持っていた。
まだ若い。
だが、その空気には既に“強い死神”の片鱗がある。
仲間内では騒がしく笑うくせに、ふとした瞬間に妙に大人びた顔をする男だった。
海燕は小さく息を吐き、ようやく馨へ視線を向ける。
「……」
長い廊下を、一人で歩いていく少女。
周囲から注目されながらも、誰とも関わろうとしない背中。
まるで最初から、一人でいることに慣れてしまっているみたいだった。
「……」
海燕は何も言わない。
ただ少しだけ。
あの背中は、不憫だなと思った。
┈┈┈┈┈┈
瓦礫の崩れた音が、遠くで響いた。
昼過ぎの流魂街。
訓練用に結界で隔離された区域は、すでに戦場の空気を帯びていた。
放たれたのは中級の虚。
真央霊術院の生徒にとっては、"慣れ"だけでは越えられない相手だ。
あちこちで浅打がぶつかる音。
悲鳴。
鬼道の詠唱。
土煙。
隊列など、とうに崩れていた。
「っ、ち……!」
海燕は荒く息を吐きながら、目の前のホロウを睨みつけた。
想像以上に速い。
横薙ぎに振るった浅打を、獣のような動きで避けられる。
直後、脇腹へ鈍い衝撃。
吹き飛ばされ、地面を滑った。
「志波!」
誰かの声が聞こえる。
だが返事をする余裕はない。
立ち上がろうとした瞬間、虚の腕が振り下ろされ――
海燕は咄嗟に身を捻った。
「ッ!」
地面が砕ける。
「……はは、洒落になんねぇな」
額から血が落ちる。
まだ未熟だ。
分かっている。
けれど、"志波"の名を背負っている以上、無様は晒せなかった。
その時だった。
微かに感じた霊圧に、海燕が顔を上げる。
――近い。
この霊圧は。
瓦礫の向こう。
崩れた長屋の影。
そこには、馨がいた。
「動かないでください。」
落ち着いた声。
倒れている他の生徒の肩を支えながら、馨は淡々と傷口を確認している。
袖口は血で汚れていた。
「骨は折れてません。ただ霊圧の流れが乱れてるだけです。」
「む、無類井……」
「喋らないで。」
静かな言葉だった。
けれど不思議と、逆らえない。
馨は片膝をつき、掌を傷口へかざす。
淡い鬼道の光が滲んだ。
治療鬼道、回道というものだ。
しかも、詠唱破棄。
周囲の生徒たちが息を呑む。
「回道も使えたの……?」
「てかあいつ、なんであんな冷静なんだよ……」
「中級相手だぞ……?」
恐怖で声を震わせる者もいる中、
馨だけは異様なほど静かだった。
海燕は思わず、その横顔を見つめる。
長い睫毛。
返り血のついた頬。
乱れた髪。
それでも彼女は、一切焦っていない。
――いや。
違う。
焦るより先に、
"誰かを助ける"ことを選んでいる。
その瞬間。
馨がふっと顔を上げた。
海燕と視線が合う。
その瞬間だけ
騒がしい戦場の音が、遠のいた気がした。
そして馨は、小さく眉を寄せる。
「……志波さん」
「なっ、なんだよ」
「血、出てます」
「見りゃ分かるよ」
「強がってる場合ですか」
淡々と言われ、
海燕は思わず吹き出しかけた。
「ははっ!」
「……笑ってる場合じゃないですよ?」
こんな状況なのに。
なぜか少しだけ、
肩の力が抜けた。
┈┈┈
その翌日からだった。
真央霊術院の廊下を歩けば、後ろから聞こえてくる足音がある。
「"よう、馨!"」
朝一番から響く明るい声に、周囲の生徒たちが一斉に振り返る。
教材を抱えた馨は、ぴたりと足を止めたあと、静かにため息をついた。
「……はぁ……おはようございます、志波さん。」
「今ため息ついたろ?おい。」
笑いながら隣に並ぶ青年――志波海燕。
癖のある黒髪に、陽の光みたいな笑顔。
黙っていれば整った顔立ちなのに、口を開けば距離感がおかしい。
「なんでお前いつもひとりなんだ?」
「別に、ひとりが好きだからです」
「じゃあ俺と友達になろうぜ」
「"じゃあ"って話繋がらないですよ。」
「兎にも角にも友達に…」
「志波さんは先輩ですし。名門の志波…」
「そんなの関係ねえよ!」
即答だった。
あまりに真っ直ぐ返され、馨は一瞬だけ言葉を失う。
その様子を少し離れた場所で見ていた男子生徒たちが吹き出した。
「おい見ろよ、あの志波が相手されてねえ」
「名門・志波家の坊ちゃんが必死じゃねえか」
「しかも年下相手に」
「振り回されすぎだろ?」
からからと笑い声が広がる。
海燕は""うるせー!""と笑い返しながらも、まるで気にしていなかった。
むしろ楽しそうですらある。
馨はそんな光景を横目で見つめ、小さく眉を寄せた。
「((……不思議な人。))」
名門貴族。
実力者。
周囲から慕われ、誰とでも自然に笑い合える男。
もっと傲慢で、もっと近寄りがたい人物なのだと思っていた。
けれど彼は違った。
馨が距離を置いても、壁を作っても、まるで春の風みたいに当然のように隣へ来る。
「昼飯は?」
「ひとりで食べます」
「じゃあ俺も隣でひとり!」
「意味わからないです」
「わはは!」
周囲がまた笑う。
最初は"変わり者を見る目"だった。
突然現れた異端の少女。
鬼道の才を持つ、得体の知れない存在。
だが海燕だけは最初から違った。
恐れもしない。
遠ざけもしない。
ただ真正面から、馨という人間を見ていた。
そして気づけば――
「あ、無類井。志波が探してたぞ」
「演習場で待ってるって。」
「はい、分かりました。」
当たり前になる存在
「……あの、志波さんはどこにいらっしゃいますでしょうか……」
「海燕なら今日は休みだけど?」
「あ……失礼しました!」
自ら彼を探すことが増えていく。
「無類井って怖いやつかと思ったけど。」
「年相応っていうか、意外と可愛いやつだよな。」
馨を見る周囲の目も、少しずつ変わり始めていた。
┈┈┈┈
卒業式の日の空は、やけに高かった。
真央霊術院の門の前で、志波海燕は振り返る。
「じゃあな、馨。」
名を呼ばれて、無類井馨は静かに顔を上げた。
「はい。また。」
「俺が居なくなって泣くんじゃねーぞー??」
「大丈夫です。」
「ッ!最後の最後までドライなヤツだな!」
いつものように、表情は大きく動かない。
けれど、その瞳だけが少しだけ揺れている。
「お元気で。」
「おう!」
海燕は白い歯を見せて笑った。
「先に!瀞霊廷で待ってるぜ」
その言葉に、周囲の同期たちが少し騒ぐ。
名門・志波家の男らしい、まっすぐな別れの言葉だった。
けれど馨は、ただ小さく頷いた。
「はい」
「護廷十三隊で、待ってる。」
「……」
「お前なら、直ぐに来るだろ?」
海燕はそう言い残し、背を向けた。
馨はその背中を見送る。
風に揺れる卒業生の羽織。
遠ざかる、広い背中。
その唇が、誰にも聞こえないほど小さく動いた。
「……待たなくても、いいのに」
馨は意味ありげな不敵な笑みを浮かべていた。
┈┈┈┈
――数日後。
「本日付で三席に任じられました!志波海燕です!よろしくお願いします!!」
十三番隊の隊舎に、志波海燕の声が響く。
隊士たちが思わず顔を見合わせる中、上座の男――浮竹十四郎が、楽しそうに肩を揺らした。
「はは、元気でいいねえ」
柔らかな笑みに、海燕はぱっと顔を輝かせる。
「ありがとうございます!」
「うんうん。十三番隊は比較的静かな子が多いからね。君みたいなのが来ると賑やかになりそうだ」
「任せてください!」
即答だった。
その勢いに隊士たちが苦笑する。
浮竹はそんな海燕を見つめながら、ふと少しだけ申し訳なさそうな顔をした。
「ただ……着任早々、少し慌ただしくてね」
空気が少し変わった。
「副隊長が任務中の怪我で不在なんだ。しばらく隊舎を空けていてね。」
海燕の表情が引き締まった。
「……そうだったんですか」
「うん。本来なら副隊長から色々教えてもらえたはずなんだけど……申し訳ないね。」
「何言ってるんですか!そんなの気にしないでください!」
海燕は真っ直ぐ言い切る。
「隊の力になれるよう頑張ります!」
その返答に、浮竹は嬉しそうに目を細めた。凛とした目つきと表情。信頼における人物だと感じたのだった。
「ありがとう。助かるよ。」
そして、思い出したように軽く手を叩く。
「ああ、そうだ」
「?」
「四席にも今日、新しい隊士が入るんだった」
海燕が"へえ"と興味深そうに振り返る。
「どんな人なんです?」
「さてねえ」
浮竹は意味深に笑った。
その直後。
隊舎の障子が、すっと開く。
「"失礼します"」
静かな声だった。
隊士たちの視線が一斉に向く。
そこに立っていたのは――
「…………」
無類井馨だった。
「なっ……」
海燕の顔から表情が消える。
馨はいつも通り落ち着いた顔で、隊長の前まで歩いていく。
「無類井馨。本日付で四席を拝命いたしました。よろしくお願いいたします。」
綺麗なお辞儀。
沈黙。
そして。
「はぁぁぁぁぁああああッ!?!?」
十三番隊に海燕の叫び声が響いた。
隊士たちがびくっと肩を揺らす。
「え!?おまっ、え!?!?」
馨はきょとんと海燕を見る。
「……志波さん?どうかされました?」
「なんでいるんだよ!?」
「配属されたので」
「そういう話じゃねえ!!」
隊士たちがざわつき始める。
「知り合い?」
「三席あんな顔するんだ〜」
「え、可愛い。」
海燕は完全に混乱していた。
「お前まだ霊術院に残る感じ出してただろ!?」
「出してません」
「俺『瀞霊廷で待ってるぜ!』って言ったよな!?」
「はい」
「『護廷十三隊で待ってるぜ!』とも言ったよな!?」
「はい」
「なんで先に席座ってんだよ!!」
「先ではありません。同日です」
「うわ腹立つ!!」
そのやり取りに、とうとう隊士たちが吹き出した。
浮竹も堪えきれず笑っている。
「ふふ……なるほどねえ」
「隊長笑ってる場合じゃないですよ!?」
グイグイと浮竹に顔を近づける海燕。
「いやあ、いいコンビだなと思って」
「違います!」
馨が即座に否定する横で、浮竹はニッコリと笑みを浮かべた。
「2人とも。息は合っていると思うけど?」
2人は浮竹の顔を見つめた。
そしてその後、互いに顔を見合せ、声を上げ合う。
「ですよね!?」「違います!」
さらに笑いが起きた。
「つーかお前!そういうとこだぞ!」
海燕に内密にしていたこと。
理由は分からないが彼女の悪戯に頭を抱えると、馨の口元がほんのわずかに緩んだ。
それは笑ったと言うには小さすぎる。
けれど、海燕には分かった。
からかわれたのだ、と。
「……やられた」
悔しそうに呟く海燕に、馨は静かに言う。
「改めて、よろしくお願いします。志波三席」
海燕は一瞬だけ目を丸くし、それからにっと笑った。
「おう。よろしくな、無類井四席!」
待っているつもりだった。
けれど彼女は、待たれる場所にいる人物ではなかった。
いつの間にか隣に立って、
何食わぬ顔で、同じ戦場を見ている。
海燕はその横顔を見て、少しだけ胸が高鳴るのを感じた。
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「……」
錆びたブランコが、風もないのにかすかに揺れる。
馨はそこに腰かけたまま、空を見上げていた。
思い出していたのは、遠い昔のことだった。
隊舎の廊下。
何気ない笑い声。
振り返れば、いつもそこにあった背中。
未来の話をした。
くだらない約束もした。
明日も同じように続くと、本気で信じていた。
海燕の声が幻聴のように耳を掠める。
しかし涙も枯れてしまった。
――もう、取り戻せないのだから。
「……"どうしたんスか?"」
突然、隣から声がした。
馨は驚くこともなく、ゆっくりと視線だけを向ける。
「こんばんは」
「……喜助さん。」
そこには、いつもの縞模様の帽子。
扇子をぱたぱたと揺らす浦原喜助が、当たり前のように立っていた。
「顔色、悪いっスよ。もしかして……悪夢でも見ました?」
軽い口調。
けれど、その目だけは笑っていなかった。
凛は少しだけ息を吐いた。
「悪夢じゃないよ。」
ブランコの鎖が、小さく鳴る。
「幸せだった頃のことを、思い出してただけ。」
浦原の扇子の動きが、ほんの一瞬止まった。
馨は前を向いたまま、ぽつりと続ける。
「"未来は明るい"って、誰かが言ってた」
喉の奥で笑うように、けれど笑いにはならない声だった。
「……そんなの、嘘。」
夜風が、馨の髪を揺らす。
「私が壊した。自分の手で。あの人の未来も、自分の未来も」
沈黙が落ちる。
けれど浦原は、否定も同情もしなかった。
ただ静かに、扇子を閉じる。
「あの時のことは、あなたのせいじゃないっスよ。」
馨の瞳がわずかに揺れた。
「…………」
「全部が全部、綺麗に出来すぎてましたからね。」
浦原は夜空を見上げる。
「あの事件。虚化。隊長格への疑い。あなたへの罪の集中……きっと誰かが、最初から仕組んでたんス。」
馨はゆっくりと目を伏せた。
「でも、結果は変わらない」
声は静かだった。
「私の記録は全部抹消された。尸魂界から追放されて……もう、何もできない。」
ぎゅっと、自分の袖を掴む。
「……彼のお墓に行くことすら、許されない」
その言葉だけ、ひどく弱かった。
何十年経っても。
どれだけ強くなっても。
そこだけは、傷のままだった。
「……」
浦原はしばらく黙っていた。
それから、わざとらしく肩を竦める。
「だから、手伝うって決めたんスよ」
凛が顔を上げる。
「未来を、一緒に取り返すのを」
その声には珍しく、軽さがなかった。
「追放されたから終わり?
記録を消されたから存在しなかったことになる?」
浦原はふっと笑う。
「そんなの、面白くないじゃないっスか」
馨は何も言えなかった。
浦原の奇妙な笑い、不気味な雰囲気。
まるでこれから何かが起きるかのような――
「「!?」」
その時だった。
ぴり、と空気が裂けた。
馨はブランコから腰を持ち上げ気配を辿る。
浦原も同時に、街の方角へ顔を向けた。
「……今の」
「ええ」
軽薄さの消えた声で、浦原が言う。
「妙な霊圧っスね」
夜の住宅街の向こう。
ひとつの家の方角から、死神の霊圧と、強い人間の霊圧が重なっていた。
そしてもうひとつ。
虚の気配。
凛の胸の奥が、ひどくざわつく。
「……この霊圧……」
死神側の霊圧に覚えがあった。
部下でもあり、大切な妹分でもある彼女の霊圧――
浦原は帽子のつばを指で押さえ、低く笑った。
「どうやら運命ってやつは……こっちの都合なんて待ってくれないみたいっス」
遠くで、何かが壊れる音がした。
黒崎一護と朽木ルキア。
その出会いが、今まさに始まろうとしていた。
そしてその歯車は組み合わさり、
馨の運命を大きく変えていく。
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――その頃 尸魂界
誰もいない五番隊舎の一室。
静寂の中、ひとりの男が書類を閉じた。
細い指先。
穏やかな微笑。
優しげな眼差し。
だが、その瞳だけはどこまでも冷たい。
「……黒崎一護」
藍染惣右介は、その名前を静かに口にした。
崩れ始める運命。
動き出す歯車。
すべては、計画通り。
けれど。
机の上に置かれた古い髪紐へ視線を落とした瞬間だけ、藍染の表情がわずかに変わる。
懐かしむように。
あるいは、壊れ物に触れるように。
「"君"はまだ、そんな場所にいるのか」
静かな声だった。
怒りでもない。
失望でもない。
あまりにも深く、静かな執着。
「私は今でも――」
藍染はそこで言葉を止める。
窓の外では、夜風が静かに白い隊舎を撫でていた。
やがて彼は目を細め、微笑む。
「君を愛しているよ、馨」
その声だけが、誰もいない部屋に溶けていく。
まるで呪いのように。
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