BLEACH No name   作:鈴夢

20 / 21
Where Broken Hearts Learn to Beat Again

 

┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈

 

 

 

壊れた心は

元には戻らない

 

それでも

誰かと歩けば

 

また鼓動を思い出せる

 

 

 

 

┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈

 

 

 

Where Broken Hearts Learn to Beat Again

 

 

 

┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈

 

 

 

 

 

 

 

 

 

"隊首会"

静寂に包まれた一番隊隊舎。

 

隊長格が並ぶ中、重々しい空気が流れていた。

 

 

藍染惣右介。

市丸ギン。

東仙要。

 

三名の隊長を失った護廷十三隊は、未だ傷跡の真っ只中にあった。

 

その中に、一人の人物が歩み出る。

重苦しい、重厚な扉が開く。

光を背に、待ち構える隊長たちの前にゆっくりと。

 

 

黒い死覇装。

 

そして。

白い隊長羽織を纏う。

長い黒髪が揺れ、可憐に花が咲いたような顔立ち。

 

――"無類井馨"

 

かつて、十三番隊三席に所属。

そして五十年前、罪人として尸魂界を去った死神。

 

その姿に視線が集まる。

 

 

京楽は静かに微笑み。

浮竹はどこか誇らしげに見守り。

卯ノ花は微かに口元に弧を描く。

砕蜂は腕を組みながら目を細めていた。

 

涅はどこか興味深そうに。

狛村は微かに警戒を。

更木は全く興味を見せない様子。

 

白哉は無言。

日番谷もまた黙っていた。

 

馨は隊長達の前に立つ。

 

そして。

深く息を吸ったら、

 

凛とした声が響く。

 

「無類井馨」

 

静寂。

全員が彼女を見ていた。

 

馨は真っ直ぐ前を見る。

 

迷いなく。

恐れなく。

 

「本日付けをもちまして、五番隊隊長を拝命いたしました」

 

その声はよく通った。

 

「至らぬ点もあるかと思います。……ですが」

 

そこで僅かに目を細める。

 

「私は五番隊を再び立たせます」

 

空気が変わる。

隊長達の表情が僅かに引き締まる。

 

「藍染惣右介という男が残した傷は深い。隊士達もまた傷付いています。」

 

馨ははっきりと言う。

 

「護廷十三隊は立ち止まらない。五番隊もまた同じです」

 

その言葉に力が宿る。

 

「私は隊士達を守ります。信頼を取り戻します、そして」

 

一瞬だけ。

全員の顔を見渡した。

 

「再び誇れる五番隊を作ることを誓います」

 

静寂。

 

次の瞬間。

京楽が小さく拍手した。

 

「いいねぇ〜、さすが馨ちゃん」

 

その一言をきっかけに空気が少しだけ和らぐ。

 

浮竹も微笑む。

日番谷は小さく鼻を鳴らした。

山本は静かに目を閉じる。

 

そして。

 

「以上だ。皆、頼むぞ。」

 

隊首会は終了した。

 

 

┈┈┈┈┈┈

┈┈┈┈┈┈

 

 

 

隊首会が終わり、各隊長たちが静かに部屋を後にしていく。

 

新たな隊長の誕生という大きな出来事があったにもかかわらず、廊下には不思議なほど穏やかな空気が流れていた。

 

馨は、すれ違っていく隊長たちへ一人ひとり頭を下げる。

 

その視線の先に――見慣れた白い羽織があった。

 

「……あ」

 

黒く長い髪を揺らし、静かに歩いていくその背中。

五十年ぶりに見る、変わらぬ後ろ姿だった。

 

「"白哉様!"」

 

凛とした声が廊下へ響く。

その足が、ぴたりと止まった。

 

ゆっくりと肩越しに振り返った朽木白哉は、一瞬だけ目を細めた。

 

「……"かお"……」

 

懐かしい呼び名が、思わず喉まで込み上げる。

だが次の瞬間には、その表情はいつもの静けさへ戻っていた。

 

「……"無類井"か。」

 

その一言だけを残し、白哉は完全に振り返る。

馨は小さく笑みを浮かべながら、そのもとへ歩み寄った。

 

「白哉様、お身体……もう良くなられたのですね。」

「ああ。」

 

短い返事。

それだけなのに、そこには確かな安堵があった。

 

双極で一護に敗れ、

そして藍染からルキアを守り、深手を負っていたあの日。

 

あの姿が脳裏をよぎり、馨は胸を撫で下ろす。

 

「……」

「……」

 

二人の間に、静かな沈黙が落ちた。

 

言いたいことは、山ほどある。

幼い頃から知る相手。

五十年という歳月を経ても、その距離は決して遠くはなかった。

 

馨は意を決したように口を開く。

 

「あの……白哉様。」

「……」

「私を助けてくださって、本当に――」

「""何の話だ""」

 

その一言が、すべてを断ち切った。

馨は思わず目を丸くする。

 

「……え?」

 

白哉は視線を逸らすこともなく、淡々と続けた。

 

「私は、お前を助けた覚えはない。」

 

表情一つ変えない。

いつもの白哉だった。

しかし馨は知っている。

浦原と夜一だけで、あの脱出が成立するはずがなかったことを。

 

あの日。

朽木家当主だけが動かせる門。

誰にも悟られぬよう消された警備。

わずかに開けられた逃げ道。

 

すべてが偶然などではない。

だからこそ、胸が熱くなる。

 

「……でも。」

 

言いかけた馨へ、白哉は静かに言葉を重ねた。

 

「……"馨殿"」

 

懐かしい名の呼び方。

 

「"生きていて、よかった"」

 

その一言だけだった。

 

謝罪も。

恩着せがましさも。

"私が救った"という事実も、何一つ口にはしない。

 

それでも、その短い言葉には五十年分の想いが込められていた。

 

馨の瞳がゆっくり潤む。

 

「……ありがとうございます。」

 

白哉は何も答えない。

代わりに視線をゆっくりと馨へ向ける。

 

白い隊長羽織。

背に刻まれた五番隊の紋。

新たな責務を背負う姿。

 

「――似合っている。」

 

ぽつりと、それだけ告げた。

 

「え……?」

「羽織だ。」

 

その言葉に、馨は思わず照れたように笑う。

 

「ありがとうございます。」

 

その笑顔を見た瞬間だった。

白哉の表情が、本当に僅かだけ緩む。

 

幼い頃。

十三番隊へ通っていた少年が見せていた、あの面影。

 

ほんの一瞬だけ。

誰にも気付かれないほど小さな笑み。

しかし馨だけは、それを見逃さなかった。

 

「((……ああ。やっぱり白哉様だ。))」

 

懐かしさが胸いっぱいに広がる。

 

 

 

刹那。

 

その空気を――

見事にぶち壊す声が廊下中へ響いた。

 

 

「"隊長ぉぉぉーーーーっ!!"」

 

勢いよく角を曲がってきたのは、山ほど書類を抱えた恋次だった。

 

「この書類なんスけど――って、……あ。」

 

馨を見つけるなり、恋次は慌てて姿勢を正す。

 

「無類井隊長!お疲れ様っス!」

 

深々と頭を下げる。

 

その瞬間。

白哉の眉がぴくりと動いた。

 

空気が、一気に冷える。

 

「……」

 

恋次が冷や汗を流す。

 

「え……?」

 

白哉は何も言わず歩き出す。

その背中から、とてつもない不機嫌さだけが伝わってくる。

 

「ちょ、ちょっと待ってくださいよ隊長!」

 

恋次は慌てて追いかける。

 

「どうしたんスか!?」

「……」

「まだ怪我でも痛むんスか!?」

「……五月蝿い」

「えぇっ!?いや心配してるだけ――」

「五月蝿い」

「なんで俺だけ二回も言われるんスかぁぁぁ!?」

 

恋次の悲鳴が廊下へ響き渡る。

そのまま白哉は一度も振り返ることなく歩き去っていった。

 

馨は思わず吹き出す。

 

「ふふっ……。」

 

昔と何も変わらない。

厳格で、不器用で。

そして少しだけ優しい。

その背中を見送りながら、馨は静かに頭を下げた。

 

「……本当に、ありがとうございました。」

 

もちろん、その言葉が届くことはない。

 

届かなくていい。

きっと白哉は、それを望まないから。

 

その時だった。

 

「"話は終わったか"」

 

背後から落ち着いた少年の声。

振り返ると、小柄な白い隊長羽織。

隣には、金髪の副隊長がいつもの笑みを浮かべて立っていた。

 

「無類井。五番隊まで案内する。」

 

日番谷冬獅郎だった。

その隣で松本乱菊がにっこりと笑う。

 

「改めまして、無類井隊長。これからよろしくお願いしますね。」

 

馨は優しく微笑み返し、小さく頭を下げた。

 

「こちらこそ、よろしくお願いいたします。」

 

そうして三人は並び、新たな居場所――五番隊隊舎へ向かって歩き始めた。

 

 

┈┈

 

 

 

 

五番隊隊舎へ向かう道。

 

馨の隣には日番谷冬獅郎。

その後ろを松本乱菊が歩いていた。

 

「しかし驚いたぜ」

 

日番谷が呟く。

 

「まさかお前が五番隊とはな」

「私も驚いています」

「だろうな」

 

日番谷は苦笑した。

 

その時だった。

後ろを歩いていた乱菊が口を開く。

 

「無類井隊長」

「はい?」

 

乱菊の顔は珍しく真面目だった。

 

「気を悪くしないで聞いてほしいんだけど」

 

日番谷が眉を顰める。

 

「おい、松本。」

「いや、伝えておかなきゃ駄目でしょ?」

「…………はぁ」

 

馨は二人を見る。

そして、察したように小さく頷いた。

 

「雛森副隊長のことですね」

 

乱菊は驚いたように目を瞬く。

 

「察しがいいですね?」

「予想はしていましたよ。」

 

乱菊はため息を吐く。

 

「正直に言うわ。……雛森はまだ"壊れてる"」

 

その言葉は重かった。

 

「隊務には戻ってるし、書類仕事もしてる…日常生活も問題ない」

「……」

「でも」

 

乱菊の表情が曇る。

 

「"藍染隊長って呼ぶの"」

 

馨は黙る。

 

「市丸隊長が騙したんだって、脅したんだって、藍染隊長は仕方なく従っただけなんだって……」

 

乱菊は唇を噛む。

 

「そんなことを本気で言う時があるの。」

 

静かな風が吹く。

日番谷が険しい顔で前を向く。

 

その姿だけで。

どれほど辛い問題かが分かった。

 

「……そうですか」

 

馨は静かに答えた。

乱菊は続ける。

 

「でも問題はそれだけじゃないの。」

 

今度は日番谷が口を開く。

 

「ああ。予想してると思うが、五番隊そのものだ」

「……」

「藍染はあまりにも完璧だった」

 

日番谷の声は低い。

 

「優しくて、有能で、誰からも信頼されていた」

「……はい」

「隊士達は本気で尊敬してた」

 

だからこそ。

裏切りが致命傷になった。

 

「隊そのものが魂を抜かれたような状態だ」

「……」

「誰も何を信じればいいか分からねぇ」

「……」

「藍染を憎む奴、まだ信じてる奴、現実を受け入れられねぇ奴」

 

様々だ。

 

乱菊が苦笑する。

 

「それにね」

「……?」

「あなたへの不信感もかなり強いみたいで。」

 

馨は頷く。

予想通りだった。

 

「元罪人、突然現れた新隊長、しかも藍染と戦った張本人。藍染にも狙われてるって言うし、……変な噂も立ってる。」

「変な噂?」

「はい。」

 

乱菊は小さく息を吐いた。

 

「……こんな時にする話じゃないかもしれないけど。」

 

少しだけ言いづらそうに視線を逸らす。

 

「昔からね、瀞霊廷じゃ妙な噂があったの。」

 

馨は首を傾げた。

 

「……昔から、ですか?」

「ええ。」

 

乱菊は苦笑する。

 

「藍染は、無類井隊長にだけは妙に甘かった、とか。他の誰にも見せない顔を見せる、とか……本気で大切に思ってるんじゃないか、とか。」

「……そんな与太話。」

 

馨は目を丸くした。

 

「ありえませんよ。」

「私も最初は笑い話だと思ってたわ。」

 

乱菊は静かに頷く。

 

「でも。"藍染隊長"って、誰にでも優しかったでしょう?だからこそ分かるのよ。あなたに向ける視線だけは、少し違った……って」

「…………」

「それに当時、四十六室での尋問の時、情状酌量の為に意見しに行ったってことも知ってます。……まあ、偽りだとわかった今、それは何も違和感は無いですけど……」

 

馨は何も答えられなかった。

 

乱菊は続ける。

 

「そして、あの双極の丘。全部を明かしたあとも、あの人はあなたに言った。」

「『必ず、君を迎えに来る。』でしたっけ?」

 

乱菊は馨が放った言葉を思い返すように目を細める。

 

「あれを聞いた時ね。……ああ、あの噂は、全部じゃないにしても。何かしら本当だったのかもしれないって、そう思った。」

 

沈黙が落ちる。

 

「隊長格の間でも、今じゃ時々話になるのよ。藍染は、崩玉や能力だけが目的だったのか。……それとも――」

 

乱菊は馨をまっすぐ見つめる。

 

「"無類井馨、その人自身を欲していたのかって"」

 

馨は静かに目を伏せた。

 

「……私には、分かりません。」

 

その答えに、乱菊はふっと笑う。

 

「ま、本人しか分からないわよね。」

「…………」

「でも一つだけ言えるの。藍染が、あなたを特別視していたことだけは……今さら誰も否定しないわ。」

 

乱菊は肩を竦める。

 

「兎にも角にも、歓迎される要素がないのよね」

「……松本」

「事実でしょう?」

 

日番谷は何も言い返さなかった。

乱菊の言う通り、本当に事実だからだ。

 

だが。

馨は不思議と落ち着いていた。

 

むしろ当然だと思った。

 

もし自分が五番隊隊士なら。

同じように警戒するだろう。

 

むしろ、"そんな噂"があるなら余計に。

 

 

だから小さく笑う。

 

「安心しました」

「はぁ?」

 

日番谷が怪訝な顔をする。

 

馨は前を見る。

 

その先には。

五番隊隊舎が見えていた。

 

「信頼が無いなら」

 

馨は自信を持ったような表情で、日番谷と松本を交互に見た。

 

「"これから積み上げればいいだけです"」

 

迷いのない声。

 

五十年前。

全てを失った女の声とは思えないほど真っ直ぐだった。

 

「隊士達が藍染惣右介を慕っていたのなら、それだけ良い隊長だったということでしょう」

「……」

「なら私は」

 

五番隊隊舎を見据える。

 

「藍染惣右介ではなく、無類井馨として信頼を得ます」

 

その言葉に。

日番谷は僅かに口元を緩めた。

乱菊も笑う。

 

そして三人は。

新たな五番隊へ向かって歩き出した。

 

「お二人とも」

 

五番隊隊舎を前にして、馨は足を止める。

振り返る。後ろには日番谷と乱菊がいた。

 

ここまで同行してくれていた二人だ。

馨は小さく頭を下げる。

 

「付き添い、ありがとうございました」

 

日番谷は眉を顰めた。

 

目の前には五番隊の門。

その向こうに待つのは、決して歓迎しているとは言えない隊士達だ。

 

「俺達が中までついていかなくていいのか?」

「そうよ!一緒に行きますよ!」

 

乱菊も腕を組む。

 

「念のため私達も――」

「いえ」

 

馨は静かに首を横に振った。

 

「大丈夫です」

 

その声音に迷いはない。

 

「また何かあれば助けてください」

 

そう言って微笑む。

隊長としての顔だった。

 

日番谷はしばらく黙っていたが、やがて小さく息を吐いた。

 

「……分かった」

「……」

 

乱菊は納得していない顔をしている。

 

しかし。

結局何も言わなかった。

 

馨はもう一度軽く会釈すると一人で門へ向かう。

 

その背中を見送りながら。

乱菊が小さく呟く。

 

「無類井隊長、大丈夫でしょうか。」

「……」

 

日番谷は腕を組んだ。

視線は前を向いたまま。

 

「あいつがいいって言うなら」

「……」

「見守るしかねぇよ」

「……ですね」

 

乱菊は黙る。

 

そして。

二人は遠くから様子を見ることにした。

 

 

 

 

┈┈┈┈

 

 

 

""五番隊""

 

正門をくぐる。

出迎えは無い。

歓迎の言葉も無い。

 

当然だった。

 

馨は特に気にした様子もなく歩いていく。

 

「((……やけに静かね。))」

 

静寂に戸惑いながらも、少し歩くと中庭へ辿り着く。

三人の隊士が掃除をしていた。

 

「「…………」」

 

箒を手にしたまま。

新たに現れた人影に気付き。

 

「あ……」

「……え」

 

動きを止める。

 

馨はそのまま近付いていった。

柔らかな笑みを浮かべながら。

 

「こんにちは」

 

隊士達が硬直する。

 

「今日から五番隊隊長に着任する、無類井馨です」

 

沈黙。

三人とも反応に困っていた。

 

「あ……」

「はい……」

「……」

 

目を合わせようとしない。

箒を握る手に力が入っている。

 

警戒。

困惑。

不安。

 

そんな感情が見て取れた。

 

馨は微笑み続ける。

 

だが。

死覇装の袖の中で。

拳だけが強く握られていた。

 

「((……分かってはいたけど……))」

 

想像以上だ。

歓迎されないことは分かっていた。

 

だが。

ここまでとは思わなかった。

 

それでも表情は崩さない。

 

「中へ入っても?」

 

馨は隊舎を指さす。

一人の隊士が慌てて顔を上げた。

 

「え、あ……」

「もちろんです!」

「隊長……なんですから……」

 

その声には覇気が無かった。

まるで義務感だけで喋っているようだった。

 

馨は静かに頷く。

 

「ありがとうございます」

 

そして踵を返した。

 

ゆっくり歩く。

 

隊舎へ向かう道。

進むにつれて隊士達の姿が増えていく。

 

廊下。

縁側。

庭木の手入れをする者。

書類を運ぶ者。

 

皆、一応仕事はしていた。

活気が無い訳ではない。

 

だが。

何かがおかしい。

 

視線が暗い。

笑顔が無い。

声が小さい。

誰もがどこか疲れ切っていた。

 

まるで。

魂の一部を失ったように。

 

藍染惣右介という存在が。

どれほどこの隊を支えていたのか。

 

嫌というほど伝わってくる。

 

「((…まさか、ここまでとは))」

 

病的だった。

暗かった。

隊舎全体に薄い霧がかかったような空気。

 

「((まるで呪われてるみたい。……本当に。))」

 

馨は歩きながら思う。

日番谷達の言葉は正しかった。

これは想像以上に深刻だ。

 

そんなことを考えていた時だった。

隊舎の入口へ足を踏み入れた瞬間。

 

背後から声が響く。

 

 

 

 

 

「"無類井隊長"」

 

少女の声。

馨は振り返る。

そこに立っていたのは。

 

細い身体。

飾り気のない姿。

 

五番隊副隊長、雛森桃だった。

 

「出迎えが遅れて…申し訳ございません」

 

深く頭を下げる。

礼儀正しい。

 

だが、その姿を見た瞬間。

馨は眉を寄せた。

 

「((まだ怪我は完全に完治してないって聞いてるけど……"それは"あまり関係なさそうね。))」

 

顔色が悪い。

痩せている。

無理をしているのが一目で分かった。

 

「構いませんよ」

 

馨は穏やかに答える。

 

「それより体調は?」

 

雛森の肩が僅かに揺れる。

 

「問題ありません」

 

即答だった。

だが、問題が無い人間の顔ではなかった。

 

目の下には薄く隈がある。

笑顔もどこかぎこちない。

 

「……」

 

馨は何も言わなかった。

今はまだ踏み込むべきではない。

 

「そうですか」

 

それだけ返す。

雛森は小さく頭を下げた。

 

「隊長執務室へご案内します」

「はい。お願いします」

 

そして二人は歩き出す。

 

静かな廊下。

先を歩く雛森。

 

その背中を見つめながら、馨は思う。

 

この少女は。

藍染惣右介に傷付けられた被害者だ。

 

だが同時に。

今の五番隊そのものを象徴しているようにも見えた。

 

壊れかけている。

それでも立っている。

無理をしてでも。

前を向こうとしている。

 

だからこそ。

馨は静かに決意した。

 

まずは"この少女を救わなければならない"と。

 

 

静かな廊下。

足音だけが響いていた。

 

ふと視線を外へ向ける。

手入れの行き届いた中庭が見えた。

 

美しい庭だった。

伸びすぎた枝は無い。

雑草も無い。

飛び石も綺麗に揃えられている。

縁側には座布団が丁寧に並べられ、茶器棚には磨き上げられた急須が置かれていた。

 

窓際に積まれた書類も乱れていない。

 

誰が見ても分かる。

 

""五番隊は丁寧だ""

 

昔と変わらない。

馨は静かに目を細める。

 

「((――藍染惣右介))」

 

あの男は、隊士達に慕われていた。

それは間違いない。

 

優しかったのだろう。

誰よりも隊士を見て。

誰よりも信頼を得て。

 

そして、崩壊はあっという間に。

 

「((……藍染……貴方は――))」

 

胸中で呟く馨。

その続きを口にはしなかった。

 

 

やがて。

 

隊舎最奥。

隊長執務室へ辿り着く。

 

障子の向こうから差し込む陽光。

窓の外では木々が優しく揺れていた。

 

穏やかな景色だった。

 

「こちらです」

 

雛森が障子を開ける。

 

「ありがとうございます」

 

馨は小さく頭を下げた。

そして中へ入る。

 

室内を見渡す。

塵一つ無い。

床も棚も机も。

全て綺麗に整えられていた。

 

「準備してくださってありがとうございます。雛森副隊長。」

「……いえ。」

 

きっと雛森が掃除したのだろう。

 

藍染がいなくなった今も、毎日、欠かさず。

そう思わせるほど綺麗だった。

 

「……それで、」

 

視線を机へ向ける。

 

思わず苦笑する。

書類が山積みだった。

 

隊長不在期間の仕事。

副隊長だけでは処理しきれなかったのだろう。

 

「……なるほど」

 

小さく呟く。

 

「これは大変そうですね」

 

雛森は何も答えない。

 

馨は隊長机へ近付く。

そして振り返る。

 

「早速なんだけど」

 

穏やかな声。

 

「まずは隊士の名簿を――」

 

そこで言葉が止まった。

 

 

「――ッ!」

 

馨は目を見開く。

 

「……」

 

雛森が、すぐ目の前まで来ていた。

 

いつの間に。

そう思うほど近い距離。

 

その瞳は異様だった。

何かに縋るように。

何かを信じ込もうとするように、焦点が定まっていない。

 

「……あっ」

 

雛森の唇が震える。

 

「藍染隊長は…ッ……」

 

馨の背筋に嫌なものが走る。

 

「雛森副隊長」

「"唆されたんですよね!?"」

 

声が大きくなる。

馨は思わず固まった。

 

「なっ……」

「そうですよね!?」

 

一歩。

雛森が近付く。

 

「市丸隊長に!」

「……副隊長」

「東仙隊長に!」

「副隊ちょ」

「脅されて!」

「……」

「仕方なく!」

 

言葉が止まらない。

呼吸も乱れている。

 

馨は咄嗟に手を伸ばそうとする。

だが、雛森の勢いに押される形で。

 

思わず後ろへよろめき、そのまま床へ尻もちをつく。

 

「……副隊長」

 

それでも雛森は止まらない。

 

「私を刺したのは!」

 

涙を浮かべながら叫ぶ。

 

「藍染隊長じゃないんです!」

「……」

「そうですよね!?」

「副隊長……」

「だから!」

 

震える声。

縋る声。

壊れそうな声。

 

「無類井隊長が言ってください!」

 

馨の胸が締め付けられる。

雛森は泣いていた。

 

「残っていた残穢は!藍染隊長のものじゃないって!そう言ってください!」

「……っ」

 

馨は言葉を失った。

 

 

日番谷から聞いていた。

松本からも同じく。

 

覚悟もしていた。

 

だが、想像していたものとは違った。

 

これは信仰だった。

盲信だった。

傷付いた心が、現実を拒絶したまま止まっている。

 

そんな状態だった。

 

「お願いです……」

 

雛森の声が掠れる。

 

「お願いだから……」

「副隊長」

 

馨はゆっくり呼ぶ。

しかし雛森は首を振る。

 

「藍染隊長は優しかったんです……」

 

涙が零れる。

 

「誰よりも……隊士のことを考えて……ッ五番隊のことを考えて……」

「…………」

「だから…っ…」

 

その声が震える。

 

「そんなことするはずないんです……!」

 

馨は何も言えなかった。

言葉が見つからない。

 

正論なら言える。

事実も言える。

藍染惣右介が黒幕だったと。

裏切ったのだと。

全て証明されていると。

 

だが、今それを言えば。

 

 

「((……この子は完全に壊れてしまう。))」

 

 

だから馨は、ただ静かに雛森を見つめた。

 

そして理解する。

これは五番隊の問題ではない。

 

隊務の問題でもない。

信頼の問題でもない。

まず最初に向き合わなければならないのは。

 

""この少女の心だった""

 

「藍染隊長は――」

 

震える声。

涙。

縋るような瞳。

 

馨は静かに雛森を見つめていた。

 

胸が痛む。

この少女は壊れている。

だがそれは弱いからではない。

 

誰よりも信じていたからだ。

信じた相手に裏切られた。

 

その現実を心が受け入れられないだけだ。

 

「((……私と……似ている。))」

 

過去、状況は違えど

馨も同じように苦しんだ。

 

信じていたものに裏切られる感覚。

救われない心。堕ちる気分。

 

だが、自分は完全に壊れなかった。

壊れる前に、救われたからだ。

 

「…雛森副隊長」

 

馨は静かに呼ぶ。

しかし雛森は聞こえていない。

 

「だから!藍染隊長は――」

 

その瞬間だった。

馨の指先が僅かに動く。

 

「縛道の一――」

 

極めて小さな声。

呼吸のような詠唱。

 

次の瞬間。

 

「ぁ……あ……ッ……」

 

雛森の身体から力が抜けた。

 

瞳から光が消える。

崩れ落ちる身体。

 

だが。

床に落ちることはなかった。

 

「ッ……と」

 

馨がすぐに抱き止めたからだ。

 

「……少し、おやすみなさい」

 

優しく呟く。

 

傷一つ負わせていない。

苦痛も与えていない。

ただ眠らせただけだ。

 

雛森は安心したような顔で意識を失っていた。

 

その顔を見て。

馨は僅かに眉を寄せる。

 

苦しかった。

想像以上だった。

 

日番谷達の話は聞いていた。

だが、ここまで深刻とは思わなかった。

 

静かに息を吐く。

そして雛森を抱き上げる。

 

軽かった。

思っていたよりずっと。

まともに食事も取れていないのかもしれない。

 

そう思うと胸が痛む。

 

馨は執務室の障子を開け、外へ出る。

近くにいた隊士達が慌てて立ち上がる。

 

「た、隊長?」

「副隊長!?」

 

馨は落ち着いた声で告げた。

 

「広間に布団を一組」

 

隊士達が固まる。

 

「あと念のため、四番隊の隊士を呼んでください」

「え……?」

「今すぐに」

 

声は穏やかだった。

だが有無を言わせない。

 

隊士達は慌てて動き出した。

 

「は、はい!」

「ただちに!」

 

駆け出していく背中を見送りながら。

 

「…………」

 

馨は再び腕の中を見る。

 

雛森桃。

五番隊副隊長。

 

藍染惣右介を誰よりも慕っていた少女。

 

「((まだ幼い……そんな娘を――))」

 

眠る顔は年相応だった。

 

まだ若い。

本来ならば、こんな表情をする年齢ではない。

 

「ッ……」

 

馨は静かに目を伏せる。

 

そして理解した。

これはかなり大変だ。

 

五番隊は壊れている。

隊士達の信頼。

隊の士気。

藍染が残した傷。

 

そのどれもが深刻だ。

 

だが、それ以上に。

この少女の心は危うかった。

 

今は眠っている。

だが目覚めればまた藍染の名を呼ぶだろう。

 

何度でも……何度でも。

現実を拒絶し続けるだろう。

 

簡単には治らない。

 

数日でも。

数ヶ月でもない。

 

もっと長い時間が必要になるかもしれない。

 

馨は雛森を見つめる。

そして小さく呟いた。

 

「……なるほど」

 

苦笑が漏れる。

 

「随分と、難しい隊を任されましたね」

 

誰に向けた言葉でもない。

だが不思議と嫌ではなかった。

逃げようとも思わなかった。

 

五十年前。

 

自分もまた壊れかけていた。

だから分かる。

――"助けを求められない人間ほど、本当は誰かの手を必要としていることを"

 

馨は雛森を抱き直す。

そして広間へ向かって歩き出した。

 

まずは、この少女からだ。

 

五番隊を立て直すのはその後でいい。

 

そう静かに決意しながら。

 

 

┈┈┈┈

┈┈┈┈┈┈┈

 

 

 

┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。