BLEACH No name   作:鈴夢

21 / 21
WHEN THE SILENCE BEGINS TO FADE

┈┈┈┈┈┈

 

 

 

 

誰かを救うために

 

歩き続けていた

 

気づけば私は

 

たくさんの手に

 

救われていた

 

 

 

┈┈┈┈┈┈

 

 

 

 

WHEN THE SILENCE BEGINS TO FADE

 

 

 

 

┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈

 

 

 

 

 

 

五番隊へ着任してからの日々は、目が回るような忙しさだった。

 

朝は誰よりも早く隊舎へ入る。

そして誰よりも遅く帰る。

まず始めたのは隊士達の把握だった。

 

名前。

顔。

性格。

得意不得意。

経歴。

家族構成。

 

些細なことまで目を通した。

隊長として、まず部下を知る必要があると思ったからだ。

 

席官達に関してはさらに徹底した。

 

訓練場へ足を運び、実際に刀を交える。

鬼道を見せてもらう。

任務記録も確認する。

 

強さだけではない。

誰が仲間から信頼されているのか。

誰が何に悩んでいるのか。

誰が無理をしているのか。

それも見ていった。

 

そして、執務室へ戻れば書類が待っている。

 

山積みの書類。

決裁待ち。

任務報告。

補修申請。

予算管理。

人事。

 

藍染不在の期間に滞っていたものも多かった。

 

馨は一つずつ処理した。

 

「((大丈夫。確実にひとつずつ。…私自身も潰れないように――))」

 

焦らない。

投げ出さない。

確実に。

一枚ずつ。

 

そして任務。

隊長権限で後方から確認するだけでも良かった。

 

だが馨は違った。

可能な限り同行した。

 

現場を見るため。

隊士達を見るため。

そして何より。

五番隊の隊長として認めてもらうためだった。

 

 

 

「雛森副隊長、この任務の――」

 

そこまで言って、馨はふっと言葉を止めた。

一瞬だけ考え、穏やかに言い直す。

 

「――"雛森さん。"この書類、六番隊へ届けてもらってもいい?」

 

机へ向かっていた雛森は僅かに肩を震わせる。

 

「……はい。」

 

返事だけ。

視線は上がらない。

書類を受け取り、そのまま部屋を出ていく。

 

閉まる襖。

静寂。

 

「((やっぱり。))」

 

馨は苦笑した。

 

副隊長。

その呼び方は役職でしかない。

 

けれど"雛森さん"と呼んだからといって距離が縮まるほど、彼女の心は簡単ではない。

 

長い年月。聞く話によると霊術院の時から。

藍染惣右介という存在だけを信じ続けてきた少女。

 

その心が数日で癒えるはずがなかった。

 

分かっている。

だから焦らない。

 

「((――海燕さん。あなたなら……どうする?))」

 

彼なら、隊をまとめあげるため、どのように行動しただろう、してきただろうか?

 

かこ、自分が海燕に心を開かなかった時。そのパターンと今は状況が酷似している。

 

思い出せ、

彼ならどうしてきた?

 

 

┈┈┈

┈┈┈

 

 

昼過ぎ。

廊下を歩いていると、若い隊士たちが慌てて道を空けた。

 

「た、隊長!」

「失礼しました!」

 

馨は立ち止まり、小さく笑う。

 

「そんなに急がなくて大丈夫。」

 

隊士たちは戸惑ったように顔を見合わせる。

無類井馨という未知の存在。

対して、藍染惣右介は優しかった。

 

優しすぎた。

 

だからこそ皆、今は"隊長"という存在との距離が分からなくなっている。

 

「最近、食堂のご飯はどう?」

 

突然の問い。

 

「え?」

「美味しい?」

「は……はい。」

「そう。なら安心。」

 

それだけ言って歩き出す。

隊士たちはぽかんとしたまま、その背中を見送った。

 

┈┈

 

その日の午後。

 

「無類井隊長。」

 

七番隊から届け物。

 

「これ、ありがとうございます。」

「こちらこそ。」

 

「十一番隊から伝言です!合同訓練、いつでも歓迎だそうで!」

「分かったわ。」

 

「三番隊から追加資料です!」

「ありがとう。」

 

少しずつ――少しずつ。

五番隊へ人が訪れるようになっていく。

 

隊士たちも自然と他隊と会話を交わすようになった。

 

隊舎には、以前にはなかった笑い声が僅かに戻り始めていた。

 

┈┈

 

「……」

 

その光景を雛森は廊下から見ていた。

 

誰とでも分け隔てなく接する隊長。

忙しいはずなのに、誰かが困っていれば必ず立ち止まる。

 

昼食を抜いて書類を書き続け、

任務があれば先頭に立ち、

夜になれば隊士たちの訓練を見に行く。

 

誰より働いている。

 

それなのに。

疲れた顔を一度も見せない。

 

「……どうして。」

 

思わず零れた言葉。

その声に気づく者はいない。

 

いや、一人だけいた。

 

少し離れた廊下の向こう。

馨は振り返ることなく、小さく微笑んでいた。

 

「((まだ届かなくていい。あなたは、まだ立ち止まっていい。……その代わり――))」

 

「((あなたが歩き出せる場所だけは、私が必ず守る。))」

 

 

だから先に変える。

雛森だけではない。

五番隊そのものを。

 

彼女がもう一度、安心して笑える場所へと。

 

だから、気付けば。

2ヶ月近く休みらしい休みは無かった。

 

 

┈┈┈┈

 

 

 

――今日も今日とて、馨の奮闘は続く。

 

山積みの書類。

隊士の訓練。

雛森の経過確認。

隊舎の修繕計画。

他隊との引き継ぎ。

 

ようやく落ち着きを取り戻し始めた五番隊を、再び崩さないために。

 

その日も執務室には静かな筆の音だけが響いていた。

 

「……邪魔するぞ」

 

聞き慣れた少年の声に、馨は顔を上げる。

 

「日番谷隊長?」

 

入口には腕を組んだ十番隊隊長、日番谷冬獅郎が立っていた。

 

「お疲れ様です。何か御用でしょうか?」

「差し入れだ」

 

そう言って、小さな包みを机へ放り投げる。

慌てて受け止めた馨は、不思議そうに首を傾げた。

 

「……え?」

「要らねぇなら持って帰る」

「いただきます!」

 

食い気味に答える馨に、日番谷は呆れたようにため息をついた。

 

包みを開く。

中に入っていたのは、照りの美しいみたらし団子だった。

 

思わず目を丸くする。

 

「……なんで、私の好物を?」

「……」

「……?」

「……京楽に聞いた。」

 

ぽつり、と短く答える。

 

「お前、二ヶ月近く休んでねぇって。」

 

その言葉に、馨の動きが止まる。

 

「京楽が『あの子は甘いもん与えとけば少しは笑う』って。」

 

思わず馨は吹き出した。

 

「……ふふっ。」

「笑う余裕あるなら休め。」

「まだ仕事がありますので。」

「その返事も京楽の予想通りだった。」

 

また一つ、小さくため息をつく日番谷。

 

「だからせめて、食え。」

 

その一言はぶっきらぼうだった。

けれど、その不器用な優しさは十分すぎるほど伝わってくる。

 

馨は一本のみたらし団子を手に取り、小さく微笑んだ。

 

「……ありがとうございます。」

 

ひと口。

甘じょっぱい餡の味が、疲れた身体へじんわりと染み渡る。

 

「……美味しい。」

「そうか。」

 

それだけ返すと、日番谷は踵を返した。

 

「……無類井」

「はい?」

 

背を向けたまま、日番谷は語った。

 

「雛森を……あいつと向き合ってくれて…礼を言いたい。」

「……」

「ありがとう」

 

表情は見えない。だが声色でわかる。

本当に、雛森のことを大切に思っているのだと。

 

「日番谷隊長。」

「……なんだ。」

「こちらこそ、ありがとうございました。」

 

振り返ることなく片手だけを軽く上げる。

 

「礼なら京楽にも言っとけ。」

 

執務室の扉が静かに閉まる。

馨は手元のみたらし団子を見つめながら、小さく笑った。

 

「……日番谷隊長らしい。京楽隊長も。」

 

誰にも気付かれないように差し伸べられる優しさ。

それは昔と何一つ変わっていなかった。

 

 

┈┈┈┈

 

 

 

別の日。

五番隊で処理しきれない特殊薬品について確認するため、馨は十二番隊隊舎を訪れていた。

 

「失礼します。無類井馨です。」

 

返事はない。

妙に静かな隊舎に首を傾げながら、一歩踏み込んだ――その瞬間だった。

 

「"失礼します"」

 

背後から静かな声。

 

「……え?」

 

次の瞬間、両腕を後ろへ回され、鮮やかな手際で拘束される。

 

「えっ!?」

 

気付けば阿近ではなく、涅ネムが無表情のまま馨を押さえ込んでいた。

 

「ね、ネムさん?」

「暴れないでください。」

「暴れませんけど……」

「抵抗した場合、それなりの対応を行います。」

「その"それなり"が怖いんですけど?」

 

馨が慌てて振り返ろうとした、その時。

 

「"待っていたヨォォォォ!!"」

 

勢いよく奥の扉が開く。

白衣を翻しながら現れたのは、十二番隊隊長、涅マユリだった。

 

「無類井馨!!」

「えっ、何ですかその歓迎の仕方」

「君を調べたくて仕方なかったんだヨ!!」

「……嫌な予感しかしません」

 

マユリの目が妖しく輝く。

 

「君の斬魄刀!君の霊圧!共鳴能力!虚化!興味深い要素が多すぎる!!」

「全部調べる気ですか?」

「もちろんダ。」

「もちろんじゃないです」

 

マユリは興奮した様子で机の上に並ぶ器具を指差した。

 

「まず霊子分解。次に霊圧の採取。血液。髪。角膜。できれば脳も見てみたいネ。」

「最後がおかしいですよね?」

「問題ない。死なない程度にやる。」

「十分問題あります」

 

馨は必死に腕を引こうとする。

 

「ネムさん、離していただけませんか?」

「申し訳ありません。」

 

そう言いながら、拘束は一切緩まない。

 

「マユリ様の研究を妨げることはできません。」

「お願いです。一回だけでいいので見逃してください。」

「できません。」

「即答?」

 

マユリは眼前まで顔を近づける。

 

「さぁ始めようか。……まずは角膜」

「待ってください!私は薬品のことを聞きに来ただけなんです!」

「ん?薬品?」

「はい」

「……ほう。」

 

その一言で、マユリの動きがぴたりと止まる。

 

「最初からそう言いたまえヨ。」

「最初から言おうとしてました!」

「ネム。」

「はい、マユリ様。」

 

拘束がするりと解かれる。

解放された馨は、二、三歩後退した。

 

「……危なかった。」

「何がだネ?」

「全部です」

 

その日。

十二番隊隊舎の前を通った隊士たちは皆、

 

『また隊長が何か始めたな……』

とだけ呟き、誰一人として中へ入ろうとはしなかった。

 

 

┈┈┈

 

 

夕暮れ。

 

珍しく五番隊の仕事を早めに切り上げた馨は、乱菊に半ば強引に連れ出されていた。

 

「今日は絶対付き合ってもらうから!」

「え、えぇ?」

「隊長命令じゃないわよ?」

「じゃあ何ですか?」

「ふふっ!"友達命令!"」

 

その一言に、馨は思わず笑ってしまう。

向かった先には、すでに一人の女性が座っていた。

 

「お待ちしていました。」

「七緒さん!」

 

八番隊副隊長、伊勢七緒は柔らかく微笑み、二人を迎え入れる。

 

「今日は非番でしたので。」

「七緒も誘っちゃった!」

「ふふ、ありがとうございます。」

 

三人は席に着き、それぞれ飲み物が運ばれてくる。

 

しばらく他愛もない話をしたあと、乱菊が頬杖をついた。

 

「……で、最近どう?」

「え?」

「疲れてない?」

 

その問いに、馨は一瞬だけ言葉を失う。

 

「五番隊、まだ大変でしょ?うちの隊長も心配してる。」

「……まあ、それなりには。」

「それなり、じゃないでしょう?」

 

乱菊は見透かしたように笑う。

 

「ずっと休んでないって聞いたわよ。」

「…………」

「そんな顔するってことは本当ね。」

 

馨は困ったように笑うしかなかった。

すると七緒が静かに口を開く。

 

「無類井隊長。」

「はい。」

「あまり、ご無理はなさらないでください。」

 

眼鏡の奥の瞳は、とても穏やかだった。

 

「隊長は、ご自身が倒れてしまうことには驚くほど無頓着な方が多いですから。」

「耳が痛い……」

 

「無類井隊長って、強いけど意外と抜けてそうなのよね〜」

「そう?」

 

三人が笑う。

そして、乱菊は盃を持ち上げた。

 

「そういう時はね!」

 

にっと笑う。

 

「パーッと飲むの!」

「……"乱菊"さんらしい。」

 

気付けば自然に名前を呼んでいた。

乱菊もそれに気付く。

 

一瞬だけ目を丸くし、すぐに嬉しそうに笑った。

 

「そうそう、それそれ。」

「え?」

「敬語じゃなくていいのよ。」

 

馨は少し照れ臭そうに笑う。

 

「……でも。」

「でもじゃない!」

 

乱菊は肩を軽く叩いた。

 

「もう、過去は関係ないでしょ?」

「……」

「無類井隊長。私も七緒も、もちろん他の隊士達も、あなたのことを"理解したい"って思ってるのよ。」

「……」

 

あの時の警戒は無くなっていた。

"大罪人"――そもそもその言葉自体おおまちがいだったのだが、それでも距離を置くものは多かった。

 

しかし、ここ数ヶ月。

無類井馨という死神の存在を、皆が認め始めていた。

 

「……"ありがとう"」

 

馨は盃に手を伸ばし、優しく笑った、

対して乱菊も満足そうに笑い、盃を高く掲げる。

 

「じゃ!飲むわよ!!!」

 

 

「「乾杯!」」

 

杯が小さく鳴る。

 

他愛ない話で笑い合い、ときには仕事の愚痴をこぼし、ときには恋愛話にまで脱線する。

 

そんな、なんでもない時間。

 

五十年という長い空白を埋めるには、ほんの少し足りないのかもしれない。

 

それでも。

笑い合える仲間が、今ここにいる。

その事実だけで、馨の胸は不思議なほど温かく満たされていた。

 

 

┈┈┈┈

 

┈┈┈┈

 

 

┈┈┈┈

 

 

 

――とある日、

午後の穏やかな陽射しが、五番隊隊舎へ差し込んでいた。

 

隊務を終えた馨が一息つこうとしたその時、執務室の襖が静かに叩かれる。

 

「――どうぞ。」

 

ゆっくりと開いた襖の向こうに立っていたのは、小柄な黒髪の死神だった。

 

「……!」

 

馨は大きく目を見開いた。

 

「……"姉さ"……」

 

思わず零れたその呼び方を、ルキアは静かに遮る。

 

「…"無類井隊長"」

 

その声音には、どこか決意が滲んでいた。

馨は柔らかく微笑む。

 

会うのは久しぶりの事だった。

ルキアは長らく療養していた上に、自分は隊務に明け暮れる日々。

時たま十三番隊に顔は出したもののタイミングが合わず。逆も然り、ルキアが訪れた時には自分が席を外していたりと。

 

すれ違いの中で、ようやく再会したふたり。

 

「もう身体は平気?」

 

その一言だけだった。

謝罪でも、昔話でもない。

 

ただ身体を案じる言葉。

ルキアは小さく頷く。

 

「はい……おかげさまで。」

「良かった。」

 

その優しい笑顔を見た瞬間だった。

ルキアは胸の奥に押し込めていた感情が、一気に溢れ出す。

 

 

「っ……!」

 

唇を強く噛み締める。

堪えようとしても、震えは止まらなかった。

 

「……ねえ、ルキア。」

 

優しい声がする。

 

「本当に、もう大丈夫?」

 

その問い掛けに耐えきれず、ルキアは視線を落とした。

 

ぽたり、と一滴。

畳へ涙が落ちる。

 

「……申し訳、ございませんでした。」

 

深く。

深く頭を下げる。

 

「私が……もっと早く真実に気付いていれば……。」

「……」

「私が、もっと姉様を信じていれば……。」

「……ルキア」

「あなたは!!五十年もの間、一人で……ッ」

 

声が震える。

 

「本当に……申し訳ございませんでした……!」

 

静かな執務室に、ルキアの嗚咽だけが響いた。

 

馨はゆっくりと立ち上がる。

頭を下げたままのルキアの前まで歩み寄ると、その肩へそっと手を添えた。

 

「顔を上げて。」

 

ルキアは首を振る。

上げられない。

合わせる顔がない。

 

「…………っ……」

 

そんなルキアを、馨は優しく抱き寄せた。

 

「……え。」

 

突然の温もりに、ルキアは息を呑む。

 

「もう、いいの。」

 

耳元で聞こえる穏やかな声。

 

「誰も悪くない。」

「でも……!」

「来てくれて、ありがとう。」

 

その一言に、ルキアの瞳から新たな涙が溢れる。

 

「謝りに来てくれたことも。」元気な顔を見せてくれたことも。」

「っ……」

「私は、それだけで十分だから。」

 

馨は静かに微笑んだ。

その笑顔は昔と変わらない。

優しく、誰よりも温かい笑顔。

 

けれど。

抱き締めた身体は、あまりにも細かった。

 

「((……姉様……?))」

 

肩も。

背中も。

 

以前よりずっと痩せている。

着物越しにも分かるほど、馨の身体は疲れ切っていた。

 

五番隊の再建。

休むことなく続く隊務。

その話は、六番隊にも届いている。

 

ルキアはそっと馨から身体を離し、その姿を真っ直ぐ見つめた。

 

「……姉様。」

 

今度は迷いなく、その呼び名を口にする。

 

「五番隊のことは、兄様からも聞いております。まだ多くの問題を抱えていると。」

 

馨は少し困ったように笑う。

 

「そんなに大したことじゃないよ。」

「大したことです。」

 

ルキアは静かに言い切った。

 

「姉様は昔から、ご自身のことを後回しになさいます。……だからこそ。」

 

一歩、前へ出る。

 

「何か私にできることがございましたら、どうか何なりとお申し付けください。」

「……」

「隊のことでも。任務でも。私自身のことでも。」

「……ルキア…」

「"今度は……私が姉様を支えたいのです"」

 

その真っ直ぐな瞳を見つめ、馨は少しだけ目を丸くした。

 

そして、ふっと柔らかく笑う。

 

「ありがとう、ルキア。」

 

その笑顔を見たルキアは思う。

この人は今も昔も、誰かを安心させるために笑う人なのだ、と。

 

だからこそ。

今度は自分たちが、その笑顔を守っていかなければならない。

 

そう、心から誓った。

 

 

┈┈┈┈┈

 

 

 

隊舎の灯は、とっくに落ちていた。

 

夜風が障子を微かに鳴らす。

静まり返った五番隊隊舎の隊長室だけが、まだ灯火を残していた。

 

机の上には積み上げられた書類。

各隊との合同任務報告。

予算申請。

雛森の執務分を少しでも減らそうと、馨が引き受けた書類も少なくない。

 

筆を置く。

 

「……ふぅ。」

 

肩を回すと、骨が小さく鳴った。

窓に映る自分の姿は、少し痩せた気がする。

 

隊長になって、およそ二ヶ月。

隊士たちはよく笑うようになった。

 

""無類井隊長!""

 

そんな声も、日に日に増えてきた。

各隊との連携も今まで以上に行っている。

 

十番隊とはこの前合同任務があった。

十一番隊からは"今度手合わせしてください!"と声を掛けられる。

 

護廷十三隊の中でも、少しずつ居場所ができ始めていた。

 

――それなのに。

 

「((なかなか縮まらない"副隊長"との距離ね。))」

 

ぽつりと胸中で零す。

彼女だけは、まだ遠かった。

 

敬意はある。

信頼も、少しずつ芽生えている。

けれど、心だけは閉ざされたまま。

 

笑うこともある。

会話もする。

だが、その笑顔はどこか借り物のようで、藍染惣右介という存在が、今も彼女の心の中で生き続けているのだと痛感する。

 

「……難しいな。」

 

その時だった。

机の端に置かれていた、小さな通信器が淡い光を放った。

 

──ピピッ。

 

「?」

 

これは浦原喜助が渡してくれた、現世との特殊通信器。

 

「((こんな時間に……))」

 

受話器を耳へ当てる。

 

「はい。」

『お!出た。』

 

聞き慣れた声だった。

思わず目を丸くする。

 

「………一護?」

『なんだよその反応。俺じゃ悪い?』

 

思わず、小さく笑ってしまう。

 

「ふふ……ううん。驚いただけ。」

 

二ヶ月ぶりだった。

声を聞くだけなのに。

胸の奥が、不思議なくらい軽くなる。

 

『"元気か?"』

 

その一言が。

たったそれだけの言葉が。

ずっと張り詰めていた何かを、優しくほどいていく。

 

「……うん。」

『その間は信用できねぇな。』

「え?」

『今、絶対元気じゃねえ顔してんだろ。』

「見えてるの?」

『見えねぇ。でも分かる。』

 

馨は思わず吹き出した。

 

「なによ、それ。」

『お前、無理する時だけ返事が短くなるから。』

「……。」

 

図星だった。

 

「あー……やっぱりあなたって嫌ね。」

『なんでだよ。』

「鋭すぎる。」

『褒め言葉ってことでいいか。』

「違います。」

 

くすくすと笑う。

久しぶりだった。

こんな風に、何も考えず笑えたのは。

 

『そっちはどうなんだ?隊長生活。』

「忙しい。」

『だろうな。』

「休みも、まだ一日も取ってない。」

『…え、…はぁ!?』

 

電話越しに、本気で呆れる声。

 

『お前、アホか!』

「阿呆とは失礼ね。」

『いやアホだろ!二ヶ月だぞ?』

「仕事があるもの。」

『仕事なんか逃げねぇよ。』

「でも隊長が逃げたら困るでしょう?」

『だからって倒れたらもっと困んだろ。』

 

その声音は、叱っているようで。

どこか心配そうだった。

その優しさが、少しくすぐったい。

 

「……ありがとう。」

「……おう。」

 

少しだけ沈黙が流れる。

 

「「…………」」

 

その沈黙すら、不思議と心地良い。

やがて馨は、机に肘をつきながら、小さく呟いた。

 

「ねえ、一護。」

『ん?』

「あなたなら……。」

 

少し迷う。

こんな相談をしていいものか。

 

でも。

今なら。

 

「誰かと距離を縮めたい時……どうする?」

『…………』

 

沈黙。

そして。

 

『ぶっ…!!』

 

吹き出す声。

 

「ちょ、ちょっと。」

『ははははっ!』

 

珍しく、一護が腹を抱えて笑っている。

 

「そんなに可笑しい?」

『いや、悪りい。』

 

笑いを堪えながら。

 

『そんなことで、お前が悩んでんの珍しいって』

 

馨は頬を膨らませた。

 

「悪い?」

『いや……なんつーか。』

 

一護は笑いながら続ける。

 

『もっと難しいこと考えてると思ってた。』

「私にとっては難しいの。」

『隊長なのにな。』

「隊長だからよ。」

 

ぽつり、と。

 

「隊長だから、焦らせちゃいけない。隊長だから、押し付けちゃいけない。隊長だから……待たなきゃいけない。」

 

雛森の顔が浮かぶ。

あの日、壊れてしまった少女。

 

「でもね。」

 

馨は小さく笑った。

 

「待ってるだけじゃ駄目なんじゃないかって……最近思うの。」

 

電話の向こうで、一護は静かに聞いていた。

 

やがて。

 

『俺さ。』

「うん。」

『そんな難しいこと考えたことねぇ。』

「……。」

『話したい奴とは話す。会いたい奴には会いに行く。心配なら声かける。』

「……っ」

『それで嫌われたら、その時また考える。』

 

馨は目を瞬かせる。

なんて単純で。

なんて真っ直ぐなんだろう。

 

『結局さ。』

 

一護は少し照れ臭そうに笑った。

 

『何回でも話しかけるしかねぇんじゃねぇの?』

「……」

『ほら……あの人。……"海燕さん"も、そんな感じだったんだろ?』

 

その瞬間だった。

時間が止まる。

 

「……」

 

海燕。

 

"人との距離なんざ、縮めようとするもんじゃねぇ"

 

"気付いたら縮まってるもんだ"

 

"だから毎日話せ、毎日笑え"

 

"それだけで十分だ"

 

全く同じではない。

けれど。どこか、同じ温度だった。

 

馨は思わず目元を押さえる。

 

「……ほんと。」

『ん?』

「似てる。」

 

一護は何も聞かなかった。

ただ。

 

『そっか。』

 

それだけだった。

その一言が、嬉しかった。

 

「ありがとう。」

『礼言われるほどでもねぇよ。』

 

また笑い合う。

窓の外では、夜風が木々を揺らしている。

 

しばらく他愛ない話を続けた。

 

現世では織姫が相変わらず変な料理を作ること。

 

恋次が尸魂界へ戻るたびに白哉へ怒鳴られていること。

 

チャドは相変わらず強いこと。

 

石田は相変わらず面倒くさいこと。

 

笑いが絶えなかった。

 

そして。

ふと、一護が静かに言った。

 

『なあ。』

「うん?」

『そろそろ現世に顔出せよ。』

 

その声は、いつもより少しだけ優しかった。

 

『みんな会いたがってる。浦原さんも。夜一さんも。』

 

少しだけ間を空けて。

 

『……"俺も"』

 

馨の鼓動が、小さく跳ねた。

思わず視線を逸らす。

 

「……そう。」

『ああ。』

 

少し照れ隠しをするように。

馨は微笑む。

 

「なら。」

『?』

「あなたも、たまには尸魂界に来なさいよ。」

『は?』

「稽古、つけてあげる。」

『マジで?』

「大マジよ。約束。」

『ああ。』

 

短い返事。

それだけなのに、胸の奥が、ほんのり温かくなる。

 

 

『……馨』

「ん?」

 

そして改まる一護。

 

 

『"無理すんなよ"』

 

優しい声だった。

顔が見えない分、やけに声が脳内でぐるぐると巡っていた。

 

脳裏に浮かんでいるのは海燕ではなかった。

黒崎一護。あのオレンジ色の髪の毛が、柔らかく揺れていた。

 

「ありがとう、一護。」

 

 

通話が終わる頃には、隊長室の空気はすっかり変わっていた。

 

通信器をそっと机へ置く。

 

「……」

 

窓を開ける。

夜風が頬を撫でた。

 

「……ふう…」

 

自然と笑みがこぼれる。

 

「……明日も。」

 

立ち止まっていられない。

悩んでも進むんだ。自分が信じてきた道を。

 

また一歩。

また少しだけ。

距離は、急いで縮めるものじゃない。

 

でも。

歩み寄ることだけは、やめなくていい。

そう教えてくれたのは。

 

 

『""馨!""』

 

 

 

 

遠く現世にいる、あの少年だった。

 

 

 

 

┈┈┈┈┈┈

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
一言
0文字 一言(任意:500文字まで)
※評価値0,10は一言の入力が必須です。参考:評価数の上限
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。