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君を救えるのは
私だけだ――
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―illusion―
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尸魂界。
昼下がりの五番隊隊舎。
開け放たれた障子から春風が入り込み、机の上の書類をぱらぱらと揺らしていた。
その中心で。
「……はぁ〜〜〜?」
間延びした声を上げた男。
五番隊隊長――平子真子
平子は胡散臭そうに書類を見下ろす。
「なんやこれ…ほんまか?」
"なあ?惣右介?"と平子は真向かいに座る男に思わず声をかけた。
五番隊副隊長――藍染惣右介は、慣れた様子で書類整理を続けていた。
「どうかされましたか?」
「いや、"どうかされましたか?"ちゃうねんて。」
平子は紙をひらひら振る。
藍染はその紙に手を伸ばし、受け取ると書類に目を通した。
「十三番隊の新人隊士や。聞いたか?」
藍染は顔を上げる。
「……いえ」
その反応に、平子はニヤッと笑った。
「なんや珍しな。お前こういう噂、だいたい先に知っとるやろ」
「噂話に興味がないだけですよ。」
「絶対ウソや」
即答だった。
藍染は小さく苦笑する。
平子は椅子を軋ませながら背もたれに体重を預け、書類に視線を落とす藍染に向けて言葉を続けた。
「で、その新人なんやけどな。副隊長の席、蹴ったらしいで」
平子の言葉に驚きを隠せない藍染。
それもそのはず。そんな話は聞いたこともなければ現実に発生したこともない。
普通、喜んでその席を選ぶものが多いのだから。
「……副隊長を?」
「せや」
平子は呆れたように肩を竦める。
「しかも三席も断っとる」
そこでさすがに、藍染の手が止まった。
「三席も?」
「そーそー」
平子は面白がるように続ける。
「んで結局、"四席でええです"って言ったらしいわ。意味わからんやろ?」
「普通なら考えられませんね」
「せやろ?……出世欲ないんか、ただの変人なんか……」
平子はそこで声を潜める。
「……どうやら、その三席となんかあるっぽいでー?」
藍染は静かに視線を向けた。
「三席というと……」
「"志波海燕"」
その名前に、部屋の空気がほんの少し変わる。
平子はニヤニヤしながら机を小突いた。
「志波家の坊ちゃんやて。貴族相手にその席譲ったんか……もしくは2人にしか分からん"何か"があるんか。」
「……志波海燕」
「なんや、お前知っとる?」
「彼は有名ですからね。ある程度は知っていますよ。」
"やっぱり知っとるんやないかい"と突っ込む平子。そして藍染から書類を取り返すと、ひらひらと揺らしながら目を通し始める。
「いや〜、にしてもなぁ?」
平子はわざとらしく身を乗り出した。
「霊術院でも相当やったらしいで、その娘」
「へえ。そうなんですね。」
藍染は興味が無い様子で傍らに置かれた湯呑みに手を伸ばす。すっかりと冷えきった緑茶をごくりと飲み干した。
その様子を前に、平子はさらに身を乗り出し、藍染に囁くように呟いた。
「"超綺麗な子"って評判や」
藍染は無言で湯呑みを置いた。
「鬼道も隊長格レベル、鬼道衆並みに扱えるとかなんとか。しかも白打も強い、斬術も強い、挙句飛び級や」
「……随分と盛られていますね?」
「いや、俺も最初そう思ったんやけど」
平子は別の書類を藍染へ放る。
「これ、もいっこの資料や」
藍染は受け取った紙へ目を落とす。
その瞬間だった。
視界の端に映った名前。
――無類井 馨。
出身やその他備考欄、
斬魄刀の情報などが載っている書類。
しかしほとんどが空白。謎多き人物なのは間違いない。
「……」
藍染の瞳が、ほんの僅かに細くなる。
けれど次の瞬間には、いつもの穏やかな笑みに戻っていた。
「……なるほど」
「なんやその反応」
「いえ?」
「絶対興味出たやろ今」
「気のせいですよ」
「いやお前、ちょっと今楽しそうやったで?」
「平子隊長」
藍染は困ったように笑う。
そして書類を机に置き、柔らかく口を開いた。
「私はいつも楽しいですよ」
曇りが一切ない笑顔。
それを目の前に平子は目を細める。
「うわ、怖っ」
げんなりした顔で椅子を回し、表情を動かさない好青年を前にわざとらしく"オエッ"と口を開く。
「お前ほんま、たまに何考えとるかわからん時あるわ……」
藍染は答えない。
ただ静かに、資料の名前をもう一度なぞる。
無類井 馨。
その文字を見つめる藍染の目だけが。
ひどく静かに、熱を帯びていた。
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"人とは何か"
感情。
才能。
恐怖。
執着。
憧れ。
極限に追い詰められた時、
人は何を選ぶのか。
藍染はそれを知りたかった。
否。
"確かめたかった"
自分とは違うものを。
生まれた時から、
藍染は理解していた。
自分が周囲とは違うことを。
誰と話しても、
誰を見ても、
心が動かない。
周囲の感情が、
あまりにも浅く見えてしまう。
怒りも、
友情も、
愛情も。
まるで最初から答えの分かっている芝居を眺めているようだった。
だからこそ。
藍染は"特別"を探していた。
自分の予想を超える存在を。
実の所、彼女の名を初めて聞いたのは、かなり前のことだった。
""無類井馨""
真央霊術院に現れた、異端。
流魂街出身。
ただそれだけ。
記録も経歴もほとんど存在しない。
分かっているのは、
異様なまでに強いということだけ。
鬼道。
白打。
斬術。
どれを取っても常軌を逸していた。
だが奇妙なことに――
"斬魄刀の情報が一切ない"
始解すら確認されていない。
報告書にも、曖昧な記述しか残されていなかった。
まるで、意図的に何かを隠しているように。
その時点で、藍染の興味は深く根を張っていた。
不完全な情報。
見えない底。
そして何より――
彼女自身から感じる、言葉にできない違和感。
初めて資料越しに名を見た時、藍染は直感していた。
"この娘は"何か"を持っている"
そして
"自らの脅威に成りかねない"
静かな執着だった。
まだ会ってすらいない。
それでも藍染は、彼女の記録を何度も読み返していた。
まるで、暗闇の奥にある未知を覗き込むように。
理解したい。
知りたい。
その力の正体を。
その精神の構造を。
その孤独の理由を。
そしてもし――
自分の知らない領域に届く存在なのだとしたら。
藍染はそこで初めて、静かに目を細める。
「……期待しているんですよ」
誰に向けたわけでもない、
小さな独白。
だがその声音だけは、
僅かに熱を帯びていた。
「"君には"」
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夕暮れの演習場。
訓練を終えた隊士たちは既に去り、広い敷地には風の音だけが残っていた。
白砂の上で、馨は静かに斬魄刀を鞘へ収める。
「……」
その姿を、藍染惣右介は少し離れた場所から眺めていた。
「((……"無駄がない"。))」
美しいというより、
静かすぎる。
まるで最初から、戦うことを知っている人間の動き。
所作
瞳の動き
安定した霊圧
藍染はごくりと息を飲んだ。
そして木陰から足を踏み出す。
「相変わらず綺麗な太刀筋ですね」
藍染が声をかける。
馨は振り返り、
軽く頭を下げた。
「藍染副隊長!お疲れ様です。」
「ああ。お疲れ様。」
穏やかな空気。
最近はこうして二人で話すことも増えていた。
定例会の帰り、
任務の報告後、
あるいは何でもない夕暮れ。
藍染は彼女との時間を好んでいた。
否。
"気づけば、求めていた。"
「――そういえば馨君」
藍染は視線を、彼女の斬魄刀へ落とす。
「君の斬魄刀の名は?」
唐突な質問に対し、馨は一瞬だけ目を伏せる。
「私の斬魄刀……?」
そして困ったように、小さく笑った。
「……実は、私の刀に名前はないんです」
「ほう?」
「だから、"無名"と呼んでください」
静かな返答。
能力も、
始解も、
何も語られない。
そもそも馨にとって斬魄刀は飾りに近い。そんな例えも広まっていた。
彼女が始解をする必要は無い。なぜならば"強い"からだ。
白打、瞬歩、鬼道
斬魄刀の能力を使わずとも成立する。
――なんて、そんな噂や声が上がっていた。
それでも藍染は、その空白にこそ惹かれていた。
"未知"
理解できないもの。
彼女はまるで、底のない闇のようだった。
「((無名、か。))」
藍染はゆっくりと歩み寄る。
「君は不思議ですね」
「そうでしょうか」
「ええ」
藍染は微笑む。
「力を持つ者ほど、それを誇示したがるものです。でも君にはそれがない」
馨は少しだけ考えるように空を見る。
夕焼けが、静かに彼女の横顔を染めていた。
藍染はそこで、
ふと問いを落とした。
「馨君」
「はい?」
馨は視線を藍染へと移す。
「君にとって、"強さ"とは何ですか?」
風が吹く。
流れる沈黙。
普通なら、答えに困る問いだった。
だが馨は、迷わなかった。
考える素振りさえも見せず、真っ直ぐと即座に答えた。
「"失わないことです"」
藍染の目が、わずかに細くなる。
馨は静かな声で続けた。
「誰かを守りたいと思った時、最後まで隣に立っていられること」
紫の瞳がぶれることなく光る。
「怖くても、傷ついても、それでも手を離さないこと」
嘘偽りのない言葉。
「私は、それが強さだと思っています」
演習場が静まり返る。
藍染は何も言わない。
馨は気づかず続けた。
「私、力そのものにはあまり興味がないんです」
「……」
「結局、何を守れるかだと思うので」
まっすぐだった。
恐ろしいほどに。
打算も、虚飾もない。
その言葉は、藍染の理解を超えていた。
「((……なんだ、それは。))」
藍染は初めて、胸の奥がざわつくのを感じた。
理解できない。
自分にはない価値観。
なのに――
どうしようもなく、美しく見えた。
馨はふと藍染を見る。
「藍染副隊長は?」
「ん?」
「何を求めているんですか?」
その問いに、藍染は一瞬だけ沈黙する。
だがすぐに、いつもの微笑みを浮かべた。
「そうですね……私はただ、この世界の“真実”を知りたいだけですよ」
嘘だった。
いや、
半分だけ本当だった。
藍染自身、まだこの衝動の正体を理解できていない。
ただ分かるのは――
"目の前の少女を、もっと知りたいということ。"
理解したい。
壊してみたい。
誰にも渡したくない。
そんな矛盾した感情が、静かに胸の奥へ根を張っていく。
「……」
藍染はそこで初めて、彼女へ手を伸ばした。
頬へ触れようとする、自然な動作。
その瞬間。
「……ッ!?」
馨の背筋に、ぞくりと寒気が走る。
――違和感。
藍染の笑みの奥に、
一瞬だけ"何か"を見た気がした。
真っ黒で、底知れない深い何か。
人の良いあの笑顔からは想像できない闇の奥底。
「藍染…副――」
だが。
「馨ー!!!」
空気を裂くような大声。
「……」
「えっ……」
演習場の入口から、海燕が勢いよく現れたのだった。
豪快な声と笑顔。
張り詰めかけていた空気が、一気に崩れる。
「すみません藍染副隊長。……お前!探したぞ!浮竹隊長が呼んでる!」
「え、隊長が?」
「そう言ってんだろ?ほら、行くぞ!」
一気に空気が崩れる。
馨は小さく息を吐いた。
「すみません、藍染副隊長。」
藍染へ軽く頭を下げた。
「いや、こちらこそ。」
藍染はいつもの笑みへ戻っていた。
その姿に、馨はホッと胸を撫で下ろした。
「構わず、行ってあげてください。」
馨は海燕の元へ駆けていく。
再び軽く頭を下げると馨は海燕のへと向き直る。
その表情はムッとしており、対して海燕はいつも通り呑気にガハハと笑っていた。
「なんですか!あんな大声で!」
「聞こえねえかと思って!」
「聞こえてます!ハッキリと!……十三番隊三席、副隊長を目指すお方が他の隊の副隊長がいる場であんな雑な呼び方……」
「うるせえよ!小言はいいから早く行くぞ!」
騒がしく言い合いながら、二人は並んで歩き出す。
その途中。
「…………」
海燕が一瞬だけ、後ろを振り返った。
藍染を見るその目から、笑みが消えていた。
ほんの一瞬。
本能的な警戒。
藍染はそれに気づきながら、ただ穏やかに微笑み返す。
遠ざかっていく二人の背を見つめながら、藍染は静かに目を細めた。
「……志波海燕」
その声は、先ほどまでより少しだけ低かった。
「無類井馨」
その背を見つめながら、藍染は静かに目を伏せる。
胸の奥が、妙に熱かった。
まるで長い間、何も欲を感じなかった人間が、初めて"欲しい"と思ってしまったみたいに。
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夜――
瀞霊廷の一角。
隊士たちにも人気の定食屋は、夕刻になると賑やかな声で溢れ返る。
「いらっしゃい! 二名様ね!」
暖簾をくぐった瞬間、店主の威勢のいい声が飛ぶ。
馨はほんの少しだけ肩を竦めた。
「……なんでこんな人多い店なんですか」
「旨いから!」
即答だった。
海燕は迷いなく奥の席へ向かう。
その背中を見ながら、馨は小さくため息をついて後に続いた。
席に座るなり海燕は壁の札を見上げる。
「よし!今日は奮発して全部乗せ定食にすっかな!」
「そんな量食べられるんですか」
「なめんな。俺を誰だと思ってる!」
「志波海燕さんです」
「そうだ!」
なぜか誇らしげに胸を張る海燕に、馨は呆れたように笑うと視線を僅かに落とした。
「ほら!奢ってやるから好きなもん食えよ!……すみませーん!注文!」
店員が注文を取りに来る。
「ご注文は?」
「全部乗せ定食大盛り!」
「私は……」
馨は少しだけ迷ってから口を開く。
「温そばで。」
海燕が固まる。
「……は?」
「温そばです」
「いや待て待て待て、お前育ち盛りだろ!?」
「十分ですよ?」
「十分じゃねえ!!」
店内の何人かが思わず振り返る。
馨は静かに視線を逸らした。
「恥ずかしいので大声出さないでください!」
「だってお前、その辺の雀みてえな飯しか食わねえじゃん!」
「雀……」
「ほら!天ぷらくらい頼め!天ぷら盛り合わせ追加!」
「ちょっと……」
「卵焼き!」
「多…」
「お前の好きなみたらし団子!」
「なぜそんなに食べさせたいんですか」
海燕は当然みたいな顔をした。
「そりゃ、お前細すぎるから!縦に長いだけで他は何も…」
「余計なお世話です!ていうか失礼すぎます!」
「あと、ちゃんと食ってる奴の方が強そうでかっこいい!」
「意味わかりません」
馨が冷たく返しても、海燕は全く気にしない。
「ははっ!」
むしろ楽しそうだった。
その時、店員が料理を運んでくる。
海燕の前には山のような定食。
馨の前には湯気の立つ温そばに天ぷら、卵焼き。
そしてみたらし団子が載った皿まで。
「お待たせしましたー!」
「よっしゃ!きたきたーー!」
海燕は割り箸を勢いよく割る。
「いただきます!」
その食べっぷりは見ていて気持ちがいいほどだった。
「いただきます。」
馨は静かにそばを啜りながら、その様子を横目で見る。
「……そんな急いで食べたら喉詰まりますよ」
「んぐっ」
「ほら」
「げほっ、ごほっ……!」
図星だった。
馨は呆れながら水を差し出す。
「お水、ゆっくり飲んでください。」
海燕は受け取り、一気に飲み干した。
「……助かった」
「子供ですか」
「違う。これは勢いだ」
「同じです」
その返しに、海燕は一瞬ぽかんとして――。
「ぶはっ!」
突然吹き出した。
「お前、本当に容赦ねえよな!」
「事実を言っただけですよ?」
「真顔で刺してくんのやめろ!」
店内にまた笑い声が広がる。
馨は少しだけ困ったように目を伏せるが、口元は微かに緩んでいた。
海燕はそれを見逃さない。
「……お、また笑った」
「わ、笑ってません!」
「絶対笑った!」
「気のせいです!」
「くっそ〜!今日はちょっと距離縮まったと思ったのに!」
「最初から近すぎるんですよ、海燕さんは!」
「海燕でいいって!」
「嫌です。目上の方に無理です。」
「なんでだよ!てか嫌って言葉は余計だろ!」
騒がしい。
けれど、不思議と嫌ではない。
周囲から見ても、二人はすっかり息の合った相棒だった。
任務でも。
隊務でも。
海燕が勢いで突っ込めば、馨が後ろから静かに全体を整える。
馨が一人で抱え込めば、海燕が強引に引っ張り出す。
正反対なのに、不思議と噛み合っていた。
「……」
海燕は箸を止めると、ふと真面目な顔になる。
「……なあ、馨」
「はい?なんです?」
海燕は急に惑うような表情を見せた。
ほんの一瞬、やはり言うのをやめようか……なんて考えている様子。
しかしその表情は真剣なものに変化すると雰囲気がガラッと変わり口を開いた。
「……お前さ、最近…藍染副隊長とよく話してるよな」
馨の手が、ほんの少し止まった。
「はい?……まあそうですけど。」
「気ぃ付けろよ」
その一言に、馨は静かに顔を上げた。
海燕は冗談を言っている顔ではなかった。
店の喧騒の中、その空気だけが妙に静かになる。
「どういう意味ですか」
「いや……うまく言えねえんだけどな」
海燕は頭を掻く。
「俺、あの人苦手なんだよ」
「藍染副隊長が?」
「悪い人には見えねえよ。むしろ逆だ。頭も切れるし、隊士からの信頼も厚い。人当たりもいい」
「……なら」
「"だからだよ"」
海燕は低く言った。
「“出来すぎてる”」
馨は眉を寄せた。
その言葉に微かに苛立ちさえ感じる。
「……海燕さんらしくないですね。感情論ですか?」
「勘だ」
「勘で人を疑うんですか」
「死神は最後、勘で生き残ることもある」
馨は静かに箸を置いた。
「藍染副隊長は、誰よりも隊士達を気にかける優しい人です。」
その声は穏やかだった。
だが、どこか強く庇うようでもあった。
「私が十三番隊に入隊した時、違う隊なのに助けてくださったり。……異端だと言われ、色んな噂が飛び交う中でも私を理解しようと話をしてくれるんです。」
「理解、ねえ」
海燕は苦く笑う。
嘲笑うような相手の表情に馨は納得いかない様子だった。
「それがおかしいって言ってんだよ」
「何がですか」
「お前、自分で思ってるより危なっかしいんだよ」
馨の目が細くなる。
「……それは、私が弱いと言いたいんですか?」
「違ぇよ」
海燕は即座に否定した。
「お前は強い。たぶん俺よりずっとな」
その言葉に、馨は少し目を見開く。
海燕は真っ直ぐ彼女を見ていた。
「だから余計に危ねえんだよ」
「……」
「強いやつほど、自分を理解してくれる相手に依存する」
馨の表情がわずかに曇る。
海燕は視線を逸らし、酒を煽った。
「俺はさ、お前にはちゃんと笑っててほしいわけ」
「……急に何ですか」
「だから、あんまりあの人に近づきすぎんな」
その瞬間。
馨の声音が、すっと冷える。
「――海燕さんは、藍染副隊長を知らないでしょう」
馨の言葉に眉を顰める海燕。
まるで自分は藍染を分かっている、そんな口ぶりに、自分が知らないお互いの関係性を表しているようで腹立たしい。
「知らねえよ」
「なら、決めつけないでください」
空気が変わった。
海燕は黙る。
馨は視線を落としたまま続ける。
「藍染副隊長は、……あなたみたいに感情で動く人じゃありません」
「おい」
「冷静で、聡明で、人の本質を見ている人です」
その言葉に、海燕の眉がぴくりと動く。
馨は気づいていなかった。
自分が今、海燕ではなく藍染を"理解者"として語っていることに。
「……へえ」
海燕は小さく笑った。
だがその笑みは、どこか寂しげだった。
「そこまで言うんだな」
馨ははっとする。
言いすぎた、と気づいた時には遅かった。
店の喧騒だけが、妙に遠く聞こえる。
海燕は空になった盃を見つめながら、ぽつりと言った。
「——なら、俺の勘違いだといいけどな」
「ッ……」
彼がそう呟いた瞬間だった。
店内の灯りに照らされた海燕の横顔。
強くて、誰より豪快で、何でも笑い飛ばす男が――今だけはひどく悲しそうな顔をしていた。
まるで。本気で、自分を心配しているような。
「…………」
馨の胸が、どくりと鳴る。
言葉を返せなかった。
藍染のことを語る時とは違う。
隊士たちに向ける面倒見の良さとも違う。
もっと近い。
もっと個人的な熱。
"危ないからやめろ"ではなく。
"お前に傷ついてほしくない"。
そう言われた気がした。
馨は無意識に視線を逸らし、湯呑みに口をつける。
気まずそうに、ぽつりと呟く。
「……海燕さんって、変です」
「は?」
「いつも大雑把なくせに、そういう時だけ鋭いから」
「なんだそりゃ」
海燕が少し笑う。
その笑みに、馨の胸がまた小さく揺れた。
「((……この不思議な気持ちは……何?))」
気づきたくない。
でも、気づいてしまう。
自分は今、藍染の言葉よりも。
目の前で自分を案じる男の表情に、心を奪われているのだと。
「っ……」
馨は我に返るように息を吐く。
「……もうこの話は終わりです!」
馨はぱん、と軽く手を叩くように重苦しい空気を切り替える。
そのまま空になった海燕の盃に酒をつぐ。
「そんな顔して食べても美味しくないでしょう」
「……誰のせいだよ」
「知りません」
ようやく少しだけ、いつもの調子が戻る。
馨は湯呑みに口をつけながら、小さく息を吐いた。
「そんなことより」
「ん?」
「副隊長昇格試験、もうすぐなんでしょう?」
海燕が眉を上げる。
「まあな」
「浮竹隊長、期待してますよ。」
「お前なぁ……他人事みてえに」
「他人事ですし」
「その言い方腹立つな」
海燕は笑いながらも、ふと真顔になる。
そして、ずっと胸に引っかかっていたことを、ようやく口にした。
「……なあ、馨」
「はい?」
「お前、なんで受けねえんだ?」
馨の箸が止まる。
海燕は続けた。
「隠さなくていい」
「……」
「先にお前へ副隊長の話が行ってたの、知ってる」
店の喧騒がまた少し遠のいた気がした。
「霊術院を出たあと、空席だった六番隊の副隊長の話もあったんだろ?重症を負った十三番隊の副隊長の席も……」
「……」
馨は視線を落とす。
驚いてはいなかった。
ただ、海燕がそれを知っていたことに少しだけ困ったように笑う。
「……浮竹隊長ですか」
「まあな」
海燕は頬杖をつく。
「お前なら実力は十分。鬼道も斬術も白打も、たぶん今の十三隊でも上位だ」
「大袈裟です」
「事実だろ」
海燕は即答した。
「たぶん隊長格連中も気づいてる」
馨は黙る。
海燕は少しだけ声を落とした。
「なのに、なんで断った」
「……」
しばらく沈黙が続いた。
海燕はずっと不思議だった。
霊術院の時から異端であった馨。
いずれは死神たちを率いるリーダーという存在になるのではないかと。むしろそれを海燕も望んでいた。
ブレない強さ、全てが模範となる力。
きっと彼女の存在は尸魂界自体に良いものを与えると。
「……ふっ……」
「笑うなっての!俺は真面目に……」
やがて馨は小さく笑った後、ゆっくりと語る。
「……"向いてない"んです、私」
「は?」
予想外の言葉だった。
「副隊長とか、隊長とか。そういう"前に立つ人"に」
「はあ!?」
海燕は納得いかない顔をする。
馨は静かに言葉を続けた。
「隊を引っ張る人には、安心感が必要です」
「……」
「転んでしまっても前を向いた時、その背中を見た時、"この人がいるなら大丈夫"って思える人」
彼女はそこで、真っ直ぐ海燕を見る。
「海燕さんは、そういう人です」
不意を突かれたように、海燕が目を瞬く。
馨は少しだけ柔らかく笑った。
「人を巻き込む力がある」
「それ褒めてるか?」
「褒めてます」
「雑だな?」
海燕は頭を掻いた。
だが、馨は真面目な顔のままだった。
「私は違う」
「……」
「私は前に立つより、後ろにいたいんです」
店の灯りが、静かに彼女の横顔を照らす。
「誰かが見落としたものを拾って、崩れそうなところを支えて、仲間が前だけ見て戦えるように、後ろから守る。」
その声音は穏やかだった。
だが、妙に確固としている。
まるで。ずっと前からそう決めていたみたいに。
「…………」
海燕はその顔を見つめる。
ふと気づく。
「((こいつは……))」
馨は、
"自分が守られる側"だなんて、一度も思ったことがない。
「……馬鹿だな、お前」
「馬鹿とは失礼ですね」
「そういうの、一番危ねえんだよ」
海燕は苦笑する。
「後ろで支えるやつほど、自分が壊れるまで無理すんだから」
馨は少しだけ目を細めた。
「海燕さんには言われたくありません」
「お、言うようになったな」
「誰のせいだと思ってるんですか」
ようやく、いつもの空気が戻る。
海燕は笑いながら盃を傾けた。
その横顔を見つめながら、馨も小さく息を吐く。
——けれど。
海燕だけは気づいていた。
"前に立ちたくない"のではない。
彼女は最初から、自分が光の当たる場所にいる未来を、どこかで諦めている。
海燕は盃をくるりと回しながら、しばらく黙っていた。
店の外では、夜風に揺れる提灯の音が小さく鳴っている。
やがて彼は、不意に笑った。
「……でもさ」
「?」
「いつか、お前も上を目指せよ」
馨は目を瞬く。
海燕は真っ直ぐ言った。
「副隊長でも、隊長でもいい。鬼道衆もいいんじゃねえか?」
「……私は——」
馨は湯呑みを両手で包みながら、小さく目を伏せる。
「私は、別に」
「あ?」
「海燕さんの後ろで、支えられればそれでいいです」
その言葉に、海燕の動きが止まった。
一瞬だった。
本当に、一瞬だけ。
胸の奥を、不意に掴まれたような感覚。
月明かりに照らされた馨の横顔は静かで、柔らかくて。冗談も打算もない声音だったからこそ、余計に心臓が跳ねた。
――後ろで支えたい。
その響きが、妙に熱を持って耳に残る。
「……っ、お、お前、それ……」
思わず言葉に詰まる。
馨はきょとんとした顔で海燕を見たあと、小さく首を傾げた。
「だって海燕さん、危なっかしいですし」
「……ん?、は?」
「他の隊士の人たちにも、いつも"志波三席をなんとかしてくれ"って言われます」
「誰だ言ってんの!?」
「主に仙太郎さんと清音さんです。」
「あいつら…」
「この前も一人で突っ込んで虚に囲まれてましたよね?」
「いや!あれは助けに行く流れだっただろ!」
「私が止めなかったら、たぶん死にかけてました」
「盛るな!!」
即座に言い返しながら、海燕は顔を真っ赤にした。
さっきまでの妙な空気が一気に吹き飛ぶ。
馨はくすっと笑い、湯呑みに口をつける。
「だからです。海燕さんは前にいる人だから」
「……」
「私は、その後ろで支えたい」
さらりと言う。
何の迷いもなく。
だからこそ、海燕は余計に困るのだ。
「……ッはぁ…………お前さあ」
「?」
「そういう勘違いするような言い方、やめろよ……」
「勘違い?」
本気で意味が分かっていない顔をされて、海燕は頭を抱えた。
「〜〜っ、もういい!!」
「なんなんですか急に」
「知らねえ!」
店内に海燕の声に、馨はまた楽しそうに笑う。
「ふふっ」
「〜〜〜!」
その笑顔を見ながら。
海燕は赤くなった顔を誤魔化すように、乱暴に酒を煽った。
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