┈┈┈┈┈┈┈
罪人は静かに消えた。
誰にも気づかれぬまま、
"真実"だけを置き去りにして。
┈┈┈┈┈┈┈
The Night She Disappeared
┈┈┈┈┈┈┈┈
┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈
┈┈┈┈┈┈┈┈┈
┈┈┈┈┈┈┈┈
┈┈┈┈┈┈┈
┈┈┈┈┈┈
┈┈┈┈┈
"暗かった"
最初に感じたのは、冷たい石畳の感触だった。
頬へ伝わる硬質な冷たさ。
湿った空気。
鼻を刺すような、古い墨と血の匂い。
そして。
全身へ絡みつく、
重い倦怠感。
「……っ」
馨の瞼が、ゆっくり開く。
視界はぼやけていた。
「((……ここは……))」
薄暗く、高い天井。
揺れる灯り。
気味が悪いほど広くて静かな空間。
その空間にあるのは華奢な椅子がひとつだけ。
「うっ……」
身体を起こそうとした瞬間。
"じゃらり"――と、
重い鉄音が響いた。
「……?」
馨の呼吸が止まる。
両腕。
両足。
首。
腰。
全身に、霊子封鎖具が取り付けられていた。
隊長格の霊圧すら抑え込む、
重罪人用拘束具。
皮膚へ食い込むほど強く締め付けられ、
少し動くだけでも激痛が走る。
「……な、に……」
声が掠れていた。
喉が焼けるように痛い。
泣き続けた後みたいに、まともに声が出ない。
その瞬間。
「……ぁ……」
脳裏へ、
鮮烈な赤が蘇る。
雨。
血。
絶叫。
そして。
自分の刀に胸を貫かれた、
愛しい人の姿。
「――ッ!!」
馨の身体が大きく震える。
「海燕さん……!!」
拘束具が激しく鳴る。
必死に身体を起こそうとする。
「海燕さんッ!!」
だが。
返事はない。
代わりに。
"ぎぃ"、と。
重い扉が開く音がした。
「!?」
馨が息を呑む。
「……」
「……」
「……」
黒装束の男たち――二番隊隠密機動。
感情の無い目。
まるで、"物"を見ているような視線。
「対象、覚醒確認」
冷たい声。
馨は格子の外にいる人物達に怯えた様子を見せる。
「……どこ、ですか……」
馨の声が震える。
「海燕さんは……」
返答は無かった。
「あのっ……皆さんはッ」
「""立て""」
言葉を遮る短い命令。
隠密機動の一人が格子の扉の鍵を開け、ゾロゾロと複数人が中への入ってくる。
そのうちの一人が無理矢理馨の腕を掴む。
「っ……!!」
激痛。
拘束具が食い込み、馨の顔が歪む。
まともに霊圧も使えない。
身体も重い。
それでも。
「海燕さんはどこですか!!」
馨は叫んだ。
だが。誰も答えない。
無言のまま馨を立たせる。
足枷が鳴る。
まともに歩くことすら困難だった。
「あのっ……何とか仰ってください!」
「……」
「……」
返答は無い。
無表情、無言――その状態で馨は囲まれながら外へと連れ出される。
馨は引きずられるように、
暗い通路を歩かされ続けた。
長い廊下だった。
冷たい石壁。
並ぶ松明。
どこからか、重苦しい視線を感じる。
「浮竹隊長は!?……説明を――」
強引に錠を引かれ辿り着いた先。
「((まさか……ここは……!))」
目の前に現れる巨大な扉。
そしてそれは開かれる。
「ッ……!」
その瞬間、"ぞわり"と全身へ悪寒が走る。
「((中央四十六室!!))」
――""中央四十六室""
即ち、尸魂界最高司法機関だった。
尋問室。
薄暗い巨大空間。
段状に並ぶ席。
その全てから、視線が注がれている。
四方八方。
逃げ場など無い。
まるで罪人を裁くためだけに存在する空間。
馨は完全に混乱していた。
「((訳が分からない……どういうことなの……))」
何が起きているのか分からない。
何故自分が拘束されているのかも。
海燕がどうなったのかも。
何も。
何一つ。
「""被疑者、前へ""」
冷たい声。
馨は無理矢理前へ進まされる。
視線が刺さる。
嫌悪。
恐怖。
警戒。
その全てが、馨へ向けられていた。
「…………」
馨の呼吸が浅くなる。
おかしい。
何かがおかしい。
その時だった。
高い位置から、低い声が響く。
「十三番隊三席 無類井馨――改め、志波馨」
その呼び名に馨の身体が止まった。
志波。
その名前を呼ばれるたび、
海燕を思い出す。
優しく笑ってくれた人。
もう戻らない時間。
「…………」
馨の唇が震える。
「貴様へ、"魂魄異常事件及び十三番隊大量虐殺事件"についての尋問を開始する」
「……え?」
頭が真っ白になった。
向けられた言葉に、全くもって理解が追いつかない。
「……たい、りょう……?」
理解できない。
「虐殺……?」
次の瞬間。
大量の書類が、目の前へ投げ落とされた。
床へ散らばる紙。
そこに記されていたのは。
「――!?」
魂魄構造変異実験。
虚化適応計画。
霊圧侵食研究。
被験体選定。
霊圧推移。
術式構成。
まるで――今回の事件そのものだった。
「……な……」
馨の顔から、
血の気が引いていく。
あり得ない。
こんなもの、知らない。
だが。
書類に残された筆跡は、自分のものだった。
霊圧残滓も。
指紋も。
全部。
完全一致。
「違います……」
掠れた声。
「私は……こんなもの……」
「"さらに"」
被さるように別の声が響く。
「貴様は事件当日、異常な霊圧を確認されている」
「……っ」
「上位鬼道――縛道九十九、及び第二番"卍禁太封"を連続使用」
空気が重くなる。
隊長格でも扱えない領域。
それを。
馨は使ってしまった。
「異常な霊圧出力」
「異常な霊子制御」
「そして」
わずかな沈黙。
「……」
その後。
最悪の言葉が落ちた。
「"虚化適応"」
馨は大きく目を見開く。
「同行していた隊士は虚化途中で死亡」
「しかし貴様のみが、虚化状態を維持したまま理性を保持」
「これは偶然では説明がつかぬ」
馨は再び思い出す。
あの時、自分の身に起こった異常事態。
体が別のなにかになったような違和感。顔を覆っていく仮面の存在。
しかし何も分からないのだ。
もちろん仕組んでなどいない。
むしろ巻き込まれたのだと。
「違うッ……違う……!!」
馨が叫ぶ。
拘束具が激しく鳴る。
「違います!!」
「反抗するというのか!?」
「違うんです!!聞いてください!!私は皆を守ろうとして……!!」
馨は必死に縋るように声を上げた。
四方八方に目を向け、必死に訴える。
顔の見えない審議官達に何とか理解してもらわねばと。
するのその時、場は静まり返る。
「――だが結果として」
冷たい声。
「"十三番隊隊士二十八名死亡"」
その言葉に馨は言葉を詰まらせる。
「"志波海燕死亡"」
酷く耳鳴りがした。
頭に熱がのぼり、今にでも気を失いそうだった。
「ま……待って……」
ガクガクと唇が震える。
「隊士……死亡……?」
今回の任に就いていた仲間たちの顔が浮かぶ。
「海燕……さん……?」
やはり、あの時死んだのだと。
馨は改めて酷く絶望した。
「うっ……うぅうっ!……」
刹那、胃の奥がぐしゃりと潰された。
「――ぁ、……あっ……」
上手く呼吸ができない。
視界は激しく揺れ、足元が崩れる。
馨は咄嗟に口元を押さえた。
だが、込み上げる猛烈な吐き気に抑えきれない。
「うっ……!」
胃液が喉を焼く。
膝から崩れ落ち、拘束具は激しく音を立て、揺れ、なんとか床に両手をつく。
「おえっ……ゲホッ……」
静まり返った空間に、湿った音が嫌に響いた。
「((……みんな……死んだ……?))」
肩が激しく痙攣する。
「((海燕さんも……?))」
違う
違う、違う
違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う!!
これは何かの悪い夢だと
必死に頭に叩きつける。
だが、真実なのだ。
その真実が、刃のように馨を切りつけていく。
「――"そして"」
審議官のひとりが静かに言葉を続ける。
その瞬間、奥の扉が開いた。
「……?」
馨が振り返る。
「……ぁあっ」
そこに居たのは。
浮竹十四郎。
そして。朽木ルキア。
「……隊長……」
馨の声が震える。
「ルキア……」
ルキアの目は真っ赤だった。
ずっと泣いていたのだと、一目で分かるほどに。
浮竹も酷く疲弊しているのが分かる。
「たいちょ……ッ……るき、あ……」
二人は苦しげな表情を滲ませながら馨を見ていた。
悲しみと。
恐怖を混ぜた目で。
「目撃証言を確認」
中央四十六室の声が響く。
「両名は、志波馨が虚化状態に陥り、"隊士たちを襲撃"したと証言」
その瞬間。
馨の世界が、崩れ始めた。
「……え」
理解できない。
「……隊長?」
「ッ……馨……」
浮竹は眉を顰め、目を閉じ、悔しそうに俯く。
「……ルキア?」
「姉様……っ」
ルキアの肩が震える、涙が落ちる。
そしてルキアは掠れた声で続けた。
「私は……"見ました"……」
その言葉が。
「え……?」
ゆっくり。
ゆっくりと。
馨の心を壊していく。
やがて。中央四十六室の声が、静かに響く。
「"両名は証言している"」
紙を捲る音。
馨は二人から目を離せない。
「志波馨が虚化し、隊士たちを襲撃」
「さらに自らの手で隊士を斬殺したと」
馨の瞳から、光が消えていく。
違う。
違う。
違う。
違う。
そんなこと、していない。
「……ち、……違う、…ぁ…違います」
ちゃんと喋られない。
声が震えて呂律が回らない。
「…姉様……」
ルキアの震える声が、尋問室へ静かに落ちる。
「私は……見てしまったのです……っ…」
涙が、
ぽたりと床へ落ちた。
「姉様が……隊士たちを……」
その瞬間。
馨の世界が、音を立てて崩れ始める。
「……ちが」
掠れた声。
呼吸ができない。
頭が真っ白になる。
違う。
違う。
そんなこと、
していない。
「ルキア……」
馨が震える声で名を呼ぶ。
だが。
ルキアは俯いたままだった。
まるで、自分自身もその光景を受け止めきれていないように。
「……隊長……」
馨が今度は浮竹を見る。
浮竹は目を閉じていた。
苦しそうに。
今にも壊れてしまいそうな顔で。
「隊長……私は……」
――その時だった。
ギィ……
重い扉が、静かに開く。
張り詰めていた空気が、僅かに揺れた。
審議官たちが一斉に視線を向ける。
そこに立っていたのは――
「"失礼します"」
柔らかな声。
穏やかな微笑み。
五番隊隊長――藍染惣右介。
静かな足取りで部屋へ入ってくる。
騒がしさなど一切持ち込まない。
だが、彼が現れた瞬間だけ、不思議と空気の温度が変わった。
「……藍染、隊長……」
馨の瞳が、微かに揺れる。
ぼやけていた視界の中で、絶望しかなかった世界の中で。
初めて、"救い"の可能性が見えた。
「((藍染隊長なら……!))」
藍染なら。
藍染隊長なら。
自分を知っている。
信じてくれるかもしれない。
「ぁ……ッ……」
震える指先が、床を掴む。
馨は縋るように彼を見上げた。
「藍染隊長……っ」
その声は、酷く弱々しかった。
助けを求めるような声だった。
藍染はそんな馨を見つめる。
痛ましいものを見るように。
「……!!」
拘束具が鳴る。
馨は必死に身を乗り出した。
「私はやってません!!」
必死に懇願し続ける。
「信じてください!私はそんなこと......!!」
藍染は静かに馨を見る。
そして。苦しげに目を伏せた。
「.....私も」
低い声。
「彼女がそのようなことをするとは思えません」
その瞬間。尋問室がざわつく。
同席していた浮竹とルキアも大きく目を見開いた。
「藍染隊長......!」
馨の目に、僅かな希望が灯る。
優しい瞳、真剣な言葉に口調。馨はホッと胸を撫で下ろす。
「彼女は優秀な死神です」
藍染は堂々と声を上げた。
「十三番隊でも人望が厚く、鬼道にも優れています。……そのような人物か、到底このような事件を起こすなど――」
刹那、藍染を遮る大きな声。
「ならば何故!!」
中央四十六室の冷たい声が響く。空気が凍りついた。
「何故!現場からこれほどの証拠が出る!」
大量の書類。それか今度は藍染へと投げ落とされる。
「魂魄研究記録!虚化実験術式に被験体管理表!」
藍染は眉を顰め、困惑した表情を見せた。
「全て志波馨の自室より発見!」
「何より!霊圧残滓完全一致しているのだぞ!」
ぺら、と1枚ずつ捲られる書類。
馨はそんな藍染を見上げ、わなわなと小さく震える。
「筆跡一致」
「指紋一致」
「異常な霊圧出力」
「九十九番台鬼道の連続使用」
「虚化への適応」
藍染は最後の一枚を捲り終えると、苦しそうに表情を変え、馨を見下ろした。
「五番隊隊長、藍染惣右介。貴様に問おう!」
藍染に鋭い声が突き刺さる、
「"これら全て、必然だと言うのか?"」
反論できない藍染。
馨の顔から、血の気が引いていく。
「違います......」
震える声。
「本当に!私は......そんなもの.....!」
拘束具が激しく鳴る。
「違うんです!!信じてください!」
「……ッ……」
「藍染隊長!!」
自身を軽蔑するような、恐怖に塗れた藍染の瞳。温厚な様子から垣間見える、馨に対しての不信感。
誰も聞かない。
誰一人。
信じていない。
その時だった。
藍染が静かに再び口を開く。
「......ですが」
穏やかな声。
「何かの間違いである可能性も――」
藍染はそれでも審議官達に意見する。
その行動に、誰しもか藍染という存在に、なんら不信感は芽生えないだろう。
ただの優しく、仁義のある隊長として――
「藍染惣右介」
四十六室の声が鋭く落ちる。
「貴様は証人ではない」
「これ以上の擁護は不要だ」
その瞬間。
「……くっ……」
藍染は静かに、悔しそうに押し黙った。
まるで。
"これ以上は何も出来ない"と言うように。
「...........」
馨の目が揺れる。
嫌だ。行かないで。
この人まで居なくなったら。
――誰も。
「藍染隊長......!!」
馨が叫ぶ。
「お願いです!!信じてください!!」
涙が零れる。
「私はやってません!!」
藍染は、そんな馨を静かに見つめる。
その瞳は。ひどく悲しそうだった。
「……"すまない"」
馨はその言葉に、酷く絶望した。
「"私では.......力になれないようだ」
その言葉に馨の心が、完全に沈んでいく。
藍染は目を伏せたまま、ゆっくり踵を返す。
「待って!!」
馨が叫ぶ。
拘束具が鳴る。
「待ってください!!」
藍染は振り返らない。
そのまま。静かに尋問室を去っていく。
「藍染隊長ッ!!」
声が響く。
だが。届かない。
「浮竹十四郎、朽木ルキア。両名は退室」
冷たい命令。
ルキアが震える。
浮竹は苦しげに目を閉じた。
「......馨」
浮竹が、何かを言おうとする。
だが結局――
「ッ……姉様……」
ルキアも、涙を流したまま去っていく。
「待って.......!!」
馨が叫ぶ。
「隊長!!ルキア!!」
必死に。
本当に必死に。
手を伸ばす。
「信じてください!」
だが。
誰も振り返らない。
「お願いっ!!!!」
扉が閉まる。
「ぁ……ああ……」
その瞬間。馨は完全に、独りになった。
静寂。
重苦しい空気。
四方八方から、
冷たい視線だけが注がれる。
そして。尋問は、そこからが本番だった。
「.....貴様は異常だ」
冷たい声。
「真央霊術院時代より、既に異常な霊力を保有」
「鬼道適性は体調各相応、もしくはそれ以上」
「さらに秘匿を続けている斬魄刀」
「何故隠す?」
畳み掛けるように次々と放たれる言葉。
馨は涙を流す訳でもなく。
壊れた人形のように目を虚ろにさせていた。
「..........」
馨は答えられない。
頭が回らない。
「知識も異常」
「霊圧も異常」
「戦闘能力も異常」
「挙句、虚化へ適応」
「貴様は何者だ?」
「普通の死神ではない」
馨の脳内に巡る言葉の数々。
「((……私は……何者、?))」
全ての言葉が刃のように突き刺さる。
「貴様は最初から異常だったのではないか?」
「……違う...」
「魂魄研究を行うため、自ら霊圧を隠匿していたのでは?」
「違う......」
「虚化に適応した理由は?」
「違う.....!!」
馨が叫ぶ。
声を震わせ、必死に訴える、
「私は......!!」
だが。
返ってくるのは、
「わたし、は……っ!」
冷たい視線だけ。
「全てがおかしい」
「貴様は異常だ」
「貴様は危険だ」
「志波海燕を殺害し、隊士を虐殺した理由を述べろ。」
その言葉に。
馨の瞳から、光が消えていく。
「……ちが、う」
誰も。
もう。
自分を人として見ていなかった。
┈┈┈┈┈┈
┈┈┈┈┈┈
┈┈┈┈┈
┈┈┈┈┈
静寂だけが、そこに存在した、
高く、高く積み上げられた白い塔。
罪人を閉じ込めるためだけに存在するようなその場所は、昼も夜も変わらず冷たい。
石造りの壁は湿り気を帯び、僅かな音すら吸い込んでいく。
馨は、その小さな部屋の中央に置かれた椅子へ静かに腰掛けていた。
拘束も解かれぬまま。
だが逃げ場など、どこにもない。
"死刑にするべきた!"
"いや!危険すぎる!"
"魂魄構造そのものが不安定です"
"処刑で崩壊すれば、
未知の霊子災害が起きる可能性があります"
"だが、危険すぎる!"
"生かしておけば更なる惨事を――"
四十六室では、未だ議論が続いているらしい。
処刑か。
監禁か。
封印か。
誰も決めきれない。
その曖昧さだけが、馨を生かし続けていた。
「……」
ふと、視線を上げる。
「((綺麗……))」
遥か高い位置。
格子の嵌められた小窓の向こうに、夜空が見えた。
蒼白い月。
それだけが、この牢の中で唯一"外"を感じさせるものだった。
いつも海燕と見上げていた美しい月。
馨はゆっくりと目を閉じ、小さく息をする、
「((……独りだ……))」
誰も来ない。
面会は禁止。
十三番隊の者も。
ルキアも。
浮竹も。
――誰一人として。
静かだった。
恐ろしいほどに。
このまま、自分という存在が世界から消えても。
誰にも気づかれないのではないか。
そんな錯覚すら覚えるほどに。
馨は再びまぶたを持ち上げ、
月を見上げると、微かに唇を開く。
「……海燕さん」
返事はない。
あるはずもない。
それでも、その名を呼ばずにはいられなかった。
「私は……」
喉が詰まる。
胸が痛い。
思い出すのは、笑っている顔ばかりだった。
"お前はもっと肩の力抜けって"
"まーた考え込みすぎてんのか?"
"ひとりで抱え込むなよ?”
耳の奥に、声だけが残っている。
馨はゆっくりと目を伏せた。
膝の上で握り締めた手が、小さく震えている。
「私は、どうすれば良いのでしょうか……」
その独白は、あまりにも弱かった。
助けてほしい。
苦しい。
怖い。
ひとりにしないでほしい。
そんな感情すら、もう声にならない。
月明かりだけが、静かに彼女を照らしていた。
┈┈┈┈┈┈┈┈┈
┈┈┈┈┈┈┈┈
┈┈┈┈┈┈┈
┈┈┈┈┈┈
――総隊長 執務室
┈┈┈┈
「"……本当に、あの子を殺すおつもりで?"」
静かな声だった。
夜も深まり、護廷十三隊の隊舎が眠り始めた頃。
部屋の中央では、山本元柳斎重國が黙したまま座している。
重苦しい沈黙の中、京楽春水だけがいつもの調子を崩さぬまま、ゆるりと盃を揺らしていた。
だが――その目だけは笑っていない。
「……」
山本は答えない。
ただ閉じた瞳のまま、静かに呼吸を続けている。
「ま、確かに?」
京楽は緩やかな声色で続ける。
「十三番隊二十八名殺害。加えて……過去の魂魄失踪事件との共通点まで出てきた」
盃の酒が、微かに揺れる。
「もしあの証拠が本物ならねえ。……馨ちゃんが、昔の失踪事件にも関わってた可能性は高い」
軽い口調。
まるで世間話のような声音。
だが、その空気は異様に鋭かった。
「でも」
京楽はそこで言葉を切る。
「――もし、あれが真実じゃなかったら?」
部屋の空気が、僅かに沈む。
「もし裏で、別の誰かが糸を引いてたら?」
山本に強く語りかける。
「見たもん全部が真実とは限らないでしょう?」
山本の眉が、僅かに動いた。
それを京楽は見逃さない。
「……"やっぱり"」
口元だけが、薄く笑う。
「""あの子について、何か隠してるね。山じい。""」
沈黙。
遠くで、風が鳴った。
京楽は背もたれへ身体を預ける。
まるで確信を持っているかのように。
「僕ァねぇ」
京楽の脳内には微笑む馨の姿。
「あの子がただの死神には見えないんだよ」
馨が囚われている塔の方向へと視線を向ける。
「強すぎる。鬼道も異常だ。オマケに彼女の出自も不明……だと。」
今までの馨の状況を整理する。
京楽の言う通り、彼女についての情報はかなり少ない。
流魂街出身。
それだけなのだ。
「それに――山じい、あんた自身が妙に庇う」
「……」
「知らないわけないでしょう?」
静かな問いだった。
「"無類井馨って、一体何者なんだい?"」
その瞬間。
山本がゆっくりと目を開けた。
鋭い眼光。
まるで長い年月を生きてきた獣のような目だった。
「……春水」
低い声が響く。
「""踏み込みすぎるな""」
空気が震える。
隊長格ですら膝を折るような霊圧が、一瞬だけ部屋を満たした。
だが京楽は怯まない。
「怖いねぇ」
口ではそう言いながら、まるで怖がっていない。
盃を机へ置く。
「でもさ?死刑にして――もし本当に冤罪だったら」
京楽は細く目を伏せた。
「寝覚め、悪いでしょう?」
軽い調子だった。
笑っているようにも聞こえる。
だが、その瞳だけは、ひどく冷えていた。
まるで。
"誰が黒幕なのか"
既に疑い始めている男の目だった。
「はぁ……七緒ちゃんになんて言えばいいのかねえ。全く……」
┈┈┈┈┈
┈┈┈┈┈┈┈
十三番隊隊舎は、異様な静けさに包まれていた。
普段なら聞こえてくる隊士たちの声も。
廊下を駆ける足音も。
今はどこか遠い。
まるで隊そのものが、深い喪失の中に沈んでいるようだった。
┈┈┈
「………」
隊長室では、浮竹十四郎が机へ向かっていた。
蝋燭の火が揺れる薄暗い室内。
その机の上には、何枚もの書類が積み重ねられている。
中央四十六室宛の嘆願書。
無類井馨への処分再考、情状酌量を求めるものだった。
筆を持つ手が、微かに震えている。
「…っ…」
浮竹は静かに息を吐いた。
だが次の瞬間、喉の奥が激しく軋む。
「っ……げほ……!ごほっ……!」
鋭い咳が室内に響いた。
口元を押さえた指の隙間に、赤が滲む。
それでも浮竹は筆を置かなかった。
「((……もう一度、彼女に機会を与えるべきだ))」
書きかけのその文字を、苦しげに見つめる。
その時だった。
「……"隊長"」
静かな声。
襖の前に立っていたのは、朽木ルキアだった。
浮竹は僅かに目を細める。
「ルキアか……」
だが、その声にも疲労が滲んでいた。
「はい。」
「入りなさい。」
ルキアはゆっくり室内へ入る。
その視線は自然と机の書類へ向けられた。
――嘆願書。
その文字を見た瞬間、ルキアの表情が強張る。
「……まだ、信じておられるのですか」
掠れた声だった。
浮竹は答えない。
ルキアの拳が、じわりと握られる。
「私は……見ました」
震える声。
「あの場で……確かに……馨殿が、隊士たちを――」
そこまで言った瞬間、呼吸が乱れた。
脳裏に焼き付いて離れない。
血。
絶叫。
倒れていく隊士たち。
そして。
返り血を浴びた馨の姿。
「……っ」
ルキアは俯いた。
違うと思いたい。
信じたくない。
だが、自分の目で見てしまった。
例えば、あれが本当に真実ではないとしても。
そんな都合の良い話を、簡単に受け入れられるほど心は整理できていない。
「私は……何を見たのでしょうか……」
弱々しく零れた声。
浮竹はそんなルキアを見つめる。
その瞳には、深い苦悩があった。
「……私にも、分からない」
かすれた声。
「だが」
そこで浮竹は、机の上の嘆願書を強く握り締めた。
紙が皺になるほどに。
「私は……馨を、このまま終わらせたくない……ッ!」
直後。
再び激しい咳が込み上げる。
「ごほっ……!げほっ……!」
身体を折る浮竹。
机へ血が散る。
「隊長……!」
ルキアが駆け寄る。
だが浮竹はそれでも書類を離さない。
まるで。
その紙だけが、馨を繋ぎ止める最後の希望であるかのように。
部屋には重たい沈黙が落ちる。
ルキアは唇を噛み締めた。
「((……姉様……ッ))」
信じたい。
でも、怖い。
もし本当に馨がやったのなら?
もし違ったのなら?
答えの出ない闇だけが、二人を深く沈めていく。
┈┈┈┈┈┈┈┈
┈┈┈┈┈┈
月明かりが、静かな朽木邸を淡く照らしていた。
風ひとつない夜だった。
磨き上げられた縁側に、白く冷たい光が落ちる。庭の鹿威しだけが、時折乾いた音を鳴らしていた。
その中央に――朽木白哉は、静かに座していた。
隊長羽織は纏っていない。
だが、その背筋はいつものように一切乱れていない。
視線の先にあるのは、夜空に浮かぶ月。
しかし彼の意識は、別の場所へ向いていた。
中央四十六室。
そして、無類井馨。
――沈黙が流れる。
「…………」
白哉はゆっくりと目を閉じた。
脳裏に浮かぶのは"例の事件の証拠の数々"
提出されていた書類に白哉も目を通していたのだった。
惨殺された隊士。
崩壊した現場。
残されていた霊圧痕。
そして――あまりにも"揃いすぎた証拠"
「……不自然だ」
低く落ちた声は、夜に溶けた。
感情ではない。
庇いたいからでもない。
ましてや、過去の情などでは決してない。
これは――純粋な論理だった。
白哉は、馨という女を知っている。
冷静で、
理性的で、
そして誰より頭が回る。
鬼道の才に優れ、
戦闘においても極めて精密。
そんな女が。
"あれほど露骨に痕跡を残す"だろうか。
白哉の瞳が僅かに細まる。
「……あり得ぬ」
もし本当に謀反を起こしたのなら。
もし本当に大量虐殺を行ったのなら。
最低限、痕跡を消す。
あるいは攪乱する。
証拠を″断定できぬ形″に変える。
それくらいの知能は、彼女にはある。
なのに――
現場には、
まるで″″見せつける″″かのように証拠が残されていた。
霊圧痕。
鬼道残滓。
目撃証言。
あまりにも完璧。
完璧すぎる。
だからこそ、白哉は違和感を抱いていた。
″″これは誰かが作った結論ではないか″″
静かに風が吹く。
庭木が揺れ、
月光が彼の横顔を流れていく。
「((無類井馨という女は、愚かではない))」
脳裏には、かつての姿が浮かんでいた。
幼い自分へ、
静かに微笑みかけていた彼女。
――"白哉様、今日は一緒に剣術の特訓です!"
朽木の名に押し潰されそうだった頃、
何も言わず隣に立っていた女。
――"どうか、ご無理なさらず"
「……」
白哉はゆっくり立ち上がった。
その動きに、迷いはなかった。
その眼差しは、
すでに"朽木白哉"としてではなく。
六番隊隊長として、
真実を見据えていた。
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処刑判決前夜――。
五番隊隊舎。
隊舎の灯りはほとんど落ち、
静寂だけが瀞霊廷を包み込んでいた。
その中で。
ただ一室だけ、柔らかな灯りが障子越しに滲んでいる。
五番隊隊長執務室。
藍染惣右介は、静かに筆を走らせていた。
紙を擦る音だけが、
静寂の中に淡々と響く。
穏やかな横顔。
知的で、柔和な微笑。
誰が見ても、
誠実な隊長の姿だった。
だが。
その机上に積まれた書類は、
もう随分前から一文字も進んでいない。
藍染の意識は、
別の場所にあった。
――無類井馨。
藍染は、
ゆっくりと目を細める。
「……順調だ」
小さく零れた声。
まるで、
用意した舞台が予定通り進行していることを確認する演出家のようだった。
誰が動くか。
誰が彼女を庇うか。
誰が禁を破るか。
そして――誰が尸魂界へ疑念を抱き始めるか。
すべて。
藍染の想定の範囲内だった。
むしろ。
"そうならなければ困る"
藍染は静かに椅子へ深く腰掛ける。
視線の先には、
窓の外に浮かぶ月。
その瞳だけが、
底知れぬ色を宿していた。
無類井馨という存在は、
あまりにも異質だった。
鋭すぎる。
勘が良すぎる。
藍染の本質へ、
無意識に近づきすぎる。
今後、
尸魂界内部で計画を進める上で。
彼女は確実に障害"になる。
あの女は、
いずれ辿り着く。
真実に。
だからこそ。
一度、
尸魂界から消す必要があった。
だが同時に――
藍染は、
彼女を失いたくはなかった。
「……ふっ…」
否。
"必要だった"
あの力。
あの在り方。
そして、あの斬魄刀。
どれも、藍染の興味を深く刺激していた。
壊したい。
だが、
失いたくない。
手元へ置きたい。
だが、
今はまだ近くに置けない。
だからこそ。
""追放""
それが、
最も都合が良かった。
罪人として尸魂界から弾き出されれば。
護廷十三隊から切り離される。
そして。
孤立した彼女は、
やがて行き場を失う。
そこまで辿り着けば。
藍染は、
いつでも手を伸ばせる。
その未来を想像したのか、藍染の口元が、ゆっくりと歪む。
「……実に美しい流れだ」
カタン――。
その時。
執務室の襖が静かに開いた。
「藍染隊長ー……」
間延びした声。
銀髪の少年が、
気怠げに顔を覗かせる。
市丸ギン。
藍染は振り返らない。
ギンは部屋へ入ると、
机へ肘をつきながらニヤついた。
「えらいご機嫌そうやなあ。」
藍染は、そこでようやく小さく笑った。
穏やかに。
優しく。
だがその瞳だけは、どこまでも冷たい。
「そう見えるかい?」
「見える」
ギンは細めた目のまま、
藍染を観察する。
その空気は、
いつも以上に静かだった。
まるで、
嵐の前。
藍染は窓の外へ視線を向けたまま、
静かに呟く。
「……さあ」
その声音は、
あまりにも柔らかかった。
だからこそ、
不気味だった。
「""はじまるよ""」
ギンは何も答えない。
ただ。藍染の横顔を見つめながら、細く笑う。
その瞬間。
月明かりが、
藍染の眼鏡を淡く照らした。
その奥にある瞳だけが。
まるで、
世界の崩壊そのものを待ち望んでいるように。
静かに、
愉しげに揺れていた。
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――同刻
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現世。
浦原商店の地下。
「……やっぱり来たっスか」
帽子を深く被った男が、
小さく息を吐く。
その向かい。
腕を組み、壁にもたれていた女が鼻を鳴らした。
「当たり前じゃ。"あの小僧"が動く時点で、ただ事ではない」
四楓院夜一。
その金色の瞳は、
すでに尸魂界の方向を見据えていた。
そして彼女の手元には一枚の封筒。
中には達筆に書かれた文書が収められていた。
――名は書かれていない。
しかしこの字は"あの坊や"のものだ。
「判決前に処理される可能性もある。急ぐぞ、喜助」
「はいはい」
軽い返事。
だが浦原の目は、
笑っていなかった。
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┈┈┈┈┈┈
――同刻、尸魂界
瀞霊廷は異様な静けさに包まれていた。
中央四十六室は、
すでに結論を固めつつある。
"無類井馨を極刑に処すべきか否か"
その最終判断。
だが、その裏側で、誰にも知られぬまま、静かに動いていた影があった。
┈┈
六番隊隊長――朽木白哉。
彼は表立って異議を唱えなかった。
四十六室へ赴きもしない。
誰かを説得もしない。
ただ。
静かに、
確実に、
盤面を書き換えていた。
拘束移送経路の変更。
二番隊巡回任務の一時除外。
地獄蝶通信網の限定遮断。
穿界門管理術式の数分間停止。
どれも本来、
一隊長程度で触れられる領域ではない。
だが。
"朽木"なら可能だった。
六番隊隊長権限。
そして、
朽木家当主権限。
その二つを用い、
白哉は誰にも気づかれぬよう、
ほんの僅かだけ尸魂界に"穴"を開けた。
あまりにも静かに。
まるで、
最初からそこに綻びがあったかのように。
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冷たい石壁。
重苦しい湿気。
拘束術式によって、
馨は歩くことすら困難な状態で連行されていた。
両腕を封じる霊子錠。
足元へ刻まれた封印式。
視界はぼやけ、意識も曖昧だった。
もう、
何日眠っていないのかも分からない。
隊士たちの声が遠い。
「((……私、は……))」
"罪人"
"危険因子"
そんな言葉だけが、耳の奥に残っていた。
もう、自分は消える運命なのだと。
三日にわたる尋問。まともに眠れない精神状態。
何よりも"独り"である事に全てが壊れ始めていた。
「((…………ん……?))」
……ふと。
馨は違和感を覚える。
あまりにも警備が少ない。
本来なら、この規模の重罪人移送に、これほど人が少ないはずがない。
しかもルートも妙だった。
人気のない地下通路。
貴族区画に近い旧道。
まるで。
"誰かが意図的に人を避けている"
そんな感覚。
その時だった。
――"パキン"
拘束術式の一部が、
突如として音を立てて消える。
隊士たちがざわめく。
「なっ――」
次の瞬間。
闇が走る。
「――!?」
一瞬だった。
隊士たちが、声を上げる暇すらなく崩れ落ちる。
風。
黒い影。
静寂。
そして。
「"相変わらず陰気な場所じゃの"」
女の声が響いた。
馨の瞳が、ゆっくり揺れる。
暗い地下通路。
倒れた見張りたちの向こう。
そこに立っていたのは。
黒装束の女。
金色の瞳。
獣のような気配。
四楓院夜一。
そしてその隣。
帽子を深く被った男が、静かに肩を竦めた。
「"いやぁ……酷いことするっスねぇ"」
浦原喜助。
その姿を見た瞬間。
馨の唇が、微かに震える。
「……なんで……」
それしか、出なかった。
助かった。
助けに来てくれた。
本来なら、
そう思うはずなのに。
感情が、
何も動かない。
壊れていた。
「……」
浦原は、その顔を見て笑うのをやめた。
いつもの軽口も。
飄々とした空気も。
すべて消える。
帽子の奥の瞳だけが、
静かに細まった。
「……」
理解したのだ。
もう限界なのだと。
夜一もまた、
何も言わなかった。
ただ静かに、
馨の拘束術式へ視線を落とす。
浦原が符を拾い上げる。
「へぇ……」
小さく呟いた。
「これ、六番隊式の解除符っスね」
夜一が、
僅かに口元を歪める。
「……あやつらしい」
それだけ。
名前は出さない。
だが、
誰が道を開いたのか。
二人には十分だった。
「……お久しぶりッスね。」
浦原は馨に近づき、跪くように膝を折った。
「馨サン」
何十年も前に失踪した二人。
その二人が今、自分の目の前にいた。
「……浦原隊長……夜一さ」
「思い出に浸りたいとこじゃが、時間がなくてな。」
夜一は目付きを変え、馨の肩に手を乗せる。
「喜助。気を抜くなよ。」
「分かってますよ。夜一サン」
刹那、浦原は馨を容易に抱き上げる。
馨は反射的にしっかりとしがみつき、目を閉じた。
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"逃走が始まる"
使われたのは、
通常封鎖されている地下通路。
朽木家管理区域。
貴族専用地下道。
長い年月、
誰も使っていないはずの道。
そこが、今だけ開いていた。
夜一が鼻で笑う。
「普通は使えん道じゃ」
浦原は肩を竦める。
「いやぁ……ありがたいっスねぇ」
その声音には、
僅かな皮肉と。
そして、理解が混ざっていた。
「((……六番隊…………))」
馨は静かに抱かれたまま、二人の会話をしっかりと聞いていた。
まだ全容は分からない。
だが、二人が自分を救いに来たことは理解できた。
そしてそれに関わっているであろう人物。
「((……白哉様――))」
白哉は現れない。
絶対に表へ出ない。
だが。
"助けるための道だけは残す"
それが、朽木白哉だった。
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穿界門付近。
崩れそうな意識の中、
馨はふと振り返る。
夜風。
高い屋根。
その上に。
白い羽織が揺れていた。
月光の中。
静かに立つ人影。
顔は見えない。
何も言わない。
近づきもしない。
ただ、
そこに居るだけ。
馨の唇が、
小さく震える。
「……白哉、様……」
その瞬間。
風が吹いた。
次に見た時には。
もう、そこには誰もいなかった。
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──尸魂界から、ひとつの影が消えた夜。
美しく光る月の夜。
崩れ落ちた白壁と、
静まり返った処刑場。
誰にも知られぬ地下水路を抜け、馨は尸魂界から姿を消した。
背後では、追跡の怒号が響いていた。
だがその声さえ、
もう彼女には届かない。
護りたかった者たちは傷つき、
信じた場所は崩れ去った。
そして尸魂界は、
全てを"無かったこと"にした。
――だが。
本当に消されたのは、
事件そのものではない。
"真実"だった。
暗闇の奥で、
藍染惣右介は静かに微笑む。
まるで最初から、こうなる未来を知っていたかのように。
「""これでようやく、始められる""」
彼の視線の先にあるのは、
崩壊した尸魂界でも、
消えた罪人たちでもない。
ただ一人。
無類井 馨。
彼女こそが、
歪みの中心。
過去と未来を繋ぐ、"鍵"だった。
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そして時は流れる。
現世。
見知らぬ空の下で、
名を捨てた少女は静かに息を潜めていた。
護廷十三隊三席。
鬼道の天才。
名を持たぬ斬魄刀を振るう、死神。
その全てを置き去りにして。
傷は消えない。
失った仲間の声も、
あの日の雨も、
今なお心の奥底に沈み続けている。
それでも運命は、
彼女を放さない。
やがて、
ひとりの少年と出会う。
橙色の髪をした、
死神代行――黒崎一護。
志波の面影を宿したその瞳に、
馨は一瞬、
“彼”を重ねる。
もう二度と、
会えるはずのない男を。
止まっていた運命が、
再び動き出す。
尸魂界。
破面。
仮面の軍勢。
そして、藍染惣右介。
全ての因果が、
再び彼女へと繋がっていく。
隠された真実。
愛した者たち。
狙う者たち。
そして、
まだ知らぬ仲間たちとの出会い。
──これは、
静かに世界を壊していく物語。
"お前は何者だ"
かつて、誰かにそう問われた。
馨は少しだけ目を伏せ、
静かに答える。
「――私に、名はない」
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