鉄火花   作:デスメテオ鈴木

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生まれを隠せど血は替わり得ず、縁を切れども因果は断てず。
要らぬと言えど、重いと思えど、運命が蛇蝎の如く這い寄るのならば。

いざ、いざ、いざ、尋常に────


第1話

01『序』

 

 

 路地の生ぬるい空気と、歩調を合わせて帰路に着く。普段より、少し早く放り出された放課後。

 理由は何だったか、もう忘れてしまった。

 しかし、構わないだろう。ここには、気づかねば命を落とす権謀も、張り巡らされた術数もないのだから。

 気にするべきは、明日の課題、食品の特売……その程度。臥薪嘗胆の果てに到達した、何の変哲もない日常。夢にまで見た、何の強制も、期待もされない学生生活────の、筈だった。

 

 「兄貴、この女じゃねえか?」

 

 一枚の写真を持った男が、此方を顎で指し示しながら口にする。

 

 「そうだな兄貴。こんなガキ一人拐ってくりゃあ金が入る。ボロい仕事だわ」

 

 互いに『兄貴』と呼び合う妙な男二人が立ちはだかる。その風貌は、とてもカタギには見えない。逆立てた金髪、尖ったサングラス、派手な上着。完璧に瓜二つ。

 差異と言えば、彼らが手にしたバットが鉄製と木製である事くらいなもの。

 その用途は、凶器と見て間違いないだろう。

 

 「黒兼さんだよねぇ? ちょっとついてきてもらっていいかい?」

 「咲夜ちゃんじゃなくてもいいけど、ちょっとついてきてもらっていいかい?」

 

 とりとめなく似たような言葉を喋っているようで、金属バットの側が常に先行している事に気がついた。だからどうといった事もないが。

 

 「は? 誰、あんたら? ナンパなら別の人あたってくんない?」

 

 丁重に辞退をしようとも、彼らはそれを嘲るように笑い飛ばした。

 

 「違うわ、女としては趣味じゃないしな」

 「その通り、断るという選択肢はないんだよな」

 

 アスファルトに擦り付けられた金属バットが空虚な殺意を歌い、剣呑な空気が満ちる。通行人は足早に通り過ぎるか、揉め事の気配を感じては踵を返すのみ。

 日常を擲って、非日常に足を踏み入れ、少女を助けようとする者などいない。

 当然の事だ。彼らには彼らの暮らしがあり、それを裏切る事こそ真に不誠実なのだから。もし身を呈すものが居るとすれば、余程のお人好しか、なにも考えていない大馬鹿者か。

 あるいは、その両方である。

 

 「ちょ、ちょっと待った~~~!」

 

 張り詰めた空間に似つかわしくない、気の抜けた静止の声が響いた。

 

 「あの! 間違いだったら申し訳ないんだけど!」

 

 思わず視線を向けた先には、暴力のぼの字も知らないような少女が握りこぶしを作り、必死の訴えを口にする姿があった。

 

 「仲良しには見えないし!」

 

 ゆるくウェーブがかかった髪と柔らかそうなカーディガン、冗談のように大きなリボンで『ふわふわ』という擬音を全身から発しながら、それでも強硬に自らの主張を述べ続ける。

 

 「ちょっと雰囲気が怖いので! とりあえず、そのバットを片付けるのはどうでしょうか!!」

 

 「……誰だい? コイツは」

 「……友達かい? コイツは」

 

 彼女を見た男たちは、困惑の表情を浮かべている。それについては同感であった。

 

 「えっ……? あー、うん? 梯さん? なにしてんの、こんな所で」

 

 チンピラに聞かれてようやく『誰だ』という部分に思考が回る。クラスメイトだ。何度か挨拶を交わした程度の仲であり……

 

 「はい、かけはしさやです! 黒兼さんが困っていそうなので、力になれればと思って!」

 

 少なくとも、そうまでして。声量調整がおかしくなるほど緊張して、膝を震わせてまで、この場に介入するような間柄ではない。 

 

 「はいはい、そんなへっぴり腰じゃムリでしょ。危ないから、梯さんは帰りな」

 

 今にもへたり込んでしまいそうな少女を宥め、一歩前に出る。きっと善良なのだろう。しかし、それは何の役にも立たないから。

 彼らが心を打たれて改心するようなら、あの人達は、私は、こんな技を身につける必要など無かった。

 

 「変態共はこっちでなんとかするからさ」

 

 「無理とか、無理じゃないとかじゃないの! それに、危ないのは黒兼さんも一緒でしょ!」

 

 押しのける際、梯にさり気なく触れて確認したが、やはり、戦える身体つきではない。

 それにどうやら、同級生の戦力を盾に、正義ごっこをするつもりでも無いらしい。一体何がしたいというのだろうか。その思考を巡らせる前に。

 

 「どうする兄貴。目釘さんにタイマンじゃ無理って言われてたろ」

 「やれるぜ兄貴。2対2になっちゃったけど、新しい方は数にならなそうだ」

 

 チンピラたちが痺れを切らしたようだ。木製バットと金属バットをそれぞれ構える。

 

 「そうだな兄貴。じゃあガキBはボコって」

 「おうよ兄貴。ガキAは予定通りって事で」

 

 人を人とも思わぬ顔つきで、雄叫びを上げながら襲いかかってきた。

 

 「おらよ、いざ尋常にぃ!!」

 

 金属バットを持った方の男が、多対一を作ろうとした事を棚に上げ、素人丸出しの動きで振りかぶって殴りかかってくる。

 躊躇なく脳天に向かってくる、物体を強く叩くために特化した凶器。

 インパクトの直前。万全の衝撃を伝えるべく、握力を緩めた瞬間を狙い澄まし。相手の凶器を抜き取り、手元に収めた。

 

 「勝負ぅ!!」

 

 文字通りの決め打ち。一打目の効果も確認せず、続けざまに振り下ろされたのは木製バット。

 僅かに身を躱し、全体重を乗せたバットで舗装道を打たせる。

 

 「何処狙ってんの?」

 

 「なにっ」

 「なんだぁっ」

 

 「こうやって振るの」

 

 くるり、と回して柄を手元に送る。吐息と重ねて、黒い軌跡が空を切る。ふと、金属バットを振るうのは始めてかもしれないと脳裏を過った。

 男の首の肌を打つ破裂音と、骨がひしゃげる音で我に返る。

 

 「────」

 

 サングラスの奥で眼球が裏返り、悲鳴も上げずアスファルトに崩れ落ちた。

 

 「あ───兄貴ィ!? こ、このぉ……! 一人だから戦えねえとでも思ったかよァ!!!」

 

 遮二無二。相棒を喪った男が叫びながら凶器を振り回す。心の均衡を欠いた攻撃は、防御行動を取るまでもなく空を切る。

 

 「そんなんでよくやって来れたね」

 

 思わず嘆息が漏れる。

 しかし、受けを前提に攻防を組み立てていたのが裏目に出た。僅か攻めあぐねる。

 

 「っ……千載一遇ゥ!」

 

 そうして生じた油断を、男は見逃さなかったようだ。

 突如両手でしっかりと木製バットを握り直し、再び顔面に向かって振り下ろしてくる。

 

 「ぐっ……!」

 

 緩急に対応しきれず、受け手が乱れる。なんとか額で受けて致命傷だけは避けた。

 世界が明滅し、赤に青にとよく揺れる。

 

 「ハッハァ! 兄貴の仇だ、コラァ!」

 

 男は勝ちを確信したかのように、威勢よく中指を立てていた。

 

 「コイツっ……!」

 

 瞬間、我を忘れる。己が握っているのが何か、相手の力量は如何か。

 それら一切を勘定に入れず。ただ、眼前の不快な存在を消し去りたい。その一心。

 

 「死っ────ね!」

 

 強く踏み込み、全身のバネを使って男の顎をカチ上げた。頭がブレたかと思えば、次の瞬間には下顎が砕けている。歯と歯は縫い合わされ、言葉を紡ぐことなどできまい。

 人生で最後に聞く音が、相棒の武器で骨肉を砕かれる音になるのか。流動食を鬱陶しく思うことができるかは、彼の運次第である。

 致命的な痛打を食らった男たちは倒れ伏し、指一つ動かすことはない。

 

 「え……え、え!?」

 

 一部始終を見届けていた(より正確を期した表現をするなら、口や手を差し挟む隙すら見出せなかっただろう)少女が、困惑をそのまま口に出す。

 

 「なに、なにいまの!? 黒兼さん、強いの!?」

 

 「───ふぅ」

 

 二人が起き上がらないことを確認し、そっとバットを返却した。負傷状況も含め、男たちのデザインは概ね同じ惨状に回帰している。

 

 「別に、そこまで強いわけじゃないよ。梯さんは大丈夫?」

 

 背中で答えながら、取り出したハンカチで額を抑える。じんわりとした痛痒と湿り気を指に感じた。ちらりと浮かせて確認すると、やはり出血が見て取れた。

 不覚の証左に溜息が漏れる。

 

 「あ、怪我!」

 

 振り向いて誤魔化すように声をかければ、大きな声を上げ、目を丸くして、心配そうな表情で駆け寄って来た。

 

 「わたしはもちろん大丈夫だけど、黒兼さんが……!」

 

 「あー大丈夫大丈夫、このくらいならよくあることだし。梯さんに怪我が無いなら良かった。変なのに巻き込んじゃってごめんね?」

 

 安心させる為の方便ではあるが、まるきり嘘という訳でもない。あそこでは、本当に日常的に置きていたような出来事だから。

 

 「よくないよ!? 頭打つのは怖いんだから、どうしよ、どうしよ……」

 

 なるべくなら追求しないでくれ、という言外の要請は却下されたらしい。逐一大仰な反応をしながらカバンを漁り、可愛らしいポーチを取り出した。

 更にその中から大判の絆創膏の包装を剥くと両手で広げながら歩み寄ってくる。

 

 「うわ~~……痛そ。貼るね、前髪上げて」

 

 身長で言えばふた周りは小さいだろうか、滲んだ血を見て顔を顰める。

 意固地になる所でも無いだろう。素直に屈んで額を差し出した。

 

 「えっ、ああ……うん」

 

 「よし。大丈夫って言うなら信じるけど。後で絶対病院行くんだよ」

 

 貼り付けた絆創膏を手のひらで優しく押さえながら、念を押される。

 ああ、まあ。と曖昧な返事を返していると、地面に落ちた携帯電話が着信音を鳴らした。

 今どき珍しい二つ折りである。もちろん自分のものではない。

 状況的に男たちの持ち物だと見て間違いないだろう。

 携帯を拾い上げ、名前を確認した。蓋の小さな画面には「目釘さん」と表示されている。

 

 「それで……あの、えっとなんだけど。この人たち、その……」

 

 考え込んでいると、おずおずといった様子で梯が訊ねてくる。その視線はこちらと、相も変わらず微動だにしない男たちの間を往復していた。

 

 「あー……ダイジョウブダヨ? 親父に”対応”してもらうから。なんとかなるなる」

 

 着信音はひとりでに鳴り止んだ。上着のポケットに滑り込ませ、周囲を確認する。

 いつの間にかちらほらと野次馬が湧き始めていた。見覚えのある商店主、汗をかいたサラリーマン、同級生らしい白髪の少女、子連れの主婦、小さいMTBに乗った少年少女。

 

 「こいつらについても、”家”に聞いてみるよ。だから梯さんはもう帰っても大丈夫」

 

 自前のスマートフォンを取り出し、ひらひらと手を振る。

 帰り道で起きた、ちょっとした冒険はこれでおしまい。君はそっち、アタシはこっち、後で口止めが行ったらゴメンね。そんな気持ちを込めて、出来る限りは素っ気なく。

 

 「ううん、帰らない。だってこの人たち、黒兼さんの名前知ってたでしょ」

 

 しかし、返答は予想だにしないものであった。語気こそ緩いものがあったが、その中には確固たる信念を感じる。

 同級生が血を流し、喧嘩相手を昏倒させて、尚この態度。何者かの差し金ではないかと、疑わしくすら思えてくる。

 

 「偶然とかじゃないよね。危ないから、一人にしないよ。ぜったい」

 

 「うーん……実は面倒臭いな? この娘」

 

 だからといって強く問い詰めるというのも体面が悪い。どうしたものかと頭を掻いて、逡巡の後に結論を出した。

 

 「あー……うー……あんまり”こういうの”に巻き込みたくないんだけど……家、家に着くまでね!?」

 

 妥協案。折衷案。絆創膏代くらいは譲歩しよう、という提案に対し。

 

 「困ったこと、全部が解決するまで!」

 

 彼女はまるで譲る様子が無かった。

 

 「あのね、黒兼さんが強いのも、こういうの? に経験があるのもわかったけど、一人でいても大丈夫な人だからって、一人にして良いわけじゃないんだよ」

 

 力強く口にした言葉は後悔と決意を滲ませており、その瞳は自分ではない誰かを見ているようであった。

 そう思われていることに気づいたのか、あはは、と能天気を装って見せる。

 

 「大丈夫! 邪魔になりそうだったら放っておいてくれれば、自分のことくらい自分でなんとかするから!」

 

 ぼふ、と胸を叩き、親指を立てた。その自信に幾許かの根拠が見出せれば、まだ違ったのだが。

 

 「……はぁ、あのね────」

 

 如何に危険であるか、如何なる世界に足を踏み入れようとしているのか。滾々と説き伏せるしかないと本腰を入れかけて気がつく。

 いやこの娘、命の危険があるとか言ったら、尚のこと付いてこようとするな。と。

 

 「わかった、なるべく守るけど危ないと思ったら直ぐに、脇目も振らず逃げるんだよ?」

 

 「りょーかい! 力になれる事があったらなんでも言ってね! かけはしさや! 特技は楽器と落とし物探しです!」

 

 事実上の敗北宣言に元気な自己紹介を返されては、いよいよ打つ手も何もあったものではない。

 

 「はいはい、さやね。知ってるとは思うけど、黒兼咲夜。特技は……探し中、かな? とりあえず親父に連絡する。いつまでもここに居てもしょうがないしね」

 

 「そうだね……ちょっと、多分。いや確実に。見られて嬉しい状況でもないし」

 

 その言葉に再度状況を確認してみれば、遠巻きな見物客は増え続けている。

 電話はどこでもできるだろう。梯の背を押し、脇道に入った。

 縫うように路地を離れ、大通りに出る。

 同じ制服の人間もぽつぽつ見える商店街。一旦ではあるが、存在は埋没させられただろう。

 

 「ところで……お父さんとか、家とか言ってたけど。えっと、なんとかしてくれるって、なんだろ」

 

 聞きたいことは山程あるだろう梯だが、慎重に言葉を選んでいるのが見て取れた。

 どうやって『銀行口座を作れなかったりする彼らなのか』と婉曲的に確認するか。慣れた状況ではあるが、興味本位で見守ってみる。

 

 「あの、カッコいい感じの……?」

 

 「カッコいい感じとか、別にそんなんじゃないよ」

 

 出てきた言葉におかしみを覚えながら、これまた使い込まれた方便を口にする。

 

 「黒兼剣術道場って、道場やってるんだ。ついでに街の警備屋さんも兼ねてるって感じ」

 

 「……なるほどね!」

 

 事実とスタンスは概ね伝わったのだろうか、複雑そうな笑顔を浮かべていた。

 そうなるだろう。肯定をされても、否定をされても困る。事実があるだけなのだから。

 

 「さてっと、ちょっと電話するね」

 

 自宅の代表電話を鳴らすと、0.7コールで電話が取られる。

 「はい」と、様子を伺うような、低い声の男が聞こえる。

 

 「もしもし? 砥石さん? アタシだけど、親父居る? 面倒事に絡まれてさ」

 

 「ああ、お嬢ですか。お疲れ様です。砥石でございやす」

 

 「お嬢言うな」

 

 すみません。と、電話口でも律儀に頭を下げる気配を感じる。

 その割に正された事は無いのだが。

 

 「そいつぁ災難でございやした。親父さんは会合に出てらっしゃるのですが、なんとか繋いでみましょうか」

 

 「お願い。あとさ。『目釘』ってやつ、知らない?」

 

 「目釘……"鉄"の坊主か。なるほど。合点がいきやした。そいつぁ最近指南允可を貰ったっていう、本家筋の人間でさ。そして親父さんの会合ってのも、そちらさんからの呼び出しでして。こりゃあ、何か動いてると見て間違いないでしょうな」

 

 となると、親父さんに繋ぐのも時間がかかるかもしれねえ。と独り言のように呟く。

 どうやら、少しちょっかいをかけられた程度の話ではないようだ。

 

 「"鉄"が今更なんだっていうんだ。……これ、一回帰ったほうが良い?」

 

 「ええ、気を付けて早めにお戻りを……いや、違うな。"鉄"が表立って言う事を言えば、分家は黙って聞くしかねえ。お嬢が的にかけられてるって言うなら、申し訳ないがどこか身を隠せる所を────」

 

 自分のものではない携帯が再度震える。確認してみれば、表示名は先ほどと同様であった。

 

 「向こうから来たみたい。また後でかけ直すね……もしもし?」

 

 耳に当てる電話を切り替えると、数秒の沈黙の後に声が聞こえる。男だ。

 

 『あ~あ、女の子だ』

 

 第一声は、嘆息であった。

 悪びれもしなければ、挑発をする様子もない。馴れ馴れしいようで友好的ではない。意図がまるで読めない。そんな印象を抱いた。

 

 『黒兼咲夜さんで合ってるよね。どうだったそいつら。今夜勝てる喧嘩殺法、ちゃんと使えてた?』

 

 「アンタ、"鉄"の人間か。あんな訳のわからないチンピラ寄越してなんの用?」

 

 『様子見だけど……ああ、悪い悪い。名乗ってなかった。この度、前任に代わって君の教育係を仰せつかった黒鉄目釘だよ。よろしくね。君は平和を守る戦士に選ばれた。一緒に世界を救おう!』

 

 「は? 今更何言ってんの?」

 

 携帯を握る手に力が入る。みしり、とプラスチックの筐体が軋みを上げた。

 

 「勝手に破門にしておいて、良い言い草ね?」

 

 『え~、君がやる気なかったのが悪いんでしょ。君のその態度で、前任の……誰だっけ……とにかく、彼がどんな目に遭ったか。思い出すのも悍ましいね。でも、刃金の爺様は君が有望だと睨んでるんだよ』

 

 黒鉄刃金。黒鉄流本家黒鉄家現当主。その名前を聞いて、深い皺の奥から覗く、底知れない眼光を想起する。

 湧き上がる身震いは、気取られないように押し殺した。

 

 『ま。だから、色々理由はあるけど、まずは本気になって貰おうと思ってさ。とりあえずこれから教えを与える僕の命令を断る度に、君の教室を一人分広くしてあげる……とか、効くかな』

 

 「……安い脅しをかける。"鉄"も落ちぶれたもんだね。で? アンタはなにをさせたいのさ」

 

 『あはは、今でもそんな真面目なのは宗人兄貴くらいだよ。えっとね、教育して、どこに出しても恥ずかしくない剣士にして、刃金の爺様に提出しておしまい。何はともあれとりあえず会いたいんだけど……そうだな────』

 

 彼が『来られる?』と指定した場所は、ここからそう距離もない、土手の陸橋下であった。

 

 「はいはい、場所はわかった。脅し使うようなやつがマトモに成果なんか出せるかよ」

 

 乱暴な操作で通話を終了する。画面に残る『目釘さん』という表示から、得も言われぬ不快感が滲み出ている。

 

 「どうしたの……? なんかありえないくらい物騒な単語が飛び出まくってたけど……」

 

 「別に。前に通ってた道場の先生が会いたいってさ。行かなきゃいけないみたいなんだけど………付いてくるんだろうなぁ………」

 

 その表情は、言うまでもなく是を語っていた。

 

 

 

 

 

 

02『破』

 

 

 指定された場所に辿り着くと、一人の青年が橋脚の基礎に腰掛け、文庫本を開いていた。

 

 「あ、来てくれたんだね。うん。来てくれると信じていたよ」

 

 待ち人の来訪に気がつくと、歓待する様子で顔を上げた。上下を黒の運動着で揃え、動きやすそうな靴を履いている。

 多少着込んでいるようだが体格が良く、見るものが見れば鍛えられていることがわかるだろう。几帳面に狩り揃えられた髪の下に並ぶ瞳はどこか同じ人間とは思えない、牛馬の瞳孔でも覗いているかのようだ。

 

 「はっ、あんな脅し入れといてよく言えたもんね」

 

 「……やっぱり、そんな平和な感じじゃないじゃん!」

 

 思わず飛ばした皮肉は、背後に押し込めた小さな同行者の琴線に触れたらしい。クレームが聞こえる。

 

 「あはは、いやいや……でも、脅しになるって事がわかってよかったよ。処理もタダじゃないからさ」

 

 「しょ、処理って!? さっきからずっと法治国家をなんだと思ってるの!?」

 

 「納得してくれた方が楽だし、お互い得じゃない? どうかな、今後一切合切、全面的に従うって約束をしてくれたりする?」

 

 彼女のもっともなご意見はひとまず無視でやり過ごすようだ。その煽りか、先程からマシュマロのようなパンチが背中に当たっている。

 

 「何も判断材料が無いのに、そんな約束するわけ無いでしょ?」

 

 「そうだよね。でも、説得とか相談とか面倒だし、信頼を築くってのもわかんないから……『鉄の掟に従い、決闘を申し込む』」

 

 ひとつ、草木がざわめいた。満ちる大気が塗り替わっていく。

 

 「これならわかりやすい。僕は黒鉄流の、これが一番好きだ」

 

 「えっと、なに、それ?」

 

 「じゃあ早速……ああ、そうだった。誰だか知らないけど、君も要るんだった」

 

 必要である。その事実が生じて、ようやく場に存在する事を認めたのだろう。私の背後に視線を遣り、滔々と説明を始める。

 

 ひとつ、決闘は真剣であること

 ひとつ、決闘は立会人を置くこと

 ひとつ、決闘は一対一であること

 ひとつ、以上を遵守した決闘以外では、何事も定めてはならない────

 

 「あとはなんだったかな、もう一項目くらいあった気がしたけど、忘れた。まあ重要じゃないってことで。先輩も後輩も、師匠も兄弟子も弟弟子も、年長も若輩もない。強ければいいんだ。これ以上納得できるルールなんてあるかい?」

 

 目釘の語った事に、不足はあれど相違はない。世間の法律とは別軸で、また一つの黄金律として布かれた法として受け入れている常識。しかし、今となっては。

 

 「わたしたち、令和の高校生だよね? 一応聞くけど、何かの冗談?」

 

 そのような確認を取りたくなるのも必然だと、理解する程度には日常を知っている。

 

 「冗談なんかじゃないよ。この時代に刀握って決闘しようって申し込まれたんだ。ねぇ、本気?」

 

 「冗談なんて人生で一回も言ったことないよ。刀はこっちで用意したから、好きなの選んでいいよ。細工がないかもよく確かめてね」

 

 目釘が指し示した茂みを見ると、粗雑に刀袋が寝かされている。

 荷を解き広げてみれば、普通に拵えられた、一般的な日本刀である。仕込みも、刃引きもない。

 肉に当てれば削ぎ、骨を叩けば断ち、命に向ければ奪い去る。ただそれだけの、鉄の棒。

 もう、握らないと決めていた。少なくともこのような場では、絶対に。

 にも関わらず手に乗せた柄は生来の相棒かのように馴染み、その重みは自らの中から欠けていた半身かのように錯覚するほどだった。

 

 「鉄の掟は絶対……良いよ、相手してあげる」

 

 川風が頬を撫でた。吸い込んだ空気は、清涼感に満ち満ちている。

 ずっと足元を流れていた汚泥が洗い流され、ようやく自分の足で立っているような気がした。

 

 「これが、このまんがみたいな世界が黒兼さんの世界で、やらなきゃ大変な事になるんだね」

 

 「あ、うん。なるし、するよ」

 

 2年ぶりの呼吸に浸っていた自分に代わり、目釘が答える。

 異を唱える部分は無い。理由、手段、能力。揃って同じ方向を向いているのだから、止めるものなど何もない。

 もう、この場で彼女が出来る事などいよいよ何も無いだろう。

 

 「それでも、黒兼さんがやりたくないなら、やらなくていいと思う。誰かを犠牲にしてまで回すもんじゃないよ、世界ってのは!」

 

 善良さも、言葉も、常識も無力なのだ。その、筈だったのに。

 

 「なんなら……わっ、わたしが、戦っちゃったりしてね! それは、わたしがやりたいことだから!!」

 

 ────言葉も出ない。

 何と言ったのだろう。改めて噛み砕いてみれば、真剣を握って黒鉄本家の指南役と向かい合うとか。

 街の不良に震えていた少女が────脅威を脅威だと、恐怖できる瞳を持った上で『やりたい』と?

 

 「はい! 黒兼さん!! それかして!!」

 

 「こら、馬鹿なこと言わない」

 

 光を含む黒髪に、コツンと拳骨を落とす。空っぽでは無いらしい事が分かった。

 

 「ぎゃう!!」

 

 悲鳴を上げ、当たった部分を抑えて蹲った。

 刃が滑れば痛いでは済まないと言うのに、本当に何を考えているのか、理解に苦しむ。

 

 「巻き込んでおいて言うのもアレだけど、これは"家"の問題だからさ。きっちり落とし前つけないとね」

 

 妙なやりとりで調子が狂った。

 単純になった筈の世界は猥雑さを取り戻し、合一を果たした武器は今や単なる刃物である。

 荷物になる鞘を放り投げ、なんとも定まらない足元で目釘と向かい合う。

 

 「……わかったけど、じゃあせめて、応援はさせてね」

 

 梯は引き続き頭を擦りながら、放られた鞘を大切そうに拾い上げ、汚れを払う。

 両手で抱えて、お守りのように胸元へと抱き寄せた。

 

 「死なないで。……あと、殺さないで」

 

 「応援は好きにすれば。立会人が中立じゃなきゃいけないって掟は無いし」

 

 一方目釘は、選ばれなかった内の一本から、これから命のやり取りを共にする意識などまるで感じ取れない気負いの無さで刀を拾い上げる。

 ベルトに鞘を通し、手慣れた様子で抜き放った。

 

 「じゃあ、始めようか」

 

 ひゅん、ひゅんと小気味よい音で空気を切り裂くと、ダンスを誘うような気安さで殺し合いの火蓋を切る。

 

 「ひとつ、決闘は真剣であること」

 

 正眼。捻じくれた性根とは正反対の教科書通り。

 肩の力は理想的に抜かれ、切っ先は揺らぐことなく君の喉笛を突く。

 

 「ひ……ひとつ、決闘は立会人を置くこと」

 

 縋るように鞘を抱きしめながら、押し付けられた責務を全うしようとしている。

 目の前で人が死ぬかもしれない、その事実は心を蝕むだろうに、目を逸らす様子もない。

 

 「ひとつ、決闘は一対一であること」

 

 抜き身の刀を左手にゆるりと握り、脱力した構えを取る。自然体、情報を与えないという選択。

 吉と出るか、凶と出るかで懊悩する必要などない。結果は、数秒の後に判明するのだから。

 積上は十分。問答も十二分。いざ、尋常にだ。

 橋脚の下、湿った空気がきな臭さを孕む。

 目釘の身体が、物理法則を無視したかのような滑らかさでこちらへ倒れ込む。ぬるりとした、無拍子の足運び。

 殺意も敵意も、それどころか熱量すら感じ取れない。ただ機械的に正解をなぞるような最短の軌道。銀の閃光が空気を裂き、袈裟に刃が振り下ろされる!

 

 「───ははっ!」

 

 死の淵を掠める熱風に、喉元が鳴る。寸前で太刀を合わせ、円を描くような軌道で目釘の刀を絡め取った。僅かな接点から鋼と鋼が擦れ合う嫌な音が響き、圧を加えて受け流す。

 初太刀を難なく捌かれた目釘だが、その相好は微塵も崩れない。驚きも悔恨もなく、ただ淡々と次の動作を遂行しようとするその瞳は、やはり人間のものではなかった。

 鍛錬の歴史、蓄積された技量、そして底知れぬ狂気。彼は肩書に劣らぬ紛れもない実力者だと、この期に及んで腑に落とす。

 『ならば』という、求め続けた言い訳を。ならば、ならば、ならばと繰り返す内に。

 少しだけ、世界が透き通って。

 

 「……なんで私が破門になったか。教えてあげる」

 

 冷ややかな獣の声を、久方ぶりに耳にした。

 踏み込む一歩は、砂埃すら立てなかった。腰から跳ね上がるように振り抜かれた一閃は、残像すら置き去りに。

 それは剣術という枠組みではなく、ただ殺害の要件を抽出した結果の最短経路。

 

 「───あは」

 

 意識が追いついた時、既に借り物の刀は、吸い込まれるように黒鉄目釘の胴を逆袈裟に撫でつけている。

 上着の黒い布片が、日向にふわりと落ちる。一瞬の静止の後、上背ある目釘の体躯が、支えを失った庭木のようにぐらりと揺れた。

 

 「なるほど、これが」

 

 自らの身体に刻まれた絶望的な亀裂を確認するように、男がうわ言を零す。

 やがて膝から崩れ落ち、男の身体は土埃と共に大地へ沈んだ。

 静寂。

 まだ日はあるが、鳥の声一つ聞こえない。川のせせらぎの上に肉が落ちる音が重なり、そしてすぐに立ち消えた。

 

 「しょ……勝負あり! ……で、いい……ん、だよね……?」

 

 「あ、ああ……うん。終わったよ」

 

 倒れ伏す目釘を見ながら答える。

 不安そうに宣言をする彼女が何を物申したいかくらいは、言われずとも理解できた。

 

 「ぇあ、えっと……い、いま使ってたのは本物の刀で……人間って、斬られると、し、死…………」

 

 わなわなと震え、口元を抑え、倒れた目釘を指す。改めて目釘を見てみれば、血の一滴も溢れていない。

 半端な仕込みに呆れながら、抜き身の刀を向ける。

 

 「……アンタ、まだ生きてるでしょ。切った感じ変だったし」

 

 「いやあ、アバラも鎖骨もいかれてるよ。剣士としては死んだようなものでしょ」

 

 むくり、とおもむろに上体を起こす。その滑らかな動作を見るに、今の申告もどこまで真実だか分かったものではない。

 

 「きゃーーーーーーーーーーーーっ!!!!!」

 

 反対に、梯は大きな悲鳴を上げ、後ろ向きに引っくり返った。

 

 「あ、だから判定は完璧。初めてにしてはよかったんじゃないかな」

 

 「で? 本当に何がしたいのアンタは。"鉄"のいざこざに巻き込んでほしくないんだけど」

 

 「な、なんで生きてるんですか!? 鉄ってなんだかしらないけど、身体を鉄にするって意味ですか!?」

 

 「はは、一個ずつね、一個ずつ。何がしたいのかについては最初に言ったとおりだよ。キミの力を本家が必要としている。だからその伝達、勧誘、再教育を任されたのが僕」

 

 一貫して口ぶりから真意は読み取れないが、少なくとも戦闘を継続する意思はないようだ。刀を拾い上げもせず、両手で待ったのジェスチャーを取っている。

 

 「ついでに別の用も任されて来てるけど、まあ、それはそれとして。なんで生きてるかについては、防具を着込んでるから。禁止されてないし。というか、今どき真剣で切り合う時に普段着でやるバカなんて、宗人兄貴以外にいるの?」

 

 あっけらかんと言い放つその口調に、今度は頭を狙ってやろうかと再度切っ先を向ける。別にバカ呼ばわりされた程度で目くじらを立てた訳では無い。決して。

 

 「本当に死にたいらしいね?」

 

 「できたら死にたくないから、精一杯命乞いをするね。僕はもうキミの格下だから。キミの命令はなんでも聞くし、不利益を齎したりもしないよ」

 

 「すごい世界だなぁ……」

 

 梯は地べたに尻をついたまま、口をあんぐりとあけて呑気な感想を漏らしていた。

 

 「うーん、ぶっちゃけ"鉄"がどうなろうと知ったこっちゃない……まぁ、話くらいは聞いてやるか」

 

 「うんうん。気になるよね。黒兼さんがなんで狙われなきゃならなかったのか」

 

 「あ、ちなみに僕もクロガネなんだよね。親しげに呼んでくれて嬉しいよ」

 

 とても本気とは思えない目釘の軽口に、梯は唇をへの字にひん曲げていた。今まで見たことない表情に、ようやく一息つけた心地だ。

 

 「あ~、そうなるのか。あっちのサイコパスは黒に鉄で黒鉄ね。ウチは黒鉄家の分家。黒に兼ねるで黒兼。呼び難いだろうし、アタシは咲夜って呼んでくれればいいよ」 

 

 「────うん! さくやちゃん!」

 

 なんてことのない提案に、赤子のような笑顔が返ってきた。抜き身の刀と重傷の男が存在する空間を、一人で塗り返してしまっているようであった。

 

 「改めましてかけはしさやです! さやって呼んでね!」

 

 「うーん、微笑ましいね。サイコパスかどうかはさておいて、お近づきになれて何よりだよ、咲優ちゃん」

 

 「梯です」

 

 「……さて、話を戻すと。鉄、兼どうこうじゃない。さっきも言った通り、世界の平和の話。宗教団体『赤ノ目』って聞いたことある?」

 

 「あの頭おかしい宗教団体の名前がどうして出てくんの」

 

 「おかしいのが頭だけなら良かったんだけど、常識まで通用しないみたいで。妖怪を手駒のように使って、"鉄"にちょっかいをかけてくる、って言って、信じられる?」

 

 「何、赤ノ目に喧嘩売られて勝てません~ってなってアタシに声かけてきたわけ?」

 

 売り言葉に買い言葉で飛ばした皮肉が、なんとも力無く宙へと消える。

 あの黒鉄が、理由はさておき一度見限った人間に助けを求めているという事態が意味をする所に、遅ればせて思慮が至った。

 

 「思ったより大事……?」

 

 「そういうこと。おまけに一丸となって当たるべきタイミングで、内部までごたついててね。必要なんだよ。集団の強さではない、政治の強さではない、絶対的に強い人間が」

 

 淡々と淀みなく、事実だけを述べているようであった。個人としては不信を煮詰めたような相手だが、鉄の宣誓までしたのだ。無用な嘘偽りは無いだろうと信用できる。

 

 「いや……うん、親父にも一旦話させて。流石に私一人でどうこう判断できる内容じゃないかも」

 

 「うん。いいよ。多分今頃本家で爺様と話し……あ」

 

 「うん? な、何?」

 

 「いやね。宗人兄貴、馬鹿のクセに真面目だから、融通利かないでしょ。えっと、僕を伝令に出して、僕が負けて……?」

 

 何やら勘案を始め、ああでもないこうでもないと首を捻っている。

 予想したより、更に拗れているらしい事に目眩すら覚える。

 

 「ええとまあ、つまるところ。門番やってる宗人兄貴が通さんとかいい出したら、ちょっと僕にはどうしようもないというか、ね」

 

 「は? 言ってることとやってることが全然違うんだけど。鉄、頭本当に大丈夫?」

 

 「駄目なんだよね、それが。おっと、これは言っちゃいけないんだった」

 

 わざとらしく口を抑える。つまりはそういう事だろう。そこそこの立場にあるらしいこの男が、使い走りのように扱われている状況。

 全面服従を誓った相手になお『言えない』とする命令系統。

 危機に瀕して私情だけで内紛を繰り広げるほど、黒鉄という家は愚かであるだろうか。

 

 「ちなみにこれは余談だけど、赤の目は毒と呪術による洗脳を常套手段としているらしいね。お父さんの事は自宅で待ってた方がいいんじゃない?」

 

 「……怪我人をほっとく訳にいかないでしょ。送っていく」

 

 「おや、そうかい」

 

 いけしゃあしゃあと口にする怪我人に追い打ちを加えておくべきだ、と抜き身の刀に提案を受けた。

 魅力的な提案であったが、人道派らしい同行者に配慮してギリギリ遠慮した。

 

 「武士の情けだね。ありがたく受けておくよ。でも、これは一応考えておいて欲しいんだけど」

 

 目釘は何事もなかったかのように立ち上がりながら、徹頭徹尾何も変わらない口調で言葉を紡ぐ。

 

 「キミが破門になった理由、確かによくわかったよ。剣を捨てて、今再び巡り合わせで剣を取って。再び力を振るうか、関係ないと投げ出すか、あるいはそれ以外か。どうするつもりかは知らないけれど」

 

 しかし、今日初めて、彼の感情らしきものが滲んでいるような気がした。

 

 「ふらふらしないで、きちんと決めたほうが生き残れるよ。よくわからない矜持に従って、僕と戦おうとまでした、その子のように」

 

 「っ……わかってるよ……わかってる」

 

 言われるまでもない忠告を受け、これ以上話すこともないと背を向ける。

 一人地べたに取り残された咲優に手を差し伸べようとして、鞘を預けっぱなしだった事を思い出した。

 受け取るべく手を伸ばす。

 

 「……はぁ、ごめんね、持たせっぱなしだったね」

 

 「あ、うん。見慣れかけてたけど、やっぱり抜き身の刀は怖いかな!」

 

 空元気だろう。わはは! と気丈に笑って、両手で丁寧に鞘を差し出した。

 しっかと受け取り、刀身を納める。

 

 「新鮮な反応に感じちゃうのは、アタシも染まっちゃってるからだなぁ……あ! ふふ、さやから鞘を受け取っちゃったね」

 

 ちょっとした冗談のつもりが、咲優はいたく気に入ったようだ。自信ありげな表情で、綿菓子でも詰まっていそうな胸を叩く。

 

 「────! いいね、それ! わたし、さくやちゃんの鞘になるよ! 戦いに行って、帰って来る場所。必要でしょ?」

 

 おそらく、深い意味はないだろう。

 もし真正面から受け止めたら、何かがどうにかなってしまうかもしれないから。それもほんの気まぐれとして処理をした。戯れに頭を揺らして、冗談で終わらせる。

 

 「ははは、こやつめ。どこまでその威勢が保つか、楽しみにしておくよ」

 

 さて、と自宅に電話をかける。先程不穏な事を言っていたので一抹の不安はあったが、まだ手は回っていないらしい。車はすぐに手配してくれるようだ。

 砥石と現状を報告し合っている最中、二人の会話が耳に入った。

 

 「あはは。わかったかも。なんか既視感があったんだけど、咲優ちゃんさ」

 

 「梯です」

 

 「……梯さんさ。昔の兄貴に似てるんだよね」

 

 

 

 

 

03『急』

 

 

 到着した車に乗り込み、目的地を伝える。道案内の必要はない。

 市街地の外れにある小高い山を登っていくと、やがて仰々しい山門が目に入る。

 黒い高級車がビシりと整列した駐車場から、三人で歩くこと数分。

 

 「あ、僕は待ってるね。怪我が痛いし」

 

 訂正。二人。

 日頃から穏当な空気など望むべくもない土地ではあるが、今日はいつにも増して血の匂いが漂ってくるような錯覚を覚える。

 背の高い樹木で造られた天蓋の下、石畳に二つの足音を響かせる。

 閉門した黒鉄本家の前には、一人の男が立っていた。

 ふざけた私服と伸び放題の髪と髭。とてもじゃないが、まともな人間には見えない。

 しかしその立ち姿を観察して、無害だと判断するような剣士は先が長くないであろう。正体を知っているのなら、尚更である────

 

 「宗人さん、お久しぶりです」

 

 「…………」

 

 呆けているのか、思索に耽っているのか、全く反応がない。

 よくあることである。

 

 「……こんにちは!」

 

 少し声を張ってみると、身体を跳ねさせて大仰なリアクションを取った。

 

 「うわあ! びっくりした! ……あれ? もしかして咲夜ちゃん? 久しぶりだよね。えーと、どれくらいになるかな。2ヶ月ぶりくらいだっけ? 帰ってきたの?」

 

 「はぁ……2ヶ月じゃなくて2年ですよ。宗人さん。それと、帰ってきたつもりはありませんので。なにやら赤ノ目とごたついてるって聞いたから様子を見に来ただけです」

 

 「あはは……えー、嘘ぉ……時の流れ、やばぁ……」

 

 頭を抱えて、指折り日付を数え始める。

 今のうちに先制攻撃でも叩き込んでおいた方が後々楽ではないか、と邪念が過ぎる。

 しかし幾度想定を重ねれど、脳裏に浮かぶのは返り討ちに遭う自分の姿であった。

 

 「ねえ。目釘くん、この人とわたしが似てるって言ってたの?」

 

 一方、咲優は不満げに頬を膨らませ、車の方を睨んでいた。

 

 「あー、似て……まぁいいか。で、呼ばれてきたんですけど。アタシどうなるんですか」

 

 「ぶっちゃけね、キミがここ来たら、再起不能にしろって言われてるんだよね。内々の話だから内緒ね。でもそれやると終わっちゃうんだよなぁ……どうしたらいいか……一回帰ってくれない?」

 

 「は? 人を襲撃してまで呼び出しておいて。次は帰れは流石に納得がいきません。説明を求めますよ?」

 

 「まあ……気になるよね、わかる。あのね、言っちゃえばじさまは、蛇の毒にやられて狂っちまった。次は分家筋を取り込むつもりだろう。そん時に一番脅威だったのが、咲夜ちゃんなんだよ」

 

 ここまでは、想像がついていた話である。自分を過大評価するつもりは無いが、腕のある人間は普通本家へ名を連ねる。

 黒鉄を脅かせるのは黒鉄のみだと捉えているのなら。序列関係の外にいて、黒鉄の業を振るえる者など相当に限られるに違いない。

 ただ一つ、予想外な事もある。

 

 「……え、もう負けてるの!? 宗人さんが居て赤ノ目に付け込まれるなんて思えないけど!?」

 

 現当主についてはさして知らない。かつては鳴らしたと聞いているが、大分歳であることは見た目でわかる。握るのは専ら杖で、剣を振っている所すら見たことがない。あの老人が何らかの手練手管で陥落したと聞いても、さして驚かない。

 ただ、こうして門番として立っている男がいて、この先へ敵が通れるとはとても考えられなかった。

 

 「はは、買いかぶり過ぎ。俺は剣が好きなだけの男だよ。じさまの命でここに立っているだけだ。じさまが敵と話し合いたいと言ったら止めることもできないし、壁の罅を塞ぐこともできない。どうしたものやら、だよ。もう、さっぱりわからん」

 

 その指摘は、力ない笑みで返される。諦念の入り混じる表情は、とてもではないが、黒鉄宗人のものだとは思えない。

 ならば、そこに一縷の希望はある。

 

 「そう……話はわかった。宗人さんはそのままでいいんだ?」

 

 「よくはない。じさまがおかしいのは薄々わかってる奴らも多い。なんでそれが言い出せねえかって言ったら……じさまの右腕やってる俺がいるからだろうってのも、わかってる」

 

 「今なら"兼"でまとまって反抗できるかもよ?」

 

 「それもな。いっそぶっ壊して、一丸となるべきだろうってのも、わかってるんだ。だがよ、俺はかつて、じさまに負けてんだ」

 

 最強が語る、敗北。言葉に微塵の悔恨も滲ませず、瞳の先は懐旧に向いている。

 

 「そりゃあ、今戦ったら小指でポキンだろうが。枯れ枝みたいなジジイを折ったところで、あの頃デカかったゲンコツが小さくなる訳でもないだろうよ。俺は、一生じさまの下なんだ」

 

 「鉄の掟、ね。相変わらず頭が硬いけど。じゃあ。アタシに負けたら言う事聞くってことだよね?」

 

 挑発的な笑みを作り、投げかける。

 地の果ての迷宮で迷っていた男の瞳が、今、此処。ひんやりとした、夕陽差す山門に戻って来る。

 じっ、と。見開いた目でこちらの瞳を覗き込まれただけで、全身が総毛立った。

 

 「はは、まさか咲夜ちゃんの口から、"鉄の掟"が聞けるとは……咲夜ちゃん、いくつになった?」

 

 「今年17ですね」

 

 「嬉しいね。涙が出そうだ」

 

 言葉通り。震えた声で呟きながら、よたよたとした足取りで、塀に立てかけられた刀を手に取る。

 

 「さて、17の俺か……17の俺……どんなんだったかな……」

 

 

 手の内を2つ、3つと試す内に、こころなしか、次第に顔つきまでが若々しくなっていくようであった。

 信じられないくらいフェアで、恐ろしい程に不平等。

 それでも『今の』黒鉄宗人と戦うよりは、幾分マシだと思うしか無い。

 

 「こんなもんだ。やろうか」

 

 荒々しくなった口調で、端的に告げられる。挑戦を受ける立場だった一日の終わりで、明確に挑戦者となった。

 掌にぬるりとした感触を覚え、袖を捲るふりで拭おうとした時、ビシリと垂直に腕が伸びるのを横目で見た。

 

 「────はい! おじさん、困ってますか!」

 

 「ん、ああ。おじさんじゃないが、困ってる。頭じゃやるべきことはわかっているが、俺は掟に従うと決めて、剣一本を振り回すことしか知らないから。それに、立会人がいないと決闘がやれねえしよ」

 

 「わたし、やれます! やったことあります!」

 

 その溌剌とした言葉を聞いている内に、借りっぱなしだった刀を持っていた事をようやく思い出した。

 

 「あーあ、すっかりやる気になっちゃって」

 

 鞘からするりと刀を抜く頃には、無用な気負いが何処かへ消え失せている。

 

 「はいこれ。帰る場所になるんでしょ?」

 

 「……うん! いってらっしゃい」

 

 咲優に向けて鞘を放り渡す。確かに受け取った彼女は、万感を湛えた、満面の笑顔で送り出してくれる。

 

 「お願い。生きて帰ってきて、殺さずに帰ってきて。おじさんを助けて、帰ってきて」

 

 「はいよ、善処はする」

 

 無茶なお願いに溜息を吐いている内に、なんとなく、帰れそうな気がしてきた。

 故に、一歩死地へと歩みを進める。

 その時にはもう、山全体に漂う死臭は気にならなくなっていた。

 戦場に立つは剣士二人。

 性別、年齢、経歴、思想、心情。何もかも異なる二人であるが、この場に限れば果てしなく同一。

 剣の一振りと、命が一つ。

 

 「ひとつ、決闘は真剣であること」

 

 低く太い声が、木々を震わせる。

 大地に刻まれた血の歴史が、彼を王だと認めているようだ。

 

 「ひとつ! 決闘は立会人を置くこと!」

 

 堂々たる宣誓が空に響く。

 硬質な鞘を確かに抱える彼女は、裁定者たる役割を十全に果たしてくれるだろう。

 

 「ひとつ、決闘は一対一であること」

 

 ならば、後顧の憂いなど一つもない。

 裸の命一つ、背中に信頼。それ以上に何を求めよう。

 

 「ひとつ、以上を遵守した決闘以外では、何事も定めてはならない────」

 

 「「そうして、身命一切を以ち、鉄火花に黒き誇りを示さん」」

 

 「いざ、尋常に────」

 

 「勝負!」

 

 

 

 

04『結』

 

 

 

 宗人が取るのは龍の尾が如く低い下段、しなやかな構え。

 呼吸は極限まで細く、長く、深海へと沈み込むように。

 徐々に時間が引き延ばされ、一秒が永遠へ、無限へと変換されて。山門を抜ける風。揺れた葉の隙間から、断末魔のような朱い陽光が差し込んだ。

 それは、黒鉄宗人の「黒鉄流」が呪いとなる以前。

 剣理の深奥を覗きかけた、17歳の頃の無垢な煌めき。先手を仕掛けたのは、宗人だった。

 世界が激しくぶれて、視界が歪んだ。

 踏み込みの予備動作すら消し飛ばす音速の刺突。命に届くその点を、七分は勘で捉え、自らの刃を添わせ、受け流す。擦過音と共に火花が散る。

 仕太刀を成し得たのは、文字通りの未来の前借り。今この瞬間のためだけに、体内の時計が年単位の時を刻み、肉体を焼いてゆく。脳漿が沸騰し、命の蝋燭がその芯ごと燃え上がるような絶頂と錯覚。どぷり、と溢れ出すアドレナリン。脳が快楽に焼き切られ、引きつった口角が戻らない。

 

 「っ……あはっ!」

 

 「────かははああっ!!」

 

 相対する宗人もまた、腹の底から獣のような哄笑を漏らす。

 かつて誰も追いつけず、孤独の頂に置き去りにされた白銀の煌めき。時を超えて、自分を殺し得る同格の才能と出会い、朱き火花を咲かせた。その事実が、この男には堪らなく喜ばしいのだろう。

 コンマ一秒に満たない一合。しかし、そこには一晩を語り明かした程の濃密な対話があった。

 ようやく見つけた自分の遊び相手。三十余年の虚無は、今日この瞬間、この火を熾すためだけに積み重ねてきたのだと、彼の刃が歌っている!

 刀を逸らした軌道から、流れるように更なる深奥へと踏み込む。

 型の名は無い。ただ生命の灯火を消し去るために最適化され、洗練された『死』そのもの。

 黒い血筋の躍動に身を任せた、荒削りで暴力的な唯一解。

 返す刀で鋭い円弧を描いた刃が、宗人の鼻先を数ミリの差で掠める。切っ先が空を切るが、焦りはない。

 一撃が外れれば次の死を、次の死が防がれればその次を。必死を紡ぎ続ける事にしか活路はない。

 

 あは! 宗人さん! 楽しいよ!

 

 言葉よりも雄弁な死の返歌。

 まるで予定調和のように、世界で最も美しい詰将棋を解くような応酬。音すら置き去りにした銀世界の中で舞い続ける。

 しかし、永遠に続くかと思われた逢瀬は、あっさりと破綻を迎えた。

 たった一箇所の読み違え。当て続けた賽の目を、たった一瞬見誤る。防御、回避、いずれも能わず。肉体が動くより先に、自らの敗北を悟った。

 胴が蒲鉾のように両断される、その、直前、宗人の刃が返った。

 真剣勝負を誓い、真剣勝負に縛られた男が、刃を返したのは何故だろう。

 そうさせたのは、誰なのだろう。17の黒鉄宗人か、35の黒鉄宗人か。

 少なくとも、掟に縛られる黒鉄の刃ではない。剣を愛した黒鉄宗人が、ようやく出会えた好敵手を殺すなと、ようやく我儘を口にできたのだろうか。

 彼の表情は今、何を湛えているのだろう。既に世界は暗転し、視認は敵わない。

 此方の未熟さを嘆いてはいないだろうか。

 己の不忠を後悔してはいないだろうか。

 再び訪れた孤独を厭うてはいないだろうか。

 

 そんな無念すらが意識の澱に消えていく刹那、一筋の美しい火花が脳裏に煌めいた。

 

 

 

 

05『 』

 

 

 目を覚ますと、小さな光が煌めいていた。背中の感触からして石畳に寝転んでいるらしい。

 頭上には私に膝を貸し、微笑みを向ける少女がいる。

 周囲を見回せば、石段に腰掛け、薄闇の中で遠くを見る男が一人。その視線は既に彷徨わず、何処か一点を然と見定めているようだ。

 他には、何もなかった。

 

 「あー負けたんだアタシ……だっさ……」

 

 何も見たくなかった。思わず口をついた、自分を守る言葉すら聞きたくない。

 固く顔を覆い、全てが過ぎ去ってしまえと祈っていると、手に掌がそっと重なる。

 竹刀すら握ったことのなさそうな手は、不思議と力強く暖かさを伝えてきた。

 

 「さくやちゃんは、わたしのお願いを全部叶えてくれた。こうして生きて帰ってきてくれた、おじさんも生きて帰ってきた。そして、はい、おじさん」

 

 促すように口にすると、数秒の気まずい沈黙の後に、困ったような声が聞こえる。

 

 「あーーー……なんだろうね」

 

 なんというか、娘に説教された後の父親というか、そんな感じの。

 

 「咲夜ちゃんみたいな人と会えるんなら、咲夜ちゃんみたいな人がいるのなら。いままで面倒だから。自分は掟の中にいなきゃ誰にも理解されないからって、放棄してた部分と向き合って……みてもいいかな、とか……これでいいすか……」

 

 「……ね。だから、ダサくなんてない。かっこよかったよ。ありがとう」

 

 「は、なにそれ。意味わかんないし……」

 

 吐いた悪態は濡れそぼっており、とても聞けたものじゃない。それでも、これだけは言っておきたかった。

 

 「……強いね」

 

 「あはは。強くなんてないよ。ただ、二人のやりたいことを手伝っただけ。強くなんてなくていいんだよ。優しくさえあれば」

 

 「ふふ。さやらしい、のかな」

 

 そして、自分の中には無い尺度。剣の理合ではきっと導き出せない結論、掟や運命に絡め取られたままでは辿り着けない行動原理に、彼と自分はこうして打ちのめされているのだろう。

 

 「あー負けた負けた! 宗人さんの言うこと聞かなくちゃかぁ」

 

 とても清々しい敗北であった。

 これから待ち受けるだろう大立ち回りすら、一切恐ろしくない程に。

 

 「おーーー、そうだな。じゃ、善は急げだ。俺は今からじさまにご勇退を願ってくるよ。立てるならついてきてくれ。無理そうなら、そうだな────」

 

 宗人が立ち上がり、暗闇を見通す瞳が門の内を見据え、そのまま体を硬直させる。

 釣られて視線を追うと、そこには、白い影が立っていた。

 

 「───こんばんは。いい夜ですね」

 

 鈴の鳴るような声が響いて。ようやく、一人の人間だと理解する。

 学生服を着た少女である。白い頭髪に、赤い瞳。月が地上に降りてきたかのような存在感。

 この場所のみならず、地上の何処に立っていても異物感は拭えないだろう。

 

 「こ、こんばんは……? あれ? 白……さん?」

 

 鈴の音が響き終える前に、返事を返したのは咲優だった。

 そうでなければ彼女が通り過ぎるまで、誰一人として口を開かなかっただろう。

 

 「はいはーい、つくもさんですよー」

 

 ひらひらと袖を振る姿を見て、ようやく同級生だと気がついた。

 あれだけ目立つ容姿を忘れる訳もない。

 

 「あ……? 悪い、見覚えないんだが……嬢ちゃん、どっから来た……?」

 

 「えーと、門番さんっていうのはそこの御方ですね?」

 

 「ああ……そう、だが」

 

 会話が成立しているようで、成立していない。

 白に、夜という時間に、全員が呑まれている。

 

 「ああ、良かった! 中に居た赤ノ目の蛇については、私の方で対処させていただきました。毒に侵された方も直に良くなるでしょう」

 

 「……悪い咲夜ちゃん。俺、中見てきてもいいか?」

 

 「は、はい。大丈夫ですけど……同級生ですし、多分危なくはないはず……」

 

 返事をする咲優は、宗人を見ていない。

 その赤い、赤い瞳から目を逸らす事ができていない。

 言うなれば、まるで────

 

 「どうぞ。中に危険はもう無いはずです……梯さん、黒兼さんは大丈夫ですか?」

 

 駆けゆく宗人の背を見送るうちに瞼は閉じられ、いつの間にか宝玉は隠されていた。

 

 「あ……うん。絶対怪我はしてるから、早く病院には行ってほしいけど……大丈夫? 気持ち悪かったりしない?」

 

 「うん、気持ち悪くも、痛くもないんだけど……実はその方がやばい?」

 

 「あわ……ヤバいって!」

 

 「あちゃあ、動けなさそうですね。スカイ~!」

 

 手を二回叩くと、古めかしい山寺の空気を、電子の唸りが切り裂いた。

 どがん、と冗談のような音を立てて石段を震わせる。

 

 「こんどはなに!?!?」

 

 「わぶ」

 

 膝枕をされたまま庇うように覆いかぶさられ、何も見えない。

 

 「はいはいお呼びですかーっと」

 

 合成音声のような声と、低く響く駆動音。

 とても何が起きているか気になったが、意義を申し立てる口は甘い匂いのする身体に塞がれ、跳ね除ける身体は上手く動かない。

 

 「お友だちが怪我してるから、車まで運んであげて? 外にある車、そうでしょ?」

 

 「え……あ、うん」

 

 当然のように移動手段を把握されている事に疑問を覚えたのも束の間。

 

 「あい、ちょっといーか?」

 

 「え……あ、はい」

 

 「ほーい、失礼しますよっと」

 

 身体の下に腕が差し込まれ、瞬く間の浮遊感。

 何者か……スカイとか呼ばれていた存在に抱え上げられたかと思ったら、宙を飛んでいた。

 

 「わぁあぁぁあ……! 意外とソフトランディング!」

 

 天も地もわやくちゃになり、なんとか首を捻って地上に目をやると、咲優と白が何かを話している。『戻って』も、『下ろして』も、まるで聞き入れられず。

 十数秒の跳躍を経て車に詰め込まれ、何者であるかを確認する前に、とんぼ返りに飛び去ってしまう。

 

 何が起きたかと目を瞬かせる目釘を見たら、何故か、どっと疲れが押し寄せてきた。

 

 

 

 

 

エンディング『結びの向こうで』

 

 

 車が、山道をひた走る。

 私有地を抜け、暗闇が続いてしばらく。不意に視界が開ける。街の灯りが一瞬覗き、また見えなくなった。

 親に連れられて本家に来る時はいつも憂鬱だったが、この景色だけは好きだった。またあの輝きの中に戻れる安心と、それを陰ながら守る宿命の優越に酔いしれて。

 いつからだろう。窓の外に視線をやることもなくなったのは。

 咲優から伝え聞いた事の顛末を一言で表せば、『何事もなかったかのよう』だそうだ。

 火が着く寸前だった内紛も、差し迫った脅威も。誰一人として認知していない。元より表沙汰になった話では無いとは言え、言うまでもなく異常である。

 例外と言えば、自分自身と、咲優。宗人に、何を考えているのかわからない目釘。

 そして突如現れた白と、その従者くらいなものである。

 目的は不明。助けられたのかどうかすらわからない。他人の家に土足で踏み入り、他者の心を書き換えて、何かしらの目標を達成したというのなら。

 それは、『赤ノ目』と、なんら変わりはしないのだから。

 

 「……起きてる? さくやちゃん」

 

 正解のない疑問を追いかけ続けていると、静かだった車内にぽつりと問いかけが落ちる。

 

 「……起きてるよ」

 

 「わたし、びっくりしちゃった。ほら、わたし、こういう生き方してるから。今まで結構、色んな人の人生に関わってきて、色々知ってるつもりだったんだけど……こんな世界もあったんだ、って」

 

 静かに、染み入るように。訥々と振り返る。

 一瞬差し込む月光で浮かび上がる表情は、散々見た脳天気な形をしていなかった。思わず目を逸らし、暗闇の中に景色を探した。

 

 「そりゃあ、そうだろうね。表立って活動するような内容じゃないし。ゴメン。思いっきり巻き込んじゃった。しかも守れなかったし……」

 

 「違うって、勝手について行ったんじゃん。そして、それは、きっとさくやちゃんがいなくても、いつかどこかでやっていた事だったんだ」

 

 ちらりと確認すれば、暗闇の中で、柔らかげな指が折られていく。

 

 「不良さんにボコボコにされて、目釘さんに斬られて、おじさんも説得できなくて……だから、ちゃんと守ってくれたんだよ」

 

 真っ直ぐな視線を感じる。それと正面から向き合うには、少し、自信が足りない。

 

 「守るっていうのは、勝つことだけじゃない。人のやりたいことの為に、前に出て、手を貸してくれること、代わりにやってくれること、一緒にいてくれること。きっと、それで十分なんだから」

 

 「……それでも、アタシには戦って勝つだけの才能があった」

 

 応じて口から出たのは、釈明だった。

 

 「人を殺す才能があるんだ。それを振るえと期待されるのが嫌で、でも自分を押し殺して生きるのも嫌で……そんなんで刀を振るっていたから、負けた。悔しいけど、目釘に言われた通りだよ。結局迷ったままで芯が無いんだ」

 

 しかし、それだけで終わらせたくない。そういう気分だ。

 

 「だから、決めたよ。今度はさやをきちんと守れるようになりたい。さやは十分って言ってくれたけど、殺すためじゃなくて、守るために、勝てるように。剣を振るえるようになりたい」

 

 願わくば、人を殺す為に造られた無骨な鉄の棒ではなく、戈を止める力となれるよう。

 そう、志してみたいと思った。

 

 「んふふ。ありがとう。実は、わたしからもお願いしようと思ってた」

 

 そんな所信表明に、綻ぶような笑いが返ってくる。どこか気恥ずかしく、乱暴に頬杖をつく。

 

 「知らなかった世界を知って、もっとたくさんの物が見えるようになる。もっとたくさんの救いを求める手に、飛びつきたくなっちゃう。そんなわたしを守ってほしい。一緒に、ついてきてくれる?」

 

 「もちろん。今日一日でさやがいかに危なっかしいか、よーくわかっちゃったからね。嫌でもついていくよ」

 

 「あー! 今日の流れは誰だってそうなるの! 普段はもうちょっとしっかりしてるんだよ!」

 

 魔の潜む山を下り、人の営みの中に回帰する。

 過剰なまでの街灯に照らされた咲優は、可愛らしく頬を膨らませていた。

 

 「はいはい。とりあえず、アタシが動けるようになるまでは無茶しないでよ? 人助けもいいけど、自分のことも考えなね」

 

 「ふふふ、そんな事は言われ慣れててね! 実は────」

 

 車は街を走る。言葉は喧騒にかき消され、夜の空へと消えていく。

 刀と鞘。傷つけ、律し。ただ、互いを標とし。これからも昼夜を進み続ける。

 

 

 

 

鉄火花(くろがねひばな)

 

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