これからも何とか更新していけたらと思っています。
無事に楽器決めが終わった翌日。これから新しい顧問の先生が挨拶に来るらしい。そんな事もあってか、部室内は騒がしかった。
すると、不意に部室の扉が開いた。
部室内が水を打ったように静かになる。
部室に入ってきたのは、背が高く、線の細い印象で癖っ毛の眼鏡を掛けた男性だった。見た目の印象だけだと凄く優しそうな印象をしている。
「はじめまして、滝昇といいます。よろしくお願いします。」
静かな部室に響いた声はハッキリとしていても柔らかな声色だった。挨拶が終わると、滝先生の見た目の印象が良かったのか、周りの女子生徒達から色めきだった声が上がった。すると続け様に、滝先生が言葉を発した。
「こんにちは、吹奏楽部の顧問を担当する事になった滝昇です。よろしくお願いします」
「早速なんですが、これから部活をするにあたって、最初にしておきたい話があります。」
そう言いながら、滝先生はチョークを取りながら黒板に文字を書き出した。
「私は生徒の自主性を重んじているので、今年の吹奏楽部の目標を皆さんで決めてほしいのです。」
そう言いながら、黒板に書き出したのは「全国大会出場」という文字。少なくとも最近の北宇治高校の実績からは分不相応な文字だった。
「これが、皆さんの去年の目標でしたね?」
この目標は昔からある物なんだろう。今の北宇治吹奏楽部がこの目標に向かって活動しているかと言われると何とも言えないが、どの部活にだって目標と言うものは存在するし、その目標が達成されなかったって何かあるものでも無い。
「あの…それは目標というより、スローガンみたいなもので…」
吹奏楽部の部長である小笠原先輩が滝先生の疑問に答えた。その声には自信が無さそうで、全国大会出場という目標がこの部にとっては、分不相応なのが分かっているような様子だった。
「では、改めて皆さんが今年の目標を決めて下さい。その方針に私は従います。」
そう言いながら、滝先生は自分が書いた「全国大会出場」という文字にバツ印を引いた。自分達が目標を決めるという、滝先生からの提案に部内から戸惑いの声が色々な所から上がった。部長の小笠原先輩も滝先生の発言に明らかに動揺しているのが見て取れる。
「皆さんが全国大会を目指すという事であれば、私はそれに従って厳しく指導をしていきます。逆に楽しい思い出を残したいだけであれば、それなりの指導で活動していきます。」
「私はどちらでも良いと思っているので、自分達で決めて下さい。あなた達の意見に私は従おうと思います。」
私は内心ズルい言い方だなと思った。少なくとも、今の滝先生の言い方だと、楽しい思い出の方で活動したいと思う意見の部員は言い出しづらい雰囲気になってしまうだろう。それに、人は聞こえの良い目標の方、印象が良い方に靡くのが当たり前だと思う私の考え方も、滝先生の行動に不信感を感じる一つの要因だった。
小笠原部長が田中先輩に促されて、目標を決めるために部員全員で多数決を行う事になった。部員全員の意見を聞くなら、多数決しか無いのは分かっているが…どうにも腑に落ちないやり方だった。
「まず、全国大会出場を目標にしたいという人?」
滝先生の意向のままに小笠原部長が聞く。ここで大多数の部員が手を上げた。多数決的にはこれで決定なのだろうが、私は手を上げなかった。
短い期間だが、この吹奏楽部に所属していて思うのは、部員達がとても全国大会に出る事を目標としているモチベーションで活動をしていない事だ。そんな事くらい私でも分かる。
「それでは、楽しい思い出を残せれば良いという人は?」
既に多数決で意見は決定してしまったようなものだが、一応こちらの意見の多数決もやるようだった。私もこちらの意見に手を上げる。
私が見た所では、数人が手を上げていた。その中には先輩の中で唯一、昔から知っている存在の葵ちゃんも入っているのが、私の視界の端に映った。
自分の考えとしては全国大会という目標に、こんなに軽々しく乗っかってしまいたくなかったというのもある。元々、陸上で全国大会に何度も出場したことがある中で、出会った選手達は自分が立てた目標に対しては真剣だった。
周りの新入部員でこちら側の意見に手を上げている人が居なくて目立っていたのか、周りからの視線が刺さった。特に他人からの目は気にならないので、そこは特に気にならない。近くに座っていた久美子の様子を伺うと、俯いたままでどちらの意見に対しても手を上げてはいないようだった。
「では、多数決の結果、今年の目標は全国大会出場になりました。」
そう小笠原部長がそう言うと、そのまま助けを求めるような目線を滝先生に向けた。その向けられた目線に応えるように滝先生が話し出した。
「小笠原さんありがとうございます。多数決なので反対の人もいましたが、 皆さんの意見で今年の目標は全国大会出場に決まりました。私はその目標に向かって力を貸しますが、 努力をするのは皆さん自身です。 分かりましたか?」
さらさらと流れるような滝先生の言葉に、部員達は何も言えないまま音楽室は静まり返っていた。
「何をぼーっとしているんですか? 返事を聞かせてください。」
そう言いながら滝先生は手を叩いた。するとポツポツと部員から返事が返ってくる。
「返事が無いようなので一度聞きますね。今年の目標は全国大会出場、それでいいですね、皆さん。」
念を押すような滝先生の発言に空気がより張り詰める。
「「はい!」」
部員達の様々な感情が混じり合った返事が部室に響いた。周りの様子を伺ってみると、上級生達も狼狽えているのが伝わってきた。3年生にしてみれば、最後のコンクールの直前に部活の雰囲気が変わることになって戸惑うだろうし、2年生にして見ても、既に1年間過ごしている部活から急に空気が変わってしまうのは、慣れるのに時間がかかってしまうかも知れない。1年生は、そんな上級生達の様子を見て戸惑いがある様だった。
「では、全国大会出場という目標に向かって行く上で、皆さんがどれほどのレベルなのかを確認したいので、合奏が出来るレベルになったら呼んでください」
そう言って、滝先生は職員室に戻っていった。やっと部室内の緊張した雰囲気が和らぎ、様々な所から非難の声が上がる。新しい顧問とのファーストコンタクトはこうして終わった。
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今年の吹奏楽部の目標が決まり、部員達がそれぞれのパート練習をしている場所に散っていく中で、声をかけられた。
「三橋さん、ちょっと良い?」
声をかけてきたのは、同じパートで2年生の中川夏紀先輩だった。
「良いですよ。何かありましたか?」
声をかけられたのは意外だった。同じパートではあるのだが、まだ入部して日も浅いし、挨拶くらいでしか会話をしたことがなかった。普段もあまり同じパート間でも積極的に会話に参加するような感じでもなく、いつも窓口で気怠げにしている。
「三橋さんはさ、何で楽しく過ごす方に手を上げたの?」
私の多数決の様子を見られていたのか、意見を聞かれた。
下級生を緊張させないようにからなのか、普段あまり見ないような柔らかな表情をしている。それでも、真っ直ぐ目を見ながら聞かれた。
「私は、まだ入部して日も浅いですけど、今の部活の雰囲気が嫌いじゃないので、今のままでも良いかなと思ったからですかね?」
求められている返答かは分からないが、出来るだけ真摯に答える。
「そっか」
中川先輩から発せられた短い返答では、質問の答えに満足しているかは分からなかったが、その後は何も聞いてこなかった。
「中川先輩はどっちに手を上げたんですか?」
「私はどっちにも上げなかったよ。今の私の態度で全国大会出場の方に手を上げたら馬鹿みたいだし、楽しく部活してるかって言われても嘘になるしね」
中川先輩は少し自嘲気味に笑いながら言った。
「そんなこと言ったら、何だかんだ部活にも来てくれているし、楽しく部活してません?」
私も素直に思ったことを伝えてみる。普段から積極的に会話に参加することは無いけど、何か聞いたりすると答えてくれるし、怒られたりしたことも無い。
「どうなんだろうね…正直、惰性かな」
さっきの質問の時は目線を外さずにいたのとは対照的に、中川先輩は少し俯きながら答えてくれた。
「惰性でも何でも、部活に来るのが習慣になっている時点で偉いと思いますよ。」
少なくとも、私が部活動に参加している日で中川先輩が居なかった日は無かった。ユーフォを吹いていない日は合っても、いつも窓際の特等席には座っていた。
「ありがとう」
私の返答を聞いて、中川先輩は少し嬉しそうに笑ってくれた。凄く可愛らしく笑うのが、少し意外だった。
「それより、久美子…いや、黄前さんも中川先輩と同じで手を上げていなかったですけど、何か聞いたりしましたか?」
「特に聞いてないかな。黄前さんは周りの様子を見てオドオドしているみたいだったし、私も急に質問して怖がらせたくないしね」
私も先程の多数決の時の久美子の様子を思い出してみる。明らかに動揺していて、どちらにも手を上げられていなかった。そんな久美子の様子を中川先輩も見ていて、気を使ってくれたのだろう。
「先輩…何か優しいですね」
「後輩には優しくしておかないとね、快適な部活動のためにもね」
少し含みのある事を言いながら、中川先輩は笑っていた。
——————
「久美子ってあの時、何で手を上げなかったの?」
部活が終わった帰り道。久美子と一緒に帰っている中で、気になった事を聞いてみる。
「あれはー…なんて言うかその…」
不意の質問に驚いたのか、久美子は挙動不審になりながら答えに困っていた。
「何かさ…どっちにも手を上げずらい雰囲気じゃなかった?、どっちにしても角が立つというか…」
何とか絞り出した久美子の答えは、久美子の性格を表しているなと思って、微笑ましくなってしまった。
「まぁ実際、入部したばっかりの1年生には手を上げずらかったよね。私は楽しい部活の方に上げちゃったけど」
「今までの部活の雰囲気を知らないしさ…、私自身も全国大会出場っていう目標はちょっと高すぎると思っちゃうし、かといって今みたいな全然、練習していないのもなぁ…と思っちゃうし」
「そこは、久美子がどっちに熱量を向けるかじゃないの?」
「自分の意見を通して、先輩達に何か言われるの嫌だもん」
久美子自身は中学時代の吹奏楽部で行っていた練習量より少ないと感じているのだろう。実際、合奏のレベルも高くない中で、不満には思っているが、それを表に出すのは要らない不和を生んでしまうので、八方美人になっているということなのだろう。
「気にしすぎだって、少なくとも同じパートの先輩達は別に気にしないでしょ」
「そうかなぁ…」
腑に落ちなさそうな表情をしながら久美子が呟いた。入部したばかりで、先輩達との距離も測りかねているのもあるのだろう。
「もしかして、中学時代の事を気にしてたりする?」
私の心の中に留めていた記憶から、気になっていた事を久美子に聞いてみる。
「意識してないって言うと嘘になるかも…」
中学時代、久美子が所属していた吹奏楽部がコンクールに参加する時のメンバー決めで、1年生の時に先輩とのトラブルがあったのだ。あの時は散々、久美子の事を励ましていたのを覚えている。
「大丈夫だと思うよ。少なくとも中川先輩は久美子の事をちゃんと見てる人だと、さっき話してみて思ったよ」
私は率直に、先程中川先輩と話してみて感じたことを伝えてみる。
「本当かなぁ…中川先輩っていつも不機嫌そうなオーラしてない?」
確かに部活中は常に不機嫌そうで、積極的に会話にも入ってこないので、怖い印象は持たれそうな先輩だと思う。
「そんな事ないよ、可愛らしい先輩だった」
笑顔の中川先輩の事を思い出しながら印象を伝えると、久美子は私の言っている事が信じられないような顔をしていた。