ステイゴールドになったけど   作:灯火011

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糸魚川でのステイ。

 糸魚川の市街地を抜け、有名な「ヒスイ海岸」へと足を踏み入れた。

 

 そこは砂浜ではなく、無数の小石が敷き詰められた独特の海岸線だった。波が寄せては返すたびに、丸っこい石同士がぶつかり合って「カラコロ」と心地よい音を立てている。

 

「さて……『簡単には拾えない』とは言われていたけれど」

 

 せっかく来たのだから、試さない手はない。ボクはリュックを安全な場所に下ろし、波打ち際にしゃがみ込んで石探しを始めた。

 

 最初はただの暇つぶし、ほんの冷やかしのつもりだったんだ。ウマ娘の優れた視力があれば、あるいはあっさりと見つけられるんじゃないか、なんていう甘い考えもあった。

 

 けれど、無数に転がる濡れた小石の中から、特有の角張った白い石(翡翠の原石は緑よりも白っぽいことが多いらしい)を探し出すのは、砂漠で落としたコンタクトレンズを探すような気の遠くなる作業だった。

 

 そして厄介なことに、おじさんの魂というのは、こういう「地味で無心になれる単純作業」や「宝探し」にひどく熱中しやすい性質を持っている。前世でバイクのキャブレターを納得いくまで磨き続けたり、小さなネジのサビを落とし続けたりしたのと同じベクトルだ。

 

 石の模様を眺め、波に洗われる感触を楽しみ、次から次へと石をひっくり返す。

 

「おっ、これは……いや、ただの石英か」

 

「こっちは……キツネ石(翡翠に似た偽物の石)だね」

 

 そんなことを無心に繰り返しているうちに、ふと、背中を撫でる海風がひどく冷たくなっていることに気がついた。顔を上げると、日本海の水平線はすでに濃い群青色に沈みかけ、空には一番星がポツリと瞬いていた。

 

「……うーん」

 

 ボクは手に持っていたただの丸い石を足元に落とし、小さく首を振った。

 

「悪い癖だなこりゃ」

 

 思わず自嘲気味な笑いがこぼれる。完全に時間を忘れて没頭してしまった。結局、翡翠らしきものは一つも見つからなかったけれど、不思議と徒労感はない。ただ無心で波と石と向き合う時間は、それはそれで悪くないリフレッシュになったからね。

 

 すっかり日が暮れてしまった以上、ここから市街地へ戻って美術館を目指すのは不可能だ。

 

「ま、今日はこのままここで店仕舞いとしようか」

 

 昨日、一昨日と、人の厚意に甘えて温かい布団で寝かせてもらったけれど、今夜ばかりは誰のお節介も入り込む余地のない、静かな海辺だ。ボクは波打ち際から少し離れた、風を凌げそうな消波ブロックと流木の影に陣取り、本日の寝床を定めた。

 

 バーナーを取り出し、静かに火をつける。

 

 シュゴーッという小さな燃焼音が、カラコロという波の音に混ざっていく。お湯を沸かして熱いお茶を淹れ、波間に反射する星明かりをぼんやりと眺めながら、ボクは深く息を吐いた。

 

 誰にも邪魔されない、孤独で静寂な夜。冷たい夜風も、ゴツゴツとした石のベッドも、今のボクにとっては最高の贅沢だ。

 

「明日こそ、美術館だな」

 

 温かいカップを両手で包み込みながら、ボクは静かに波間へとひとりごちた。

 

 

 翌朝、心地よい波の音で目を覚ましたボクは、軽く朝の散歩を済ませてから市街地へ戻り、開館時間ちょうどに「谷村美術館」の入り口に立っていた。

 

「ほう……これは」

 

 館内に足を踏み入れた瞬間、ボクの口から感嘆の吐息が漏れた。昨日、海鮮食堂の店主が「建物そのものが芸術品」と言っていた意味が、一瞬で理解できたからだ。

 

 シルクロードの遺跡を思わせるような、砂漠の砂を固めたような温かみのある外観もさることながら、内部の空間構成が凄まじかった。

 

 直線がほとんど存在しないのだ。壁も、天井も、床へと続くラインも、すべてが柔らかく有機的な曲線で構成されている。洞窟の中を歩いているような感覚なのに、決して暗くはない。

 

 そして何より、光の使い方が絶妙だった。

 

 計算し尽くされたスリットから差し込む自然光と、柔らかな間接照明。それらが、空間の主役である木彫りの仏像たちを、神秘的に、かつ生々しく照らし出している。

 

「素晴らしい……。光と影の加減が、仏像の表情を刻一刻と変えていくみたいだ」

 

 前世から、職人の手仕事や機能美を愛してやまないおじさんの魂が、この完璧な空間設計に激しく共鳴していた。驚いたことに、順路の途中にあるトイレに至るまで見事な曲線でデザインされており、その徹底した美意識にはもはや畏敬の念すら覚えたほどだ。

 

 ボクは歩みを極端に遅くし、一つの仏像の前に立ち止まった。

 

 荒々しい鑿(のみ)の跡が残る木肌に、天窓からの淡い光が落ちている。見る角度を少し変えるだけで、仏像が微笑んでいるようにも、深く悲しんでいるようにも見えた。

 

「……」

 

 無言のまま、ただひたすらにその造形と光の交差を見つめ続ける。

 

 普通なら立ちっぱなしで足腰が痛くなるところだけれど、ウマ娘の強靭な脚はどれだけ同じ姿勢でいても全く疲労を訴えてこない。それが、ボクの「悪い癖」にさらに拍車をかけてしまったらしい。

 

 一つの仏像をあらゆる角度から舐めるように観察し、光の移ろいを感じ取る。それだけで、平気で1時間ほどが経過していた。

 

 そんなことを館内にあるすべての仏像に対して繰り返していれば、どうなるかは火を見るより明らかだ。

 

「……ふう」

 

 最後の展示室を抜け、ふと窓の外へ視線を向けたボクは、そこでようやく我に返った。

空はすでに、燃えるような夕暮れの茜色に染まりきっていたのだ。

 

「……また、やっちゃったね」

 

 昨日の翡翠拾いに続いて、二日連続のタイムスリップだ。ボクは小さく首を振りながら、思わず自嘲気味に笑ってしまった。

 

 まあ、いい。それだけこの空間が、ボクの魂にとって極上のご馳走だったという証拠だ。時計を気にしてそそくさと通り過ぎるより、よっぽど有意義な時間の使い方じゃないか。

 

 ボクはすっかり満たされた気分で軽く伸びをすると、この素晴らしい美術館の余韻を少しだけ持ち帰るために、併設されたミュージアムショップへと足を向けた。

 

 

 ミュージアムショップを抜け、併設されている日本庭園「玉翠園(ぎょくすいえん)」の喫茶スペースに腰を下ろしたボクは、メニューにあった少し見慣れないお茶のセットを頼んでみることにした。

 

「へえ、バタバタ茶かい。名前からして面白いね」

 

 運ばれてきたのは、黒っぽいお茶が入った少し大きめの茶碗と、和菓子。そして何より目を引いたのは、二つの茶筅(ちゃせん)がくっついたような独特の形をした専用の道具だった。

 

 添えられた説明書きや店員さんの話によれば、塩でほんのりと味付けをする珍しい発酵茶で、この専用の茶筅を左右に振って泡立ててから飲むらしい。

 

「なるほど、自分で手を動かすわけだ」

 

 こういう「作業」が伴うものは、おじさんの魂を無駄にくすぐってくる。ボクはさっそく茶筅を手に取り、見よう見まねで茶碗の中で左右に振ってみた。

 

 バタバタバタッ

 

 なるほど、茶筅が茶碗の底に当たって、確かに「バタバタ」と忙しない小気味良い音が鳴る。自分の手でリズミカルに泡立てていくこの感覚は、なんだかちょっとしたエンジンのメンテナンスをしているようで悪くない。

 

 よく泡立ったところを、両手で包み込むようにして一口すする。

 

「……独特だけれど、悪くないね」

 

 微かな塩気が、発酵茶特有の素朴で深い香りをキリッと引き締めている。甘い和菓子を一口かじり、また塩気のあるお茶で流し込む。この無限ループは、なかなか危険な中毒性を持っていた。

 

 窓の外に広がるのは、計算し尽くされた見事な日本庭園だ。

 

 枯山水と豊かな緑、そして夕暮れの柔らかな光。先ほどの美術館での感動の余韻をゆっくりと反芻しながら、ボクは心静かに和菓子とお茶を楽しんだ。

 

「ごちそうさま。いい時間だったよ」

 

 すっかり心が落ち着いたところで、ボクは玉翠園を後にした。

 

 外に出ると、空はもうすっかり夜の帳(とばり)を下ろそうとしているところだった。街灯がポツリポツリと灯り始めている。

 

「さて……」

 

 ボクはリュックの肩紐を握り直し、小さく首を傾げた。

 

 今日の「宿をどうするか問題」だ。

 

 美術館の周辺は糸魚川の市街地ど真ん中だ。いくらボクが図太いとはいえ、流石にアスファルトの歩道や人の目が多い公園で堂々と寝転がる気にはなれない。かといって、海の方へ出れば昨日のような海岸線があるけれど……。

 

「昨日と同じシチュエーションっていうのも、旅のスパイスとしては少し物足りないしね」

 

 毎日違う景色で眠るからこそ、野宿は面白いのだ。市街地はダメ、海岸線もパス。となると、山側へ少し分け入るか、それともどこか手頃な無人駅でも探すか。

 

「うーん……」

 

 ボクは腕を組み、夜の糸魚川の街並みを眺めながら、思案の声を漏らした。

 

 

「うーん……名案が浮かばないね」

 

 玉翠園を出てしばらく歩き回ってみたものの、やはりしっくりくる場所は見つからなかった。

 

 仕方がないので、ボクは通りがかった犬の散歩中の地元住民らしきおじさんに声をかけてみることにした。

 

「こんばんは。突然すまないけれど、この辺りにひとっ風呂浴びられるような場所はないかい?」

 

「風呂? ああ、それならここから少し歩くが、姫川(ひめかわ)沿いに『ひすいの湯』っていう温泉があるよ。露天風呂もあっていいお湯だから、行ってみな」

 

「川沿いの温泉。それはいいね、ありがとう」

 

 親切なおじさんに教えられた方角へ向かって歩き出すと、やがて太い川の流れの音が聞こえてきた。糸魚川を貫く大きな河川、姫川だ。

 

 川沿いに到着し、教えてもらった温泉施設「糸魚川日帰り温泉 ひすいの湯」の明かりが見えた時、ボクの視線はその手前に広がる川の土手へと吸い寄せられた。

 

「……ほう」

 

 街灯の光が届かない、橋の下から少し外れた草むら。アスファルトとは違う土の柔らかさがあり、何より川のせせらぎのおかげで車の走行音も気にならない。おまけに人目にもつかないという、完璧な好立地だった。

 

「灯台下暗しとはこのことだね。今日の寝床はここに決まりだ」

 

 ボクは思わず口角を上げ、手頃な草の上の平らな場所にリュックを下ろした。

 

 寝床が確定してしまえば、あとは心置きなく温泉を楽しむだけだ。ボクは鼻歌交じりに土手を上がり、「ひすいの湯」の暖簾をくぐった。

 

「ふう……極楽だね」

 

 化石海水と呼ばれるミネラルたっぷりの塩分を含んだお湯は、少し舐めるとしょっぱく、冷えた身体の芯までじんわりと温めてくれた。露天風呂から見上げる夜空には星が瞬き、遠くから姫川のせせらぎが聞こえてくる。

 

 昼間は谷村美術館の完璧な美に酔いしれ、夜は川沿いの野趣あふれる温泉と野宿。

 

 行き当たりばったりの旅だからこそ味わえるこの完璧なコントラストに、ボクは心ゆくまで身を委ねた。

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