ステイゴールドになったけど   作:灯火011

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トレセンの宿命

 翌朝。

 

 ゴルシの時とはまた違う、静かで、けれど力強いホールド感と共にボクは目を覚ました。

 

「……おや」

 

 視線を下げると、いつもは隙のないドリームジャーニーが、ボクの身体をすっかり抱き枕にして、ぴったりと張り付いていた。規則正しい寝息を立てながら、ボクのパジャマの胸元を両手でしっかりと握りしめている。

 

「……アネゴ……」

 

 微かな寝言が、ボクの胸に直接響く。

 

 ターフで見せる「勝負師」の面影は欠片もない。完全に警戒心を解き放ち、無防備に甘えるその姿は、なんともいじらしくて愛おしかった。

 

「よしよし。いい子だね」

 

 ボクは空いている方の手で、彼女の艶やかな髪をそっと撫でた。

 

 するとジャーニーは、心地よさそうに目を細め、さらに深くボクの胸に顔を擦り付けてきた。その温もりと柔らかな感触に、おじさんの魂もすっかり絆されてしまう。まあ、たまにはこういう朝も悪くない。

 

 ボクは彼女が満足するまで、ただ静かに頭を撫で続けた。

 

 

 それから、数時間後。

 

 窓から差し込む日差しがすっかり高くなり、学園の朝のホームルームどころか、午前中の授業すらとっくに始まっているであろう時間帯。

 

「……んっ」

 

 ボクの胸元で、ジャーニーがゆっくりと身じろぎした。長い睫毛が震え、その理知的な瞳がゆっくりと開かれる。焦点が合い、目の前にあるボクの顔と、自分がボクに完全に抱きついているという状況を脳が処理するまでに、数秒。

 

「……ッ!!」

 

 ジャーニーの身体がビクッと跳ねた。弾かれたように身を起こし、バサリと布団を跳ね除ける。その色白の顔は、首の先まで一瞬にして沸騰したように真っ赤に染まっていた。

 

「あ、アネゴ!? い、今のは……いえ、今の時間は!? じゅ、授業は!?」

 

「おはよう、ジャーニー。残念ながら、午前中の授業にはもう間に合わない時間だね」

 

 ボクがベッドに寝転がったまま、ひらひらと手を振って答えると、ジャーニーは両手で顔を覆い、ベッドの端で崩れ落ちるようにうずくまった。

 

「ああっ……。わ、私としたことが……こんな時間まで寝過ごすなど……。それに、その……」

 

 彼女は指の隙間から、真っ赤な顔でこちらを窺い見て、消え入りそうな声で絞り出した。

 

「お、お見苦しいところをお見せしてしまい……本当に、申し訳ありません……」

 

 自己嫌悪と羞恥で完全にパニックに陥っている妹分。そのギャップがたまらなく微笑ましくて、ボクは身体を起こし、彼女の肩をポンと叩いた。

 

「気にするなよ。いつも気を張っている君が、あれだけリラックスして眠れたのなら、ボクとしては嬉しい限りさ」

 

 ボクは悪戯っぽく笑い、顔を覗き込んだ。

 

「それに、なかなか可愛かったよ。寝言でボクを呼ぶなんてね」

 

「~~~~ッ!! わ、忘れてください!! 今すぐ記憶から消去を!!」

 

 ジャーニーはさらに顔を赤くして、バタバタと両手を振って抗議する。あの冷静沈着な彼女をここまで取り乱させることができるのは、きっと世界広しといえども今のボクくらいのものだろう。

 

「はははっ、いいじゃないか。たまにはこうして、思い切りサボる日があったって。真面目すぎるのは身体に毒だよ」

 

 ボクはベッドから立ち上がり、軽く伸びをしてから、まだ顔を覆っているジャーニーに手を差し出した。

 

「さて。どうせ授業には遅刻したんだ。腹を括って、遅めの朝飯でも食べに行こうか」

 

「……アネゴは、本当に……」

 

 ジャーニーは恨めしそうにボクを見上げながらも、観念したように小さなため息を吐き、差し出したボクの手をそっと握り返した。

 

「仕方ありませんね。……今日だけは、アネゴのその不良なペースに付き合ってあげます」

 

 少しだけツンとした顔を取り繕いながら立ち上がる彼女と一緒に、ボクは休日のような穏やかな空気の中、食堂へ向かって歩き出した。

 

 

 午前中のサボりを取り返すように、放課後のターフでしっかりと汗を流していた時のことだ。

 

 メニューを終えて息を整えているボクの前に、見知らぬスーツ姿の人物が現れた。名刺を差し出してくる様子からして、どうやらどこかのチームのスカウトらしい。熱心に語りかけてくるけれど、生憎とボクには全く刺さらない内容だった。

 

「興味ないなー。ボクは今の気ままな環境に満足しているからね」

 

 ひらひらと手を振って適当にあしらおうとするが、相手も仕事柄なのか食い下がりがしつこい。やれやれ、面倒なことになったな、と溜息をつきかけたその瞬間――。

 

 ガシッ!

 

 背後から力強い腕が回り込み、ボクの身体は丸ごとすっぽりと抱き抱えられた。

 

「おうおう! ステゴが『興味ねー』っつってんだから、さっさと引き下がりな!」

 

 頭上から降ってきたのは、聞き慣れた芦毛の破天荒な声だ。ゴルシはボクを背後からガッチリとホールドしたまま、スカウトに向かってシッシッと犬でも追いはらうような仕草をした。

 

 その有無を言わさぬプレッシャーと、鋭い眼光に気圧されたのだろう。スカウトは「し、失礼しました……!」と逃げるようにコースから去っていった。

 

「ふう。助かったよ、ありがとう、ゴルシ」

 

「へへん、困った時はお互い様だぜ!」

 

 ボクは軽くお礼を言って歩き出そうとしたのだが……一向に、ゴルシの腕が解ける気配がない。

 

「……あの、ゴルシさん?」

 

 ボクはウマ娘の中でも小柄な部類だが、ゴルシは長身で体格もいい。背後から完全に抱き込まれる形になっているせいで、ボクの後頭部には、彼女のその……発達した豊かな胸の柔らかな感触が、これでもかというほど密着して押し当てられていた。

 

 ウマ娘の身体を持つボクの意識はともかく、中身が『おじさん』であるボクの精神にとっては、これはいささか……いや、かなり心臓に悪いシチュエーションだ。ジャーニーに「いかがわしい感情はない」と断言した手前、ここで変に動揺するわけにはいかない。

 

「ゴルシ。もうスカウトは行ったよ。そろそろ、離してくれないかな?」

 

 ボクがなるべく冷静な声を取り繕ってそう言うと、頭の上でゴルシが「んー」と短く唸った。そして、離すどころか、さらにギュッとホールドする腕の力を強めてきた。

 

「やーだね」

 

「やだ、って……ボクはこのままじゃ着替えにも行けないんだけど?」

 

「だーめ」

 

 ゴルシはボクの肩にポンと顎を乗せ、耳元でふてぶてしく、けれどほんの少しだけ寂しそうな声で呟いた。

 

「今ここでパッと手ぇ離したら、お前、また風に乗ってふらっとどっか行っちまいそうだからな。今日はアタシがガッチリ捕まえといてやるよ」

 

「……やれやれ」

 

 朝はジャーニーに抱き着かれ、夕方はゴルシに背後からホールドされる。ボクの周りにいる後輩たちは、どうしてこうも不器用で甘えん坊ばかりなんだろうか。

 

 後頭部に当たる柔らかすぎる感触に内心で大いに冷や汗を流しながらも、ボクは小さく息を吐いた。彼女のその子供のような我儘に免じて、今日ばかりは腕の力が緩むまで、大人しく捕まっておいてやるとしようか。

 

 

 その晩。

 

 ボクたちは寮の談話室のソファに陣取り、食後のティータイムを過ごしていた。話題に上ったのは、当然、今日の放課後に現れたスカウトの件だ。

 

「……実際、スカウトはどうされるおつもりですか?」

 

 ジャーニーが、カップをソーサーに置きながら静かに切り出した。

 

「基本的にはアネゴの好きにすればいいとは思いますが……このまま無所属でいるのも、色々と不都合が出てくる時期ですからね」

 

「そうそう。ステゴの気の向いたいい時期に決めりゃあいい、って言いてーけどよ」

 

 隣で雑誌を読んでいたゴルシも、少しだけ真面目な顔になってボクを見た。

 

「あんまりフリーのまま放置してると、最悪『退学』だぜ? 学園のルール的にもよ」

 

「退学、か」

 

 ボクはマグカップの縁を指でなぞりながら、小さく息を吐いた。

 

 いくらおじさんの魂が「自由気ままな放浪」を愛しているとはいえ、ボクのベースはトレセン学園で走るウマ娘だ。走る場所を失ってしまえば、元も子もない。あのターフの風を切る快感や、こいつらと並走する熱い時間は、この学園の生徒であるからこそ味わえるものだ。

 

「うーん……。でも、だからって、焦って適当なチームに決めたらダメだよね?」

 

 ボクが確認するように二人の顔を交互に見ると、ゴルシとジャーニーは、これ以上ないほど力強く、深くコクリとうなづいた。

 

「当たり前だ!」

「当然です」

 

 息の合った二人の声が見事に重なる。

 

「お前みたいなピーキーな暴れ……いや、我が道を行くヤツを、適当な枠やマニュアルに押し込めようとするチームに入ったら、お互いに不幸になるだけだからな」

 

「ええ、その通りです。アネゴの走りの本質や、その……内面にある『おじさん』のような特異な感性も含めて、すべてを深く理解し、導けるトレーナーでなければ。妥協は絶対に許されません」

 

 二人の真剣すぎる眼差しに、ボクは思わず苦笑してしまった。自分のこと以上に、ボクの将来を真剣に考えてくれている。本当に、手はかかるけれど最高に出来のいい後輩たちだ。

 

「わかった、わかったよ。君たちが言うなら、急いで適当に決めるような真似はしないさ。……ボクのこの特殊なエンジンを最大限に活かしてくれる、最高の『専属メカニック』を見つけるまで、じっくり吟味させてもらうとしようか」

 

 ボクが飄々と笑いながらそう答えると、二人はホッとしたように顔を見合わせ、満足げにそれぞれのカップを手にとった。

 

 談話室の穏やかな夜の時間は、他愛のないおしゃべりとともに、ゆっくりと更けていった。




次話でラストです。
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