ステイゴールドになったけど   作:灯火011

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思い当たったけどステゴだし。

 喜多方の老舗に滑り込み、名物の平打ちちぢれ麺を啜りながら、ボクはふとある重要な事実に思い至った。

 

「……そういえば、ボクは今、トレセン学園の生徒だったね」

 

 柔らかいチャーシューを噛み締めながら、脳内の記憶をゆっくりと整理する。

 

 ステイゴールドというウマ娘である以上、学園に所属し、いずれはターフの上でレースを走らなければならないらしい。大勢の観客の視線を浴びながら、決められたコースを周回し、他のウマ娘たちと勝敗を競い合う。

 

 それは、あてもなく気の向くままに進むこの自由な旅とは、完全に対極にある行為に思えた。孤独を愛するおじさんとしてのボクの気質からすれば、正直言って少しばかり窮屈そうだ。

 

 それに、あんな風に全力で競い合うことに、ボクは情熱を持てるんだろうか。

 

「ま、どうにかなるさ」

 

 思考をそこで打ち切り、ボクは残りのスープを飲み干してどんぶりを置いた。

 

 先のことを今から心配しても仕方ない。走ること自体は嫌いじゃないし、いざとなればこの身体のポテンシャルで適当にやり過ごす方法も見つかるだろう。今はただ、この美味しいラーメンの余韻と、目の前にある自由を楽しむのが先決だ。

 

 店を出て、再びペースを上げて駆け出す。

 

 食後の身体は軽く、風を切る感覚はどこまでも心地よい。流れる景色をただ無心で楽しんでいるうちに、気がつけば磐梯吾妻の麓まで来ていた。かつて二輪で走りたいと目星をつけていた、絶景のワインディングロードの入り口だ。

 

 ふと空を見上げれば、空はすっかり深い茜色に染まり、そびえ立つ山の稜線が黒い影となって浮かび上がり始めていた。風の冷たさと日差しの傾きが、そろそろ一日の終わりを告げている。

 

「……いい時間だね」

 

 山道へ入るのは明日にしよう。ボクは街道から少し外れた、木立に囲まれた静かなスペースを見つけると、そこにリュックを下ろした。

 

 宿を取るのもいいけれど、こういう静かな夜は野宿に限る。ウマ娘の頑強な身体なら、土の上で少しばかり丸くなったところで身体を痛めることもないだろうし、何より、誰の気配もしないこの静寂がたまらなく心地よかった。

 

 リュックからコンパクトなバーナーを取り出し、手早くお湯を沸かす。こんなこともあろうかと忍ばせておいた茶葉で、熱い紅茶を淹れた。上質な茶葉の香りが、夕暮れの冷たい空気の中でふわりと広がる。

 

 カップから立ち昇る湯気越しに、群青色に沈んでいく空を見上げる。ポツリと、一番星が瞬き始めていた。

 

「……悪くないね」

 

 温かい紅茶を一口すすり、ボクは誰に聞こえるでもなく、静かにそう呟いた。

 

 

 翌朝、ボクは少し山を登って、高湯温泉に立ち寄ることにした。

 

 白濁したお湯から立ち昇る、強い硫黄の匂い。露天風呂には、先客である何人かのウマ娘たちがのんびりと羽を伸ばしていた。

 

 かつておじさんだったボクの魂からすれば、ここは紛れもなく女湯であり、本来ならひどく狼狽えたり、居心地の悪さを感じたりする場面なのだろう。けれど、不思議なほど心は凪いでいた。他人の性別がどうとか、自分が今どんな姿をしているかとか、そんな瑣末なことはどうでもよかった。

 

 ただ、冷えた身体にじんわりと染み渡るお湯の熱と、静かな朝の空気がそこにあるだけ。ウマ娘としての本能がそうさせるのか、それともボクの魂が単に枯れているだけなのかはわからない。ともかく、ボクはただの旅人の一人として、無心でお湯の恩恵を味わった。

 

「……ふう」

 

 風呂から上がり、外に出る。硫黄の匂いを微かに纏った火照る身体を、山の冷たい風がさっと撫でていく。それがひどく心地よかった。

 

 見上げれば、磐梯吾妻の空はどこまでも高く澄み切っている。このまま下界へ降りてしまうのは、少し勿体ない気がした。ボクはふらりと、さらに標高を上げるルートへと足を踏み入れた。目指すは一切経山。その頂の近くにある、「魔女の瞳」と呼ばれる火口湖だ。

 

 かつてのボクなら、重い登山靴を履き、汗だくになって息を切らしただろう険しい山道。けれど、今のこの身体にとっては、ちょっとした散歩のようなものだ。急勾配の岩場も軽快に跳び越え、乾いた土を蹴り、高山植物の群生を抜けていく。自分の呼吸と足音だけがリズミカルに響く。

 

 やがて視界が開け、眼下に巨大なすり鉢状の地形が現れた。

 

 そこに湛えられていたのは、吸い込まれるようなコバルトブルーの水面。太陽の光を反射して静かに輝くその瞳は、ここまで登ってきた者だけが独占できる、静寂の絶景だった。

 

「なるほど、確かに魔女に見つめられているような気分になるね」

 

 ボクは誰に言うでもなく呟き、岩場に腰を下ろした。吹き抜ける風の音だけを聞きながら、しばらくその深い青をただ眺めていた。

 

 満足するまで景色を堪能したあと、ボクは山の反対側へと駆け下りた。

 

 裏磐梯の緑を抜け、会津の街へと続く道を、風に身を任せるように下っていく。ブレーキをかける必要もない。自分の脚が持つ完璧なサスペンションが、すべての衝撃を吸収してくれる。

 

 山を下りきり、会津盆地の古き良き街並みが視界に広がる頃には、空は再び鮮やかな茜色に染まり始めていた。

 

「さて。いい時間だ」

 

 今日はこの街のどこかで夜を明かそうか。それとも、美味しい郷土料理の店でも探してみようか。

 

 ボクは背中のリュックを軽く揺らしながら、黄昏時の街へとゆっくり歩みを進めた。

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