浜松方面へ向けて快調に海沿いのルート(国道1号)を走っていた途中。
磐田市のあたりに差し掛かったところで、ボクの中の『おじさん』の魂が、突然抑えきれないほどの熱を帯びて騒ぎ出した。
「あ、ちょっと待ってくれ、トレーナー」
ロードバイクで前を牽いていた彼女に声をかけ、ボクたちは路肩に止まった。
「どうしたのステゴ? どっか痛めた!?」
「いや、ボクの脚じゃなくてね。……この近くに、どうしても素通りできない『聖地』があるんだ。寄り道していかないかい?」
ボクが提案したのは、磐田にある『ヤマハコミュニケーションプラザ』と、浜松にある『スズキ歴史館』への訪問だ。
普段はホンダの二輪車(前世の記憶にある愛車たちだ)を愛するおじさんの魂だが、世界に誇る日本の二輪車メーカーの歴史と最新技術が詰まったミュージアムの近くを通って、素通りできるほど枯れてはいない。
「ヤマハとスズキのミュージアム? ……まあ、せっかくここまで来たんだし、いいよ! メカニカルなものを見るのは私も大好きだしね!」
自転車狂であるトレーナーも、この提案には二つ返事で乗ってくれた。
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そうして足を足を踏み入れた展示施設は、おじさんの魂にとってまさに『楽園』だった。
「おお……歴代のMotoGPマシン……美しい。このエキゾーストパイプの曲がり具合、まさに芸術品だね」
ずらりと並ぶ名車や、極限までチューニングされたレース用バイクの数々。ボクはウマ娘の姿でありながら、展示されているエンジンのカットモデルやアルミフレームの溶接痕を、穴が開くほど見つめてため息を漏らしていた。周囲の客が
「なんでウマ娘がエンジンを見て感動してるんだ……?」
と奇異の目を向けていたが、知ったことではない。一方、ボクの隣では。
「……なるほど。空気抵抗を極限まで減らすためのカウルの流線型……それに、コーナリング時の荷重移動を最適化するサスペンションのストローク計算……」
元プロアスリートであり、筋金入りの「自転車バカ」であるトレーナーの目が、まるで新しいおもちゃを見つけた子供のように、いや、新発見をしたマッドサイエンティストのようにギラギラと輝いていた。
彼女は展示されている風洞実験のデータや、最新鋭の電子制御サスペンションの解説パネルに張り付き、手元のスマートフォンで猛烈な勢いでメモを取っている。
「ねえ、ステイゴールド!」
スズキ歴史館の軽量化技術の展示コーナーを食い入るように見ていたトレーナーが、突然、バッと振り返ってボクの両肩を掴んだ。
「なんだい、急に」
「これだよ! この『アクティブサスペンション』の概念と、スリップストリームから抜け出す時の『空力抵抗の制御』!」
彼女は興奮冷めやらぬ様子で、展示されていたレーシングマシンのフロントカウルとタイヤを指差した。
「君の走りは規格外のパワーがある分、最終コーナーでの荷重移動にほんの少しだけロスがあった! でも、この二輪車のサスペンションの沈み込みと反発のタイミングを、君の足首と膝のクッションに連動させて応用すれば……もっと鋭く、もっと爆発的にコーナーを立ち上がれる!」
「……おや」
「それに、前のウマ娘の風除けから抜け出す時の姿勢! カウルが風を切り裂くように、君の体幹の角度をあと数度だけ前傾させて、空気の壁を『滑る』ように設計し直せば……最高速に乗るまでの時間が、コンマ何秒か確実に縮まる!」
彼女の口から次々と飛び出す、二輪車の最新技術とウマ娘の身体操作を悪魔合体させたような、突拍子もない理論。だが、ボクの中のウマ娘としての本能と、おじさんの経験則が同時に告げていた。『それ』は机上の空論ではなく、間違いなくボクの走りをさらに上の次元へ引き上げるための、完璧なピースだと。
「……ははっ!」
ボクはたまらず、展示室のど真ん中で声を上げて笑ってしまった。
「あんたって人は、本当に最高のメカニックだよ。まさか旅行の寄り道で、新しいチューニングのアイデアを見つけてくるなんてね」
「思いついたからには、早く試したくてウズウズしてきたよ! 浜松のウナギと餃子を食べたら、即行で学園に戻ってシミュレーションを組まなきゃ!」
すっかり「観光モード」から「勝負師の顔」に戻ってしまった相棒を見て、ボクは呆れながらも頼もしく思い、肩をすくめた。
せっかくの勝利の慰安旅行だったはずが、結局はレースと走ることに行き着いてしまう。
でも、それこそがボクたちに一番似合っている。最新のエンジンと空力技術を目に焼き付けたボクたちは、次なる勝利への強烈なインスピレーションを胸に、意気揚々と浜松の街へと繰り出していった。
■
ミュージアムでの思わぬ収穫にホクホク顔のトレーナーと共に、浜名湖の東岸、舘山寺(かんざんじ)温泉の周辺へと到着した頃には、辺りに香ばしい醤油と炭火の匂いが漂い始めていた。
「本当に腹ペコ! 私は絶対に奮発して、特上のうな重にするからね!」
鼻息を荒くして暖簾をくぐったトレーナーは、宣言通りに極厚のうなぎが乗ったお重を注文した。一方のボクは、お品書きを眺めながら少しばかり迷っていた。もちろん定番のうなぎも食べたい。しかし、この舘山寺周辺の夏の限定名物として、おじさんの知識と胃袋を強烈に刺激するメニューがあったのだ。
「……すいません。ボクは『鱧カバ丼』を。それと、肝焼きを一つ」
「鱧? 浜松まで来てうなぎじゃないの?」
「ふふ、甘いなトレーナー。浜名湖はうなぎだけじゃなく、鱧の水揚げも盛んなんだよ。脂の乗った鱧を、うなぎの蒲焼きのタレで香ばしく焼き上げたのがこの『鱧カバ丼』さ。おじさんの渋い胃袋が、こいつを逃す手はないと叫んでいてね」
やがて運ばれてきた料理を前に、ボクたちは「いただきます」と手を合わせた。
まずは二人で頼んだ『肝焼き』を串から外し、つつき合う。口に広がる独特のほろ苦さと、濃厚なタレの甘辛さ。
「くぅ〜っ、この苦味がたまらないね。これは絶対に日本酒が欲しくなる味だけれど……今は熱いお茶で我慢しておこう」
「ほんとだ、大人の味! ご飯が進むやつだね!」
そして、メインディッシュ。
トレーナーのうな重は、箸でスッと切れるほどフワフワで、脂がたっぷりと乗っている。ボクの鱧カバ丼は、鱧の天婦羅に蒲焼きのタレがしっかりと絡み、トッピングの海苔と大葉が絶妙なアクセントになっていた。一口噛めば、タレの香ばしさと共にサクサクと衣の触感、そして鱧の淡泊な身から旨味が溢れる。
「ね、ね、ね。ステゴ。その鱧一つちょうだい! 代わりに私のうなぎの一番分厚いとこ、ひと切れあげるから!」
「おや、交渉成立だ。ほら、口を開けな」
ボクたちは互いのメインディッシュを少しずつ交換し合い、浜名湖の絶品をこれでもかと堪能した。
「……ぷはーっ! 食べた食べた! もうペダル回せないかも……」
「ボクも、いくら燃費が悪いとはいえ流石に満腹だ」
すっかりお腹を満たしたボクたちは、満足げに店を後にした。夕暮れ時、茜色に染まる浜名湖の湖面を左手に見ながら、のんびりとしたペースでさらに北上を続ける。目指すは、今夜の宿だ。
豪華な温泉旅館も悪くはないけれど、ボクたちが選んだのは奥浜名湖の湖畔に建つ『国民宿舎』だった。
「こういう無駄を省いた実用的な宿こそ、我々のような旅人には落ち着くんだよ」
「わかる! 合宿所っぽくて、なんかワクワクするよね!」
華美な装飾はないが、掃除が行き届いていて、何より湖の眺めが素晴らしい。部屋に荷物を置き、畳の上にゴロンと大の字に寝転がったトレーナーの隣で、ボクも静かに胡座をかいた。
「いい旅だね、トレーナー」
「うん。……でも、さっきのサスペンションの理論の組み込み方、早く紙に書き出したくてウズウズしてるんだけどね!」
「はははっ、本当にあんたはブレないな」
浜名湖の静かな夜の波音を聞きながら、ボクたちは明日の予定と、そして学園へ帰った後に待ち受ける「新しいチューニング」の話題で、夜更けまで笑い合い、語り明かした。
このささやかな休息が、ボクたちのエンジンをさらに熱く、鋭く研ぎ澄ましてくれることを確信しながら。
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翌朝。奥浜名湖の清々しい空気を胸いっぱいに吸い込み、ボクたちは国民宿舎を後にした。
再びロードバイクとウマ娘の並走で風を切り、向かったのは浜松の市街地。昨日から海鮮、うなぎと続いたグルメ旅の締めくくりは、もちろん「浜松餃子」だ。
お昼時、ボクたちが暖簾をくぐったのは、地元の人で賑わう大衆食堂のような活気あるお店だった。
「おおっ! 餃子が円形に並んでて、真ん中にモヤシが乗ってる! これが本場の浜松餃子か!」
運ばれてきた大皿を見て、トレーナーが目を輝かせる。
「いただきます」
と手を合わせ、熱々の餃子をタレにつけて頬張る。キャベツの甘みがたっぷりと詰まった餡はあっさりとしていて、いくらでも胃袋に吸い込まれていく。箸休めのモヤシが良い仕事をしていて、油っこさを全く感じさせない。
「宇都宮の餃子は『餃子専門店』で、餃子とライス、せいぜいビールくらいでストイックに味わう店が多いんだけどね。浜松はこういう風に、ラーメンやチャーハンなんかの中華料理と一緒に、おかずとして餃子を楽しむスタイルが主流なんだよ」
ボクが前世の記憶……いや、おじさんの地元である宇都宮の知識を交えて解説すると、トレーナーは「へええ!」と感心しながら、ラーメンを啜り、チャーハンを掻き込み、そしてまた餃子に箸を伸ばした。
「どっちのスタイルも最高だね! よし、おばちゃん、餃子もう一枚追加で!」
「ボクもチャーハンのおかわりをもらおうか」
結局、アスリートとウマ娘の規格外の胃袋を持つボクたちは、テーブルの上の皿がすべて空になるまで、限界まで浜松の味を堪能し尽くした。
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「……いやあ、食った食った。大満足の慰安旅行だったね」
店を出て、帰りの新幹線の時間まで少し浜松の街をのんびりと歩く。お腹を満たし、新しいチューニングのインスピレーションも得て、ボクたちのエンジンは心身ともに最高の状態に仕上がっていた。
夏の日差しの中。ボクは立ち止まり、ロードバイクを押して歩くトレーナーの方へと向き直った。
前世の記憶。おじさんの魂。並行世界の泥臭い戦い。
ボクの中にある、面倒で複雑な部品のすべてを打ち明けたこの旅。それを彼女は笑い飛ばし、さらなる速さのための燃料へと変えてみせた。このメカニックに、ボクのすべてを預けて本当に良かったと、心の底から思えた。
「改めて……よろしく頼むよ、トレーナー」
ボクは真っ直ぐに彼女の目を見据え、右手を差し出した。
すると、彼女はロードバイクを支えながら、一切の躊躇なくその手を力強く握り返してきた。
顔を見てみれば、そこにあったのは太陽のような、どこまでも明るく不敵な笑顔。
「こちらこそ! あなたの中身、おじさんも過去の記憶も、全部まるっと面倒見るわよ!」
力強い宣言が、浜松の空に響き渡る。
「はははっ! そいつは頼もしいや」
交わした握手から伝わる、熱い体温と確かな信頼。複雑な魂を宿したウマ娘と、全てを捨てて彼女を選んだ規格外のトレーナー。この凸凹な相棒と共に駆け抜ける新しい旅路は、きっと誰にも見たことのない、極上の景色へと続いている。
ボクたちは互いに笑い合い、さらなる高みを目指すべく、始まりの場所であるトレセン学園へと向かって歩き出した。