ステイゴールドになったけど   作:灯火011

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ARIMA KINEN-The Grand Prix(前) 

 そして、いよいよ運命の有マ記念の幕が上がる。

 

 この日のために極限まで仕上げられた18人の精鋭たちが、冬の冷気を切り裂くような熱気と共にパドックへと姿を現した。顔見知りのウマ娘たちとの挨拶回りもそこそこに、ボクは気合の入った足取りでお披露目を始める。

 

 スタンドを見上げれば、そこには信じられないほどの数の横断幕が風に揺れていた。

 

『黄金旅程、凱旋!』『不屈のステイゴールド』『今日も見せてくれ、その末脚を!』

 

 ――香港での劇的な勝利を経て、ファンたちの期待も最高潮に達しているのが肌で感じられる。

 

 ボクはニヤリと笑い、応援してくれるファンたちに向けて、力強く右の拳を突き上げて応えた。どよめきと大歓声がパドックを包み込む。エンジンのアイドリングは、これ以上ないほど絶好調だ。

 

 

 パドックでの周回を終え、いざ決戦の舞台へと繋がる薄暗い地下通路を歩いていた時のことだ。

 

「――ステイゴールドさん」

 

 凛とした、けれど内側に青白い炎を宿した声がボクを呼び止めた。振り返らなくてもわかる。この透明で狂気的なまでの闘気は、サイレンススズカだ。

 

 彼女はボクの隣に並び掛けると、前を見据えたまま、静かに、けれど絶対的な自信を持って宣言した。

 

「今日は、逃げ切ります」

 

 それは、かつて秋の天皇賞でボクに追い詰められ、そして有マの急坂で『逃げて、差す』という理不尽を通した彼女からの、純粋な逃亡者としての宣戦布告。

 

「おお怖い」

 

 ボクは肩をすくめ、不敵に口角を吊り上げた。

 

「……怖過ぎて、差し切っちゃうかもしれないよ。スズカ」

 

 スズカはフッと口元を綻ばせ、こちらへ拳を差し出した。ボクも拳を握り、ゴツンと軽く打ち付ける。お互いに絶対に先頭の景色は譲らない。その確かな意志の疎通だった。

 

 スズカが先へ進んでいくのと入れ替わるように、今度は重厚で華やかなオーラがボクの前に立ち塞がった。

 

「やあ、ステゴ先輩。香港での走りは実に素晴らしかった!」

 

 大仰な身振りで現れたのは、世紀末覇王・テイエムオペラオー。彼女は優雅に微笑みながらも、その瞳の奥には王者の苛烈な光を宿している。

 

「だが、今日の主役は譲れない。ボクは、その眩い黄金すらも完全に覆い尽くして、センターに立ってみせるとも!」

 

「ははっ。いいね」

 

 かつては絶望すら覚えた覇王の重圧。だが、今のボクにはそれが極上のスパイスにしか感じられない。

 

「かかってこいよ、世紀末覇王。……今回は譲らないよ?」

 

 ボクが挑発的にウインクをして見せると、オペラオーは、

 

「望むところさ! 不屈の黄金よ!」

 

 とマントを翻して歩み去っていった。強敵(ライバル)たちとのぶつかり合いに、シリンダーの熱が限界突破の予兆を見せ始めた、その時。

 

「……先輩」

 

 聞き慣れた、誇り高くも少しだけ震える声が響いた。振り返ると、そこには見慣れた緑と黄色の勝負服――キングヘイローが立っていた。

 

「やあ、ヘイロー!」

 

 ボクは途端にファンの顔になり、嬉々として声を弾ませた。

 

「サイン、ちゃんと部屋の特等席に飾ってるよ! 今日も――」

「ステゴ先輩」

 

 キングヘイローは、ボクのファンボーイ全開の言葉を遮るように、一歩前へ踏み出した。

 

 その瞳は、いつかラウンジでサインをねだった時のパニックになった下級生のものではない。幾度も泥を舐め、絶望を味わい、それでも不屈の闘志で這い上がってきた『一流の勝負師』の目をしていた。

 

「同じ、『G1』ウマ娘として。……今日は私が、あなたを差し切らせていただきます」

 

 真っ向からの、一点の曇りもない挑戦状。

 

「……ッ!」

 

 その瞬間。ボクの背筋を、ゾクゾクとするような極上の歓喜が駆け抜けた。

 

 ――ボクの愛してやまない、最高のウマ娘。彼女が今、同じ頂を極めた者として、全力でボクの首を獲りにきている。

 

「ああ……悪くない。悪くないな」

 

 ボクは抑えきれなくて、低く笑い声を漏らした。

 

「だが。……悪いな、ヘイロー」

 

 ボクは、いや――『私』は、振り返り、限界まで熱を帯びた黄金の瞳で、憧れのウマ娘を真っ直ぐに射抜いた。

 

「『私』が勝つ。憧れの、お前を抑えてな」

 

 キングヘイローが一瞬だけ息を呑み、そして最高に誇り高い笑みで

 

「受けて立たせて、いただきます」

 

 と応える。もう、思い残すことは何もない。あとはこの熱を、すべてターフの上で爆発させるだけだ。

 

「さあ、行こうか!」

 

 私は薄暗い地下通路を抜け、大歓声の待つ、光り輝く冬のターフへと力強い一歩を踏み出した。

 

 

 冬の中山、凍てつくような空気を震わせる大歓声とファンファーレが鳴り止むと同時に、18のゲートが勢いよく弾け飛んだ。

 

 地鳴りのような歓声と、一斉にターフを蹴り上げる蹄鉄の轟音が重なり合う。怒涛のフルゲート、巻き起こる土塊と風の渦の中から、真っ先にハナを奪い取ったのは当然のように白緑の勝負服――。

 

 異次元の逃亡者、サイレンススズカだった。

 

 大外だろうが内枠だろうが関係ない。

 

 彼女は一切の淀みなく先頭の景色を切り取ると、中山のトリッキーなコースを滑るように駆け抜けていく。そのラップタイムは、あの運命を超えた有マ記念と同じ。決して後先を考えない暴走ではない。自身の限界と後続のスタミナを正確に削り取るための、残酷なまでに美しく計算された逃亡ペースだ。

 

 その狂気的な先頭から数バ身離れた好位の集団。そこにボク――ステイゴールドは息を潜めていた。

 

 周囲には、静かなる漆黒の覇気を漂わせるマンハッタンカフェの姿がある。彼女の底知れないオーラが、虎視眈々と前を狙う集団に異様なまでの緊張感をもたらしていた。さらに前方には、名門の意地を胸に秘めたメジロブライトや、水晶玉の導き――シラオキ様の啓示を信じて完璧な位置取りを見せるマチカネフクキタルが、それぞれの戦略を胸に確かな足取りでターフを掴んでいる。

 

 レースが向正面へと差し掛かった時、張り詰めていた空気がついに動いた。

 

「行きますわ……!」

 

 後方に控えて末脚を温存するのがセオリーだったはずのメジロブライトが、その無尽蔵のスタミナを武器に、淀みない足取りで外からジワリと進出を開始したのだ。

 

 ただ待つだけではない。自ら動いてプレッシャーをかけ、前方のスタミナを削りに行く能動的なステイヤーへの進化。この数年という途方もない時間は、彼女たち全員に新たな戦略と、極限の駆け引きを身につけさせていたのだ。

 

 ブライトの進出、そしてその背後に控える覇王テイエムオペラオーらの重圧。

 

 それを受けた先頭のサイレンススズカは――なんと、いとも容易く『先頭の景色』を譲り渡した。

 

 かつての彼女なら、意地でもハナを切り続けたはずだ。だが、今の彼女は違う。ブライトやオペラオーたちが作り出した風の壁(スリップストリーム)へと滑り込み、巧みに空気抵抗を減らして自身の脚を極限まで溜め始めたのだ。

 

 逃げウマ娘としてのプライドを捨てたわけではない。それは、最後の急坂で、あの理不尽極まりない『逃げて、差す』という究極の末脚を爆発させるための、最高にクレバーで恐ろしい戦術的撤退。

 

「……進化しているのは、お互い様ってわけだ」

 

 私は喉の奥で低く笑いながら、胸の奥底で唸りを上げるシリンダーの温度が、最適な領域へと達していくのを感じていた。

 

 目の前で繰り広げられる、一瞬の判断ミスが命取りになる、『バケモノ』たちによる高次元の盤上遊戯。だが、それに飲み込まれるようなヤワなエンジンは積んでいない。

 

 内側をピタリと回り、勝負の時を待つマチカネフクキタル。そして大外からは、一流の勝負師として、完全に研ぎ澄まされたキングヘイローが、不屈の闘志をギラつかせながら、自らの刃を振るう最高のタイミングを虎視眈々と狙っている。

 

 スズカの不気味な沈黙。ブライトの猛進。オペラオーの王者の重圧。カフェの底知れぬ追走。18人の極限のエゴイズムと執念が複雑に絡み合い、見えない火花を散らす。

 

 一瞬の瞬きすら許されない、混沌と緊張が極限まで煮詰まった重苦しい空気の塊を引き摺ったまま――、ウマ娘たちの集団は、いよいよ勝負の分水嶺である第3コーナーへと雪崩れ込んでいった。

 

 

 真っ先に動いたのは、好位でじっと機を伺っていたマチカネフクキタルだった。

 

「シラオキ様の導きは……ここですッ!」

 

 かつてクラシック戦線で並み居る強豪たちを撫で斬りにした、あの全盛期を彷彿とさせる神憑り的な末脚。彼女は一切の迷いなく一気に加速し、前で脚を溜めていたサイレンススズカを完全に捉えにかかる。

 

 だが、スズカはその強襲すらも涼しい顔で待ち受けていた。

 

「……ふふっ」

 

 前方の風よけを利用し、極限まで温存していたスタミナ。それを解放し、彼女は再び『逃亡者』としての牙を剥く。フクキタルに並ばれそうになったその刹那、スズカは恐るべき『差し』の脚を発揮し、ロケットのような再加速で先頭の景色をあっさりと奪い返したのだ。

 

「逃がさないよ、スズカ君!」

「このまま押し切りますわ!」

 

 そこへ怒涛の勢いで襲いかかるテイエムオペラオーとメジロブライト。世紀末覇王の絶大な圧力と、名門の意地を懸けた重厚なスタミナが激突し、先頭集団は火の出るような激しい叩き合いへと発展していく。

 

 前方で繰り広げられる、バケモノたちによる凄まじいエゴイズムのぶつかり合い。その後方で、ボクは極めて冷静に戦況を分析していた。

 

(やり合え、やり合え。……そうやって意地を張り合えば、必ず『道』は開く)

 

 彼女たちが激しくぶつかり合い、外へ外へと膨らんでいくその一瞬の隙。ぽっかりと空いた、最内の最内。

 

 私は這いつくばるように姿勢を低くし、クレバーにそのただ一点の『穴』へとシリンダーの推力を叩き込んだ。泥まみれのイン突き。長年の敗北から学び、極限まで研ぎ澄ませた私の真骨頂だ。

 

 だが、中山の魔物は内側だけに潜んでいるわけではない。

 

「……どいて、ください」

 

 凄まじい風切り音と共に、大外をぶん回して突っ込んでくる漆黒の影。マンハッタンカフェだ。セオリーを完全に無視した大外刈り。常識外れの距離ロスを、底知れぬ圧倒的なポテンシャルだけでねじ伏せる、新時代の恐るべき末脚が進出を開始する。

 

 そして、そのカフェが作り出した風の道を利用し、さらにその後ろから獰猛な牙を剥く、誇り高き緑の勝負服。

 

「ここよッ!!」

 

 キングヘイロー。幾度も絶望を味わいながら、ついにその旅路を完成させた不屈の勝負師。彼女もまた、大外からカフェに食らいつくようにして、執念の末脚を限界まで引き絞っていた。

 

 先頭で再加速するスズカ。中央で死闘を演じるオペラオー、ブライト、フクキタル。

大外からすべてを飲み込もうとするカフェとヘイロー。そして、ぽっかりと空いた最内を、泥臭く鋭く突き進むボク。

 

 内と外。

 

 積み上げてきた6年間の執念と、新世代の絶対的な才能。18の極限の思いが激しくぶつかり合い、火花を散らしながら――。

 

 バ群はついに、中山の短くも残酷で、そして最も美しい、最後の直線へと向き直った。

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