ステイゴールドになったけど   作:灯火011

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ARIMA KINEN-The Grand Prix(後) 

 地鳴りのようなスタンドの大歓声が、中山の短い直線へと雪崩れ込んできた18人のウマ娘たちを容赦なく飲み込んでいく。

 

 大歓声を切り裂くようにして、大外から異次元のストライドで飛んできた漆黒の影と、緑の勝負服。マンハッタンカフェとキングヘイローだ。

 

 底知れぬ新時代の才能と、極限まで研ぎ澄まされた不屈の勝負師。二人の恐るべき末脚は、心臓破りの急坂で粘り込みを図るサイレンススズカを並ぶ間もなく飲み込み、一気に先頭へと突き抜けようとする。

 

 だが、それと全く同時のタイミングで。最内の最も狭く過酷なルートから、泥に塗れた一つの影が進出を開始していた。

 

「――もらったッ!」

 

 ステイゴールドは、先頭から後退しかけていたスズカの真後ろ、ほんの一瞬だけ生じたスリップストリームへと滑り込んだ。風の壁に守られ、空気抵抗がゼロになったその刹那。残されていた最後のスタミナを使い、狂ったようにギアをトップへとぶち込む。

 

 一気に最大速度(マキシマム)へと到達したステゴの肉体が、弾かれたように最内から飛び出した。

 

 大外からマンハッタンカフェとキングヘイロー。最内からステイゴールド。三つの極限の末脚が完全に横一線に並び、中山の急坂で壮絶な叩き合いへと突入していった。

 

 

 筋肉が悲鳴を上げ、視界が白く飛んでいくような極限状態。その瞬間――ターフに、熱く光り輝く『黄金の風』が吹き荒れた。

 

 すべてがスローモーションに感じられる絶対的な領域(ゾーン)。その黄金の風の中を進むボクの視界の先に、ふっと、一つの影が結ばれた。

 

 小柄な体躯。勝負服の背中。

 

 それは、精神の奥底で完全に同化し、共にこのイカれた旅路を走り抜いてきた『ステイゴールド』だった。

 

 彼女は振り返り、私を見て不敵な笑みを作った。

 

 私もまた、極限の苦痛の中でふっと笑みを返し、黄金の風に乗って彼女の背中に並び掛け――そのまま、力強く追い抜いていく。

 

 その、追い抜き際。

 

 コンマ数秒の無音の世界で、私と彼女は、すれ違いざまに軽く拳を突き合わせた。

 

 コツン、と。魂と魂が触れ合う、小さな感触。

 

 それは『よくやった』という賞賛だったのか。それとも『本当に最後まで好き勝手やりやがったな』という呆れだったのか。

 

 言葉はなく。だが、その感触は温かく……決して、悪い気はしなかった。

 

「はぁぁぁぁぁぁぁッ!!」

 

 魂の奥底から湧き上がる咆哮と共に、私は最後のひと伸びへと全霊を叩きつける。カフェの漆黒の才能も、ヘイローの誇り高き執念も、すべてを等しく薙ぎ払って。

 

 交錯する三つの極限の末脚。

 

 しかし、中山の心臓破りの急坂を登り切り、大歓声の降るゴール板を一番初めに駆け抜けたのは。

 

『内から抜けた! 内から一気に突き抜けたのはステイゴールドだ! 大外から猛然と追い込んだマンハッタンカフェは届かない! キングヘイローもわずかに届かない!』

 

 誰よりも早く、その最も高い『先頭の景色』を強引に奪い取ったのは。

 

『ステイゴールドだステイゴールドだ! 叩き合いを制したしたのはステイゴールドッ! ステイゴールドォオオ!! 今、先頭でゴールインッ!!』

 

 幾度泥を舐めようとも、決してその輝きを失うことのなかった、不変の黄金であった。

 

 

『異国の地・香港での奇跡の戴冠に続き、ついに、ついに国内の総決算、グランプリの栄冠をもその手に掴み取りました! 6年という果てなき旅路の果て! 暮の中山! グランプリの栄誉へとたどり着きましたッ!!!』

 

 中山レース場を地鳴りのように揺らす大歓声と、興奮に震える実況のアナウンスが、冷たく澄んだ冬の空へとしなやかに吸い込まれていく。

 

 電光掲示板の最上段に灯った私の番号。それが確定した瞬間、私の視界はにわかに滲んだ。肩を大きく上下させ、肺が焼け付くような息を吐き出しながら、私はゆっくりと歩を進める。ターフを蹴り上げるたびに、6年分の重み、泥に塗れた記憶、そして幾度も敗れ去った瞬間の悔しさが、心地よい疲労感と共に消散していくのを感じていた。

 

「……完敗、です」

 

 最初に声をかけてきたのは、大外から凄まじい末脚で迫ったマンハッタンカフェだった。漆黒の髪を揺らし、まだ荒い息を整えながら、彼女は静かに、けれど畏敬の念を込めた金色の瞳で私を見つめていた。

 

「最後の1ハロン、完全に捉えたと思いました。ですが……あなたのあの黄金の風には、まだ、私の影は届かなかった。素晴らしい走りでした、ステイゴールドさん」

 

「お前の一歩も、心臓が止まるほど恐ろしかったよ。ありがとな、カフェ」

 

 私が不敵に笑って返すと、今度はその隣から、ふっと誇らしげに胸を張る緑の勝負服が歩み寄ってきた。キングヘイローだ。彼女の目には、悔しさの奥に、全力を出し切った者だけが持つ清々しい光が宿っていた。

 

「一流の私を抑え込むなんて、本当に、どこまでも憎らしい先輩ですわね」

 

「悪いな、ヘイロー。お前という最高の一流が後ろにいたからこそ、私は最後の最後まで絶対に脚を緩められなかったんだ」

 

「今日のあなたは、誰よりも気高く、最高に輝いていました。……お見事でした、ステゴ先輩」

 

 憧れのウマ娘からの最高の賛辞に、私の中の『おじさん』が歓喜に震える。ふと横を見ると、マチカネフクキタルがどこか我が事のように誇らしげな顔をして、ふふんと鼻を鳴らしていた。

 

「当然です! 私がかつてすべてを託したステイゴールドさんなのですから、これくらいやってのけてもらわねば、シラオキ様への面目が立ちませんよ!」

 

「はいはい、フクキタルのおかげでもあるな。感謝してるよ」

 

 賑やかな彼女たちの輪の向こうから、一人のウマ娘がゆっくりと近づいてきた。白緑の勝負服。この年末のグランプリを、自身の引退レースとして走り抜いた異次元の逃亡者――サイレンススズカ。

 

 着順掲示板の5番目に灯った彼女の番号。全盛期ほどの圧倒的な大逃げは打てずとも、最後の最後まで粘り、激しい叩き合いの中で掲示板を死守したその走りは、紛れもない天才のそれだった。

 

 スズカは、どこか満足げな、穏やかで澄み切った微笑みを浮かべて私を見つめた。

 

「ステイゴールドさん」

「……スズカ」

「私の大好きな先頭の景色も、今日も本当に悪くなかったけれど……」

 

 彼女は一度言葉を切り、中山のスタンドを埋め尽くす観衆の歓声を見上げた。それから、もう一度まっすぐに私の目を見て、優しく微笑んだ。

 

「今日、あなたの背中から吹き荒れたあの黄金の風も。誰にも前を譲らない、その不屈の輝きも……本当に、素晴らしかった」

 

 あの日、大ケヤキの向こう側で悲劇の運命をねじ伏せ、今日まで共に時代を駆け抜けてきた戦友からの言葉。私は一瞬だけ胸を詰まらせたが、すぐにいつものように肩をすくめ、不敵な笑みを返してみせた。

 

「そりゃどーも。スズカが最高のペースで引っ張ってくれたからさ。ボクのシリンダーも、最後の最後まで最高に回ってくれたんだよ」

 

「ええ。私も……、最高のラストランになりました。ありがとう」

 

 スズカが清々しく一礼をすると、その後ろからはメジロブライトとテイエムオペラオーが、悔しさを全身からにじませながらも、アスリートとしての最大の敬意を込めて拍手を送ってくれた。

 

「名門のスタミナを以てしても、あの最内の一伸びには敵いませんでしたわ。見事なグランプリ戴冠です、ステイゴールドさま」

「ボクの覇道を阻むとはね! だが認めよう、今日の君こそが、この美しい世紀末の劇場における真の主役だ!」

 

 誰もが私を称え、誰もがその不屈の走りに拍手を送る。6年という歳月をかけて、私たちはついに、この日本のターフの頂点へと上り詰めたのだ。

 

 

 沸き立つウイナーズサークルを抜け、薄暗い地下通路へと足を踏み入れる。大歓声が遠ざかり、ひんやりとした空気が肌を刺すその場所に、彼女は待っていた。

 

 手にはボロボロになるまでデータを書き込まれたお馴染みのノートを握りしめ、いつものように壁に背を預けている。

 

 元プロの専属メカニック。6年間、私の我が儘に付き合い、折れそうになる心を隠して共に走り続けてくれた、最高の相棒。

 

 私は歩みを止め、少しだけ首を傾げて声をかけた。

 

「よう」

 

 トレーナーはノートから顔を上げ、くしゃくしゃに泣き出しそうな顔を必死に堪えながら、いつも通りの、世界で一番信頼できる笑みを浮かべた。

 

「やあ」

 

 たったそれだけの挨拶。だが、それだけで、私たちの6年間のすべてが通じ合った気がした。私は地下通路の天井を仰ぎ見ながら、わざとらしく大きく息を吐き出した。

 

「ふぅ……。海外の真新しいターフで勝つのも、そりゃあ格別で良いもんだけどさ。ま、こうして故郷に戻ってきて、盛大に錦を飾るってのは……これはこれで、また一段と気分がいいもんだな」

 

 私のその軽口を聞いた瞬間、トレーナーはついに堪えきれなくなったように吹き出した。目尻に浮かんだ涙を乱暴に袖で拭いながら、彼女は私の胸を軽く小突いた。

 

「言うねぇ、グランプリウマ娘さん」

 

「ははっ、事実だろう?」

 

「本当、生意気。……でも、最高にカッコよかったよ!」

 

 どちらからともなく、顔を見合わせる。6年。長かった。本当に長かった。勝てなくて、届かなくて、何度も泥を舐めて。それでも二人で諦めずにエンジンのネジを締め直し、最高の瞬間を求め続けた旅路。その終着点が、今、ここにある。

 

「やったなぁ、トレーナー!」

 

「やったねぇ、ステゴ!!」

 

 どちらが先に手を挙げたわけでもなく、私たちは互いに突き出した拳を、ガツンと力強くぶち当てた。そして、どちらからともなく、地下通路に響き渡るほどの大声で大笑いした。

 

「あはははははっ!」

「ははははははっ!」

 

 涙が出るほど笑って、笑って、胸の奥底に溜まっていた6年分の熱い想いをすべて吐き出すように笑い合った。

 

 おじさんの魂を宿し、運命を書き換え、誰も知らない新しい歴史を切り拓いてきた黄金の旅路。

 

 その行く末に待っていたのは、涙ではなく。最高の相棒と共に腹の底から笑い合う、この上なく幸福な瞬間だった。

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