ステイゴールドになったけど   作:灯火011

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ワイルドなステゴ。

 三日目の朝。

 

 目覚めて沢へ向かい、冷たい清水で顔を洗う。両手ですくって喉を潤していると、澄み切った水の底に小さな動く影をいくつか見つけた。

 

 石の隙間に隠れるサワガニ。ゆったりと泳ぐサンショウウオ。そして、川底の砂と同化するようにじっとしているカジカだ。

 

「……申し訳ないけれど、カロリーには代えられないからね」

 

 ボクは誰にともなく呟くと、迷いなく水の中に手を入れた。ウマ娘の動体視力と反射神経にかかれば、彼らを捕まえるのは造作もないことだ。あっという間に一食分の貴重なタンパク源が手に入った。

 

 リュックからクッカーとコンパクトバーナーを取り出す。

 

 川の生き物を生で食べるような無謀な真似はしない。寄生虫のリスクもあるし、何より火を通したほうが圧倒的に美味しいからね。

 

 持っていたナイフで手早く下処理を済ませると、まずはバーナーの火でじっくりと炙る。甲殻類の香ばしい匂いと、魚やサンショウウオのタンパク質が焼ける野性味あふれる匂いが立ち昇り、ボクの胃袋が限界を訴えるように盛大に鳴った。

 

 しっかりと中まで火を通し、表面に焦げ目がついたところで、クッカーで沸かしたお湯の中に投入する。味付けは手持ちの僅かな塩だけ。それでも、じっくりと煮込むうちに、極上のワイルドなスープが完成した。

 

 熱々のスープを一口すする。

 

「……はあ、美味い」

 

 サワガニから出た濃厚なダシと、カジカの淡白で上品な旨味が、塩だけのシンプルな味付けによって極限まで引き出されている。サンショウウオの肉も、炙った香ばしさが加わってなかなかの珍味だ。

 

 空っぽだった胃の腑に温かいスープが流れ込み、動物性のタンパク質と塩分が身体中の細胞に染み渡っていく。ただの野草や水では決して補えなかった、本物の「燃料」だ。枯渇しかけていたウマ娘のエンジンに火が入り、足の先からじんわりと確かな力が湧いてくるのがわかった。

 

「ごちそうさま。これでまた走れるよ」

 

 クッカーを綺麗に飲み干し、道具を片付けて再び歩き出す。心なしか、昨日よりも足取りがずっと軽い。藪を掻き分け、倒木を飛び越える足に、確かなバネの感覚が戻っていた。山の恵みのおかげで、時速数キロのサバイバル行軍にもようやく終わりが見え始めていた。

 

 どれくらい歩いただろうか。

 

 次第に周囲の木々がまばらになり、視界が開けてきた。ぬかるんでいた土の感触が、少しずつ硬く、乾いたものに変わっていく。

 

 そして、不意に足裏に伝わってきたのは、見慣れた、けれどこの二日間ずっと焦がれていた、平らで硬質な感触だった。

 

「……やっと着いた」

 

 ボクは立ち止まり、足元を見下ろした。

 

 そこにあったのは、人工的に均され、見事なまでに真っ直ぐに続くアスファルトの舗装路。あの過酷な点線国道の終点であり、再び人間たちの暮らす世界へと繋がる道だ。

 

「久しぶりだね。やっぱり、君の上を走るのは最高に気分がいいんだ」

 

 泥だらけの靴でアスファルトを軽くタップする。山での静かなサバイバルも悪くなかったけれど、やっぱりこの身体と、おじさんの魂が一番求めているのは、どこまでも続くこの道だ。

 

 ボクは大きく深呼吸をして山の空気を肺の奥まで吸い込むと、新潟の海を目指して、今度こそ快調に駆け出した。

 

 

 アスファルトの道をしばらく駆け下りると、やがて集落が見え始め、ポツンと建つ古風な蕎麦処の暖簾が目に入った。

 

 山歩きで消耗した身体には、ツルリと喉を通り抜ける蕎麦がちょうどいい。ボクは店に入り、ざる蕎麦を勢いよく平らげた。三日ぶりの「人間らしい」食事は、鰹出汁の香りが五臓六腑に染み渡るようで、たまらなく美味しかった。

 

「ふう、ごちそうさま。美味しかったよ」

 

「お粗末さん。しかし嬢ちゃん、ずいぶんと泥だらけだな」

 

 ボクが蕎麦湯をすすりながら一息ついていると、空いた皿を下げにきた店主が目を丸くして言った。確かに、今のボクの姿は褒められたものじゃない。服も靴も泥と草の汁で汚れ、髪には細かな葉っぱが絡まっている。

 

「ああ、ちょっとね。ついでに聞きたいんだけど、この近くにひとっ風呂浴びられる場所はないかい?」

 

「風呂? そりゃ少し下った先に行けば銭湯があるが……どうしたんだい、そんななりして」

 

「実は、八十里越だっけか。点線国道を突破してきてね。おかげで三日ほど風呂に入っていないんだ。流石にこのままだと、少し自分が汗臭くてね」

 

 ボクが淡々と事実を告げると、店主は持っていたお盆を落としそうになるほど驚き、呆れたように声を上げた。

 

「はあ!? あんな獣道同然の酷道を、一人で抜けてきたっていうのか!? 嬢ちゃん、ウマ娘とはいえ無茶苦茶するなあ……」

 

「まあ、ちょっとした好奇心さ。ということで、どこか……」

 

「いいから、うちの風呂に入ってきな!」

 

「いや、流石にそれは悪いよ。営業中の店に迷惑は……」

 

「いいから! その泥だらけの姿で銭湯まで歩く気か? うちの裏手にある風呂を使っていいから、さっぱりしてきな!」

 

 ボクはやんわりと断ろうとしたけれど、店主の凄まじい勢いにすっかり押し切られてしまった。会津の食堂の親父さんや、只見の店の人たちもそうだったけれど、この辺りの人間はみんな、根っこのお節介な温かさが似通っているらしい。

 

「ついでに、その泥だらけの服も洗ってやる。乾燥機がついてるから二、三時間もすりゃあ乾くだろ。それまでは、俺の古着で悪いがこのスウェットでも着てな」

 

 そう言って押し付けられたタオルと、ボクの身体には三回りほど大きなグレーのスウェットを抱え、結局ボクはありがたくお風呂を借りることにした。

 

 

「……極楽だね」

 

 一番風呂の熱いお湯に肩まで浸かると、思わず気の抜けた声が漏れた。

 

 三日分の山の泥と汗、それに疲労が、お湯の中にじんわりと溶け出していく。山の中のサバイバルも悪くなかったけれど、やっぱり人間が作り出した温かいお湯という文化は最高だ。

 

 風呂から上がり、店主に渡されたスウェットに袖を通す。

 

 当然ながらサイズはぶかぶかで、袖も裾も数回ロールアップしないと手足が出ない。お世辞にも格好良いとは言えない姿だけれど、柔軟剤の香りがする清潔な布地に包まれているというだけで、心がひどく落ち着いた。

 

「さっぱりしたかい?」

 

「ああ、生き返った気分だよ。服まで洗ってもらって、本当にありがとう」

 

「気にするな。服が乾くまで、座敷で適当に休んでな」

 

 店主はそう言って笑ったけれど、ボクとしては、ただ待っているだけというのも性に合わない。

 

「服が乾くまでの間、少し運動させてもらおうかな」

 

 ボクはおもむろに立ち上がると、厨房の裏手へ回り、お礼代わりのいつもの「力仕事」を始めることにした。積み上げられた重い蕎麦粉の袋を軽々と担いで倉庫へ運び込み、昼の営業で大量に出た洗い物を手際よく片付けていく。

 

 ぶかぶかのスウェットを着た小柄な少女が、大の男でも腰を痛めるような蕎麦粉の袋を、まるで羽毛のクッションでも扱うように次々と運んでいく光景。店主はまたしても目を丸くして、呆気にとられていた。

 

「いやはや……話には聞いてたが、ウマ娘の腕力ってのは本当にでたらめだな」

 

「これでも、走る以外に取り柄のない身体だからね。少しでも恩返しができてよかったよ」

 

 洗い終わった丼を棚に重ねながら、ボクは小さく笑った。予定のない気ままな旅。過酷な自然の静寂もいいけれど、こうして見知らぬ人たちの温意に触れ、不格好なスウェット姿で皿を洗う時間も悪くない。

 

 乾燥機が止まるまでの数時間。ボクは蕎麦処の裏手で、心地よい疲労と人の温かさを静かに噛み締めていた。

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