【悲報】昭和のおばちゃん、宇宙世紀に転生したと思ったら、最推しの姉だった【あんまり過ぎる】   作:佐世保の中年ライダー

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無謀にもガンダムの二次創作に挑戦します。
カミーユ激ラブなお姉ちゃんが、大好きな弟がTV版及びノベライズ版エンドを迎えない様に頑張る?お話です。


プレリュードゼータ 〜ゴメンけど、おばちゃんの自分語りを聞いてくれ〜 その①

 

 ちょっとまえから、ママのおなかがおおきくなってきて、わたしはママに『どうしてママのおなかは、おおきくなったの?』ってきいたら、ママは。

 

 『ママのお腹の中には今、赤ちゃんがいるのよ。その赤ちゃんがママのお腹の中でゆっくりと大きくなっていってるの。もう少ししたら赤ちゃんが産まれて来るから、そしたら貴女もお姉ちゃんになるのよ』

 

 って、いったの。あかちゃんがうまれてくるのたのしみだな。わたしはやくあかちゃんのおねえちゃんになりたいな!

 それからちょっとたって、わたしはほいくえんでみんなとあそんでたら、パパがわたしをむかえにきて、ママがあかちゃんをうんだからいっしょに、びょういんへいくよっていっていったの。そうしてわたしとパパはエレカにのって、まちのさんふじんかびょういんへいったら、ママがベッドにねてて、そのちかくにちいさなあかちゃんがねていたの。

 あかちゃん、ちっちゃくてかわいい!やった!わたしあかちゃんのおねえちゃんになったんだぁ!

 

 「予定日よりも早かったけど、よく頑張ってくれたなヒルダ。ありがとう、そしてお疲れ様。これで私も二児の父か」

 

 あかちゃんとママをみて、パパはちょっと泣きそうなおかおでママにありがとうて、おれいをいってる。

 

 「ええ、ただの定期検診だったのだけど、まさか急に産気づくとは、私も思ってもなかったわ。ふふふ、ありがとうフランクリン。それと貴女も、今日からこの子のお姉ちゃんになるのよ」

 

 ママもいっぱいつかれたみたいな、おかおをしているけど、とってもうれしそうにパパにありがとうっていった。そしてわたしに、きょうからおねえちゃんだって!わたしはとってもうれしくてぴょんぴょんととんで、ヤッターっていったら、パパが『赤ちゃんが寝てるから静かにしなさい』っていっておこられちゃった。ごめんなさいあかちゃん。

 

 「それで、この子の名前だが……」

 

 「あら、貴方も納得したじゃない。ジャンケンで私が勝ったんだからこの子の名前も私が付けて良いって」

 

 「まあそうなんだが、この娘の時だって私が負けたから、今度こそは私が名付けたかったんだがなぁ」

 

 パパとママがなまえのことをはなしてる。へぇ、わたしのなまえは、ママがつけたんだしらなかったな。それでこのあかちゃんのなまえもママがつけるんだ。

 

 「それで、どんな名前にしたんだい?」

 

 パパがママにあかちゃんのまなえをきいたら、ママはとってもうれしそうな、おかおをして、あかちゃんのなまえをおしえてくれたの。

 

 「この子の名はカミーユ。カミーユ・ビダンよ」

 

 うっ、うああああッ………なに?アタマがいたい、なんであかちゃんの名前を聞いた途端にこんなにあたまが、ううう………痛い、何かがながれ込んでくる。ザァザァと砂嵐が視界全体に広がって………そして私は。

 

 私の意識は覚醒した。

 

 嘘、だよね?………今、母(ものすごい美人で若くて理知的な雰囲気の、一見して解るキャリアウーマンな感じだけど、出産と言う女性にとって、とても大きな一大イベントを乗り越えて間も無い)の口から告げられた、産まて間もない弟の名を聞いて、私の脳内には瞬間的に記憶の奔流が爆発的に、それこそ走馬灯の如くに溢れ出し、またたく間に過ぎっていく。

 何よこれ本当にキツイんですけど、まだ本来なら自我の発達も終わってい三歳女児な今の私。その三歳児の未成熟の脳に、いきなり一人の女の数十年分の人生の記憶を書き込むなんて重すぎるどころの話じゃないわよ。こんな茶番を企てた、何処かの誰かさんッ!?

 そう、私は思い出したのだ。前世の記憶をね。何故だが知らんけど、今この時に!何でなのか定かでは無い。だって私は前世の自分が死んだ自覚が無いから。本当に死んだのか前世の私………

 まあ、こうやって此処で幼女の姿になってるって事は、やっぱり死んだんだろうな。

 まあ、クヨクヨしても始まらない。気を取り直して新たに人生をやり直しますかね。しかし、これでハッキリしたわ!転生するのにトラックに轢かれる必要も、神様に間違って雷撃を食らう必要も無いってことがね!だって私にはそんな記憶は無いからね。なんて事を思って見る。だってねぇ、こんな事態に突然放り込まれるなんて、ちょっとお巫山戯でもしないとやってられないわよッ!

 

 しかも何、今現在私の眼の前にいる、それなりにハンサムな若い男が私の父親で、名前がフランクリン。

 そして、ベッドに横たわってるメッチャ綺麗な若い女の人が母親で、その名はヒルダ。

 そして極めつけは、産まれたばかりでスヤスヤと眠っている赤児の名が、カミーユ。

 

 その御三方の名前から察するに、此処はやがてコロニーが落とされ、泥沼の地獄が訪れる宇宙世紀の地球。なんてこったい!

 

 だがしかし、スヤスヤと眠る小さな生命に私は目を向ける。この小さな、まだ産毛も生えそろえていない、ジャガイモみたいな頭部とおサルさんみたいな産まれたての顔をした赤子が成長すると。

 

 

 『やばい、私の最推しが目の前にいる!』

 

 

 

 

 

 

 

 

 なんかもう色々と思うところはあるんだけれども、此処で少しおばちゃんの自分語りを聞いて欲しいんだけど良いかな?良いとも!って、開幕早々こんな茶番をやらかして申し訳無いんだけど、私だって結構テンパってんだよ。

 だからそんな自分を落ち着かせる為にも一旦此処で色んなことを整理したい訳で。少々お付き合い願いたいんだけど、良いかな?

 

 『いいとも!』と返してもらえれば幸いです。って、全く私は誰に対して何をやってんだか。ホントマジでワケワカメだよね。スンマセン。まあ、と言う訳で始めますかね。

 そうは思ってみたものの、先ずは何から話そうか。月並みかもだけど、こう言う時は生年月日とか血液型とかからってのが定番だろうか。よし、それで行こう。まあ詳細はは省かせてもらうけど、生まれは昭和四十四年だから、西暦で言えば1969年。立派かどうかは兎も角、令和の現代間違い無くおばちゃんだよな。

 そんな私は、昭和の世にとある地方の一般家庭、鳶職の父親と肝っ玉母ちゃんな母親との間の長女として産まれた訳なんだけど、上に三歳年上の兄がいたから跡取りとかでは無いんだよね。そんな私と兄との兄妹関係はすこぶる良好。と言うかかなりのお兄ちゃん子だった所謂ブラコンかな。そんなんだから私は子供の頃、この兄の影響を沢山受けた物だった。そんな兄も令和の世だと赤いちゃんちゃんこを纏う歳だ。まあ、私も本当なら後三年後にはね。

 高校を卒業後、地元を離れて専門学校へと進学し、卒業後は小さなデザイン事務所に就職。仕事の関係で出会った一つ歳上の男性と二十三歳で結婚し、二十代の内に男女二人の子宝に恵まれた。上は女の子で下が男の子だったから、私の場合とは逆だね。

 やがて二人の子供も成人し、長女もそれなりに甲斐性のある相手を見つけて結婚し、子供も産んだ。五十代目前でおばあちゃんになってしまった私だけど、せめて六十越えるまでは(孫以外には)婆さん呼ばわりされるのはノーサンキューだぜ!

 

 幼少時からの私の人格、そして趣味嗜好の形成は間違いなく、兄の影響を受けていると言えるかな。昭和四十九年に放送を開始した、当時としてはかなり本格的なSFテレビアニメ『宇宙戦艦ヤマト』の影響により、アニメマニア(当時はまだオタクと言う呼称はなされていない)としてデビューを果たした兄。まあ実際には、それより前に兄はアニメ沼にハマってたんだけど、それは後述するね。

 そんな兄の隣で、私も共にブラウン管の中のヤマトの乗組員たちの奮戦に次第に夢中になり、兄の後を追うように私も何時しか、後にオタクと呼ばれる者の道に足を踏み入れ始めたんだ。令和の若い子達には分からないだろうし信じられないかもだろうけど、昭和や平成初期のオタクは世間一般からは白眼視されてたんだ。宮◯◯事件とかの影響もあったんだろうけど、アニメマニア=根暗、犯罪者予備軍のレッテルも貼られてたし。そんなものだから当然私も中高の頃は、現代で言うところの、スクールカーストのトップグループの陽キャ女子たちからは日陰者扱いされて、いつも嘲笑されてたからね。ホントにアンタ達には関係なく、私達は私達で好きにやってんだから放っとけよって感じだったね。

 けどそんな連中のチョッカイや誹謗中傷、誹り、時には力技の暴力沙汰なんぞ何するものぞと、私は負けるもんかと立ち向かってたから、何時しかその内連中も私達ヲタグループに手出しをしなく、いや出来なくなったと言った方が良いかな。最後にモノを言うのははやっぱり肉体言語!学んだよ、私。まあ中学生の分際で肺にニコチンタールを取り込んでる様な馬鹿に負ける訳がないよ。

 そんなモンだから、連中からすると私の存在ってすんごく忌々しいかったんだろう。だって、私以外の女子オタ仲間は内向的な娘が多かったけど、鳶職の後に親方になる父と、その父をあしらえる、肝っ玉母ちゃんに育てられたんだ、当然私のメンタルが豆腐なんて事はありゃしない。 

 かてて加えて私は小四の頃から毎日朝夕家の犬の散歩で(家の柴はやたら走るのが好きで、大概何時も全力疾走くれてたから)足腰は鍛えられてたんだ。だから力だって体力にだって自信がある!肉体言語最強上等よ。

 

 閑話休題。

 

 そして昭和五十四年。十歳の私はそのアニメを知る。後に一大ムーブメントを巻き起こし、その後も続編や派生作品を数多く世に送り出す事になる伝説のアニメ。そう『機動戦士ガンダム』だ。昭和五十四年四月、名古屋テレビをキー局として全国放送された、“ん”だけども残念な事に、当時私の故郷は民放が二局しか無く、番組編成の都合上ガンダムはリアルタイムでの放送がなされなかったんだよね。全くこれだから田舎はッ!だから昭和の時代のアニオタ達は、アニメ格差を払拭する為に、アニメを求めて地方から都会へ人口流出してしまったんだよ。かく言う私もその一人なんだけどな。

 放送はされなかったものの、当時中学一年生になってた兄は、その頃既に刊行されていたアニメ雑誌を買い漁ってて、当然ガンダムの情報はいち早くとは言えないけど(何せ地方は月刊雑誌の発売が三日遅れだったから)シッカリとキャッチしていた。

 さて当時、何故に我が兄がガンダムに注目していたかと言うとだね。それというのも兄はその昔、珍しくも我が県でも早い内に放送がなされたアニメ『海のトリトン』その最終話の大どんでん返しな結末に、途轍もない衝撃と感銘を受けた!のだそうな。

 そう、先ほど前述した兄をアニメ沼にハマらせる切っ掛けとは、この海のトリトンだったんだよ。

 それにより兄は、何でこんな物語が作れたのだろうかと疑問を持ち、調べてそして知ったんだよね。演出だとか脚本家だとかの物語の道筋を作る方達の存在を、そしてそんなスタッフを取り纏める監督と言う存在に行き当たるんだ。

 殊に、そのトリトンの監督である『富野喜幸』と言う人に着目し、兄はその人に関する情報を雑誌の投稿ページや同好の士等との文通等を通じて収集していたんだよね。今みたいにネットだとか普及してないし、これって昭和オタクのアルアルだね。

 そうやって兄が収集して来た情報に、私と兄は未だ見ぬガンダムに対する期待と渇望は日増しに高くなっていった。ガンダムが見たいガンダムが見たい。兄が買い集めたアニメ雑誌や当時私が、何故か毎月買ってた幼年雑誌『月刊テレビラ◯ド』などに掲載されてた番組表や解説記事を読んで、ガンダムのストーリーのあらましを学ぶ日々。ネタばれとかそんな概念は無かった。

 そうそう、ネタバレって概念に触れたから語らせてもらうけど、これは私見として聴いてほしい。昨今ユーチュ◯ブに昔のアニメその他の動画視聴のリアクションや感想コメントをうPしてる若いチューバーさん達見てて思うんだけど、ネタバレななるから次回予告は観ないってスタンスの人多いよね。

 でも私達旧世紀の遺物なオタクから言わせてもらうとさ『オープニングも本編もエンディングも、そして次回予告も含めて一話分だろうがッ!』と思うんだよね。まあ異論は認めるよ、考えやスタンスは人それぞれだし。 

 でもさ、ザンボットの『さて、どう戦い抜くかな』とか、ガンダムの『君は生き残ることができるか』とか、銀英伝の『銀河の歴史がまた1ページ』とかさ、締めのセリフまで聴いて、ああ今回のエピソードも終わったなって、感慨にふける楽しみってものがあるでしょう!(力説)

 あと、これも忘れちゃ駄目だよな。最近の若いアニメ視聴リアクションコメント系のチューバーさんにひと言。同じ作品のテレビアニメと劇場版アニメとを区分する際に、アニメ版と劇場版て言ってるけど、それってどちらもアニメだからな!理解したか(DoYouアンダスタンド)!?

 

 そこの君、老害乙とか言わないで!

 

 ヤバい、ま〜た話が逸れたよ、閑話休題閑話休題っと。だけどそんな折残念な情報が兄から齎された。兄が掴んだその情報によるとガンダムは玩具の売り上げの不振と視聴率の伸びや悩みにより、四十三話を以って打ち切りが決定したとの事。嘘マジ!?そんなあんまりな情報に触れ兄と私は、あんまりだぁっと絶望の涙を流したね。ええ、そりゃもうさめざめと。

 

 ただでさえ民放二局のクソ田舎、それ故にリアルタイム放送は叶わないながらも、でも稀にキー局放送からかなり遅れてだけど、放送されるアニメだってあるんだ。天から伸びた細い一本の糸の様な頼りないものだけど、私と兄は其処に一縷の望みを掛けていた。

 でも、視聴率不振により打ち切られたアニメが放送される可能性は、テレビ局関係の番組編成担当者じゃ無い私達では知る由もない事だけれど、万に一つも無いだろうと言う絶望的な想像はついた。

 

 そんなある日の私達兄妹の会話から抜粋。

 

 『兄ちゃん。私達もう、ガンダム見れないのかな(標準語翻訳)』

 

 『いや、まだだ。まだ終わらんよ(アニオタ翻訳)』

 

 『でも、どうすればいいの?(標準語以下略)』

 

 『嘆願書を書く!同志を募ってテレビ局にガンダムを放送して欲しいとなッ!(標準以下略)』

 

 『それで、上手くいくの?(略)』

 

 『知らん。でもガンダムの放送が出来るか出来ないかなんだ、やってみる価値はありますぜ(ヲタ以下略)』

 

 不安を払拭するかの様に不敵に笑う兄、そして事は上手くいった。本放送終了から、厳密に言うと実は本放送中からガンダムの人気は小さくはあったけど徐々に高まって行ってたんだよ。やがて口伝てでその素晴らしさがアニメマニア達に伝播していったって言う下地があってさ。

 しかもそれは、当初のガンダム人気は当時の私や兄よりも歳上の、うら若きお姉様方から火がついたのだそうだ。シャアやガルマと言った安彦先生による美形キャラ達にときめいた、お姉様達によってね。

 まあ当時の私もシャアやガルマはカッコいいと思ってたけど、私としてはガンダムは特定キャラじゃ無くて、全体的なストーリーとか演出とかに魅力を感じてたな。まあ言うなれば箱推しってやつかな?

 リアルタイム放送から外れた日本各地方に住まう、マニア達は思う。伝搬により伝わった、ガンダムと言うアニメの今までに無い新機軸な物語を、それを見たいんだッ!

 その欲求を満たす為に、家の兄と同じ様に自分の地元の放送局へとガンダムの放送要望の嘆願を組織的に送り出し、それが奏功したのだろう、各地方の放送局も次々とガンダムの放送を始めるに至ったんだ。その波は当然わが地方にも!

 

 『沢山のファンの要望にお答えして、機動戦士ガンダムの放送が決定しました』

 

 翌年、昭和五十五年のとある日、ブラウン管から流れるガンダム放送決定の報。遂に我が地方でもガンダムが見れる。こんなに嬉しいことは無い。

 

 『兄ちゃん!ガンダムの放送決まったってよ!さっき番組の宣伝流れたよ!』

 

 夕刊配達のバイトから帰って来た兄に私は狂喜乱舞して、その情報を伝えると。万歳三唱、私と兄は歓喜のあまり二人で喜びの舞を踊ったものだった。まあ、傍目から見ると異常にしか見えないから、夕飯の準備をしていた母には奇異なモノをみる目で見られていたけど。まあそれも時が解決してくれて、今では懐かしい思い出に変えてくたけどね。

 そして迎えた第一話の放送時間。ブラウン管の前にスタンバる私と兄。小五の頃から新聞少年をやってて、それで稼いだ(今と違い当時は、まだ小中学生でも新聞配達のバイトが出来てたんだよ)その財を投じて、その頃徐々に普及し始めたVHSビデオデッキを購入し、番組録画の準備も完了。お兄ちゃんありがとう大好きだよ!その好意、まさにキャッシュレス。

 

 そしてブラウン管に釘付けになって息をするのも億劫に感じるほどに夢中になって齧りついてた二十数分間。次回予告もエンディングも余す事無く見終えた私と兄は。

 

 『ぷはあ〜っ、兄ちゃん!すごかったね。これからアムロ達どうなるとかな?』

 

 1年間の予習である程度のストーリーの流れは知ってたけど、実際に映像で見ると文章だけでは伝わらない細部まで作り込まれた演出の妙が、当時の監督やスタッフの皆さんが伝えたかった事を理解出来たとはとても言えないけど、でも幼いながらにコレは今までのアニメとは違うものなんだと言う事が如実に伝わって来たよ。

 

 『おお、マジでなぁ!ばってん何やあの、認めたくは無いものだな、自分自身の若さゆえの過ちというものは、っていっちょんセリフ意味の解からんばい!ははははっ!』

 

 後々、ある程度私も齢を重ねて、富野監督のインタビューなどで語られている『子供騙しなものは作らない、ちゃんと子供達に向き合う物を作るんだ(意訳)』と言う発言の意味を実生活の面でも知ったよ。

 

 『あはははっ、ホントに意味分からんね。けど、何か面白かった!兄ちゃん。ビデオもう一回見よ』

 

 『おう!』

 

 その後、何度も一話をリプレイして見続ける私と兄に母の雷が落ちる事を、この時の二人は知る由もない無かった。あの母ちゃん拳骨の痛さは生涯忘れる事は無かったよ。

 でもこうして始まった長い四十三週間、次の週の放送がなされるまでの七日間を、何度も何度もビデオで見返して、余すこと無くセリフも演出や作画も細部まで舐め尽くすかのように視聴する。有名なククルス・ドアンのザクや安彦さんのチェックが行き届いていない箇所の作画崩壊具合まで、スロー再生したりして。

 今だと作画崩壊って、ネットでクソミソに叩かれるんだろうね。まあ確かにそう言った部分は私だって残念だったけ、と思うんだけども、でも私達はそれをも昇華して笑いのタネにしてたんだ。愛故に!だから、私達のガンダム熱が冷める事なんて無かったね。

 だってさ、この後には劇場版三部作の劇場公開も待っているし、空前のガンプラブームも到来するしで、今しばらくはガンダムと言う熱の中にいられるんだから。

 

 

 

 『兄ちゃんが言う通り、富野監督って凄いね!』

 

 遅まきながら私も兄と同様に富野監督作品に傾倒して行った。だってねぇ、当時の富野監督の仕事ぶりは今にして考えるに、常軌を逸していたんでは無いかと思うのよ私ゃ。

 ガンダムに始まり『伝説巨神イデオン』に『戦闘メカザブングル』と来て『聖戦士ダンバイン』更に『重戦機エルガイム』と立て続けに監督を務めるんだもんね。きっと其処には私達が知らない裏の事情とかもあったみたいで、後年富野監督やスタッフの方達の証言なんかもあるみたいだけど、まあ其処のところの話は置いとこう。

 

 そして、長々と語って来たけど、ある意味これからが本題!

 

 時に西暦1985年、昭和六十年。前々から噂はあったし、前年後半には情報も出始めてたし、来る事は解ってた!

 そう、いよいよ来たんだよ。ガンダムの続編がね。富野由悠季監督としては内心の葛藤とか思う所は多々あっただろうと思うけど、私達ファンの多くは待ち望んでいた。

 

 『機動戦士Ζガンダム』

 

 それがガンダムの続編のタイトル。当初は副題に逆襲のシャアと銘打ってたけど、いつの間にかそれも消えてたけっけな。

 三月からの放送が告知され、各出版社から刊行されていたアニメ誌の記事からも期待の程が伺えたんだけども、しかし前作から五年だからいい加減世間のガンダム熱もかなり冷めていた。あれだけ隆盛をきわめてたのに、まさに盛者必衰の理を表してるよ。でもまあ私達オタクにはそんなの関係無いけど。

 だけど、それとは別に、私と兄には別の問題があったんだよね。それはまたしても民放二局と言う我が県の問題だ。それと言うのも当時『戦闘メカザブングル』に始まった富野アニメの連発だが、キー局のリアルタイム放送から半年の遅れの毎週火曜日の午後五時台に放送がされていてさ、その頃丁度『重戦機エルガイム』の放送が3クール目に差し掛かった頃合いだったんだ。

 

 『早くても、こっちじゃ九月になるよね』

 

 『だな………』

 

 絶望に打ちひしがれる私達兄妹だったけれど、しかし!何とそんな時に、一つの吉報がもたらされた。その吉報とは、何と我が県のテレビ局が、思わぬ粋な計らいをやってくれたんだ!

 それはある日番宣により告知されたんだけど、なんとZガンダムの放送がリアルタイムから“たったの一週間、厳密には五日遅れ”での、木曜夕方からの放送がなされるとの告知だった!

 

 『やった〜っ!ありがとう、N〇C長〇放送テレビジョンッ!!』

 

 そりゃもう私達兄妹狂喜乱舞して、地元放送局に感謝の念を送ったよ。その頃エルガイムでは、ダバがエルガイムマークIIに乗り換えて、物語はラストへ向かい加速し始めた辺りで、新規のガンダムが始まるって言う新旧番組が重なって放送されると言う捻れた状況だったけど、それもまあ良しだ!

 

 そして時は訪れる、我が地方におけるZガンダムの第一回目の放送の日が。

 




おばちゃんの自分語りは、もう少し続きます。
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