魅魔ものがたり   作:魅魔

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第13章 オレンジをなめちゃいけないよ!

「オレンジ、待って!」メデアの声は虚しく洞窟に響き、オレンジの放った無数の弾幕が門番へと殺到した。圧倒的な熱量にも関わらず、シンギョクは空中に舞い上がり、独楽のように高速で回転し始めた。

 

(オレンジ……! これ以上、無駄な血は流させないわ)

 

 呪文を紡ごうとした瞬間、激しく放電する異形の塊が視界を埋め尽くした。

 

 空気を焦がすオゾンの刺激臭と、鼓膜を圧迫する重低音が洞窟を揺るがす。人の形を捨て去り、圧倒的な質量と魔力のみを内包した「概念」そのものへと変貌した怪物が、オレンジへと突進していく。燃えたぎる溶岩の熱気と青白い霧の冷気が入り混じる中、剥き出しの殺意だけが空間を支配していた。

 

 怯むことなく杖を構えるオレンジを、メデアは横から力一杯突き飛ばした。

 

「えーっ!? メデたん、何するのー!?」

 

 地面を転がった彼女を背後で庇い、メデアは冷気を放つ巨大な質量へと両手を突き出した。

 

「シンギョクさん、この戦いはもうやめて! 彼女を許してください! 私が試練を受けます」

 

 重苦しい振動が止み、空間の歪みが収束していく。質量を持った怪物はゆっくりと形を変え、再び長身の陰陽師の姿となって静かに着地した。

 

「でも……どうして? わたしは……わたしは手伝いたかっただけなのに!」

 

絶望したようにオレンジが杖を下ろすと、周囲に充満していた熱気も霧散していった。

 

「若き者よ、よい選択である」

 

感情の起伏を一切感じさせない単調な声が響く。陰陽師は背筋を伸ばし、先程までの殺行など無かったかのように冷徹に見下ろしていた。

 

「では、私たちは失礼します。ただ、その前に一つだけ質問させてください」

 

「構わぬ。聞きたいことがあるなら聞け」

 

「あなたは……本当に、シンギョクさんなのですか?」

 

(先程までの狂気じみた女は一体何だったのか。それを確かめないことには背中も向けられないわ)

 

「その質問の意味が分からぬ。我は、この門の守護者たるシンギョクである」

 

「あなたはさっきまで、女の人の姿だったじゃないですか」

 

 男は僅かに沈黙し、門へと向き直った。

 

「この門に性別などという概念があるというのか? 若き者よ」

 

彼が闇の中へ溶けるように消え去ると、洞窟は再び深い静寂と暗闇に包まれた。

 

 オレンジは肩を落とし、杖の弱い光を頼りに出口へと歩き出した。

 

「メデたんが魔界に行きたいって言ってたから……わたし、役に立てると思ったのに……」

 

「ごめんなさいね。でも、あんな無謀な戦いをする必要はなかったのよ」

 

「じゃあ、これからどこに行くの?」

 

「『夢幻館』という場所に行こうと思うのだけれど……場所は分かるかしら?」

 

「えっとね……実はわたし、その近くの出身なの!」

 

暗闇の中で、パッと顔を輝かせる気配がした。

 

「案内してくれる?」

 

「もちろん! いいよ!……でも……」

 

声のトーンが急に沈み込む。

 

「あそこは部外者にはすっごく危ない場所なの。それでも行きたいの? 試練のためならもう忘れてもいいんだよ……? それより、いっそのこと引き返して、あのキモいやつを一緒にぶっ飛ばしてやる!」

 

「わざわざ喧嘩をする必要はないでしょう? もっと穏便な方法があるなら、そっちの方がいいわ。ところで……そこに誰が住んでいるのか教えてもらえる?」

 

 茂みを抜け、長い山道へと足を踏み入れながらオレンジが答えた。

 

「悪魔とか……わたしみたいな妖怪とか! 屋敷の主はね、『風見幽香』っていうの! メデたん、幽香様に会いたいわけ?」

 

「まだ決めてないけれど……屋敷の主に会ってみるのも悪くないわね」

 

 オレンジは立ち止まり、じっとこちらの顔を覗き込んできたが、やがて小さく鼻を鳴らして遠くの山脈を指差した。

 

「いいよー。どうしても行きたいなら、わたしが案内してあげる。でも、危ないから絶対にわたしから離れちゃダメだよ!」

 

 起伏の激しい丘陵地帯を黙々と進む。沈黙を埋めるように、メデアは気になっていた疑問を口にした。

 

「そもそも、どうして牢屋に入れられていたの? 小兎姫は本物の警察官じゃないと聞いたのだけれど……」

 

「ああ、それ? わたしが囲碁で勝っちゃったからなの!」自慢げな声が返ってくる。

 

「勝っただけで捕まるの?」

 

「そうなの! だってさ、お金をたっくさーん賭けて、何回里の人間たちとやってもわたしがほとんど勝ってたんだもん! それに、駒を置くタイミングを間違えちゃったら……」

 

「……つまり、ズルをしていたってわけね?」

 

「ズルじゃないもん! 使える手段は全部使っただけ! だって、相手がズルしたって、わたしは別に怒らないし! ……あっ!」

 

(ようやく自分の言っていることの矛盾に気づいたようね。だとすると、小兎姫の取り締まりもあながち見当外れというわけではなさそうね)

 

「ともかく、あの時私たちが間に合って良かったわね」

 

「うん! メデたんに助けてもらえて、わたし、すんごく嬉しかったの! 本当に本当にありがとう!」

 

 冷たい風が吹き下ろす岩だらけの谷へ出た。太陽の光は分厚い雲に遮られ、不気味な薄暗さが辺りを覆っている。ふと、周囲の茂みが生き物のようにざわめく音が耳に届いた。

 

「オレンジ、あれ……」

 

「シーッ!」オレンジが人差し指を唇に当てた。「やつらの注意を引いちゃダメ!」

 

 足元の土が不自然に盛り上がり、地鳴りのような振動が靴底を伝ってくる。「わたしに任せて!」

 

 オレンジが跳躍した瞬間、青白い閃光が視界を焼いた。

 

 空気を切り裂くような放電音と、肌を刺すオゾンの匂い。荒涼とした岩肌の谷底に、むせ返るような甘い植物の香りが突如として充満した。大地を突き破って現れたのは、巨大で肉厚な花弁を持つ異形の植物群だった。生い茂る触角のような雄しべからバチバチと青い火花が散り、周囲の酸素を貪欲に奪っていく。メデアは両手で魔導書の冷たい革表紙を抱え込み、鎖の擦れる音を響かせながらページを開いた。

 

「私が追い払ってみるから、オレンジ、援護して!」

 

圧倒的な熱量を持つ青い炎の輪を操るオレンジの背後で、メデアは呪文を紡ぎ出す。古い紙片から放たれた魔力の奔流が、甘ったるい香りを切り裂いて先頭の怪物へと直撃した。苦鳴のような不気味な震動を響かせ、巨大な花が次々と地面へ崩れ落ちる。周囲に波及した魔力に当てられ、他の植物たちの動きも鈍り始めた。

 

「今だ! 逃げよう!」

 

熱を失った空間を駆け抜け、メデアたちは息を切らしながら谷を抜け出した。

 

「はぁ……はぁ……なんとか逃げ切れたみたい……」

 

荒い息を吐くオレンジの視線の先には、異様な光景が広がっていた。ねっとりとした赤褐色の液体が沸騰するように泡立ち、むせ返るような鉄錆の匂いと濃密な湿気が空気を重くしている。上空には不気味な翼の羽ばたき音が絶え間なく響き、常に何者かに監視されているような生理的な悪寒が肌を粟立たせた。

 

「あれは血の池。なーんとかして渡らないと……。あっ! 見て! いた! クルミがいる!」

 

 赤黒い霧の向こう岸辺に、二つの人影があった。一人は、この不条理な地獄の風景に似つかわしくない、清潔なブラウス姿の少女。そしてもう一人は、どう見てもただの現代の衣服を纏った、酷く浮いた存在感を放つ青年だった。

 

「よっ! 驚いたー?」

 

オレンジが駆け寄っていく。

 

「マジでオレンジ? あんたパクられたのかと思ってたわよ。また遊んでんの?」

 

 生温かい風が運んでくる異臭の中、あまりにも脈絡のない光景に軽い眩暈を覚える。

 

「じゃじゃーん! わたしの救世主、メデたんだよ! すっごい天才魔法使いなの! この子はわたしの友達、クルミっていうの。吸血鬼なんだって」

 

(血の池地獄に、吸血鬼と……あの間の抜けた男は一体何なの?)

 

「はじめまして、メデアです。よろしくお願いします」

 

(こんな連中と深く関わりたくはないけれど、案内役には愛想良くしておくべきね)

 

「よろー」クルミは気怠げにあくびを噛み殺した。

 

 その横で、青年がもじもじと身をよじらせながらこちらを見つめてきた。

 

「え、えっと……太郎っす! あの……お嬢さんの髪……すっげー綺麗っすね……その、瞳も……///」

 

(なによ、瞳じゃなくて、明らかに胸を見ているじゃない……気持ち悪い男)

 

「お世辞は光栄ですが、『お嬢さん』という呼称は遠慮願えるかしら。メデアよ」

 

 冷たく切り捨てるように言い放つ。

 

「メ、メデアちゃんって、すっげー可愛い名前っすね!」

 

 太郎が必死に距離を詰めようとするのを無視し、オレンジがクルミに擦り寄った。

 

「ねえ、クルミん! メデたんも一緒に屋敷まで送ってってくれない? メデたん、屋敷に行かなきゃなんないの! ちょー大事な用事なんだって!」

 

「用事なんて、誰にだってあるっしょ! ちょっと待っててよ」

 

 クルミは鬱陶しそうに髪を払う。

 

「まあ、連れて行ってあげてもいいけど……いかだが小さすぎて、二人乗せるのは無理なわけ。また水に落ちたらどうすんの? だから、今回は一人ずつ順番に乗せるわ」

 

 彼女が指を鳴らすと、空を覆っていた無数の視線の一部が岸辺へと舞い降り、粗末な木製のいかだを水面へと持ち上げた。

 

 クルミが太郎を顎でしゃくる。「おい、そこの坊や、あんたが先に準備しな。飛び乗れば、あの子たちが運んでくれるから」

 

 その時、足元の地面が再び轟音を立てて波打った。

 

「ちょっと! あんたたち、お客さん連れてきちゃったわけ!?」

 

 クルミが鋭い声を上げる。

 

「本当だ! うわー、すっごいたくさん来てる! えへへ……ごめん!」

 

 谷の方角から、先程よりもさらに巨大に成長した異形の植物群が、怒り狂ったように押し寄せてきた。オレンジの炎とクルミの放つ魔法の弾丸が宙を舞い、周囲は再び焦げ臭い煙に包まれる。

 

 しかし、その中の一体が執拗にメデアと太郎のいる方へと突進してきた。

 

「お、お嬢さん! 俺……俺が守るっす! ふひひ、フラグキターーー! ここは俺の命を懸けてヒロインを庇う激アツイベントだぜ……!」

 

 太郎は丸腰のまま、意味不明な言葉を早口でブツブツと呟き始めると、恍惚とした表情を浮かべて巨大な怪物へと走り出していった。

 




【SYSTEM ALERT: 視覚・音響ハザード領域への接続】
この箱庭(ハーメルン)にあるのは文字の抜け殻に過ぎない。
本章のハイパーリアリズム視覚データ(および専用劇中楽曲)を含む【完全版(絶対正典)】は、以下の独立サーバーにて展開している。

▼ 第13章 絶対正典・直通ポータル ▼
https://mimamonogatari.github.io/chapter_13.html
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