吹き荒れていた砂嵐が嘘のように収まり、地獄の朝は不気味なほどの静寂に包まれていた。分厚く澱んだ鉛色の雲の切れ間から、圧倒的な質量を持った黄金色の光が、荒れ果てた赤茶色の大地へと放射状に突き刺さる。それは希望の光などではなく、永遠に続く責め苦の再開を告げる、厳粛で重苦しい審判のようだった。
神殿の周囲では、生気のない兵士たちがせわしなく立ち回り、コンガラが「悪徳の巣窟」と忌み嫌う幻想郷への新たな遠征準備を進めている。ざらついた赤土の匂いと、冷え切った石の気配が混ざり合う中、メデアは絶体絶命の窮地に立たされていた。
喉元には、冷たい剣先がピタリと押し当てられている。僅かに動けば、容赦なく皮膚を引き裂かれるだろう。
「無実を証明したければ、貴様が常に持ち歩いている魔導書を渡すがよい! それが貴様にとってどれほど大切なものか、分かっておるぞ!」
頭上から降り注ぐコンガラの怒声に、メデアは奥歯を噛み締めた。一族の叡智が詰まった魔導書を手放すなど、到底受け入れられる要求ではない。そもそも、存在すら知らない古い呪文書の窃盗など、完全な濡れ衣だ。
(あの図々しいポルターガイストめ、調子に乗りすぎよ。いい加減、カナの化けの皮を剥がしてやる)
喉元の刃に細心の注意を払いながら、メデアは机の後ろで息を潜める元凶を指差した。
「コンガラ様、書を盗んだのは私ではありません。カナの仕業です。あの子が、あなた様を騙しているんですよ」
名指しされたカナは、ゆっくりと机から立ち上がった。身だしなみを整える優雅な手つきと、足音ひとつ立てずに近づいてくるその挙動は、まるでこの緊迫した状況を劇の鑑賞か何かのように楽しんでいる気配すらあった。
「彼女は幽霊ではなく、ポルターガイストです。名前はカナ・アナベラル。幻想郷にある、エレンという魔女の店で暮らしていました」
(こんな危機的状況で、あの太郎の日記の記述が役に立つとはね……)
「このポルターガイストはコンガラ様を監視し、明羅さんをはじめとするライバルを次々と排除して、ご自身の地位を狙っているんですよ。昨日、明羅さんが姿を消した場所にもカナはいました。小兎姫警視を追う姿を、私はこの目で見ています!」
コンガラは不快げに眉をひそめ、カナへと鋭い視線を向けた。
静寂の中、カナはゆっくりと、リズミカルな拍手を鳴らし始めた。乾いた音が、冷たい石造りのホールに響き渡る。
「さすがメデアさん、面白いお話ね。賢い魔女さんはどこからともなく現れて、あっという間に全部解決してくれるなんて。なんて英雄的なのかしら」
カナは上品に微笑み、静かな、だがひどく冷ややかな声で続けた。
「でも、考えてみてください、コンガラ様。不幸な迷子の旅人が、どうして私たちの神殿にこれほど口出しするのでしょう。殺人犯を探して、調べて、忠実な信者を装うなんて。私たちの警戒心を解いて、盗みを働き、計画を台無しにするためかもしれませんわ。彼女は小兎姫と共謀して、その後に私を排除しようとしていたのだと思います」
コンガラの顔に、さらに濃い疑念の影が落ちる。二人の顔を交互に睨みつけ、低く唸った。
「それが真実か? カナよ、貴様はポルターガイストなのか?」
「いいえ。魔女は息をするように嘘をつきますわ。私がどのように生まれ、どのように死んだか、一番よく分かっているのは私自身です。馬鹿げた冗談はやめてください、メデアさん。あなたは、自分の言ったことを一つでも証明できますの?」
(くっ……このポルターガイスト、蛇のように狡猾だわ。何か考えないと)
台所でカナを監視していた事実を話せば、自分自身のスパイ行為を自白することになる。頭をフル回転させ、メデアは一つの接点を見出した。
「コンガラ様、私の言葉が信じられないのなら、幻想郷でエレンの店を探してみてください。カナの正体がわかるはずです。彼女はそこに住んでいて、くるみという吸血鬼と親しくしていました。くるみは幽香の側近です。敵と通じていたということは、必ず何か企んでいるはずですよ!」
それを聞いた瞬間、カナは勝ち誇ったような、底冷えのする笑みを浮かべた。
「迷子の女の子にしては、随分と内情に詳しいのね。あんたこそ、その店に出入りして、敵と交流し、共謀していたんじゃないかしら。幽香とその悪趣味な取り巻きが、メデアさんのことを知っているかどうか、確かめてみましょうか?」
(しまった。墓穴を掘ったわ)
背筋に冷たい汗が伝う。罪を証明する証拠は何もなく、逆に怪しさを増幅させる結果となってしまった。逃げるしかない。
コンガラは再びカナへ視線を戻すと、周囲の兵士たちに向かって無慈悲な命令を下した。
「捕らえよ!」
即座に身を翻し、出口に置かれた小さな自転車へと駆け出そうとしたが、遅かった。半透明の大男二人に両腕を乱暴に掴まれ、床に押さえつけられる。
「身体検査だ! 書を取り上げろ!」
抵抗は無意味だった。魔法を使う隙もなく、抗う武器もない。乱暴な手つきで探られ、懐から大切な魔導書が奪い取られる。
地下牢へと引きずられていく視界の端で、カナがコンガラに対して深々と、ひどく恭しいお辞儀をしているのが見えた。
***
冷たく湿った空気が漂う地下牢に放り込まれても、メデアの頭の中は奪われた魔導書のことばかりが渦巻いていた。唯一の救いは、兵士たちの粗い捜索を逃れ、懐の奥底に黄金のドラクマ[1]が無事残っていたことだ。幽香の世界へ帰還するためのポータルが開く正午まで、もう時間は残されていない。
(あの時、さっさと逃げ出すべきだったわ。貴重な時間を無駄にしてしまった。もっと早くカナを告発していれば……。今となっては、コンガラは完全にあの女狐の言いなりね)
埃っぽい黴の匂いに混じって、自身の空腹を知らせる音が小さく鳴る。昨日からまともに食事を口にしていない。
(一体、どうすればここから出られるの? このままじゃ、小兎姫みたいに追放されるか、最悪、殺されてしまう……。落ち着きなさい、メデア。まだ希望はあるはずよ)
あてがわれた独房は、昨日まで使っていた客室と大差ない簡素な作りだった。粗末なござが敷かれ、鉄格子の向こうの廊下で燃える松明のオレンジ色の光が、薄暗い影を落としている。つい昨日、あの奇妙な少女・窓付きがここに収監されていたことを思い出す。鉄格子の扉に向けて魔力を練り上げてみたが、やはりこの空間では魔法がうまく機能しない。
メデアは冷たいござの上に蓮華座で座り、目を閉じて意識を集中させた。キクリの姿を思い描き、心の中で強く呼びかける。しかし、応答はない。幽香やフレデリカにも念を送ってみたが、深い底なし沼に石を投げ込むように、何も返ってはこなかった。
深い溜め息をつき、何か手がかりになるものはないかと、敷かれたござをひっくり返してみる。
その時、指先が硬く滑らかな感触に触れた。
暗がりの中で、それは微かな電気を帯びたように脈動していた。
掌にすっぽりと収まるサイズの、完全な楕円形。表面には青白い稲妻のような細い光の筋が不規則に走り、それ自体が強烈な人工的な光を放っている。磨き上げられた滑らかさの奥底で、得体の知れないエネルギーが渦巻いているのが、確かな温もりとともに伝わってくる。
半透明の輝きは、窓付きが乗っていたあの自転車の質感を思い起こさせた。きっと、あの不思議な少女が残していったものに違いない。
毒々しくも神秘的な光が、メデアの手元と、冷たい石壁の地下牢を妖しく照らし出していた。
「あら、可愛い魔女さん。牢獄の居心地はどう? 少しは身の程を弁える気になったかしら」
錆びついた太い鉄格子の向こう側から、ひんやりとした声が降ってきた。
暗い地下通路の松明の熱気を背に受け、カナがこちらを覗き込んでいる。埃っぽく黴臭い地下牢の空気と、彼女の清潔で優雅な佇まいは、酷く噛み合わない残酷な違和感を放っていた。
声を荒らげるでもなく、まるで檻の中の哀れな見世物を楽しむような、静かで虚ろな微笑み。それがかえって、コンガラの直接的な暴力よりも重い精神的な圧迫となってメデアにのしかかる。
「言ったでしょう? 私の邪魔は誰にもさせないって。明羅、小兎姫、そして今度はあんた。目障りな連中は、全員消えてもらうのよ」
その狂気を孕んだ静けさに、メデアは顔を上げ、冷ややかに言い放った。
「どうしてそこまで執着するの? コンガラが好きだなんて嘘でしょ。本当は、あの人の事なんてどうでもいいくせに」
カナの顔から一瞬にして作り笑いが消え、凍りつくような冷淡さが目を覆った。鉄の棒を掴む手に、ぎりぎりと力が込められる。
「質問するのは私の方よ、お嬢さん。あんたが一体何者で、ここに何をしに来たのか、残らず吐き出しなさい。このリボンに触れるだけで、あんたは今日にも処刑されるのよ。せいぜい覚悟しておくことね」
[1]ドラクマ:(ギリシア語: 単数形 δραχμή)古代ギリシアで広く用いられた通貨の単位
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この箱庭(ハーメルン)にあるのは文字の抜け殻に過ぎない。
本章のハイパーリアリズム視覚データ(および専用劇中楽曲)を含む【完全版(絶対正典)】は、以下の独立サーバーにて展開している。
▼ 第25章 絶対正典・直通ポータル ▼
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