魅魔ものがたり   作:魅魔

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第29章 不安定な少女

冷たく淀んだ空気が澱む地下牢に、静かな嘲笑が響いた。

「さすがはカナ、邪魔者の排除はお手の物ね。特に明羅を地獄から追放するなんて、なかなかやるじゃない」

 

 鉄格子越しに投げかけられた冷ややかな賞賛に、ポルターガイストの少女はピタリと動きを止めた。

「……え? 明羅が生きてるって? どうして……?」

 

 その顔に浮かんだのは、計算された演技とは思えない純粋な困惑だった。

(演技じゃないとすれば、本当に知らないということ? よし、これなら使えるわね)

 

「でも、この目で見たわ。あの小娘が明羅を……」

 

 意図的に言葉を濁すと、カナは咄嗟に口元を覆い、芝居がかった声を出した。

「あら、しまった。つい余計なことを言ってしまったわ。これでは、あなたを生かしておくわけにはいかなくなったわね」

 

 狂気を孕んだ眼差しに対し、冷淡に首を振る。

「何度言ったら理解できるのかしら。私は明羅にも、カナにも、コンガラにも興味はないの。ただ元の世界へ帰りたいだけ。コンガラを奪うつもりなんて、毛頭ないわ」

 

「命乞いのつもり? 誇り高き魔女様がポルターガイストに頭を下げるなんて、随分と安っぽくなったものね」

 

「好きに解釈なさい。ただの事実よ。私が何者かなんて、あの馬鹿げたアンケートを見れば分かるでしょう? 帰還のための魔力の源を探していたら、手違いでここに飛ばされただけ」

 

「魔力の源? ……ふふ、続けて。少しは話を聞いてあげる」

 

「私は外の世界の魔法使い。儀式の失敗で幻想郷へ迷い込み、帰る方法を探してエレンの店を訪ねたわ。そこで、魔力の源を使えば帰還できると教わったの」

 

「エレン?」

 カナの声音が急激に低く、鋭く尖った。

「いつ、エレンの店に行ったの?」

 

「ここへ来る直前よ。だから言ったでしょう。遺跡の魔力が強すぎて飛ばされたって」

 

「魔力なんてどうでもいい! エレンはどうだったの!?」

 

 鉄格子にすがりつくような勢いに、思わず眉をひそめる。

「どうだったって……魔法の店のオーナーでしょう? カナ・アナベラルというポルターガイストが屋根裏に住んでいたことも聞いたわ。あなたのことよね?」

 

「……それで、エレンは私がなぜ店を出たのか、何か言っていた?」

 

(くっ……知らない情報をその場ででっち上げるのは危険ね。ボロが出ないよう、極力事実に沿わせないと)

 

「そのことについては触れていなかったわ。店にはほんの少しの間しか滞在せず、くるみが迎えに来てすぐに遺跡へ向かったから」

 

「ちょっと待って! エレンは一人だったの!? 他には誰もいなかったの!?」

 

 カナの声が金切り声へと変わっていく。

(曖昧にぼかさないと……)

 

「ええと……色んな客が出入りしていたわ……。くるみとか……他にもいたかもしれないけれど、よく覚えていない」

 

「エレンと! 一緒に! ずっと! 誰かいたのよ!? ねぇ、答えなさい!」

 

 淀んだ地下牢の静寂を、ひび割れたような荒い息遣いが切り裂く。余裕に満ちていた管理者のペルソナは完全に崩落し、剥き出しになった脆い精神が軋みを上げている。暗闇に沈む石壁に、微かに脈打つ青白い光が揺れた。掌の中にある卵状の物体が放つ冷ややかな輝きが、鉄格子越しの蒼白な顔を不気味に照らし出す。背後から押し寄せる松明の熱気すら、彼女から発せられる異常なまでの冷気と混乱をかき消すことはできない。ただの一言が、彼女の存在を定義する根幹に致命的な亀裂を入れたのは明らかだった。

 

(一体どうしたというの? なぜそこまで取り乱す? ……でも、これは利用できる。コンガラに突きつけて、あのポルターガイストの足元を崩してやる)

 

「うーん、はっきりとは覚えていないわ……。でも、エレンはカナのこと、何か言っていたような……気がするわね」

 

「何を言ったの!?」

 

「確か……カナに会いたいって……」

 

(うまくいった……はずよ)

 

「ああ、くそっ! どうすればいいの……? 窓付きはもう私の扉に来ないし……」

 

 焦点の定まらない目で宙を睨み、カナはひたすら独り言を呟きながら暗い廊下を徘徊し始めた。

「自分で行って、確かめてきたらどう?」

 

 突き放すような冷たい声に、カナは足を止め、射抜くような視線を向けてきた。

「また来るわ。よく覚えておきなさい。あなたが言ったことを証明する証拠なんて、何一つないのよ! コンガラ様を私に敵対させることなんて、絶対にできないんだから!」

 

 吐き捨てるように言い残し、足音もなく廊下の闇へと消えていった。

 

 掌の上で青白い卵を転がしながら、思考を巡らせる。あの取り乱し方は異常だ。その裏に隠された執着の正体と、そこから得られるであろう利益。だが、推測を重ねるほどに靄がかかったように要領を得ない。

 不意に、掌の卵が明滅を強めた。粗末なローブの布地にこすりつけると、内部に奇妙な輪郭が浮かび上がる。さらに力を込めて摩擦すると、表面が熱を帯び、やがて卵そのものが空間に溶けるように消失した。

 

 後に残されたのは、小さく折りたたまれた白い布。広げると、頭を覆える程度の三角巾だった。試しに手首へ巻きつけてみると、布に覆われた部分の視覚情報だけが完全に消失した。見えなくとも、触れれば確かな感触がある。対象を透明化する魔法の触媒だ。慎重に折りたたみ、ローブの深いポケットの底へ隠した。

 

 カナの気配は完全に消えた。胃の腑から込み上げる空腹感が神経を苛む。狭い牢内を歩き回り、冷たい石壁をくまなく叩いてみたが、強固な一枚岩に隙などあろうはずがなかった。

 その時、廊下の奥から足音が近づいてきた。生身の人間にしては体重を感じさせない、不気味な足音だ。鉄格子の隙間から身を乗り出すと、額に「罪」の文字を刻まれた半透明の兵士が立っていた。無言のまま、鉄格子の隙間から皿とスプーンが差し入れられる。皿の上には、食堂で口にしたのと同じ、液体とも気体ともつかない正体不明の物質が揺らいでいた。

 

「コンガラ様に、すぐにここへ来るよう伝えてちょうだい」

 

 声をかけると、男は緩慢に頷き、再び闇へと溶けていった。皿の上の物質を口に運ぶ。やはり胃の腑に届く前に消滅してしまうが、奇妙なことに空腹感だけは綺麗に拭い去られていた。

 

 そのまま静寂の中で瞑想を続けること三十分。不意に、軍靴のような重い足音が廊下に響き渡った。

 姿を現したのはコンガラだった。鉄格子の前に立ち塞がり、額の鋭い角を突きつけるように体を向ける。

 

「口を開け、罪深き者よ。だが、よく聞くがよい。我が決断は己で下す。静かなる神殿の管長たる我を欺いた者は、一人としておらぬ」

 

(へえ、あのカナの入れ知恵かしら? まさか、この石頭が自分でそんな台詞を思いつくとは思えないけれど)

 

 内心の嘲笑を奥底に沈め、恭しい態度で顔を上げる。

「身に覚えのない罪を着せられて、本当に心外です。私はただの駆け出しの魔女で、手違いで幻想郷に迷い込んでしまっただけ。帰る方法を探す過程で魔法の遺跡の魔力の源を知り、儀式に失敗してここへ飛ばされました。危害を加える意図などありません。ただ、故郷へ帰りたいだけなのです」

 

 コンガラは沈黙したまま、猜疑心に満ちた瞳でこちらを見下ろしている。

 

「それに、もう一つの魔力の源は魔界にあるらしいのですが……。昨日、コンガラ様とご一緒した崖にあった、浮き彫りの王冠。あそこから欠けている宝石は……魔界にあるはずですよね? もし、私を魔界へ行かせていただけるのなら……」

 

「浮き彫りだと……!?」

 

 張り詰めた空気が爆ぜた。コンガラの顔から血の気が引き、額の角が微細な痙攣を起こす。

 

「言ったはずだぞ! 見るな! 考えることさえ許さんと!」

 

 鉄格子を握りしめる両手から、骨の軋むような音が鳴る。肌を焦がす松明の熱気すら、噴き出した冷や汗の悪寒を拭えはしない。そこには、もはや威厳ある将軍の面影など微塵も残っていなかった。張り詰めた空気の底で渦巻いているのは、怒りではない。決して触れてはならない記憶の深淵を覗き込まれたことに対する、あまりにも生々しく人間的な「恐怖」と「否認」の露呈だった。

 

(まったく、この世界の住人たちは、全員どこか壊れているんじゃないかしら。少し核心に触れただけで、ここまで取り乱すなんて……)

 

 コンガラは鉄格子をへし折らんばかりの力で握り締め、腹の底から絞り出すように吠えた。

 

「王冠から欠けている宝石のことなど、どこで知ったのだ!? 答えよ! さもなくば、貴様も静かなる軍の一員として、永遠にこの地獄へ縛り付けるぞ!」

 




【SYSTEM ALERT: 視覚・音響ハザード領域への接続】
この箱庭(ハーメルン)にあるのは文字の抜け殻に過ぎない。
本章のハイパーリアリズム視覚データ(および専用劇中楽曲)を含む【完全版(絶対正典)】は、以下の独立サーバーにて展開している。

▼ 第25章 絶対正典・直通ポータル ▼
https://mimamonogatari.github.io/chapter_29.html
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