コンガラは錯乱したように鉄格子を掴み、眉間に深い皺を刻みながら言葉を待っている。
(キクリの話を持ち出せば、コンガラも目を覚ますかもしれないわね)
「浄化の儀式中に……幻視を見たのです。あの浮き彫りの女性が、ご自身をキクリだと名乗られて……」
コンガラの瞳孔が極限まで収縮する。だが、ここで引くわけにはいかない。
「キクリ様は、この世界の過去について話してくださいました。かつては花咲く庭園だったこの場所が、なぜ地獄に変わってしまったのか。そして……全てを元に戻す方法も。魔界にあるアメジストを手に入れて、王冠にはめ込めば、キクリ様の封印が解除されると……」
コンガラは獣のように荒い息を繰り返す。やがて、絞り出すような声が地下牢の石壁に響いた。
「キ……クリ……! その名を口にするとは何事だ! 嘘だ、キクリはもうおらぬ! 取り戻せるはずがない……! よくも、よくも我を欺こうとしたな! なぜキクリの存在を……! 貴様は……我が心を弄ぶ術を知っておるのだな!」
「違います! 私は選ばれたのです。この世界を救い……コンガラ様の愛を取り戻せと。これは真実なのです!」
「愛だと? 愛など……もう存在せぬ! 黙れ、魔女め! その舌を噛み切れ! さもなくば、我が剣で斬り捨てるぞ!」
背後の暗がりから、ひどく場違いな、滑らかな衣擦れの音が近づいてきた。
「コンガラ様。少し気になる噂を耳にしたのですけれど……。この魔女、明羅姉さまの失踪に関わっているらしいのですよ」
カナだ。淀みきった空気の中、彼女の周囲だけが不自然なほど清潔な気配を保っている。
その報告に、コンガラは迷うことなく衣服から大きく錆びた鍵を取り出した。荒々しい金属音が響き、独房の重い扉が開け放たれる。鍵が外れるのと同時に、殺気を孕んだ抜刀の音が鳴った。
(その場で処刑する気……!)
間一髪、懐に隠し持っていた三角形の布を頭から被り、自身の姿を空間から抹消する。
「卑劣な魔女め! どこに隠れた!」
コンガラは狂乱し、ほんの一瞬前まで獲物が立っていた空間を幾度も斬り裂いた。鋭い風切り音が牢内に響き渡り、やがて動きを止めて静寂に耳を澄ませる。
「まだここにおる! 捕らえよ!」
壁に背を張り付け、息を殺して状況を窺う。コンガラは入り口付近で半透明の兵士たちと共に立ち塞がっている。隙を突き、持てる限りの力で独房から外へ向かって駆け出した。
罪人の魂たちが闇雲に腕を伸ばしてくるが、その隙間を縫い、猛るコンガラの横をすり抜ける。出口の気配を感じ取った、その時だった。
不意に足元をすくわれ、硬く冷たい石畳へと激しく打ち付けられた。
鼻先を掠める埃と血の匂い。全身を打ち据える鈍痛に顔をしかめながら視線を上げると、すぐ目の前の床に、冷ややかな息遣いが迫っていた。
上から押さえつけるような、甘く、それでいて絶対的な加虐性を孕んだ気配。顔を覗き込んでくるその存在は、この凄惨な状況をまるで退屈しのぎの遊戯としか捉えていない。
そして背後からは、地鳴りのような足音と共に、剥き出しの殺意が猛烈な熱を帯びて迫ってくる。前を塞ぐ無邪気な悪意と、後ろから襲い掛かる狂乱の刃。完全に退路を断たれた、絶望的な挟撃だった。
「ねえ、本当に思っていたの? あんたを殺すと言ったのは……ただの冗談だって。まさか、本気で実行するわけがないって?」
這いつくばる耳元へ、静かな、ひどく冷淡な囁きが落ちてくる。
「エレンのことは、幻想郷でこの目で確かめてくるわ。あんた、もう色々と知り過ぎたのよ。そのせいで私が帰れなくなったら……困るものね」
頭を覆っていた布の感触が、不意に消え去る。カナの手によって、魔法の触媒が奪い取られていた。
「悪いわね。あんたがいなくなるの、少しだけ寂しいかもしれないわ。ほんの少しだけ……ね?」
起き上がろうともがく体を、兵士たちの冷たい両手が床へ力任せに押さえつける。
背後から、圧倒的な質量を持った死の気配が覆い被さってきた。喉元に、氷のように冷たい金属の感触が突き立てられる。
耐え難い痛みは、一瞬だった。
急速に暗転していく意識の底へ、最後に滑り込んできたのは、カナ・アナベラルの微かな、だが確かに嘲るような笑い声だった。
偉大な魔女の人生は、こうしてあっけなく幕を閉じた。
【SYSTEM ALERT: 視覚・音響ハザード領域への接続】
この箱庭(ハーメルン)にあるのは文字の抜け殻に過ぎない。
本章のハイパーリアリズム視覚データ(および専用劇中楽曲)を含む【完全版(絶対正典)】は、以下の独立サーバーにて展開している。
▼ 第30章 絶対正典・直通ポータル ▼
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