Neverwinter Nights - Deekin in Halkeginia   作:ローレンシウ

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第百四話 You don't know, Wardes

「……ガ、『ガンダールヴ』! 貴様、一体何をした!?」

 

 狼狽と怒りで顔を歪めるワルドに対して、ディーキンは小さく肩をすくめた。

 この男はいつも、戦っている相手に今使った技が何か教えてくれなどと頼んでいるのだろうか?

 

 しかしながら、実際のところそれについては少々悩ましい問題があることにディーキンは気が付いていた。

 敵だから教える必要はないと突っぱねるのも、完全にだんまりを決め込むのも簡単なことだが、それが最善の選択かは微妙なのである。

 

 ルイズが『虚無』であることに自力で辿り着いたのだとすれば、この男の洞察力には侮れないものがあるはずだ。

 そして、先程使った呪文はまさにその『虚無』に分類されるであろう代物なのである。

 何も教えずにおいて、下手に勘ぐられるのは避けたかった。

 

 かといって、教えることもまた避けたい理由がある。

 普段なら軽く説明するくらい別に構わないのだが、その内容が後でデヴィルにも伝わる可能性を考えれば、ここは些細な情報であっても漏らさずにおきたい。

 

 ディーキンとしては、できればワルドを殺さずに捕らえたかった。

 ルイズのこともあるし、情報を後でもう少し聞き出すこともできるかもしれない。何よりも、生きていればフーケの時のように改心を勧めることもできるのだから。

 しかし生かしておくと言うことは必然的に後日逃走されるかもしれないという危険を犯すことでもあるし、ワルドがデヴィルとどの程度深く関わった人物なのかにもよるが、脱走の手引きをする者、ないしは暗殺者が送られてくる可能性も否定できない。

 だから、どう転ぶかわからない今の段階ではあまり知られてまずい情報を与えたくはないのだ。

 

 教えるべきか、教えざるべきか。

 

 先程ディスペルを使わなければそんなことを悩まなくても済んだのだが、『遍在』は間違いなく厄介な呪文で、即座に消し去っておかないと面倒なことになりかねないためにやむを得なかったのである。

 まず普通にワルドを倒し、それから《記憶修正(モディファイ・メモリー)》でディスペルの呪文を見た記憶を消して偽の記憶と差し替えておくという方法も考えてみた。

 それで概ね問題はないと思うのだが、後々呪文が解呪される危険もゼロではない。

 万が一そうなれば、わざわざ記憶を消すような真似をしたことによって逆にそこに何か重要な秘密があるのだと教えてしまう結果になる。

 

(ここは、あの人が誤解するように話をもってくのがいいかな?)

 

 そう考えをまとめたディーキンは、ものは試しとひとつ即興の芝居を打ってみることにした。

 バードとしても、その方がやりがいがあるというものである。

 仮に失敗しても後から《記憶修正》をかけることはできるのだし、上手くいけば両方の手段を併用することによってより盤石に秘密を保つことができるだろう。

 

「おほん……」

 

 ディーキンは勿体ぶった様子で咳払いをすると、普段とはまったく違う重々しい口調で話し始めた。

 

「……子爵よ。いかに君の『風』の腕前が優れていようとも、所詮は一介の人間の業だ。大いなる精霊にとっては、それを鎮めるなど造作も無いことだとは思わぬか?」

 

 遍在3体をかき消した未知の呪文に驚いていたところに、この突然の態度の変化である。

 キュルケとタバサもいささかきょとんとしていた。

 

 当のワルドはといえば、顔をしかめてディーキンを睨みつけている。

 

「精霊だと? 貴様ごときが……!」

 

 こんなトカゲもどきの低級な亜人の子供が、そんな高度な先住魔法を扱えるというのか?

 そうした疑念のこもったワルドの視線に対して、ディーキンは黙って頭を振った。

 

「低級な亜人の子供ごときがと、そう思っているのか? 君にとっては、目に見えるものがすべてなのか? ……ならば、見せてやろう」

 

 そう言いながら、今は小型サイズ用のロングソードの形態をとっているエンセリックをゆっくりと鞘から抜いて、ワルドの方に向ける。

 

「……おのれ!」

 

 ディーキンのその言葉を侮蔑と捉えたワルドは、屈辱に顔をかっと赤らめながら次の呪文を唱え始めた。

 切り札の遍在が通じなかったにもかかわらず、降伏するという選択はまるで頭にないようだ。

 あまりにも自分に自信がありすぎて事ここに至ってもなお勝機が無くなったことを認められないのか、あるいはそんなみっともない真似をすることはプライドが許さないのだろうか。

 

 いや、先程の降伏の勧めを手酷く蹴ってしまっている以上、今さら投降したところで助けてもらえるわけがないと考えているのかもしれない。

 確かに捕縛されてトリステイン本国へ送られたところで、誰か取りなしてくれる者でもいない限りはいずれすべての地位と名誉と財産を剥ぎ取られた上での死罪となることはまず間違いないだろう。

 それならば、戦って切り抜けられることに賭けたほうがましだと判断したとしても無理はない。

 

 実際には、少なくともディーキンとしては、事ここに至ってもまだワルドの降伏を受け入れるのにやぶさかではなかった。

 彼に本当に投降する気があるのなら、命を助けるために力を尽くして弁護してやるつもりである。

 だが、今一度口に出してそうするように勧めるということはしなかった。

 この状況でそんな提案をして向こうが受け入れたとしても、それは実質的には降参しないと殺すぞと脅して従わせたようなものだ。

 自ら心を改めてくれたのならともかく、強要して口先だけの降伏などをさせることに意味はない。

 人が本当に改心するのには相応の時間がかかるものだ。

 

 ワルドが得意の高速詠唱で瞬く間に呪文を完成させると、杖が青白く輝いて細かく振動し始める。

 

 使ったのは『エア・ニードル』と呼ばれる、渦巻く風の刃を杖にまとわせる呪文だった。

 偵察に用いたものも合わせて4体もの遍在を同時に使用したために相当量の精神力を空費してしまったので、今後のことも考えれば攻撃呪文を無闇に連発するわけにはいかないのだ。

 それゆえ近接戦の技量では遅れを取ることは承知の上で、あえて少ない消耗で長く使い続けられる武器強化の呪文を選択したのであろう。

 

「我が『風』は鉄をも断つ! なまくらな剣などで受けることはできぬぞ!」

 

 ワルドの言葉は、決して虚勢ではない。この風の刃は、ごく平凡な作りの剣ならば打ち合わせてそのまま断ち切れるほどの切れ味をもっている。

 迂闊に斬り結ぶこともできぬその威力でもって、彼我の技量の差を埋め合わせようというのだった。

 

 ディーキンはワルドのその言葉を聞いても特に脅威には感じなかったが、ああなるほど、と得心していた。

 

 今朝の手合わせで、彼は表皮の硬い相手や重厚な防具をまとった相手にはろくに効果がなさそうな軽い突きを牽制に使っていた。

 その時は単純にメイジゆえに近接戦の経験が不足しているのだろうと考えていたが、今思えば実戦ではあのような武器強化の呪文を用いるからというのもあるのだろう。

 確かに鉄でも切れるほど鋭い風の刃をまとった杖なら、ごく軽い突きであっても大抵の敵には打撃を通せるはずだ。

 

「私をなまくら呼ばわりとは、聞き捨てなりませんね?」

 

 それまで静かにしていたエンセリックが、抗議の声を上げる。

 

「ここはひとつ、そうではないことをあの男にわからせてやってくれませんかね? コ、……ああ、失礼。ええと――」

 

 いつものようにコボルド君と呼ぼうとして、言い直した。

 

「――偉大なる“鱗をもつ歌い手”殿?」

 

 なにやら芝居がかった真似をしようとしているのを察して、エンセリックなりにそれに合わせてやろうと思ったらしい。

 

「言われずとも。“聡明なりし”エンセリック殿」

 

 ディーキンは、彼を仰々しく胸の前に構えて軽く一礼しながらそれに答えた。

 まるで、貴族が決闘をするときのような作法である。

 一体彼は何をやろうとしているのだろうかと、キュルケとタバサは思わず顔を見合わせた。

 

(インテリジェンスソードか……!)

 

 珍しい代物だったが、そのことは今は関係ない。

 問題なのは、それが明らかに魔法のかかった武器であるということだ。

 自分の『エア・ニードル』の刃をも受けることができる強度があるとすれば、接近戦での勝ち目は薄くなるだろう。

 

 しかし、今さらそんなことを言ってみたところでどうにもならないし、ましてや敵はただの亜人の子ではないようなことをほのめかしてさえいるのだ。

 その真偽のほどは不明だが、少なくとも自分の遍在を容易く消滅させてみせたのは事実である。

 たとえ精神力が不足していなくとも、距離を置いて敵に呪文を詠唱する余裕を与えてしまう戦い方ではますます勝ち目が薄くなるかもしれない。

 

 ここは敵に呪文を使う隙を与えぬよう間合いを詰めて斬り合いながら、隙を見て至近距離から呪文を叩き込んでやるしかあるまい。

 とにかくこいつを片付けることだ、そうすれば残りの2人は所詮は学生メイジ、余力で始末できるだろう。

 最悪精神力が残っていなかったとしても、杖一本ででも突き殺してみせる。

 

(やられはせん! 俺はこんなつまらぬところで、貴様らごときにやられはせんぞ!)

 

 ワルドはもちろん一礼したりなどはせず、風の刃をまとった杖を構えて真っ直ぐにディーキンに躍りかかっていった。

 反撃の隙を与えまいと、素早い突きを連続して繰り出す。

 

 ディーキンはそれらの突きをあるものはかわし、あるものはエンセリックで受け流し、あるいは自分からも軽く剣を突き出して牽制することで、余裕を持っていなしていった。

 もちろん、受け流す際に鋭い風をまとったワルドの杖と触れても、アダマンティン製の上に高レベルの強化が施されているエンセリックはその程度のことで傷んだりはしない。

 

(く……、やはり接近戦では敵わぬか。しかし……!)

 

 杖による攻撃は、敵を仕留められずとも反撃を押さえ込めさえすれば上等だ。

 本命はあくまでも高速詠唱を用いた近距離からの呪文攻撃である。

 

 そう考えてディーキンの反撃に、特に鞭が飛んでこないかなどに注意を払いながら呪文を使うタイミングを見計らっていたワルドは、ふと妙なことに気が付いた。

 

 ディーキンの動作、体捌きや剣の動きには、斬り合うためのものではないある種の規則性を持った動きが混じっている。

 その口元は小さく動き、密かに何かの言葉を紡いでいる。

 

「《サーク・シア・アードン》……」

 

(な……!?)

 

 ワルドは目を見開いた。

 トリステインの魔法衛士隊で教えているものとは型は異なっているが、それは間違いなく詠唱時の隙を消すための実戦的な詠唱技法であるに違いなかったからだ。

 こんな亜人が、まさかこれほど洗練された高度な詠唱技術まで有していようとは……。

 

(……いっ、いかん!)

 

 このままでは、完成した呪文を至近距離から叩き込まれるのはこちらの方になってしまう。

 ワルドは咄嗟に飛び退くと、高速詠唱で瞬時に『ウインド・ブレイク』を完成させ、横薙ぎに杖を振るって解き放った。

 敵の詠唱を阻止しつつ、あわよくば体勢を崩させて隙を作る狙いだった。

 

 しかし、ディーキンの呪文はそれよりも一瞬早く完成していた。

 

 呪文が完成するや、ディーキンの体は突然眩い輝きを放ち始め、みるみる大きく膨らんでいった。

 短詠唱で放たれた『ウインド・ブレイク』の突風には、大きく膨れ上がったその体を吹き飛ばせるほどの威力はない。

 風は障壁にぶつかったように押し返され、逆に術者であるワルド自身が吹き飛ばされそうになった。

 

「ぐぅっ……!?」

 

 思わず腕で顔を庇い、身を低くして踏み止まる。

 風が過ぎ去ってもう一度顔を上げた時、ワルドは目の前の光景に頭が真っ白になった。

 

 キュルケやタバサも概ね彼と同じようなもので、目を丸くしてディーキンの方を見つめている。

 彼の姿は、ほんの数秒足らずの間にとてつもない変化を遂げていた。

 

 それは、ワルドら3人がこれまで一度も見たことのない、しかし紛うことなきドラゴンの威容であった。

 大きさは大体シルフィードと同程度でドラゴンとしては小さく、この大きな部屋の中に収まるサイズである。

 しかしその姿は、身の丈20メイル近い最大級の火竜ですら到底及ばぬほどに、誇り高く威風堂々として見えた。

 

 全身は黄金色にきらめき、まるで金属製の彫像のよう。

 その体を覆う鱗はすべて完璧に整った形をしていて、まるで白熱したプラチナのように輝いている。

 眼前のワルドを冷たく見下ろす、その融けた金属のような美しい瞳もまた然り。

 

 これこそが、天上界にあってその身に光輝をまとう最も輝かしく高潔な竜族、レイディアント・ドラゴン(輝ける竜)の姿であった。

 

「――子爵よ。お前がその目で見たものを信じるのならば、今のこの姿を見るがいい。我が鱗は徳と高潔をあらわす白金の輝きに彩られ、この身は天上の光輝によって祝福されている」

 

 ゆっくりと口を開いたディーキンの声は……体がかくも完全に形を変えているのだから至極当然のことではあるが……これまでとはまったく変わっていた。

 低く静かに響き、しかし天雷のように鳴り渡る。

 深い威厳のある声だった。

 

「……だが、気性の荒さは竜族のままだ。お前は私の怒りに挑戦した、受けて立たねばなるまい。さあ、覚悟を決めて向かってくるがいい」

 

「い、韻竜か……」

 

 ワルドは目の前の竜の顔を呆然と見上げながら、ようやく絞り出したような声でそう呻いた。

 頭の中を、ぐるぐると思考が駆け巡る。

 

 まさか、ただの低級なトカゲだとばかり思っていた亜人の正体が韻竜だったとは。

 だが、それでこいつが妙に高度な知識や技術を持っていることも、高等な先住魔法を使いこなしたことも説明がつく。

 火竜にも風竜にも、ハルケギニアで知られている他のどの竜にも似ていないが、それはルイズが『虚無』の系統であるがゆえなのだろう。

 この姿といい、自分が手も足も出ないほどの力といい、竜族の中でも相当に高等な種族であるに違いない。

 大きさからするとまだ竜としては幼いようだが、亜人の姿の時の妙に子供じみた口調は偽装でないとすればそのためか……。

 

 彼は『目の前の相手の正体は韻竜である』という新情報を、すぐに事実として受け入れていた。

 

 それは、ディーキンの読み通りの展開だった。

 短い付き合いだが、この男が自分の実力に自信を持っていてとてもプライドが高いことや、自分たちのことをかなり見下していることは肌で感じられる。

 そんな低級な相手に負けたと思うよりも、最強を誇るドラゴンに負けたと思う方が受け入れやすいのは当然だろう。

 人はしばしば不快な真実よりも甘美な嘘を好み、分別が願望に打ち負かされればどんなに洞察力のある人間でも騙されやすくなるものだ。

 

「……せっかく話を合わせてあげたのに、私にその男の腸を突き刺す機会を与えてくれないとは。君も思ったより恩知らずですね……」

 

 変身の時に放り出したエンセリックが、足元でぶつぶつと恨めしげな文句を吐いていた。

 悪いことをしたかなとはディーキンも思ったが、しかし彼自身が“鱗をもつ歌い手”などといったものだから、それに該当してかつワルドが負けても納得しそうな対象としてはドラゴンしかなかったのである。

 そうでなければ、こちらで大変恐れられているらしいエルフになるとかの選択肢もないではなかったのだが。

 まあ、彼には後で謝っておくとして……。

 

「どうした、子爵。来ないのなら、こちらからいくぞ」

 

「はっ!?」

 

 ディーキンの声で我に返ったワルドは、あわてて杖を構え直すと素早く呪文を唱えて風の刃を放った。

 これほど巨体の相手には、さすがに近接戦では渡り合えない。

 

 しかし、ディーキンは自分の喉元に向かってきたその攻撃を無造作に腕で打ち払った。

 きらびやかな鱗には、傷ひとつついた様子もない。

 

「お前は、そのような貧弱な魔法で私を攻撃することを選んだのか? 今度は別の玩具を投じてみよ、死を免れぬ愚か者!」

 

「……ぐっ」

 

 冷たい罵声と共に横薙ぎに振るわれた爪の一撃を間一髪でかわしながら、ワルドは思わず歯噛みした。

 

 室内で、しかもこれだけ大きな相手と対峙していては、詠唱の長い呪文を安全に唱えられるだけの間合いは離すことができない。

 かといって残り少ない精神力で短詠唱で放てる程度の呪文では、最上の板金鎧よりも遥かに硬いドラゴンの鱗を突き通すことはできそうもない。

 つまり……、認めたくないことだが、もはや勝てないということだ。

 

「ちぃっ!」

 

 ワルドは悔しさに舌打ちすると、もはやこれまでと踵を返し、かくなる上はなんとか女学生2人を突破して窓から逃走しようとそちらの方へ注意を向けた。

 

 だが、今さらそんなことが出来ようはずもない。

 しばらくは事の成り行きに呆然としていた2人もとうに我に返っており、もはや打つ手のなくなったであろうワルドが逃走に切り替えた場合に備えていた。

 

 ワルドが窓へ向かって一歩踏み出すか出さないかのうちに、タバサの風の刃とキュルケの火球が彼を襲う。

 あわてて飛び退いて、かろうじてそれを避けたのも束の間のこと。

 背後から振るわれたディーキンの丸太のように太い尾の一撃がついにワルドの背を捉え、彼の意識をあっさりと刈り取った……。

 

 

 戦いが終わって、3人は手分けをして後始末にかかっていた。

 ワルドが当分目を覚まさないようにした上で縛り上げておいたり、宿側に適当な理由をでっち上げて破損した備品などの弁償をしたり。

 

 当然、タバサやキュルケの興味はディーキンが先程使った呪文に向いており、作業をしながらいろいろと質問をしたりもした。

 

「ディー君があんなに大きな竜にも変身できるなんて驚いたわ。……まさか、本当に韻竜ってわけじゃないんでしょ?」

 

「もちろん、ディーキンはディーキンだよ。あれは、最近勉強して覚えた《変身(ポリモーフ)》って呪文なの」

 

 ディーキンは、ちょっと得意そうに胸を張ってそう説明した。

 ドラゴンに一方ならず憧れるディーキンにとっては、この呪文を習得できたことはサブライム・コードの訓練を積んで一番良かったと思えたことのひとつだった。

 

「……『遍在』を消したのは?」

 

「あれはディスペルっていって、魔法を解除する呪文だよ」

 

「魔法を解除って……、すごいわね。それって無敵なんじゃないの?」

 

「そうでもないよ。消せない呪文っていうのもあるし、呪文でもう起きちゃったことまで元に戻るわけじゃないからね」

 

 話しながら、ディーキンは忘れずにワルドに《記憶修正》の呪文もかけておいた。

 この呪文で修正できるのは1回あたり5分までだが、先程の戦いは5分もかからなかったので、戦闘中に起きた出来事についてはすべて忘れさせて偽の記憶を擦り込んでおくことができる。

 とりあえず、普通に不意打ち気味に攻撃されて不覚を取ったということにでもしておけばいいだろう。

 万が一後々呪文が解呪されて記憶が戻るようなことがあっても、自分が絶滅したと思われている希少な韻竜であることを隠すために見たことを忘れさせたのだと思うはずだ。

 

 タバサは作業が概ね終わりに近づいてきたあたりで、なんとなく窓の外に注意を向けてみた。

 

 そういえば、ワルドの乗騎であるグリフォンがまだ残っていた。

 主の危機を察知して窓から飛び込んでくるような事もないとは言い切れないから、一応注意はしておくべきだろう。

 

 それに、外に出ている他の面子はどうしているだろうか。

 自分たち以外の同行者たち……ルイズ、シエスタ、ギーシュには、今夜傭兵たちの襲撃があるかも知れない旨を伝えて外の見回りに行ってもらっている。

 先に見張りを引き受けてくれているコルベールとロングビル、それに傭兵のガデルだけでは十分でないと思ったからというよりは、ワルドの件をルイズに知られてショックを受けさせたくなかったからだった。

 もちろん、いずれは知らせなくてはならなくなるだろうが……あるいは、最後まで知らせずにワルドは戦死したとでも伝えておく方が親切なのだろうか。

 婚約者など持ったことのないタバサには、わかりかねることだった。

 

「……」

 

 ここから見えるはずもないが、彼女が今どのあたりにいるだろうかと何の気なしに街の方へ視線を向けてみたタバサは、そこで初めて異変に気が付いた。

 

(あれは……。まさか、燃えている?)

 

 遠くに見える街の一角が。

 すべて岩でできているはずの、ラ・ロシェールの建物が。

 夜の闇の中で、これまでに見たこともないような禍々しい白い炎を噴いて燃え上がっていた……。

 




モディファイ・メモリー
Modify Memory /記憶修正
系統:心術(強制)[精神作用]; 4レベル呪文
構成要素:音声、動作
距離:近距離(25フィート+2術者レベル毎に5フィート)
持続時間:永続
 術者は対象の精神に入り込み、最大5分間分までその記憶を修正する。
体験した記憶の抹消や修正をしたり、細部まで完全に思い出させたり、実際には無かった偽の記憶を植え付けたりできる。
この呪文によって他の精神に作用する呪文の効果を無効化することはできない。
呪文の発動には1ラウンドかかり、その後対象の記憶のうち修正したいと望む記憶を視覚化するために更に修正したい記憶の時間量に等しい時間を費やす必要がある。
術者との友好的な出会いの偽記憶を植え付ける、上司から受けた命令の細部を変更する、目撃したことを忘れさせるなどがこの呪文の使用例である。
ただし修正した記憶が対象の性向に反していたり道理に合わなさすぎる場合、飲み過ぎたか悪夢でも見たのだろうなどと解釈して片づけられてしまうこともあり得る。
術者自身に対して使用し、解呪されない限り永遠に忘れないように記憶を焼き付けたり、不快な記憶を消去したりすることもできる。
 なお、この呪文はバード専用である。

ポリモーフ
Polymorph /変身
系統:変成術(ポリモーフ); 4レベル呪文
構成要素:音声、動作、物質(からっぽの繭)
距離:接触した、同意する生きているクリーチャー
持続時間:術者レベル毎に1分
 オルター・セルフと同様だが、術者は自分自身ないしは同意する対象を別の生きているクリーチャーの姿へと変える。
変身できるのは対象と同じ種別の生物か、異形、巨人、植物、人怪、動物、粘体、人型生物、フェイ、魔獣、蟲、竜のいずれかである。
この呪文で変身すると、対象はまるで一晩の間十分な休息を取ったかのように失ったヒット・ポイントを回復する。
また、対象は変身した生物の【筋力】【敏捷力】【耐久力】を得るが、自分自身の【知力】【判断力】【魅力】を保持する。
対象は変身後の姿が持つ変則的な攻撃能力(毒など)も得ることができるが、超常的な能力(疑似呪文能力、高速治癒など)を得ることはできない。

レイディアント・ドラゴン(輝ける竜):
 プレイナー・ドラゴン(次元竜)と呼ばれる、物質界以外の世界に住む真竜たちの一種族。天上の次元界に住まう秩序にして善の属性を持つドラゴンであり、その堂々たる姿は眩いまでの光を帯びて輝いている。彼らは際立った義しさと、悪を滅ぼすことへの専心ぶりで名高い。作中でディーキンがこのドラゴンに変身することを選択したのは、とにかく見た目が立派で、一目で偉大な存在だと感じさせるに足る十分な威厳のある姿をしているからだと思われる。

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