Neverwinter Nights - Deekin in Halkeginia   作:ローレンシウ

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第百十四話 Suicide corps

 

 フーケは盗賊時代に取り引きのあった、この街で馴染みの商人の元へ足を運んだ。

 いささかいかがわしい商売をしてはいるものの、取り引き相手に対してはそれなりに誠実な人物である。

 この男の店でなら、ディーキンが求めたような品が手に入るかもしれない。

 

 まだ早朝で店は開いていなかったが、フーケは表沙汰にできない取引をする者用の裏口から入って、寝ている商人を叩き起こした。

 

「誰だい、こんな時間に、……おや、これは姐さんか。へへ、最近はとんとお見限りでしたね?」

 

「ちょっと仕事を変えたもんでね。朝っぱらから悪いけど、急ぎで買いたいたいものがあるんだよ。今回は不法な品ってわけじゃないんだけど、きっと在庫があると思ってね」

 

「はあ。……で、どういったもので?」

 

 フーケは、まずはアルビオンの岬に立つニューカッスル城を描いたものを、と注文した。

 

 観光客向けの表の商店には、アルビオンの名勝を描いた絵画やパンフレットがいくつも並べてあったから、これはわけもなく手に入った。

 ディーキンによれば実物に近いほどよいらしいので、記憶に照らし合わせてなるべく写実的に描いてあるものを選んで購入する。

 

 それから、もしあればニューカッスル城の一部だとか、近郊で取れた鉱石だとか、何らかのゆかりのある品物を、とも注文した。

 

 普通に考えれば、そんなものが都合よく置いてあるものか、となるだろう。

 だが、王党派の軍が最後に追い詰められるのがニューカッスル城であろう事くらいは、優れた情報網を持っているこの男ならある程度前から予想できていたはずなのだ。

 

「なにせ、数千年続いたアルビオンの王族が最後に追い詰められて玉砕する予定の城なんだ。あんたのことだから、アルビオンまで渡る勇気はないけど話の種はほしいって物見遊山の客に売る用に、今のうちから何か用意してあるんじゃないかい?」

 

 そう問われると、男はにやりと笑った。

 

「へえ、ご慧眼で。姐さんにゃあ敵いませんね。そっちでも商売をする御予定なら、在庫をいくらかお分けしましょうか?」

 

「いや、そういうんじゃないよ。単に知り合いから頼まれたんでね。1つ2つあれば、それで間に合うさ」

 

 

「……というわけで、こちらがニューカッスル城の城壁の一部分ですわ。以前にアルビオンへ渡る傭兵に頼んで、いくらかの謝礼と引き換えにとって来てもらったものだとか」

 

 宿に戻ったフーケは、盗賊時代からの縁などは伏せた上でかいつまんで事情を説明すると、購入してきたいくつかの岩片を差し出した。

 しかし、ルイズやキュルケは、疑わしそうな目でそれらを見つめる。

 

「その、ミス・ロングビル。これは、確かに本物なんですか? 私には、ただの瓦礫にしか見えませんけど……」

 

「そうね、あなたを疑うわけじゃありませんけど。こんな土産物なんて、わざわざアルビオンから持ってきた本物じゃなくて、大概そのあたりで適当に拾った石ころだったりするんじゃありません?」

 

 他の同行者たちも、半信半疑と言った様子である。

 だが、フーケは動じた様子もなく、首を横に振ってはっきりと答えた。

 

「ええ、皆様が疑問を持たれるのももっともなことだと思いますわ。ですが、これが確かにニューカッスル城の破片だということは、私が自信を持って保証します」

 

 それから、なぜそんなに自信があるのかと問いたげな同行者たちに、その根拠について説明していく。

 

「私は、これでも『土』のメイジの端くれです。そして、アルビオンの出身でもあります。これが故郷の石かどうかはもちろん、アルビオンの中でもどのあたりで採れたものかということについても、かなりの自信をもって断定できますわ」

 

「ミス・ロングビルには、そこまではっきりとわかるのですか?」

 

 同じ土メイジであるギーシュが、驚き半分、尊敬半分といった様子でそう聞いた。

 

「いえ、大したことではありません。アルビオンの石には大きな特徴がありますから。特にニューカッスルのあたりでは顕著ですので、大雑把なことでしたら、土メイジでなくても分かるかと……」

 

 フーケはそう言うと、机の上に置かれた破片を手に取って、持ってみろと言うようにルイズらの方に差し出した。

 勧められるままに石を手にしたルイズは、おや、というように首を傾げる。

 

「あれ? すごく軽い……」

 

 同じように石を持ってみたキュルケも、不思議そうに2、3度まばたきをした。

 

「ほんとう、まるで軽石みたいね。どう見ても、ぎっしり詰まった重そうな石なのに」

 

 次いで石を手にしたタバサは、すぐにその理由に気が付いた。

 なんといっても、彼女は優秀な『風』のメイジである。

 

「ただの石じゃない。『風石』が混じっている」

 

 風石とは元素の力が固まってできた『精霊石』の一種で、その名のとおり風の力が固まった石だ。

 船がこれを用いて空に浮かぶことから、ハルケギニアでは重要な産業資源となっている。

 

「その通りです。アルビオンの地盤には大量の風石が含まれていて、それが生み出す浮力によって大陸全体が浮かんでいるのです。鉱脈でなくとも、普通の岩の中にさえ、その成分が若干混じっているほどですわ」

 

 フーケは指先で石の破片を弄びながら、説明をしていく。

 

「特に、ニューカッスルの付近では含有量が多くなっていて……。かの城が岬の突端という一見不安定そうな場所に長年安定して立っていられるのも、城塞を築く鉱物に多く含まれている風石の成分が生み出す浮力のおかげなのです」

 

「なるほど。それで、地上で拾ったただの瓦礫とは簡単に区別がつけられるのですな?」

 

 フーケは、彼に向かってにっこりと微笑んだ。

 

「ええ、ミスタ・コルベール。わざわざ地上でこんな手の込んだ偽物を作るくらいなら、現地へ行って拾ってくる方がずっと早くて安上がりですからね」

 

 一同は彼女の説明を聞いて、得心が行ったように頷いた。

 それから、シエスタがこれほど現地に詳しいのだから同行してはいただけないかとも提案したが、フーケは自嘲気味に笑って、首を横に振った。

 

「いいえ、私がニューカッスルへ同行したりすれば、王族を殺しにきた刺客だと疑われかねませんわ。それに、私が実際にそうしないという、確かな自信もありませんから」

 

 それを聞いて、他の同行者たちは互いに顔を見合わせる。

 彼女が貴族の身分を失っていることから察するに、アルビオンの王族との間に何かひどい衝突があったのだろうが、安易に尋ねられるような話ではあるまい。

 

「イヤ、お姉さんはそんなことはしないと思うよ。王様たちがどうするのかは、ディーキンにはわからないけど……」

 

 この中では唯一、彼女の事情を詳しく知っているディーキンは、そう言って少し考え込んだ。

 

 自分では王族に会ったら手を出しかねないと言ってはいるが、彼女が本当にそのような衝動的な復讐に走るなどとは、ディーキンには思えなかった。

 目的のためには盗みはおろか殺人も辞さないこの女性は、多少は改心したにしても未だ善人だとはいえまいが、しかし愚かではない。

 だからこそ、続ける必要がないとわかったらあっさりと盗賊稼業から足を洗ったのではないか。

 王族殺しなどをやって、もし露見したら身の破滅になること、そして動機や状況などを踏まえれば露見しないはずがないことは、よくわかっているはずだ。

 

 とはいえ、確かに彼女にもいろいろと事情があり、思うところもあるのだろうし……。

 それになんといっても、向こうは危険な戦場である。

 現地に詳しい人物がいてくれれば心強いものの、同行を無理強いするというわけにはいくまい。

 

 しかし、アルビオンの王族に対してわだかまりがあるのなら、なおさら一緒に来てどうなるにせよ自分の目で見届けるほうが、後々心残りがないのではないかという気もするのだ。

 

 ディーキンはそのことを、率直に彼女に尋ねてみた。

 もちろん、心から嫌なのだとすれば強要する気はないが、行きたいのは山々だが状況を考えて遠慮しているということなのであれば力になれるだろう。

 

「なんだったら、《変装帽子(ハット・オヴ・ディスガイズ)》を貸すよ。もしばれても、お姉さんのことはディーキンがちゃんと王様に説明するの。こう見えても、ディーキンは説得には自信があるんだよ。……その、割と……、いや、ちょっとはね?」

 

「……ですが。こちらでもまだ、王宮から派遣された人員への引き継ぎなどの仕事がありますし……」

 

 フーケはそう言ってなおも渋ったが、今度は明らかに迷っている様子が見て取れる。

 それを感じ取って、他の同行者たちも彼女に同行を勧め始めた。

 

「なあに、そのくらいの仕事は私一人でもできますぞ!」

 

「あら。ディー君の呪文で一瞬でアルビオンに行けるのなら、みんなで説明してさっさと引き継ぎを済ませてからミスタもご一緒しません? 王宮からの人員は午前中には着く予定なんでしょう、大した時間のロスにはなりませんわ」

 

「そうね、ワルドも帰っちゃったし。私たちみたいな学生ばっかりで戦場に来たって言うよりも、大人が一緒のほうが、アルビオンの人たちにも信用されやすいと思うわ」

 

 フーケには故郷やそこにいる家族を案じる気持ちがあったし、アルビオンという国家そのものの運命にも、複雑な胸中ながらやはり強い関心があった。

 コルベールには、戦場へは二度と行きたくはなかったものの、教師として生徒を守りたい気持ちやロングビルの身を案じる想いがあった。

 

 ゆえに、そうして口々に口説かれた結果、やはり2人とも同行しようということで、ほどなく話はまとまった。

 

 ディーキンとしても少々睡眠が足りていなかったので、出発が少し延びるのであればその間は休んでおくことができるから、呪文スロットの回復などの点から見ても都合がよかった。

 ちょっと申し訳ないが、ここは引き継ぎなどの仕事は任せておいて、もう少し寝させてもらうことにしよう……。

 

「じゃあみんな、また後でなの。おやすみ」

 

 

 

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 今や風前の灯火となったアルビオンの王党派が立てこもる最後の拠点、ニューカッスル城の近郊。

 そこには、明日の攻撃に備えるレコン・キスタ軍の大規模な野営地が展開されていた。

 

 広い範囲に渡って粗末なテントが何百となく点在し、大きな天幕や土魔法で築かれた即席の兵舎も並んでいる。

 兵士の数は外に見えているだけでも数百はくだらず、全体では数千か、あるいは数万か。

 それに大きな攻城兵器や、たくさんの荷馬車や使役獣、加えて亜人や巨人が我が物顔で歩き回る姿までもが見受けられる。

 

 その様子を、やや離れた場所に身を潜めながら、睨むように見据える一団がいた。

 このまま座して死を待つくらいならばと、自ら志願した者たちによって結成された、王党派の決死隊である。

 敵の監視部隊の目をやっとのことで逃れて城を抜け出し、どうにかこの敵陣地まで辿り着けたのだ。

 

 とはいえ、その数はわずか数十人であり、正面切っての対決ではとても勝負になるものではない。

 だから、彼らは狙うべき目標と時とを、慎重に見定めていた。

 今さらどうあがいても勝利はありえまいが、せめて一矢報いようとして。

 

(我らに挙げ得る最高の成果は、まあ、この敵部隊の司令官を討ち取ることだろうな……)

 

 決死隊を率いるマーティン・ヘイウッド卿は、敵の陣地をじっくりと検分しながらそう考えた。

 この部隊の司令官を、そして少しでも高い地位にありそうな者をできる限り討ち取り、指揮系統の混乱を図るのだ。

 

 とはいえ、今さら指揮官が一人死んだくらいで、反乱軍が通達してきた明日の総攻撃が中止になるようなことはほとんど期待できない。

 おそらくは代任を立てて予定通りに攻撃が行われるだろう、延期されることさえ望み薄だ。

 これだけの大軍勢で残り三百名足らずの敵軍を攻め落とすだけの仕事など、どんな凡将にでもできるのだから。

 

 それでも、出来ることはそのくらいだった。

 

 反乱軍の首魁であるクロムウェルの首を挙げられればいうことはないのだが、あの男は現在この野営地にはいるまい。

 おそらくは安全な距離を置いて後方で待機し、すべてが終わってから悠々とやって来るだろうから、その首をとりに行くことなどはとてもできた話ではない。

 今の自分たちにできる、最善を尽くすしかないのだ。

 

(どうあれ、始祖の名を騙り王族を貶めんとする者どもに、黙って屈するわけにはゆかぬ!)

 

 ヘイウッドは、レコン・キスタが神の意志に従う神軍だなどとも、天使だと称する連中が本物だとも、少しも信じてはいなかった。

 奴らは友軍の兵士たちの前ではいい顔をして見せているのかも知れないが、自分たちに対しては野蛮な亜人どもと連れ立って、慈悲の欠片も感じられぬ苛烈で残忍な攻撃を仕掛けてくるではないか。

 あんな連中は天使でも何でもない、大方性質の悪い亜人か、さもなければ悪魔に違いない。

 

(……だというのに、そんな奴らにこれほどまでに多くの味方がつくなどとは!)

 

 この戦争が始まって以来、数多くの同士が王族を捨て、敵軍の側に寝返っていた。

 その中には、裏切るなどと夢にも思わなかったような忠臣や、共に王族に尽くそうと誓い合った旧友もいたのだ。

 今、ここに至っても、とても信じられない思いでいる。

 

 ヘイウッドは彼らの胸倉を掴んで、なぜ王家を、自分たち同胞を見捨てたのかと、問い詰めてやりたい気持ちでいっぱいだった。

 だが、その機会はもはや永久にあるまい。

 

 それと同じほどに信じられないのが、この部隊の司令官を務めている“あの”人物だ……。

 

「隊長、どうします?」

 

 部下の一人が話しかけてきて、ヘイウッドは我に返った。

 

「……そうだな」

 

 この部隊の司令官がいるであろう建物は、既に目星がついていた。

 しかし、軽度に要塞化された兵舎へこの人数で正面から突っ込んでも、成功の見込みは万に一つもあるまい。

 ここは、司令官が閲兵か何かのために外に出たタイミングを見計らって襲い掛かるしかない。

 

 ヘイウッドは考えをまとめると、部下の兵士たちに作戦を伝達し、その機会が訪れる時をじっと待った……。

 

 そしてついに、絶好の機会が訪れた。

 クロムウェルの元から王党派を攻め落とす“栄光の時”に立ち会うために派遣された部隊が到着し、それを出迎えるために司令官が兵舎から姿を現したのだ。

 

 到着した部隊も、司令官の引き連れている部下も、ごく少人数。

 仕掛けるならば、今しかない。

 

 既に命はないものと覚悟している決死隊の決断と行動は素早かった。

 彼らの身にまとう防具は風石の成分を含む希少な『アルビオン産軽量鉄』でできており、ほとんど動きを妨げることも、音を立てることもないのだ。

 気付かれずに近づける限界まで物陰を伝って隠密に移動し、歓迎の挨拶のために注意が散漫になっている敵部隊にマスケット銃の一斉射撃で先制攻撃を浴びせた後、司令官の首を狙って一斉に突撃した。

 

 

 

「……敵襲か」

 

 一斉射撃で多くの負傷者を出し、慌てて迎撃の態勢を整える近衛たち。

 それをよそに、ニューカッスル方面軍の司令官は、至って落ち着いた様子だった。

 

 司令官は美しい銀髪を持つ精悍な顔つきをした青年で、白銀の鎧を身にまとっている。

 これほどの部隊を指揮するには、あまりにも若すぎるように見えた。

 しかし、この男の指揮に表立って異議を唱えるものは、レコン・キスタにはほとんど誰もいない。

 

 なぜなら、この男こそはアルビオンの伝説的な名将、『ル・ウール侯』に他ならないからだ。

 ル・ウールは既に歴史書の上の人物だったが、その姿は数多くの肖像画で、今なお多くの貴族に知られていた。

 彼の容姿は、まさに肖像画に描かれた若き日の姿、そのままだったのである。

 

 もちろん、自分が遥か昔に死んだ名将その人だなどと言ってみたところで、普通ならばそんな戯言は通るまい。

 ただ単に顔が似ているだけか、さもなければ風魔法の『フェイス・チェンジ』か何かを使っているのだと見なされるだろう。

 

 しかし、レコン・キスタ軍の士官たちは、クロムウェルが『虚無』と称する力で屍を甦らせるのをその目で見たのだ。

 彼が、もしくは彼を後見しているという始祖や神が、過去の英雄をも全盛期の姿で地上に生き返らせたのだと考えることは、不可能ではなかった。

 そして偉大な名将がその名声から期待されるとおりの連戦連勝をしていく姿はレコン・キスタの兵たちを熱狂させ、神の加護がまさに自分たちと共にあるのだと強く信じさせた。

 

 言うまでもなく、王党派をはじめレコン・キスタ外の者の多くは、これを過去の英雄の名を騙る不敬極まりない詐術の類だと見なしているのだが。

 

「司令、お怪我を……」

 

 言われて初めて気が付いたかのように、ル・ウールは自分の左腕を見た。

 鎧の隙間に当たったらしく、弾丸が食い込んでいる。

 

「何も問題はないよ、気にするな。それよりも、早く敵を討ち取って、他の負傷者を見てあげなさい」

 

 ル・ウールは、その部下に同性ですら思わず見とれるような魅惑的な微笑みを向けてやると、自分の傷口に指を押し込んで無造作に弾丸を抜き取った。

 その傷口は、たちまちのうちに塞がってゆく。

 

「おおっ……!」

 

 周囲の部下たちは、感嘆したようにその光景を見つめていた。

 

「見ての通りだよ、僕には始祖の加護があるんだ。さあ、君たちは君たちの仕事をしてくれ」

 

「……はっ!」

 

(ふん、最後の悪あがきというわけか)

 

 敵の迎撃に向かう部下たちを見送りながら、ひしゃげた弾丸を地面に投げ捨てて、ル・ウールは密かに皮肉っぽく口元を歪めた。

 

 自分を仕留めようとしたのであろう敵の一斉射撃は、わずか数人の兵を撃ち倒しただけで失敗に終わった。

 あの愚直な連中が態勢を立て直して盾となってくれている今、もはや自分に攻撃を届かせることはできない。

 周囲の亜人や兵士どもも、じきに事態に気が付いて駆けつけてくることだろう。

 

(物足りぬ余興だったな)

 

 ル・ウールがそう考えた時、彼の脳裏に、先程到着したばかりの2人のエリニュスからのテレパシーが送られてきた。

 

『いえ、まだもう少しは楽しめそうですわ』

 

『鼠がもう一匹、噛み付こうと機を窺っておりますので』

 

 

 

(すまぬ、同胞たちよ……)

 

 正面から突っ込んだ仲間たちが次々に打ち取られていく様子を見送りながら、ヘイウッドは敵の背後に回り込み、司令官の首を討ち取る機を窺っていた。

 

 彼は今、『不可視のマント』を身にまとっている。

 被ると誰からも姿を見られなくなる魔法のマントであり、彼の先祖が神から命じられた重要な任務を果たすために与えられたという、代々伝わる家宝であった。

 もっとも、同様の品はガリアなど他国の古い貴族家のいくつかにも伝わっていると聞くから、本当に神から与えられた品なのかどうかは眉唾物だ。

 実際は失われた古代の製法、ないしは先住魔法などで作られた、ただのマジック・アイテムなのかもしれないが……。

 

(だとしても、貴様らのような神の名を騙る連中を討つのには相応しかろう!)

 

 ヘイウッドの祖先は、かつて本物のル・ウールと肩を並べて戦場で戦ったこともあるのだ。

 王家の忠臣であったというル・ウール侯が、反乱軍などに加担するものか。

 目の前の偽者の首だけは、何としても彼の盟友であった祖先に代わって、自分のこの手で討ってみせる。

 

 やがて、近衛がみな正面攻撃を仕掛けた仲間たちを討つために前進し、司令官の傍を守るものがいなくなった。

 

 ヘイウッドはすかさず杖を抜くと、音もなくル・ウールに向けて突進する。

 彼はアルビオン王党派の生き残りの中でも、屈指の実力を持つ風メイジであった。

 その行動は素早く、誰一人として異変に気が付いた様子はない。

 

(とった!)

 

 ル・ウールの首を風の刃で跳ね飛ばそうとしたその瞬間、ヘイウッドは背後から飛んできたロープに絡め取られ、地面に転がった。

 立ち上がろうとする間もなく、次いで飛来した燃え盛る数本の矢が彼の胸板を貫く。

 

「が……っ!?」

 

 目の前が真っ赤になった。

 必死に首を巡らせて周囲の様子を窺うと、いつの間にか、背後の空に、翼を持つ2人の女性が浮かんでいた。

 

「不意打ちを仕掛けようとは、いかにも堕落した王族の手先らしい賤しい考えですね」

 

「そのような卑劣な行い、神が見逃すとでも思ったのですか?」

 

 偽の天使が、口々にそう言った。

 その姿は戦乙女か天使かと思うような美しいものだが、死にゆくヘイウッドに向けられた目に宿る悪意に満ちた輝きと、冷酷な笑みとがその本性を雄弁に物語っている。

 

 エリニュスには、いかなる幻術をも看破する《真実の目(トゥルー・シーイング)》の魔力が常に備わっており、『不可視のマント』は役に立たなかった。

 彼女らは前方の司令官のみに注意を集中しているヘイウッドの背後に瞬間移動し、彼が仕掛けようとして隙だらけになったタイミングに合わせて自在に操れる投げ縄で絡め取った後に、炎の矢で射抜いたのだった。

 

 隊長が倒れる様を目の当たりにした決死隊は、無念の思いを抱いたまま、程なくして全員が討ち取られた。

 そうして戦いの終わりを見届けたル・ウールは、場違いににこやかな表情を浮かべて、虫の息のヘイウッドの傍に歩み寄る。

 

「残念だったね。君も貴族なら、名前を聞いておこうか?」

 

 彼の杖を取り上げて背後に投げ捨ててから、屈み込んで耳を寄せた。

 

「ほら、喋れるかい?」

 

「……ま」

 

「ま? なんだい、マイケル? それとも、マーティンかな?」

 

「――待っていたぞ、この時をッ!」

 

 ヘイウッドは、突然ばっと跳ね起きると、未だにロープに絡め取られたままの体でル・ウールに組み付いた。

 

 死にかけの体にはほとんど力が残っていなかったが、一瞬でも捕えられればそれで十分。

 すかさず火打ち石で作られた奥歯の義歯を噛み砕き、その内部に仕込んでおいた、残りわずかな『火』の秘薬を高密度に詰め込んで作った爆薬に着火する。

 

 眩い炎の爆発が起こり、2人の体を巻き込んだ。

 

「し、司令ッ!?」

 

 部下たちが目を見開いて絶叫する。

 爆発はごく小規模なものだったが、至近距離で巻き込まれれば普通の人間が無事で済むとは思えない。

 

 しかし……。

 

「言っただろう、僕には始祖の加護があると。君たちは、それを信じないのかい?」

 

 爆発が収まった時、そこには頭部のほとんどを失ったヘイウッドの無残な屍と、それを抱きかかえたまま相変わらずの笑みを浮かべた無傷のル・ウールが立っていたのだった……。

 


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