Neverwinter Nights - Deekin in Halkeginia   作:ローレンシウ

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第百十七話 Loyal retainer

「アルビオン王国皇太子、ウェールズ・テューダーだ。トリステインよりの大使の方々、ニューカッスル城へようこそ」

 

 帰還したウェールズ皇太子は、ルイズらにあてがわれた客室へ自ら足を運び、思いがけない他国からの大使を手を広げて歓迎した。

 

「滅亡を目前にした我々が、まだ他国から見限られていなかったとは嬉しい限りだよ。本来なら、もっと早く父が挨拶に来るべきだったのだが……、臣下の者たちが、万が一の事態を恐れたのだろう。このような危地へ足を運んでくれた大使の方々に、大変失礼をした」

 

「恐れ入ります、ウェールズ殿下。トリステイン王国ラ・ヴァリエール公爵家の三女、ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールにございます……」

 

 アルビオンへ赴くことを最初に申し出たのはディーキンなのだが、なにぶん彼は異種族である。

 ゆえに、トリステインの大貴族家の一員であり、幼少期にはウェールズとも多少の面識があったルイズが、ひとまずは一行を代表して話すことになった。

 

「まずは、殿下にあてて、姫さまから手紙を託っております」

 

 ウェールズはルイズから手渡されたアンリエッタ王女の密書に愛おしげに接吻してから開くと、真剣な顔つきで読んでいく。

 しばらくして手紙から顔を上げたウェールズは、ぽつりと呟いた。

 

「そうか、アンリエッタは……、私の可愛い……従妹は、結婚することになったのか……」

 

 そう言ったときの彼の顔はひどく物憂げに曇っていたが、それも一時のこと。

 すぐに微笑みを浮かべて、大きく頷いた。

 

「うむ、ありがとう。姫は以前に受け取ったある手紙を返して欲しいと、私に伝えている。大切な手紙だが、もちろん姫が望むなら、そのようにしよう」

 

 

 

 それから、ウェールズは城の一番高い天守の一角にある、王子の部屋とは思えないほど質素な自室へとルイズらを案内した。

 

 部屋には装飾品の類などはほとんどなく、寝床や机も実に粗末なもので、ただその机の中にしまわれていた宝石の散りばめられた小さな宝箱だけが、唯一残された価値ある品のようだった。

 ウェールズはその箱の鍵を開けると、何度も読み返されて既にぼろぼろになっている手紙に接吻してもう一度だけ読み返してから、丁寧にたたんでルイズに手渡す。

 ルイズはそれを、深々と頭を下げて受け取った。

 

 その時の皇太子の様子と、そして宝箱の内側に描かれていたアンリエッタ王女の肖像画とを見て、一行は概ねの事情を察した。

 おそらく、ウェールズとアンリエッタとは、密かに想い合う仲であったに違いない。

 

 してみると、間もなくゲルマニアの皇帝に嫁ぐという段になって彼女が返却を求めた手紙というのは、その秘めた愛情を明らかにしてしまうような代物なのだろうか?

 それが表沙汰になることでこの度の同盟に不都合が生じる可能性を、アンリエッタは恐れているのか。

 同盟はゲルマニア側にとっても望ましいものだろうから、手紙一通で同盟破棄などということはそうそうないとは思うのだが……、とはいえ明らかな落ち度や弱味があったことを知られれば、トリステイン側の立場がいくらか悪くなるくらいのことは覚悟せねばならないだろう。

 

「姫からいただいた手紙は、このとおり、確かに返却したよ。既に聞いたかとは思うが、明日の朝になれば、非戦闘員を乗せて『イーグル』号がここを出港する。それに乗って、トリステインに手紙を持ち帰りなさい」

 

 その言葉を聞いて、一行は顔を見合わせる。

 

 ルイズはそれから、遠まわしに言葉を選びながらも、皆を代表して質問した。

 殿下と姫君とは恋仲であるのか、だとすればこの手紙の中身は恋文なのではないか、と。 

 ウェールズは言うべきかどうか少し悩んだ風だったが、結局は首肯した。

 

「君の考えているとおりだ。確かにこれは、恋文と呼ばれるような種類のものだよ。彼女はこの中で、始祖ブリミルの名において、永遠の愛を私に誓っている。確かに、彼女がゲルマニアの皇室に嫁ぐことになった以上は、これは人目に触れては拙いものだな」

 

(ははあ、なるほどね)

 

 キュルケは、それを聞いて得心がいった。

 

 ハルケギニアでは、メイジが始祖に誓う愛は、原則として婚姻の際の誓いでなければならない。

 ましてや、それが一国を代表する王族であるならば、なおさらのことだ。

 まだ若いアンリエッタ王女が情熱に流されて不用意にしたものであるにもせよ、始祖に永遠の愛を誓った上で別の男性と結ばれるのなら、形の上では重婚の罪を犯したということになってしまう。

 

 アンリエッタは政治的には無力な存在だが、その美しさと寛大で清楚なイメージから国民の間では人気があり、トリステインの象徴的な存在になっているという。

 そんな彼女が、実は重婚の罪を犯していたのだとなれば、それは大きなスキャンダルであり、人気と信望の失墜につながりかねない。

 となれば、反乱軍とそれを操る偽りの天使たちは、喜んでその件を世間に公表して王族の罪状に付け加えることだろう。

 アルビオンのみならず、トリステインの王族もかくも不道徳で退廃し堕落しているのは明白である。ゆえに始祖は彼らを見限ったのであり、速やかに滅ぼされねばならないのだ、と。

 キュルケの母国であるゲルマニアは新興の国家で、その皇帝は始祖に連なる王族の血筋ではない。

 その皇帝がアンリエッタとの婚姻で求めているものは、明らかに始祖に連なる由緒正しい血筋と、彼女の人気なのである。

 もしも反乱軍の言い分が世間の支持を集め、アンリエッタとその血筋がもはや敬意を集めず、益よりも害をもたらすものだとなれば、同盟する価値などないに等しくなるだろう。

 

 それに、アンリエッタと婚姻すればゲルマニアの皇室も旧来の王族が犯した重婚の罪に加担したことになり、反乱軍がゲルマニアを標的とする大義名分を与えてしまうことにつながる。

 そのような理由はいずれにせよどうとでもでっち上げられるものだろうが、とはいえ当面の危機を回避するために、ゲルマニアがトリステインとの同盟を考え直す可能性もないとはいえない。

 レコン・キスタの当面の標的がトリステインだとなれば、わざわざ戦力の足しにならない弱小国と同盟して自分たちまで戦火に巻き込まれることはない、と判断するかもしれないのだ。

 

(いえ、それどころか。むしろレコン・キスタと同盟する方が得だとか、考え出すかもしれないわね……)

 

 ゲルマニアを統治する皇帝は始祖に連なる王族ではないがゆえに、レコン・キスタとも同盟を結び得る余地がある。

 しかし、反乱軍の背後にいるのが始祖や神などではなく、人間すべてを獲物としか思っていない悪魔であるとなれば、その選択は最悪の結果を招くことだろう。

 

 キュルケはこれまで、母国ゲルマニアにはレコン・キスタなどに後れを取らないだけの戦力が十分にあると信じてきた。

 しかし、未知の能力を持ち、文字通り悪魔的に狡猾な異世界からの侵略者が背後で糸を引いているとなれば、そうそう楽観はできない。

 ディーキンから連中の恐ろしさについていくらかなりとも教わった今、キュルケはこのアルビオンでデヴィルの目論見が打ち砕かれねば祖国の命運もどうなるかわからぬ、という危機感を抱き始めていた。

 

(……とはいえ、アルビオンの王党派はこの状態じゃあ、もうどうにもなりそうにないし……)

 

 どうにかして彼らを説得できて亡命させられたとしても、あるいは説得できずにこのまま玉砕させてしまったとしても、いずれにせよ、このアルビオンが反乱軍とデヴィルの手に堕ちるのは避けられないだろう。

 

 ディーキンがアンリエッタやマザリーニと連絡を取って、トリステインの軍隊をこの城に援軍に来させるようなことが……さすがにまず無理だろうし彼がそんなことをするとも思えないが……、仮にできたものとして。

 それでも、敵が屈強な亜人や巨人、それにハルケギニア人にとっては未知の能力を持つ異世界の怪物までもを含む数万に及ぶ軍勢だというのでは、勝ち目があるとは思えない。

 かの『烈風』カリンがいた頃ならばいざ知らず、今のトリステインの軍隊はキュルケの知る限りでは数も少なく、精強だともとても言えないものだ。

 

(そうなると、私たちが今、ここでできる最善のことは……何かしらね?)

 

 キュルケのそんな思惑をよそに、ルイズは熱っぽい口調で、ウェールズに亡命を勧め始めていた。

 

「殿下、姫さまからは手紙をお渡しするだけでなく、亡命をお勧めするようにとも託っております。マザリーニ枢機卿も、受け入れを認めてくれています。どうか非戦闘員の方だけではなく、この城の全員で、私たちと共にトリステインへいらしてくださいませ!」

 

 ウェールズは、それを聞いて意外そうに目を丸くした。

 

「枢機卿どのも? ……では、あの手紙の末尾で亡命を勧めていたのは、アンリエッタの独断ではなかったのか……?」

 

「はい! この、ディーキンが……、私のパートナーが、お二人を説得してくれたのです!」

 

 ルイズは誇らしげに胸を張って、ディーキンのことを紹介した。

 

 皆の注目が集まる中、ディーキンは一歩進み出ると、にっと笑って行儀よくお辞儀をする。

 話し方の方は、いつも通りだったが。

 

「はじめまして、王子さま。ディーキンはディーキン、コボルドの詩人で、冒険者で、ルイズの使い魔で、一緒にここへ来たみんなの友達だよ。よろしくお願いするの」

 

「……ああ、ラ・ヴァリエール嬢の使い魔か、亜人とは珍しいな。先住魔法の優秀な使い手で、ここまでやってくるのにも多大な貢献をしたと聞いているよ。あまり、コボルドには見えないが……」

 

 ウェールズは、いささか堅い調子で会釈を返した。

 他の面々に向けたような鷹揚な笑みがなかったのは、敵軍に亜人が多く加わっているために若干不信感を感じているのかもしれない。

 

「ンー、よく言われるの。遠くから来たから、このあたりのコボルドとはだいぶ違うみたいだね。でも、悪いことをしたりする気はないから、どうかディーキンを殺さないで?」

 

 ディーキンは特に気にした様子もなくそう言うと、少し雑談を持ちかけてみた。

 

「ねえねえ、コボルドの洞窟には王子さまっていうのはいなかったよ。人間の国では、王子さまっていうのは、次に王さまになる人のことなんでしょ?」

 

「うん? ……ああ、基本的にはそういうことだよ」

 

「その王子さまは、どうやって選ばれるものなの? 人気がある人を、みんなで選んだりとか?」

 

 詩人としてさまざまな物語に通じているディーキンは、もちろん多くの人間の王国では国王が世襲制であること、ハルケギニアの国々も大凡がそうであることくらいは既に知っている。

 しかし、当事者である王族自身の口から、一度直接話を聞いてみたかったのだ。

 

「いや。それは大抵、最初から決まっているね。王族の長男として生まれたならば、まず他に選択肢はないよ」

 

「フウン、そうなの? それって、困ったりはしないのかな。ええと……」

 

 ディーキンはそこで首を傾げて、ちょっと考え込んだ。

 

「……つまり、たとえばウェールズさんは……、実はパン屋になりたかったりとかは、しなかったの?」

 

 ウェールズは一瞬きょとんとして、それから面白そうに笑い出した。

 

「ははは、面白いことを聞くんだね! そうだな、パン屋になりたいとは思わなかったが。船で雲海を旅していて、あまり気持ちがよいので、船乗りとして人生を送れたらと思ったことは何度もあるよ」

 

「やっぱり? 王さまの子どもが次の王さまになりたがるとは限らないし、向いてないってこともあるよね。えらくなりたい人は、他にもたくさんいるだろうし……。なのに、どうして人間は、最初から次の王さまを決めておくのかな?」

 

「ちょ、ちょっと、ディーキン!」

 

 それはまったくあてつけがましい調子などはない、子どもじみた素朴な疑問のようではあったが、下手をすれば不躾で非礼だととられかねない内容にルイズが慌てる。

 しかし、ウェールズの方は話しているうちにすっかり安心して打ち解けたようで、相好を崩して朗らかに笑った。

 

「はは……、いや、なるほど。考えさせられる内容だね。……そうだな、後継者争いなどが起こらないように、かな? 君の言うとおり、権力を求める人間は大勢いる。不満も少なからず出るだろうが、一握りの権力者のために代替わりのたびに血腥い争いが起こることは、なんとしても避けたいものだからな」

 

「オオ、なるほど……。それじゃ、後継者があらかじめ決まってるから、人間はあんまり王さまの座をかけて戦ったりはしないんだね?」

 

 もちろん、必ずしもそうではないらしいということも、本を読んだり物語を聞いたりして知ってはいる。

 現在この国が巻き込まれている反乱軍とやらとの戦争も、背後にいるデヴィルの思惑についてはいざ知らず、とどのつまりは王族から権力の座を奪い取ろうとする連中との戦いだろう。

 

 しかしディーキンとしては、当事者である王族自身の口から、彼らとしてはどう思っているのか、実態はどうなのかということを直接聞いてみたかった。

 不躾かとは彼自身思わないでもなかったが、たとえそうであっても敗戦を目前にした今こそが聞くべき時だと感じたのだ。

 明日にも滅ぶ王家なればこそ、率直で正直な意見を聞かせてくれるのではないか?

 

「うむ……。いや、それがなかなか、そう上手くいかない場合もあってね……」

 

 ウェールズは決まり悪そうに頬をかくと、自嘲気味に肩をすくめた。

 

 タバサも、少し顔をしかめて俯いている。

 彼女の場合、まさにその後継者の座を争って父と叔父とが水面下で争っており、父はどうやらその結果として命を落としたらしいのだから、ディーキンのごく単純な問いも浅からず胸に刺さっていた。

 

 結局、ウェールズはその質問に明確には答えず、手を広げて朗らかに笑ってみせた。

 

「……いや、君のような亜人が、一体どうやってアンリエッタや枢機卿どのを説き伏せたのかと思っていたが。どうやら私も、さっそく君にやられそうになっているらしいな! 我々アルビオンの王族にも、君のように自然に人を惹き付けられる素養があったなら、このような惨めな今日を迎えることもなかったろうに!」

 

 うやむやに誤魔化されたようにも思ったが、ディーキンはそれ以上追及するのは止めて、礼を言うように頭を下げた。

 

「ウーン……、それって、ほめてくれてるの? ありがとうなの、でもディーキンは、王子さまもきっと好かれそうな人だと思うけど」

 

「ありがとう。私としても、ついこの間までは、臣下たちからそれなりには好かれているつもりだったのだがね……。こうまで人心が離れ、反乱軍の数が数万にも及んだ今となっては、それは虚しい独り善がりだったのだと思わざるを得ないよ」

 

 そう言って、ウェールズは少しばかり寂しげに微笑む。

 それから、亡命の受け入れについては父の耳にも入れるべきだろう、と提案した。

 父は体調が優れないので、謁見の間ではなく私室の寝床で話すことを許してほしいと断ってから、今度はジェームズ一世の元に向かう。

 

 

 ベッドの上で体を起こした老齢の国王、ジェームズ一世は、話を聞くとしばし俯いて黙考した。

 傍らには、息子のウェールズが寄り添っている。

 

「……もはや内憂を払えもせぬ我が王家に対して、なおもそのように寛大な申し出をいただいたことについては、感謝の言葉もない」

 

 ややあって、国王は深々と頭を下げると、重々しく口を開いた。

 

「今日まで我らに付き従ってきてくれた忠実な家臣たちには、さっそく今宵の宴の場でその事を伝え、暇を与えるとしよう。彼らが貴国に亡命した折には、何卒厚く遇してやっていただけるよう、お願い申し上げる」

 

 それを聞いて、少し離れた場所に跪いていたルイズがおずおずと尋ねる。

 

「その、恐れながら……。陛下と、ウェールズ殿下は?」

 

 ジェームズはそんなルイズを優しい目で見つめながら、静かに、しかしきっぱりと答えた。

 

「このウェールズと同じく、朕もこのアルビオンの王族として、若い頃より空船の指揮を執ってまいった。朕はまがりなりにもこのアルビオンという空を往く船の長であり、船長は己が一命をかけて預かった船の沈む時には責任をとって運命を共にするものである」

 

 次いで、傍らの息子のほうに視線を移す。

 

「ウェールズよ、お前には本国艦隊司令長官として、最後に残った『イーグル』号に乗って亡命する民を導き、大使の方々をトリステインまで送り届ける務めを与える」

 

 ウェールズは、はっとして顔を上げた。

 

「何を言われます、父上。私も、この国の王族として……」

 

「王族としてここで死ぬのは、朕一人で十分だ。残った民に責任を持つこともまた、王族としての務めのうちである。怠ることは許さぬ。その後は、滅びた国の王族などもはや何者でもないゆえ、朕はお前にも暇を与える。『イーグル』号は、亡命を受け入れてもらうせめてもの対価として、この城に残った僅かばかりの財貨と共にトリステインへ寄贈せよ」

 

 ジェームズは国王らしく、反論を許さない態度でそう命じた。

 しかしその裏には、おそらく父親として、息子の命を救おうとする思いもあるのだろう。

 

「しかし、父上!」

 

「ウェールズよ、今日まで皇太子の重責を負ってくれたこと、まことに大儀であった。王位を譲ることでそれに報いられなかったのは、残念でならぬ。せめてこの先は、自分の思うように生きよ」

 

「父上!」

 

「陛下!」

 

「レコン・キスタの次の標的は、おそらく貴国であろう。朕は、一足先に始祖の元へ赴いて此度の戦について問い質し、このような戦は止めさせるようにと進言いたそう。……今更、見捨てられた不肖の末裔の言葉などが聞き入れてもらえるかはわからぬが、な」

 

 ウェールズはなおも反論しようとし、ルイズも非礼を承知の上で口を挟もうとした。

 

 シエスタも、身分の違いを十分に承知しながらも、思わず声を上げそうになった。

 彼女には、王族の立場や考えのことはわからない。

 それでも、あるいは無礼極まりない発言かもしれなくても、他国の迷惑になれないのなら自分の故郷のタルブへいらっしゃらないか、と提案しようとする。

 

 しかし、彼女らよりも先にすっと立ちあがって、冷たい声を上げた者がいた。

 フーケである。

 

「……陛下」

 

 肉親のウェールズや、口々に思いとどまるよう説得しようとしていた少女らとは明らかに温度差のある声に注意を引かれて、ジェームズが彼女の方に目を向ける。

 フーケは、一国の王に対して顔を伏せることもせず、睨むように冷たい視線を返した。

 

「……何かな、大使殿」

 

 不敬極まりない態度ではあったが、ジェームズは今さらそんなことを咎めようとはせず、静かに尋ねる。

 おそらく、何としても自分を亡命させるために、このような時でもなければ王族に対して口にすることが許されぬような厳しい非難や叱責の言葉が飛んでくるものと予想していた。

 

「この上、亡命して命を長らえよなどと説得はしてくれるな」

 

 民を護ることもできなかった名ばかりの王族の分際で何をおこがましいことをと嗤われるのも、命懸けでここまでやってきた自分たちの努力を無駄にするつもりかと罵倒されるのも、今となっては致し方のないこと。

 たとえそうであってもやはり自分はここに残り、勝てずともせめて勇気と名誉が未だハルケギニアの王家にはあることを反乱軍どもに、そして奴らに組する“天使”どもが本物であるというのなら、始祖に対しても示してから散らねばならぬ。

 たとえ無駄死にと言われようとも、それこそが内憂を払えもしなかった王家に、最後に課せられた義務というものである。

 

 幸い、息子のウェールズはまだ若く、知恵も力もある。

 侵略の口実となることを承知の上で、それ以上の働きをしてみせると割り切ってトリステインの力になろうとするか、あるいはすべての地位をなげうって野に下り身を隠すか、どうとでも自分で判断して新しい人生をやり直せよう。

 だが、役にも立たぬ老齢の自分が、この上亡命などしてみたところでどうなろうか。

 仮にも自分は、一国の王なのだ。

 国が残るのならば恥を忍んで他国の世話になってもよいが、もはや滅亡を避けられぬと決まった以上は生き残る気もなかった。

 

「ご心配なく。そんな気は、まったくありませんわ」

 

 フーケは冷たい笑みを浮かべると、首を横に振った。

 

「陛下が死なれるのは、どうぞお好きなように。ですが、陛下がここに残る限り、今日まで従った臣下の方々も、大半が亡命せずに残ることでしょう。私としては、それをよく御承知のはずの陛下が、なお亡命しないのはどういうおつもりなのかを伺いたいだけです」

 

「ミ、ミス・ロングビル、それは……」

 

 皮肉めいて冷たい声の調子と無礼な質問の内容に、傍らのコルベールが慌てて、小声で彼女を制止しようとする。

 しかし、フーケはそちらにちらりと目を向けて小さく首を横に振ると、つかつかと王の傍に歩み寄った。

 それまでは静かに後ろの方に控えていただけだった彼女の突然の行動に、他の同行者たちも呆気にとられて見守るばかり。

 

(ウーン……)

 

 唯一、彼女の素性について概ねのことを知っているディーキンは、それを見て少し顔をしかめたが、何も言わなかった。

 

 このまま彼女を放っておけば、あるいは大使としての信頼を損ねることになるかもしれない。

 しかし、フーケにも複雑な事情があり、おそらく感極まって言わずにはいられないことがあるのだろうし、ここは仲間である彼女を信じてその意志を尊重しようと思った。

 たとえその結果として揉め事が起こるとしても、その時は誠心誠意、説得に努めるしかあるまい。

 

「彼らを犬死にに導こうというのですか? それとも、陛下は殉死を望んでおられるのですか? 忠良な臣下に陛下の与えられる恩賜が死であることは、よく存じておりますが……」

 

 王は言葉を失い、目を見開いて、まじまじとフーケの姿を見つめた。

 代わりに、傍らのウェールズがさっと顔を赤くして杖を引き抜き、彼女に突き付ける。

 

「うぬ、黙っておれば! 陛下に対してなんたる無礼、なんたる侮辱! 女性といえど、大使殿といえど許せぬ! 直ちに陛下から離れて、頭を下げたまえ!」

 

 フーケは怯えた様子もなく、じろりとウェールズの方を睨んだ。

 それから、何も言わずにゆっくりと、髪留めに偽装した《変装帽子(ハット・オヴ・ディスガイズ)》を外す。

 

 途端に幻覚が消え失せて、美しい緑の髪を持つ本来の姿が露わになった。

 

「お、お……?」

 

「なっ!?」

 

 目の前の女性の突然の変貌に、王と皇太子とが揃って驚きの声を上げる。

 それは、単純な驚きの声だった。

 すぐに彼女のことを思い出した2人は、今度は大きく目を見開いて、愕然とする。

 しばらくの間、重苦しい沈黙が続いた。

 

 ややあって、王がぽつりと呟いた。

 

「……マチルダ・オブ・サウスゴータ……、か……」

 

「サウスゴータの名は、陛下が剥奪されたものであることをお忘れですか」

 

 マチルダの声は、どこまでも無感動で冷たかった。

 家名も家族も、富も領地も、住む家や名誉ですらも奪った男が相手であることを考えれば、そう冷たい態度とも言えないだろうが。

 ウェールズは、彼女の一挙手一投足に注意を払いながらも、事情を知るがゆえに、それ以上その態度を咎めることはできなかった。

 

「……では、マチルダよ。朕の首を、獲りにまいったのか?」

 

「明日には落ちる首などに、危険を冒してまで求める価値がありましょうか」

 

「ならば、我らの無様を嗤いに来たか……?」

 

 マチルダは、今度は返事もせずに、冷たい目で寝床の王を見下ろした。

 しばらくして、口を開く。

 

「……父は、陛下への恨み言などは、最後まで一言も口にいたしませんでした。王族の方々はエルフを憎み恐れる臣下たちの声に押され、王国を維持するために止むを得ず苛烈な処置に及ばれたのだと、そう信じておりました」

 

 王弟で財務監督官でもあったモード大公は、目の前のジェームズ一世に隠してエルフを愛妾とし、娘までも産ませていた。

 エルフといえばハルケギニアでは最強の亜人として悪名高い、始祖の代からの仇敵である。

 ある時それが国王に知られてしまい、母子の追放の命令も拒否したため、投獄されて殺されたのである。

 

 マチルダは、モード大公の直臣であるサウスゴータ地方の太守の娘だった。

 サウスゴータ家は大公家への忠誠心から辛うじて難を逃れたエルフの母子を自らの領地に匿ったが、それが露見したために国王により家名を取り潰され、エルフの母親も、マチルダ以外の家族も、みな殺された。

 マチルダは大公の遺児であり、妹のように可愛がってきたハーフエルフのティファニアだけをかろうじて救い出し、今もサウスゴータ地方のウェストウッド村に他の孤児たちと共に匿って、生活費の仕送りを続けているのだ。

 

「……その王国が、あれから四年でもう、滅びようとしている。そして、父が信じたアルビオンの王族は既に勝利を諦め、滅亡を受け入れようとしている……」

 

 マチルダは、憎々しげに目を細めた。

 

「サウスゴータ地方も、反乱軍の手によって荒らされていると聞きました。では、私の家族は、あの時巻き込まれた領民たちは、みな無駄死にだったということなのでしょうか?」

 

「……」

 

 黙って俯く王に対して、マチルダは更に容赦なく言葉を続けた。

 

「その上、王国の民のためではなく、王族の意地のためにここで死ぬ、そのために父のような忠臣をみな殉死させようとおっしゃるのですね。父がここにいたならば、必ずや、王族らしからぬ振る舞いだと諫言したことでしょう」

 

「……ああ、そうであろうな……」

 

 そなたの父は貴族の鑑であった、とジェームズ一世は言おうとした。

 だが、どうあれ彼を処刑してその名誉を奪った自分が口にしてよい言葉ではないと、思い止まる。

 

「私には、陛下の命運にも、トリステインの意向にも、関心はありません。ただ、かつての母国と領民のために、亡き父に代わってここに来ただけです。陛下はあくまでも、ここで死ぬと言い張るのですか」

 

 マチルダの糾弾を受けて、王はベッドの上で力なく俯いたまま、じっと押し黙っていた。

 

「……朕は、始祖の名を貶めぬため、王国を乱れさせぬためと信じて、我が弟とその愛妾、そしてエルフの血を引く娘を殺す命を下した。だが程なくして反乱が起こり、重鎮たちは、朕のその決断を賞賛していた者たちまでも、次々に反乱軍に寝返っていった……」

 

 しばらくして、掠れた声でぽつぽつと呟くように話し始めた王は、これまで以上に老け込み、やつれて疲れ切ったように見えた。

 

「大公を、そして太守を裁かねば、こうまで臣下の人望を手放すこともなかったかも知れぬ。反乱軍に組する“天使”は、エルフだというだけの理由で身内を殺したことを、我ら王族の罪のひとつとして数えていた。その言葉を証明するように、彼らは亜人どもとさえも手を組み、我らは同じ人間にすらも見限られ続けた。……すべては、朕の力量の不足と、不徳のいたすところであろう……」

 

 そうして、冷たい視線を向けてくるマチルダに、力なく微笑み返した。

 

「……そなたの申す通りだ。今さら、朕には失われる矜持もなかった。臣下を救うために共に亡命し、もはや何者でもないただの老人として、恥を晒すのも仕方のないこと。トリステインからの申し出に、従うことにしよう。……ウェールズも、それでよいな?」

 

 ウェールズは、沈痛な面持ちで頷いた。

 

「……はい。陛下の、ご命令であれば……」

 

 マチルダはそれを聞くと、さっさと踵を返して、元通りコルベールの横に戻っていった。

 彼女は、もちろんアルビオンの王族には恨みを抱いている。

 しかし、この城には古い顔見知りや、両親の友人が、まだ大勢残っていた。

 彼らには死んでほしくはなかったし、それに先程王にも言ったとおり、父が生きていたならば必ずや皆を助けようとしたに違いないのだ。

 

 ルイズ、シエスタ、ギーシュは、何とも言えない気持ちになりながらも、一方でほっと胸を撫で下ろしていた。

 もはやアルビオンの敗北を回避できず、戦争を止められないのは残念だが、ミス・ロングビルのおかげでとりあえず姫さまからの依頼は達成できたし、何よりも彼らを見殺しにしなくて済んだのだ。

 

 しかし、そこでディーキンが手と声を上げた。

 

「アー、ちょっと待って!」

 

 全員の注目が、彼に集まる。

 

「最後は逃げないといけないかもしれないけど、明日の戦いで勝てないって決めつけるのは早いって、ディーキンは思うの」

 

 もちろん、今し方のフーケの説得には感謝しているし、自分もこの城の人々の命は救いたい。

 しかし同時に、何も知らずに天使だと信じた悪魔の意向に従うことで、その魔手に掛かろうとしている反乱軍の兵たちも救いたかった。

 

 そのためには、ただこの城から逃げ去るのではいけない。

 それでは、連中は堕落した王族は命惜しさに逃げ出したのだと喧伝し、ますます熱狂的な支持を集めることだろう。

 そのために何をしたらいいだろうかと、ディーキンはずっと考えをまとめていたのだ。

 

「……ディーキン君、それは無理だ。我々とて、敗北を前提の戦いなど情けないとは思うが、敵の数は我が方の百倍以上なのだよ。一人で百人を倒しても、まだ足りない計算なのだ」

 

 ウェールズは首を振ってそう言ったが、ディーキンもまた首を振ってそれに答えた。

 

「イヤ、ディーキンも本当に敵が何万人もいるなら、どうしようもないと思うよ。でも、自分たちに命令してるのが天使じゃなくて悪魔だってことがわかれば、きっと、向こうにつくのを止める人が多いんじゃないかな?」

 

 つまり、敵軍の中に混じっているデヴィルを、他の兵士たちの前で化けの皮を剥がした上で始末してやればいい。

 おそらくデヴィルの数はごく少ないはずで、自分たちの信念が間違っていたとわかった上に指導者を失えば、反乱軍の兵士たちは浮足立ち、戦意を失うことだろう。

 上手くやれれば、あるいはこちら側につく兵士もあらわれてくれるかもしれない。

 

「……亜人よ、何故、奴らが天使ではないと? 我々も最初は無論そう思い、大勢の者が化けの皮を剥がそうとしたが、誰も成功しなかった。奴らは、結果をもって自分たちの主張を証明したのだ。残念だが……」

 

「それは、天使っていうのがどういうものか、知らないでやろうとしたからじゃないかな。ディーキンはちゃんと知ってるから、何とかできると思うの」

 

 信仰を利用して兵を操るということは有効な手段だろうが、その信仰の誤りを明白に暴露された時にたちまち支持を失うという危険もはらんでいる。

 これまでは、彼らの正体を知るものがいなかったがゆえにそれを暴かれる心配もなかっただろうが、今はその正体を知っている自分たちがここにいるのだ。

 

 ディーキンが王と皇太子から訝しげな目を向けられるのを見て、キュルケらが口添えをした。

 

「その子が言ってるのは、本当のことですわ」

 

「そう。彼は、天使を呼び出せる」

 

「そ、そうです! 私たちは、先生が本物の天使様を呼び出されるのを、見たことがありますから!」

 

 ディーキンは困惑したような王族2人の様子を見て、少し首を傾げた。

 

 実際に、やって見せた方がいいだろうか。

 デヴィルと戦う際には人手が足りないので、どの道何かを呼び出して、助力してもらうことになるかもしれないのだし……。

 


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