Neverwinter Nights - Deekin in Halkeginia   作:ローレンシウ

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第百十九話 Ancient heroes

 ディーキンはいかにして、『英雄王スレイと、征服者グレイの物語』を最初に歌ったというエラドリンと知り合ったのか?

 これは、彼がまだボスと出会う以前の物語である……。

 

 

 

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「フンフンフ~ン♪ ディーキンは、エラくて、カッコいい~。オオ~~♪」

 

 ディーキンは得意げに鼻歌など歌いながら、主人であるホワイト・ドラゴンのタイモファラールの帰りを待っていた。

 ここはとある人間の町から少し離れたところにある静かな森の外れで、危険な獣の類もいない。

 

 タイモファラールはたまに人間の姿に化けて、その町に下りていくのだ。

 人間どもの様子を窺いにいくのだとか言っているが、主目的は大好物である『足元をすくわれるワイヴァーン』亭のミートパイを食べることなのをディーキンはちゃんと知っていた。

 今日はたぶん、上機嫌な主人が持ってきてくれた土産の一切れくらいにはありつきながら、歌を一、二曲披露して帰るだけで済むだろう。

 彼の機嫌が悪いときには生きた心地もしないのだが、今日は楽な日になりそうだった。

 

 そうでなくても、最近のディーキンは自分にかなり自信が出てきていて、気分のいい日が多いのだが。

 

 ディーキンもいよいよコボルドの繁殖活動などに携われる、いわゆる一人前と認められる年齢になったので、先日久し振りに主人の住む洞窟の最下層から部族の仲間が住んでいる上層部のほうに戻ってみたのだ。

 そこでタイモファラールの持つ本を読んで学んだ歌や物語を披露してみせたところ、コボルドの女の子たちから「ディーキンはいい声で歌うし話も面白い」と大層持て囃されて、ひっきりなしに相手をするよう求められたのである。

 部族には他にバードがいないので物珍しかったというのもあるだろうが、女の子たちからちやほやされるのは気分がよかった。

 

 もっとも、男たちからはこれまで通り「お前は臆病なでぶのコボルドでいい加減な奴だ」といわれて、概して評判が悪かった。

 勤勉を旨とする一般的なコボルドからしてみれば、ディーキンはろくに自分の務めも果たさずに遊び歩いているとしか思われなかったし、おまけに部族のために戦う勇気もないときている。

 そのくせなぜか、コボルドが崇拝するドラゴンの主からは妙に気に入られている上、若造の分際で女たちからもやたらと人気だとあっては、妬まれるのも無理はなかった。

 部族の族長からも、よく不愉快そうな目で睨まれたり、凄まれたりする。

 

 だが、ディーキン自身は、そんな妬みなどはほとんど気にも留めていなかった。

 

 族長なんて大して主人に気に入られてもいないし、どうせ1、2年くらいで死んで次の者に替わるのだ。

 どうあれ部族の皆が崇拝しているタイモファラールが常に傍に置きたがっているのは自分であって、その他のコボルドなどは月に一回も面会できればいいくらいである。

 主人の機嫌の悪いときに会いに行かせたりすれば、怒りを買って拝謁した者も自分もまとめて殺されてしまいかねないから、面会の責任者である“飛び跳ね匠”はそう簡単に主の下へ行く許可を出さないのだ。

 

『今度、ご主人様の機嫌がいいときに、あんたの頼みを伝えておいてあげようか?』

 

 ちょっとそう言ってやるだけで、普段はいやな目で睨んでくる連中も、喜んでディーキンにすりよってくるのだった。

 自分がとてももてる男に、その上コボルドとして望みうる最高の地位を射止めた男になったような気がして、ディーキンはすっかり有頂天になっていた。

 そのままいけば、死ぬまでドラゴンに傍仕えする取るに足りないちっぽけな詩人のままで、その一生を終えていたかもしれない。

 

 けれどこの日、彼の生き方を大きく変える運命的な出会いがあったのである。

 

 

 

 ――……♪

 

 

 

「……ウン?」

 

 気分よく鼻歌を歌っていたディーキンは、ふと、自分の歌とは違う音楽を聞いたような気がした。

 

 耳を澄ませてみると、確かに空耳ではなく、森の奥のほうから澄んだ竪琴の音色が微かに聞こえてくる。

 こんなところで誰が弾いているのだろうとディーキンは首を傾げたが、弾いているのが何者であれコボルドがその前に姿を現すのは利口なことではないだろうし、もしかすれば音色で惑わして犠牲者を誘い寄せるような危険な魔物の類かも知れない。

 しかし、あまりにもその音がきれいだったので深く考えるよりも先に足が動き、彼はふらふらと、誘われるように森の奥へ入っていった。

 

 

 しばらく歩いていくと、音の源はすぐに見つかった。

 森の奥のやや開けた場所にある苔生した岩に腰かけて、とても美しい面立ちのエルフが目を閉じたまま、静かに八本の弦を持つ竪琴を奏でている。

 ディーキンはその女性を一目見ただけで、ぽかんと口を開けてその場に立ち尽くした。

 

(なんてキレイな人なんだろう)

 

 種族の差を超えて、ディーキンは素直にそう感じた。

 エルフとコボルドとは、決して仲のいい間柄とは言えない。

 けれど、目の前のエルフが自分に気が付く前にこの場を去るべきだという考えは、少しも思い浮かばなかった。

 

 その女性はすらりと背が高く、しみひとつない美しい肌は仄かに黄金色に輝いており、薄汚れた旅人の装いをしているにも関わらず貴族然とした雰囲気が感じられる。

 そして彼女の奏でる竪琴の音色もまた、その容姿に負けず劣らず美しいものだった。

 結局、演奏が終わってそのエルフが目を開け、明るい紫の瞳でディーキンの方を見て首を傾げるまで、彼はその場に立ち尽くしていた。

 

「はじめまして、同業の方ですね。お耳汚しをしました」

 

 彼女のその声も、思わずうっとりするような、不思議なほど澄んだ音楽的なものだった。

 

「……?」

 

 ディーキンの抱えたリュートを見た女性が立ち上がって頭を下げた時、彼はしばらくの間、彼女が自分に対して声をかけているのだということに気付かなかった。

 他の種族がコボルドにそんな丁重な挨拶をするなんて思わなかったし、誰からであれ、そんなに丁寧に接された経験はなかったから。

 

 ややあって、ようやく気が付いたディーキンははっとしてぺこぺこ頭を下げると、目を輝かせてその女性を見つめながら熱っぽい口調で話しかけた。

 

「ァ……、アア! その、はじめましてなの、きれいなエルフのお姉さん。ディーキンはディーキン、コボルドの詩人だよ。お姉さんも、詩人なんだね?」

 

「はじめまして、ディーキン。ええ、そうですよ」

 

「すごく上手だね! ディーキンもいつか、あんたみたいに弾けるようになるかな?」

 

「まあ、ありがとう。ええ、それはなんとも。あなたの腕前を、まだ拝見していないのですから……」

 

 エルフは微笑んでそう言うと、ディーキンのほうに向かって歩み寄り、先程自分が座っていた場所を手で示した。

 自分の代わりにそこに座って、何か聞かせてくれないかということらしい。

 

 とてもきれいで歌の上手なエルフから求められたことで、ディーキンの胸は高鳴った。

 

「わかったの! ディーキンはあんたほど弾くのは上手くないけど、お話には自信があるよ!」

 

 彼女ほどに上手くは弾けないのは分かっていたが、話には自信がある。

 これまでに自分の弾き語りを聞いてくれた人は、主人もコボルドの女の子たちも、おおむね皆満足してくれたのだから。

 知っている中で一番カッコいい物語を聞かせてあげて、素敵だと言ってもらおうと思った。

 自分以外の詩人と初めてまともな出会いをし、しかもそれがとても美しい人だとあって、ディーキンは張り切っていた。

 

 ディーキンはお辞儀をして席に着くと、さっそくリュートを弾きながら物語を始める。

 それは、人間とオークという2つの種族の、2人の王にまつわる物語だった。

 

 

 

 

 むかしむかし、あるところに、スレイという偉大な人間の英雄がいた

 

 彼はみんなに望まれて生まれた王さま

 エルフよりも美しく、ドワーフよりも頑丈

 誰からも好かれていて、彼もみんなのことが好き

 

 別のあるところに、グレイというオークがいた

 

 誰にも望まれてもいないのに生まれてきた農民の子ども

 ゴブリンよりも醜くて、ノームよりもいい加減

 誰からも嫌われていて、何もかもを憎んでいた

 

 …………

 

 

 

 

 やがて、粗暴なオークの部族を力でまとめ上げて人間の土地への侵略と略奪を開始したグレイに対し、スレイはエルフやドワーフといった異種族と手を組んで対抗する。

 力だけに頼ったオークの群れは、強固な同盟を結んだ三つの種族の連合軍によって打ち破られ、スレイは千年に一人の偉大な英雄と讃えられるのだ。

 典型的な勧善懲悪の英雄譚であり、小さな子供から大人まで楽しめる、分かりやすく爽快な筋書きが魅力の作品である。

 当時のディーキンの部族はオークの襲撃にたびたび苦しめられていたこともあり、主役側をコボルドとドラゴンの同盟軍に変えたバージョンは、概してディーキンを嫌っている男性のコボルドたちの間でも好評だった。

 

 ただ、何度もこの歌を歌っているディーキン自身にも、少しばかりひっかかっている疑問点があった。

 

 どうしてこの物語は、『スレイとグレイの物語』なのか?

 

 話の中で、グレイは単なる悪役であり、スレイによって退治される側なのだ。

 それが題名で主役と名を連ねているというのは、なんだか妙に扱いが大きいような感じがした。

 些細なことではあったが、何度も何度もこの物語を披露しているうちに、次第にしっくりこない印象を受けるようになってきたのである。

 

「……そうして、平和が訪れたの。めでたし、めでたし――――」

 

 なんにせよ、歌い終わったときにディーキンは、自分でも上手くやれたと思った。

 いつになく熱を入れて歌えたし、ミスもなかった。

 あるいは、これまでで最高の出来映えだったかもしれない。

 

 なのに……。

 

「ありがとう。とても熱のこもった、真っ直ぐで素敵な歌でした。あなたの歌には熱意がありますから、きっと上達できると思います」

 

 自分の歌を聞いてくれたエルフの反応に、ディーキンは納得がいかなかった。

 

 確かに褒めてくれているし、魅力的な微笑みを浮かべてくれているし、きちんと批評をして、自分の手を握ってくれてもいる。

 決して、その態度に心がこもっていないなどとは思わない。

 だが、彼女からはこれまでに同じ歌を聞いてくれたコボルドたちのように、熱狂したり、夢中になったり、芯から心を揺さぶられたという様子が感じられないのだ。

 

 どうしても気になって、ディーキンはその点を問い質した。

 詩人として観客に文句をつけるべきではないのはわかっていたが、聞かずにはいられなかったのである。

 

 エルフはしばらく目を閉じて考えた後、ディーキンをじっと見つめて、逆に質問した。

 

「――その答えを聞いて、あなたは後悔しないでしょうか?」

 

 ディーキンは、それを聞いてきょとんとする。

 

「ンー……? そんなの、ディーキンは答えを知らないから、聞いてみないと分からないの。試しに聞かせてみて、それから考えるから」

 

 エルフはちょっと首を傾げて微笑むと、もう一度、自分の竪琴を手に取った。

 

「それもそうですね。……では、聞いてください」

 

 彼女は優雅に一礼すると、ディーキンに代わって腰かけて竪琴を弾きながら、澄んだ力強い声で歌い始める。

 

 

 

 

 遥かなる時 遥かな処

 

 これは人間の英雄王スレイと、オークの征服者グレイとの物語

 

 一人は民草の祝福を受けて生まれた正当の王位継承者で、一人は誰にも望まれずに生まれて反逆者として成り上がった無頼漢

 一人は美しく寛大で、一人は醜く狭量

 一人は己の種族を護り抜こうとし、一人は他の種族への侵略を試みる

 

 ただひとつの共通点は、いずれ劣らぬ英雄である事――

 

 …………

 

 

 

 

 構成こそ大きく違っていたものの、それは間違いなく、『スレイとグレイの物語』だった。

 歌が始まった瞬間からディーキンは激しい衝撃を受けて、ぽかんと口を開けたまま、我を忘れて聞き入っていた。

 

 ドラゴンの主人が耳元で怒鳴った時にも劣らぬほどに、深く強く心を揺さぶる澄んだ力強い声。

 人の指先が奏でるものとは思えない、流れるような美しい旋律。

 すべてにおいて、自分を圧倒する……いや、比較すること自体がおこがましいと言わざるを得ない、想像もつかないほどに感動に満ちた歌だった。

 

 自分のそれは所詮、耳に心地よい一時の慰み、すぐに忘れ去られるはかない娯楽の域を出ない。

 今の今まで、音楽とはそういうものだと思っていた。

 しかるにこの女性の語る物語は、聞き終わっても永久に心に残る、偉大な業だ。

 英雄王スレイと征服者グレイとがついに対面して言葉と刃とを交える最高潮の場面に差し掛かったとき、ディーキンは自分がその戦場に立って、実際に目の前で二人の戦いを目にしているかのような錯覚を覚えた。

 あれこそが本物の歌の魔法だと、後になって思った。

 

「……そうして、二人の戦いは終わった。彼らの物語がさまざまな種族の人々によって永く語り継がれ、やがて伝説となり、神話となるまでも残らんことを――――」

 

 歌が終わって女性が頭を下げても、ディーキンはしばらくの間歌の世界から抜けられず、身を震わせて余韻に浸っていた。

 やがてはっと我に返ると、興奮して激しく拍手をしてから彼女に飛びついて、勢い込んで尋ね始める。

 

「すごい! すごいの!! ねえ、どうやったらディーキンも、あんたみたいに歌えるの?」

 

 突然しがみつかれた女性のほうは、きょとんとした顔で、じっと彼を見下ろした。

 

「……後悔はしていないようですね。よかった」

 

 やがて、小さくそう呟いて微笑むと、やんわりとディーキンを引き剥がす。

 それから、屈み込むようにして彼と目の高さを合わせながら、申し訳なさそうな様子で首を振った。

 

「残念ですが、それは難しいでしょうね。私とあなたとでは、身体のつくりが大きく違っていますから」

 

 ディーキンはそれを聞くと、むう、と顔をしかめた。

 

 確かに、彼女は自分とは種族も性別も違う。

 どんなに技量を高めようと、肉体的にどうしても出ない声というものはあるだろう。

 

 しかし、自分が聞いているのは、そういうことではないのだ。

 

「たぶん、声とか腕前とかだけの問題じゃないんだよ。あんたの歌の方が、ずっと……ずっと、感動的なの。ねえ、どこに、そんな素敵な物語の書いてある本があったの? それがあれば、ディーキンにもそんな歌が歌えるかも」

 

「いいえ、本ではありません」

 

「じゃあ……、その歌は、誰かから教えてもらったの? ディーキンに足りないのは、今のご主人様よりももっとすごい話を知ってる人なの?」

 

 ディーキンがそう聞くと、エルフは微笑ましいものを見るような目をして、ディーキンの肩にそっと手を置いた。

 

「そうではありません。確かに、あなたには技術の面でも知識の面でも、まだまだ学ぶべきことは多いでしょう。……ですが、それらの面でいつか私よりも勝ったとしても、あなたにはこの歌を私と同じように歌うことはできませんよ」

 

 なんだか子ども扱いされたような気がして、ディーキンは不服そうに口を尖らせた。

 自分はもう子どもではなく、肉体的にも、またコボルドの社会習慣の上でも、既に一人前になっているのだ。

 そりゃあ十歳にも満たない自分は、百歳を超えるくらいでようやく一端の大人扱いされるというエルフから見れば、まだまだ幼いのかもしれないが……。

 

「どうして? あんたは、ディーキンには何が足りないっていうの?」

 

 内心の不満が現れて、やや刺々しく追及するような調子になったディーキンの態度を咎めるでもなく、女性はごくあっさりと答えた。

 

「簡単なことです。私はあの時そこにいて、あなたはいなかった。足りないものがあるとすれば、その事実だけです」

 

「……? あの時とか、そこっていうのは、なんのこと?」

 

「ええ、つまり……。人間を中心とした異種族連合軍と、オークの多部族連合軍との戦いのあった、あの日に。私は従軍詩人として、人間側の軍に加わっていたのです」

 

 女性は、まるで昨日のことでも話すかのような調子でそう言った。

 そう言われてもディーキンはしばらくきょとんとしていたが、ようやくその言葉の内容を呑み込むと、目を丸くする。

 そんな彼の反応を気にした様子もなく、彼女はそのまま淡々と話し続けた。

 

「あの『スレイとグレイの物語』を初めて歌ったのは、この私なのですよ。あなたは本の中の作り話として、文字と挿絵に基づいて歌い、私はこの目で見た事実として、自分の記憶と感情に基づいて歌った。その違いでしょう」

 

 ディーキンはぽかんとして目と口とを大きく開けたまま、まじまじと目の前の女性の姿を見つめた。

 そういえば、名前も語らずにさらりと流されるだけだけれど、戦いのときにスレイの傍に付き従った一行の中にはエルフの詩人が混じっていたという。

 

 確かに、エルフはドラゴンほどではなくとも、コボルドよりもずっと長生きだ。

 しかし、本の中に出てくる物語が事実に基づいたもので、それを実際に体験してきた人がどこかにいるのだというようなことは、考えてみたこともなかった。

 これまでのディーキンにとって、英雄や冒険はあくまでも、現実離れした本の中の創作として楽しむものだった。

 なのに突然、そんな物語の中の登場人物が、目の前に姿を現したのである。

 

(この人は、本物のスレイやグレイを見たことがあるっていうの?)

 

 世界のどこかに、新しい勇者の訪れを待つ冒険の舞台が本当にあって、それまでは平凡な人だったどこかの誰かが、いつの日かそれに挑んで英雄になる……。

 そんなことは、これまで想像してみたこともなかった。

 

 だとすれば、確かに彼女と自分の間には、埋めることのできない違いがあるのだ。

 この女性は、叙事詩の現実を知っている。

 物語に登場する両軍の人々の志し、覚悟、興奮……、そして、戦いの勇壮さも凄惨さも、その顛末も、すべてを実際に見て知っている。

 紙の上に書かれた、一方的で現実離れした勧善懲悪の物語としてしか知らない自分では、勝てるわけがなかった。

 

 同じ詩人であっても、彼女と自分との間には果てしない距離がある。

 彼女はただ歌うだけでなく、自らも歌われるもの……叙事詩の中に生きる英雄だ。

 それに比べて、自分は……。

 

 そんな風にディーキンが考えていたとき、目の前の女性の傍に、突然いくつかの美しく輝く光の球体が現れた。

 それらが女性の周りを飛びながら、どこからともなく響く不思議な声で何事か話しかけると、女性は小さく頷いて立ち上がる。

 

「さて。残念ですが、ここでの用事は終わったので、私はそろそろ行かなければなりません。さようなら、快いコボルドの詩人よ。またいつかお会いしましょう」

 

「……エ? ァ、待っ――」

 

 女性に別れの挨拶として手を握られたディーキンは、はっと我に返って引き止めようとしたが、すでに遅かった。

 彼女も、その周りを飛んでいた不思議な光の球体も、一瞬のうちにどこへともなく姿を消してしまった。

 

 一人、森の中に取り残されたディーキンは、呆然として立ちすくんだ。

 

 あのエルフは一体、何者だったのだろう。

 もしかして、あれは夢だったのではないだろうか。

 あるいは、戯れに自分をからかったフェイか何かだったのか。

 

 そうしてしばらく物思いに耽っていたディーキンだったが、ふと、主人が戻る前に元の場所に帰らなければまずいことに思い至ると、慌てて来た道を引き返し始めた。

 自分がまだ彼女の名前も聞いていなかったことに思い至ったのは、その道中でのことだった……。

 

 

 ディーキンがようやく元の場所に帰り着いてから程なくして、タイモファラールが戻ってきた。

 

 案の定、彼は美味しいものを食べられたことで上機嫌だった。

 タイモファラールが土産にと持ってきてくれたミートパイの残りを感謝していただきながら、ディーキンは彼の求めに応じて、人間の乙女が生贄としてドラゴンに捧げられる物語の弾き語りを披露する。

 主人は面白そうに聞いてくれたが、先程の女性の歌を思い出して、ディーキンは微妙な気分になった。

 このような歌を仲間たちの前で披露して、ちやほやされて得意げになるだなんてことは、二度とできそうになかった。

 

「……ねえ、ご主人様」

 

「なんだ? 新しい本の催促なら、もう少し待っておれ。この町で売っている本は、高……いや、品揃えが悪いのでな」

 

 迂闊に商品が高いだなどということは自分の財産の少なさを認めているようなもので、ドラゴンとしての沽券に関わるとタイモファラールは考えているのだ。

 まだそんなに年寄りなわけでもないのにわざわざ老人の姿に化けてみたりとか、彼はかなりの見栄っ張りなのである。

 もっとも、それは多くのドラゴンに共通の性質であって、別にタイモファラールだけが殊更にそうだというわけではなかった。

 

「そうじゃないの。ディーキンは……。本で読んだところに、行けるようになるかな?」

 

 ディーキンは思い切って、そう尋ねてみた。

 

 これまでにない質問に、人間の老人の姿をしたタイモファラールは、しばし怪訝そうに眉をひそめる。

 だが、じきににやりとした笑みを浮かべると、曖昧に頷いた。

 

「ああ。お前が……、ドラゴンにでもなれれば、な」

 

「……そんなのは無理だよ」

 

 タイモファラールは、しょんぼりした従者の顔を見て面白そうに笑いながら、こう言った。

 

「そうだな、今は。だが、ちっぽけなディーキンよ。いずれ、おまえが自由になる道が、たったひとつだけあることがわかるだろう」

 

 

 

 今ならば、あの時の主人の言葉の意味が分かるような気がする。

 ディーキンがドラゴンになるとは、すなわちドラゴンのように勇敢になって、強くなって、自分の望みのために戦えるようになることだ。

 つまり、ディーキン自身に離れる勇気が持てて初めて自立する準備ができるのだと、彼は言いたかったのではないだろうか。

 

 後にボスと出会ったときに、ディーキンはついにその機会を見つけた。

 これからは本を読んで歌うだけではなく、自分の物語を進んでいってそれを歌おうと、そう決めたのだ。

 

 あの時の出会いは、後の自分の運命を大きく変えた、その最初のきっかけだったのかもしれない。

 

 

 

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「……へえ、なんだか素敵な話ね」

 

「私も、そんな方に出会えたら感激です!」

 

 ルイズとシエスタはディーキンの話が気に入ったようで、目を輝かせている。

 キュルケやギーシュなど、他の面々も概ね同じように興味深そうにしていた。

 タバサだけはなんとなく不満なようで微かに眉をひそめていたが、とはいえもちろんこの状況で文句などを口にするはずもなく、黙って状況を見守っている。

 

「なるほど、話はわかった」

 

 ディーキンの大筋の説明を聞き終えると、眠れる者はひとつ大きく頷いた。

 

「君が出会ったのは、『星界の竪琴』ウィルブレースに違いあるまい。エラドリンの宮廷によって定命の英雄から選ばれた、ごく若い竪琴弾きのトゥラニ・エラドリンだと聞いている。個人的な面識はないので応じてもらえるかどうかはわからないが、君が推薦するのならば呼んでみても構わない」

 

「オオ! じゃあ、申し訳ないけどお願いできる? 必要な報酬とかは、ディーキンの方でなんとかするから」

 

 確かな腕前を持ち、経験も積んでいる彼女は、目の前の戦いを切り抜けるための戦力として期待できる。

 それに個人的なことではあるが、あの女性とまた再会できるというのも、ディーキンにとってはもちろん嬉しいことだった。

 

 

 

「……エルフ、か。朕に、エルフに救われる資格があるなどとも思えぬが……」

 

 ジェームズ国王は胸中複雑そうではあるが、小さな声でぽつりと自嘲気味に呟いただけで、反対の声を上げたりはしなかった。

 今はいかなる恥を忍んでも悪魔どもを討ち、この国を救わねばならぬ時なのだから。

 

 

 

 そうして、様々な思いを胸に抱いた皆の見守る中で、眠れる者は召喚のための呪文を唱え始めた……。

 


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