Neverwinter Nights - Deekin in Halkeginia 作:ローレンシウ
「……ううむ……」
「……」
突然の来訪者たちが帰った後で取り残されたボーウッドとホーキンスは、それぞれの物思いに耽った。
顔を突き合わせてはいるものの互いに押し黙ったままで、時々思い出したように酒を啜っている。
“レコン・キスタの背後にいるのは、天使ではなく悪魔である”
ウェールズ皇太子は、先程ホーキンスとボーウッドにそう伝えた。
そして、自分をこの場に連れてきてくれた供の者たちこそが真の天使であり、戦わねばならない相手は互いの軍ではなく悪魔どもなのだと説いた。
『君たちは忠義ある軍人だ。今さら、我々の側に寝返れなどというつもりはない。ただ、明日の戦いで我々は必ず“何か”を起こしてみせる。その時、自分たちが本当にするべきことは何なのかを、今の話を踏まえた上でよく考えておいてもらいたいのだ』
それだけのことを誠意を込めて頼んだ後、明日はきっとまた戦場で会おうと言い残して、王子と供の者たちは去っていった。
反逆して王党派に寝返れ、といったようなことは要求されなかった。
(……私は……、どうしたらいい?)
ボーウッドは、心の中で何度も自問自答していた。
彼は元より心情としては王党派だったが、軍人は政治に関与せず、上官の命令に服従するべきだと信じている。
しかし、皇太子からの直接の頼みを受けた場合には、そして自分たちの背後にいるのが実は悪魔だなどと聞かされた場合にはどうするべきかなど、考えてみたこともない。
だが、そうはいっても……。
レコン・キスタの後ろ盾になっているあの“天使”たちが実は悪魔などとは、あまりにも突拍子のない話だ。
とはいえ確かに、言われてみれば心当たりはないでもないのだが……。
皇太子が連れていた連中にしても、只者ではないことは間違いないが、あちらが本物の天使だというのは果たして本当だろうか。
(それに、実際問題として、自分に何が出来るというのだ?)
この状況で仮に、自分たちが王党派につくなどといっても、部下の兵たちは承知するまい。
もしも王党派が独力で戦況をひっくり返せるとでもいうのなら、そのときにはなるべく多くの兵たちをまとめて投降させることくらいは出来るだろうが……。
いかに天使だとしても、追い詰められた王党派に今さら何が出来るのか想像もつかない。
想像もつかないが、皇太子らが明日の戦いで何かを企てているのは確かなようだ。
王族への忠誠よりも軍人としての義務を重んじるなら、そのことを上に報告するべきなのかもしれない。
だが、皇太子はそのような報告をされるかもしれないことを承知の上で、あえて信頼して情報を明かし、何も強要せずに去っていったのだ。
今は敵である自分たちのことをそれだけ信頼してくれたことは、武人としても無下にするわけにはいかない。
(……どうしたものかな……)
ホーキンスは、押し黙ったままじっくりと考え込んでいた。
彼は武人の誇りを重んじる古強者であり、モード大公への処罰がらみでアルビオンの王族に対する反感を抱いて革命軍に参加したのだ。
とはいえ、今のレコン・キスタの方針にはそれ以上に問題を感じていたし、皇太子自らが危険を冒して敵陣にまで足を運んできたということには彼もボーウッドと同じく心を動かされた。
しかし、その方針がいささか気に入らぬとはいえ、それでも今の自分はレコン・キスタの将なのである。
組織の方針などとは関係なく、戦場で生死を共にした戦友たちが、この軍には大勢いるのだ。
いうまでもなく、彼らを裏切るわけにはいかない。
まあ皇太子にしても、現在の戦況を鑑みれば至極当然のこととはいえ、自分たちに寝返れなどとは要求しては来なかったわけだが……。
(ならば皇太子は先程の訪問で、我々に何を期待している?)
当面の問題として、王党派は何よりもまず明日の、普通に考えればもはや絶望的な決戦を乗り切らねばならないはずだ。
普通に考えて、数万対数百ではどうなるものではない。
天使がいようと英雄がいようと、わずかな人数の強者だけでは、数に飲まれて味方が壊滅することを防ぎきれるものではあるまい。
それなのに、皇太子は敵将がレコン・キスタの一軍を連れて寝返ってくれるという儚い望みに縋りに来たのでも、敵将の暗殺を企てて来たのでもなかった。
(と、すれば、こちらに頼らずにどうにかするあてがあるとしか思えぬが……)
だとすれば、それは何なのか。
そして、仮に彼らの考えていることの見当が付いたとしたら、自分はどうする気なのか。
それを上の者たちに報告するのか、それとも……。
そんな風に二人が悩んでいると、突然、部屋の戸がコンコンとノックされた。
「……!」
ボーウッドは予想外のことに、思わず良からぬ事態を想像してぎくりと体を強張らせた。
「む……、誰だね。危急の事態でもあったのか?」
ホーキンスは慌てず騒がず、直ちにボーウッドに声を出さないよう身振りで指示して机の上のものを片付けにかかりながら、ドアの向こうにそう声をかける。
鍵はちゃんとかかっているので、突然戸が開く心配などはない。
ずいぶんと場慣れしたその対応を見て気持ちを落ち着かせながら、将軍はどうやら下士官時代に晩酌の仕方と共に夜更かしの誤魔化し方も教わられたらしいなと、ボーウッドは内心で苦笑していた。
ノックをしたのは、どうやら若い伝令兵のようだった。
なかなか見どころのある誠実で利発な若者で、二人とも声を覚えている。
「お休みのところすみません、将軍。ですが、先程ル・ウール侯が明日の決戦に備えて、新たに着任した士官の紹介を将校の方々にされまして……。将軍にもぜひにと」
それを聞いた二人は、不快そうにしかめた顔を見合わせた。
こんな夜中に呼び出すというのも非常識な話だが、何よりも考え事に没頭して気持ちが乱れている最中だし、いささか酒も入っているというのに、油断ならない他の将校や悪魔かもしれないという連中の前に顔を出したくはない。
「……ああ、どうしてもということであれば行くが、明日ではならんのかね。いささか寝惚けておるし、すぐに上官の前に出ていけるような恰好ではないのだが」
「はあ、是非にと仰せです……が、もう眠っておられて寝言らしき声しか聞こえなかったというのであれば、私にはいかんともしがたいことですね」
それを聞いて、二人はほっと頬を緩めた。
「そうか。ではこれも寝言で聞くのだが、その士官というのは誰だね?」
「は……」
扉の向こうで、伝令兵はしばらくためらうように押し黙っていた。
ややあって、少し震えた声で答える。
「……その、ヘイウッド卿、マーティン・ヘイウッド卿です。昼間の戦いで戦死なされた、敵将の。部下の兵たちも一緒です」
単に、死者が蘇ったことに怯えて震えているのではなく、何かもっと激しい感情を押し殺しているようだった。
ホーキンスとボーウッドは、それを聞いて目を見開いた。
レコン・キスタの指導者クロムウェルは、これまでもたびたび確かに死んだはずの敵方の兵を『虚無』の呪文と称する力で蘇らせ、味方に引き入れてきた。
蘇った敵兵たちはみな口を揃えて、その偉大な力に触れてレコン・キスタの側に神の加護のあることを確信したといい、忠実な味方となった。
だが、よりにもよって、あのヘイウッド卿を!
「……よく教えてくれた。忙しいのだろうから引き留めたくはないが、もう少しだけ教えてくれ」
「はっ……」
「君は伝令役として、会場の隅に控えていたはずだな。君の目から見てヘイウッド卿らは、レコン・キスタに忠実そうだったか?」
「……はい。まるで、人が変わられたように」
「王党派と戦うことに、躊躇いはなさそうだったのか?」
「明日の戦いではこれまでの“過ち”の償いとして自分が先陣を切り、敵の士気を挫いて見せようと約束なさいました」
「……それを聞いて、他の将校らの反応は?」
「大歓声が上がりました。みな、赤らんだ顔で杯を掲げて、クロムウェル閣下と神を称えて愉快そうに笑って……。いえ、中には戸惑っている様子の方もおられましたが……」
「会場の空気にあてられたのか、そうでなくても、とても異議を唱えることなどできた雰囲気ではなかったのだな?」
「私には、そう感じられました」
彼らは王党派のために生還期し難い攻撃を仕掛け、全員が玉砕したという。
ル・ウール候を道連れにしようと自ら爆薬を噛んだヘイウッド卿の散り様は忠烈の極み、騎士冥利な最後だと、ホーキンスもボーウッドも深く胸を打たれたものだった。
それがどうして、一日も経たぬうちにレコン・キスタに寝返るものか。
この素晴らしい力こそが『虚無』であり、神の加護の証である。あの世では敵も味方もなく、誰もが友人になれる。だから、今は躊躇わず戦いなさい……。
クロムウェルと天使たちは、そう主張している。
一聞すると素晴らしいお題目のように聞こえるが、今こそはっきりと確信した。
神の友愛どころか、人の尊厳を冒し、意思を無視して傀儡に仕立てる悪魔の力だったのだ。
他の将校たちも、既に多くがその力に魅入られて、実際に使われたのではないにしても悪魔の虜になろうとしている。
「ありがとう、もう戻りなさい。ただ、明日の戦いでは君に何か頼みたいことができるかもしれん。なるべく、私のそばにいるようにしてくれ」
「はっ、失礼します」
そうして伝令兵が扉の前から去ると、ホーキンスとボーウッドは互いの気持ちを確かめるように目を見交わして、しっかりと頷き合った。
今のうちに何とかしなくては、王党派も貴族派もなく、アルビオンそのものに未来はない。
ヘイウッド卿率いる決死隊の特攻は、直接的には反乱軍を操るル・ウール候と“天使”たちには何の打撃も与えられなかった。
しかし、彼らの死とその“復活”が、結局はレコン・キスタの名将二人を動かす決定打となったのだった……。
・
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「そうか、ホーキンス将軍とボーウッド君はもう寝ていたか。それは残念だね」
伝令兵からの報告を受けた『ル・ウール候』は、そう言って何も気にしていないように朗らかに笑った。
その背後には“天使”ことエリニュスが一人、近衛兵のように控えている。
兵士が立ち去ると、ル・ウール候は皮肉っぽく唇を歪めて、ちらりと彼女の方を見た。
「どう思うね?」
すぐに、テレパシーで返事が返ってくる。
『あの兵士ですか? 嘘をついているように見受けられました』
ル・ウール候は、満足したように頷いた。
多少利発な程度の兵士の嘘などを見抜けぬ自分ではないが、念のために部下の意見も求めておきたかったのだ。
「私もそう感じたよ。どうやらあの二人は出席を嫌ったらしい」
『単に眠かっただけでは?』
「さて。見たところ、生真面目な連中のようだからなあ」
『確かに……』
エリニュスは目を細めた。
人間を堕落させる職務に携わるデヴィルは、当然ながらその性質を見立てることにかけては優れた目を持っている。
『では、奴らは我々が上に立っているのを嫌っているのでしょうか。それとも、あの連中を蘇らせて仲間に引き入れたことを? 手柄を争う敵が増えますからね』
ル・ウール候は、エリニュスのそんな意見を聞いて、馬鹿にしたように鼻で笑った。
「君は、オファリオンで何を教わった。余程無能な教官にあたったのか、それとも居眠りでもしていたのかね?」
『……』
「やれやれ。利害ではなく、定命の種族の情というやつだよ。大方、同族が“崇高な”最期を遂げたのに傀儡として利用される、というあたりが気に入らんのだろうさ」
『……はあ? 同族もなにも、奴らは敵軍の兵ではありませんか』
くっくっ、とル・ウール候は含み笑いをした。
今度は目の前のエリニュスではなく、しばしば感傷的になり、利害も分からなくなる人間の性質を嘲っているのだった。
「そういうものらしいのさ。奴らはデーモンなみに短慮だ、とでも思っておくがいい」
デヴィルは考え、複雑な陰謀を練り上げ、再び考え……、そうして最大の好機に至って、初めて行動を起こす。
上司の背中にナイフを突き立て終わって初めて、自らの野望の真の大きさを明らかにするのだ。
一方でデーモンは衝動に従って行動し、長期的な野望を持つ者でさえ、一時の激情のためにしばしばそれをかなぐり捨ててしまう。
人間もそうだ。
それが欲望のためか、情愛のためかなど、デヴィルにとってはどうでもよいこと。
『……なるほど。それで、どうされます?』
「何も。楽なものだとはいえ明日には決戦が控えているのだ、こんな時に罪を問い質して戦力を減らすこともあるまいよ。ひとまず王党派を滅ぼせば、連中も勝利の美酒に酔って利害を見つめ直し、つまらぬ感傷を手放すかもしれんしな」
『もし、そうならなければ……』
「地上へ侵攻するまで、しばらくは将兵は不要になる。狡兎死して走狗煮らる、というわけだ」
二人はにやりと笑って頷き合うと、それきりで次の用件に移った。
善良なる愚か者の始末などは、明日でも明後日でも遅すぎることはない、と考えていた。
デーモンは善を憎み、善良な者は見つけ次第滅ぼそうとする。
一方でデヴィルは、善良な者たちの行動を軽蔑しながら面白がって眺めている。
自分たちの障害になるまでは、の話だが。
邪魔立てをされると、取るに足らない愚か者に蹴躓かされたと激怒して、復讐心を燃え立たせる。
狡猾なデヴィルの弱点のひとつは、彼らが完全な悪であり、人間のような不完全な種族の情というものを実感せず経験や知識でしかとらえられないために、しばしば軽んじすぎることなのである……。
オファリオン:
アークデヴィル・バールゼブルが統治するバートルの第七階層、マラドミニに存在する都市の名前。
デヴィルたちはここに定命の種族の都市を精巧に再現し、クレリックの会合やエルフの王族の集会などさまざまな政治活動を正確にシミュレートして、物質界へ魂を堕落させに赴く者に経験を積ませている。
時には実際に定命の存在が連れ込まれて参加させられることもある、本格的な訓練である。
優秀な成績を収めたデヴィルは実際に現地へ派遣されるのに対し、失敗したものはチャンスを失い、最悪の場合は降格されてしまう。