Neverwinter Nights - Deekin in Halkeginia   作:ローレンシウ

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第百二十九話 Kings and their ministers

 ヘイウッド卿をはじめとする“アンドバリの指輪”の傀儡たちは、ル・ウール侯からの指示を受けて、決闘に応じることを承諾した。

 

 浮遊大陸アルビオンの岬の突端に位置するニューカッスル城へは、一方向からしか道が通っていない。

 そのただ一つの経路に密集して押し寄せているレコン・キスタの軍の先頭に、やや突出して数十人の傀儡たちが並んだ。

 そこからいくらかの距離を置いて、ニューカッスル城の城壁を背にアルビオンの王族二人と数人の供の者たちとが堂々と立ち、彼らに対峙する。

 

「頃合いを見計らって、城内から合図のラッパを吹かせる手筈になっている。その音が響いた時が戦いの始まりだ」

 

 ウェールズがそう提案し、傀儡たちも特に異を唱えるでもなく承諾する。

 城外の者たちも城内の者たちも、みな固唾を飲んで、間もなく始まるであろう戦いの時を待った。

 

 ややあって、城内から空気を震わせる大きなラッパの音が響く。

 

 それと同時に、傀儡たちは素早く行動に移った。

 一部の者たちが杖に『ブレイド』や『エア・ニードル』をまとわせて敵に突撃し、他の者たちは左右に散開して、『エア・カッター』や『マジックアロー』などの攻撃呪文を後方から放つ。

 

 ここは人数の優位を活かして正面から一気に攻め潰すのが最善だと、彼らは生前の知識に基づいて判断したのである。

 敵側は数の上で圧倒的に劣り、小細工などを弄する暇さえ与えねば勝利は確実だ。

 直接斬り込んでくる腕利きの戦士たちと、様々な角度からほぼ同時に飛来する複数の攻撃呪文。

 十人にも満たない人数で、そのすべてに対処しきることは到底できまい。

 

 敵が動くのとほぼ同時に、王党派の勇士たちもまた動いていた。

 

 パリーら比較的老齢の忠臣たちは、国王と皇太子とを守るように彼らの周りに留まり、杖を抜いて飛来する攻撃呪文を迎撃にかかった。

 彼らに守られながら、王族の父子は互いの杖を重ね合わせるように高く掲げて、呪文を詠唱し始める。

 一行の中では若手の部類に属する者たちが、剣状の杖を手に彼らの前に進み出て、斬り込んでくる敵を迎え撃とうとした。

 

 しかし、迎撃しようと進み出た者たちに対して、突撃してくる敵の数は倍近くもいる。

 

 心を失っているにもかかわらず……、いやむしろ、心をかき乱す様々な雑念が消えてただ一つの目的のみのために動いているが故にこそ、指輪の傀儡たちの動きは生前にも劣らず洗練されており、連携も巧みだった。

 こちらを迎撃しようとしている敵に、それぞれ一人ずつがあたって抑え込む。

 その隙に残った者が突破して後方の老臣どもを斬り刻んでしまえば、守る者のいなくなった王族二人も終わりだ。

 彼らは素早くそう計画を立て、遅滞なく役割分担して行動に移った。

 

 ――しかし。

 

 双方の戦士たちが斬り結ぼうとしたまさにその時、狭い範囲に集中した彼ら全員を巻き込んで、どこからともなく不可視の『解呪』の力が炸裂した。

 その瞬間に、傀儡たちを操る魔力の糸がぷっつりと切れ、彼らの意識と共にその偽りの命も途切れる。

 

 直後に彼らの体を眼前の勇士たちの放った刃が斬り裂き、剣杖が貫いていたが、ただの屍に戻った傀儡たちはもはや何も感じることはなかった。

 

「……お、おおっ!?」

 

 戦いの推移を見守っていたレコン・キスタ陣営の兵たちが、どっとざわめく。

 

 それは無理もあるまい、数で圧倒的に勝り、勝利はまず確実かと見えたこちらの戦士たちが、一瞬の交錯の間に全員敵の刃に貫かれて地面に崩れ落ちたのだから。

 まるで、かつての仲間を斬る寸前に自ら動きを止めて、無抵抗で貫かれたように彼らには見えた。

 しかも、これまでは傷つき倒れてもすぐに立ち上がり、不死身かと思えた者たちが、それきり起き上がってこようとしない。

 中には敵に斬られる前から既に地面に崩れ落ちそうになっている者もいたのだが、いくらか不自然を感じた程度の者はいたにせよ、何が起こったのかはっきりと気付けた兵はいなかったようだ。

 

 別段彼らの目が節穴なわけではなく、それは至極当然のことであった。

 

 ハルケギニアにおいてディスペル系の呪文は知られておらず、炸裂した力は不可視であり、しかも彼らはかなりの距離を置いて見ていたのだ。

 おまけに使われたのは呪文ではなく、詠唱も動作もなく放たれる擬似呪文能力であった。

 何十何百の兵がその場面を目撃していようとも、誰一人として何が起きたのかなど気付けようはずがない。

 

(……よし)

 

 傀儡たちを指輪の支配から解放した張本人であるウィルブレースは、ほっと胸を撫で下ろしていた。

 

 彼女はあらかじめ《物体変身(ポリモーフ・エニィ・オブジェクト)》を自分にかけて人間の姿に化けており、念のためフードを目深に被った上で、パリーらに混じって一行に加わっていたのだった。

 そして、何が起きたのか気取られないよう、また一度にまとめて倒せるように、敵をこちらの勇士たちと斬り結ぶ直前まで引きつけてから解呪の力を放ったのである。

 敵が《魔法解呪(ディスペル・マジック)》に弱いということは聞いていたものの、実際に試すのは初めてだったので本当に効くのか、効くとしても全員を一度に倒せるのかやや不安があったのだが、どうやら上手くいったようだ。

 

 だが、斬り掛かってきた戦士たちは倒したとはいえ、まだその後方から放たれた攻撃呪文群が残っている。

 

 王党派のメイジたちが『アイス・ウォール』などの防御呪文を用いて呪文詠唱中の王族を守ろうとしているが、所詮は多勢に無勢。

 短い詠唱で放てるドット・レベルの呪文ばかりだとはいえ、自分たちの数倍の数のメイジが一斉に放った攻撃は、到底防ぎきれるものではあるまい。

 彼らを包み込む防護膜に攻撃呪文が次々に炸裂して唸りをあげる様子を見て、レコン・キスタの兵たちは勝利を確信した。

 

 しかし……。

 

 一連の攻撃が炸裂し終わり、視界を遮る呪文の残滓が消え失せたとき。

 そこには王党派の勇士たち全員が、依然として無傷のままで、堂々と立っていたのである。

 

 これもまた、ウィルブレースの仕業だった。

 彼女はウェールズらの傍に留まることで、彼らを自分の《防御のオーラ》の範囲内に収め、防ぎきれなかった攻撃呪文から守っていたのである。

 

「なっ……!?」

 

「おお!」

 

 レコン・キスタの兵たちはみな自分の目を疑い、王城に残った兵たちは一斉に大きな歓声をあげた。

 

 呪文がオーラによってかき消されるところは、他のメイジたちが周囲に作り出した様々な防護膜が覆い隠してくれていた。

 それゆえ遠目に見ている兵たちには、防護膜がすべての呪文を防ぎきったように見えたのである。

 数の上で圧倒的に劣る、しかも老齢のメイジたちがそれを成し遂げたのだという思いは、彼らの心を強く揺さぶった。

 

 そして、その驚きも冷めやらぬうちに、更なる衝撃が彼らを襲った。

 詠唱を続ける二人の王族の体から、突如として凄まじい魔力が湧き出してきたのだ。

 

 父であるジェームズ王が『火』の三乗、そして息子であるウェールズ皇太子が『風』の三乗。

 両者の詠唱は干渉しあい、巨大に膨れ上がる。

 先程防がれた呪文の多段攻撃も、それを防いだ防護膜も、まるで比較にならぬほどの巨大な凄まじい炎の竜巻が、彼らの周りをうねり始めた。

 二つのトライアングルが絡み合い、竜巻の中で炎が巨大な六芒星を描く。

 

 残った傀儡たちはその呪文を阻止しようとさらに攻撃呪文を繰り出したが、もはやパリーらが防ぐまでもなく、彼らの周囲を守るように渦巻く竜巻にあっけなくかき消されてしまう。

 まるで、勢いよく燃え立つ暖炉の火に水滴を散らすようなものだった。

 この凄まじい炎の竜巻をまともに受けたなら、監視塔や小さな砦程度は衝撃でたちまち崩れ、そこから侵入した業火に内部のものすべてが焼き尽くされることだろう。

 

「な。なんだ、ありゃあ!?」

「……ま、まさか。あれはまさか、噂に聞く……!?」

 

 そう、まさにこれこそが、王家にのみ許された切り札である『ヘクサゴン・スペル』に違いなかった。

 

 通常は、このように完全に息の合った詠唱を行って複数のメイジが呪文を合体させるなどということはまずできない。

 しかし選ばれし王家の血筋が、それも互いに気心の知れた父子の絆が、それを可能にしている。

 古くより伝わる秘伝の技ではあったが、実際に用いられることはごく稀であり、その存在すら知らない者、単なる噂話に過ぎないと考える者も多い。

 半ば伝説と化していたその呪文が、今こうして、目の前に姿を現したのである。

 

 レコン・キスタ陣営の将兵たちは、その恐るべき光景に戦慄を覚えた。

 同時に、あの蘇った勇士たちが不死身であり、無敵であり、必勝であるという安心感も、畏怖の念も、兵たちの中から急速に消え失せていった。

 それ以上の大いなる伝説の力を、彼らは今、こうして目の当たりにしたのだから……。

 

(まだ、倒れるわけにはゆかぬ……!)

 

 事前にディーキンらの呪文による強化を受けてもなお、呪文の反動で老いた身体のあちこちが軋み、悲鳴を上げていた。

 無理もない、この合体呪文は非常に難度が高く、王族の中にも編むことができぬ者が多いのだ。

 事実、彼自身も若い頃に父と訓練した時ですら、成功させるのが難しかった。

 

 それでも、ジェームズ一世は歯を食いしばって詠唱を続けた。

 アルビオンの国王として、たとえ体が千切れ飛ぼうともこの呪文だけは成功させる覚悟だった。

 

「……さらばだ、かつて忠臣であり、友であったものたちよ」

「先に待っていてくれ、余も遠からず逝こう。いずれまた、ヴァルハラで会おうぞ……!」

 

 ウェールズ、ジェームズは、最後にそう言葉をかけると、ついに完成したヘクサゴン・スペルを解き放った。

 まるで、ニューカッスル城の前に巨大な赤い塔が出現したかのようだ。

 炎の塔は激しく唸りを上げてうねり渦巻きながら、眼前の敵すべてを呑み込まんと、驚くほど速く襲い掛かっていく。

 

 傀儡たちはある程度散開していたが、その巨大な塔には間違いなく彼ら全員を巻き込むだけの大きさがあった。

 ニューカッスル城のある岬の先端へ向かうほどに細くなっていく一本の経路の上では横に避けられるような余裕はなく、呪文で宙へ逃げたとしても木の葉のように竜巻に吸い込まれるだろう。

 そして背後には、互いに押し退けあうようにしながら慌てて後退していくレコン・キスタの兵たちがいる。

 

 それでも、心を失った傀儡たちは指輪の命令に従って最後まで戦い続けた。

 ある者は竜巻を相殺しようと時間の許す限りで最強の攻撃呪文を放ち、またある者は風や土を使って防護膜を張ろうとする。

 

 もちろん、いずれも無駄な抵抗でしかなかった。

 

 放たれた『ジャベリン』は渦巻く炎に触れることすらできずに一瞬で蒸発し、『アイス・ストーム』は竜巻に吹き散らされて消えた。

 傀儡たちは弱点である火を防ぐためにあらかじめデヴィルらの呪文によってある程度の抵抗を付与されていたが、そんなものはいささかの役にも立つまい。

 紙の盾で銃弾を防ごうとしたり、水で濡らしたシーツを頭から被っただけでドラゴンのブレスを受けたりするようなものだ。

 ドットやラインの火ならばともかく、これほど凄まじい業火に対しては、完全耐性でない抵抗などはまるで意味を成さない。

 

 あらゆる呪文による防護が一瞬で吹き飛び、傀儡たちは次々に竜巻に呑み込まれて宙に巻き上げられた。

 体のあちこちが裂け、千切れ、炎が全身を包んで傷口から体内を焼き尽くしていく……。

 

(……お見事です、陛下。殿下も、強くなられましたな)

 

 死の間際、指輪に結び付けられた魔力の糸がヘクサゴン・スペルの炎によって焼き切られたのか、一瞬だけ心を取り戻したヘイウッド卿がわずかに微笑んだ。

 苦痛はなかった。

 彼にとっては、己の身を包む業火は自らの罪業を焼き尽くし、苦役から解放して天へ向かわせてくれる煉獄の清めの炎であり、祝福だった。

 

(今のお二人ならば、もはや、悪魔どもなどは、取るに足らぬ――)

 

 そこまで考えた時、ヘイウッド卿の肉体はついに焼き尽くされ、アルビオンの地表から消滅した。

 そしてその魂は、主君らの勝利を確信しながら、来世へと旅立っていった。

 

 

 

「……!? 何なのだ、あれは?」

 

 勝ちは決まっているようなものなのだから無駄に前線に出てわずかでも危険を冒すこともあるまいと、ル・ウール侯は後方でゆったりと決着がつくのを待っていた。

 そんな彼も、後陣からでもはっきりと見えるほど巨大な炎の竜巻が発生したことには、さすがに驚愕して思わず声をあげる。

 この伝説の名将がそのように動揺する姿を目にするのも、レコン・キスタの将兵にとっては初めてのことだった。

 

 周囲の将が、おそらくあれは王家に伝わるヘクサゴン・スペルであろうと、彼に進言する。

 

「ヘクサゴン・スペル―― ふうむ……」

 

 ル・ウールは鸚鵡返しにそう呟きながら、記憶を手繰った。

 そういえば、確かにこの世界の王族にのみ伝わる、そんな名称の特殊な詠唱法があると本で読んだような覚えがあるが……。

 

(よもや、これほどの威力だったとはな)

 

 文献には、ヘクサゴン・スペルは使い手によっては、また組み合わせる呪文の選択によっては、城ですら一撃で吹き飛ばしうるほどの威力にもなると書かれていた。

 その時は、古い書物の中の話ゆえに多分に大袈裟に書かれているのだろうと適当に読み飛ばしていたが、こうして実際に目の当たりにすると、それほど誇張されてもいなかったのかもしれぬと思える。

 この分では、あの傀儡どもは敗れてしまったかもしれない。

 

(忌々しいな……、まったく、ぞくぞくするほどに忌々しい!)

 

 ル・ウールは、自分の算段を狂わされたことに、少なからず憤慨していた。

 しかし同時に、それ以上の期待に胸を膨らませてもいた。

 

 これは、あの王族どもをなんとしても傀儡に変えねばなるまい。

 これほどの破壊力を持つ呪文を扱えるとなれば、戦略兵器として今後予想される戦いでも大いに役立つはずである。

 それだけの手駒を引き入れたとなれば、自分の功績もいや増すというものだ。

 

 伝令によって傀儡たちの敗北が伝えられた時には、ル・ウールは既にいつもの余裕を取り戻しており、穏やかな笑みを浮かべていた。

 

「なるほど、堕ちたとはいえ彼らは“英雄”のようだ。なればこそ、改心して従ってもらわねばなるまいね?」

 

 彼は、英雄を多少苛立たしく危険であり、いずれは有用な駒となり、最後には自分に手柄を運んできてくれるものとして捉えていた。

 

 

 

 ウィルブレースは、何か眩しいものでも見るかのように、神々しい瞬間に立ち会っているかのように、杖を下ろして黙祷を捧げる勇士たちを見つめていた。

 

(本物の英雄がいるときには、詩人はいつも脇役に過ぎない)

 

 詩人はせいぜいその真似事をして、間をつなぐだけだ。

 

 自分がいなくても、結局のところ彼らは勝ったことだろうと、ウィルブレースは確信していた。

 前衛を務めた勇士たちは、たとえ自分自身の体を刃の前に投げ出してでも、王たちが切り札を用意するまで敵の突破を食い止めたようとしたことだろう。

 後衛の老臣たちも、防ぎきれなかった呪文を自らの身で受けてでも、主君らを守ろうとしたはずだ。

 自分がいたことで犠牲が増えるのを防げたことは事実だろうが、たとえいなくても、最後にはやはり彼らは勝っただろう。

 

 同様に、ディーキンらの伝えた情報のおかげで彼らは敵とどう戦えばよいかがわかり、そのお陰で勝てたのだということも、確かに事実ではあろう。

 だが、実際に命をかけて戦い、そして勝ったのが彼ら自身だということも、また事実なのだ。

 

「……勝負はついた! レコン・キスタよ、この結果を見た上でなお我らと戦おうというのか、よく考えよ!」

 

 パリーは風魔法で増幅した声でレコン・キスタの兵たちにそう呼びかけると、今にも崩れ落ちそうになっている王に手を貸しながら、城内へと戻った。

 

 ウェールズやウィルブレース、その他のメイジたちも、後に続く。

 敵兵は少なからず混乱しており、帰り際に撃たれる心配などはまずなかった。

 よしんば撃たれたとしても、敵側は先程のヘクサゴン・スペルを避けるために後退して大きく距離が開いているため、十分に防ぐことができただろう。

 

(私は今、詩人としてこの場に立っているのだ。英雄の介添え人として、彼らの武勲を見届けるものとして) 

 

 この戦いが終わったら、また新しい英雄の歌を作らなくてはなるまい。

 それは、とても嬉しいことだった。

 

 ウィルブレースは、英雄を希望であり、やがて憧れとなり神話となる、永遠の友であるものとして捉えていた。

 


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