Neverwinter Nights - Deekin in Halkeginia   作:ローレンシウ

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第百三十四話 Each one's thought

 前線に出て門前に立ちはだかる敵の正体を見極めたオルニガザールは、心の中で舌打ちをした。

 

(ええい、クソが! よりにもよって、“緑ハゲ”が相手か!)

 

 それは、デヴィルの『軍人』たちの間で、『眠れる者』のようなプラネターのことを指すのに使われるスラングであった。

 彼らがエメラルド色の体色をしており、髪の毛などの体毛が生えていないことからだ。

 プラネターは天上の次元界で将軍の役割を務めているため、セレスチャルの中でもデヴィルやデーモンのようなフィーンドと交戦する機会が比較的多い。

 

 なんにせよ、オルニガザールがこれまでに遭遇したことのあるセレスチャルの中では、プラネターはおよそ最悪の部類に入る相手である。

 それほど強力な存在が、一体なぜここにいるのか。

 デヴィルだけではなく、どこぞの善の神々もこの世界に介入を始めたとでも言うのか?

 

(あるいは、何者かが呼び出したのか……? それは、件の『虚無』とやらか?)

 

 ……しかし、そんな詮索は自分のような軍人の仕事ではないし、後回しだ。

 今はまず、目の前の敵にどう対処するかである。

 流血戦争の戦場なら、こんな難敵の相手は部下に押し付けて自分はそいつらが刻み殺されている間に後退するか、さもなければより強力なコルヌゴンやピット・フィーンドにでも任せておきたいところだが……。

 

(今この場では、そういうわけにもいくまいな)

 

 そんなわけで、ル・ウールの挑戦に対する敵からの返事を待つ間に、オルニガザールは頭の中であれこれと作戦を立てていた。

 

 流血戦争の戦場における常套手段として、“イヌ”どもと“まとめ売り”どもをありったけ突撃させて足止めにするか?

 いや、別に使い捨てのヘルハウンドやメレゴンがどれだけ死のうが知ったことではないが、そんなザコではまず足止めどころか肉壁にもなるまい。

 プラネターは実に強大な信仰呪文の使い手で、必要とあれば《奇跡(ミラクル)》で神格による助力を請うことさえ許されているのだ。

 呪文ひとつで一掃された上に、とばっちりがこちらにまで飛んでくるのがおちだろう。

 

(それに、敵があの“緑ハゲ”だけということもないだろう……)

 

 セレスチャルどもがこちらの挑戦を拒むはずもないが、そうすると城内から更なる援軍が現れるはずである。

 よしんば仮にセレスチャルがあの緑ハゲ一体だけだったとしても、先立って木偶どもを『ヘクサゴン・スペル』とやらで消し飛ばした王族やその護衛どもが、奴一人に丸投げして城の奥で震えているだけなどということはあるまい。

 

 数合わせの連中には、そちらの相手をさせておくのがいいか。

 しかし、そうなると結局、あの緑ハゲの相手は自分と、少しは役に立ちそうな一握りの精鋭の部下どもだけで行うほかないということに……。

 

(チッ……)

 

 オルニガザールは内心で舌打ちをしながら、戦列の中央に陣取る“新兵器”に目をやった。

 身の丈十二フィートはある自分よりもさらに一回りかそれ以上も大きいそれは、バートルにおける自分たちの主、ディスパテル大公爵がまだ天界にいた頃の姿を模しているのだという。

 

 秩序だった計算ずくの戦いを旨とするデヴィルとしては、本来不確定な要素に頼るのは好ましくない。

 ましてやそれが、いけ好かない『魂の収穫者』どもの用意したものとあってはなおさらのことだ。

 だが、どうにもこのままでは分が悪そうに思えるし、デヴィルは実利を重んじる合理主義者だった。

 

(こうなればこの新兵器とやらも、前情報どおりの性能を発揮できることを期待して戦術に組み込むしかあるまいな)

 

 オルニガザールはそう結論を出すと、他にまだどんな敵が出てくるかはわからないものの、ひとまずプラネターへの対策を中心とした戦術を組み立てて部下たちにテレパシーで指示を与え始めた。

 そんな彼らの様子を、『眠れる者』は厳しい目をしながらも、ただじっと佇んで見守っていた。

 

 

 

「……待たせたな。どうやら他の者たちも準備は整ったようだ、挑戦を受けよう」

 

 ややあって、『眠れる者』は口を開くと、重々しくそう宣言する。

 

 それと同時に、ニューカッスル城の城壁を超えて二つの輝く姿が空中から城門の前、『眠れる者』の傍に降り立つ。

 いかにもバードらしい劇的な演出に、両軍の兵士たちからからおおっというどよめきの声が上がった。

 

「この者たちと私とで、お前たちの相手をする。異存はあるか?」

 

「ふむ……」

 

 部隊を率いるル・ウールは、新手の姿をじっくりと検分した。

 

 新たに姿を現した輝く姿のうちのひとつは、鼻先から尻尾の先までの全長が三十フィートはあろうかというドラゴンだった。

 全身は黄金色にきらめき、まるで金属製の彫像のよう。

 体を覆う鱗はすべて完璧に整った形をしていて、白熱したプラチナのごとく眩く輝いている。

 そしてその背中には、鎧のような光輝を身にまとって剣杖を手にした、細身の青年……あるいは女性だろうか……が、跨っていた。

 つまりは、俗にいう竜騎兵、ドラゴンライダーというものであろう。

 黒いマントを羽織り、騎士らしい制服に身を包み、顔の下半分だけを鉄の仮面で覆っている。

 羽飾りのついた帽子の下からは、その恐ろしげな装いにはいささか不似合いな、ウェーブがかった美しい桃色の長髪が流れていた。

 

 もうひとつの姿の方は、淡い虹色の光を放つ直径八フィートほどのきらめく球体だ。

 姿形だけを見ると下級のセレスチャルであるランタン・アルコンにも似ているが、それよりもかなり大きいし、放つ光の色合いも違っている。

 

 いずれもル・ウールの知識にはない相手だったが、流血戦争の戦場に立ってデーモンらを相手取ることもない彼は、ドラゴンにせよ自分たちデヴィル以外の来訪者にせよ、元よりあまり詳しくはなかった。

 

「……いいだろう。君らの勇気とその輝かしい上辺の姿が本物かどうか、すぐに明らかになることだろう」

 

 ややあってそう言うと、余裕ぶって鷹揚に頷いた。

 彼は自分を殺し得る手段を持たない人間の特攻に対しては悠然と構えていられても、本当に命の危険がある状況に自らの身を晒すことには慣れていない。

 それゆえにセレスチャルを相手の前線に立つことには内心かなりの不安があったが、思ったよりも敵の数が少なく、自分の盾となってくれる部下の数がそれよりも遥かに多いことを知って、いくらか安堵したのである。

 

 しかし、少し離れた場所でじっと敵の姿を観察するオルニガザールは、それほど状況を楽観視はしていなかった。

 

 どちらかといえば、比較的弱いセレスチャルが五、六人ばかり出てきてくれることを彼は期待していた。

 それならば想定の範囲内であり、流血戦争でデーモンどもを相手取るのとほぼ同じような感覚で、対策も立てやすい。

 だというのに、実際に出てきたのはまるで予想外の相手ではないか。

 

(……あのドラゴンは、この世界の種族か? どうも、そういった感じはせんが……。それに、乗っているのは人間のように見えるが、あれも姿を変えたセレスチャルなのか?)

 

 オルニガザールもル・ウールと同様、ドラゴンについては特に詳しくはなかった。

 バートルやそれにほど近い下方次元界に住むステュクス・ドラゴンやラスト・ドラゴン、パイロクラスティック・ドラゴンなどといった種族ならばいくらか見たことはあるが、それ以外の次元界や物質界に住むドラゴンについては流血戦争の戦場となるような次元界に姿を現すことは稀で、ほとんど知らない。

 目の前にいるのが天界山セレスティアの次元界に住む高貴なる竜、レイディアント・ドラゴンの比較的若い個体であるということは彼の知識にない。

 ましてや、そのレイディアント・ドラゴンが本物ではなくハーフドラゴン・ハーフコボルド(ディーキン)が姿を変えたものであることや、その背に跨っているのは《変装帽子(ハット・オブ・ディスガイズ)》で外見を変えてはいるもののセレスチャルではなく正真正銘の人間(タバサ)であるということなど知る由もなかった。

 

 なお、タバサが変装をしているのは、デヴィルとガリアに何らかのつながりがあることをほぼ確実と見ているディーキンが念のためにそうしてくれるようにと頼んだからである。

 上位のデヴィルの中にはタバサのことを知っている者がいないとも限らないし、彼女に目をつけられたりしてはたまらない。

 もっとも、彼女にこの姿に変装してもらっている理由は、他にもあるのだが……。

 ディーキンもウィルブレースに頼んでワルド戦でも使用したレイディアント・ドラゴンの姿に変身させてもらい、この姿では使用できない装備品の一部を、戦闘前のバフをかけるのと合わせてタバサに回した。

 

 もう一方のセレスチャルについても、これまたオルニガザールには見たことのない種族だった。

 ウィルブレースのようなトゥラニ・エラドリンは、一般に隠棲した生活を送っている。

 故郷の次元界である気高き緑の大地アルボレアの深い森の奥から姿を現すことは滅多になく、流血戦争の戦場で姿を見かけないのは当然のことだ。

 ましてや、いかにもエラドリンらしい人型の形態ではなく光球状の形態をとっていたのでは、仮に話に聞いたことくらいはあったにしても、実際に見てそれと識別することは難しいだろう。

 

 もしもこの場に《真実の目(トゥルー・シーイング)》の能力をもつエリニュスが生き残っていたなら、一見してディーキンやタバサの正体も、ウィルブレースの別形態についても見抜くことができたであろうが、従軍した二名ともが既に倒されてしまっていた。

 

(……チッ、どいつもこいつも)

 

 使えない連中に内心で悪態を吐きながら、思案を巡らせる。

 

 デヴィルの中でもそれなりに経験豊富な軍人であるはずの自分が見たことのない種族だということは、およそ戦闘には向いていない非好戦的なタイプのセレスチャルなのだろうか?

 しかし、そんな弱小なセレスチャルが、わざわざこんな場に呼ばれるものだろうか?

 

(どうにも、気に入らんな……)

 

 明らかに不十分な情報に基づいて判断を下さねばならないこの状況に、オルニガザールはいらついていた。

 

 流血戦争の戦場では、完璧だったはずの計画が圧倒的なデーモンの大軍勢の前に脆くも瓦解してしまうということがしばしばある。

 そんな戦いの前に感じるのとよく似た、どうにも不快な、不吉な予感がする。

 

 とはいえ、いまさら文句を言ってみても始まらない。

 

(ええい、愚直なナルズゴンどもではないが!)

 

 こうなれば、後は自分の立てた戦術を信じて、黙って戦うのみだ。

 

 オルニガザールはテレパシーを通じて、主要な部下たちと最終的な打ち合わせを行った。

 それを受けて、新兵器の近くにいたオシュルスが密かに、小声でその剣呑なゴーレムに行動の指示を与えていく……。

 

 

 

 前線に出て目の前のセレスチャルらに意識を集中していたデヴィルたちは、人間の兵たちの間で起きているざわめきには気付かなかった。

 

「あ、あれは……」

 

 ニューカッスル城の中でも、そしてレコン・キスタ陣営の中でも、齢五十近い、あるいはそれ以上の古参兵たちが、輝く竜に跨る騎士の姿を見て驚嘆に目を見開いていた。

 特にレコン・キスタ陣営の者たちは、怯えて声ばかりか、体まで震えている。

 

 レコン・キスタの指揮官であるル・ウール侯も伝説的な名将だが、彼はかなり過去の人物であり、肖像画以外で実際に目にしたことのある者はこの世にいない。

 もしいるとすれば、長命で知られるエルフくらいのものであろう。

 それに対して、城門の前で今まさにそのル・ウール侯と対峙している騎士は遥かに記憶に新しい伝説であり、実際にその姿を見たことのある者がまだ大勢残っていた。

 

「ど、どうしたんです、准尉殿?」

 

「……ま、間違いない。あれは烈風、『烈風』カリンだ! 昔、地上の戦で見たことがある……!」

 

 その名を聞いた途端、他の兵たちも同様に驚嘆と畏怖の表情を浮かべた。

 そう言われてみれば、確かに伝え聞く姿と一致するし、肖像画などに描かれている姿ともよく似ている。

 

 それは三十年ほど前にトリステインの魔法衛士隊長を務めていたという、伝説の騎士。

 かの王国で、いや、あるいは歴史上で最強かもしれぬほどの『風』の使い手。

 反乱軍をただ一人で鎮圧し、ドラゴンの群れを屠り、エルフであれ吸血鬼であれその前に立ちはだかることはかなわなかったという。

 恥ずべきことではあるが、風の王国と呼ばれるこのアルビオンの歴史においても、それほどの使い手はただ一人として記録されていない。

 こと風においてはあるいは始祖ブリミルその人さえ上回るかもしれぬと言われながらも、若くして引退しその姿を消した謎めいた人物である。

 顔を隠していたこととその端正な容貌から、あるいは男装の麗人ではなかったかとも噂されているが、定かではない。

 

 それが今、始祖ブリミルと天使たちと共に、ニューカッスル城の前に立ちはだかっている……。

 

「……い、いや、まさか! いくらなんでも、もういい年のはずです。見た感じかなり若いじゃありませんか、本物ってことはあるまい!」

 

「そ、そうそう。それに、『烈風』カリンは竜騎士じゃなくて、マンティコア隊じゃありませんでしたかね?」

 

 若い兵たちは口々にそう言って無理に笑ったが、その笑みは引きつっていた。

 

 考えてみれば、トリステインとアルビオンの王族は以前から懇意であり、この窮状を見かねた伝説の英雄が今一度立ち上がってかの国からやってきたとしても、そう驚くことではないかもしれない。

 それに、自軍を遠い昔に死んだはずの英雄が指揮し、死人が蘇って従軍している今、それ以上の奇跡を見せ始めた敵軍の側に三十年前の英雄が光り輝くドラゴンに跨って昔日のままの姿で天より降臨したからといって、そんなことはありえぬと言い切れようか。

 

 准尉は押し黙って俯いていたが、やがてぽつりと呟いた。

 

「……そうだな。だが、あれが本物かどうかは、すぐにわかるだろう」

 

 あれが本物であれば、必ずや“烈風”を起こすはずだ。

 姿形は偽れても、伝説となったその力までは、模倣のしようがない。

 あの力が三十年の時を経て今一度この場に現れるのであれば、誰もが信じざるを得なくなるだろう。

 

(その時は、降伏する以外あるまいな)

 

 天使であれ悪魔であれ、あの生ける伝説を敵に回して勝てるはずなどないのだから……。

 

 

 

 ルイズは内心はらはらしたり、微妙な気分になったりしながら、事の成り行きを見守っていた。

 なにせ伝説の『烈風』カリンとは、彼女の母の若き日の姿なのである。

 

 確かに、勇者や英雄の話を好むディーキンを喜ばせてやろうと、「実は私の母さまは」と、話したことはあった。

 その時に、大喜びで無邪気げに聞いているディーキンの姿を見てちょっと得意になったルイズは、サービスで以前に見せてもらった母の姿を『イリュージョン』で再現して見せてやったりもした。

 しかしまさか、それをこんな場所で利用されるとは……。

 

「……こんなことが母さまの耳に入ったら、なんて言われるかしら……」

 

 アルビオンを救うためなのだし、ディーキンにも自分にも決して否はないとは思うが、なにぶん母は規律にやかましく厳しい、というか恐ろしい人なのである。

 勝手に名前を利用させてもらったことで、機嫌を損ねたりしないといいのだが。

 

「……ま、まあ、空の上のアルビオンでのことだし。黙ってれば、母さまの耳には入らないわよね?」

 

 それに、ディーキンならたとえ母さまが怒っても、説得とか音楽とかで言いくるめてくれそうな気がしないでもないし……。

 

 ルイズはそう自分に言い聞かせて、気持ちを切り替えようとして。

 そこでふと、その頼れる自分のパートナーと、それに引っ付いている少女のことを思い浮かべた。

 

 下の方を見ると、母さまに化けたタバサとディーキンがべったりしている。

 というか、タバサがディーキンに跨っている。

 

(でで、デート気分か!)

 

 ルイズの口の端がひくひくした。

 ああもう、べたべたするんじゃないわよ、いやらしいわね!

 

 いや、別にタバサはディーキンがドラゴンに化けてるから、その上に乗っかっているだけなのだけど。

 なんとなく、そんな気がしたのである。

 

 っていうか、後で私も乗せなさいよ。

 そんなことができるなんて聞いてないし、何でパートナーの私よりもタバサが先に乗ってるのよ。

 まったくもう……。

 

 

 

 ルイズにいささかじとっとした目で見られ、兵士たちから口々に噂されている張本人であるところのタバサはしかし、そんなことには気付いた様子もなく。

 レイディアント・ドラゴンの姿になったディーキンの大きな背にそっと手を這わせながら、ほうっとため息を吐いていた。

 

(……なんだか、どきどきする……)

 

 母を取り戻したにせよ、戦いの日々を受け入れて凍てついた心がすぐに融けることはないし、融けたとしても、昔のままでは決してない。

 あの頃の、無垢で、無知で、無力な少女に戻れるわけでは、戻ってしまうわけではない……。

 

 それと同じことで、きっかけはどうあれ一度変わってしまったらもう、以前の自分には戻れないのだ。

 

 薬の影響は消えても、一度相手を魅力的だと感じてしまった、求めてしまった、その事実も記憶も消えてなくなることはなかった。

 あのラ・ロシェールの夜に彼に身をすり寄せたときに覚えた渇望、焼け付くような胸の疼きは、いまだに鮮明に思い起こすことができる。

 そうするたびに、喉や肌が微かにまた、じりじりと焼かれるかのような感覚を覚えた。

 

 あんなことがなかったら、たとえキュルケに嗾けられたにしても衝動的に飛び出して、今こうしてこの場にいるなんてことはなかったのではないだろうか。

 以前の自分からは、とても考えられないような行動だから。

 こうして、あのときよりもずっと大きく、なお分厚くたくましくなった彼の背中に手を這わせていると、なおさらに……。

 

 ぼうっとしてそんなとりとめのないことを考えていたタバサは、そこでふと我に返った。

 

(一体、何を考えているの?)

 

 戦いを前にこんな他所事を考えているなどというのは、これまでの自分には絶対にありえなかったことだ。

 

 大体、ディーキンに頼まれはしたけれど、かの『烈風』の真似事などが果たして自分にできるものなのだろうか?

 確かに同じ風系統のメイジではあるが、自分はまだトライアングル・クラスなのである。

 トライアングルの風を、これが伝説だなどと言って持ち出したりするのは、水たまりを海だと言い張るようなものだ。

 以前にフーケのゴーレムと戦った時、ディーキンはキュルケをサポートして呪文の威力を上げていた。

 けれど、せいぜいトライアングルの炎が、並みのスクウェア程度に強くなっただけ。

 自分の魔力はキュルケと大差ないのだから、仮にあの時と同じことをしても、やはり同様に並みのスクウェア・メイジと並ぶかどうかといった程度だろう。

 伝説の風だと言い張るには、無理がありすぎる。

 

 いや、それ以前にまず、圧倒的に数で優る強大な悪魔たちを相手に、果たして勝てるものか?

 もしかしたら、数分後には最後の時が訪れるかもしれないのだ。

 

 それなのに……。

 

(私、ぜんぜん心配してない)

 

 そのことを考えると、タバサはなんだかおかしくなって、口の端にかすかな笑みを浮かべた。

 

 だって、自分はディーキンの手伝いがしたい一心で、ここに来たのではなかったのか?

 でも、いざこうしてみると、彼が負ける心配など少しもしていない。

 不謹慎だ、自分の心が弱くなったのではないか、などと自省してみようともしたが、どうしても本心からそんな気分になることはできなかった。

 

 だって、自分はいま、ディーキンに『乗っかっている』のだから。

 いろいろな意味で。

 

(世界に、これよりも安らげる場所があるだろうか)

 

 ……そんな馬鹿げた考えが浮かんでくるあたり、確かに自分は浮ついているのだろうけれど。

 

 戦いを前にしてこんなに心に余裕があるなんて、初めてのことではないだろうか。

 あの、冷たく張り詰めた『雪風』は、一体どこへ行ってしまったのやら……。

 

『ごめんなさい。私、気が抜けてるみたい』

 

 ディーキンにそんなテレパシーを送ると、彼の方も気楽そうな返事を返してきた。

 

『よかった。タバサが心配してないなら、ディーキンも安心していられるよ』

 

 きちんと作戦を立てて真剣に戦う、それはもちろんのことだが、必ずしもくそ真面目にしていればいいというものではない。

 ある種のデヴィルみたいに絶えず偏執的にそわそわしていても、かえって実力が発揮できないものである。

 

 

 

 なにはともあれ、いよいよ決戦の時だ……。

 


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