Neverwinter Nights - Deekin in Halkeginia   作:ローレンシウ

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第百三十九話 Puppet regime

 アルビオンの首都ロンディニウムにある、王城ハヴィランド宮殿。

 その一角にある名高い純白の広間・ホワイトホールに、いま、レコン・キスタの将官達が集っていた。

 

 円卓を囲んで座る十余名の高官達は、みな一様に重苦しい表情をしている。

 

「我らは、ニューカッスル城へ差し向けた主力部隊の大半を失いました。天使軍は壊滅、巨人や亜人の群れは壊走。数万を数えた兵の半数以上は、降伏して王党派に帰属したようです。それ以外の兵はほとんどが戦死、もしくは散り散りに遁走したと思われます。その中で我が軍に帰参したものは、わずか二千名足らず……」

 

 一人の将軍が、憔悴しきった顔でそう報告をする。

 彼はまだ年若く、つい先日までならばこの最高会議に顔を出すことなどは遠い夢でしかなかった。

 

 その夢がかなった今は、だが、少しも嬉しそうな顔ではない。

 蘇った伝説の名将ル・ウール侯や老練なホーキンス将軍をはじめとする上位の将軍達の多くが戦死、もしくは敵側に帰順してしまった上、ニューカッスルの攻城戦における大敗を知って姿をくらませた将官も相次いだために、席が回ってきたに過ぎないのだから。

 むしろ、自分も早く逃げておけばよかったのにと後悔しているくらいだった。

 

「軍の士気は、日に日に落ちてゆく一方です。どうやら残存する兵の多くも、既に先の敗戦を知っているようで。持ち場を放棄して姿をくらませる兵が相次いでいるとの報告が上がっております。先日は、一隊が丸々離反するという事件も起こりました」

 

「ニューカッスルへの侵攻軍に同行していた艦隊も、旗艦レキシントン号を含め全艦が失われました。完全に破壊された艦もあるでしょうが、その多くは鹵獲されたか、乗員が艦ごと投降して敵に引き渡したとみたほうがよいでしょう。その他の兵器も、武器弾薬や食料もです。すなわち我らは数と物量の上での優位を失い、制空権も失ったのです」

 

「我ら神聖アルビオン共和国の統治下にある複数の集落で、暴動や不服従が起こっています。どうやら各地を回って王党派の勝利を伝え広め、我らの非を鳴らしている詩人や演説家がいるようです。無論敵側の工作でしょうが、中には駐屯している兵どもまでが市民達に同調し、あるいは数の上での不利と士気の低下のために任務を放棄して、王党派に完全に帰順した都市も既に……」

 

 次々に、暗い報告がされていく。

 

 高官達は押し黙ったまま、互いに顔を見合わせた。

 まるで、この中の何人が明日もまだこの場に姿を見せるのだろうかと、それぞれの顔色を窺ってでもいるかのようだ。

 

 彼らはそれから、座の中心に控えた神聖アルビオン共和国議会議長にして初代アルビオン皇帝であるクロムウェルに、非難するような目を向けた。

 

「……報告によれば、ニューカッスル城には始祖が降臨し、王党派に味方したという噂が流れておるそうですが?」

 

「そうらしいな」

 

 クロムウェルはしかし、そんな視線にも動じずに涼しい顔をしたままで、責めるような口調での問いかけにも鷹揚に頷いて見せた。

 

「愚かなことだ、そのようなことがあるはずがない」

 

 そんな彼の態度に不快感を覚えた高官達は、いきり立って口々に言い募る。

 

「ただの偽りだというのか! であれば、なぜ百倍以上の兵力を持っていながら、我ら『神軍』が敗れたのですかな?」

 

「そうです。逃げ帰ってきた兵どもによれば、敵軍が始祖の加護を受けているという証は他にもあったそうですな。かの『ヘクサゴン・スペル』に始まって、天使の降臨、さらにはかの『烈風』までもが、数十年の時を経て再び姿を現したそうではないか!」

 

「失礼ながら、閣下の『虚無』によって蘇った兵士達も、天使達も、敵軍の前には無力だったらしいですが……」

 

 皇帝に対してあまりに無遠慮で不敬な態度だといえたが、それこそが彼の権威が既に半ば以上崩壊し、風前の灯火になっていると誰もが思っている証だった。

 

 別段クロムウェルに敗戦の責任があるというわけでもないのだろうが、そうであっても彼は始祖の加護は我らにあると保証し続け、レコン・キスタの将兵たちをここまで導いてきた張本人。

 それが突然すべてひっくり返り、天国から地獄へ突き落されたような状況になったことについて、説明と責任を求めたくもなる。

 

「ミス・シェフィールド」

 

 クロムウェルから声をかけられて、それまでは秘書として彼の背後に黙って控えていたシェフィールドが、頷いてすっと進み出る。

 彼女は羊皮紙に目を通しながら、よく通る声で説明を始めた。

 

「状況から判断して、おそらく敵方にも『虚無』の使い手がいると思われます。それゆえ、閣下の力に対抗できたのです。始祖の似姿や蘇った英雄なども、それによって作り出されたものかと」

 

 その報告を聞いて、将官達の間に動揺が広がった。

 クロムウェルは彼らをなだめるように手を広げて、にっこりと微笑んだ。

 

「驚くことはない、彼らは腐っても始祖の血族ゆえ、そういうこともあるだろう。思わぬ不覚をとったが、要は、どちらにより強い加護があるかを示せば良いのだ」

 

「どちらにより強い加護があるか、ですと?」

 

 それなら、現状で既に答えは出ているようなものではないのかと言いたげな険しい表情で、高官達がクロムウェルを睨む。

 

 彼の動じない態度は、自軍が優勢の時にはいかにも頼もしく、超然とした力の使い手らしく感じられたものだ。

 しかし、こうして追い詰められた今となっては、状況を理解していない世間知らずな僧職あがりゆえの楽観的態度、現実が見えていない悠長な理想論者のそれだとしか思えなかった。

 

「さよう、次の戦で勝てばよい」

 

 それでも、あくまでも悠然とした態度を崩さない皇帝のその言葉に、参謀本部の将軍も覚悟を決めたような顔で頷くと、立ち上がって自分の意見を述べた。

 

「我らは数の優位を失いましたが、それでもここロンディニウムには、まだ万を超す兵がおります。敵軍の兵は総勢でその三、四倍はおりましょうが、大半は我が軍から投降して間もない兵ばかりで、忠義や士気など不十分な点も多いはず。こちらに勝ち目がないというほどではありません」

 

 どうあれレコン・キスタの側について戦うと決め、これだけの地位を与えられた以上は、いまさら投降するわけにもいかない。

 状況ははっきりと悪いが、それでも勝利を得るために最善を尽くすつもりだった。

 

「ここは閣下に兵たちを鼓舞していただき、早期に残存部隊をまとめ、主力軍を編成し直して再度決戦を挑むべきかと」

 

 しかし、クロムウェルは首を横に振った。

 

「いいや。主力軍はまだ、ロンディニウムから動かさぬ」

 

「閣下、我らには時間の余裕はないのです。このまま手をこまねいていれば士気も兵力もじりじりと削られるばかりで、領地も次々と失っていくことになりましょう。座して敗北を待つおつもりですか?」

 

 まして、時間が経てば静観を決め込んでいた地上の国々も、どうやら楽に勝てる戦だと見て王族側を助けることで戦後に見返りを得ようと参戦を表明してくるかもしれないのだ。

 ここはどうにかして敵軍に手痛い打撃を与え返し、こちらがそう容易くは敗北しないということを王党派に、また民衆や他国に対しても示さねばならない。

 

 クロムウェルは、再び首を横に振った。

 

「領地は取られても構わぬ。その前に、住民たちから食料を取り上げて、駐屯部隊を撤退させるのだ。敵は占領した都市で兵糧の補給を行うどころか、その都度少ない食料を住民たちに与えねばならぬはめになるだろう。足止めとしては効果的だ」

 

 将軍はそれを聞いて驚き、次いで、不快そうに顔をしかめた。

 

 確かに、アルビオンの王族達は自国の民衆を見捨てるわけにはいかず、施しを行い、軍の侵攻は遅れるであろうが……。

 元は聖職者であるとも思えぬ非人道的な策だ。

 それに、そんなことをして勝ったとしても、民からの深い恨みを買うだろう。

 その後の統治に重大な悪影響を及ぼすはずだが、そういったことは考慮していないのだろうか。

 

(まさか、民が餓死しても『虚無』で蘇らせればよい、民の心も『虚無』で操ればよい、とでも思っているのではあるまいな?)

 

 自国の皇帝に対する嫌悪感を胸中で膨らませている将軍の様子など気にした風もなく、クロムウェルは得々と演説を続けた。

 

「ついでに、余が水源に『虚無』の罠を仕掛けてやるとしよう。いささか面白いことになる、なまじ防衛戦を行うよりも効果があるかもしれぬ」

 

 そう言いながら、自分の手にはめた指輪を弄る。

 

「……ですが、時間を稼いでどうされるおつもりなのです。その後、このロンディニウムで籠城戦を行うのですか。各地から接収した兵糧を運び込んで?」

 

 将軍は不快なのを押し殺して、そう質問した。

 

 皇帝はそんな部下に対して、わずかに肩を竦めて微笑みを浮かべて見せる。

 その場違いで顔に張り付いたような笑みを見ていると気分が悪くなってくるので、将軍はさりげなく顔を伏せた。

 

「なに、余も現状の残存兵力で敵を倒せるとは思っておらぬ。時間を稼げば……」

 

 クロムウェルはそこで一度言葉を切って席から立ち上がると、勿体ぶって手を大きく拡げながら先を続ける。

 

「……交差する二本の杖が到着し、余の『虚無』とともに、つかの間の勝利に驕り高ぶる王族どもに、そしてそんな者どもに誑かされた愚か者どもに鉄槌を下すことになるのだ!」

 

 その場にいた者たちは、一瞬、その言葉の意味を計りかねた。

 しかし、じきに一人、また一人と彼の言わんとするところを察して、会場にざわめきが広がっていった。

 

 交差する二本の杖。

 それは、ハルケギニアでも随一の大国、ガリア王国の紋章である。

 

「では、ガリアが我らの側に立って参戦するというのですか!?」

 

「ガリアが味方につけば、怖れるものなどない!」

 

 クロムウェルはにわかに沸き立った高官達に対して、口髭を弄りながら少し小首を傾げて微笑みかけた。

 

「そこまでは申しておらぬ。いや、なに、ことは高度な外交機密であるのだよ……」

 

「……」

 

 会場の興奮をよそに、参謀本部の将軍はじっと俯いて、今の話を検討してみた。

 

(ハルケギニアの王制に叛旗を翻すことを宣言した我らに、ガリアの王政府が味方するだと?)

 

 一体いかなる理由で、そのようなことがあり得るのだろうか。

 にわかには信じがたいが、しかし、仮にも皇帝ともあろうものが、まさかその場しのぎで口から出まかせを言っているというわけでもあるまい。

 

 確かに大国ガリアが味方に付くというのならば、たとえ直接兵を派遣してくれるわけでなくとも、艦隊を見せつけて敵軍を牽制してくれる程度でも、状況は激変するはずだ。

 こちらから離反しようとする者は激減し、考え直して敵軍から戻ってくる者は増えるだろう。

 ゲルマニアやトリステインといった他国も、ガリアが敵側についているとあっては、迂闊に介入するわけにはいかなくなる。

 

「……かしこまりました」

 

 未だに半信半疑ではあるが、それが事実ならば、確かにガリアの助力を待つのが最善であろう。

 

「それは、まことに明るい知らせですな。外交機密では、民や兵どもに知らせてやれぬのが残念ですが」

 

 

「はっ、はあ、は、ぁー……」

 

 会議を終えた後、クロムウェルは元は王の寝室であった巨大な個室で、頭を押さえながらぐったりと椅子にもたれていた。

 不安げに歪んだ顔を汗が伝い、体は小刻みにかたかたと震えている。

 

 先ほど将軍はこの皇帝の冷血であることを嫌悪したが、それは正しくない。

 民に対して冷血なのではなく、何も考えていないのだ。

 彼はただの傀儡であって、ただ言われたとおりに喋っているだけであって、本当のところは自分の心配だけで手一杯なのだった。

 

「ご苦労さま。今日はいつもほどは会場を熱狂させていなかったわね、司教殿?」

 

 その傍に立ったシェフィールドが、以前の役職名でクロムウェルに呼び掛けた。

 会議の時の慇懃で忠実そうな様子とはうって変わって、彼のことを冷たく見下している。

 

「は、はっ……。もも、申し訳ありません!」

 

 クロムウェルは椅子から転げ落ちるようにして、シェフィールドの足元に跪いた。

 恐怖に震えるその姿には先ほど見せていた余裕や威厳はどこにもなく、ただの小心なやせ男であった。

 

「別に、責めているわけではないわ」

 

 シェフィールドは、そっけなくそう言った。

 

 この男は、ただ司教時代に見せていたその優れた演説の才を見込まれて、彼女の主であるガリア王ジョゼフから選ばれた傀儡に過ぎない。

 王になってみたいという、酒の席での戯言を叶えてやる形で、この男をアルビオンの皇帝にしてやることにしたのだ。

 望み通り王になれたのはもちろんのこと、彼がかつて些細なことからアルビオンの王族に恥をかかされたと感じ、恨みに思っていたこともあって、貴族たちをまとめて王族に復讐することも存分に愉しんでいたようだった。

 

 だが、所詮は小物。

 状況が急変し、このままでは王党派に敗北して間違いなく惨たらしい処刑が待っていると思うと、恐怖に体が震えて歯の根も合わないらしい。

 それでも、舞台に立てば威厳のある態度を繕って、難なく芝居をこなせるその役者ぶりだけは大したものだったが。

 

「私はこれから、あなたが部下どもに約束した罠を仕掛けなくてはならないわ。『アンドバリの指輪』を」

 

 クロムウェルは恐る恐る指輪を外して、シェフィールドに手渡した。

 

 彼がシェフィールドに指示されて『虚無』と称している、死者に偽りの生命を与えて蘇らせる力は、実際にはこの魔法の指輪によるものだった。

 シェフィールドがガリアの魔法騎士と共にラグドリアン湖へ赴き、そこに住まう水の精霊から奪ったのだ。

 正体は先住の『水』の力の結晶であり、『風石』などと同じくこの世界を司る力の源から生じた雫だが、その中でも非常に強く秘めた魔力が凝縮されてできている、先住の秘宝とでも呼ぶべきものである。

 

 シェフィールドはそれを受け取ると、さっさときびすを返して出ていこうとした。

 そこに、クロムウェルが縋りつく。

 

「おお、お待ちを! ミス、ミス・シェフィールド! あ、あのお方は、あのお方は本当に、この忌まわしい国に兵をよこしてくださるのでしょうか! 新兵器や、天使の兵の増援部隊は!?」

 

「ええ、来るでしょう……おそらくは」

 

 シェフィールドはそのうっとおしいやせ男を振り払うと、いかにも面倒そうに答えた。

 

 もちろん、主であるジョゼフの気まぐれさを考えれば確約はできないし、その兵が彼を助けるためのものであるという保証などなおさらないが、そんなことは彼女の知ったことではない。

 ジョゼフ以外の相手など、彼女にとってはどうでもよいのだった。

 

「お、お待ちを、ミス! せめて、せめてガリアが兵をよこしてくれるという、確実な保証を……!!」

 

 シェフィールドは嫌悪感に顔をしかめて、ゴミを見るような目で肩越しにクロムウェルを睨んだ。

 

 一瞬、甘えるなとでも言って、蹴り転がしてやろうかと思ったが……。

 しかし、お飾りの皇帝があまり精神不安定になって、兵どもの前で情けない振る舞いをしてしまっても困ると思い直す。

 

 こんな男のために、ほんのわずかでも貴重な秘宝を使ってやるのはもったいないのだが、まあ仕方あるまい。

 

「……確実な保証? お前が欲しいのは、安心だろう」

 

 シェフィールドは冷たい声でそう言いながら、アンドバリの指輪を手でつまんだ。

 彼女の額にあるルーンが輝き、光が溢れ出す。

 それから体をかがめてクロムウェルの顎を掴み、強引に上向かせると、怯えたような顔をしているそのやせ男の額に指輪の石をそっと押し当てた。

 

「……ほ、ほぉお、おおぉおおぉぉ……!?」

 

 がくがくと、電流でも流されたかのようにクロムウェルは震えた。

 そのままぐるんと白目を剥いて、床の上に崩れ落ちる。

 

「目が覚めたときには、不安は消えている。お前はもう、何も恐れない。最後まで夢を見たまま、踊り続けなさい」

 

 シェフィールドは命令でもするかのように床に伸びた男にそう言い放つと、今度こそ部屋を後にした。

 

 死者に生命を吹き込むことなど、この指輪の機能のひとつに過ぎない。

 本来、『水』の力は生命体の組成を司るものである。

 死者に生命を吹き込むことも、傷を癒すことも、身体能力を高めることも、体という器に宿っている心を操ることもできる。

 メイジですらないクロムウェルには教えられた一種類の使い方しかできなかったが、『神の頭脳』たるミョズニトニルンならばこの指輪の力を最大限に引き出すことができるのだった。

 

 もちろん、この指輪を使えば先ほどの会議でクロムウェルに指示して言わせたように、水源に罠を仕掛けることなどもできるし、後々やるかもしれないが……。

 今のところは、それはしばらくの間城を留守にして出掛けるための口実だった。

 密かに調査を進め、誰が『虚無』なのかを突き止めて、接触を計るのだ。

 

(天使の目を欺くことは魔法の変装でも難しいと聞くが、しかし、わざわざ危険を冒してニューカッスル城へ潜入しなくとも、この指輪を使えば安全に楽に情報を引き出すことができる。兵士を傀儡に仕立てて、より詳しい情報を集めさせてくることもできる)

 

 そして、聞き出した後でその記憶を消しておけば、証拠もまず残らない。

 

 事前に入ってきた情報によれば、王党派は近日中にニューカッスル城を引き払う予定で、その前に戦勝の宴を催すらしい。

 その騒ぎに紛れて、単独行動している適当な兵士を捕まえて調査していくのは、いともたやすいことだろう……。

 


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