Neverwinter Nights - Deekin in Halkeginia   作:ローレンシウ

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第百四十二話 Orcish Heroes

 

「まさかエルフが、オークの王に仕えていたなんてね……」

 

 ルイズはそうひとりごちながら、甘い飲み物のグラスに口をつけた。

 

 彼女が人間の王スレイが率いる他種族の同盟軍と、オークの王グレイが率いるオーク軍との戦いに当事者として参戦していたという話は、ディーキンからも聞いている。

 しかし、よもやスパイとしてグレイを傍で見ていたとは。

 そうなると、同盟軍とオークとの戦いの物語はもちろん、以前にディーキンが歌ってくれた若い頃のグレイの物語も、元々は彼女が本人から直接聞いたものを歌にして広めたということだろうか。

 

 美しく賢いエルフの女性が醜い腕力自慢のオークの男に従う話などというと、なにかいかがわしい本とかを想像してしまうが……。

 

「……でも。本当に仕えていたわけじゃなくて、あくまでもスパイだったわけでしょう?」

 

 そう尋ねられると、彼女のパートナーは意味ありげなにやっとした笑みを浮かべて、ちっちっと指を振ってみせる。

 

「それだけだったら、わざわざずっと後まで彼のことを歌い続けたりはしないでしょ?」

 

 そして、自分と一緒に、静かに話の続きを聞くようにと促した。

 

「あわてないで、もう少しお姉さんの歌を聞いてれば、きっとわかるよ……」

 

 それから、どんなことがあったのかを。

 

 

 

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「誤り、だと?」

 

「はい。詩人は伝道者や演説家ではないのですから、物語を歌いはしても、それを聞いてどう感じるかは聴衆に任せておくべきです。王の言われるような歌い手は、偉大な物語を歌うことよりも、自分の怒りを周囲に押し付けることを優先しておるような気がするのです」

 

「面白いことを言うな。敵への怒りを掻き立ててやることが、なぜ悪いのだ。その方が、兵どもも戦場で、一層勇敢に戦えるではないか」

 

「いえ、決して悪いなどとは申しません。ただ、詩人の振る舞いではないと思うだけです」

 

 グレイは詩人が真顔でそう言うのを聞いて、面白そうに笑った。

 

「小難しいことを考えるものだな。だが、なかなか面白い奴だ、気に入ったぞ」

 

 彼は自分の片腕である司祭のヴォルガフにここへ来るように言えと命じてから、もういいぞと手を振って、ウィルブレースに退出を促した。

 

「今度また、なにか聞かせてもらおうか」

 

「は……。今宵はさしたる芸も披露できず、失礼いたしました」

 

 ウィルブレースは、不味いのを我慢してクラッグの入った酒杯を一息に飲み干すと、グレイの部屋を後にした。

 

 

 

 彼女はその後も、たびたび王の下へ招かれ、信頼を得ていった。

 

 そうするうちに、彼のことも詳しく知るようになった。

 彼がオークの中でもひときわ賤しく貧しい、農民の生まれであったこと。

 一度は罪を犯して故郷を追われ、さまよう先で見た人間の農場の豊かなことに感銘を受けたこと。

 その技術を故郷へ持ち帰りたいものだと思い、友好的に接しようと努力したにもかかわらず、人間は初めから自分を見下して拒絶し続けたこと……。

 

 最終的に、彼は自分が礼を尽くそうとしているにもかかわらず嘲って剣を向けてきた数人の人間を殺害し、人間への失望と憎悪の念と共に、その者どもの首を手土産として部族の元へ戻ることを許された。

 その後、グルームシュ司祭のヴォルガフが彼を王として立てよとの神託を受けて後援者となり、自ら片目を捨ててアイ・オヴ・グルームシュと呼ばれる選ばれた戦士となったグレイは、短期間のうちにオークの諸部族をまとめる王にまでのし上がったのだという。

 

「わかるか、人間どもは世界のすべてが自分のためにあると思っている。異種族はすべて、自分たちより下等だと決めつけている。連中はいくら礼を尽くされようと、下手に出られようと、ますます相手のことを見下して下げた頭を踏みつけるだけなのだ」

 

 もちろん、それはオークも同じこと。

 だからこそ、どちらが正しいかはどちらが強いかで決まるのだと、グレイは言った。

 

「お前は、それでも敵への怒りを掻き立てるのは嫌らしいな。まあ、強要はせん。それは俺とヴォルガフの仕事だ、お前は歌っていればよい」

 

「恐れ入ります」

 

 ウィルブレースは、彼の憎悪が深く、もはや二度と人間に頭を下げる気がないであろうことを感じ取った。

 

 それでも、彼には理知的な面も確かにあることもわかった。

 戦うことの不利益の大きさと、戦わないことの利とを納得させられればあるいは、という希望もまだ捨てていなかった。

 

 

 

「……グレイよ。あなたが王となったのは、確かに司祭ヴォルガフ殿の言われるように天命であるのかも知れませんが。詩人としての私の立場から申し上げれば、それは同時に、繰り返す歴史の必然でもあるのです」

 

 ウィルブレースはある夜、思い切ってそう切り出してみた。

 

「ほう。お前は、またぞろ小難しいことを言い始めたな。どういう意味だ?」

 

 ウィルブレースはそこで、これまでにもたびたび歌ってきた、数々のオークの征服王たちにまつわる物語について、改めて言及した。

 それらはいずれも勇壮で残忍な戦いによって掴み取った栄光と、それに続く避けられぬ敗北、そして裏切りを繰り返す、凄惨で陰鬱な歴史ばかりだった。

 

 抑圧され困窮した時代に強大な征服者が立ち上がると、オークたちはそれに熱狂的に従い、勇敢に戦う。

 だが、勝利が続き、栄光に酔うと、オークの軍勢は弱くなる。

 どんなに強い王も、やがてみな敗れ、あるいは衰えて、最後は敵の手にかかるか、部下や身内に裏切られて命を落とすかなのだった。

 

「王も、これまでのところ、明らかにそれらの征服王たちと同じ道を歩まれているようであります。繰り返されてきた歴史のことを、私が知っていてグルームシュ神が知らぬはずはありませぬ。それを承知の上で、神は司祭殿にあなたを王として立てよとの神託を下されたのでありましょう」

 

 多産ゆえに人口が膨れ上がりすぎれば、概して痩せた土地に住み農作業などもろくにしないオークとしては、同族同士で殺し合うか、他種族に戦いを挑むかするより他にはなくなる。

 他の土地を奪い取るか、戦で数を減らすか。

 どちらにしてもそれによって、種としての生き残りの道が開けるのだ。

 

 その証拠に、オークの人口が膨れ上がり、困窮が耐え難いほどになった時期には、決まって大きな戦いが起こっている。

 典型的にはまず同族同士の大規模な殺し合いが起こり、次にその結果統合された軍勢を率いての、他種族への戦が始まるのである。

 

「ゆえに、グルームシュ神はそろそろまた他種族との戦いが必要だと、そう判断したのではないでしょうか」

 

 話しながらもウィルブレースは、少なからず緊張していた。

 これまでに十分王からの信頼と好意は得ていると判断した上でのことだったが、もしもその見立てが誤っていれば、機嫌を損ねた王に死を宣告されるかもしれぬ。

 

 しかし彼は、話を聞き終えると意外にも愉快そうに笑った。

 

「なるほどな。俺は、勝てば作られた英雄として死後にグルームシュの傍近くに座る権利を与えられるが、負ければ奴の慰みのために潰される、都合のいい道具だというわけか?」

 

「いえ、もちろん、私には神の考えはわかりかねますが。ただ詩人としての知識からは、そうも考えられるかと……」

 

「ふん。グルームシュも、存外敗北主義者なのだな」

 

 グレイはいかにも軽蔑したように、鼻を鳴らした。

 

「大地のすべてはオークのものだと教えておきながら、初めから敗北を考えに入れているとはな!」

 

「まあ。現実として、常勝というわけにはいっておりませんからな。神としては個々の定命者の小競り合いなど些事で、最終的にオークが勝ち残ればよいのでしょう。大望は大望として、まずは……」

 

「そんなことはどうでもいい。面白い話だが、俺は気長な神の考えなど知らんし、もう死んだ昔の連中のことも知らん。それで結局、お前は何を言いたいのだ?」

 

「はい……」

 

 ウィルブレースは、ひと呼吸おいて気持ちを落ち着けてから、自分の提案を口にした。

 

 この申し出こそ、最も自分の首を危うくするかもしれぬものだ。

 それを覚悟した上での話だった。

 

「……王がこのまま人間どもと戦えば、おそれながら過去の征服王と同じ道を辿られるやもしれません。人間どもは姑息で恥を知らぬ連中かもしれませんが、それ故に侮れません。エルフどもやドワーフと組む可能性もありますし、実際に過去の例ではそのような連合軍に敗れた征服王もありました。負けるとは申しませんが、必ず勝つとも申せぬかと……」

 

「それで? やつらも、こちらが軍を集めていることはもう知っていよう。国境近くでは、既に小競り合いも起こっていると聞く。俺に、いまさらやつらに頭を下げて和解しろとでもいう気か?」

 

「いえ、王は人間どもに頭を下げられる必要などはございません。やつらとて、これだけの軍との戦いはできることなら避けたいと思っているはず。私は、詩人として各地を回り、連中との話し方も多少は心得ております。なんであれば、私にお任せいただければ、必ずやこちらに有利な条件で話をまとめてみせましょう」

 

「ふん? 詩人の身で、自分を使者として売り込もうというのか?」

 

「はい。図々しい奴よとお思いでしょうが、もしも失敗したならば、生きて王の前に戻りはしませぬ。和平の条件として、たとえば王が最初に求めておられたという、農耕技術の提供を要求することもできましょう。連中は血が流れず懐も痛まない知識の提供で済むなら御の字と思うはずです。それを元に土地を肥やし、収穫を増やせば、数十年の後には我らもより豊かになり、さらに力を蓄えられていましょう。戦いを挑むのは、それからでも遅くはありません」

 

 もちろん、実際にはウィルブレースは、数十年後にも戦いなどを起こさせる気はなかった。

 オークたちも、ある程度の豊かさを得て現状でそこそこ満足できるという状態になれば、もう無理に他種族に戦いを挑もうとも思わなくなるだろうと踏んだのだ。

 

 しかしグレイは、手を振ってそんなウィルブレースの話を遮った。

 

「興味はないな。俺はいま、戦って勝つ。人間どもにも、エルフどもやドワーフどもにも勝つ。勝ってすべてを手に入れる、それだけだ」

 

「ですが……」

 

「どうも詩人というものは、古い話を集めている間に、だらだらと長く生きるエルフどものような心持ちになってくるらしいな?」

 

「!」

 

 ウィルブレースは、まさか正体を見透かされたのかと思って、一瞬どきりとした。

 しかし、グレイは皮肉っぽい笑みを浮かべながら、そのまま話を続けた。

 

「お前は人間どもを、エルフやドワーフどもも納得させられると思っているのかもしれんが、同族を納得させられないことを忘れているようだ。戦に逸った兵どもが、いまさら戦いを止めて解散するなどと言って納得するとでも思うのか。数十年も待てと言って通ると思うか」

 

「…………」

 

「自分が生きている間に得られない実りなど、オークにとっては無意味ではないか。それこそ、俺は平和などを求める惰弱な裏切り者として、誰かに背中から刺されることになるだろうな。その後は他の誰かが軍をまとめ直し、和平の合意などさっさと破棄して人間どもに戦いを挑む。お前が言う神だか歴史の必然だかがどうかは知らぬが、少なくともオークはいま、間違いなく戦いを求めているのだ!」

 

「は……、差し出がましいことを申しました。どうかお忘れください」

 

「構わん、なかなか興味深い話ではあったぞ。また聞かせよ」

 

 そう言って手を振るグレイに一礼して、ウィルブレースは彼の前から辞した。

 彼を説得できないことを悟って、無念の気持ちを抱きながら……。

 

 

 

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「……詩人は結局、グレイ王の説得を諦め、以降はオークたちの動向を同盟軍に伝える本来の任務に専念することにしました」

 

 グレイの信頼を得て、彼の人柄にも詳しく触れた上でのそのような背信行為を、心苦しく思わなかったわけではない。

 それでも、ウィルブレースには同盟軍のために動く以外の選択肢はなかった。

 オークの勝利は、すなわちエルフの友人たちや、人間、ドワーフの惨たらしい虐殺を意味する。

 

 同盟軍の指導者であるスレイ王は、彼女からの報告には必ず自ら目を通し、それに基づいて対策を練った。

 また、エルフの集落に留まっていた彼女の友人であるオーク詩人のミルグにも、他の者たちの反対を退けて自ら丁重に接し、たびたびオークの戦術について教わったり、意見を仰いだりしていた。

 彼は、人を見る目のある優秀な指導者だった。

 

「同盟軍は三つの種族からさまざまな技能を持つ優秀な兵を揃え、指導者も優れていました。さらに、情報的な優位も得ていました」

 

 両軍の内情を詳しく知る者には、戦う前から勝敗は見えていると感じられた。

 ある程度の犠牲は払わねばなるまいが、最終的な同盟軍の勝利はゆるぎないものだ。

 ウィルブレース自身も、そう思っていた。

 

「そうしてついに、決戦の日はやってまいりました――――」

 

 

 

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 典型的なオーク軍には、陣形などというものはない。

 大多数の兵たちはあまりに混沌としており、敵を見れば血気に逸ってどんどん攻撃をかけていくので、最初それらしいものを組んではいても、すぐに崩れてしまうのだ。

 

 しかし、グレイの軍は違った。

 グルームシュに認められた恐れを知らぬ指導者、アイ・オヴ・グルームシュである彼の命に、兵たちはきっちりと従った。

 そうすることで、彼らは更なる力を得られるのだ。

 

 一方で、スレイの率いる同盟軍もしっかりと組織されて、規律だった動きを見せた。

 エルフやドワーフの部隊は数こそ少ないが、兵たちはみな精鋭揃いだった。

 

 戦いは最初、予想に反するまとまった動きと予想以上の勢いのあるオーク軍に同盟軍が不意を打たれ、彼らの方が優勢と見えた。

 しかし、その後同盟軍が立て直すと、一進一退の攻防を見せ始める。

 そしてやがて、情報的な優位と魔法を始めとする多種多様な技能に基づく搦め手によって、同盟軍が次第に勝勢になっていった。

 

 オークの軍勢は、優勢なときは強い。

 しかし、自分たちが劣勢だとわかれば総崩れとなり、我先に逃げ出す。

 混沌にして悪のオークたちには忠義もなにもあったものではなく、王は結局のところその強さで部下たちを従えているに過ぎないからだ。

 王の方が敵より弱いと感じれば、兵たちはそれ以上従おうなどとはしない。

 

 

 

「ええい、踏み止まれ! 止まらんのなら、斬り捨てるぞ!」

 

 グレイは斧を振りかざして兵たちを叱咤したが、その刃が届かぬ範囲にいる兵たちを留めることはできなかった。

 敗走する兵たちは堰の切れた堤防から溢れ出す水のようなもので、一旦決壊が始まったらそれを元に戻すことはできない。

 

 彼の腹心であるヴォルガフは、どうか御身の眷属と御使いとを援軍として遣わしたまえと必死にグルームシュに呼び掛けているが、もはやどうにもならないだろう。

 いまさら一体や二体の来訪者が来たところでどうなるものでもないし、敗北寸前の僕のためにそれ以上の奇跡をかの邪神が起こしてくれるとも思えない。

 

(これで、あなたも過去の征服王たちに名を連ねることになるのだ)

 

 ウィルブレースは、心の中でグレイにそう呼びかけた。

 

 後方とはいえここは戦場であり、もう姿をくらましていてしかるべきだったが、ウィルブレースは従軍詩人として、いまだに彼の傍に留まっていた。

 それがなぜなのかは、彼女自身にも正確にはわかっていなかった。

 あるいは、仮初とはいえ仕えた相手に可能な範囲で忠義を尽くしたい、そのためにこの征服王の戦いの結末をできる限り最後まで見届けて、歌に遺そうと思ったのかもしれない。

 

 それでも、さすがにもう立ち去らなくてはならない時が来た。

 

 オークの姿をしている今の自分は、同盟軍の兵たちに見つかれば斬られてしまう。

 グレイがこの後、この場で最後まで戦って死ぬのか、逃げ去って裏切り者に殺されるのか、それは後で兵士たちの口から聞くことにしよう。

 ウィルブレースはそう考え、この場から立ち去るために、懐に忍ばせていた逃走用のスクロールに手を伸ばそうとした。

 

 しかしその時、グレイがウィルブレースの方を振り向いてこちらへ来いと手招きをした。

 彼女は少し躊躇したものの、逃走を少し先に延ばすことにして、それに従った。

 

「詩人よ。いつぞやのお前の話からすると、グルームシュめは敵があまり多勢なので、もはや勝ちは期待できぬと見切ったらしいな」

 

「…………」

 

「これで、俺の天命とやらは終わったのか?」

 

 ウィルブレースが返事に迷っていると、グレイはにやりと笑った。

 

「よし。ならば、これからどう行動するかで、ようやく俺の価値が決まるというわけだな」

 

「これから?」

 

 彼女は、不審そうに顔をしかめた。

 最後が目前に迫ったこの状況で、一体何をしようというのか。

 

「お前は自分の感情を交えずに、自分に見えたままの物語を歌って聞かせるのだろう?」

 

 グレイはそう言って少しだけ彼女から離れると、大きく手を広げた。

 その顔には敗北を目前にした絶望や怒りではなく、不敵な笑みが浮かんでいる。

 

「ならば、俺が何者かをしかと見ておくがいい。俺の名が歌の中にどのように残るべきかを、これからお前が判断するのだ」

 

 そこへ、青ざめた顔をした彼の腹心の一人がやってくる。

 

「グレイ王、敵が迫っております。早く後退せねば!」

 

「いいや、俺は逃げはせん」

 

「しかし、逃げねば死にますぞ!」

 

「逃げてどうなるというのだ。負け犬を故郷の連中が温かく迎え入れてくれるとでも思うか。グルームシュが、死後にその魂をひねり潰さないとでも思うのか?」

 

 グレイはそう言うと、周囲のオークたちに大きな声を上げて呼びかけた。

 

「いいか、奴らは俺の肉を引き裂き、骨を砕くだろう。だが、心を折ることはできん。奴らが俺たちの弱さを証明するか、俺たちが奴らの弱さを証明するかだ!」

 

「何が俺たちだ! そんなことは、あんたが一人でやればいいだろう!」

 

 兵の一人が、悲鳴のような声を上げた。

 それに同調する声が、あちこちで上がる。

 

「あんたが弱いから、この戦はもう負けなんだ!」

 

「グルームシュの怒りはあんた一人で引き受けな、何なら俺らが、今すぐ神の元へ送ってやろうか?」

 

 しかし、グレイは少しもうろたえず、かえって罵声を上げる連中を見下して不敵に嘲った。

 

「いま、俺を殺さぬほうが得だぞ。貴様らのような腑抜けどもに、殺せるとしての話だがな。俺は、これから奴らと戦って死ぬのだ。お前たちはその間に逃げ帰って、王が無能だったから負けたのだとでも故郷の連中に弁明するがいい。それで通ると……信じるならな!」

 

 そう言って、背後からナイフを突き立てようと忍び寄っていた一人の小兵の頭を、振り向きざまに拳で一撃のもとに叩き潰した。

 その光景に、王を弱いと非難する声がぴたりと止む。

 

「逃げに逃げて、人生の最後まで逃げて、最後にはグルームシュの前に引き出され、その魂を踏み潰されるのが貴様らの望みか?」

 

 そう言ってみなの顔を見渡してから、グレイは抉り取った右目に手を当てて、天を仰いだ。

 

「俺はごめんだ。どう生きても、せいぜい残り数十年の命ではないか。グルームシュはコアロンに片目を潰されたときに恐れをなして逃げたというが、俺は逃げん。死んで奴の前に引き出されたときにこう言ってやるのだ、貴様は俺より強いかも知れんが、俺の方が貴様よりも勇敢だったとな!」

 

 その勇ましい言葉に、兵たちがざわめく。

 彼らの目に、勇気と希望の火が再び燃え始めるのを、ウィルブレースはその目で見た。

 

 グレイはみなに見えるように、手にした斧をぐっと突き上げた。

 

「俺は誓う。俺の肉が土に還って、人間どもの土地を呪うことを。俺の魂はグルームシュの元へ向かう、何も恐れることなく。そして……」

 

 そこで、彼はウィルブレースの方を振り向いて、その肩に手を置いた。

 

「そして、俺の名は、貴様に委ねよう。詩人よ、オーク一の歌い手よ。貴様は何があろうとも生き残って、俺の戦いぶりを後々まで語り残すのだ」

 

 彼の言葉に感じ入った一人の戦士が、自分の斧を突き上げて宣言する。

 

「王よ、俺も踏み止まって戦うぞ。このロングモーンの名も、歌に遺してもらわねばな!」

 

 その感激は瞬く間に周囲の兵士たちの間に拡がり、彼らは我も我もと武器を突き上げては、名乗りを上げていった。

 

「このヘニンガーは、死ぬまでに人間どもの首を五つは上げてみせるぞ!」

 

「はん、たったの五つか! このモルツは、もう討ち取った二つと合わせて、十はとってみせるわ!」

 

「どうあれ、人間どもの心胆をだれよりも寒からしめるのは、このハートランドだ!」

 

「ぬかせ! このハイネケンこそが……」

 

 最後まで勇ましく戦い、後世まで詩人に歌われる。

 我らの肉は呪いとなって地に蔓延り、魂は天に、名は歌の中に生きる。

 

「…………」

 

 ウィルブレースは、呆然と立ち尽くしたまま、その光景を眺めていた。

 

 オークが、敗北の決まった指導者の下に留まり、最後まで忠義を尽くして戦い抜くなど、聞いたこともない。

 いや、個人としてはそのような者もいるだろうが、しかしこの数は異常だった。

 

(どうみても数十人はいる。いや、百人以上いるかもしれない)

 

 彼らはみな、王と運命を共にしようというのか?

 

 しかも、その目の光が尋常ではない。

 死を目前に控えているというのに、みな一様に活力に満ちた、希望に燃えるような目だった。

 

 確かにアイ・オヴ・グルームシュにはその命令に従う兵士たちに力を与える能力が備わってはいるが、明らかにそんな域を超えている。

 

(これは、英雄の目だ)

 

 ウィルブレースはこのとき、初めて戦の勝敗に関する不安を覚えた。

 百人の英雄に対して、その数十倍程度の数の同盟軍の兵士たちで、はたして勝ちを得ることができるのだろうか……?

 

(いや……、今なら、グレイの命は私の手の届くところにあるではないか)

 

 今、ここで彼を討ち取れば、この勢いは留められるかもしれない。

 

(私がやらなくては。今それができるのは、私しかいないのだ)

 

 ウィルブレースはそう自分に言い聞かせると、ギターの中に隠したインストゥルメント・ブレードの留め金にそっと、震える手を伸ばした。

 





インストゥルメント・ブレード:
 D&Dのサプリメント、「無頼大全」で紹介されている武器の一種。
弦楽器や管楽器の細長い部分に隠す仕込み武器で、留め金を外すと細い刃が飛び出すようになっている。
インストゥルメント・ブレードはダガーとして扱われる。

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