Neverwinter Nights - Deekin in Halkeginia 作:ローレンシウ
タバサがベッドで、ディーキンとの甘い夢を見ていた頃のこと。
キュルケは、自分にあてがわれた部屋でひくひくと引きつった笑みなどという彼女にしてはひどく珍しい表情を浮かべながら、目の前の相手を問い質していた。
「……これは一体、どういうことなのかしら?」
「見たとおりですが?」
対照的に、ウィルブレースはしれっとした涼しげな笑みを浮かべて、そう返事をした。
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『夜の宴の終わりまでに、どちらがより素敵な人を捕まえられるか』
ウィルブレースからそんな挑戦を持ちかけられたキュルケは、久し振りにやる気を出して男を物色していた。
微熱の赴くままに男をとっかえひっかえすることに慣れている彼女としては、一晩のうちに何人もの異性に声をかけて部屋に誘い、実際に相手をするのは一番気に入った一人だけにして後はすげなく追い払うなどということは日常茶飯事である。
とはいえ、さすがに先日一緒に命がけの戦いを勝ち抜いたばかりの勇士たちにそのような扱いをすることは、少々気が引けた。
それに、勝負の条件はより素敵な相手を捕まえることなのだから、量よりも質が重要である。
ゆえに、慎重にこれこそはという相手を一人だけ選ぼうとしていたのだが、ほとんどの参加者はステージ上で続いている緑髪の少女の歌に夢中で声をかけても気もそぞろのようだったし、まれにそうでない男がいたかと思えば既にお相手の女性がいたりで、なかなかこれという相手は決まらなかった。
いっそウェールズ皇太子ではなどとも考えたのだが、トリステインの姫君相手に誓いを立てている彼を口説くのは、さすがに一晩では難しいだろうし……。
(まあ、お開きが近くなってステージの歌が終わったら、誰かに声をかけましょう)
楽しい宴の続いている間はともかく、終わってしまって少し寂しくなったその後は、部屋に誘う相手が欲しくなるというものだろう。
そう思って、その時言い寄る相手を誰にしようかと検討していた頃に、思いがけず声をかけてきた相手がいた。
それはエルフの血でも混じっているのかと思うような細面の、それでいてたくましさも備えている青年で、キュルケも思わず軽く頬を染めるほどの美丈夫だった。
こんな美形がこの会場にいただろうかと思って尋ねてみると、つい先ほど元レコン・キスタ軍の陣地の方から用向きがあってやってきて、好意でこの場に参加させてもらっているのだということだった。
つまりは敗戦した側の人間ということだが、少し話してみた結果、キュルケはあっさりと予定を変更してその男を誘う相手にすることに決めた。
その男はただ見た目が美しいだけでなく、快活で機知に富んでいたし、女性の扱いにも慣れているようでとても紳士的だった。
それよりも何よりも、話している間に自分の中に微熱が灯ったのを感じたのが決定打だった。
何といっても自分がその時恋している相手こそが、その時の自分にとっては世界一いい男に決まっているのだから。
で、さっそくその男に誘いをかけて、快く受け容れられて。
今この場にいない競争相手のことを思い浮かべて、明日顔を合わせたら大いに自慢してやろうと勝ち誇りながら、意気揚々と部屋に連れ込んでみたところ……。
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「……ええ、見たとおりですわね。……で! なんでまた、男に化けて私に声をかけたりなんて悪ふざけをなさったのかしら!?」
ウィルブレースは向こうの会場で歌い終わった後、見目麗しい人間の青年の姿に変身してキュルケに声をかけ、彼女からこの部屋に招かれた後にそれを解いて正体を現したのであった。
「悪ふざけだなんて、そんな。もちろん、素敵な相手を捕まえるために決まっているではないですか。私は大真面目ですよ?」
問い詰められたウィルブレースは平然とそう答えながら椅子に腰を下ろすと、会場から土産に頂いてきたシャンパンの栓を開けて、キュルケの前に置いたグラスに注いだ。
それから、にっこりと微笑む。
「こうして私はあなたを、そしてあなたは私を、それぞれ捕まえたわけですね。それで、どちらの勝ちなのでしょうか?」
(……ぐっ……)
キュルケは一瞬言葉に詰まって、苦々しげに顔をしかめた。
確かに、言われてみれば「捕まえる相手が男でなければいけない」などという決まりはなかったわけだが。
この状況で自分の勝ちだと主張すれば、相手の方がこちらよりもいい女だと認めることになり、そんなことを誇り高きツェルプストー家の娘であるこのキュルケができるはずがない。
しかし、自分の方がいい女だと主張するならば、この勝負は彼女の勝ちとなる。
もちろん、ここで腹を立てて彼女を追い返したりしたなら、お互いに相手を捕まえられなかったということになって、二人とも負け……。
(つまり、最初からそういうつもりだったわけね?)
キュルケは、内心で歯噛みをした。
この女には初めから本気で勝負をする気などなく、ただこちらをからかうだけの腹だったのか。
まさかこの自分が、まんまとしてやられるとは。
確かに宴の間は退屈しなかったし、この予想外の趣向には心から驚かされた。
騙されたとはいえ不快なわけではない、気付かなかった自分が間抜けなのだ。
だがしかし、たとえそうであっても、してやられたままで済ませるというのはツェルプストー家の女としての沽券にかかわる。
自分に挑戦をもちかけたときには親しげなくだけた口調になっていたくせに、今はまた元のすました丁寧な調子に戻っていることも、なんとも気に食わなかった。
(……ふ、ふふふふ……)
キュルケの心の中で、情熱の炎が急激にめらめらと燃え上がっていく。
面白いじゃないの。
大方、この後は引き分けだとでも言って穏便に終わらせるつもりなんでしょうけど、そうはいかないわ。
(もっと本気で、こっちの相手をせざるを得ないようにしてやるんだから)
この私を、キュルケ・アウグスタ・フレデリカ・フォン・アンハルツ・ツェルプストーを子供扱いすると、どうなるのか教えてやる。
そんな彼女の心中に気付いているのかいないのか、ウィルブレースは沈黙を保ったままのキュルケに対して、くすりと笑って肩をすくめた。
「……どうやら、結論は出なさそうですね。では、今回は勝負なしということで。寝酒にそのシャンパンでも傾けて、翌朝に備えて休んでくださいな」
そう言って席を立とうとするウィルブレースの手を、キュルケの腕がしっかりと押さえる。
そのまま身を乗り出して、彼女の体をぐいと押すようにしながら、半ば威圧するように、半ば誘惑するように、その顔を間近で覗き込んだ。
「あら?」
「せっかちね。一夜も明かさずにどちらの方がいい女か結論を出すなんて、早すぎるでしょうに」
そう言うキュルケの目には、いつの間にか野生の獣のごとき危険な輝きが宿っていた。
きょとんとしたようなウィルブレースの様子を見て、にやりと不敵な笑みを浮かべる。
「大体、レディーの部屋に招かれて何もせず早々と帰るだなんて、失礼だとは思われませんこと? この際、まどろっこしい駆け引きはやめて、相手を情熱で焼き尽くせた方が勝ちということではどうかしら」
ウィルブレースは目をしばたたかせて、小さく首をかしげた。
「……はあ。つまり、このまま私と夜を明かすつもりなのですか? 後悔されませんか?」
「後悔も何も、部屋に連れ込んだ時点で、私にそのつもりがなかったとでも思うの? そちらこそ、こんないたずらを仕掛けておきながら、心の準備ができてなかったのかしら。まあ、そんな腰抜けと夜を明かしても仕方がないし、尻尾を巻いて退散されるというのなら、それでも構いませんけれど?」
キュルケは鼻を鳴らして、挑発的にそう言った。
が、直後にウィルブレースの目を間近で見て、ぎくりとする。
手酷い挑発を受けるや、彼女の目にもキュルケのそれと同じような、いやそれ以上の危険な光が宿ったからだ。
「まさか? まだ二十歳にもならない小娘を相手に大人気ないかと思って、逃げ道を用意してあげようとしただけよ」
満面に獰猛な笑みを浮かべてがらりと口調を変えたウィルブレースが、思わず怯んだキュルケを一瞬で押し退け、逆に押さえつけるように体勢を入れ替えた。
長身とはいえごく細身の体型、しかも女性であるにもかかわらず、その腕から感じられる膂力はキュルケがそれまでに寝床に誘い込んだどんな男よりも強い。
それでいて、決して乱暴ではなく、ただ相手を押さえつけるだけでその体を傷めない手慣れたやり方。
まるで、しなやかさと力強さとを併せ持った猫科の猛獣のようだ。
「でも、逃げずに噛み付いてこようというのなら、仕方がない……」
目を細めてくすくすと笑いながら、からかうように、嬲るように、目の前の無力な少女の頬をなぞる。
その振る舞いからは、自分は男も女もそれ以外もとう知り尽くしているのだといったような風格が、その目からは本物の余裕が感じられた。
ぞくりとした感触が、キュルケの背筋を走り抜ける。
(……も、もしかして、やばい相手に喧嘩を売っちゃったかしら?)
同じ野生の獣でも、自分が子猫だとしたら彼女は獅子、いやドラゴンだろう。
百戦錬磨だなどといっても、自分は確かにまだ二十歳にもならぬ。
これまでに相手にしてきたのはその凡そが、同じ貴族社会の軟弱で経験の浅い若者か、年配ではあっても欲望丸出しの御しやすい男ばかり。
もちろんツェルプストー家の女として、それ以外の相手でも手玉にとれるように手ほどきを受けてはいるが、いま目の前にいるような難敵を実戦で相手にするのは初めてであった。
「確かに、お行儀のいい天使さまじゃないみたいね……」
キュルケは緊張して思わず喉を鳴らしたが、それでも不敵な笑みを崩さなかった。
ともすれば蛇ににらまれた蛙のように萎縮してしまいそうになる自分に、なんの、相手が手強いほど燃えるじゃないの、と言い聞かせる。
とはいえ、このままでは明らかに分が悪そうだ。
どうにかして、事前に自分の有利に持ち込む駆け引きをしなければ。
「……ところで。始める前に、さっきの姿に戻ってくれませんこと?」
自分の頬をなぞるウィルブレースの手をぐっと押さえて、キュルケはそう提案した。
「あら、今の私はお嫌いかしら」
「まさか。でも、私はさっきのあなたをここへ誘うことに決めたのよ? もちろん中身が一番大切ですけれど、買った後でラッピングを展示してたのと別の物に変えることはクレーム案件だわ」
ウィルブレースは苦笑した。
「買った品物を楽しむときには、ラッピングを外すのが普通だと思うけど……。まあ、いいでしょう」
私はどちらでも構わないから、と言って頷くと、目を閉じて精神を集中させる。
ほんの数秒の内に、彼女は先ほどの美青年の姿に戻った。
(ふふん、あっさりと挑発に乗ってくれたじゃないの)
キュルケは、内心でにんまりと笑みを浮かべた。
男の相手なら、手慣れたものだ。
いくら経験が豊かだろうが、雄の体なんてのは所詮、ほんのささやかな慰撫でいとも容易く手玉にとれるたわいのないものである。
それに、なんといっても元は女性なのだから、男の体を扱う方が不得手には違いないだろう。
「それじゃ、先に音を上げた方が、あなたが注いだグラスを乾すのよ。相手の勝利を称える祝杯ね!」
そう宣言して、自分を床に押し付けるウィルブレースの顔にゆっくりと手を伸ばした……。
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キュルケは幽鬼のようにふらふらとテーブルに歩み寄ると、そこに置かれていたグラスを掴み取って、一言も発さずに中身をぐっとあおった。
「……ぷはっ! はぁ、はぁ……、はあぁー……」
一気に飲み乾してようやく人心地のついた彼女は、豊かな胸を弾ませて荒い息を吐きながら、崩れ落ちるようにその場にへたり込む。
水分を求めるあまり這いずるようにしてここまでは来たものの、一度その渇望が満たされてしまうともう体が鉛のようで一歩も動けず、足も腰もまともに立たなかった。
その肌がひどく汗ばんで紅潮しているのは、アルコールのためではあるまい。
「私の勝ちのようね?」
対照的に、勝負がついたと見るやさっさと元の姿に戻ったウィルブレースの方は勝ち誇った笑みを浮かべて、余裕たっぷりといった風情だった。
肌の色艶がやや増したように思える他は、勝負前となんら変わりがない。
(……ぐっ……)
キュルケは屈辱と羞恥で一層頬を赤らめながら、彼女の方を睨んだ。
が、ただ見つめ返されただけでどきりとしてまともに目を合わせていられなくなり、悔しげに顔を逸らす。
先ほどは彼女に完全に翻弄され、体内を荒れ狂い続けた熱のためにすっかり体が乾き切ってしまって、屈服することになるとかなんとか考える余裕もなくただ水分を求めて必死でグラスを乾してしまったのである。
これほどまでに屈辱的、かつ刺激的な経験は初めてだった。
相手を焼き尽くして屈服させてやるつもりが、体の芯まですっかり焦がされ、魂までも融かされそうになったのはこちらの方……。
(なによ、こんなの反則じゃないの)
と、キュルケは内心で負け惜しみめいた愚痴を吐いた。
勝負をしようにも、体格とか筋力とか器用さとかの差でこっちは完全に押さえ込まれてしまって、技巧を活かすどころか反撃することもままならないし。
おまけに向こうの耐久力は底なしかと思うほどで、まるで疲れを知らないようだし。
本当に、猫科の大型猛獣とでも取っ組み合っているようなものだった。
身体の基本性能が高いということは、戦いに限らず何をするにしても圧倒的に有利なものなのだと痛感させられる。
おかげでこちらは一方的に蹂躙されるばかりで、向こうがあえてそれを許したとき以外はろくに抵抗もできなかったのである。
とはいえ、それを差し引いてみても、彼我の技量には明らかに大きな開きがあることも認めざるを得なかった。
どうにもこうにも、自分とこの女とでは、年季も経験も違い過ぎるらしい。
「……ええ、そうみたいね。今夜のところは」
それでも、キュルケはややあってどうにかして気持ちを切り替えると、ウィルブレースのほうを真っ直ぐ見ながら普段どおりの態度を繕った。
素直に負けを認めて相手の足元に屈服するだなんて、誇り高きツェルプストー家の娘にはありえないのだ。
「初戦負けは認めますけれど。でもいずれ、このお返しはいたしますわよ?」
いまだ快楽の余韻に上気したままの疲れ切った体を無理に起こし、つんとしてそう言うキュルケを見て、ウィルブレースはくすりと微笑んだ。
それから、瞬間移動で出し抜けにキュルケの目の前に移動し、面食らった彼女の顎を指先で弄ぶ。
「いずれと言わず、今ではどう? 疲れや精力くらい、私がいくらでも回復させてあげるから」
目を細めながらそう言うと、さっそく《重症治癒(キュア・シリアス・ウーンズ)》の疑似呪文能力を用いて彼女の全身に蓄積した非致傷ダメージを取り除き、身体の疲労を回復させてやった。
高位のエラドリンであるトゥラニは、回数無制限でこの治癒能力を用いることができるのである。
もちろん他人にかけてやるだけでなく、自分自身を回復させることだってできる。
だから事実上、スタミナ切れはないのだった。
「ね。時間はあるのだし、まだまだ楽しませてあげられるわよ?」
にこやかに、そう提案する。
快く爽やかな感覚が全身に広がって、鉛のようだった体が見る間に軽くなっていったキュルケはしかし、苦々しげに視線を泳がせた。
「……その。それは、ちょっと……」
その申し出に飛びつきたいと、間違いなく心のどこかで思ってはいた。
自分の欲望に振り回されている退屈な男達とはまるで違う、自分の欲求を満たすことよりもこちらを楽しませることを第一に考えている卓越した技量をもった相手との交わりはあまりにも刺激的で、負けた悔しさにも関わらず強く心惹かれるものがあった。
もちろん、中身が同性ということも含めて色々と思うところはあるのだが、それを差し引いても極めて魅力的な相手には違いない。
でも、だからこそ、危険な相手でもある。
このままもう一度彼女と寝床を共にしたりしたら、自分がどうなってしまうかわからない。
キュルケは、それが不安でならなかった。
あるいは、今度こそ完全に侵略され、蹂躙され、屈服させられて、意思を放棄させられてしまうかもしれない。
彼女の求めに従順に従い、それを幸せだと感じるようになってしまう……。
(……っ!)
そんな自分の姿を想像して、キュルケは思わず身を震わせた。
恋はいい、恋の微熱は何ともいいものだ。
わくわくして、どきどきして、夜も眠れなくなって。
でも、自分の方が相手に完全に夢中になってしまって、首輪をはめられて意のままにされる側になるだなんて、冗談じゃない。
ツェルプストー家の女ともあろうものがそんな惨めな負け犬のような姿を晒すことは、死よりも辛い恥辱である。
彼女はこれまで男と付き合う時には、必ず自分よりも相手の方を夢中にさせるようにしてきた。
そうして相手が完全にこちらの虜になって、ご機嫌取りにばかり精を出すようになってきたら、じきに微熱も冷めてぽいしてしまうのが常だった。
それが彼女にとっての恋、男女の仲というものであり、つまりは気に入った相手を夢中にさせて、意のままにその手綱を取れるようになるまでの過程を楽しむゲームなのである。
だから、何かしらはっきりした勝算が立てられない限り、二度と彼女と夜は共にしない。
負けの見えたゲームをするわけにはいかない。
とはいえ、その勝算が見えてきそうなあては、今のところ何もないが……。
「……そのうち、気が向いたら。そのときは、こっちからお願いするわ」
苦虫を噛み潰したような顔でそう言う彼女の顔をしげしげと眺めながら、ウィルブレースは小首を傾げた。
「そう……」
言うまでもなく、優れたバードであり善と自由の大義に仕えるエラドリンでもある彼女には、キュルケを本気で虜にして隷属させてやろうなどと言う気はこれっぽっちもない。
確かに勝敗のある賭けなどをもちかけはしたが、それはあくまでも彼女を楽しませ、サプライズを用意するためのものであって、それ以上の何かではなかった。
だから、勝敗などには元よりそうこだわってもいない。
大体、色恋沙汰には本来勝ちも負けもなく、互いに対等な間柄で、相手のことを思いやって楽しみ合える関係であるのが最も望ましいだろう。
しかし、キュルケにとってはそうではないのかもしれない。
彼女にとって恋とは勝ち負けのあるゲームであり、相手に自分を求めさせること、自分が主導権を握って相手を操ることが勝利で、自分が相手を求めていると認めること、相手に主導されることは敗北なのであろう。
生殺与奪の権利を相手に握られるのが嫌、相手に歓びを恵まれるのが嫌。
歓びは自分が相手に恵んでやるもので、自分の方がそれを欲しい時には、好きなように相手から引き出すもの。
とはいえ、別にデヴィルのように手酷く相手を支配することを求めているというわけではなく、ただ好みの問題として自分が上位に立って相手をリードできないのは嫌だというだけなのだろうが。
ウィルブレースとしても、彼女の精神の自由さや、誇りの高さは好ましく感じられるものだった。
ただ、いま少し懐を広げて、相手を対等の存在として重んじることができれば、もっと楽しく過ごせるだろうにと思う。
(歓喜と情熱の女神、ラスタイよ。彼女が支配することの愉悦ではなく、対等な愛情を抱き合うことの真の喜びを、いずれ見出せますように)
ウィルブレースは胸の前で小さく手を組むと、自分の信仰する神の一柱に、心の中でそう祈りを捧げた。
できることなら自分が、彼女がそれを見出すきっかけとなれればよいのだが。
それから、床に散らばっていた服を《念動力(テレキネシス)》で持ち上げて運び、キュルケの肩にかけてやる。
「なら、いい加減にその目の毒になる形のいい胸を見せつけるのはやめてくださる? 汗もかいたことだし、湯浴みをしに行きましょうよ」
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「……あら?」
「まあ」
浴場で湯浴みを終えて、さて少しは寝ておこうかと自室に向かっていたキュルケとウィルブレースは、ふと窓の外を見て意外な人物の姿を発見した。
まだ早朝だというのに、ディーキンがとことこと城外の丘を歩いている。
そしてその後ろを、タバサが静々とついていく……。
「デートでしょうか」
「デートね」
「ずいぶん朝が早いですね」
「こんな早くから二人でいるってことは、夜になにかあったのよね?」
「私たちのように、ですか。さて、それはどうかわかりませんが……」
二人はどちらからともなく顔を見合わせると、互いににやにやした笑みを浮かべた。
「ねえ、私たちも外に散歩に行きましょうよ。ディー君なら、きっといい散歩コースを知ってると思うのよね」
「彼の後をつけるのですか。しかし、お二方のデートの邪魔はしたくありませんね」
「あら、あなたなら見つからずに後をつけられるような魔法の一つや二つくらい、使えるんでしょ?」
「ええ、もちろん。二人の邪魔をしないためには、仕方がありませんね?」
エラドリンは、人に害をもたらすような悪意のある行為はやらないが、お邪魔をせずにこっそりと楽しむのは別にいいのである。
そんなわけで、彼女らはそのまま窓から抜け出すと、こっそりと二人の後をつけていくことにしたのだった……。
ラスタイ:
D&Dのサプリメント、「高貴なる行いの書」でその存在が言及されている混沌にして善の神格。
彼女は喜び、愛、情熱の女神であり、極めて肉感的だが魅惑的でも不道徳でもない美しい女性の姿として描かれる。
その教義は対人関係の平等さに重きを置き、暴飲暴食ではない食事の楽しさ、怠慢ではない休息の楽しさ、強欲ではない贅沢の楽しさ、そして搾取ではない性交の楽しさを説く。
彼女に仕える司祭たちは教えに従って積極的に人々が愛や喜びを見つけ出す手ほどきをするため、その寺院は「飾り立てた売春宿以外の何物でもない」などといった不当な陰口を叩かれることもあるという。
ラスタイの聖印は桃で、好む武器はグラスピング・ポール(敵を傷つけずに制圧するための非殺傷性の長柄武器で、いわゆるさすまたのようなもの)。