Neverwinter Nights - Deekin in Halkeginia   作:ローレンシウ

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第百五十九話 Counsel

 

 一連の思いがけない話の流れにまだ困惑を隠せないタバサとジョゼフをよそに、ディーキンはピット・フィーンドとの話を続けた。

 デヴィルとの話は誤解や曲解の余地がないように、細部まできっちりと取り決めておかねばならないのだ。

 

「ありがとうなの。それで、その裁判っていうのは、いつ、どこでやるの?」

「日時と場所は、後日こちらで決定する。決まり次第、裁判長となるデヴィルが貴様に接触して通達することとなろう」

「それは、どのくらいで決まるの? 何十年後とかは嫌だよ?」

 

 ピット・フィーンドのシェムザシアンは、ふんと鼻を鳴らしながらそっけなく答えた。

 

「それほどの時間はかからん。通例は、数日から長くとも十数日といったところだ」

 

 ディーキンは、少し考え込んでからわかったと言って頷いた。

 

「では、それで話は終わりだな……」

「アー、待った!」

 

 きびすを返そうとするシェムザシアンを、ディーキンが呼び止める。

 

「なんだ。まだ何かあるのか?」

「あるの。ディーキンたちをバートルの法廷に招待してくれるなら、そこまでの『通行許可証』を用意して?」

 

 ウィルブレースや『眠れる者』からは、デヴィルとの話がついたら必ずそう要求するようにと、事前に注意されていた。

 デヴィルには当事者からの異議申し立てがあれば裁判を開く義務があるが、出席者をそこまで転送しなくてはならない義務はないからである。

 つまり、自分たちの足で法廷まで赴くしかないわけだが、その際に通行許可証がなければバートルへの不法侵入と見なされ、バートルのあちこちをうろついているボーン・デヴィルのパトロール部隊や何かからひっきりなしに襲われることになるだろう。

 

「……いいだろう」

 

 シェムザシアンは、面白くなさそうにそう言って顔をしかめた。

 

「だが、今すぐには渡せん。我には、その権限はないのでな」

 

 これは本当のことだ。

 

 ピット・フィーンドのような上位のデヴィルならば、定命の者にバートル内の通行許可証を発行する権限はあるのだが、どんなものでも出せるというわけではない。

 通常は自身が所属している階層の、特定のルートを旅するものだけに限られる。

 しかるに、『売魂契約』に対する異議申し立ては一般的に、バートルの第四階層・プレゲトスのアブリモク市にある、ディアボリカル・コート(デヴィル裁判所)で審議されることになっている。

 第一階層のアヴェルヌスからそこまでは階層をまたぐ旅になるが、そのような移動の許可証はバートルの支配者であるアスモデウスその人の認可がなければ発行できないのだ。

 

「後日、貴様に接触した裁判長から受け取るがいい。発行の申請は出しておく」

 

 それだけ約束すると、シェムザシアンは今度こそ、ゲートを通ってバートルへ還っていった。

 

 

「タバサ、ジョゼフさん、大丈夫?」

 

 デヴィルが完全に去ったのを見届けてから、ディーキンは二人の方に向き直って、心配げに声をかけた。

 彼女らが受けたのは《冒涜の声(ブラスフェミィ)》や《力の言葉:朦朧(パワー・ワード:スタン)》だけだから、身体的には傷ついてはいないだろうが、精神的なショックを受けているかもしれない。

 

「……大丈夫」

 

 タバサは、ややあってから、ぽつりとそう答えた。

 あまりにいろいろなことが一度に起こり過ぎて、頭と感情の整理が追い付いていない様子だ。

 

 だが、ジョゼフの姿は、彼女にもまして複雑なものだった。

 思い悩んでいるような、すっきりと憑き物が落ちたような……、憤っているような、寂しがっているような……、なんとも解しがたい、奇妙な表情と様子。

 その胸中にどんな感情が渦巻き、何を考えているのか、タバサにもディーキンにもよくわからず、声をかけかねる。

 

 彼はやがて、ディーキンの方を向くと、ぼそりと呟くような声で尋ねた。

 

「……本当か?」

 

 ディーキンは困惑して、タバサと顔を見合わせる。

 

「ええと……、その。なにが?」

「すべてだ」

 

 ジョゼフは溜息を吐くと、どさりと椅子に腰を落とした。

 

「この目で見た今でも信じられん。あのシャルルが、悪魔などと……」

 

 もちろん、理屈では否定しがたい事実とわかっている。

 契約書には先ほどざっと目を通したので、弟が何を求めていたのかもわかっている。

 だが、信じられない。

 王の座を求めているような、そんな様子もなかったというのに。

 

「おれが次の王に選ばれたとき、そのことを祝福してくれたのは……、あれは、なんだったのだ。あの時お前は、本当はなにを考えていたのだ。シャルル……」

 

 タバサは、独り言のように亡き弟に問い続けるそんな伯父の姿を見て、戸惑いを隠せなかった。

 

 理屈では、父を殺した男が今さら何をと、憤って然るべき言葉であるはずだ。

 これまでずっと、復讐を胸に抱き続けてきた。

 だが、偉丈夫であるはずのその体が今はあまりにも小さく、弱々しく、寂しげに見えて、憎しみがまるで湧いてこない。

 

 そんなジョゼフの前に、ディーキンが歩み寄った。

 

「それは、ディーキンにはわからないけどね」

 

 背伸びをしてジョゼフの手を取ると、にっと笑いかける。

 

「今度、本人に聞いてみたらしいの。裁判で勝てさえすれば、ゆっくりお話しできるでしょ?」

 

 ジョゼフは少し考えて小さく頷くと、そんなディーキンの顔をじっと見つめた。

 

「そう、その裁判とやらのこともだ。地獄の裁きというのがどんなものかは知らんが、悪魔どもが契約違反をしているというのは本当なのか?」

 

 その質問に、ディーキンは首を傾げて……。

 ちょっと困った様子で、肩をすくめた。

 

「さあ? ディーキンには、わからないの」

「……なんだと?」

 

 ジョゼフは怪訝そうに眉をひそめ、タバサは驚いたように軽く目を見開いた。

 

「だってディーキンは、シャルルさんにはついさっきまで会ったこともなかったからね。デヴィルがまだ契約を果たしてないのは確かだけど、違反があるかどうかまでは知らないよ」

「では、あれははったりだったというのか? それで、どうやって裁判に勝つつもりだ?」

「本当に違反の証拠が見つかれば、それに越したことはないの。もしそうじゃなかったら、口先で勝つしかないと思う」

 

 それを聞いたタバサは戸惑いを隠せない様子で、口を挟んだ。

 

「……本当に、大丈夫なの?」

 

 本当にそんなことをしていいのかという意味合いと、本当にそんなことで勝てるのかという意味合いとが、半々だろう。

 ディーキンはしかし、そんなことは大した問題ではないというように、あっさりと頷きを返した。

 

「ウィルブレースお姉さんも言ってたの。『真偽などという形式的なことよりも、是非をこそ問うべきです』ってね。ディーキンも、そう思うよ」

 

 善と共に秩序をも重んじるパラディンならば眉をひそめそうな言葉だが、自由に重きを置くエラドリンやバードにはふさわしい。

 

 シャルルという人物は、確かに自らの自由意思でデヴィルと取引したのかもしれないし、まったく非がなかったというわけではないのだろう。

 だが、生前に多くの人から慕われ評価されていた、英雄と呼ぶに値する人物だったこともまた確かな事実であるはずなのだ。

 それを一失ありとはいえ、デヴィルなどの姦計に囚われたままにしておいてよいものか。

 

 そもそも、あちこちの世界で人を堕落させて回っては地獄堕ちの魂を増やしているデヴィルとの契約など、正当だろうが不当だろうが、破棄できるものなら破棄してしまうに越したことはない。

 

「大丈夫なの。裁判ってやつの経験はないけど……、ディーキンは絶対勝てるように、その日までにしっかりと勉強しておくから!」

 

 ぐっと胸を張って、力強くそう請け負った。

 タバサはそんな彼の顔を見つめながら少し考えて、首を横に振った。

 

「それなら、無理にあなたが受ける必要はない」

 

 父は、既に死んでしまった身なのだ。

 現在の境遇が、多分に自業自得なものであることも……、事実なのだろうし。

 

「父の弁護は、わたしがする。わたしだけが行けば、それでいい」

 

 それでもなお助けに行くとしたら、もちろんそうするつもりだが、それは当然、他の誰も巻き込まずに、身内である自分がやるべきことであるはずだった。

 

「それは、ダメなの」

 

 ディーキンは、そう言って首を横に振り返した。

 

「タバサだけでバートルに行くのは無理だよ。どうやって行ったらいいかも、向こうのことも、何も知らないでしょ?」

「……それは……」

 

 確かに、その通りだった。

 

 自分には地獄とやらに行く方法もないし、現地の地理も何も知らない。

 それ以前に、たとえ通行許可証とやらがあったとしても、相手は卑劣な悪魔どもなのだ。

 道中で何がしかの理由をつけて襲撃してくるかもしれないし、そうなったら先ほどただ一人の相手にも後れを取った自分に一体何ができるだろう。

 

 それでも……。

 

「……あなたにとっては、父は大切な人ではないはず」

 

 少なくとも、命がけで助けに行くような相手ではないだろう。

 たとえ彼であっても……、あんな恐ろしい悪魔が数知れぬほど巣食っているのであろう地獄の底へ赴けば、生きては帰れないかもしれない。

 

 彼までもが父のような変わり果てた姿にされるかもしれない、わたしの元から永久に消えていなくなってしまうかもしれないと考えると、体の震えが止まらなくなる。

 

「ンー……」

 

 ディーキンは少し考え込んでから、そっとタバサの手を取った。

 

「タバサにとって大事な人は、ディーキンにとっても大事な人に決まってるよ。ディーキンは、自分のために、タバサの大事なものを守りたいの」

 

 彼女の顔を真っ直ぐに見つめながら、きっぱりとそう言い切って。

 それから、小さく首を傾げた。

 

「……ダメ?」

 

 それらはすべて、本心から出た言葉には違いないのだが。

 こう言えばタバサを手っ取り早く黙らせられるだろう、という計算もないわけではなかった。

 

 当然ながら、ディーキンとしては何を言われようが、タバサを一人でバートルに行かせるなんてことはあり得ない。

 そして同行するなら、代理人という形でないと通行許可証は発行されないのだから、不法侵入扱いで襲われるのも上等だという覚悟で行くのでなければ、自分がシャルルの弁護をする以外にないのだ。

 他に選択肢がない以上は、長々と押し問答を続けてみても無意味である。

 

 狙い通り、タバサが顔をみるみる真っ赤にさせて俯き黙り込んだのを見て、ディーキンは胸中で密かに、ささやかな満足感を覚えた。

 

 それは、人の心を望むように動かせることに喜びを覚えるバードとしての感性のゆえか。

 あるいは、価値ある宝を所有し愛でることや、他者よりも上の立場にあることを本能的に求める、レッド・ドラゴンの血筋によるものか。

 でなければ、相手がタバサだからなのか……。

 

「だが。シャルルを救えさえすれば、代理人はお前でなくてもいいはずだな?」

 

 そこへ今度は、横合いからジョゼフが口を挟んだ。

 

「おれにやらせろ。弟に罪がないことを弁護するのは、責任から言っても、あいつを殺した者の役目であるべきだろう?」

 

 そう言って熱心にディーキンを説き伏せようとする彼の目には、真剣な色合いがあった。

 真顔に戻ってその様子をじっと見つめていたタバサが、ぽつりと呟く。

 

「……なぜ」

「ん?」

 

 振り返ったジョゼフと、彼女の目が合った。

 

「なぜ。どうして父を殺した男が、いまさらそんなことを」

 

 その声の奥には、努めて抑え込んだ様々な、複雑な感情が見え隠れしている。

 さすがのジョゼフもやや居心地が悪そうに視線をさまよわせたが、結局肩をすくめて首を横に振った。

 

「お前にはわからんさ、シャルロット。お前は昔から、あいつに似て優秀だったからな。どうしようもない劣等感に苛まれたことなど、これまで一度もないだろう?」

 

 そう言って、先ほどディーキンにも聞かせた自分の弟殺しの動機を、自嘲気味に語り始めた。

 

(ある)

 

 タバサは黙ってその話に耳を傾けながら、胸の内でそう呟いた。

 

 身近にいて、ずっとよくしてくれた人に対して、伯父が父に対してそうだったのと同じように、嫉妬と劣等感から殺意を抱いてしまったことが。

 やってしまってすぐに後悔し後悔し、後々になって、相手がどんなに大切な人だったかに気が付いたことが……。

 

(わたしにも、ある……)

 

 違いがあるとしたら、自分は手遅れになる前に止まることができ、伯父は止まれなかったということくらいか。

 

 いや、それも結果論に過ぎない。

 身勝手な動機で一方的に決闘を吹っ掛けたあの日、自分が彼に対して最後には死んでもおかしくないような攻撃を、殺意を込めた攻撃を放ってしまったことは、決して忘れることができない。

 一生後悔し続けるだろう。

 彼が死ななかったのはただ、自分がどうしようもないほどに心も力も弱く、それに対して彼は強かったからというだけのことだ。

 

 そんな自分と伯父との間に、どれほどの違いがあろうか。

 

 思えば、父も伯父に対する劣等感に苛まれていたと、母は言っていた。

 その果てに道を誤って、悪魔との契約に手を出してしまったのか。

 あの性悪な従姉妹のイザベラにしても……、事あるごとに自分を虐めようとするその動機はおそらく、嫉妬なのだろう。

 彼女は自分と比べて魔法の才に乏しく、よく足下の者たちから陰口を叩かれていたから。

 

(わたしたちが憎み合うのは、結局は近親憎悪でしかないのかもしれない)

 

 そんな思いを抱いているタバサをよそに、ジョゼフはディーキンとの交渉を続けた。

 

「なあ。悪魔との裁判がどんなものかは知らんが、シャルルにチェスで勝つほど難しいことではなかろうよ。おれはあいつのことを生まれた時から知っているから、お前よりは勝算もあるさ。信用できんというのなら、裁判で負けた時にはおれの魂もやつらのものになるという契約を交わしてもいい。もっとも、契約なぞせんでも、どのみち俺は地獄行きだとは思うがな……」

 

 ディーキンはそれでも、申し訳なさそうに首を横に振った。

 

 大国ガリアの王である彼がバートルへ赴けば、かなりの長期間に渡って姿を消すことになり、さまざまなところに影響が出るだろう。

 特に、それによってハルケギニア側のデヴィルに事態を気取られてしまうことは、非常に危険だ。

 

「どういうことだ? 気取られるもなにも、おれは既に先ほどの悪魔どもの前に姿を見せてしまっているではないか?」

「イヤ、たぶんだけど……。あいつらは、あんたのことは何も知らないと思うの。それに、この世界のこともね」

 

 シャルルの魂それ自体は、デヴィルにとってはあくまでも処分待ちで待機中の一個の魂でしかなく、交渉のカードとして使うためにとって置いているわけではないだろう。

 もしそうするつもりがあるなら、もっと早い段階でオルレアン公夫人なり、タバサなり、ジョゼフなりに接触を取って、話をもちかけているはずだ。

 

 一方、ハルケギニア側でデヴィルが進めている計画は、背後にアークデヴィルがいる非常に大がかりなものであり、その情報をただの牢番役のデヴィルに意味もなく詳細に開示するとは思えない。

 ハルケギニアは、向こうでは一般に存在すら知られていない未知の世界(ディーキンほど高レベルのバードが知らなかったことからも、それは明らかだ)なのだから、他のアークデヴィルが介入してくるのを避けて利益を独占するためにも、バートル側での情報の流出は可能な限り抑えるだろう。

 

「だから、ジョゼフさんには国に残って、デヴィルに気が付かれないようにしててほしいの」

 

 そうすることで、自分のような一介のバードにはできない仕事を果たしてほしい。

 ハルケギニア側に残っているデヴィルを裏で手を回して一掃することは、一国の王として大規模な人員や資源を動かせる彼の尽力がなければ成し得ないだろう。

 

 それに、もうひとつ。

 

「直接は行かなくても、ジョゼフさんはシャルルさんを助けられるよ。裁判までの間に、勝つための手掛かりを探してほしいの。証言とか、証拠品とか……」

 

 いみじくも彼自身が言ったとおり、自分はシャルルという人物のことをよく知らない。

 身内であるジョセフやタバサであれば、何か弁護をする際に有利となるような、自分では気付かない手がかりを集めてくることができるかもしれない。

 デヴィルのような連中が行う裁判の勝敗は、結局は法廷での口の巧みさが問題だとは思うが、証拠はないよりもあったほうがよいはずだ。

 万が一、何か決定的な契約違反の証拠でも手に入れば、必勝とは言わぬまでもかなり有利にはなるだろう。

 

「全員で協力すれば、どんな裁判にでも、デヴィルにでも、間違いなく勝てるの!」

 

 なぜなら、そうなってこそ、偉大な物語というものだから。

 ディーキンは自信たっぷりに断言すると、ぐっと胸を張ってみせた。

 





地獄の審判:
 売魂契約の条項に異議を唱えた場合に行われる裁判のルールに関しては、3.5版のサプリメント「魔物の書2:九層地獄の支配者」に記載されている。
それによると、判事は先入観を持たずに双方の言い分を聞いた上で法に則って判決する、被告人が無罪判決を受けるには「強要か強制によって契約に署名させられた」か「契約で約束されていた利益をデヴィルが与えなかった」ことを証明しなくてはならない、とある。
しかし、実際の裁判では検察官と被告弁護人が<交渉>、<知識:次元界>、<芸能:演劇>の3つの技能判定を行い、その合計値が高い方が勝訴することになっている。
一方で、どちらの言い分が本当に正しいのかや、証拠の有無などが結果に影響するかどうかについては、何も記載がない(おそらく技能判定の結果に、その重要性に応じたある程度のボーナスやペナルティーくらいはつくのではないかとは思うが)。
要するに、最終的には双方の弁舌、知識、演技力の問題なのであり、したがってディーキンのような高レベルのバードは弁護人としてうってつけだと言える。
 ちなみに、被告人が自分の弁護をしてくれる代理人を用意できなかった場合には、公選弁護人としてハーヴェスター・デヴィルかエリニュスが指名されることになっている。

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