Neverwinter Nights - Deekin in Halkeginia   作:ローレンシウ

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第二話 Encounter

 

(オオ、イテテテ……、すごく長いコボルドのトンネルをくぐったみたいな気分なの)

 

 『使い魔召喚(サモン・サーバント)』のゲートから飛び出すなり見知らぬ少女に頭突きをかましてしまったディーキンは、そんなことを考えながら……。

 頭をさすりつつ起き上ると、泥をはたいてきょろきょろとあたりを見回した。

 さて、一体自分はどんな場所に召喚されたのだろう?

 

 どうも、ウォーターディープとは随分と様子の違うところのようだ。

 

 抜けるような青い空の下、草原の中。

 周囲では変わった、同じようなデザインのきれいな服を着たたくさんの若い人間……エルフやドワーフとは明らかに違うし、大まかな造形から見て多分人間で間違いないだろう……が、ざわつきながら物珍しそうにこちらを見つめている。

 しかし髪の色や顔の造作(コボルドであるディーキンは人間の細かい特徴や容姿の区別にそんなに詳しいわけではないが)などからして、彼らはウォーターディープで見かける様々な人間の人種の、いずれとも違うように思えた。

 特に髪のバリエーションが豊かで、中には相当珍しい髪の色合いや形をした人間が何人も混じっている。

 

(ウーン、なんか随分カラフルな髪の毛の色の人たちなの。魔法で染めてるのかな? ……ディーキンは青い髪とかもなかなかステキだと思うね、多分……。えーと、あの不自然にロールした髪の女の人はなんなのかな? 錬金術で作った薬とかで固めてるの?)

 

 しかし、それ以上にディーキンの注意を惹いたのは、非常に多種多様な生き物が彼らと一緒に居ることだった。

 犬や猫、梟にカエルなどのありふれた生き物に、とても大きなモグラなどのちょっと変わった生き物。

 空中に浮かぶ目玉(アンダーダークで見たビホルダーやアイボールにちょっと似ている)や尻尾に炎を灯した真っ赤な大トカゲなど、魔獣っぽいものもいる。

 体長20フィート程度のドラゴンらしき生き物(しかし、見たことがない種類だ)もいて、つぶらな瞳をぱちぱちさせてこっちを見つめている。

 

 ディーキンはしばらくきょろきょろとあたりを観察し、いろいろと頭の中で考え込んでいた。

 よく見ると、周囲の人々はデザインや大きさに差はあるものの、皆一様にワンドやスタッフのような棒状の物を手に持っている。

 

 再度《魔法感知(ディテクト・マジック)》の精神集中を行ってしばらく観察してみると、それらがいずれも微弱~中程度までの魔法のオーラを放っていることが分かった。

 

(オオオ、珍しい生き物がいっぱいなの。本でも見たことがないようなのもいるの)

 

 この人たちはみんな魔法使いみたいだから、人間のソーサラーかウィザードで、ちょうど使い魔とか召喚した生き物を連れているところだろうか。

 感じからすると、クレリックとかドルイドとかではなさそうだ。

 

 そうなると、つまり自分も、そうやって召喚された生き物ということになるのか?

 

(ムムム、コボルドを召喚するなんて……、もしかしてこの人たちはハラスターみたいな危ない魔術師の集まりとか?)

 

 先日の冒険で出会った狂える大魔道師・ハラスターは、自分で作り上げたアンダーマウンテンの地下深く広がる広大なダンジョンに住み、数々の危険なモンスターをあちこちから召喚して、その内部に配置していた。

 モンスターたちは大方皆呼び出されたことを不満に思っていたようだが、彼に対して反乱を起こしたり逃げ出すものはいなかった。

 いや正確には、試みたものは大勢いただろうが無事に成功したものはいなかったというべきだろう。

 それだけハラスターの力は強大で、皆から恐れられていたのだ。

 

 ……もっとも“ボス”と一緒にアンダーマウンテンに乗り込んだ時にはドロウ(ダークエルフ)たちによってそのハラスターは捕まっていたのだが。

 まあ、本人(?)は捕まったのはクローンで、わざとそうしたのだとか言っていたが……、そのため、支配者のいなくなったモンスターたちは今が好機とばかりにあちこちで暴れまわっていた。

 しかしそれもドロウ達の背後にいたのが地獄の大悪魔・メフィストフェレスだったからで、そうでなければ仮にも彼が捕まるなどまず有り得なかっただろう。

 実際あのボスでさえ、彼の魔力には全く抵抗できず、制約の呪文をかけられて一瞬でアンダーダークに飛ばされてしまったほどなのだ。

 ついでに自分も巻き添えを食ったが……、お陰でものすごい冒険物語を書けたし、英雄の仲間として評価もされたから結果オーライだろう。

 

 まあ、それは置いておいて―――。

 

(……ウーン。でも、ボスとかハラスターみたいにすごい人たちには見えないね。悪魔とかドロウのほうがよっぽど強そうな感じがするの。じゃあ、何のためにディーキンを呼び出したのかな?)

 

 ここはダンジョンではないようだが、向こうの方に大きなお城みたいな建物が見える。

 もしかして、これからずっとあそこの警備をやれとでも言われるのだろうか。

 

(うわあ、それはちょっと嫌だね! そんなことになったらどうしようかな……)

 

 きょろきょろと観察しながらあれこれ考えをめぐらしているディーキンを指差して、周囲の学生達はざわざわと雑談を続けている。

 

「……ね、ねえ、あれって亜人じゃないの?」

 

「ゼロのルイズが亜人を召喚しちまったぞ!」

 

「見たことないぜ、何だあれ? ……ま、でも随分小さいし、役には立たなそうだな!」

 

「身長1メイルもないわね。あれじゃお使いもできないわ!」

 

「ああモンモランシー、君の使い魔もずいぶん可愛いね、名前はもう決めたかい? 僕の使い魔にはどんな名前をつけようか、迷ってしまうよ!」

 

 周りの人間達が何やらざわついているのに気付いて、ディーキンは首を傾げた。

 どうも大半が自分のことを話題にしているようだが、『見たことのない亜人だ』という声が気になった。

 

 亜人というのは、多分コボルドやオークのような人間以外の人型生物全般を指しているのだろうが……。

 こんなに人が、それも(ソーサラーかウィザードか知らないが)博識なはずの魔術師たちが揃っているのに誰もコボルドを知らないなんて。

 このあたりにはコボルドが全然住んでいないのだろうか?

 いや、そもそもコボルドを知ってもいないのなら、どうして自分を召喚(招請)したりしたのだろう?

 

 ちなみに、自分を見下しているらしい発言が多いのは特に気にしてはいない。

 いや勿論多少はムッとしてはいるが、ここ(どこかは知らないが)ではどうせ誰も自分のことなんて知らないのだろうし。

 大体にして“ちっちゃなトカゲ”が見くびられるのはいつものことだ。

 ゲートをくぐる前から、また以前と同じ見くびられている状態からこんどは自分の力だけでしっかりと周囲に認めてもらうのも冒険の一環だと覚悟している。

 むしろいきなり襲いかかってくるような相手がいないだけでも、ディーキンが事前に想定していた様々な状況の中ではかなりいい部類である。

 コボルドにとっては、人様にいきなり攻撃されずにちゃんと話を聞いてもらえるだろう、などと期待する事自体本来なら楽観的過ぎるのだ。

 

「ミ、ミス・ヴァリエール、大丈夫ですか? 怪我などはありませんか?」

 

「いたた……、ううう……」

 

他のとは大分感じの違う声がすぐそばから聞こえてきて、ふとそちらに目を向ける。

そこには他の人達とはやや違った格好をした比較的年配の人間がかがんで、傍でへたり込んで涙目で頭を押さえている長い桃色の髪の女の子を介抱していた。

そうしながらもちらちらとこちらを警戒している様子からすると、実戦経験もそれなりにありそうだ。

 

「……アー……」

 

 それを見て、鏡から飛び出した時誰かにぶつかったことを思い出す。

 ゲートの傍にいた状況からすると、自分を呼び出したのはこの2人のうちどちらかだろう。

 最初から気にしてはいたのだが、周囲の状況があまり物珍しかったのでつい考え込んで失念し、声をかけるのが遅れてしまった。

 

 どうやら、自分がぶつかったせいでこの少女はかなり痛い思いをしたらしい。

 あの時は決心はしたもののどうにも踏ん切りがつかなかったので、勢いをつけて“コボルド高跳び隊”にでもなったつもりで頭からゲートに飛び込んだ。

 今考えるとかなりバカバカしいことをしていたものだ。

 仮にあの少女がゲートの前に立ってなかったとしたら、顔面から地面に激しくダイブしていたはずである。

 ちょっと意気込みがすぎたようだと頭を掻く。

 

 さておき……、では、どちらが自分を呼び出した魔術師だろうか?

 

 コボルドの頭突きを喰らったくらいでへたり込んでいる少女が強力な魔術師だとは思えない。

 腕利きの魔術師は、体もそれなりに丈夫なものである。

 

 となると、ただ一人年配なあたりから見ても、多分介抱している男の方だろうか?

 他の人たちよりは強そうな雰囲気がするし……、この少女も含めて他の若い人間たちは大方、この男から魔法を教わっている魔術師見習いか何かだろう。

 ディーキンはそう推測した。

 

(アー、でも……、まわりの人たちの話からすると、ディーキンを呼び出した人は“ゼロのルイズ”っていうんだよね。二つ名かなんかかな? ウン、それは格好いい感じだけど……、その後のルイズっていうのは、なんか女の人の名前っぽい気がするの)

 

 とすると、やはり倒れてる女の子の方が自分を召喚したのかもしれない。

 とりあえず自分を呼び出した訳は後で聞くとして、まずはあの女の子に謝っておくべきだろうな、とディーキンは考えた。

 大したことはなさそうだが、もし自分のせいで怪我をしていたら治してあげた方がいいだろうし。

 

「……アー、えーと。さっきはぶつかってゴメンなの。ディーキンは謝るよ。そっちの女の子は大丈夫なの?」

 

 いきなり声をかけられて、コルベールはやや驚いたように目をしばたたかせてディーキンの方に視線を移す。

 ルイズの方は声をかけられてようやく意識が自分の痛みの外に向いたのか、しゃがみ込んだままきっと涙目でディーキンを睨みつけた。

 

「え、ああ……、大事はないだろう。……あの、君、人間の言葉が……」

 

「ちょっとあんた、一体何なのよ!いつまでたっても出てこないし、近づいたらいきなり飛び出してぶつかってくるし! これからあんたのご主人様になる相手に対して、こんな無礼を働いて許されると思ってるの!?」

 

 コルベールがディーキンに返事をしようとしたところで、ルイズが激昂してそうまくしたてた。

 まあ、長時間待たされていらだっていた上に、痺れを切らしてゲートに近づいたところでいきなり頭突きを食らわされたのでは怒るのも無理はないだろう。

 

 いきなり女の子の方から激しく怒鳴りつけられて、ディーキンは思わず飛び上がって2、3歩後ずさった。

 

 生来の気の弱さに加えて、機嫌の悪い時の“御主人様”の癇癪で酷い目にあったり、怒声を上げる大勢の人間に追い回されたりした長い間の経験のためだ。

 未だに怒鳴られたりすると当時の事を思い出して、反射的にぎくっとしてしまうのである。

 今では“ボス”と一緒だったとはいえ恐ろしい悪魔とも戦えるほどの勇気はあるのだが、この性質だけはなかなか完全には抜けないようだ。

 

「ちょ、ちょっとミス・ヴァリエール、落ち着いてください。腹立たしいのはわかりますが、やって来てくれたばかりの使い魔にそんな口を利くものではありませんぞ。彼はこれからの君の、一生のパートナーだということを忘れないように」

 

 指導者であるコルベールにそう窘められて、ルイズは不承不承口をつぐんだものの、ディーキンの方を不機嫌そうに睨み続けていた。

 それを見たディーキンは、慌ててぺこぺこと頭を下げ始める。

 

「アア……、その、ディーキンは謝るの! 本当に、ディーキンにはあんたを傷付ける気なんて少しもなかったの! ……けど、ちょっと不注意だったの……。ごめんなの、でもディーキンは、ただ、呼び出されたことに応えたいって思って……」

 

 キャンキャンと子犬の鳴くような声で哀れっぽく訴え頭を下げて赦しを請うディーキンを見て、今度はルイズの方が困惑してしまった。

 

 もし口応えでもしてこようものなら更に激しく怒鳴りつけていたところだが、こうも素直に、怯えたような哀れな様子で謝られてしまうと気勢が削がれる。

 同時に、待ち続けさせられた苛立ちと痛みに対する怒りでヒートアップした頭が、急速に冷えていく。

 

 ……よく考えれば、相手は人間ではなく亜人ではないか。

 平民なら貴族に無礼を働いたらすぐさま謝るのは当然だが、呼び出したばかりの亜人に人間の礼儀を求めてみても仕方がないだろう。

 

 しかも見たことのない亜人ではあるが、言葉遣いや身体の大きさからみても、どうも相手は子どもではないかと思える。

 小さな子に対して、萎縮しているのをいいことにかさにかかって怒鳴り散らすなんて、 相手が亜人とはいえ罪悪感を感じるし、貴族としても少々みっともない行為だと言わざるを得まい。

 

 第一冷静になって考えてみれば、(どうして向こうが勢いよく飛び出してきたのかはさておいても)使い魔とぶつかったのは要するに自分が召喚の鏡に接近し過ぎていたことにも責任があるのだ。

 ミスタ・コルベールがせっかく注意を促してくれていたというのに、それを無視して勝手に召喚の鏡に近づきすぎた自分も悪い。

 幸い出てきたのが小さな亜人だったから大事はなく、こうして八つ当たりなどしていられるが……。

 もしも使い魔がもっと大型だったりして、それと衝突したりしていたらそれどころではなく、下手をすれば命が無かったかもしれない。

 

 何より、ミスタ・コルベールにも言われたとおり、この亜人はこれから自分の使い魔……、生涯のパートナーとなるであろう相手なのだ。

 初対面から自分の非を棚に上げて一方的に相手の非を咎め、怒鳴りつけるような真似をしては今後の信頼関係にも影響が出てくるだろう。

 そんなことをすれば、一生禍根が残って気が咎めることになるかもしれない。

 そこまでは大げさかもしれないが、それを置いてもこの亜人は、自分の初めて成功させた魔法の証ではないか。

 喜びこそすれ、こんな時に怒って怒鳴り散らすべきではないはずだ。

 

 もしこれが同年代くらいの生意気そうな平民の少年とかだったら『やっと成功させた魔法がこんな平民なんて!』と激高し、無礼を咎めて怒鳴りつけたり召喚のやり直しを求めたりしていたのかもしれないが―――。

 

(―――って、何を考えてるのよ私は。いくら私の魔法でも平民なんかが召喚されるわけないじゃないの!)

 

 とにかく、さっきまでは痛くてそれどころではなかったが、やっと実感が湧いてきた。

 

 ついに、魔法が成功したのだ!

 それもありきたりのちいさなトカゲだのの使い魔ではなく、言葉も話せる亜人だ!

 

 ……よくみるとちいさいといえばちいさいし、なんだかトカゲっぽいが……。

 とにもかくにも大成功には違いないはずだ。

 

(もう誰にも、ゼロのルイズだなんて呼ばせないわ!)

 

「……ああ、その、もういいわ。ぶつかったのはこっちも不注意だったみたいだから。顔を上げなさい。ええ、と……、あんた、ディーキンっていう名前なのよね?」

 

「ああ! だからその……、アー、えーと。許してくれるの? ありがとう、ディーキンはすごく感謝するよ! ……えーと、そうなの。ディーキンはディーキンっていうの。“ディーキン・スケイルシンガー”なの。それで、あんたの名前は、ルイズっていうんだよね?」

 

「そうよ。私の名前はルイズ。“ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール”よ、覚えておきなさい」

 

 ほっとしたように頭を上げると二、三度頷いてニヒヒヒ、と笑うディーキンを指差して、周囲の学生達が一層騒がしくざわざわと雑談を続けている。

 

「ねえ、あいつ人間の言葉で喋ったわよ!」

 

「どんな種族の亜人だ? おい、誰か知らないか?」

 

「人間の言葉を話せるってことは……、もしかして先住魔法も使えるのか!?」

 

「……うーん、ゲートをくぐった時に喋れるようになったとかじゃない? それに使えるとしてもまだ子どもじゃないの、あれ?」

 

「ゼロのルイズにペコペコしてるような奴だしな、気ばっかり強いゼロにはちょうどいいぜ!」

 

 ディーキンはきょろきょろして、その反応にまた首をひねる。

 ルイズは、こっちとの話を中断して「何よ、召喚を成功させたのよ、もうゼロじゃないわ!」などと怒鳴り返しているようだ。

 その様子を見た周囲は何やら一層囃し立てている様子(ディーキンには理解しがたい言葉がいろいろ混じっていて、内容はよくわからなかったが)である。

 

(ウーン、この女の子は普段からこんなふうによく笑われてるのかな? いや、それはともかくとして……、やっぱり、なんかおかしい感じがするね)

 

 確かに周りの人たちが言うとおり自分は今喋ったが……、コボルドが喋るのは、当たり前ではないか。

 

 共通語(フェイルーンで、人間の文化圏を中心に最も広く普及している言語)を話せるコボルドは、まあ確かに、それほど多くはない。

 多くのコボルドは野蛮で学がなく、普段仲間内の会話で使うドラゴン語しか話せない。

 しかし、少なくともディーキンの認識としては、決して驚くほどに稀だというわけでもないのだ。

 

 事実、自分の部族には族長やコボルド高跳び隊を指揮する“飛び跳ね匠”をはじめとして、共通語を喋れるコボルドは大勢いた。

 コボルド自体を知らないにしても、共通語を話せる生物は別に珍しくもなんともない。

 野蛮なゴブリンにだって、地下に住むドロウやデュエルガーにだって、共通語を話せる者は大勢いる。それだけありふれた言語なのだ。

 

(ン……? おかしいといえば……、この人たちの話している言葉も、何かおかしな感じがするね?)

 

 彼らの喋った言葉の意味は自然に理解できていたので今まで特に意識していなかったのだが、注意してよく考えてみるとどうにも妙なことに気がついた。

 ごく普通の、特に注意を払っていない人間ならばこんなことにすぐには気付かないかもしれない。

 しかし、ディーキンの詩人(バード)として、また冒険者としての感覚と経験が、違和感を訴えたのである。

 

 その違和感というのは、周囲の人々は皆、ディーキンの知る共通語を話しているように聞こえるのだが……。

 彼らの言葉には、地域特有の訛りがまったく感じられないということだ。

 

 ここがどこか、正確なことはディーキンにはまだ分からない。

 しかし観察した限りではウォーターディープとは相当に離れた場所であるはずだ、見受けられる人間の人種さえも異なっているのだから。

 ならば、たとえ使っている言語は同じ共通語であっても、ウォーターディープに住まう人々とは異なるその地域特有の訛りや方言じみた言葉が混ざっているのが普通のはず。

 

 実際、ディーキンはいろいろな地方や、時には異なった世界までもを旅してまわって、何度もそういった場所場所の言葉の違いを感じた経験がある。

 なのに、ここではそれがまったく感じ取れないのだ。

 周囲の人々はすべて訛りのない、より正確にはディーキンが訛っていると感じない、最も理解しやすい響きの共通語で話しているように聞こえる。

 

(……ウーン、これはもしかして……、ディーキンやこの人たちが今話してるのは、実は共通語じゃなくて……)

 

「ええと……、いいかね?」

 

 考え込んでいると、横合いからコルベールと呼ばれた男に声をかけられた。

 ルイズとか言う女の子の方はどうしたのかと視線をめぐらすと、まだ囃し立てている周囲の生徒らに何やらぎゃあぎゃあと騒いで噛みついているようだ。

 

(そういえば、さっきから使い魔がどうとかご主人様が何だとかいってるのも気になるけど……、とりあえず)

 

 声をかけてきた相手に振り向いて、ちょっと首をかしげる。

 

「オホン。 えーと、……“ディオス・エレ・ディーキン・ファグツ”?」

 

「……は?」

 

 ポカンとしたコルベールの顔をディーキンはじっと見つめる。

 何を言ってるんだかわからん、なんだその言葉は? ……という感じの顔だ。

 

「……えーと。聞き取れなかったの? “ディオス・エレ・ディーキン・ファグツ”……って言ったの」

 

「……い、いや……、意味が分からない。それは、君の種族が使っている言葉か何かかい? すまないが、私達の言葉が話せるのならそれを使って話してくれないかね」

 

「ああ、わかったの。あんたはディーキンに用なの?って言ったんだよ」

 

「うむ、ありがとう。……そうだよ、ディーキン君。もう理解しているのかもしれないが、君はミス・ヴァリエールの『サモン・サーバント』の呪文に答えて、この場に召喚されたのだ。どうやら君は人間の言葉を話せるようだが、亜人かね? どうもこのあたりでは見ない種族のようだが」

 

「ンー……、それは、ディーキンにもまだよくわからない、かな?」

 

 ディーキンは、そう言ってちょっと首を傾げると、意味ありげな笑みを浮かべた。

 コルベールは、そのどこか意地悪げな笑みを見て、怪訝そうに顔をしかめる。

 

 なお、別にディーキンにはいかなる悪意もない。

 笑ったのはただ、今の短い会話のやり取りで首尾よく自分の思いついた考えを確かめることが出来たので、達成感から自然に湧いてきただけである。

 爬虫類であるコボルドの笑みは、それに慣れない人間にはどこか意地悪そうに見えることもあるものなのだ。

 

 実は今、ディーキンが最初にコルベールに話しかけるのに使った言葉は共通語である。

 ただし、今までのように特に意識せず自然に話すのではなく一言一言注意して、それこそ“正しい共通語講座”の講義でもするかのように、意図的に正しい発音を心がけて話してみたのだ。

 すると、コルベールには何を話しているのかが分からなくなった。

 

 ディーキンは先ほど感じた不自然さから、彼らの話している言葉は実は共通語ではないのではないか、と推測した。

 ある呪文を使用した時の感覚に酷似していることに気がついたからだ。

 そして今のコルベールとのやり取りで、その考えが正しいことを確信したのである。

 

 おそらくは、あのゲートをくぐって召喚されたときに、一緒に《言語会話(タンズ)》に似たような魔法の効果をかけられたのだろう。

 

(どんな相手でも呼び出すのと一緒に言葉が通じるようにするなんて、便利な魔法なの)

 

 となると、あの女の子はかなり腕の立つ魔法使いということだろうか。

 あまりそうは見えなかったが。

 

(あれ、でも……、あのコルベールって人はこの魔法の効き目を知らないみたいだったけど、自分達の使う魔法のことを知らないなんておかしいね。えーと、こんな魔法を使ったっていうことは、つまり……?)

 

 ディーキンはコルベールと会話しながらも、普段になくあれこれと深く考えを巡らせていた。

 

 英雄と慕うボスが傍にいてくれる時には、恐ろしい怪物や何かに怯えながらもどこか安心して無邪気に旅を楽しんでいるのだが、コボルドは本来は臆病で慎重な生き物だ。

 ディーキンは普通のコボルドとは大きくかけ離れた性格をしてはいるが、それでもコボルドとして生まれ、その文化で育った以上、警戒するということがいかに大切かは、よく知っている。

 あの女の子にせよこの男の人にせよ、危険な相手には見えないし悪意もないだろう、ということは既にほぼ確信してはいるのだが、それでもいきなり見知らぬ土地にやってきて相手の目的や状況をまだ把握しきれていない今、完全に気楽になるのは早いと考えているのだ。

 

 今は自分一人で、自分の責任で行動を決めなくてはならない。

 気をつけて情報を集め、自分一人の力で状況に対処しなくてはならない。

 

 そういう気負った思いもあり、周囲の状況やこれから待つであろう新鮮な驚きに心の底から期待を募らせながらも、一方ではいつになく注意深く状況を把握し、よく考えて行動を決めようともしていた。

 そもそも見知らぬゲートに飛び込む事自体賢明とはいえない、ということはディーキン自身もよく承知しているが、根が無邪気な性格で英雄に憧れ冒険を求めているということと、完全に考えなしに能天気極まりなく振る舞うということとは、また別なのである。

 

 一方コルベールは、安堵の気持ちと若干の警戒の混じった微妙な思いで、目の前の亜人を見つめていた。

 

 安堵しているのは、どうやら成功が危ぶまれていたヴァリエール家の息女も含め、例年通り全員無事に召喚の儀を終えられそうだ……、という、肩の荷が下りたことに関して。

 警戒しているのは、最後にそのミス・ヴァリエールが召喚したのは今目の前にいる見たこともない亜人……、それも人間の言葉を話す亜人だということ。

 

 人間の言葉を話せるほど知能の高い亜人は、“先住魔法”(主に亜人が使う、始祖ブリミルの系統魔法以前から存在した魔法)の使い手である可能性が高い。

 世界に宿る数多の精霊達の力を借りる先住魔法は、総じてメイジが個人の精神力だけから生み出す系統魔法よりも強力であり、人々から恐れられているのだ。

 勿論コルベールも、その例外ではない。

 

(いきなり鏡から飛び出してきた彼にミス・ヴァリエールが体当たりされたことはどうやら単に事故だったようだが……、まだ無害とは限らない。召喚の儀を完全に無事に終えるまでは、気を抜くわけにはいかないな)

 

 コルベールは、総じて楽観的な対応をしている(というか、むしろ警戒などまったくしていない)周囲の学生達ほどには呑気に考えない。

 そもそも、“亜人が召喚される”ということ自体が極めて珍しいことなのだ。

 召喚されるのは通常動物か、幻獣類であることもある。しかし、人間とか亜人が召喚されるというケースはほとんど例がない。

 召喚までにやたら時間がかかっていたのも、気にかかるといえば気にかかる。

 

 動物や幻獣の類であれば、召喚の鏡から自発的にやってきた使い魔は大人しく、まずメイジに危害を加えたりはしないという、多くの前例がある。

 しかし、前例がほとんど聞かれない亜人についてもそうであるという、確固たる保証はないのだ。

 

 目の前の亜人は確かに小さな子どものような背丈しかないし、言動からも稚いというか無邪気そうな印象を受ける。

 悪意らしきものも、まったく感じられない。

 だが先住魔法の使い手だとしたら、体の大きさなどから危険度は判断できないし、だからこそ警戒が必要かもしれないともコルベールは考えている。

 

 亜人は総じて人間とは敵対しているものであり、よくても排他的でお互いに関わり合いにならないものだ。

 知能も、種類にもよるが少なくとも動物などよりはずっと高く、策略の類も用いることが出来る。

 

 この亜人は、いくら召喚に応じたとはいえあまりに人間に対して警戒心が無く、友好的過ぎるのではないだろうか?

 亜人とはいえこんな幼げな声形の相手をむやみに疑りたくはないが、生徒たちの安全には自分が責任を持たなくてはならない。

 人間の町や村に混じり、無害な隣人を装って一人また一人と殺してゆく恐ろしい亜人、吸血鬼のような存在でないとも限らないのだから。

 勿論、使い魔として自発的にゲートをくぐってきた以上は、危険な相手である可能性はかなり低いだろうが……、一応まだ、警戒はしておかなくてはならない。

 

「ン……、つまり、ディーキンを呼び出したのはやっぱりあっちの女の子でいいんだね。ええと、ディーキンは見ての通りのコボルドなの。あんたたちは、コボルドを見たことがないの?」

 

「コボルド……? いや、知っているが……、君はあまり、その、コボルドのようには見えないが」

 

「そうなの? ウーン、まあ、ディーキンはとびっきり美少年だから、普通っぽくは見えないかもね!」

 

 ニヒヒヒ、と笑うディーキンを見つめながら、コルベールは困ったような顔で首をひねった。

 

「……そ、そうなのかね? うーむ……」

 

 コボルドならば、勿論知っている。

 比較的ありふれた亜人だ。書物でどういう生物か読んだこともあるし、実際に見たことだってある。

 

 だが、目の前の亜人はどうみても自分の知るコボルドとは別物ではないか。

 コボルドの美醜なぞ知ったことではないが、どう考えてみてもハンサムだとかそういったレベルの違いではない。

 

 コルベールの知るコボルドとは、犬と人間とのあいのこのような亜人である。

 身長は平均150サント程度と小柄で、全体的には人間のような姿をしているが頭部は犬に似ており、腕と足の筋肉が発達しているあたりも犬を思わせる。

 嗅覚も犬並みで、目は赤く輝いていて夜目が利くという。

 大抵は洞窟などで原始的な暮らしをしているが、時折近隣の集落を襲って家畜や財貨を略奪したりすることがあり、また彼らの崇める犬頭の神に捧げる贄として人を攫ったりすることもあるので、人間とは敵対関係にある。

 しかし力も知能もそこまで大した事はなく、魔法を使えぬ平民の戦士でも何とかできる程度の亜人だ。

 例外は、時折生まれる群れを率い先住魔法を用いる神官――コボルド・シャーマンである。

 

 一方、目の前にいる亜人は……。

 確かに頭の形はどことなく犬を思わせるところがあるし、声もキャンキャンいう響きが混じっていて犬っぽい印象を受ける。目もわずかに赤い。

 だが、共通点はそこまでだ。

 この亜人は全身が黄緑色のうろこに覆われているし、小さな角が生えている。どう見ても犬人間というよりはトカゲ人間ではないか。

 身長も見たところせいぜい100サントあるかどうかといったところでコボルドにしては低すぎるが……、それに関しては、単に子どもだからかもしれない。

 

(うーむ、一般的なコボルドとは似ているような似ていないような……、亜種か何かだろうか? しかし……、生物学に詳しくはないが、犬とトカゲではかけ離れ過ぎているような気がするが……。仮にコボルドだとすると、人語を解する点から見てコボルド・シャーマンの子どもということになるのか……)

 

 コルベールはじろじろとディーキンを見つめながら、今後の処遇について考える。

 

 嘘をついているのだろうか?

 そうだとしたら何のためだろう、もし悪意的に解釈するなら、我々を油断させて隙を突くためか。

 いや、まさか。嘘なら、もっともっともらしい話をするだろう。

 こちらを油断させたいのなら人間の言葉など話して見せず、無学で無力な子どもを装ったほうがいい。

 

(やはり単純に、無邪気な子どもという事でいいのかもしれないな……)

 

 本当にコボルドなのかは少々疑わしいが……、これ以上時間を食うわけにもいかないし、この場で悩んでいても答えは出ないだろう。

 ミス・ヴァリエールとの契約は一応動向に警戒だけしておいて行わせることにして、後で学院長に一応報告して調べてみればよいか。

 

「……どうかしたの? あんたは随分じろじろこっちを見てるみたいだけど、ディーキンの顔に何かついてる?」

 

「ああ、うむ、すまない。とりあえず話はわかったよ。他にもいろいろと聞きたいことはあるが、それはまた改めてということにしよう。ひとまずはそろそろ、ミス・ヴァリエールと……」

 

 といいかけてふと視線を巡らせて彼女の姿を探すと、相変わらず何も考えないで騒いでいられる幸せな学生たちと言い争いをしている真っ最中だった。

 

「おい、コボルドだってよ!」

 

「うむ、コボルドなど、平民の戦士でも勝てるくらいの亜人じゃないか。つまりは平民と同じくらいの役にしかたたないということだね!」

 

「……けど、コボルドってあんなのだっけ? 前に領地で見たことあるけど、なんか随分違うような気が……」

 

「自分でコボルドって言ってるじゃない? ちょっと変わった格好のコボルドだってだけでしょ。なんせゼロのルイズの使い魔だもの、変わりモノがお似合いよ!」

 

「いやあ、あの小ささじゃ魔法も使えないだろうしむしろ何の役にも立たないぜ! 流石はゼロのルイズだな!」

 

 

「うるさいわね! 人の使い魔にケチをつける気なの? ただのフクロウだの、カ、カエルだのが使い魔の奴にはいわれたくないわよ!」

 

 

「コボルドかあ……、ヴァリエールのことだからどんな珍しい亜人かと思ったら大したことないのねえ。でも、シャーマンだとしたら先住魔法を使えるのかしらね?」

 

「……わからない、子どもみたいだから」

 

 うんぬんかんぬん。

 

 教師の苦労も知らずに、いい気なものだ。

 トリステインの名門貴族ともあろう者達が、あんな態度と能天気さでいいのか?

 

 少しは物を考えていそうな2人は他国からの留学生だし、これではこの国の将来が思いやられる。

 

(……ウーン……、なんだか全然すごそうじゃないし、平和そうな人たちだね。すごい冒険って感じじゃないの。書くとしたら、珍しい場所を巡り歩いた旅行記みたいな本になるかな? でも、珍しそうなところだし、ディーキンを呼び出した魔法はすごそうだったし……)

 

 コルベールは内心で溜息を吐き、ディーキンは新しい物語の出だしの部分を考えながら、彼らの言い争いをのんびりと見つめていた……。

 





D&Dのコボルドについて:
ハルケギニアでは、また多くの和製RPGなどでは、しばしばコボルドは犬獣人のような姿のモンスターとされている。
これはD&Dが和訳された当時の、「鱗を持ち犬のような頭で犬じみたくぐもった声を出す」という記述の「鱗」の部分が忘れられたものと考えられている。
当のD&Dでは、初期の版の頃から一貫して「爬虫類の鱗を持つ卵生の人型生物」であると描写されている。
体格は版によっても違うが、3.5版では身長が2~2.5フィート(約60~75cm)程度、体重は35~45ポンド(約15~20kg)程度である。
普段は二重関節の脚を曲げていることが多いが、それをぴんと伸ばすと1フィート程度は身長が高くなる。
この脚の構造のためにコボルドはそのサイズの割に足が速く、人間に引けを取らない。
筋力と耐久力においては人間に大きく劣るが、敏捷性では勝る。また、天然の鱗は厚手の布鎧程度の防御力を持つ。
主に洞窟に住んでおり、完全な暗闇でも物を見ることができるが、明るい光の下では若干目が眩んでしまう。
典型的な属性は「秩序にして悪」である。知性は人間にも引けを取らず、特に罠の作成や鉱山での作業には優秀な腕前を見せる。
彼らを野蛮な種族と侮る者は、彼らが誕生を祝福し、死に名誉を与え、種族一丸となって目的に邁進するその規律と統制の高さを知るとしばしば驚かされる。
また種族全体でドラゴンを崇め、奉仕しており、その血を引いていると自負している。
それを証明するかのようにコボルドには生来の魔法の才を示す者が多く、数多くのソーサラーを輩出している。
コボルドの主神は罠と欺きの神カートゥルマクであるが、ドラゴンの神々を崇めるコボルドも多い。

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