Neverwinter Nights - Deekin in Halkeginia   作:ローレンシウ

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第二十二話 Flirtation

「あー、タバサ! まって、まって!」

 

フライの呪文で空を飛んで魔法学院の厩舎へ向かっていたタバサは、思いがけず背後から聞き覚えのある声を掛けられて、僅かに顔を顰めた。

 

今でなければむしろ歓迎する(普段の彼女を知る者にとっては驚くべきことだろうが)ところだ。

先程の決闘についてや彼の故郷の話など、聞きたいことが沢山ある。

 

だが今、自分は急いでいるのだ。

彼とのんびり話し込んでいる暇などない。

無視してしまおうか?

 

しかし、すぐに思い直した。

 

彼とは今朝から縁があるし、今後聞いてみたいことも多いし、自分の使い魔とも仲良くしてもらうつもりだ。

ここで無視したりして、印象を悪くしたくはない。

 

やむなく止まって声のした方へ向き直ったが、幸いそう待たされることはなかった。

ほんの数秒後には、声の主であるディーキンがタバサの傍に到着する。

 

その様子を見ていたタバサは、内心少し驚いた。

体格と翼の大きさの比率から見て彼は大したスピードは出せまいと踏んでいたのだが、予想外に速い。

おそらくは、最速の部類の馬にも引けを取らないだろう。

 

ちなみにディーキンがこれだけ速く飛べるのは、移動速度を増加させるマジックアイテムを常時着用しているお陰である。

本来はこの半分くらいの速度だ。

 

「何の用?」

「ンー……、ディーキンは、タバサが急いでどこへ行くのかと思ったの。

 今は、授業の時間じゃないの?」

「急用ができただけ」

 

一言だけ答えると、すぐに元の方へ向きを変えて飛ぶのを再開しようとする。

先程授業中に好奇心と気遣いから声を掛けてくれたのはありがたかったが、今は逆に迷惑だった。

一時も惜しい時に、単なる好奇心で呼び止められて無駄に時間を浪費したくはない。

 

ディーキンはタバサの相当急いだ様子を見て、首を傾げた。

 

「ウーン……、もしかして、タバサの使い魔がどうかしたの?」

 

それを聞いたタバサはぴくりと眉を動かして、飛び続けながらも背後に目をやった。

ディーキンは翼を羽ばたかせて、しっかりと自分の後ろについてきている。

 

「何故?」

「ええと、さっきのお話でタバサは、自分の使い魔が今お使いに行ってて、たぶんお昼頃までには戻って来るって言ってたよね。

 でも、急ぎの用事でドラゴンがいるなら、普通は自分で飛ばないでそれに乗って出かけるでしょ?

 ってことは、まだ戻って来てないってことなの。

 もうお昼は過ぎたのにまだ戻って来てないのなら、その使い魔に何かあったのかな、って思ったんだよ」

「………そう」

 

やはりこの亜人は鋭い、と、タバサは内心で唸った。

 

フェイルーンという地のコボルドが皆そうなのか彼が特別に優秀なのかは分からないが、観察力も洞察力も優れている。

なのに自分の使い魔ときたら……、いや、それはもう考えまい。

 

「感覚の共有で調べた。あの子は今、人攫いに捕まってる」

「……? ええと、この辺にはドラゴンを捕まえるような人攫いがいるの?

 それって、巨人とかデーモンとかなのかな」

 

ドラゴンを捕まえるというと、成体になる前の白竜(ホワイト・ドラゴン)を番犬に使う霜巨人(フロスト・ジャイアント)のような連中か……。

もしくはある種のフィーンドなら徒党を組んでそんなこともやるかも、というくらいしか想像できない。

 

そういえば前の主人も以前に霜巨人に痛い目に会わされたことがあったとかで苦手意識を持っていたな、と思い出す。

自身はといえば、カニアの氷原でその霜巨人を大勢倒しているのだが。

それでも、今の自分は前の主人より遥かに強いはずだとはまったく考えないあたりがディーキンらしい。

 

「犯人はただの人間、おそらくメイジが含まれている。

 見てなかったけど多分、人間に変身している間に騙されて捕まっただけ。

 向こうはドラゴンだとは知らないはず」

「ああ……、でも、ドラゴンなら自分で逃げられないの?

 そんなにすごい人攫いなのかな」

「あの子は経験の浅い幼い竜。

 縛り上げられたら一人で逃げるのは難しいし、周りに他にも捕まっている子がいる」

 

タバサは飛び続けながらも、淡々とディーキンの疑問に答えていく。

彼には既に自分の使い魔の事を打ち明けているのだし、事実を説明しても構うまい。

 

そうこうしているうちに厩舎の傍まで来たので、タバサは高度を下げた。

 

「つまり、タバサは自分の使い魔を助けに行くんだね。

 どこに行けばいいかは分かってるの?

 ちゃんと間に合う?」

「連中は攫った子を荷馬車で運んで、ゲルマニアに売り飛ばすつもり。

 荷馬車はちゃんとした道以外は走れないから、国境の関所を通らなければならない。

 馬でそこへ向かえばいい」

 

もちろん関所では積荷を改められるが、普段からこういった仕事に手を染めているのなら、担当の役人は買収済みなのだろう。

ならばこちらは単騎の馬で最短距離を通って先に関所へ向かい、現場を押さえて一網打尽に捕えてやればいい。

 

「オオ、なるほど……。タバサは頭いいの」

 

ディーキンはタバサの明確な方策に、素直に感心した。

 

しかし、タバサは、間に合うのかという質問には答えなかったことにもちゃんと気が付いていた。

話をする間も止まろうとしないこの急ぎようからすれば、かなり危ういのだろう。

 

実際、タバサは果たして間に合うかどうか確証が持てていなかった。

もっと早く気付いていればと、内心で歯噛みをする。

 

いくら道草や買い食いをしていたにせよ、昼食の時間を過ぎてもなお戻らない時点で、本来ならば気が付いていてよかったはずだ。

だが昼食中に突然始まった決闘に気を取られ、終わった後にもそこで見た多くの出来事について考えに耽り。

漸く自分の使い魔の事を思い出して感覚共有を行ってみた時には、既に間に合うかどうか怪しい状況になってしまっていた。

 

(いまさら悔やんでも始まらない)

 

タバサは自分にそう言い聞かせる。

 

今はとにかく全力で急ぐしかない。

それで間に合わなければ、国境の外まででも追いかけていく覚悟だ。

メイジとして自分の使い魔を見捨てるわけにはいかないのだから、他にどうしようもない。

 

ディーキンはタバサの横に並んで地面に降り立つと、厩舎へ向かおうとするタバサの袖を引っ張った。

 

「待って。……ねえタバサ、もしかして間に合わないかもしれないの?

 だったら、ディーキンがお手伝いするよ」

「………手伝い?」

 

それを聞いて、手を振り払って先を急ごうとするタバサの動きが止まった。

 

「ディーキンが、馬よりも速く移動できる方法を用意するよ。

 それと、一緒について行ってその人攫いを退治するお手伝いをするの。どうかな?」

 

それを聞いて、タバサは少し考え込んだ。

 

どんな方法なのかは想像もつかないが、この亜人がいろいろと不思議な魔法を使えるのは間違いない。

それに頭もいいし、信頼のおける人物だとも思っている。

だから馬よりも速く移動する方法を用意できると彼が言うならばそれは事実なのだろう、その点は疑ってはいない。

 

力を借りるかどうかという点についても、悩むような話ではない。

間に合わなければ使い魔の命に関わるのだ。

早く行ける方法を用意できるというのならば、むしろこちらから頭を下げてでも頼むべきところだ。

 

唯一の問題は―――――。

 

「………その方法は、あなたが一緒についてこなければ駄目?」

「ン? アー……、いや、そうでもないけど?」

「それなら、ぜひお願いする。

 けど、行くのは私一人でいい。あなたはここに残って」

 

それを聞いて、ディーキンは顔を顰めた。

 

「なんで? ダメだよ、ディーキンを連れてって!

 だって一緒に行かなかったら、あんたの物語が書けないよ。

 ディーキンは、自分の使い魔をカッコよく助けるメイジのお話が書きたいのに!」

 

タバサは抗議するディーキンに対して淡々と理由を説明する。

 

「これは私の問題で、あなたはルイズの使い魔。

 それに相手は人攫い。あなたを私のために、危険な目にはあわせられない」

 

それに彼は、賢くて奇妙な魔法を使えるとはいえ、幼児のごとく小柄な亜人である。

命のかかった実戦で、果たして役に立つのかどうかはわからない。

対して相手はメイジを擁する人攫いで、おそらくは傭兵崩れか何かの集団だ。

 

自分は一人で戦うのに慣れているし、敵の実力にもよるが奇襲をかければ十分勝てる自信はある。

ゆえに、戦力か足手纏いかも未知数な者を下手に同行させない方が間違いが起こらなくていい、とタバサは考えていた。

 

ディーキンはそれを聞いて少し首を傾げていたが、やがてまた口を開いた。

 

「えーと……、タバサはディーキンに、自分の使い魔と仲良くして欲しいって言ってたよね?

 つまり、友だちになってくれってことなの。そうでしょ?」

 

タバサが首肯したのを見て、ディーキンは続けた。

 

「だったら困ってる時に助けに行かないなんて駄目だと思うの。

 人攫いに捕まってるのに助けに行かないとか、そんな友だちがいるの?」

「別に、必ずしも自分が助けに行かなくてもいいはず。

 自分にできることをすればいい」

 

そう、何も力が無いのに無理に助けに行って殺される危険を負わなくても、自分にできることをすればいい。

 

平民なら、友人が人攫いに捕まった時は近くの貴族に知らせるとかするだろう。

それは賢明な対応であって、決して冷たい対応ではない。

自分は貴族であの子の主人なのだから、あの子を助けるのは私の役目だ。

 

「だからあなたは、私に早く行く方法を貸してくれればそれでいい。後は私が助ける」

「ふうん、それって、ディーキンにはタバサと一緒に行く力が無いって思ってるってこと?」

「そうはいわない。けど、私にはあなたの力がよくわかっていないのは確か。

 だからどのくらいあなたが助けになるのかわからないし、一人でもやれると思う」

 

ディーキンはそれを聞いて、ひとつ首を傾げるとじっとタバサを見つめた。

 

「なら、タバサは賢いし、強そうだけど、冒険者には向いてないの」

「? ……どういうこと」

「冒険者なら、みんなと力を合わせるってことだよ」

「私は、一人で戦う方が慣れている」

「ボスだって一人でも十分強いけど、自分だけで旅をしようとはしないよ。

 一人でも強い人がみんなと力を合わせたら、もっともっと強いの。

 ディーキンはボスやみんなと力を合わせてきたから、今もこうして生きてるんだよ」

 

自分一人でやれると思って単身でダンジョンへ踏み込んで行く冒険者など、ものの数分でモンスターの餌か罠の錆になるのがオチだろう。

どんなに強かろうと戦士や魔法使いには罠は外せないし、罠を外せる盗賊には護衛が必要だ。

自分の持っていない力を持っている仲間と協力できない冒険者は、生き残れない。

 

熟達した冒険者なら、多少事情は違うかもしれない。

だがしかし、どんなに腕の立つ冒険者であろうともミスは必ず犯すし、運が悪い時もあるものだ。

そうしたときにフォローしてくれる仲間がいなければ、ほんの少し歯車が狂っただけでもすぐに命を落としてしまうことになる。

ディーキンはタバサがそんなことにならないか心配なのだ。

 

それに、彼女がそれなりに強いだろうことはわかっているが、一人で何でもできるほど強いとも思えない。

敵の強さもよく分かっていないというのに、彼女一人で大丈夫だろうと高をくくってそのまま行かせるなど、ありえない話だ。

 

「―――でも、……」

 

タバサは思わず少し感情的な反論を口にしそうになって、慌てて口を噤んだ。

 

下手に彼の機嫌を損ねて、やっぱり手助けしないなどと言い出されては元も子もない。

まあ、まずそんなことはないとは思うが。

いやそれよりも、こんなふうに押し問答をしている暇はないのだ。

彼を説得するのは難しそうだし、そうしている時間もない。

どうしたものか……。

 

そんなタバサの内心を知ってか知らずか、ディーキンは更に交渉を続ける。

 

「ディーキンがルイズの使い魔だから、タバサの手助けはダメっていうのも違うの。

 使い魔が攫われて一人で助けに行こうとしてる友達を黙って見送るなんて、ルイズならしないはずだよ。

 だから、ディーキンだってそんなことはしないの。

 それこそルイズに対して恥ずかしいことだからね、そうでしょ?」

「………友達?」

「そうだよ、タバサはディーキンの友達だから、お手伝いをさせてほしいの。

 それにタバサもきっと英雄になれる人だと思うし、ディーキンは親しい英雄の物語なら、ぜんぶ見逃さずに書きたいからね!」

 

そう言ってぺこりと御辞儀するディーキンを、タバサは不思議そうな目で見つめた。

 

この子はどうして先程知り合ったばかりで何の恩義もなく、同族でさえない異種族の娘を疑いもなく友達と呼ぶのだろう?

その上どうして、危険も顧みずに手助けを申し出てくれるのだろうか?

 

そういえば先の決闘の時にも物語を書きたいから、などと言っていたが、そんなことが彼にとってはそれほど大切なのだろうか。

彼の種族は皆こうなのか、それとも彼自身の性格なのか………。

 

タバサはしばし急いでいることも忘れ、無表情な顔を微かに曇らせて悩む。

ディーキンは彼女にとって、様々な面から少なからず心をかき乱す存在だった。

深く考えると、ともすれば心がぎすぎすとささくれ立ちそうにさえなってくる。

 

けれどタバサはそこで、一年程前に親友から『友達になってあげる』と言われた時の事を思い出した。

先程の『タバサはディーキンの友達』という言葉がそれと重なる。

それらの言葉を胸の内で反芻しているとなにか、あの時と同じ、温かい感情が湧き起こってくるような気がした。

 

ささくれ立ちそうになった気持ちが急速に鎮まっていく。

俯いたタバサの顔からすっと陰りが消え、代わりに口元に僅かにはにかんだような微笑みが浮かんだ。

 

「……わかったから、顔を上げて」

 

そうだ、今はそんなことを悩んでいる場合ではなかった。

そして、ゆっくりと感傷に浸っている場合でもない。

 

タバサはディーキンが顔を上げるのを確認すると地に片膝をつき、同じ高さで向かい合うと今度は自分の方から頭を下げた。

顔はすっかり、元の無表情に戻っている。

 

「頼むのは私の方、よろしくお願いする。

 あなたの主人には後で私から説明して謝るから、急いで準備を」

「やった! ディーキンは英雄と友達のためならいつでもでかける準備はできてるよ!

 それにいい物語とか、ケーキとか、あったかいポテトシチューのためでもね。ええと、あと、他にも……」

「急いで」

「ああ、うん……、ごめん、ディーキンは急ぐね」

 

ディーキンは急かされてあせあせと背中の荷物袋に手を突っ込むと、一本のロッド(王笏のような形状の杖)を取り出した。

それを見たタバサは、僅かに怪訝そうに首を傾げる。

 

(杖を使う?)

 

確かに彼の呪文は先住魔法ではなく歌の魔法であり、どちらかといえば系統魔法に近いという説明は、既に受けている。

だが、先程の決闘でメイドを魔法で手伝った(そうに違いないとタバサは確信している)時には楽器を手に持っていて、杖などは使っていなかったはず。

だから先住魔法と同様杖が無くても使えるものだとばかり思っていたのだが……、そうとは限らないのだろうか。

 

またひとつ後で聞きたいことが増えたな、とタバサは内心でひとりごちた。

 

なおディーキンが取り出したのは、《呪文持続時間延長の杖(メタマジックロッド・オヴ・エクステンド)》というマジックアイテムである。

この杖を通して発動した呪文はその持続時間が2倍に伸びるという便利な代物で、冒険者には愛用している者が多い。

関所に到着するまでどの程度かかるのか分からないため、万が一にも途中で効果が切れたりしないよう、念の為使っておくつもりなのだ。

 

ディーキンは取り出した杖を握ると、それでコンコンと二、三度地面を叩いて歌うように呪文を詠唱し始めた。

 

「《スジャッチ・クサーウーウク……、ナヴニック・ジヴィ―――》」

 

朧な影のようなものが呪文に応じて湧きだし、固まって、何かを形作っていく。

 

「……………!」

 

タバサは僅かに目を見開くと、じっとその様子を観察した。

確かにこれは、『錬金』などの系統魔法とは明らかに様子が違う。

 

数秒の後に呪文が完成すると、そこには一体の生物が形成されていた。

体は黒く、鬣や尾は灰色。

奇妙な煙で彩られた蹄を持ち、鞍やはみ、手綱などをしっかりと身に着けている。

 

それを見たタバサの顔が、今度は困惑でやや顰められた。

多少、奇妙な見た目ではあるが……、これは、明らかに、

 

「……馬?」

「そうなの」

「あなたは、馬より速い移動手段を用意すると言ったはず」

「大丈夫、この馬は普通の馬なんかよりずっと、ずうーっと速いの。空を走ることだってできるんだよ!」

 

ディーキンが胸を張って自信たっぷりに請け合うのを見て、タバサは考え込む。

確かに魔法で作り出したのだから普通の馬とは違うのだろうが、構造が馬そのものである以上そこまで極端に速さが違うものなのだろうか。

彼の使う呪文自体が今のところかなり不可解な要素の多いものなので、考えても仕方ないのかもしれないが……、

知識欲も好奇心も強い性質のタバサは、それでも気になった。

 

系統魔法のゴーレムは普通の生き物と変わらないように動かす事が非常に難しく、大型であるほど目に見えて動きがぎこちなくなる。

人間大ならばギーシュのワルキューレのように、概ね人間と同じような動きをさせることも可能だ。

だが馬は人間よりは大型だし、四足歩行なので、人間にとって馴染みがない動作をさせねばならない点もネックになる。

普通の馬と同様に走れる馬型ゴーレムとなると、スクウェアクラスの熟達したメイジでも即席の呪文ひとつでは作れるかどうか。

ましてや普通の馬より遥かに速いものとくれば……。

 

(―――でも、それは普通の馬のように脚で走る場合のこと)

 

翼もないのに空を飛べるということは、フライの呪文と同じようなものがかかっているということだろうか。

それなら肉体構造と速さは関係なく、馬よりずっと速く飛ばすことも不可能ではないかもしれない。

第一、彼が嘘をついているとも思えない。

まあ、少し大げさに言ってはいるのかも知れないが。

 

「……分かった。あなたは私の後ろ?」

 

タバサは気を取り直すと出てきた馬の様子を確かめながらそろそろと跨りつつ、ディーキンに確認を取った。

馬は一頭だが、ディーキンは人間の幼児ほどの大きさだし、タバサ自身も小柄だ。

もしかすると自分の翼で飛んでいくかもう一頭出すつもりなのかもしれないが、相乗りでも十分だろう。

 

ディーキンはそれに対して、首を横に振った。

別に、タバサとの相乗りが嫌だとかいうわけではない。

この幽体馬(ファントム・スティード)は、作成時に指定した一人しか乗れない仕組みだからだ。

 

「タバサが案内してくれたら、ディーキンは自分で飛んで着いて行くの。

 ええと、ちょっと待ってね……」

 

タバサの胸とか背中にしがみ付いて行くことはできなくもあるまいが、自分が小さいとはいえ、この体のままでは流石に辛いものがあるだろう。

ディーキンは小さく咳払いをすると、もうひとつ別の呪文を唱え始める。

 

「《ジスガス、オーシィ・ダラストリクス―――》」

 

歌うような詠唱に伴って、ディーキンの体をほのかな光の帯が包む。

そして光に霞んでぼやけた輪郭が、みるみる縮んで、変形していく。

 

変形が終わって光が消えると、ディーキンは僅か数秒の間にまったく別の形態に変貌していた。

鏡のようにきらめく美しい純白の鱗と、大きな翼、長い尻尾を持ち、四足歩行するそれは見た事もない種類ではあるし、大きさもあまりに小さい。

けれども間違いなく、これはドラゴンの一種であろうと認められるような姿であった。

 

「…………!」

 

それを目の当たりにしたタバサは、先程以上の驚きに目を瞠った。

 

博学なタバサは、韻竜が“変化”と呼ばれる風の先住魔法で自分の姿を変えられることは知っている。

風韻竜である自分の使い魔もその呪文を習得していることは確認済みだ。

 

だが、今の呪文はそれとは明らかに違う。

 

まず、彼は変身する前には鎧やら荷物袋やらを沢山身に付けていたはずなのに、影も形もなくなっている。

普通に考えれば、術者は姿を変えられても着用していたものは変化しないから、壊れるか脱げ落ちるかするはずだ。

少なくとも変化の先住魔法ならばそうなる。

それがどこにも見当たらないとは、一体どうなっているのだろう?

 

全部が全部なくなったわけではなく、装身具などの中には残っているものもかなりあるようだが……、それがなおのこと不思議だ。

どうして、残るものと無くなるものがあるのか?

 

しかも残っているものも、明らかに元の姿の時とはサイズや形状が変化している。

呪文にそういう不可思議かつ便利な効果があるのか、それとも特殊なマジックアイテムでも使用しているのか……。

 

加えて変化の先住魔法と違い、変身時に風の力が働いたような様子はなかった。

力の源や原理は、一体どうなっているのだろう?

 

あのドラゴンにしても、タバサがこれまで読んだどんな本でも、見た覚えのない種類だ。

 

翼や尻尾を目いっぱい伸ばせば全長はかなり大きくはなりそうだが、胴体部分はネコくらいしかない。

まだ幼生の竜である(とはいえ100年以上は生きているが)自分の使い魔でさえ、全長6メイルはあるのに。

生まれたての赤子か何かなのか、それともああいうとても小さい種類の竜なのか。

 

「…………」

 

そんなタバサの数々の疑問をよそに、ディーキンは変化した自分自身の姿を入念にチェックしている。

 

爪を見て、体を見て、翼をばさばさ動かしてみて、尻尾をぱたぱたさせてみて……。

首をあちこちへ回してそれらの様子を一通り眺め終わると、満足そうに胸を張った。

 

ディーキンが誇らしげにしているのは、この姿が彼が憧れを抱いていた形態、以前の主人と同じ白竜のそれであるからだ。

もちろん主人はもっとずっと、比べ物にならないくらい大きかったが。

 

「エヘン……、どう?

 ディーキンはかなり、かなーり、格好良くなったでしょ?

 今のディーキンはさしずめ、ズーパーディーキンといったところなの。ヘッヘッヘ!」

「………」

「うーん、それとも“ディーキン・ザ・ズーパーマン”のほうがいいかな?

 超人みたいで格好良いし、ルイズやキュルケの名前もなんかそんな感じだったよね?」

「………。時間がない、ついてきて」

 

タバサはどうコメントしていいものかわからず、困ったので。

とりあえず自分の疑問を脇に置いて大義名分を盾にディーキンを促すと、手綱を握ってさっさと出発した。

 

 

「すごい……」

 

空中を疾走する影の幽体馬の手綱をしっかりと握りながら、タバサは思わずそう呟いた。

 

何という速さだろう。

最初急ごうと思って全力で駆けさせた時には、速過ぎて危うく振り落とされかかったほどだった。

一旦馬を止まらせてから呪文で体に当たる風圧を遮断するシールドを張り、今度は慎重に手綱を握って、幾分か抑えた速度で再度出発させた。

それでも余裕で、使い魔を乗せた荷馬車より先に関所へ到着できるだろう。

ごく普通の馬の3倍……、いや4倍か、あるいはそれ以上にも速いかもしれない。

ペガサスやヒポグリフ、グリフォンなどといった幻獣類でさえも、余裕で凌駕するであろう速さだ。

 

しかし、この不思議な馬にもまして驚きなのは……。

 

タバサはちらりと後方に目を向ける。

ディーキンはそのネコのように小さな体に比して大きい、幅2メイルを超える翼を高速で羽ばたかせて、今も幽体馬の後ろをぴったりとついてきていた。

幽体馬は全力で走っているわけではないとはいえ、体の大きさからして驚異的な速度である。

特に息を切らせたりしている様子もなく、体力的にも十分に余裕がありそうだ。

 

「……シルフィードより、ずっと速い―――かも」

 

タバサはぽつりとそう呟いた。

 

この馬も、そして彼も。

まだ召喚して間もなくあまり乗ったこともないから確かには言えないが、風韻竜とはいえ幼生である自分の使い魔より、おそらくは速いだろう。

あるいは竜騎士が跨る火竜でさえ凌ぐかも知れない、しかも火竜よりも遥かに小さいため小回りも利くはずだ。

 

なんかうちの使い魔って本気でこの子に勝ってるとこ何もなくね? ……とタバサは思い始めた。

メイジとしてそのような考え方はあまりよろしくないかも知れないが、事実は事実、現実は非情である。

 

なんせ自分の使い魔は召喚してこの方、こちらを舐めているっぽいし。

そのくせ馬鹿だし、愚痴っぽいし、勝手に金を使い込むわ、迷惑はかけられるわ……。

だからといって使い魔交換したいとか、そんなことはメイジとして決して思わない……、いや多分思わない……、思わないように努力はするつもりだが。

 

そんなタバサの内心など露知らず、ディーキンが後ろから不思議そうに声を掛ける。

 

「タバサ、シルフィードってなんなの?」

 

高速で飛びながら今のつぶやきが聞こえるくらいにはディーキンは耳がいい。

まあ冒険者なんだから、<聞き耳>は取っていて何の不思議もない。

 

「私の使い魔」

 

ディーキンは少し首を傾げた。

 

「ええと……、タバサがイルククゥに別の名前を考えてあげたってこと?」

 

タバサがこくりと頷く。

 

「“風の妖精”という意味。先住の名前では、不審がられる」

「オオ……、いい名前だね。

 それに気付いて名前を用意してあげるなんて、タバサは頭がいい上に優しい人だよ。

 詩人にも向いてるかもしれないね!」

「そう……?」

 

大して興味なさそうに返事をするが、タバサの顔には若干照れたように頬に赤みが差していた。

ともあれ、目的の関所まではもうすぐだ……。

 




ファントム・スティード
Phantom Steed /幻の乗馬
系統:召喚術(創造); 3レベル呪文
構成要素:音声、動作
距離:0フィート
持続時間:術者レベル毎に1時間
 術者は半ば実在する馬のようなクリーチャーを創造する。
この乗馬には術者1人か、術者が他人のために作成した場合その人物1人が騎乗することができる。
ファントム・スティードは体が黒く灰色の鬣や尻尾、煙で彩られた音を立てない非実体の蹄を持ち、鞍やはみ、手綱のように見えるものを着けている。
この乗馬自身は戦うことはないが、普通の動物は皆これを避けようとし、交戦を拒む。
乗馬のアーマークラス(以下AC)は18、ヒットポイント(以下hp)は7+術者レベル毎に1ポイントで、hpを全て失うと乗馬は消える。
移動速度は術者レベル毎に20フィート(最大240フィート、普通の馬の移動速度は種類によるが40~60フィートなのでその4~6倍相当)である。
最高速度の乗馬が全力で疾走した場合の速度は、算出すると170km/h以上にも達する。
ハルケギニアの竜騎士が乗る火竜は約150km/hとされているため、それを上回る計算になる。
また、術者レベルが上がるにしたがって乗馬は地形による移動制限を無視したり、水面を疾走したり、空中を走ったりといった様々な特殊能力を得ていく。
 バードの呪文リストには含まれていないが、シャドウ・カンジュレーションでの効果模倣ならばバードにも使用できる。

オルター・セルフ
Alter Self /自己変身
系統:変成術(ポリモーフ); 2レベル呪文
構成要素:音声、動作
距離:自身
持続時間:術者レベル毎に10分
 術者は自分と同じクリーチャー種別でサイズ分類の差が1段階以内、かつ術者レベル毎に1ヒットダイス(以下HD)以下のクリーチャーに変身する。
ただしどんなに術者レベルが高くても、最大で5HDまでのクリーチャーにしか変身はできない。
どのような姿に変身しても能力値やクラス・レベルなどの元の姿の能力の多くはそのまま維持される。
術者は変身先の姿の持つ移動能力や肉体武器、外皮によるACボーナスなどある程度の能力を得るが、超常能力や呪文能力は一切得られない。
変身先の姿に合わない装備品は変身中は肉体に融け込み、機能しなくなる。
術者は変身する種族の正常範囲内でなら、髪や肌の色や質感といった細かな肉体的特徴を選択できる。
この呪文を<変装>のために用いると、判定に+10のボーナスを得られる。
 なお、普通のコボルドは種別が人型生物なので人間やエルフなどの人型生物に変身するがディーキンの場合は種別が竜なので竜に変身する。
ただしヒットダイスやサイズの制限の都合上、サイズ分類が超小型~中型(猫~人間程度の大きさ)の、非常に限られた範囲の竜にしかなれない。
例えば何種類かの真竜のワームリング(ホワイト、カッパーなど)やスードゥ・ドラゴン(偽竜)などに変身が可能である。

ホワイト・ドラゴン(白竜):
 フェイルーンの真竜族の中では最も小柄で知性が低い種であり、彼らは一般的に知性より本能を重視する動物的な捕食者である。
しかし年かさの者は少なくとも人間と同程度には賢く、幼い者でさえ単なる肉食動物とは一線を画する知性を持つため、愚かな生物と考えるのは間違いである。
彼らは住処の周囲数マイルに渡って最上の待ち伏せ場所を全て知っており、戦闘時や己の縄張りを守る際などには特に狡猾に立ち回る。
全身を純白に輝く鱗が覆っており、その顔つきからは狩猟動物の如きひたむきな凶暴さが窺える。
彼らは火には弱いが冷気に対しては完全な耐性を持ち、蜘蛛のように凍った表面を滑らず自由に登攀する事ができる。
凍結させた食べ物を好み、広範囲に極低温のブレスを吐いて敵をまとめて凍らせるとそのまま平らげてしまう。
ある程度以上高齢の個体は呪文や疑似呪文能力も使いこなす。
 ホワイト・ドラゴン・ワームリングの体の大きさは猫ほどしかないのだが、長い首や尾を含めると全長は4フィート、翼を広げた最大翼幅は7フィートにもなる。
成年のホワイト・ドラゴンは全長31フィート、最大級の個体は全長85フィートにも達し、翼幅はそれ以上にも大きくなる。
彼らは移動能力全般に優れており、ワームリングでさえ地上を最も早い乗用馬に匹敵する速度で走り回り、その2.5倍もの速さで空中を飛ぶことができる。
加えて走るのと同じ速さで水中を泳いだり、人間の地上移動速度に匹敵する速さで地面を掘って移動したりすることもできる。
 霜巨人(フロスト・ジャイアント)はよく幼い白竜を捕えて番犬として使う。
しかし白竜が成年以上に達すると力関係は逆転し、逆に白竜が霜巨人の部族を服従させるケースもある。
 なお、D&Dでは年齢が0~5歳の段階のドラゴンの事をワームリング(雛)という。
100歳を超えるとアダルト(成年)に達するがその後も成長は続き、“黄昏”と呼ばれる最晩年を迎えるまで衰えることなく強大化し続ける。
彼らは真竜としてはもっとも寿命が短い種であるが、それでも寿命は平均で2100年以上である。
 主人がホワイト・ドラゴンであったためにディーキンはこの種に思い入れがあるようで、原作中でも自分の翼が白でないことを残念がる様子が見られた。

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