Neverwinter Nights - Deekin in Halkeginia   作:ローレンシウ

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第四十六話 Capture

目の前でディーキンを中に残したまま、小屋が大量の土砂に埋もれてしまった。

 

駆け寄ったシエスタは半狂乱になって泣き叫びながら、土砂を素手で掘り起こそうとする。

ルイズは放心して膝をついていたが、そんなシエスタの姿を見て我に帰り、自分も杖を手に取って何か呪文を唱えようとした。

 

しかし、そこで先ほど自身も間一髪小屋から飛び出してきたばかりのロングビルが、鋭く声を上げる。

 

「待って下さい、2人とも!

 お気持ちは分かりますが、まだどこか近くに、これをしでかしたフーケがいるのですよ。

 そんなことをしていては、私たちまで攻撃されて潰されてしまいます!」

 

ロングビルの指摘に2人は一瞬はっとして顔を上げ、周囲を見回した。

しかし、どうしても小屋の方を気にせずにはいられない。

 

「でっ、でも! 先生が……!」

 

「私のパートナーが、ディーキンがこの下にいるんですよ! このまま放っておいたら……!」

 

涙ぐんで訴える2人に対して、ロングビルは自分を指差してみせた。

 

「私がこの土砂を取り除けて、ミス・ヴァリエールの使い魔を助け出してみせますわ。

 私とて土メイジのはしくれです、どうか任せて下さい。

 あなた方は、その間周囲の警戒を……、『今度こそは』絶対にフーケを近付けないように見張っていてください!」

 

毅然とした態度を装って、そう提案する。

抜け目なく、今度こそは、の部分を若干強調することも忘れない。

先ほど見張りを引き受けたにもかかわらず、フーケの接近を見逃したことに対して彼女らが抱いているであろう罪悪感を刺激しようというのだ。

 

目論見通り、それを聞いたルイズは俯いてぎゅっと唇を噛み、ややあって涙を拭うと、顔を上げて力強く頷いた。

 

「っ……、わかりました! 今度こそ、絶対にフーケを見つけ出して、倒してみせます!

 ミス・ロングビル、どうか、私の……使い魔を、よろしくお願いします!」

 

ルイズはそう言ってひとつ大きくお辞儀をすると、まだ見ぬフーケへの敵意を瞳に燃やしながら、きっと森の方を睨む。

シエスタも同じように頷き、表情を引き締めると、クロスボウを構えてルイズの側へ移動した。

 

キュルケとタバサもお互いに頷き合うと、2人が向かったのとは違う方向へ、それぞれ散ってフーケの捜索を開始しようとする。

 

(よしよし……、どいつもこいつもちょろいもんだね)

 

ロングビルは内心でほくそ笑んだ。

 

この反応からすれば、どうやらあの使い魔の主人であるルイズとかいう小娘は、小屋の中のやり取りを見てはいなかったようだ。

依然として誰にも不信感は持たれてはいないようだし、万事問題なく進んでいる。

まったく、揃いも揃って騙されやすいお人よしどもだ。

 

もっとも、その人の良さと騙されやすさのおかげであの使い魔は命を落としたが、こいつらは助かるかもしれない。

 

予定ではこの後、ガキどもがみんな小屋の回りから見えなくなってから、次の行動を開始するつもりだ。

総員で周囲を捜索していたにも関わらず、またいつの間にか小屋の跡地に出現したゴーレムによって自分が襲撃されたことにして姿をくらますのだ。

ガキどもが駆け付けた時にはすでにゴーレムは消えて、盗賊フーケも秘書ロングビルも消息不明になっている、という寸法である。

その後は、必死の調査を続けるも手掛かりはなく、事件は迷宮入りというわけだ。

自分は見つからないように、ほとぼりが冷めるまでトリステインから離れて他所で仕事を続ければいい。

 

こいつらからは疑われてもいないようだから、予定通りに上手くいけば殺す必要はない。

おそらく使い魔だけ死なせて結局何の役にも立たなかったという無力感に、長く苛まれることにはなろうが……。

 

(……ふん)

 

彼女自身も、別段恨みがあるわけでもない純真な使い魔や少女たちに対する先ほどのからの仕打ちには、若干の後ろめたさを感じないでもなかった。

が、自分には赤の他人の命や痛みなどを気にしている余裕などないのだ。連中が間抜けなお人好しで、そのくせ要らないことにばかり鋭いのが悪い。

そう言い聞かせて、些細な感傷はさっさと頭から追い払った。もう随分と長くこの稼業を続けているのだから、今更というものだ。

 

フーケは今後の予定を頭の中で復習しながら、ルイズらが森の奥へ駆けだして行くのをじっと見送った。

そうして彼女らが見えなくなってから、次の準備に取り掛かる。

 

まずは宝物の杖を抱えて、小屋からゴーレム作成の呪文が届くギリギリ限界の位置にまで遠ざかり、手近の木陰に身を潜めた。

そして、ゴーレム作成の呪文を唱えて巨大な土ゴーレムを再び小屋のあった場所に作り出そうとした、ところで。

 

「……んっ?」

 

ふと、小さく囁く声のような妙な音を聞いた気がして、出所を探ろうと背後を振り返る。

フーケは少し離れた場所にその声の主の姿を認めると、愕然として目を大きく見開いた。

 

「……ひっ!? な、なっ……!?」

 

思わず怯えたような、呻くような声を喉から漏らして、二、三歩あとじさった。

それも無理もあるまい。

 

視線の先には、先程確かに自分が殺して埋めたはずの、あの亜人の使い魔が立っていたのだから。

 

(……ば、ばっ、ばば、馬鹿な!?

 私は確かに、こいつを潰して、小屋ごと土砂に埋め殺したはず……、い、いや、それよりも、埋まった筈なのにどうして後ろに……!?!?)

 

ディーキンもまったくの無傷というわけではなく、泥まみれで、体のところどころに鱗が裂ける裂傷を負って血が滲んでいる。

しかし、どう見ても致命傷となるような深手ではない。自分の体より大きいゴーレムの鋼鉄の拳に潰されたとはとても思えない軽傷だった。

本人も傷を気にした様子もなく、こちらをじっと見つめながら、手に巻物を持って呪文らしき文句を紡いでいる。

 

混乱したまま反射的に杖をそちらに向けようとしたが、すでに手遅れだ。

その瞬間、ディーキンがフーケの額を指さすような動作と同時に、詠唱を完成させた。

 

「―――《キアルズ・マンスレック》」

 

フーケの頭の中にその言葉が、やけに大きく響く。

 

その途端、彼女の体は動かなくなった。

自分の意思に反して金縛りになったのではなく、抵抗しようという意思そのものが突然、抜け落ちたようになくなったのだ。

それどころかすべての思考がきれいさっぱり消えうせ、ただ目の前のディーキンを虚ろな目で見つめるばかり。

 

「……おほん。やあ、さっきの攻撃で、お姉さんに怪我がなくてよかったよ。

 さっき呪文をかけていいって言ってくれてたから、いきなりで申し訳ないけど、かけさせてもらったからね。

 それで、ええと……、もしあんたがフーケだったらその杖を……、いや、服以外のあんたの持ち物を、全部ディーキンに渡して。

 アア、別にあんたがフーケでも危害を加える気はないし、泥棒をしようってわけでもないからね?

 もし誤解だったらすぐに呪文は解くし、持ち物も後でちゃんと返すの」

 

一瞬、その言葉に抵抗しようという考えが頭をかすめたが、それは弱弱しい囁きでしかなかった。

今や、まるで頭の中に直接響いているように感じられる目の前の亜人の声のほうが、ずっと重々しく強い影響力を持っていた。

 

フーケはすぐに手にした杖と宝物の2本の杖、それに隠し持った予備の杖を差し出し、それから自分の体のあちこちを探った。

いざというときのためにいつも隠し持っている短剣や、土石等の魔法の品々を片っ端から取り出して、躊躇なくディーキンに手渡していく。

 

その中には、しかるべき調査に回せば自分の犯行を立証する決め手となりうる、過去の盗品も含まれていた。

 

「ンー、やっぱりお姉さんがフーケだったみたいだね……。

 残念だけど、しょうがないね。じゃあね、これから、してほしいことを言うから――――」

 

彼女はもはや、自分自身の瞳の中に囚われて己の体が演じる劇をぼんやりと見つめる、観客のようなものだった。

欲望も理性も抜け落ちた真っ白な頭の中を、目の前の亜人の言葉だけが何度も反復して、埋め尽くしていく。

虚ろな心は、その指示と自分自身の考えとの区別をつけることもできず、ただ唯一与えられた行動の指針に唯々諾々と従うのみ……。

 

 

『……アー、みんな、聞こえる? 心配かけてごめんなの、ディーキンは無事だよ』

 

森の奥を懸命に捜索していたルイズらの耳に、まだ機能している《伝言(メッセージ)》の呪文を介して、馴染みの声が響いた。

それを聞いたルイズらの動きが、ぴたりと止まる。次いで、歓喜の声が上がった。

 

「ディ……、ディーキン!」

 

「先生!」

 

「ディー君! 無事だったのね!」

 

「……よかった。怪我は?」

 

『うん、ロングビルお姉さんのおかげで大したことないよ。みんな、一回戻ってきてくれる?』

 

安堵の笑みや喜びの涙などを浮かべながら、森の奥から急いで仲間たちが駆け戻ってくる。

ディーキンはどこかぼんやりした様子のロングビルの傍に立って、そんな仲間たちに、にこやかに大きく手を振った。

 

「大丈夫!? 怪我をしてるじゃない、早く治療しなきゃ……!」

 

「ふえぇ……、先生、無事でよかった……。

 ミス・ロングビル、本当にありがとうございます!」

 

ルイズはいち早く彼の元へ駆け寄って涙を浮かべながら泥で汚れるのも構わずその小さな体を抱きしめたり、怪我の心配をしたりする。

シエスタも嬉し泣きしながら、反応の薄いロングビルに礼を言ってお辞儀をしたりしている。

 

少し遅れたキュルケは、微笑ましげにそれを見守りながら、あなたも行ったら? などと傍らのタバサをけしかける。

そのタバサはといえば、ほっとしたような気配を見せながらも、何か思うところがあるのか、しばらくじっとディーキンの姿を見つめていた。

 

「みんな、心配してくれてありがとう。

 ディーキンはすごく申し訳ないし、うれしいよ。でも、本当に大したことはないからね……」

 

ディーキン自身はといえば、皆を安心させるようににこやかな笑みを浮かべながらも……。

内心ではルイズやシエスタがあまり泣くので、少し後ろめたいような、申し訳ないような気分になっていた。

 

実は、彼は上空から先ほどからの一部始終をちゃんと見ていたのである。

ルイズやシエスタが潰れた小屋に自分の名を呼びながら駆け寄るところも、フーケが皆を言いくるめて小屋から離れさせたところも。

 

ディーキンが先ほど、思いがけない強襲で完全に不意を打たれ、ゴーレムの拳をモロにくらったのは事実である。

それなのに生きていたのには、別に何の裏もない。

ただ単に、彼がその程度では死なないくらいに丈夫だというだけのことだ。

一般人なら叩き潰されて即死だっただろうが、高レベルの冒険者にとってはあんな拳の2発や3発では、致命傷には程遠い。

実際、今ディーキンの手にしている『破壊の杖』ことM72ロケットランチャーでさえも、単発では到底エピック級の冒険者は殺し得ないだろう。

 

とはいえ、傷が浅かったにせよ、ディーキンは拳の重量を押しのけて脱出する前に、大量の土砂に埋められてしまった。

それがなぜ、上空から姿を現したのか?

 

それは、簡単にいえば魔法の力によるものだ。

 

ディーキンは事態を把握すると、まずは自前の爪で土砂をかき分けてある程度のスペースを確保し、口の中に入った泥を吐き出した。

それから《次元扉(ディメンジョン・ドア)》の呪文を使って、上空へ百フィートほど瞬間移動し、土砂から逃れたのである。

多少時間をかければそのまま土を掘って脱出することもできなくはなかっただろうが、一刻も早くロングビルの動向を確認したかったのだ。

いくら杖を置くなどの小細工を弄したところで、あまりにできすぎたタイミングでのこの強襲には疑いを増さざるを得なかった。

 

その後は、上空からひどく取り乱して心配している仲間たちを見て、すぐにでも降りて行って無事を知らせたい、とは思ったが……。

しかしロングビルへの疑惑にここではっきりとケリをつけておかなくては、今度は他の仲間まで危険にさらされかねない。

そう考え、心苦しいながらもすぐには出ていかず、透明化してそのままロングビルの動向を見張り続けたのである。

 

案の定その後もロングビルは人払いをしたり、こそこそと森の奥に隠れてゴーレムを作り出そうとしたりと、怪しい行動をとり続けた。

そこでもうこれ以上静観する必要はなしと判断し、フーケの背後へこっそりと接近して呪文をかけたというわけである。

 

かけた呪文は、《人物支配(ドミネイト・パースン)》である。

先程の小屋の中では、《嘘発見(ディサーン・ライズ)》を使うだけで済まそうと思っていたのだが……。

いきなり小屋の外からゴーレムで強襲してくるような相手では、しっかり行動を束縛しておかないと危険だろう。

 

まあとにかく、ちょっと面倒はあったが、幸い自分が軽く負傷しただけでみんな無事だったわけだし、これで一区切りついただろう。

 

ディーキンがそう考えてほっと一息ついているところへ、タバサがつと歩み出た。

別にキュルケにけしかけられたからというわけでもないだろうが、彼女はそのままディーキンの傍へ寄って、傷の具合を間近で観察する。

 

……ゴーレムに潰されたにしては軽傷だが、おそらくどうにか、直撃は免れたのだろう。

とはいえ、それでもあちこちに小さな裂傷があるし、そこから鱗の下の肉が覗いて血が滲んでいる。

体中に土がついているし、ここは感染症を避けるためにも、早く手当てをした方がいいはずだ。

 

「私が治す。動かないで」

 

ハルケギニアのメイジには、『ヒーリング』と呼ばれる水系統の回復魔法がある。

 

熟達すれば切断された四肢をつなげることも可能だが、そこまでできるのはスクウェアクラスの水メイジくらいのものだ。

並みのメイジでは完全に治せるのは掠り傷などの軽傷だけで、ある程度深い傷を治すには『水』の秘薬が必要になる。

命に係わるほどの重傷では秘薬を用いても完全に治すことは難しく、命に別状がないところまで治癒させた後は、自然回復を待つ形になることも多い。

 

とはいえ、タバサは学院では屈指のトライアングルクラスのメイジであり、水も二番目に得意な系統である。

このくらいの傷なら、精神力はかなり使うがなんとか秘薬なしでも塞げるだろう、と考えたのだ。

 

いや、本当に大したことないから……、と遠慮するディーキンをよそに、タバサは呪文を唱えた。

 

「イル・ウォータル・デル……」

 

しかし、呪文を完成させても、傷が思うように塞がらない。

タバサは僅かに首をかしげてさらに精神力を注ぎ込み、呪文の力を強めてもう一度やってみた。

それでもやはり、傷はほとんど癒えた様子もない。

 

「……ごめんなさい、私では無理。

 学院へ戻って秘薬を買って、教師に頼んで」

 

タバサはやや怪訝そうな、悔しげな様子で、ほんの少し顔をしかめた。

思ったほど自分には『水』の力がないのか……、これでは自分の精神力が尽きるまでやっても、この傷は治せそうにない。

 

実はこれは、タバサの実力が低いからではなく、ディーキンの生命力が見た目からは想像もできないほどに高いせいなのである。

 

ディーキンは外見上は軽傷を負っているだけに見えるが、これでも巨大ゴーレムの拳をモロに直撃された上に生き埋めになっている。

彼が失った生命力は、ごく平凡な一般人なら軽く2回は死ねるほどの量であり、それが彼にとっては浅手に過ぎないというだけのことなのだ。

一般人の軽い怪我を治す程度の治癒呪文では焼け石に水で、ろくな効果が見られないのは当然といえよう。

 

「ありがとうなの、タバサ。

 でも、全然そんな必要はないよ、そこまで気を使ってもらわなくても……」

 

ディーキンはお辞儀をしてそういったが、誰もかれもが口々に自分の身を案じてくる。

ルイズなど、すぐに水の秘薬をありったけ買ってあげるからとかなんとか、えらく大げさなことを言っていた。

 

「ンー……、ええと、心配してくれてありがとう……」

 

ディーキンは頬をかいてそう礼を言いながらも、内心少し困っていた。

 

大事な使い魔だからというのもあるのだろうが、冒険生活になど縁のない貴族の令嬢には、この程度でも酷い重傷に見えるらしい。

自分としてはこの程度の怪我くらい、一晩ゆっくり寝て休んだら魔法をかけるまでもなく全快するだろうと思っているのだが……。

 

しかし、先程はフーケを捕らえるためとはいえ余分に長く心配させてしまったのだし、これ以上余計な心配をさせたくはない。

それにこのままだと、秘薬を買うとか言っている。そんな余計な費用をかけさせるわけにもいくまい。

こうなったら、自分で魔法を使ってさっさと治すとしよう。

 

「わかったの、だけどみんなに迷惑はかけられないよ。

 ディーキンは自分でなんとかできるから、ちょっと離れてて……」

 

そう言って案じる皆を離れさせると、先程と同じように、呪文構成要素ポーチの中から小さな鞄とろうそくを取り出した。

そしてまた、朗々と響く声で呪文を詠唱しながら手を複雑に宙に躍らせ、《怪物招来(サモン・モンスター)》の呪文を紡いでいく。

 

それを見て、ルイズらは不思議そうに首を傾げた。

一体あの小妖精のような少女たちをまた呼び出して、何をしようというのだろうか?

 

「《サーリル、ベンスヴェルク・アイスク……、ビアー・ケムセオー……、

  アシアー! ブララニ・エラドリン!》」

 

数秒間の詠唱の後に、最後の一言に前回とは違う名を唱えて、焦点具を持った手を高く掲げる。

呪文が完成し、ディーキンの目の前にほのかに輝く魔法陣が浮かび上がった。

そこへ理想郷の高貴な存在のエネルギーが招来され、青白く煌めく旋風となって渦を巻いて集まり、瞬く間に実体化した。

 

それは、ゆったりとしたチュニックを身に帯び、美しく輝く曲刀と弓を身に帯びた男だった。

どこか中性的で整った端正な顔立ちと、落ち着き払った優雅な態度。

それとは裏腹に、肩幅が広く、鍛え上げられた逞しい身体。

落雷色の白銀の長髪を風に靡かせ、その目には不思議な、鮮やかな色彩が渦巻いている。

 

しかし、何よりもルイズらが注意を引かれたのは、そのとがった耳だった。

この姿は、まさに、話に聞く……。

 

「エ、エルフ!?」

 

この呪文を披露するのは2回目であるにもかかわらず、先ほどクア・エラドリンを見た時以上の驚きの声が上がった。

皆の声の調子には、若干の怯えさえ混じっている。

 

それも、無理はないだろう。

 

ここハルケギニアにおいて、エルフは“最強の妖魔”として広く畏怖されているのだ。

人間の文明圏の東方に広がる砂漠に暮らす、長命の種族。

人間の何倍もの歴史と文明とを誇る、強力な先住魔法の使い手にして、恐るべき戦士として。

 

彼らの住む土地にはブリミル教における聖地が含まれているため、かつてはその地を奪取せんと、幾度となく軍が編成されたという。

だが、彼らの数の十倍以上の兵を繰り出してようやく勝てるかどうかといった有様で、到底成功の見込みはなく、いつしか派兵は打ち切られた。

ここ数百年というもの、彼らに手を出そうとする愚か者はなく、今ではその恐ろしさにまつわる噂や伝説が一人歩きしている。

 

ディーキンはそういったこの地の事情を思い出して、ちょっと苦笑した。

確かに、ここの人々から見るとエラドリンは大概エルフみたいなものかもしれない。

フェイルーンの感覚では、エラドリンはエルフに似ているが、もっと頑強で強い天界の種族、といった感じだ。

 

さておき召喚された男は、少女たちの警戒した様子を見て、怪訝そうに眉をひそめる。

それから、身に覚えのない非友好的な反応に少々気分を害したと見えて、小さく鼻を鳴らすと自分の召喚者であるディーキンの方へ向き直った。

 

「エルフではないよ、御嬢さん方。私はブララニ、エラドリンだ。

 君らが何を警戒しているのかは知らんがね。

 ……して、わが召喚者よ、今日はいかなるご用件かな?」

 

ディーキンは腕を広げて、自分の怪我を負った体を示して見せた。

 

「見ての通りなの。面倒をかけて申し訳ないけど、ディーキンを治してくれる?」

 

「心得た」

 

ブララニは短く率直に答え、屈みこんでディーキンの肩に手を置くと、目を閉じて精神を集中させた。

その身に備わった疑似呪文能力が呼び起こされ、暖かい純白の治癒の光が掌から溢れ出す。

光はディーキンの体のあちこちの傷口を包むと、たちまち塞いでいった。

 

それを見たルイズらは、驚きに目を見張った。

先ほど、タバサの治癒がまるで効かなかった傷口を、秘薬も使わずに瞬く間に塞いだのだ。

 

一回では完全に傷が塞がりきらなかったため、ブララニはもう一度同じ能力を使って、ディーキンの体の傷を完全に治癒させた。

ディーキンはせっかくだからと、その後ついでに突風を吹かせてもらい、全身に付着していた土を吹き飛ばしてきれいにしてもらった。

 

「他には、何か?」

 

「いや、もう十分なの。ありがとう、ディーキンは感謝するよ」

 

「そうか。できれば今度は、戦いのために呼ばれたいものだな」

 

ディーキンが深々とお辞儀をして礼を述べると、ブララニは会釈を返して、そのまま姿を消した。

 

ルイズらは驚きのあまりディーキンの傷が癒えたことに安堵するのも忘れて、しばし呆然として立ち尽くしていた。

ただタバサだけは、何か思うところがあるのか、杖をぐっと握りしめて、ディーキンの方を見つめていた。

 

 

 

(…………)

 

フーケは、ぼうっとした顔で、どこか遠くの景色を見るように、一連の出来事を眺めていた。

 

虚ろな頭には驚きや怯えのような感情は湧き起こってはこなかったが、それでも周囲の出来事は正しく認識している。

現実感のないぼんやりした頭で、フーケは他人事のように、自分は選択を過ったのだと悟っていた。

 

巨大なゴーレムに叩き潰されても平然としている、異常な頑健さといい。

伝説の妖精やエルフに酷似した強力な魔力を持つ亜人を召喚して使役する、わけの分からない術といい。

そして今、自分を支配している、この得体のしれない精神制御の魔法といい……。

 

自分は甘かった、見た目に騙されていた。

こいつはエルフ以上の、とんでもないバケモノだ。始末しようなど、論外だった。

一切手出しをせず、関わり合いにならず、素直に宝物を返して次の機会を待つべきだったのだ。

 

霞がかったような頭に、僅かに後悔の念がよぎる。

だが、もう手遅れだ。今の自分には何もできない。

 

今は、他のガキどもが戻って来る前に、こいつが言ってくれた言葉だけが頼りだった。

 

『心配しないで、お姉さん。

 ディーキンはあんたを、死刑にさせるようなことはしないからね』

 

とはいえ、どこまでそんな約束が信用できるものか。

 

結果的にはまるで堪えていなかったとはいえ、自分はついさっき、こいつを潰して殺そうとしたのだ。

たとえ本当に命だけは助けてくれるとしても、自分を殺そうとした相手に、そんなに寛大になってくれるとは思えない。

自分がフーケだと露見したとき、その場で引き裂かれなかっただけでもありがたいくらいだろう。

 

(ごめんよ、テファ……。私は、帰れないかも……)

 

心の奥でそんな詫びの言葉を呟いて溜息を吐きながら、フーケは自分の体が指示に従って動くのを、どこか遠くの景色のように眺めていた。

ディーキンはフーケと口裏を合わせて他の探索隊の面々を説得し、宝物を回収して一旦学院へ戻るように話をまとめた……。

 




ディメンジョン・ドア
Dimension Door /次元扉
系統:召喚術(瞬間移動); 4レベル呪文
構成要素:音声
距離:遠距離(400フィート+1術者レベル毎に40フィート)
持続時間:瞬間
 術者は自分自身を距離内の任意の場所へと瞬時に、正確に転送する。その場所を思い浮かべるか、方向と距離を指定すればよい。
この際、自分の最大荷重を超えない重量であれば、所持品を一緒に運ぶことができる。
また、サイズが中型以下の同意するクリーチャーとその所持品を、術者レベル3レベルごとに1体ぶんまで一緒に運ぶこともできる。
大型クリーチャー1体は中型クリーチャー2体相当、超大型クリーチャー1体は大型クリーチャー2体相当である。
 すでに固体が占めている場所に到着した(いわゆる「いしのなかにいる」状態になった)場合、転送されたクリーチャーは1d6点のダメージを受ける。
その後、意図した出現場所から100フィート以内にある、適切な表面の上の何もないランダムな場所に放り出される。
100フィート以内に開けた場所が無ければ、より大きなダメージを受けた上で、1,000フィート以内の開けた場所に飛ばされる。
1,000フィート以内にも開けた場所が無い場合には、さらに大きなダメージを受けた上で、呪文は単に失敗する。
 敵の懐に一瞬にして斬り込んだり、逆に敵に囲まれた状態から逃走したり、ダンジョンの奥からのリレミト的な用法に使ったりと、大変便利な呪文である。
また、この呪文の構成要素は音声のみなので、縛り上げられるなどして体が動かない場合でも、口が自由ならば唱えることができる。

ドミネイト・パースン
Dominate Person /人物支配
系統:心術(強制); 4レベル呪文
構成要素:音声、動作
距離:近距離(25フィート+2術者レベル毎に5フィート)
持続時間:術者レベル毎に1日
 術者は対象の人型生物の精神との間にテレパシー的なつながりを作り出し、その行動を制御できる。
一度制御が確立してしまえば、術者が対象と同じ次元界にいる限り、対象を制御できる距離は無限であり、直接姿が見えている必要もない。
術者と対象が同じ言語を知っているなら、術者は相手を、相手の能力の範囲内でおおむね自分の望む通りに行動させることができる。
同じ言語を1つも知らないなら、ごく初歩的な命令を与えることしかできない。
術者は呪文に精神を集中することで、対象がすべての知覚を用いて感じ取り、解釈した感覚を受け取ることができる。
その場にいるかのように直接見聞きできるというわけではないが、それでも何が起こっているのかについて、かなりの情報を得ることができる。
ただし、術者と対象がこのテレパシー的なつながりを通して、直接意思疎通ができるわけではない。
 対象は日々の生存に必要なもの(睡眠、食事など)を除く他のありとあらゆる活動に優先して、術者からの命令を遂行しようと試み続ける。
このように活動パターンが狭まるため、難易度15に対する<真意看破>判定に成功した者は、対象の行動が心術効果の影響下にあると知ることができる。
 自分の本性に反する行動をするように強制された対象は、+2のボーナスを得て、改めてセーヴィング・スローを行なうことができる。
また、この呪文の支配下にあっても、明らかに自殺的な命令は実行されない。
たとえば、中身が青酸カリだと対象自身が知っている飲料を飲ませたり、酸のプールに飛び込ませたりすることはできない。
しかし、中身が毒だとはっきり知らない飲み物を飲ませたり、酸の溜まった落とし穴が隠してある通路を歩かせることはできるだろう。
 なお、これはバードにとっては4レベルだが、ウィザードやソーサラーにとっては5レベルの呪文である。

ブララニ・エラドリン:
 エラドリンの中の一種族である彼らは、心臓の鼓動の一回一回に至るまで、栄光と褪めること無き情熱でできていると言われている。
彼らは砂漠の遊牧民に似ており、聖なる力を持つシミターとコンポジット・ロングボウを巧みに使いこなす。
また、攻撃、治癒、戦闘補助、行動妨害、精神籠絡などの数々の疑似呪文能力をも扱える、優秀な魔法戦士である。
 彼らの体は冷たい鉄(D&D世界に存在する特殊な材質で、普通の鉄とは異なる)製の武器や悪しき力を帯びた武器でなければ容易には傷つかない。
また、生来の呪文抵抗力によって、弱い呪文を水のように弾く。
さらに、ブララニは本来の姿に加えて竜巻の形態を取ることができ、その形態では高速・高機動で飛行し、突風の攻撃を仕掛けることができる。
彼らの戦闘力はクアとは比較にならないほど高く、ほとんどの人間の及ばない域にあるが、それでもエラドリンの中では比較的弱い部類である。
 ブララニは、サモン・モンスターⅥの呪文で招来することができる。

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