Neverwinter Nights - Deekin in Halkeginia   作:ローレンシウ

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第五十一話 Unhealthy romantic obsession

決闘開始直後のタバサからの『ウィンド・ブレイク』を耐えて、地に降り立ったディーキン。

 

対峙する両者の間の距離は、今はおよそ二十メイル程か。

マジックアイテムによって常時移動力を倍加させているディーキンならば、全力で疾走すれば二秒と経たずに詰められる距離だった。

しかし、一足飛びに踏み込んで間髪をいれずに攻撃するには、やや離れ過ぎている。

この間合いならば、ディーキンが踏み込んで近接攻撃に移る前に、タバサもなにがしかの対応をできるはずだ。

 

一方で、この距離からではタバサが何か攻撃呪文を放っても、ディーキンならばそれが着弾する前に余裕を持って回避してしまうだろう。

広範囲に影響を及ぼす強力な攻撃呪文ならば別だろうが、そのような呪文は詠唱に時間がかかる。

この程度の距離では、果たしてディーキンが踏み込んで来る前に放てるかどうか怪しいところだ。

 

そうなると一見、この距離ではお互いに決め手を欠き、有利不利は無さそうに思えるが……。

実際は、さにあらず。

 

(このままの間合いで、戦い続けてはいけない)

 

タバサは、そのことを既に、はっきりと認識していた。

 

長期戦になっても、今のところ呪文を使っていないディーキンが消耗するのは、体力のみである。

しかし、自分は攻撃するにも防御するにも呪文に頼らねばならず精神力を消耗する上に、体力でもまず間違いなく彼より劣っているのだ。

このまま長引けば、こちらの方がジリ貧になるのは火を見るよりも明らかだった。

 

ハルケギニアのメイジ同士での戦いでは、普通、呪文には呪文で対抗する。

敵の攻撃呪文をこちらの攻撃呪文で相殺したり、防壁を張って防いだり、逸らしたり。

あるいは飛び上がって避けたり、といった具合だ。

 

初っ端の二、三度の呪文攻撃で簡単に勝てると思っていたわけではないが、向こうが何ら呪文も使わずに凌いだのは想定外である。

このままこちらばかりが立て続けに攻撃呪文を唱えていたら、あっという間に精神力が枯渇してしまう。

ゆえに最初の一連の攻撃が失敗した後はそれ以上強引に攻めようとはせず、相手の出方を窺いながら次の手を思案していた。

 

「……ン~」

 

一方で、ディーキンの方もまた、今後の戦い方を検討していた。

 

先程はこのままかわし続けるだけでもいいかと考えたが、『ウィンド・ブレイク』の時は少し危なかった。

もし耐え切れずに吹き飛ばされていたら、次はもっと強力な呪文で、体勢を立て直す間もなく追撃を受けていたかもしれない。

 

やはり防戦一方ではなく、こちらからも仕掛けた方がよさそうだ。

なぜか自分と戦うことを強く望んでいるらしいタバサも、その方が納得してくれるだろう。

 

と、なると……。

 

「よーし、今度はディーキンの方もお返しをするよ!」

 

ディーキンはそう宣言すると、腕をタバサの方へ突き出して動かし、呪文を唱え始めた。

 

タバサは咄嗟に姿勢を低くして身構え、同時に自分も素早く呪文を唱える。

相手にわざわざこれから呪文を使うと宣言されて、その完成を棒立ちで待ってやるほどお人よしではない。

 

タバサはディーキンの呪文が完成するより先に、ほぼ一瞬にして詠唱を完成させると、彼めがけて実体化した魔法の矢を放った。

 

彼女の使用した呪文は、『マジックアロー』だ。

ごく低級の攻撃呪文だが、単純でクセが無いために扱いやすく、威力もなかなか侮れない。

短い詠唱で放てるがゆえに早撃ちをしたい状況にも適しており、つい先日の傭兵崩れの女頭目との、決闘もどきの際にも使用している。

 

しかし、ディーキンは動じる事もなく盾を持った方の腕を無造作に振るって、飛来した矢を過たずに弾き落とした。

 

「……っ、」

 

タバサはそれを見て、すぐに自分の失策を悟った。

相手の呪文の完成を妨害することを狙い、とにかく素早く放てる攻撃呪文を使ったのだが……。

 

冷静に考えれば、先程は不可視の風の刃ですら防いだディーキンにとって、一直線に飛んでくる矢などを防ぐのに難はなかったのである。

ディーキンとて、わざわざ呪文の使用を宣言した以上、何がしかの妨害が入ることは想定していたに違いない。

長々と考える時間が無かったとはいえ、明らかに選択ミスであった。

 

彼女は一瞬、悔しげに唇を噛んだが、すぐに気持ちを切り替えて、ディーキンの使用した呪文に対処しようとそちらへ注意を向け直した。

 

「《バーアリ・ミトネーク》」

 

ディーキンはタバサの妨害によって詠唱を乱す事もなく、一瞬後には呪文を完成させた。

 

彼が突き出した腕の前方に、直径それぞれ三十サントほどの、四つの白熱して輝く光球が出現する。

光球は、すぐさま互いに絡み合うように複雑に旋回しながら、タバサに向かって飛んでいった。

 

タバサはそれを冷静に観察して、これはどのような攻撃か、どう対処すればよいかを、素早く検討した。

 

白熱した球体を放つということは、おそらく系統魔法でいえば『火』にあたる攻撃呪文だろうか。

ならば、自分の系統である『風』で吹き飛ばすことができるはずだ。

同時にその風にディーキンを巻き込むようにすれば、吹き飛ばせないまでも不意をついて多少の隙を作れるかもしれない。

 

タバサはそう考え、少し横へ飛んで、ディーキンを同時に巻き込めるような角度へ移動する。

そうしてから、迫りくる一団の光球に向けて『ウィンド・ブレイク』を放った。

 

だが光球は、放たれた風の影響をまるで受けず、そのままタバサに向けて進み続けた。

 

「…………!」

 

後方のディーキンはというと、姿勢を低くしてぐっと踏ん張り、突風に吹き飛ばされるのを防いだ。

 

どうやら、攻撃が来ることを読んでいたようだ。

先程は空中でさえ踏みとどまれたのだから、不意を撃たれなければ耐えるのに難はない。

 

タバサはまたしてもあてが外れたことに落胆する余裕もなく、慌てて後方に飛び退き、光球から離れようとする。

 

だが、普通に走って逃れようにも、向こうの方が早い。

結局、『フライ』を唱えて空中に逃げた。

立て続けに精神の消耗を強いられるのは辛いが、かといって攻撃を受けるわけにもいかない。

 

しかし、光球はそのまま飛び去ることなく、彼女の努力を嘲笑うかのように軌道を修正して、空中に逃げたタバサを追いかけ続けた。

 

(……まだ、追ってくる……!?)

 

ということは、この呪文には火系統のラインスペル『フレイム・ボール』のように、目標をある程度追尾する性能があるのだろうか。

それとも、術者であるディーキン自身がこの光球を制御して、こちらを追わせているのだろうか。

 

わからないが、いずれにせよ厄介な代物らしい……。

 

 

シエスタは、はらはらしながらタバサとディーキンの戦いの様子を見守っていた。

 

お互いに攻撃呪文の激しい応酬をしているようだが、当たって酷い怪我などしないだろうか。

2人とも分別のある人たちなのだから、気を付けてはいると思うが……。

 

それにしても、どうしてミス・タバサは急に先生と戦いたいなどと言い出したのだろう。

まさか、ミス・ツェルプストーが言っていたように、本当に2人は……。

 

そんな風に考えていたところで、ふと後ろの方で耳障りな声を聞いた気がして、シエスタははっとそちらに注意を向けた。

 

(……あら?)

 

彼女はその声の主を確認すると、きょとんとして首を傾げた。

少し後ろの木に、大きな烏が一羽、とまっていたのである。

声だと思ったものは、どうやら烏の鳴き声だったらしい。

 

だがシエスタは、何となくその烏が気になった。

 

烏などどこにでもいるといえばいるが、この魔法学院ではあまり見かけないのである。

生徒らの使い魔の中には猛獣や幻獣の類もたくさんいるので、おそらくそれを怖れて近寄ってこないのであろう。

 

それに、この辺りに生息している烏よりも一回り大きく、よく見ると種類がちょっと違うようだ。

一体、どこからやってきたのだろう?

誰か生徒の使い魔だろうかとも考えたが、こんな烏をこれまでに見た覚えはない。

 

烏はシエスタが自分を見ていることには気付かず、じいっと戦いの様子を見守っているようだった。

野生動物が、激しい戦いに驚いて逃げるでもなく、じっとそれを観察しているようなのも不思議に思えた。

 

だが、そんな些細なことをあまり気にしていてもしょうがないだろう。

シエスタはすぐにそれらの疑問を頭の隅へ追いやると、2人の戦いに注意を戻した……。

 

 

タバサは光球から若干の距離を稼ぐと一旦地に降りて、試しに今度は氷の矢を一本、光球に向かって放ってみた。

白熱しているように見えるので、氷をぶつければ相殺できるかもしれないと考えたのである。

 

だが、その読みはまたしても外れた。

氷の矢は光球と互いに何の影響も与えあわず、素通りして地面に突き刺さっただけだったのである。

タバサは内心の落胆を押し隠して、再び宙に飛んだ。

 

そうして空中を飛んで光球から離れながらも、タバサの頭をふと疑問がよぎった。

 

(この攻撃は、当たったらどんな効果があるの?)

 

吹き付ける突風にも影響を受けず、氷をぶつけても少しも融かさずに素通りする。

かなりの速度で飛来してくるが、風の流れを乱しているような様子もない。

まるで実体が無いかのようだが、そのようなものが人間に当たって、一体どんな害を与えるというのだろう?

 

最初は『火』系統の魔法と似たような攻撃かと思ったが、明らかに性質が異なる。

もしや、物体ではなく精神に働きかけたり、生体の機能に影響を与えたりするような、『水』系統に似た攻撃なのだろうか。

外見はあまりそれらしくないが……。

 

タバサはそこまで考えたところで、小さく首を振るとその思考を振り払った。

今は、そんなことを詮索してみても仕方がない。

 

(それよりも、戦いに集中)

 

明らかな事実だけを見て言えば、この光球の速度はどうやら、並みの人間が走るよりは少し早い程度のようだ。

ならば、こうして『フライ』で逃げていれば、自分の速さなら追いつかれることはなさそうだった。

 

この光球の呪文も、まさか永久に効果が続くわけではあるまい。

このまま、断続的に『フライ』や『レビテーション』などを使って逃げ続け、呪文が力を失うのを待つか……。

 

タバサが飛びながら、そう考えているところへ。

今度はディーキン本人が、何かをベルトポーチから取り出して、彼女に向けて投げつけてきた。

 

(!! しまった……!)

 

予想以上に厄介な光球への対処に神経を集中させたり、考えごとに気を取られるあまり、彼に対する注意と牽制を怠っていた。

光球がこちらを追尾している間にも、彼の方は自由に動けたのか……!

 

投げられたのは、なにか煌めく小さな、礫のようなものだった。

飛来する礫の狙いは正確だ。タバサは咄嗟に杖を振るって、風の防壁を張った。

 

ギリギリのところで呪文が完成し、その礫の軌道を逸らして、彼女の体に当たるのを防ぐ。

 

しかし、そのために『フライ』の効果が解けてしまった。

この呪文は、他の呪文と同時には使用できないのである。

 

背後からは白熱した四つの光球が迫ってきている。

タバサは今から『フライ』を再度詠唱しても間に合わないと判断し、そのまま重力に身を委ねて落下することで光球群を避けた。

地面に激突する寸前に『レビテーション』を詠唱して落下の勢いを殺し、ふわりと着地する。

 

どうにか難を逃れたが、安堵している暇はない。

タバサはすぐに顔を上げると、再び自分目がけて襲ってくる光球の軌道を見切ろうとした。

 

が……、しかし。

光球は、タバサの方へ互いに絡み合いながら降下してくる途中で、不意に消え去った。

 

「ンー……、時間切れ、みたいだね」

 

ディーキンがそういうのを聞くと、タバサは視線を彼の方に向け直しながら、小さく溜息を吐いた。

 

どのような攻撃だったのかは分からないが、とにかく、どうにか凌ぎ切れたようだ。

逃げ続けるのに精神力を割と消費してしまったが、仕方あるまい。

 

タバサはディーキンに今の攻撃の正体を質問したい衝動に駆られたが、今は戦いの最中なのを思い出してぐっと堪える。

 

(敵に教えてもらおうなんて、甘え以外の何物でもない)

 

そう自分に言い聞かせて、気を引き締め直した。

 

とにかく、結局避け続ける以外に対処法を見いだせなかった今の呪文は厄介だ。

彼にあれをもう一度使う余力があるのかどうかなどはわからないが、ここは楽観視はせず、使えるものと想定する。

となれば、あの呪文をどうにかして使わせないようにするか、あるいは、使われても有効に働かないような状況を作る必要があるだろう。

 

それならば……。

 

(今度は、こちらの番……!)

 

タバサは素早く作戦をまとめると、ぐっと杖を握り直して姿勢を低くし……。

次の瞬間、ディーキンの方ではなく周囲を囲む森の方へとへ駆けだして、木々の間にその身を滑り込ませた。

 

「……オオ……?」

 

ディーキンは、タバサのその意外な行動に、いささか虚を突かれた。

 

実際、先程と同じ《踊る灯(ダンシング・ライツ)》の呪文を今まさにもう一度唱えようとしていたところだったのである。

それによる、更なるタバサの精神力の消耗を誘おうとして。

 

実のところ、ディーキンがタバサに向けて放った白熱光球には、当たったところで何の害もない。

《踊る灯》は、単に自由に動かせる灯りを作り出すだけの、最下級の呪文のひとつである。

 

ディーキンは、この世界の魔法については既にかなりの勉強を済ませている。

その一方で、タバサはディーキンに何ができるかを殆ど知らない。

実際にディーキンが使った呪文を見ても、その性質を短い戦闘の中で正しく把握することは困難だろう。

 

ディーキンは彼女のその無知を利用して、精神力を無為に消耗させようと狙ったのである。

正体不明の呪文を放たれれば、タバサはとにかくそれに対処しようと様々な行動を試さざるを得ないだろう、と踏んだのだ。

本当にタバサに当ててしまえば、その時点で何の害もないということがばれるので、不審がられない程度に時折加減して操作してさえいた。

 

単なる灯から真剣に逃げ惑うタバサの姿は、彼女には申し訳ないことだが、呪文の正体を知る者からすればいささか滑稽であった。

正しく知識の有無こそが、戦闘においては大きくものを言うのだ。

 

また、途中でディーキン自身が彼女に投げつけた煌めく礫も、実際には何の害もないものだった。

たまたまベルトポーチの中に入っていたビー玉を一個、投げただけである。

 

ビー玉は遊びの他にも、床に置いて傾斜の度合いを確かめたり、たくさん撒いて足止めに使ったりできる、冒険者の便利な小道具なのだ。

危険な品かも知れないと危惧したタバサが、咄嗟に呪文で防ぐのを狙ったのである。

第一本当に害のある代物を彼女に投げつけて、万一かわし損ねて痛い目にでも合わせたら自分も嫌である。

 

結果的に、最初級の呪文一発とビー玉一個の消費だけで、タバサに随分呪文を無駄打ちさせることに成功した。

 

まだばれてはいないようだし、ここはもう一回同じ手で……、と、思っていたのだが。

流石に、そんな単純な手が何度も通じるほど甘い相手ではなかったようだ。

 

(ウーン……、タバサは木の間を走り回って姿を隠しながら、こっちを攻撃してくるつもりかな?)

 

これでは木々が遮蔽になって彼女の位置が正確に把握できず、《踊る灯》に彼女を上手く追わせることはできない。

それでいて向こうは様々な角度から、思いもよらぬタイミングでこちらを攻撃できる……。

 

ちょうどそう考えていたところで、案の定、タバサからの攻撃が襲ってきた。

 

 

シエスタはタバサが森の中に隠れたのを見て、見る位置を変えようとそちらの方に足を向けた。

その時、先程の大烏が先に目の前を横切って、そちらの方へ向かって行くのが見えた。

 

(……また?)

 

なにかがおかしい。

あの烏は変だ。

 

明らかに戦いの様子を見ているような、あの動き……。

それに、今目の端に見えたあの烏の表情、あれは笑っていなかったか。

錯覚かも知れないが、確かに嘴の端が、不自然に歪んでいるように見えた。

 

何故か、酷く嫌な印象を与える笑みだった。

何かを嘲笑っているような、そんな悪意が感じられる気さえした。

 

(気のせいかもしれない、けど……)

 

シエスタは密かに、その烏の動向を見張ることにした。

 

どうしてなのか、自分でも上手く説明はできないのだが……。

敬愛する“先生”の試合以上に、今はそちらの方が気になり始めていた。

 

 

ディーキンの周りの空気が急に冷えた。

たちまち水蒸気が凍りついて、ずらりと周囲を取り囲んだ、何十本もの氷柱の矢を形成する。

 

タバサが使った呪文は、『水』、『風』、『風』の攻撃呪文、『ウィンディ・アイシクル』であった。

水が一つと風の二乗、二つの系統が絡み合った強力なトライアングルスペルであり、タバサの最も得意とする攻撃呪文でもある。

 

「オオ……!?」

 

同時に、タバサの姿が左手側の木の陰にちらりと見えた。

 

が、すぐに移動して、また木々の間に姿を消す。

音や気配も、巧みに隠していた。

成程、あれでは、普通の人間ではまず奇襲されるだろう。

その後に反撃しようとしても、その時にはもう彼女は姿を隠した後で、大まかな位置しか掴めまい。

 

だが、ディーキンにはドラゴン・ディサイプルとしての訓練によって得た、鋭い五感による“非視覚的感知”の能力が備わっているのだ。

タバサが攻撃のために遮蔽物の陰から一瞬顔を出したその瞬間には、ディーキンは彼女の所在に気が付いていた。

ゆえに、直後の攻撃に不意を撃たれて慌てふためくこともなく、冷静に対処できた。

 

ディーキンは咄嗟に飛び退いて一本の大きな木を背にし、背後からの攻撃を封じると、急所を盾や腕などで覆った。

 

これだけの数の氷柱では、回避を試みても何本かはかわし損ねてしまうかもしれない。

そのかわし損ねた攻撃が運悪く鎧や鱗の薄い急所にでも当たれば、かえって痛い目にあうだろう。

ならば思い切って、最初から防御を固めて受ける気で行く方がよい、と判断したのである。

 

タバサの攻撃と同時になにか反撃を投じることも考えたが、ディーキンは自分の刹那の判断力を、それほど信頼してはいなかった。

よく考えもせずに咄嗟に迂闊な攻撃を放って、彼女を傷つけては拙い。

これは実戦ではないのだし、ひとまずは彼女の攻撃に対処してその動向を窺い、よく検討してからにしようと結論した。

 

彼が防御態勢を取った、その一瞬後には、氷の矢が四方八方からディーキン目がけて降り注いだ。

ディーキンはしっかり体を縮めてぐっと力を入れ、攻撃に備える。

 

「ンン~……!」

 

氷の矢が次々と体に当たり、連続的に不快な衝撃がディーキンを襲う。

 

しかし、「痛い」と感じるほどのものはなかった。

盾や鎧に当たった物は勿論、鱗に当たった物も角度が悪かったり威力が足りていなかったりで、肉まで通ることはなかったようだ。

鱗に多少の傷はついているかも知れないが、この程度ならかすり傷の内にも入らない。

 

ディーキンの読み通り、あれだけ多くの氷柱を作っている関係上、一本一本の威力はさほど高くはなかったようだ。

この程度ならごく普通の金属鎧程度でも、特に薄い個所に当たらなければ貫かれることはないだろう。

 

攻撃が終わると、ディーキンはほっと息を吐いて盾をおろし、体を一度大きく震わせてひとりごちた。

 

「ウーン……、ちょっと体が冷えたかな。

 ご主人様の洞窟や、あのさむーい、カニアほどじゃないけどね」

 

タバサは木の陰から、悔しげに眉根を寄せながら、その様子をじっと窺っていた。

 

思っていた以上に、彼の全身を覆う鱗は硬いようだ。

実体のある風の刃や氷の矢を使った攻撃を得意とするタバサにとって、その威力を削いでしまう頑丈な外皮を持つ敵は相性が悪い。

 

普段のタバサは、一発一発の威力よりも、手数で勝負することの方が多い。

威力そのものは低くとも、真正面からの対峙を避けて暗殺者のように相手の隙をつくことで、一瞬で勝負をつけてきた。

小さく軽い体から言っても、魔法に対する生来の適性から言っても、そのような戦い方が向いているのだ。

 

ところが、ディーキンは自分の利点も、こちらの戦い方も、ちゃんと心得ているようだ。

その証拠に急所だけを守り、後は自分の防具や外皮を信頼して当たるに任せていた。

この分では、自分の精神力が尽きるまで『ウィンディ・アイシクル』を撃っても、彼を倒しきることはできまい。

 

それ以上に驚くべきは、木々の陰に隠れながら奇襲を仕掛けたつもりが、完全に対応されていたこと……。

自分も『風』のメイジとして空気の流れや微かな音を捉える鋭い知覚力を持っていると自負しているが、彼も感覚は相当に鋭いらしい。

 

(もっと、別の攻撃が要る)

 

タバサはその後もディーキンに自分の位置を掴ませまいと木々の間を素早く移動しながら、様々な呪文で攻撃を試みてみた。

 

まずは、『眠りの雲(スリープ・クラウド)』を放つ。

ディーキンの頭の周りを、呪文によって変成させられた大気中の水による、青白い雲が取り巻いた。

この雲は、僅かでもそれを吸った生物に猛烈な眠気を引き起こさせるのだ。

 

しかしディーキンは少し首を傾げただけで、襲ってくる眠気に耐えようとする様子さえもない。

 

それは当然のことで、フェイルーンの竜族には、眠りをもたらす魔法的な効果に対する完全耐性があるのだ。

タバサはまた知識の欠如によって、自分の精神力を無駄にしてしまったのである。

普段彼女はその事を認識し、任務の相手に対する文献調査なども怠らないのであるが、ディーキンに関しては調べようがなかった。

 

彼女はさらに続けて、不可視の風の縄や地面に走らせた霜の蔦などを用いて、ディーキンの動きを封じようとした。

 

しかし、ディーキンはそれらの束縛を難なくかわすか、たとえ受けてもすぐに振り解いてしまう。

元々これらの呪文はあまり強いものではなく、油断している人間に対して使われる程度の代物であり、明らかに力不足だった。

 

そうした幾度かの失敗を経て、タバサはさらに、悔しさを募らせていた。

 

(遊ばれている……!)

 

ディーキンはこれまでの攻撃で、不意を撃たれて受けてたじろぐ様子を見せることはなかった。

明らかに、こちらの位置をある程度は掴んでいるはずだ。もしかしたら、正確に把握してさえいるのかも知れない。

 

なのに、先程から何も、反撃を仕掛けてこないのである。

 

相変わらず戦闘開始時のまま、少し困ったような顔をしているだけだ。

もっと言えば、普段通りだ。殺気はおろか、戦いに臨んでいるという雰囲気自体が無い。

 

攻撃を仕掛けてきたのは、先程のあの追尾する光球と、投げつけてきた礫一回きり……。

いや、そもそもあれらさえも、本当に害のある“攻撃”だったのだろうか?

 

もちろん、ディーキンには実際には何も悪意はないのだろうし、おそらくは別に、こちらの力を侮っているわけでもないのだろう。

ただ、彼にとってはこれはあくまでも“友人”との手合せであり、相手を傷つけずに終わりたいと思っているだけなのだ。

こちらがいくら刃を向けても、彼が向け返してくるのはいつも通りの平静で友好的な反応と、気遣いだけ……。

 

これでは、自分はまるで、道化ではないか。

 

(許せない……!)

 

こんな惨めなことは、許せない。

私をただ、“友人”としてしか扱わないつもりなら、どうしてでも扱いを変えさせてみせる。

 

自分だけが、彼に害意を向けて無理矢理要求に従わせる賤しい人間で、彼の方は、いつも通りのきれいなままだなんて。

そんな惨めなことは、嫌だ。耐えられない。どんな逆境に耐えるよりも、もっと辛い。

 

もっと、彼にも、自分に対して違う何かを向けてほしい。

誰にでも向けるような親しみや温かさだけではなく、特別な何かを。

 

それが敵意でも、攻撃でも、憎悪でもいい。

キュルケの思っているようなものでなくても、いい。

 

(彼にも、私に、付き合わさせてみせる……!)

 

今のタバサは、その『雪風』の二つ名に似合わない、感情を露わにした表情をしていた。

憎悪と切なさとのまじりあったような、ひどく歪んで醜い、それでいて、奇妙な美しさのある顔つき……。

 

彼女がそんな顔を見せるとは、キュルケでも、他の誰でも、想像だにしないことだっただろう。

 

 

木の上から一部始終を眺めていた大烏は、残忍な嘲笑が零れるのをこらえきれなかった。

クックッ、と鳥の声帯で、低い鳴き声を漏らす。

 

先程の、ただの灯に怯えて逃げ惑う、滑稽な姿も愉快だった。

あの愚かな王女気取りの傀儡娘に克明に教えてやったら、さぞや喜んで、褒美を弾んでくれることだろう。

宝石や金貨は今のところ自分にはさほどの使い道はないが、資源として蓄えておくのは悪くない。

 

だが、何よりもあの娘、王女気取り曰く“人形七号”、それ自体が素晴らしい。

 

普段は仮面を被ったように無表情を通してはいるが、今のあの無様な表情を見れば、内面の歪みはもはや瞭然ではないか。

ここ三、四年ばかりの恨み募る過酷な生活が、あの娘の中には既に重くこびり付いているのだ。

 

これは、上司へ報告して僅かな手柄に変えるには、あまりに勿体ない。

 

あの娘に上手く取り入ってその内心を吐露させ、それに見合う餌を提示して。

自由意志を持つ人間から、本当の人形に……、自分の玩具にしてやろう。

さすれば、半端な良心と憎悪で味付けされたその魂には、さぞや価値がある事だろう。手駒としても、使えるかもしれぬ。

 

(あの魂ひとつで、オレの昇進が買えるかもしれねぇ……!)

 

残忍な皮算用に夢中になり、愉悦に浸る大烏。

彼の中では既に、タバサは自分に約束された正式な報奨のための、生贄にしか過ぎなかった。

 

だが、少し離れた場所からシエスタがじっとその様子を窺っていることには、彼も気が付いてはいなかった。

 




ダンシング・ライツ
Dancing Lights /踊る灯
系統:力術[光]; 0レベル呪文
構成要素:音声、動作
距離:中距離(100フィート+1術者レベル毎に10フィート)
持続時間:1分(解除可)
 術者は以下の中から選んだいずれか1つのバージョンの、自在に動かすことのできる光を作り出す。
最大4つまでのランタンか松明に似た光か、最大4つまでの白熱した光の球体か、かすかに光るおぼろげな人型をした光のいずれかである。
ダンシング・ライツで作り出した光は、互いに半径10フィートの範囲内に留まらねばならない。
それ以外の点では術者の望む通りに移動させることができ、精神集中なども不要である。
これらの光は毎ラウンド、100フィートまで移動させられる。術者と光との間隔が呪文の距離を超えた場合、光は消えてしまう。
 持続時間は短いが、同時に自在に動かせる複数の光源を出すこともできるため、動き回る敵を照らし出したい際などに何かと重宝する。
 この呪文は、パーマネンシイの呪文で永続化させることができる。

非視覚的感知(Blindsense):
 微かな音や匂い、地面の振動などの各種の手掛かりから、視覚に頼らずに周囲のクリーチャーの存在に気が付く鋭い知覚能力。
所有者は<視認>や<聞き耳>の判定を行わなくても、有効距離内に居て効果線が通っているクリーチャーの存在に気付き、位置を特定できる。
透明化していようと、背後に居ようと、サイレンスなどの呪文で音を消していようと、一切関係ない。
 感知の及ぶ距離は所有者によって様々だが、ディーキンのそれは有効距離60フィート(約18メートル)である。

D&Dの竜について:
 D&Dの世界で竜の種別を持つクリーチャーは、有効距離60フィートの暗視、および夜目の能力を持つ。
暗視は完全な暗闇でも白黒の視界で物を見る能力、夜目は薄暗い中でも人間の2倍の距離まで、色や細部の識別を含めて見える能力である。
 また、麻痺の効果や魔法的な睡眠をもたらす効果に対しては完全耐性がある。

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