Neverwinter Nights - Deekin in Halkeginia   作:ローレンシウ

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第五十二話 Self-hatred

タバサが木々の陰に身を隠しながらディーキンに対して激しい感情の炎を燃やしていた、ちょうどその時。

 

「……っ、そこの烏! こちらを向きなさい!」

 

やや離れた場所にいたシエスタが、突然鋭い声を上げた。

 

一体何事かと、ディーキンもタバサも、思わずそちらに注意を向ける。

見れば、シエスタはどうやら、木の上にとまっている一羽の烏を厳しい目で睨みつけているようだ。

彼女は懐から取り出した果物ナイフをいつでも投げつけられるように烏に向けて構えながら、もう一方の手をデルフにかけていた。

 

傍から見れば、正気を疑われそうな奇行だろう。

 

「……?」

 

さすがのディーキンも、彼女が一体何をしているのかすぐには理解できず、きょとんとする。

 

タバサもまた、一瞬怪訝そうに眉根を寄せた。

しかし、彼女はじきに我に返ると、ディーキンがシエスタの方に明らかに気を取られていることに着目した。

 

(好機)

 

もっと余裕のある精神状態の時の彼女なら、暗黙の了解の上での一時休戦として、ディーキンが自分に注意を戻すまで待っただろう。

これは所詮は試合であって、ルール無用の殺し合いとは違うのだから。

 

だが、今のタバサは“任務”に臨んでいる時と同様に、いやある意味ではそれ以上にも、勝つことに執着していた。

それにディーキンが、自分との真剣勝負よりもシエスタの些細な奇行の方に注意を惹かれているのも、気にいらなかった。

 

戦いの最中に、余所事に気を取られている方が悪いのだ。

彼女は自分にそう言い聞かせると、今まで以上に強力な攻撃呪文の詠唱を始めた。

 

用いる呪文は『ライトニング・クラウド』である。

 

単体目標に対する電撃を放つこの呪文は、これまでに用いた風の刃や氷柱の矢のように防具や外皮で防ぐことはできない。

一旦距離内の目標に放たれれば、ほぼ瞬時に着弾する雷の速度ゆえに、回避することもまず不可能である。

 

本来ならば、試合で用いるには危険過ぎる代物だ。

 

電撃は体のどこに当てても全身へ通電するため、風の刃などのように急所を外して狙うということはできない。

殺傷力も高く、並みの人間に放てばまず致命傷。即死することも珍しくはないのだ。

 

しかし、ディーキンの体の頑丈さから言って、死ぬことはまずないとタバサは考えていた。

それどころか、さらなる追撃が必要だとさえ踏んでいた。

 

(彼が電撃で動けなくなったら、『ジャベリン』で足を狙う……!)

 

それは、先程の『ウィンディ・アイシクル』とは段違いに威力のある、一本の太く長い氷槍を放つ呪文だ。

並みの金属鎧程度なら、胴体ごと貫けるだけの威力がある。

痺れてガード体勢が取れないうちにそれを叩き込んで足を砕き、勝負を決めるのだ。

 

この時、もしもタバサが本当に冷静だったなら……。

そのような危険な攻撃を仕掛けようなどとは、決して考えなかっただろう。

 

仮にディーキンが彼女の想定よりも頑丈でなかったなら、電撃が致命傷を与えてしまうかもしれないのだ。

その後の追撃にしても、足を砕こうなどというのはやりすぎだろう。

実戦ならばいざ知らず、友人同士の試合でやるような攻撃ではないはずだ。

たとえ無事だったにしても、そんな攻撃をした自分のことを、後で彼は何と思うだろうか?

 

結局、今のタバサは勝利に執着して焦るあまりに、しっかりと後先を考えられなくなっていたのだった。

 

 

 

(なんだぁ? この女ぁ……!)

 

大烏は、自身の栄光に満ちた未来絵図の妄想に耽っていたところを突然邪魔されて、イラつきながらも眼下のシエスタに注意を向けた。

 

よりにもよって、劣等な世界の、下賤な人間の、卑しい端女ごときが。

近未来の万物の支配者、アスモデウスをも平伏させるであろう者、この大悪魔ジェベラットに対して……。

 

(……んぁ?)

 

ジェべラットはそうして妄想の続きに浸りながらシエスタを睨んでいるうちに、ふと妙なことに気が付いた。

 

目の前の女の、ただの黒髪とは一線を画する、金属的な光沢の髪。

それに輝くような白い肌に、黒真珠のような瞳の奥の煌めき。

先程までは別段注意も払っていなかったが、よく見るとただの人間とは少し違うような……。

 

(なんだぁ、こいつ……?)

 

彼は、胡乱げに顔をしかめてシエスタの顔を注視し、こいつは何者かとしばし考え込む。

そして突然、答えに思い当たると、ぎょっとして目を見開いた。

 

(な、なんで天界の下僕が、こんなところにいやがるんだ!?)

 

シエスタは要求通り自分の方を向いた烏に対して、一旦手に構えたナイフを下し、デルフから手を離した。

そして、じっと烏の方を見つめたまま、言葉を続ける。

 

「……言葉がわかるのなら、ここへ来た目的を答えてください。

 私には、あなたの悪意はわかっています。なぜ、あのお二人を見て嗤ったのですか?」

 

語気はやや穏やかになったものの、その顔つきは厳しいままだった。

 

彼女は先程、パラディンとして授かった《悪の感知(ディテクト・イーヴル)》の能力を、初めて試してみたのだ。

その結果は、あの不審な烏が“悪しき者”だと告げていた。

 

動物の属性が『悪』であることは、通常ありえない。

彼らは普通、『真なる中立』の属性だ。動物には物の善悪や、秩序と混沌の区別を判断する能力などはないからである。

つまり、あの烏はただの動物などではない、ということになる。

 

そして何よりも、パラディンはいついかなる時でも、その力の及ぶ限り悪に立ち向かうものなのだ。

 

(……畜生、セレスティアの搾りカスみてえな雌犬の分際が、偉そうにしやがって……!)

 

ジェベラットは、内心で忌々しげに悪態をついた。

 

だが、彼は感情のままシエスタに襲い掛かるほど愚かではない。

思いもかけぬ邪魔者への憎悪と苛立ちとを募らせる一方で、この状況でどう行動すべきかを、冷静に考えてもいた。

 

目の前の、おそらくはパラディンであろう女の強さのほどはわからない。

しかし、正面から戦って勝てるかといわれれば、正直なところあまり自信はなかった。

忌々しいことだが、自分の力は戦闘能力という面では大したものではないのだ。

 

ましてやここで正体を明かして戦えば、近くにいるコボルドや人形娘も、おそらくは介入してくるだろう。

それでは到底、勝ち目はなくなるし、彼らを利用する計画も台無しだ。

 

ゆえにジェベラットは、直ちに撤退することを決断した。

 

ここで死んで、地獄に送り返されてはたまらない。せっかくの美味しい狩場を、こんなことで手放せるものか。

このような馬鹿げた、ささやかな偶然ごときで、自分が躓くわけにはいかないのだ。

 

絶対に生き延びて、こいつらの情報を自分の手柄に変えてやろう。

なあに、逃げるだけならどうとでもなるだろう。

相手はたかが、脆弱なアアシマールのパラディン一人だ……。

 

「どうしたんですか、答えてください。

 それとも、話せないのですか。それなら……、」

 

ジェベラットはシエスタの言葉など無視してじっと精神を集中させ、自分の内に備わった魔法的な力を呼び起こす。

 

次の瞬間には、彼の姿はふっと掻き消えて、目には見えなくなった。

 

「……あっ!? ま、待ちなさい!」

 

シエスタは慌ててナイフを構え直すと、見えない相手が先程までいた枝のあたりへ投げつけた。

 

しかし、刃物は虚しく空を切る。

彼女がナイフを投げた時には、ジェベラットはとうに枝を蹴って飛び立っていたのだ。

 

「っ、……どこに!?」

 

シエスタは懸命に顔を上げて空を見回したが、まるで何も見えはしない。

そんな彼女を嘲笑うかのように、カアカアという烏のしゃがれた鳴き声が、上空から響いた。

 

もしここにクロスボウがあれば、シエスタは無駄を承知で、矢弾が尽きるまで盲滅法、空中へ向けて撃っていただろう。

だが彼女は、パラディンだとはいえ、普段はあくまでも学院のメイドでしかないのである。

そんな物騒なものを、日常的に持ち歩いたりはしていなかった。

 

(くっ……!)

 

何もできない己が身の無力さに、シエスタは歯噛みをした。

だがこのまま、不審かつ邪悪な存在をみすみす学院から逃すわけにはいかない。

 

やむなく決闘中の2人に協力を求めようと振り向く。

しかし、その時には既に、2人はシエスタの言葉を待つまでもなく、それぞれの行動を起こしていた……。

 

 

 

タバサは木の陰で密かに『ライトニング・クラウド』の呪文の詠唱を終えると、ディーキンの様子をもう一度確認した。

彼は相変わらず、烏に話し掛けるという奇行を続けているシエスタの方に注意を向けたままだ。

 

「……っ、」

 

タバサはその端正な顔を、僅かながら悔しげに歪めた。

 

私との勝負の最中だと言うのに、そんなにもそのメイドの様子が気になるのか。

私などは取るに足らない、問題にもならない相手だとでもいうのか。

 

彼女は内に激しい感情を秘めながらも、慎重に息を潜めて、じっとディーキンの動向を窺った。

 

ディーキンはシエスタが烏に向けて悪意云々と言ったあたりで、困惑したように首を傾げる。

そして、荷物袋に盾を持っていない方の手を入れて、何かを取り出そうとした。

 

(今……!)

 

タバサはディーキンの両手が完全に塞がった、その瞬間を見逃さなかった。

すかさず攻撃しようと、木の陰から飛び出す。

 

「……ン」

 

ディーキンは非視覚的感知の能力によって、タバサが木の陰から顔を出した瞬間には彼女の所在に気が付いていた。

 

しかしちょっと小首を傾げただけで、タバサの方に注意を向けることはなく。

そのまま荷物袋をいじりながら、シエスタの方を観察し続けていた。

 

別に、ディーキンはタバサを侮ったり軽んじたりしているからそんな態度を取ったわけではない。

むしろ、彼女を信頼しているからこそだといえる。

 

タバサとの一件はあくまでも試合だが、シエスタの方はもしかしたら、もっと重大な事態かも知れないのだ。

と、なれば、当然そちらの方が優先されるべきだろう。

 

こんなアクシデントが起きたのだし、きっと察しのいいタバサなら、暗黙の了解で戦いは一時中断にしてくれるはずだ……。

ディーキンは、そのように考えていたのである。

 

だが実際には、タバサは今、目の前の戦いのことしか頭になかった。

今の彼女にとっては、シエスタや烏のことなどは二の次三の次であり、ほとんど眼中にない。

 

タバサは躊躇せずに杖をディーキンの方に差し向け、あらかじめ唱えておいた『ライトニング・クラウド』の呪文を解き放った。

 

途端にタバサの頭上の空気が急速に冷えはじめ、ちくちくと彼女の肌を刺す。

空気が震え、大きく弾けると同時に、タバサの周辺から発生した稲妻がディーキンに向けて走った。

 

「……えっ?」

 

空気中に作られた小規模な雷雲に導かれた電撃は、直前にやや驚いたような顔で振り向いたディーキンの体を直撃し、全身へ通電した。

彼の全身を覆うウロコの間に、バチバチと激しく火花が散る。

 

「オオォ……、ッ!?」

 

ディーキンは全身に走る不快な刺激に、顔をしかめる。

 

しかし、ダメージ自体は大したものではなかった。

一般人ならばほぼ確実に死ぬだろうが、ディーキンにはこれよりももっと強烈な電気を喰らった経験はいくらでもある。

 

だがそれは、タバサも事前にある程度は予想していたことだ。

 

彼女はディーキンが倒れないのを見ても動じることなく、速やかに次の呪文を唱え始める。

予定通り、『ジャベリン』を近距離から足へ放ってやるつもりだった。

体が痺れて上手く動かない間に、自分の足よりも太い氷槍を間近から受ければ、流石に彼とて……。

 

「……!?」

 

そう考えていたタバサは、しかし、次の瞬間、彼女の想定をも超える、信じがたい反応を目の当たりにした。

 

ディーキンは全く痺れなど感じさせない動作で、荷物袋の中から小さな弓と矢を取り出したのである。

しかもあろうことか、それをタバサに向けて構えるでもなく、彼女を無視するかのように、またシエスタの方に視線を戻した。

 

おまけに、弓を構える邪魔になるからか、それまでタバサからの攻撃を防ぐのに使っていた大盾を外し始めた。

タバサが今、目と鼻の先にいるというのに。

 

(……そこまで……!!)

 

そこまで、それほどまでに自分を馬鹿にするのか。

許せない、絶対に。

 

心が猛り狂う冷たい氷嵐で満ち、感情の高ぶりが、タバサの魔力をより高めていく。

タバサは、一層目を鋭く、冷たくすると、内心の激情を押し隠して淡々と詠唱を続けた。

 

「……ラグーズ・ウォータル・イス・イーサ・ ハガラース……」

 

彼女は詠唱に合わせて杖を回転させ、それに伴って身体の周りを大蛇のごとく巨大な氷の槍が回り始める。

槍は回転するうちに膨らみ、どんどんと太く、鋭く、冷たい青の輝きを増していく……。

 

その時、ディーキンがやや首をかしげると、突然ひょいとタバサの方を振り向いた。

 

「ねえ、タバサ。悪いけど、ちょっとだけ戦いの続きは待ってほしいの。

 今はシエスタの方が、何だか気になるからね」

 

ディーキンは、タバサに向かってふるふると首を振ってそう頼むと、ひとつお辞儀をして、またシエスタの方に目を向け直した。

目の前で剣呑な氷の槍が回転している最中だというのに、まったくいつも通りの様子だった。

 

タバサは、その時間近でディーキンの瞳を見つめ……。

そこに宿る感情の正体を悟ると、愕然とした。

 

今まさに、並みの人間なら命を奪われかねないような呪文で不意討ちを受けた直後だと言うのに。

目の前で、それにもまして強力な攻撃を仕掛けられようとしているのに。

 

そこには敵意も憎悪も、侮蔑も警戒もなかったのである。

ディーキンの瞳の奥にあるのは、ただ、いつもとまったく変わらない信愛の感情だけだった。

 

タバサは、今度こそはっきりと悟った。

 

彼がまるで無警戒に盾をしまい込んだのも、こちらに背を向けたのも、自分を侮っているからなどでは決してなかったのだ。

彼はただ、自分を、心から友人として信頼してくれているのだ。

先の不意打ちも、彼はただ、態度で休戦の意志を示したつもりが意思疎通に不具合があったのだ、程度にしか思っていないのだろう。

こちらが彼の意志を無視して攻撃したなどとは、少しも疑ってさえいない……。

 

(……私、は……)

 

タバサは、完成した『ジャベリン』を杖の先に纏わりつかせたまま、呆然として立ちすくんだ。

怒りも憎しみも一瞬で吹き飛び、どうしたらいいか、自分がどうしたいのか、わからなくなってしまったのだった。

 

“だから、なんだ?

 彼が自分のことを信頼しているから、それがなんだというのだ?”

 

戦いは非情、油断する方が悪いのだと、自分はこれまでの戦いで嫌というほど学んだではないか。

何を躊躇う必要があろうか。

この甘い、おめでたい亜人にも、自分が否応なく味わわされてきた現実の厳しさを叩き込んでやればいいのだ。

あの一点の曇りもない脳天気な笑顔を、今度こそ崩してやりたい……。

 

タバサの心の一部には、確かにそう唆す昏い感情があった。

 

しかし、タバサにはその声に従って杖を振り下ろすことが、どうしてもできなかった。

彼女の脳裏を、今は亡き、愛する父の面影がよぎる。

 

(……父さま……)

 

タバサの父であり現ガリア国王ジョゼフの弟であったオルレアン大公シャルルは、信頼していた兄に裏切られて殺された。

 

(父さまは、伯父を心から信頼していた……)

 

なのに、伯父は恥知らずにもその信頼を裏切って、父を暗殺した。

才能あふれる弟への嫉妬と、王座への欲望がその動機だった。少なくとも、タバサはそう信じている。

 

……では。今自分が、ディーキンに対してしようと思ったことは何だ?

 

自分は、彼に身勝手な妬みや僻み、歪んだ執着を抱くあまり、彼からの信頼を無視して背後から攻撃したいと考えたではないか。

しかも、死んでも構わないというほど、本気で攻撃しようとしたではないか。

足を狙おうという考えさえ、最後の瞬間には吹き飛んでしまっていた。

そのままいけば、心臓や首筋を狙っていたかもしれない。

 

聡明なタバサには、その事がはっきりと認識できた。

そして、それを自分の中で適当に誤魔化して済ませてしまうことができないほどには、彼女は高潔だった。

杖を握る手が、微かに震える。

 

今、自分のしようとしたことは、あの恥知らずな伯父が父に対してしたことと、一体どれほど違うというのか……。

 

(……自分も、父さまや母さまの仇である、あの伯父や従姉妹と同じ。

 私にも、あの恥知らずな、ケダモノの血が流れている……)

 

これまでずっと目をつぶってきた、否定しようとしてきたその事実を、タバサは今、痛感せずにはいられなかった。

 

タバサは自分の中のその黒い心そのものに対して、今はっきりと向き合った。

そのことは、命懸けの任務の最中にあっても久しく感じたことのなかったある種の恐怖にも似た感情を、彼女に覚えさせた。

今のタバサにとっては、これまでの任務で出会ってきたどんな怪物よりも、自分自身が恐ろしかった。

 

 

 

一方、シエスタの方に視線を向け続けていたディーキンは、そのようなタバサの内心の葛藤に気が付くことはなかった。

しばし眺めているうちに、烏の方にはっきりとした変化が見え、ディーキンは目を見開く。

 

じっと枝にとまっていた烏の姿が、急激に透き通り始めたのである。

 

(オオ……!?)

 

ディーキンには、その烏が《不可視化(インヴィジビリティ)》の疑似呪文能力を使ったのだということがわかった。

しかし、ディーキンにはその烏の姿が、半透明に浮かび上がって見えていた。

これは永続化してある、《不可視視認(シー・インヴィジビリティ)》の効力である。

 

烏はそのまま枝から飛び立ったが、シエスタに自分の姿が見えていないのに安心したのか、なかなか逃げていこうとしない。

そこらを飛び回りながら、彼女を小馬鹿にしたようにしゃがれ声で鳴きはじめた。

 

さてどうしたものかと、ディーキンは素早く考えをめぐらせる。

 

このような能力を持つ以上、この烏が普通の動物でないのはもはや疑いようもない。

しかも、シエスタは悪の存在だと言っていた。

パラディンがそう言うのだから、間違いないだろう。

 

ならば正体はわからないが、すぐに弓で射殺してしまうべきだろうか?

 

しかし……、パラディンであるシエスタには、自分の手で悪を討ちたいという思いがあるはずだ。

敵の強さにもよるが、自分だけで片付けてしまうのは彼女に申し訳ない気がした。

 

それに、正体がわからない以上は、捕まえて訊問してみる方がいいかもしれない。

 

(ウーン、上手く捕まえられるかな……?)

 

ディーキンはひとまず方針を決めると、弓を片手に持ち直し、空いた手でもう一度荷物を探って、『足止め袋』をひとつ取り出した。

そうしてから、すっかり油断しきって空を悠々と飛んでいる烏の方へ、翼を広げて飛び立つ。

 

 

 

(………はっ?)

 

油断しきっていたうえに、シエスタの方にばかり注意が向いていたジェベラットは、ディーキンの接近に気付くのが遅れた。

もっとも、仮に事前に気が付いていたとしても、ディーキンの方が飛ぶのは早い。

 

(こ、このトカゲ野郎……、俺が見えてやがるのか!?)

 

タバサを軽くあしらうのを見てはいたが、たかがコボルド、物質界の弱小な種族だと、心のどこかで油断していた。

慌てて身を翻そうとしたが、既に手遅れだ。

 

ディーキンの投げた袋がジェベラットに直撃して破れ、内部に詰まっていた粘性の高い錬金術物質が彼の、烏の体を絡め取る。

ジェベラットは必死にもがいたが、空気に触れてたちまち強靭な弾性を帯びたネバネバからは逃れられない。

 

翼の自由を奪われて、彼は地面に落下した。

 

「先生!」

 

そこへ、シエスタが歓声を上げて駆け寄る。

 

「ち、畜生! この、掃き溜めみてえな世界で生まれた、レムレーの素どもがぁ……!

 手前らなんぞ、俺が栄光を掴む役に立たねえならラルヴァにでも食われやがれってんだ!!」

 

ジェベラットは必死に体を起こしながら、もはやこれまでと覚悟して、透明化も変身も解除してシエスタを迎え討とうとした。

同時に、それまでは心中に留めていた口汚い罵りの言葉を、金切り声で早口に喚き散らす。

 

「!?」

 

ディーキンはその姿を確認すると、ぎょっとして目を見開いた。

 

ディーキンよりも一回り以上小さい、まるで血のような暗赤色をした体。

革のような質感の、蝙蝠めいた翼。

毒を滴らせる、蠍のような棘の生えた尻尾。

そしてねじまがった鋭い角の生えたその姿は、小さいが悪魔めいている。

 

いや、正しく悪魔なのだ。

 

地獄帰りのディーキンにとっては、何度となく見た姿。

間違いなく、九層地獄の狡猾なデヴィル、インプの姿であった。

 

だが、一体何故?

どうして、バートルのデヴィルがこの世界に……?

 

「来るなら来てみやがれ、てめえをバートルへ案内してやるぜ、この―――― ゲブァ!?」

 

駆け寄るシエスタを睨み据えて喚き散らすインプのジェベラットは、突如横から飛来した、太い氷槍に胴体を貫かれた。

我に返ったタバサが、状況を把握できないながらもとにかくディーキンを援護しようとして、準備していた氷槍を放ったのだった。

 

「……ア、待っ―――」

 

はっと我に返ったディーキンが、とにかく情報を引き出すために生かして捕えようと制止するが、時すでに遅し。

胴体を貫かれてもがき苦しむ小悪魔は、直後にシエスタの『悪を討つ一撃』によって止めを刺され、故郷の地獄へと還っていった。

 

死体はすぐに煙を上げて溶けはじめ、数分後には泡立つ汚泥の水たまりに変わってしまった。

これでは、屍から残留思念などを読み取ることも不可能だ。

 

その後には、インプが持参していた、タバサに対する出頭命令書だけが残っていた……。

 




シー・インヴィジビリティ
See Invisibility /不可視視認
系統:占術; 3レベル呪文
構成要素:音声、動作、物質(滑石と銀粉)
距離:自身
持続時間:術者レベル毎に10分
 術者は自分の視覚範囲内にあるすべての不可視状態の物体や存在を、エーテル状態のものも含めて、視認することができるようになる。
そうしたクリーチャーは、術者にとっては半透明の姿になって見える。
可視状態のクリーチャー、不可視状態のクリーチャー、エーテル状態のクリーチャーの違いは、簡単に識別することができる。
 この呪文では幻術を見破ったり、物体を透かして見たりすることはできない。
単に隠れていたり、遮蔽物などによって視認困難であったり、その他の理由で見るのが難しいクリーチャーを発見することもできない。
 シー・インヴィジビリティは、パーマネンシイ呪文によって永続化できる。
 なお、これはバードにとっては3レベルだが、ウィザードやソーサラーにとっては2レベルの呪文である。

足止め袋:
 ネバネバした粘性の高い錬金術物質が詰まった袋。
この物質は空気に触れるとたちまち強靭な弾性のある物質に変わるので、敵に投げつければ移動を封じ、身動きを妨げることができる。
D&Dの錬金術アイテムは基本的に魔法のアイテムよりも効力が弱いが、その中では比較的よく使われる品である。

デヴィル(悪魔):
 デヴィルは『秩序にして悪』の属性を持つ来訪者の代表格とされる、九層地獄バートル出身のフィーンドである。
彼らは生前に『秩序にして悪』の行為を成して地獄に堕ちた魂から造られ、功績に応じて昇進していく。
デヴィルの社会は厳格な階級社会であり、弱者は虐げられ、個性などというものは無慈悲に踏みにじられ、上位者への反抗は許されない。
 バートルにはその名の通り九つの階層があり、各階層にはそれを統治するアークデヴィル(大悪魔)がいる。
地獄の究極の支配者は、第九階層ネッソスのアークデヴィル・アスモデウスであり、神々ですらも彼の力を怖れているといわれる。
 なお、かつてディーキンたちが戦ったメフィストフェレスは、第八階層カニアのアークデヴィルである。

インプ:
 インプはごく下級のデヴィルであり、体が小さく脆弱だが、狡猾である。
しばしば地獄に魂を売り渡した、もしくはいずれ売り渡すであろう定命の存在に相談役や密偵として仕えるべく、地獄から派遣される。
 彼らは1つないしは2つの動物の姿を取ることができ、人間ほどもある大蜘蛛や、大烏、鼠、猪などがその典型例である。
また、精神を集中するだけで自由に透明化したり、善の存在や魔力を発するものを感知したりすることができる。
人間などの耳にいかがわしい示唆を吹き込み、よからぬ方向へ行動を誘導するという能力もある。
さらには週に一回程度だが、地獄の偉大な存在にいくつかの質問をして、助言を求めることができる力も持っている。
 その他にも様々な能力を持ってはいるが、肉体的には非常に脆弱なため、戦力としては大したことはない。
とはいえ、そこらの一般人やごく平凡な傭兵程度ならば、戦う気になれば返り討ちにすることができるくらいの力はある。

悪を討つ一撃(Smite Evil):
 パラディンは1日1回、邪悪な存在に対してより命中精度と威力を高めた近接攻撃を行うことができる。
パラディンのクラスレベルが上がっていくにしたがって、1日に悪を討つ一撃を使用できる回数と威力は向上していく。

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