Neverwinter Nights - Deekin in Halkeginia   作:ローレンシウ

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第五十五話 Naughty game

タバサの故郷ガリアは、トリステインの南西に位置しているハルケギニア一の大国だ。

 

王都リュティスは、トリステインとの国境から、おおよそ千リーグほど離れた内陸部に位置している。

人口約三十万人にものぼる、ハルケギニアにおいても最大の都市だ。

そのリュティスの東側の郊外には、ガリア王家の人々が住まう壮麗な宮殿群、ヴェルサルテイルがあった。

タバサはいつも、そのヴェルサルテイルの中の小宮殿、プチ・トロワに赴いて、従姉妹のイザベラ王女から任務の指示を受けている。

 

「……あの人形娘は、まだなのかしらね?」

 

薄桃色の壁の美しいこの小宮殿の中の豪奢な一室で、イザベラは呼びつけたタバサの訪れを、今や遅しと待っていた。

腰の上まで伸びた美しい青色の長髪と碧眼が美しい娘であったが、そんな美点を意地の悪そうな目つきと苛立った態度が台無しにしている。

 

イザベラは、現国王ジョゼフ一世の娘だが、政治の表舞台からは縁遠い。

彼女は名目上タバサが所属する『ガリア北花壇警護騎士団』の騎士団長ということになっており、他の公職には就いていなかった。

 

この騎士団は、ヴェルサルテイル北側の花壇の警護役と銘打たれている。

だが、実際には日の当たらない宮殿の北側には花壇など存在しない。

その実態は、ガリア王家の汚れ仕事を一手に引き受ける名誉とは無縁の闇の騎士団なのである。

 

そのため華やかな表舞台で脚光を浴びる他の花壇騎士団とは違い、表向きには存在すら伏せられていた。

構成員同士の横のつながりもほとんどなく、タバサも自分とイザベラ以外の騎士団のメンバーのことはろくに知らない。

それだけ秘密主義で、謎めいた影の組織なのだ。

 

華やかな表舞台から遠ざけられ、そんな汚れ仕事の処理を行わされていることに、イザベラは至って不満であった。

 

おまけに今回は、また虐めてやろうと楽しみにして呼び出しをかけた従姉妹の到着が、かなり遅れている。

これは連絡役のインプが自分の興味にかまけて任務の伝達を遅らせたのが原因なのだが、そんな事情は彼女の知った事ではなかった。

 

「も、もうそろそろかと……」

 

召使の少女は機嫌を悪くしている主に恐れをなして、ベッドの傍に控えたまま、がたがたと震えていた。

イザベラがちらりとそちらの方に目を向けると、ひっ! と小さな悲鳴を上げそうになったのを、必死に呑みこむ。

 

そんな怯えた哀れな従僕の姿を見て、イザベラは多少溜飲を下げた。

 

イザベラは王族であるにもかかわらず、魔法の才能に乏しい。

彼女自身は、父に似たせいだと思っている。父のジョゼフは、魔法がまったく使えず、『無能王』と陰口を叩かれているのだ。

一方で、死んだ叔父のオルレアン公シャルルや、その娘であるシャルロット(タバサ)は魔法の才に恵まれている。

 

そう言った事情によって、イザベラは昔から強い劣等感、コンプレックスを抱いてきたのだ。

 

私を憎むならそうするがいい。だが、王族である私に、敬意を払わないことは許せぬ。

いいや、心から敬意を抱けぬというのなら、それでもよかろう。私が無能だと思うのならば、好きなように嗤え。

いずれ、必ずや思い知らせてくれる。愚民どもはただ、私を怖れよ。

 

父が国王となり、権力を恣にして以来、イザベラの行動は日を追うごとにますます傲慢でヒステリックになっていった。

そうして魔法を使えぬ平民の従者たちが自分の一挙手一投足に怯え、恐る恐る顔色を窺ってくるときにこそ、彼女は昏い満足感を覚える。

 

イザベラは、今では恐怖と敬意とを、殆ど区別もしていなかった。

 

「ふん……。退屈しのぎに、ゲームでもしようか?」

 

そういって、ベッドに寝そべったまま自分の杖を持ち上げる。

その瞬間の召使の少女の恐怖の表情を存分に堪能してから、軽く振って、テーブルの上のカードの束を引き寄せた。

 

「このカードは、最近つくらせた特注品でね。中には、一枚だけ表が赤い札が混じってるのさ」

 

イザベラはカードの束を広げて少女に見せてやった。

少女は内心ほっと安堵して、これ以上不興を買わないようにと、滑稽なほど必死になってまじまじとカードの束を見つめる。

 

なるほど、白磁のような美しい純白のカードの中に、一枚だけ血のような赤一色の札が混じっていた。

 

「私がこの札を裏返して重ならないように掻き混ぜるから、お前が赤い札の場所を当てるんだ。

 どうだい、平民でもわかる簡単な遊びだろう?」

 

「かしこまりました、それではお相手を……」

 

御辞儀をしてベッドの傍に椅子と机とを運ぼうとした少女を手で制して、イザベラはにやりと唇を歪める。

彼女には、この気弱な少女をそう簡単に恐怖から解放してやる気などなかった。

 

「ノーレートのゲームじゃつまらない。賭けをしようじゃないか」

 

召使はそれを聞いてさっと青ざめ、またがたがたと震えだした。

イザベラは、たまらないといった笑みを浮かべ、ちろりと舌で唇をなぞると、そんな召使の頬を杖の先で嬲る。

 

「そうね……。私が負けたら、金貨を百枚やろう」

 

平民にとっては、何ヵ月分もの給料に匹敵するほどの大金である。

そんな破格の報奨を聞いても、召使の少女は喜ぶどころかますますひどく震えあがって、血の気の失せた顔になっていく。

 

「でも、お前が負けたら……、代わりに、左手の指を四本もらうよ。親指は残しといてやる」

 

それを聞いた少女は、恐怖のあまり白目をむいて卒倒する。

 

ちょうどその時、呼び出しの衛士がイザベラに駆け寄ると、何事か耳打ちした。

つまらなそうに、イザベラは鼻を鳴らす。

 

「ふん、お預けか……。まあいいわ、入らせなさい」

 

衛士は頷いて倒れた少女を運び出し、それと入れ替わりに、タバサが入ってきた。

ディーキンは、同行していない。

 

むろん、彼が公然とタバサに同行して、ガリア国内でも秘密とされている北花壇騎士団の任務の詳細を聞くことなど許されるはずもない。

たとえ彼が外国の貴族の使い魔でなくても、また未知の亜人でなくても、それは無理な相談だった。

 

ディーキンとしても、タバサに同行はしたものの、一緒に宮殿へ向かう気はなかった。

まだこの王宮にデヴィルがはびこっていると決まったわけでもないし、今回いきなり正面から踏み込んで行こうという気はない。

無論、事態が急変すれば話は別だが。

 

それに、たとえ魔法によって変装や透明化をしても、仮にデヴィルが中で目を光らせているのならば正体が露見する恐れは十分にある。

ハルケギニア人にとっては未知の代物である自分の呪文も、デヴィルにとっては使い古された手口に過ぎないのだ。

なにがしかの呪文によって内部の様子を覗き見ることも、同様の理由で非常に危険であった。

 

ゆえにディーキンは、タバサに万が一の時のための非常用のアイテムを1つ2つ渡すと、宮殿の外で一旦彼女と別れた。

仕事は手伝うが、任務の受領には普段通りタバサ一人で行く方がかえって安全だろう、と考えたのだ。

内部の様子に何か不自然が無かったかなど、後で彼女から話を聞くつもりだった。

 

一応、タバサにも事前に任務の手紙を運んでいたのが悪魔の一種であることを伝え、気を付けるようにと注意を促してはおいた。

だが彼女には、事の重大さは今ひとつよく伝わらなかったようだ。

 

異界の悪魔などというのが本当かどうかは知らないが、いずれにせよその悪魔とやらは既に死んだのだし。

伯父にしろ従姉妹にしろ、気紛れで道楽趣味なのだ。どうせまたどこかから、変わった生物を手に入れてきたという程度のことだろう……。

タバサはその程度に考えて、あまり事態を深刻にとらえてはいなかった。

 

ディーキンが学院で召喚して見せた天使、アストラル・デーヴァに対しては、彼女も少なからず驚き、とても気にしていたのだが。

それに比べると、悪魔だと言われても、ちっぽけなインプに対してあまり脅威を感じられないのは無理もあるまい。

悪魔とやらは少し変わった妖魔のようなものだろう、くらいの感覚でしかないのかもしれない。

 

その楽観的な認識は、明らかに彼女の無知からくるものだ。

しかしディーキンは、今はそれを無理に正そうとはしなかった。

 

タバサがあまり身構え過ぎて態度に不自然さが表れれば、かえって不審に思われてしまうかもしれない。

いくら彼女がポーカーフェイスであっても、デヴィルというのは人間の心の中を見通す達人なのである。

ゆえに、彼女が普段通りの平静さを維持できるよう、そのまま行かせた方がよいと判断したのだ。

 

さておき、イザベラはやってきたタバサの様子をじっくりと眺めた。

 

いつもの、何を考えているのかわからない無表情。自分と同じ、青い髪に瞳。

背丈は、自分より頭二つ分は小さかった。だが、その小さな身体が秘めた魔力は、自分よりも数段上……。

 

その事を思って、イザベラは小さく歯噛みをした。

 

その魔力のおかげで、タバサこそが真の“王女の器”だと見なしている侍女や召使たちは少なくない。

魔力が乏しいというただ一事のために、自分の他の能力は軽んじられている。

しかも、あいつは他の従者と違って私を怖れず、媚びもしない。つまり、敬意を表さない。

 

その事が、どうにも腹に据えかねた。

 

何としてでも、あの少しの乱れもない澄ました無表情を歪ませてやりたい。

その余裕を繕った無表情ごとプライドを粉砕して、自分と同じ劣等感と屈辱とを味わわせてやりたい。

そう思って、これまでに何度も困難な任務をあてがってきた。だが、タバサは少しの怯えた様子もなく、淡々と成功させてきた。

 

だが今回の任務は、ただ腕が立つだけではどうにもならぬ類のもので、いささか面白いことになるかもしれぬ。

イザベラはその事を思い出して、にんまりとした笑みを浮かべた。

 

「ずいぶん遅かったわね。まあいいさ、今回の……、」

 

早速任務の説明をしようとして、ふと手元のカードに目を落とす。

そうだ、本命のお愉しみの前に。あの召使を相手に試してみようとしていたあれを使って、こいつを……。

 

「……今回の、任務の前に。

 まずは予行演習として、私とゲームをしようじゃないか?」

 

タバサは、小さく首を傾げた。

そんなことを言われても、自分はまだ任務の内容に目を通してもいないのだ。

 

しかし、イザベラはお構いなしにカードの束を広げて見せると、先程召使の少女にしたのと同じ説明を、タバサにもしてやった。

それから、任務の内容に関しても、かいつまんだ説明をする。

 

リュティスの繁華街のひとつ、ベルクート街にある裏の賭博場で、最近問題が起きているらしい。

そこへ通った貴族の多くが、連日負け続け、大金を巻き上げられている。

にもかかわらず、彼らはまるで腑抜けのように、何かに憑かれたかのように賭場に通い続け、家族の嘆きにも耳を貸さないのだという。

 

「ま、私は別に、ギャンブル狂いの馬鹿どもなんか知ったこっちゃないんだけどね。

 このままじゃあ財産をみんな使い潰されてしまう、助けてくれって訴えが、そいつらの家族から寄せられてるそうだ。

 軍警を使って店を取り潰したっていいんだが、そうなったら恥をかいちまう貴族が何人もいるんでね。

 儲けるからくりをきっちり暴いた上で、不正な行為であれば場合によっては胴元を始末、最低でも捕縛して連れてくることが任務だよ」

 

「…………」

 

タバサは僅かに眉根を寄せて、じっと考え込んだ。

 

なるほど、亜人や怪物の類を相手にするのとはまた勝手が違う、厄介な任務だ。

幸いギャンブルに関してはそれなりに腕に覚えはあるつもりだが、相手は本職の胴元。

果たして、上手くやれるかどうか……。

 

イザベラはそんなタバサの様子を見て、にっと唇の端を持ち上げる。

それから先程のカードの束を机の上に広げて、その脇に金貨の詰まった財布を放った。

 

「……そこで、予行演習ってわけだ。

 その財布の中身は軍資金さ、金貨で百枚ほど入ってる。もうお前のものだよ。

 何も賭けないんじゃ真剣になれないだろうから、私に勝てればさらに軍資金が増える、負ければ減るってことにしよう。

 ひとまずゲーム一回あたり、金貨十枚で。どう、受ける?」

 

タバサは少し考えて、頷いた。

 

イザベラは満足そうに目を細めると、金貨を十枚机の上に積んで早速ゲームに入ろうとする。

しかしそこで、タバサが待ったをかけた。

 

「ゲームの前に、カードと机を調べる。それと、腕まくり」

 

その要求を聞いたイザベラは、苛立った様子を見せるでもなく、鷹揚に頷いた。

 

「慎重だねえ、結構結構。そうでなくちゃね。

 ついでに、お互いに杖も置いておこうじゃないか。妙な真似ができないようにね?」

 

タバサは念入りに札を調べ、何も魔力のない普通のカードであること、目印などもついていないことを確認した。

それから、お互いに杖を置き、袖をまくって、何も仕込んでいないことを確認する。

 

「これでいいかい? じゃあ、いくよ……」

 

イザベラは裏向きに伏せたカードの中の一枚をめくり、それが赤の札であることをタバサに確認させた。

それから札を元に戻し、札同士が重なり合わないように気を付けながら、高速でかき混ぜ始める。

 

タバサはその動きを、じっと目で追った。

 

思いのほかしなやかで素早い指使いだったが、最初から指定されている一枚のカードの行方を見失うほどではない。

これは子供向けのごく簡単なゲームだろうな、と彼女は思った。

なぜ、この意地悪な従姉妹が自分に対してそんな簡単なゲームで勝負を挑んで来たのかは不思議だったが……。

 

やがて、イザベラがカードを混ぜるのを止めて、タバサの方に挑戦的な目を向けた。

 

「……さあ、どれが赤い札だい?」

 

タバサは迷うことなく、一枚のカードを指差した。

 

イザベラはにやりと笑って、そのカードを摘まんでひっくり返す……。

と、その表面は、純白だった。はずれである。

 

「あっはは、残念だったねえ! こんなことじゃあ、今回の任務の成功なんか覚束ないだろうねえ!」

 

イザベラは高らかに嘲笑うと、財布から金貨を十枚抜き取り、タバサの頬を小突き回した。

 

タバサは、僅かに顔をしかめる。

表情にこそその程度の変化しか表さなかったが、内心ではかなり愕然としていた。

 

(……何故?)

 

自分は、確かに赤のカードの行方を目で追えていたはず。なのに何故?

 

すり替え? いや、混ぜている最中のカードの行方は目で追っていたし、ひっくり返す時も不審な動作は無かった。

第一、彼女にプロのギャンブラーやマジシャンのような、<手先の早業>が使えるとはとても思えない。

 

魔法の仕掛けなどが札にないのは事前に確かめたし、杖は持っていない。

なにか隠し持っていたマジックアイテムを使ったとか、そんな不審な動作も、見た限りでは無かった。

 

では、一体……。

 

「どうだい、もう一回やってみるかい?」

 

「……やる」

 

タバサは、ぐっと内心の動揺を押し殺して、そう答えた。

 

こんなことではとても任務に成功できない。どんな仕掛けなのか見当もつかないが、絶対に見破ってみせる。

そんな決意を固めて。彼女は何気に、負けず嫌いなのだ。

 

「今度は、私が混ぜる側」

 

「いいとも。ゆっくり混ぜなよ」

 

タバサはカードを表がえして赤い札の所在を探し、それをイザベラに見せて伏せ直してから、真剣に混ぜ始めた。

イザベラは余裕の態度で、その様子を頬杖などつきながらじっと見守る。

 

やがて、タバサは札のシャッフルを終えて顔を上げると、イザベラの方を窺った。

 

「……どれ?」

 

「そうねえ。どれを選ぶかねえ……」

 

イザベラは余裕ぶって一枚一枚カードを指でトントンと叩いては、どれを選ぶか検討しているような様子を見せた。

カードを叩いた時のこちらの表情で正解を見分けようとしているのかと疑い、タバサはいつも以上にポーカーフェイスに努める。

 

「ま、あんたは正解の札を必死に目で追うなんてせせこましいことをやろうとしてしくじったようだけど。

 私は王族だから、自然と勝っちまうようにできてるのさ。王の強運が付いてるからねえ……」

 

そんなふざけたことを言いながら、ようやく一枚の札を選んで指でつまむ。

 

よし、あの札ははずれだ。タバサは勝利を確信した。

正解の札の場所は、自分でちゃんと覚えている。

 

ところが、表がえされた札は、赤一色の札だった。あたりである。

イザベラはまた高らかに笑って、タバサの方の財布から金貨を十枚抜き取った。

 

(……!? そんなはず……!)

 

タバサは急いで、自分が記憶していた正解のはずの札をめくってみる。

もしこれが正解なら、正解が二枚あったことになる。何かの手段ですり替えを行った証拠だ。

 

ところが、その札は純白だった。

 

タバサは表情こそ変えないままだったが、呆然としてしまった。

一体、なぜ?

わからない。どうして……。

 

タバサはその後もイザベラと何度かに渡って勝負を行ってみたが、すべて負けた。

なにかの種があるのか、それともただ自分が弱いだけなのか。それさえもわからないまま、支度金を何十枚も減らしてしまった。

 

「……ああ、お前が弱いのはよく分かったよ、七号。

 名残惜しいけど、もうここらで終わりだ。任務に取り掛かる前に、支度金を使い潰されちゃたまらないからね。

 もっとも、こんな体たらくじゃあ成功は期待できそうもないけどねえ!」

 

イザベラはそう言い放つと、勝負を打ち切った。

 

「賭博場では、ド・サリヴァン伯爵家の次女、マルグリットと名乗っておきな。

 そうそう。賭場で準備金があまったり金を儲けたりしたら、自分のものにして構わないよ。

 ただし、金が不足してもそれ以上は用意立てないからね。その時は芸でも体でも何でも売って、埋め合わせることだね。

 ……ま、残りそれっぽっちの金でせいぜい頑張りな、賢いエレーヌちゃん!」

 

イザベラは嘲るようにそう言い放ち、最後にあえて、昔使っていた呼び名でタバサに呼びかけた。

タバサは俯いて軽く唇を噛むと、残りわずかな金貨の入った財布を手に取る。

 

先だってはディーキンに手も足も出ず、ひどく無様な醜態を露呈した。

今度は、これまで歯牙にもかけたことのなかった従姉妹にまで負けた。

こんなことで、自分はいつか、母を救えるのだろうか。父の仇を、討てるのだろうか。

 

イザベラは僅かに、しかしはっきりと表情に表れたタバサの屈辱感を存分に愉しむと、改めて彼女に退室を促した……。

 

 

タバサが去った後、イザベラはうきうきと弾むような足取りで、供の者も連れずに、宮殿のとある一室に向かっていた。

とある人物に、事態の報告をするためだった。

 

彼女は来客用の部屋の前で足を止めると、コンコンと扉をノックする。

 

「……誰だ?」

 

「私よ。報告したいことがあるのだけど?」

 

「ああ、イザベラか。……よかろう、入れ」

 

素っ気なく、尊大でさえある物言いだった。

だが、このプチ・トロワの主であるイザベラは、それを咎めもせず、手ずから扉を開けて中に入っていく。

 

部屋の中には、宮殿内の他のどの部屋にもまして、豪奢で退廃的な空間が形成されていた。

 

赤と金の美しいカーテンが壁に掛けられ、優美だが退廃的なデザインの絵画や彫像が、室内のあちこちに飾られている。

机や椅子にはすべて滑らかな黒い布が被せられており、高級そうな、時にはおぞましいような品々が、それらの上に散らばっていた。

年代物のワインが入った細い瓶に、優美な水晶のゴブレット、宝石や金箔で飾られた人型生物の頭蓋骨がいくつか……。

 

部屋の奥の方にある、非常に大きい豪奢に飾り立てられたベッドの上に、部屋の主が横たわって寛いでいた。

 

彼の周囲には、半裸の女性たちが何人か、疲弊しきった様子でぐったりと横たわっている。

ベッドの横には翡翠製の香炉があり、酩酊感を覚えさせる麻薬めいた香を、室内に炊き込めていた。

 

まるで虎のような頭部を持つ、屈強な体躯の男だった。

虎のような毛皮に覆われた体を半ば肌蹴た豪奢な衣装に包み、気だるげに寝そべって、顔だけをイザベラの方に向けていた。

よく見ると、男の掌は異様であった。人間ならば手の甲にあたる場所に手の平があり、指も外側に丸まっているのだ。

 

この亜人めいた奇怪な容貌の男は、実際にはラークシャサと呼ばれる来訪者の一種だった。

 

イザベラは男の不遜な態度に腹を立てた様子もなく、そちらの方に歩み寄っていった。

この男には、恩義がある。自分が求めてやまなかった“力”を与えてくれたのだ。

それは今のところ、大して強いものではなかったが、しかし他人の持たない特別なものだった。

 

イザベラは香の匂いにあてられたものか、少し頬など染めながら、他の女を押しのけて男の横に寄り添うようにすると、自分も寛いだ。

そうしてから、先程のタバサとの会合について、男に話し始める。

 

「さっき、面白いことがあってね……。

 あんたの教えてくれた呪文のお陰で、あの人形娘をへこましてやれたのさ!」

 

男は、イザベラが《奇術(プレスティディジテイション)》を上手く利用してタバサを出し抜いた手柄話を、黙って聞いてやった。

 

イザベラがゲームに使ったあのカードの束は、実は元々全部純白のカードだったのだ。

彼女はカードを伏せたまま、表面を《奇術》の効果で赤く染めたり、元に戻したりして、正解の札を好きなように変更していたのである。

 

男はその長話が終わると、待ちかねたように質問をした。

 

「……それは、よかったな。お前はかしこいぞ。

 だが、ジェベラットはどうしたのだ?」

 

「ん? ……ああ、あのインプとかいうやつかい?

 そういえば、まだ戻ってこないね。大方どこかで道草でも食ってるのか、帰り道で獣かなんかにでも襲われたのかじゃない?」

 

「お前の従姉妹に、殺されたなどということは?」

 

「さあ、そんな様子はなかったけどね……。あんな間抜けな子が、あいつの変装に気付くわけがないさ。

 そんな事よりもさ、他にも傑作だったことが……、」

 

イザベラはその事にはさして関心も無いらしく、すぐにまた自分の手柄と、タバサの滑稽な姿に関する話に戻っていった。

 

(むう……)

 

男は、イザベラの背中などを労うように撫でながらも、頭の中ではインプの事について考えを巡らしていた。

 

インプはデヴィルの中では雑魚だが、そうそう通りすがりの獣などにやられるほど、愚かでも非力でもないはずだ。

イザベラはそんな様子はなかったといっていたが、あのタバサとかいう娘が関与している可能性はある。

自分も同席して、彼女の思考を探っておけばよかっただろうか。まあ、今さら考えたところでどうにもならないが。

 

もしもそうだとすれば、今後はあの娘の動向にはより注意が必要になるだろうが……。

 

(……ふん。明確な事実ではない以上、報告の義務はないか)

 

男は、デヴィルと同様「秩序にして悪」の性質に属する来訪者の一種だが、デヴィルに好意など抱いていなかった。

ラークシャサという種族は、自分たち以外の種族に召使以上の地位が相応しいなどとは、欠片も思っていないのだ。

 

「……そうだな。まあ調査の必要があるほどの大事でもあるまい。

 上には、あのインプは学院への任務の途中、不用意に使い魔か野生の幻獣に近づきすぎて殺されたものと思われる、とでも報告しておけ」

 

あの娘は、上手くすれば不快なデヴィルどもを排除するために役立つかもしれぬ。

この、イザベラという娘と同様に。

そうすれば、自分にとってこの国は、もっと居心地のいいものになるだろう。

 

そう結論した男は、あえてことを大事にせず、握りつぶすことを選択したのだった。

 




ラークシャサ:
 ラークシャサは秩序にして悪の性質に属する来訪者だが、現世に定住する邪悪な侵略者でもある。
まさに悪の体現者だというものもおり、これ以上に悪意ある存在は滅多にいないとされる。
ラークシャサは、自らの血統を誇り、他の種族を蔑み、あらゆる宗教を軽蔑している。
また、大変な贅沢好きである彼らは常に豪華な衣装を身にまとい、贅沢で冒涜的、かつ退廃的な暮らしを送っている。
 ラークシャサの体つきは人間に似ているが、頭部は虎のそれであり、体表も毛皮に覆われている。
人間なら手の甲にあたる場所に手の平があるのが特徴だが、それで手先の器用さが損なわれることはない。
彼らは生来の強力な魔術師でもあり、その屈強そうな半人半獣の姿に反して、近接戦闘は下品であるといって嫌っている。
どんな人型生物の姿にも化けられる上に<変装>と<はったり>の技能に長け、しかも他者の思考を読むことができるという偽りの達人である。
また、呪文に対しても武器に対しても強い耐性があり、聖別された刺突武器によってでなければ、容易に致命傷を負うことはない。
 彼らには黒豹の頭を持ち武器を用いるナズサルーン種、強力な魔術を用い不死者を操るアクチャザール種など、いくつかの亜種族がいる。
 一説によれば、ラークシャサは神々に敵対する不死の悪霊であり、たとえ肉体を滅ぼされても、いつの日か転生して甦るのだという。
地球でも、古代インドにおいては彼ら受肉した悪霊たちが蔓延っていたとされている。


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