Neverwinter Nights - Deekin in Halkeginia   作:ローレンシウ

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第五十六話 Little kiss

ガリアの首都リュティスの繁華街のひとつ、東西に延びたベルクート街。

 

そこには、貴族や上級市民たちがやってくる高級店が並んでいた。

仕立て屋、宿屋、宝石店、リストランテ……。

宵闇がすっかり辺りを包んだこの時間、通りは護衛と召使を引き連れた貴婦人や、刺激を求める貴族青年など、様々な人々で賑わっている。

 

そんな中、一風変わったいでたちをした一行がいた。

タバサとディーキンと、そして人間に化けたシルフィードである。

 

「きゅい! お兄さまもお姉さまも、なんだかとってもかわいいのね!」

 

シルフィードがそう言ってはしゃぐ。

 

ディーキンは、例によって《変装帽子(ハット・オヴ・ディスガイズ))》を使って、愛らしい貴族の少年の姿に変装していた。

 

タバサはといえば、最近ガリアの貴婦人の間で流行っている男装姿に着替えていた。

さすがに、魔法学院の制服姿のままで賭場に行くわけにはいかない。

青い乗馬服に、膝丈のブーツ。そして大きなシルクハットを着込み、大きな杖を背中に背負って、タバサは黙々と歩く。

子供のような身体つきのタバサがそんな格好をしていると、まるで美しい少年のように見えた。

 

この衣装はディーキンが《洋服店の衣装箱(クロウジャーズ・クロゼット)》の呪文を模倣して、彼女の要望に従って用意したものだ。

 

タバサは本当を言えば、あまり何でもかんでもディーキンに頼って、これ以上迷惑をかけたくはなかった。

だが、実家に適当な衣服を取りに行くのには時間がかかる。それに今はまだ、ディーキンをそこに連れて行きたくはない。

かといって、ただでさえ軍資金を減らしてしまっているのに、店で服などを買う余裕はない。

 

だから、恥を忍んでまたディーキンの好意に甘えることにしたのである。

 

「そう? エッヘッヘ……、ディーキンは照れるの。

 イルクも、きれいだと思うよ!」

 

シルフィードは人間の姿に化けて白いお仕着せを着込み、革靴を履き、腰には剣などを下げていた。

 

もちろんこの衣類も、同じようにディーキンが呪文で用意したものだった。

剣も、彼が荷物袋の中からひっぱり出したものだ。

 

彼女はよく貴族の使用人に化けさせられるのだが、今は夜分遅くなので、護衛役も兼ねているという設定で剣を持たされているのだった。

外見は長身でスタイルのよい端正な面立ちの女性なので、黙っていれば凛々しく見える。

 

「きゅい? うれしいのね!

 ほーめらーれたーほーめらーれたー、お兄さまにほーめらーれたー……」

 

シルフィードは嬉しげにきゅいきゅいわめきながら、あたりをぴょこぴょこととびはねた。

外見と挙動とのギャップがひどい。

護衛がそんななので、道行く人々からは気の毒そうな目で見られている。

 

まあ、貴族とはいえ年端もいかぬ子供が2人に、頼りになりそうもない召使兼護衛が1人。

そんな一行が夜の繁華街を歩いているのだから、シルフィードの奇行を抜きにしても、妙な目で見られるのは無理もない。

 

タバサはそんな周囲の視線を気にした様子もなく、通りをすたすたと歩き続けた。

 

彼女の少し後ろの方では、ディーキンがシルフィードに今回の任務内容の簡単な説明などをしながら、ついてきている。

タバサは、どうせあなたには理解できないから、と素っ気なく切り捨てて、ちゃんと教えてやろうともしなかったのだが……。

シルフィードが自分の頭を馬鹿にするなとうるさくわめきだしたので、ディーキンが仲裁して優しく説明をしているという次第だった。

 

「お兄さまはお優しいのね。それに比べて、お姉さまはいじわるなのね。

 本当はお優しいけど、いじわるなのね。シルフィ勉強したのね、そういうのを『つんでれ』っていうのね!」

 

耳聡くそれを聞き咎めたタバサが、杖でぽかぽかとシルフィードの頭を叩いた。

 

「きぃい! お姉さま、痛いのね!

 ほら、そんな風に暴力的になるのもつんでれの証拠だって聞……、きゅい、きゅいい~!」

 

要らんことを言っては、ますますぽかぽかされるシルフィード。

漫才のようなやり取りを続ける主従をきょとんとして眺めつつ、ディーキンは首を傾げた。

 

「……アー、そうなの? ウーン、ディーキンの聞いた話では、ツンデレっていうのは……。

 もっとツリ目な感じで、頭が桃色っぽい感じの人かと思ってたよ」

 

たとえば、ルイズとかルイズとかルイズとか。

あとルイズとか、ついでにルイズとか。

 

まあ、それはさておき。

 

そんな暢気な雑談を楽しみながらも、ディーキンは先程タバサから聞いた話を、頭の中で思い返していた。

宮殿内の様子に以前と変わったところは特になかったと、彼女はそう言っていたが……。

 

ならば、あのインプは自分と同じようにたまたまこの世界に呼び出されただけで、別段背後に陰謀などはなかったのかもしれない。

あるいは、大昔に作られた何かのマジックアイテム等を用いて、偶然呼び出されただけだったとか。

 

そうであれば実に幸いで、それに越したことはない。

もちろん、デヴィルの狡猾さを考えれば、そう簡単に尻尾を出さないようにしている可能性も十分にある。

今後もタバサの周辺には、気を配っておく必要はあるだろう。

 

実際には、プチ・トロワはそこに棲みついたラークシャサ等の存在によって、既に秩序にして悪の穢れを受けつつある。

少なくとも、その直接の影響下にあるイザベラは、以前にも増して横暴で残忍な性質を身に付け出していた。

 

しかし、秩序にして悪とは、いわば圧政と抑圧の属性。

宮殿の主であったイザベラ自身が元からかなり横暴な君主であったために、タバサははっきりした変化を感じなかったのだ。

多少なりと普段以上の不快感を感じることがあったにせよ、彼女はそれをイザベラに後れを取った自分への悔しさのため、と解釈していた。

 

なおタバサは、悔しさと羞恥心から、またそれが重要情報だとは考えなかったことから、博打でイザベラに大負けしたことは話さなかった。

もっとも、話したところで何がどうなったというわけでもないだろう。

話を聞いただけで《奇術(プレスティディジテイション)》を用いたトリックだと断定することなど、ディーキンにも不可能なことだ。

 

そうこうしているうちに、一行は目的の場所に着いた。

 

外観は、宝石店である。禁じられている高レートの賭博を提供しているため、堂々と看板を掲げるわけにはいかないのだ。

ガラスケースに収められた煌びやかな宝石類を見て大はしゃぎするシルフィードをよそに、タバサはさっさと店の奥に進んでいく。

 

最奥にある展示用のブルーダイヤを買いたいと告げ、法外な金額を提示する店員に対して、手付けに銅貨を3枚渡す。

そうしてイザベラから受け取った任務の書簡に書かれていた通りの手順を踏むと、店員は一行を奥の間から地下カジノへと案内してくれた。

 

階段を降りたところにある入り口脇のカウンターで、タバサは受付の執事に要請されて杖を預けた。

カジノ内で熱くなった貴族が揉め事を起こしたり、魔法で不正行為を働いたりするのを防ぐためだ。

 

ディーキンも貴族に化けているので、当然杖を渡すように言われた。

想定していなかったので、ちょっと焦る。

とっさに何かワンドでも取り出して渡そうかと思ったが、そこにタバサが口を挟んだ。

 

「この子は、まだ杖の契約を済ませていない」

 

それを聞くと、執事はあっさりと納得した。

 

メイジは物心つくころにいろいろな杖を握らされて、呪文が上手く唱えられる、相性の良い杖を“契約”を通じて探し出すのだ。

何日もかけて祈りの言葉と共に呪文を唱え続け、自分の体の一部のように思えてきて初めて、呪文が成功するようになる。

 

それはまだ幼く、十分な分別のない年齢の子供がやり遂げるには難しい作業だ。

それに善悪の区別もろくにつかないような幼い子に杖を与えては、どんな問題を起こすかも知れない。

ディーキンはタバサよりもかなり背が低く、小さな子供に見えるので、未契約というのは十分にあり得る話だった。

 

「ああ、それは失礼いたしました。

 では、結構です。当カジノで、ゆっくりとお楽しみください」

 

執事はそう言って笑顔で一礼すると、ドアマンに命じて入り口の大きな扉を開かせた。

同時に、中から眩い光と、人々の喧騒と、酒やパイプ煙草の匂いとが、どっと溢れてくる。

 

眩しさの苦手なディーキンは少し顔をしかめながらも、これから始まる風変りな仕事のことを思って胸を躍らせていた。

 

さあ、自分はギャンブルにはさして詳しくもないが、どうやってタバサの役に立てるだろうか。

まずは店の様子を注意深く観察するか、それとも実際に賭け事をやってみるか、客や従業員の噂話に耳をそばだてるか……。

 

「あら、新顔さんね……。随分小さい子たちですこと」

 

ディーキンの思案をよそに、接客担当らしい、きわどい衣装に身を包んだ女性が、さっそく入り口をくぐった一行に近づいてきた。

 

その女性の流れるような長髪は烏の濡れ羽色で、唇はふっくらとして鮮やかな紅色。

艶やかで健康的なブロンズに輝く肌には、シミひとつない。

引き締まるべきところは引き締まり、出るべきところは出ている、完璧な均整を保ったプロポーションだった。

 

彼女は、同性のタバサでさえ思わず目を奪われ、息を呑むような、妖しい色香に満ち溢れていた。

しかも決して下品な色気ではなく、物腰はまるで王族のように優雅で、少女のような可憐さをも同時に感じさせる。

 

「地下の社交場、人々の終の安息の場……。

 地上に降りたささやかな天国、“魔悦の園”へようこそ―――」

 

女性は艶やかな唇を優雅に持ち上げて微笑みながらそう言うと、熱っぽい目で一行を品定めするように順に見つめていった。

タバサが気にいったのか、ねっとりと絡み付くような視線を彼女に送りながらしなだれかかる。

 

「……あら、女の子ですのね。あんまりかわいいものだから、男の子かと……」

 

そういいながらも、女はタバサの首をかき抱く。

 

「でも。わたくしは、どちらでもよろしくってよ―――」

 

そう言って、接吻を求めるようにふっくらした唇をすぼめると、顔を近づけてきた。

 

「っ……、」

 

タバサはぞくりとした感覚を覚えて、うろたえたように身じろぎをした。

 

キュルケにもよく似たような事をされてはいるのだが、彼女のは冗談半分だし、友愛を込めたものである。

それに対して、何というのか、この女性からは……。感じられる“本気さ”が、まったく違うのだ。

 

しかし、女性の妖しい色香にあてられたのか、拒まねばという意志に反して、体が思うように動いてくれない。

ほとんど抵抗らしい抵抗もできず、真っ赤な唇が近づいてくるのをただ呆然と見つめていた。

 

だが、その時。

 

ディーキンが、その女性の服の裾をぐいぐいと強めに引っ張って注意を引いた。

ぴたりと女性の動きが止まり、少し苛立ったように眉を顰めてディーキンの方を振り返る。

 

「ちょっと、おばさん!

 そんなのだめだよ、お姉ちゃんにキスしていいのはディーだけなの!」

 

腰に手を当てると、むくれたように頬を膨らませてぷんすかして見せる。

 

「絶対にだめ、めっ!」

 

小さな少年の姿に化けているので、実に愛らしい仕草であった。

事態に気付いた幾人かの周囲の客たちも、微笑ましげにその様子を見つめている。

 

もちろん、これはお芝居である。

優しくてかっこいいお姉ちゃんが大好きな幼い弟という設定で演じてみせたわけで、一流のバードにとっては造作もないことだった。

 

タバサははっと我に返ると、そそくさと女性の腕の中から逃れて、ディーキンの後ろへ移動する。

 

腕の中の獲物を取り逃がした女性は、一瞬憎々しげにディーキンを睨んだ。

だが、周囲の客たちの反応から言ってもこの場でこれ以上無理押しはできないと判断したのか、すぐにまたにっこりとした笑顔を取り繕う。

 

「まあ、それは失礼しましたわ。ディー君……で、いいのかしら。

 それではお二方とも、どうぞごゆっくりと愉しんでいってくださいな。

 そうそう、当店では慎重を期すために、お客様のお名前を伺っておりますの。オーナーのギルモアには、私の方から伝えておきますわ」

 

そう言ってタバサらの名前を聞いて紙にひかえると、優雅に一礼して、奥へ下がっていく。

タバサはその女性が完全に立ち去るのを、じっと警戒したまま、目で追って確認した。

 

恐ろしいほどに、蠱惑的な女性だった。

もしや、客たちが皆憑かれたようにここに通うというのは、あの女性のせいなのかとさえ思えた。

 

もっとも、それだけでは客がみな賭博に負け続け、それでも大金をつぎ込み続けるという理由は説明できない。

いくらなんでも、勝ち分をすべてあの女性に貢いでいる、などというわけでもないだろうし……。

 

だが、それを本格的に調査するのは、後で実際に賭博をしてイカサマがないかなどを確認しながらの話だ。

今はその前に、まずするべきことがある。

 

彼女はそう考えてディーキンの方に向き直ると、丁重に頭を下げた。

 

「……ありがとう」

 

ディーキンは軽く首を振って無邪気そうな笑顔を浮かべると、こちらも会釈を返した。

 

「どういたしまして。でも、さっきはタバサが、杖のことでディーキンを助けてくれたからね。

 お互い様なの、そうでしょ?」

 

タバサは微かに笑みを浮かべると、少し頬を染めて、ディーキンの傍に屈み込む。

彼の背中に腕を回してそっと抱き締めると……、軽く、唇の傍に、ついばむような接吻をした。

 

「オオ?」

 

「お礼……」

 

それだけ言うと、さっと立ち上がって彼に背を向けて、急ぎ足に賭博場の方へ向かう。

するべきことは、これで済んだ。

 

いつまでもくっついていたら、自分の心臓の鼓動が早まっているのを、彼に聞かれてしまうかもしれない。

どうしてか、それは嫌だった。

タバサは歩きながら、なぜかひどく火照って緩んだ自分の頬を、手で押さえた。

今、鏡を見たくないと思った。

 

「……お、お兄さま。いつの間にお姉さまと、そんな関係になってたのね!?

 き、キスはお姉さまにしか許さないですって! きゅいきゅい、きゅいい~、大胆なのね~!!」

 

しばらく呆気にとられていたシルフィードが、きゅいきゅいきゅいきゅいと、興奮して大騒ぎを始める。

 

「いや、その……。あれは、お芝居なんだよ」

 

「きゅいい? ……そんなわけないのね、いまさら何恥ずかしがってるのね!

 お姉さまがお兄さまに今、自分からキスをなさったのを見たのね!」

 

「いや、ええと……。それは、たぶん―――」

 

ディーキンはその後、周囲の目を気にしながらシルフィードを納得させるのに、かなりの苦労をさせられた……。

 


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