Neverwinter Nights - Deekin in Halkeginia   作:ローレンシウ

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第七十話 Affection

ここは、トリステインの王都・トリスタニアの王立魔法研究所(アカデミー)の一室。

ルイズの姉・エレオノールは、研究用のフラスコに入れた紅茶が沸くのを待ちながら、いらいらしたように机を指先で叩いていた。

 

彼女が苛立っているのは、最近態度が気に入らない婚約者のせいでもなければ、上から命じられた退屈な研究もどきの作業のせいでもない。

末の妹が召喚したという使い魔に関して、外部から入ってきた情報が問題なのだった。

 

「まったく、亜人だか天使だか知らないけれど……」

 

どうしてそんな重要な話を、さっさと自分に知らせなかったのか。

ようやく魔法が成功して使い魔が召喚できたというその一事だけでも、最も傍にいる身内の自分に知らせてきてもよさそうなものだ。

ましてや、そんな変わった使い魔が召喚されたなどという重要事を知らせようともせぬとは。

 

「この私に恥をかかせるつもりなのかしらね、あのおちびは……!」

 

普段研究に没頭していて市井の話には疎い部類の自分の耳にまで、その噂が届いてきた、ということは……。

王宮の中にも、もう既に知っている者がいるかもしれない。

ここは調査の命令が王宮側から来るよりも先に、自分の方でさっさと済ませておくべきだろう。

いざ問い合わせが来たときに、身内の使い魔に関してなにも把握していませんでしたなどというのでは、恥晒しもいいところだ。

 

(それに……)

 

あまつさえ、妹やその使い魔を妙な事に利用されでもしては、という心配もあった。

 

なんでもアンリエッタ王女は、近いうちにゲルマニアとの同盟のため、かの国の皇帝の元へ嫁ぐ予定になっていると聞く。

よりにもよってあんな野蛮な成り上がり者どもの国へ、伝統あるトリステインの王族が……、という思いはエレオノールにもあった。

だが、様々な状況を考えればいたしかたのないことらしいとも理解している。

 

浮遊大陸の『白の国』アルビオンでは、レコン・キスタと名乗る勢力が王権の打倒とハルケギニアの統一を宣言して革命を起こしている。

そして、既にアルビオンの王家を追い詰め、勝利を目前にしているのだという。

 

彼らの掲げる大義から推して、アルビオンを制圧した後には地上にある他の国家にも、遅かれ早かれ牙を向けてくるだろう。

その時に、真っ先に目標になるであろう至近の国はこのトリステインだ。

そして、小国に過ぎぬトリステイン一国の戦力では、到底アルビオン王家を滅ぼせるほどの戦力を持つ相手に太刀打ちできる見込みはない。

だから、そうなる前に王女を嫁がせることで、強い力を持つゲルマニアと軍事同盟を結んでおく必要がある、というわけだ。

 

聞くところによると、レコン・キスタの首魁であるクロムウェルとかいう男は、伝説の『虚無』の使い手だと主張しているのだという。

そのことが、王権の打倒という不遜な行いをするにあたって、彼らが掲げる大義名分のひとつであるらしい。

始祖が用いたという伝説の虚無が使える以上、始祖が認めているのは遠い末裔でしかない王族ではなく自分たちなのである、ということか。

にわかには信じ難い話だが、それで大勢の者がついてくるということは、その男は確かに虚無だと思えるような力を持っているのだろうか?

 

そのあたりの事情が、エレオノールの不安をなおさら強めているのだった。

 

「……天使、ねえ」

 

エレオノールはそう呟いて、壁にかけられた一枚の絵を眺めた。

 

それは、ハルケギニアの大地に降臨する始祖と、それを支える天使たちの姿を描いた宗教画だった。

始祖ブリミルにまつわる神話の一場面、『始祖の降臨』を描いたものだ。

 

「天使は神の御遣いであり、天より降臨した我らの始祖を導き、守護した存在……。本当なのかしらね?」

 

神話の真偽はともかくとしても、もし仮に、天使が今現在このトリステインに降臨しているということになれば。

それは、始祖の加護が今もなお王権の側にあるということの、強力な証拠となり得るのではないか?

 

ならば、もしもルイズの呼び出したという天使が、『本物』だったならば。

あるいはそうでなくとも、少なくとも本物だと言い張れそうな程度に珍しく強力な能力を持つ、亜人か何かの類であったならば……。

この切羽詰った状況で、王宮の者たちがそれを利用せずに、ルイズとその使い魔を放っておくなどということがあり得るのだろうか?

 

それは、ある意味では歓迎すべきことなのかもしれない。

 

レコン・キスタを打倒し、このトリステイン王国の命脈を保つことは、言うまでもなくエレオノールとて大いに望んでいる。

長年魔法を使えず、蔑まれ続けてきた末の妹にとっても、大きなチャンスだといえるかもしれない。

 

だが、そのために大事な妹を戦争沙汰に巻き込み、危険な目に遭わせることになるかもしれぬとなれば……。

そうそう安易に、肯定することはできなかった。

 

「はあ……、まったく、あの子はいくつになっても世話が焼けるんだから」

 

エレオノールはひとつ溜息を吐くと、ぶつぶつと愚痴をこぼした。

 

普段は厳しい態度で接してはいるが、エレオノールは自分なりに妹たちのことを大切にしているのである。

魔法の研究者としての道を志したのも、元々は上の妹の病弱さと下の妹の魔法が使えないのを何とかしてやりたいと思ってのことだった。

 

幸いにして、今、姫殿下と枢機卿は、皇帝を訪問するためにゲルマニアへと赴いているはずだ。

王宮でも最重要の人物であるこの2人の耳には、今回の話はまだ入ってはいまい。

 

とにかく、虚無の曜日になって仕事から解放され次第、まずは研究員としてではなく姉としてルイズを訪問する。

そうして自分の目で真偽のほどを確かめ、状況を判断することが先決だろう。

その結果が何でもなければそれでよし、もしそうでなければ、それから改めて王宮への報告をどうするかなどといったことを検討しよう。

 

エレオノールはそう結論すると、丁度沸いた紅茶を携え、気持ちを切り替えて仕事に戻っていった……。

 

 

 

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ディーキンとタバサが学院に帰還した、その日の夜。

 

学院の授業が終わると、ルイズ、キュルケ、タバサ、シエスタは揃って王都へ出かけ、『魅惑の妖精』亭の一室に集まった。

もちろん、今回の件について情報を交換し合い、共通理解を図るためだ。

オルレアン公夫人も同席している。

 

ちなみに、ラヴォエラは学院で留守番である。

今頃はまた、ロレーヌらに説法を聞かせてでもいることだろう。

 

ディーキンはといえば、ルイズから席を外す許可を得て、久し振りに酒場の方で詩歌などを披露していた。

かねてからの約束通り、学院長秘書あらため“新入りのきれいな大妖精さん”のミス・ロングビルと共演して大盛況を博しているようだ。

なんだか面白そうだと興味を持ったシルフィードも、人間に化けてそのお手伝いしていた。

 

ルイズらは、ロングビルが学院長秘書という立派な役職を捨て、このようないかがわしい趣の酒場で働き出したことに驚いていたが……。

きっと詮索してはいけない事情があるに違いない、と解釈して、それについて本人に問い質すようなことはしなかった。

タバサだけはその事情を立ち聞きして知っていたのだが、元より彼女が口外などしようはずもない。

 

トーマスはディーキンに勧められたとおり、早速ディーキンの演劇の幕間に手品の披露をしている。

ディーキンやロングビルが助手を務めて、客からの評判も上々のようだ。

 

ペルスランは、酒場で一般の客に交じって飲んでいる。

長年ただ一人で仕事をし続けてきたのだから、今夜くらいは仕事から離れてくつろいでほしいと夫人から勧められたのだった。

 

「ふうん、まさかあなたが、ガリアの王族だったなんてね。

 それに、よく何日も外出してたのには、そんな事情があったなんて……」

 

タバサの境遇を聞いたキュルケは、感心したようにそういうと、うんうんと頷いた。

シエスタは、流石は私の先生だと、ディーキンの功績に感動しているようだ。

 

ルイズはといえば、まずタバサの身分に驚き、次いでその話に心を動かされ。

それから、自分のパートナーであるディーキンの功績が誇らしいような、立場がないような、複雑な気持ちになり……、と忙しかった。

 

「……でも、それはまあ、無理に聞く気はなかったけれど。

 私にこれまでなんにも教えてくれなかっただなんて、水臭いわね」

 

「ごめんなさい」

 

「別に、謝らなくてもいいけど……」

 

キュルケは、母親の傍らでしおらしく頭を垂れるタバサの姿を、微笑ましげに眺めやった。

 

(この私にも内緒にしていたことを、ディー君には教えるだなんてね)

 

それはもちろん、彼が母親を治せる手段を持っていたから、というのもあるだろうが……。

それにしても、一年ほどの付き合いになる自分にも教えなかったことを、この内向的な友人が一月にも満たない付き合いの男に教えるとは。

 

おまけにタバサの彼に対する雰囲気が、出かける前とは明らかに違っている。

 

もちろんそれについても、母親を救ってくれた恩人に対して態度が変わるのは当たり前だろう、ともいえるが……。

何というか、距離が近くなった感じがする。しかも時々、ちらちらと彼の方の様子を窺っている。

 

この、他の人間すべてに対して無関心なように見えた友人が、だ。

 

(これは微熱なんてもんじゃないわ、相当ぞっこん惚れ込んでるわね)

 

と、キュルケは以前からの確信をより確かなものにしていた。

 

タバサの親友と自負している身としては、自分を差し置いて、といった悔しさのようなものも少しはある。

だが、タバサやディーキンを見守る目はあくまで優しい。

 

キュルケは、振る舞いこそ奔放とはいえ、大切な友人の幸せを心から祝福できる人間なのだった。

 

「シャルロットに知らない間にこんなに大勢お友達ができていたなんて、嬉しいわ。

 皆さん、どうかこれからも、娘のことをよろしくお願いします」

 

オルレアン公夫人が微笑んで頭を下げる。

 

「ええ、もちろん」

 

「はい、御夫人。こちらこそ、光栄ですわ」

 

キュルケは朗らかに会釈し、ルイズは丁寧に一礼して、その言葉に応える。

 

「わ、私のような平民が、王族の方からそのような……」

 

自分に対してまで頭を下げられたことに、シエスタが恐縮してその十倍くらいぺこぺこと頭を下げ返した。

 

それを見てルイズは苦笑し、キュルケはからからと笑う。

タバサも、微かに顔を綻ばせていた。

 

5人の女性たちはそのまま、しばし和やかに歓談して時を過ごした。

 

 

「それにしても、酷いわね!

 王族ともあろう者が、身内に対してそんな仕打ちをするなんて……」

 

ルイズが紅茶とクッキーをつまみながら、ぷんすかと腹を立てた様子でそういった。

だいぶ打ち解けてきて、話題がそういったデリケートな内容に及んだのだ。

 

キュルケも、それに同調する。

 

「まったくね……。

 しかも、そんな仕打ちをしておきながら、面倒事が起こるたびに始末を押し付けるだなんて!」

 

普段は悠然とした微笑みを湛えている顔に、その系統に相応しい炎のような怒りの色が浮かんでいた。

そこでシエスタが、努めて明るい声で口を挟んだ。

 

「でも、先生のお陰でこうして夫人もお元気になられましたし。

 これでもう、シャルロット様が危険なお仕事をされる必要もないですわ!」

 

シエスタも、もちろん少なからぬ義憤を感じてはいる。

だが、せっかくの和やかな雰囲気を壊して、ようやく元に戻ったばかりの夫人に早々にまた辛い思いをさせるのもどうか、と思ったのだ。

 

しかし、それを聞いたタバサは、静かに首を横に振った。

 

「そうはいかない。私が命令に従わなくなれば、王室から疑いがかかる」

 

タバサは、何か言いたそうな曇った顔で自分を見つめてくる傍らの母に対して心苦しく思いながらも……。

半ば決別するようにきっぱりと、深々と頭を下げた。

 

「申し訳ありません、母さま。

 ですが、王室の敵どもを討たない限り、いつまた私や母さまの身が脅かされるかもしれません。

 シャルロットは、父さまの仇を討つまでは戦い続けると、杖に誓いを立てました」

 

「シャルロット……」

 

オルレアン公夫人はそれを聞くと、悲しげに呻いて首を横に振った。

そして、愛娘の体をぎゅっと抱き寄せる。

 

「いいえ、復讐などを考えてはなりませぬ。

 私は母として、あなたが国を2つに割きかねない戦いを起こすところなど、見たくはありません」

 

「母さま……」

 

「そもそも、シャルルがジョゼフ殿下に討たれたなどという証拠がどこにあるのです?」

 

「……え?」

 

タバサは、思いがけない言葉に、戸惑ったように母を見上げた。

 

「いえ、仮にシャルルが、間違いなくジョゼフ殿下に討たれたものだとしても……。

 あの人にもその原因が、罪がなかったなどと申せましょうか」

 

そうしてオルレアン公夫人は、タバサがこれまで思ってもみなかったような話を語り始めたのだった……。

 


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