Neverwinter Nights - Deekin in Halkeginia   作:ローレンシウ

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第八十二話 Chorus

「むむむ……」

 

ルイズの上の姉であるエレオノールは、唸っていた。

いつも不機嫌そうに吊り上った目をさらに険しく吊り上げ、眉根を寄せて、端正な顔立ちを歪めている。

 

それを見て、ルイズは不安にかられた。

彼女は昔から、気が強く厳しいこの上の姉が苦手であった。

 

「あ、あの……、姉さま?

 私と使い魔のことでなにか、その……」

 

「黙ってなさい、ちびルイズ!

 私が今、考え事をしてるのがわからないのかしら?」

 

エレオノールは、おずおずと声をかけてきたルイズにぴしゃりとそういって黙らせた。

ついでに、彼女の頬を容赦なくぎりぎりとつねり上げる。

 

「あ、あいだだだ……、す、すびばぜん……」

 

涙目になった妹を睨みながら、エレオノールは今日入ってきた多くの情報を頭の中で検討し直した。

 

ルイズらは事前にオスマンにも事情を説明して相談した結果、エレオノールには『虚無』や使い魔のことを伝えることにしたのである。

公にするかどうかは慎重に考えるとしても、信頼できる身内には早めに打ち明けて情報を共有した方がいい、という考えからだ。

大体、今ではだいぶ打ち解けてきたとはいえ、宿敵であるツェルプストー家のキュルケにも知られている情報なのである。

それを大事な身内には教えないだなんてことは、ルイズ的には有り得ない話だった。

とはいえ勿論、タバサに関わる話などのたとえ身内といえども容易に明かすわけにはいかない幾つかの内容は伏せた上で、だったが。

 

まず、エレオノールが噂に聞いたラヴォエラは、実際にはルイズの使い魔ではないこと。

本当の使い魔はディーキンという名の遠方から来た珍しい亜人であり、ラヴォエラは彼が召喚したものだということ。

その亜人に天使が召喚できるのは、彼が『虚無』の使い魔であり、始祖と同質の力を扱えるからだということ。

そのような亜人を召喚できたルイズ自身の系統もまた、『虚無』だと考えられること。

級友であるガリアからの留学生(タバサの身の上については当然伏せた)が持っていた書物に目を通している最中にそれに気が付いたこと。

そして、既にその書物から『虚無』の呪文を習得し、ようやく魔法が使えるようになったこと……。

 

それらの情報を、エレオノールは既にかいつまんで伝えられていた。

 

(この子が、あの伝説の『虚無』だったですって?

 まさか、そんなことは……)

 

エレオノールは心の中でそう呟きながらも、それが事実かもしれないことを認めないわけにはいかなかった。

 

優秀な血筋を引く大公家の生まれでありながら、どうしても魔法が成功しなかった理由についてもそれで説明がつく。

言われてみれば、手がかりは常に目の前にあったわけだ。

さすがに落ちこぼれが始祖の系統かもしれないだなどと、そんな飛躍した発想は出てこなくても仕方なかったとは思うが……。

この子の使い魔が天使だという噂話を聞いた時点でもなお、その可能性に思い至らなかったのは迂闊だった。

確かに、本当に始祖の伝説に出てくる天使を呼び出したというのなら、系統も始祖と同じというのは大いにあり得ることだっただろう。

 

自分の妹がようやく魔法を使えるようになり、しかもそれが伝説の系統だった……。

 

もちろん、事実であれば姉として嬉しくないわけがないし、誇らしい。

だが、彼女がこれからどんな扱いを受けるかと思うと、心配にもなってくる。

 

それに、なんだか悔しい思いもあった。

 

(この子の実の姉で、アカデミーの主席研究員でもある私が気付かなかったことを。

 いくら一心同体の使い魔だとはいえ、よりにもよってこんな亜人が……)

 

そう思いながら、エレオノールはディーキンの方に視線を移した。

丁度ディーキンもエレオノールとルイズの方を困ったような顔で見つめていたので、目が合う。

 

「アー、ええと……、エレオノールお姉さん。

 ルイズが痛そうにしてるよ、そろそろやめてあげてくれないかな?」

 

目が合ったのをきっかけに、ディーキンがそんな提案をした。

彼の傍にいるラヴォエラもその言葉に同意するように頷き、次いで天使らしい潔癖さから、眉根を寄せて苦言を呈した。

 

「ねえ、あなた。自分の妹に、なぜ暴力を?

 あなたが考え事をしていることは、彼女を傷つける理由にはならないのではないかしら」

 

「…………」

 

エレオノールは、そんな2人を半目でじろっと睨んだ。

が、しかし。

 

「……まあ、いいでしょう」

 

結局、彼女は不機嫌そうにしながらも、素直にルイズの頬から手を離したのだった。

 

彼女は貴族としての名誉や体面を非常に重んじる性質だし、気位も高い。

ゆえに、そのような要求や苦言を平民ないしは下位の貴族からされたとしても、普通は無視するだけだ。

しかし、彼女にはまたアカデミーの研究者としての合理的な一面もあり、物の道理がわからぬ人物ではなかった。

 

亜人だの天使だのにとっては、平民も貴族も同じ人間でしかないことだろう。

そんな相手に対して、貴族とはこういうものだなどと声高に主張しても無意味だというくらいのことは彼女も理解している。

それに、他に考えたいことがある時に、ごたごたと言い争うような重要事でもなかった。

 

なお、エレオノールとルイズ、ディーキンとラヴォエラ、それにデルフリンガーとエンセリック以外の者は、ここには同席していない。

 

宿敵であるツェルプストー家のキュルケがいては、エレオノールの機嫌が悪くなり、話がややこしくなるばかりだろうし……。

シエスタのような平民が同席するのも、貴族としての体面や作法にこだわるエレオノールはいい顔をするまい。

タバサらにしても、今は難しい立場でもあることだし、無闇に顔を見せないほうが無難なはずだ。

 

エレオノールは当然、話に出てきた『虚無』関係の書物を見たがったし、その留学生に会わせなさい、とも言ってきた。

 

しかし、書物を見せればそれを書いたのが今は亡きガリアのシャルル大公であることを悟られてしまいかねない。

そこからタバサが彼の娘であることなどに思い至られては、困ったことになる。

 

そこでディーキンは、まずその書物を発見・解読した人物は留学生の身内だが今は故人である、という部分だけを正直に伝えた。

その上で、留学生自身は何も知らないし今は出掛けていていないとか、これ以上関わりたくないといわれているとか……。

いろいろと理由をつけて、当面は無理そうだとエレオノールに納得させ、断念してもらったのである。

いかに気位が高く頑固なエレオノールでも、ずば抜けた<交渉>の腕前を持つディーキンにかかっては言いくるめられざるを得なかった。

 

「とりあえず、そちらの話は分かったわ」

 

ややあって、エレオノールが眼鏡を指で掛けなおしながらそう切り出した。

 

「……けれど、聞いてすぐに『はい、そうですか』と受け容れられる内容ではないわね」

 

確かに、ルイズが『虚無』である可能性は十分にあるとは認めた。

とはいえ、まだそれが事実だと確信できたわけではないのだ。

 

それに、目の前にいるラヴォエラにしても、確かにただの翼人もどきの亜人などではないだろうことは感じ取れるが……。

本当に天使などという浮世離れした存在であるかどうか、はっきりしたというわけではない。

 

「なんですって? どうして、あなたは実の妹の話を疑ったりなどするの?」

 

エレオノールの言葉を聞いたラヴォエラは、たちまち怪訝そうに顔をしかめた。

 

「私は嘘なんてついたりはしないわ。

 それに、彼女が嘘をついていないことも、私が保証――――」

 

「アア……、ちょっと待って、ラヴォエラ」

 

エレオノールの発言を咎めようとするラヴォエラの言葉を、ディーキンが慌てて制する。

 

「嘘をついてるわけじゃなくても、勘違いってこともあるでしょ?

 エレオノールお姉さんが慎重に正しいことを判断しようとしてるのは、人を疑うとかの悪い考えからじゃないと思うよ」

 

まあ、現実的に考えて……。『自分は伝説の再来です』とか、『実は私は天使です』とか……。

あるいは、『俺、さっきそこでドラゴン倒してきたし』とかいう人がいたら?

 

普通はまず疑って、証拠はあるのかと聞くだろう。

誰だってそうするだろうし、自分だってそうする。

 

だから、お前は実の妹の話を信じないのか、などと咎めるにはあたるまい。

倫理的には信じるべきなのかもしれないが、現実的には内容の如何を問わず信じるというわけにはなかなかいかないものだ。

人間は天使のような純粋な善の存在ではないし、邪悪や嘘を一目で見抜くような超常の力を有しているというわけでもないのだから。

 

それから、ディーキンはエレオノールの方に向き直った。

 

「もちろん、ディーキンはお姉さんに納得してもらえるように、証拠をお見せするつもりなの。

 人目につかないところでやりたいから、ちょっとついてきてもらえるかな?」

 

百聞は一見にしかず、ともいう。

昨夜ルイズの呪文を見た仲間たちが確かにこれは伝説の系統だと一目で信じたように、実際の例を見せるのが一番だろう。

 

それに、その方が、バードである自分としても楽しいというものだ……。

 

 

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お披露目はトリステイン魔法学院の一角にある、多目的ホール的な場所を借りて行われることになった。

 

屋外の人気のない場所へ移動することも考えたが、時間がかかる上に昨夜と違い今は日中、誰にも見られないという確証はない。

その点、密閉された屋内であれば、貸し切りにして締め切っておけば誰にも見られる心配がないというわけだ。

 

もちろんディーキンとしても、こういう舞台でお披露目をする方が見せ場という感じがして好みに合うというのもあるが。

 

「さてさて、この年になってこうも目新しいものが見れるとは……。

 実に楽しみなことじゃな」

 

客席の前の方では学院の長、オールド・オスマンが、口髭を捻りながら楽しそうにしている。

 

学院の場所を借りる以上は当然彼の許可を得る必要があったし、学院の代表として立会うということで同席してもらう運びになったのだ。

学院長が同席していれば、強引な傾向のある姉とてさすがにそうそう無茶は言えないだろう、というルイズの思惑もあった。

 

「まったくです! 伝説の復活に天使の降臨、それに『虚無』の使い魔である未知の亜人の技とは……。

 いやはや、楽しみで震えが止まりませんな!」

 

コルベールもまた、今や遅しと舞台の方に注目しながら、彼の傍でわくわくと目を輝かせていた。

 

彼が信頼できる人物であり問題はないというオスマンの保証の下、本人の強い希望もあって立会いを認められたのである。

元々彼はディーキンの召喚時にも立ち会った人物であるし、ルイズらにもあまり抵抗はなかった。

 

「……まったく、何でこんな芝居がかったことを……」

 

エレオノールはといえば、むっつりとした顔でぶつぶつ文句を言っていた。

委細逃さず見届けて、必要に応じて質問や指示を出すために、記録用紙とペンを片手に最前列の席に陣取っている。

 

どうもあの亜人の使い魔はこういった趣向が好きらしいが、ルイズが文句も言わずにそれに付き合っているのが意外といえば意外だった。

友人もほとんどなかったあの子のことだから、ようやくできた使い魔を猫かわいがりしているのか。

それとも……。

 

(まあ、今はそんな詮索をしている時ではないわね)

 

それよりも、『虚無』云々の見極めの方が先だ。

エレオノールは雑念を振り払うと、ルイズらが舞台に姿を現すのを待った。

 

 

 

「さあて、ディー君は今日は何を見せてくれる気かしらね?」

 

「……」

 

「わかりませんけど、先生のことですからきっと何か楽しいものですよね!」

 

上階部分の奥の方の客席では、キュルケ、タバサ、シエスタらが、こそこそと様子を窺っていた。

 

面倒事を避けるために堂々と同席するわけにはいかなかったものの、せっかくのお披露目には是非立ち合いたい。

そう言うことで、ディーキンらとの相談の結果、下の客席からは見えないこの場所で見物させてもらうという運びになったのだった。

舞台からはちょっと遠いが、まあ仕方がない。

 

「そうね、ディー君も『虚無』みたいなことができるわけだし、もしかしたらルイズと共演とか……、あら?」

 

いささかわくわくしながら、シエスタと小声で囁きを交わしていたキュルケだったが。

ふと、タバサがどこか浮かない顔をしているのに気がついて首を傾げた。

 

「あなた、どうかしたの?」

 

「……別に」

 

「……ははあ。もしかして、あなたもディー君と共演したかったとか?」

 

「別に」

 

タバサは本を広げて顔を隠すと、ぷいとそっぽを向く。

キュルケは苦笑しながらも、親友のそんな振る舞いを微笑ましく感じて、ぽんぽんと頭を撫でてやった。

 

「そうね、ディー君に今度何か一緒にやろうって頼んでみましょうよ。あの酒場とかで。

 その時は、私もご一緒していいかしら……?」

 

 

 

そうこうしているうちに、舞台上にディーキンらが姿を現して、ルイズやラヴォエラの能力に関するお披露目が始まった。

もちろん、司会進行役はディーキンが大張り切りで務めている。

 

最初はまず、ラヴォエラからだった。

 

彼女は最初、天使の力は善を成すためのものであって見世物ではないと、いささか不服そうにしていたのだが……。

例によってディーキンが彼女を説き伏せて、エレオノールの探究心に答えるためにもここはしばらく協力しようという同意を取り付けた。

 

さて、とはいえ、何を見せれば彼女が『天使』だという証になるのか?

 

難しいところだが、尋常の系統魔法や先住魔法では説明がつかないような能力を見せれば納得しやすいのではないか。

そう考えたディーキンは、ラヴォエラにハルケギニアではあまり見かけないような能力をいくつか披露してもらった。

エレオノールや、時折はコルベールなどが、合間に質問や要求を挟んだり、検証作業に加わったり……、といった感じで進行していく。

 

例えば、呪文も唱えずにただ精神を集中しただけで、自分の姿を透明にする能力。

同様に精神を集中しただけで、人間、エルフ、コボルド、オークなど、どんな人型生物の姿にでもなれる能力。

永遠に燃え続ける熱のない炎を作り出す能力。

自分に向けられたいかなる下級の呪文をも掻き消して無効化する防御のオーラ。

燃え盛る石炭を素手で掴もうとも、鋭い刃を素手で握りしめようとも、少しの火傷も傷も負わないエネルギー抵抗やダメージ減少の能力。

対峙した者の話すどんな些細な嘘であろうとも、すべてを見破る能力。

そして、既にかけられている呪文を解呪したり相殺したりするという、伝説の『虚無』を思わせるような能力……。

 

「……確かに、あなたはただの亜人とは思えないわね。

 系統魔法ではないし、かといって私の知る限りでは先住魔法にもないような能力がいくつも……」

 

「素晴らしい! この熱のない炎はなんなのですか、私にも作れますかな!?」

 

「ええと、私のは生まれついての能力だから、魔法の使い手のことはあまりよくわからないけど……。

 同じような呪文をウィザードやソーサラーも使う、とは聞いているわ」

 

エレオノールが記録を取りながら顔をしかめて考え込んでいる横で、コルベールが目をかがやかせてはしゃいでいる。

どちらも研究者的な人物には違いないが、毛色はだいぶ違うらしい。

ラヴォエラはといえば、コルベールの質問にいちいち律儀に受け答えしていた。

 

「……聞いてみたいことはまだ山のようにあるけど、ひとまずはこのくらいで置いておきましょう。

 そろそろ、あなたの『虚無』とやらを見せてもらおうかしら?」

 

一区切りついた辺りで、エレオノールがそう言ってルイズの方に目をやった。

 

「は、はい!」

 

ルイズは背筋をしゃんと伸ばして、即座に返事をした。

それから、心の中で段取りを今一度確認する。

 

自分が『イリュージョン』の呪文を使ってある風景を生み出し、ディーキンがそれに合わせて演出を加える……。

事前に彼から舞台で見せようと提案されたのは、そういった内容だった。

それ以上の詳しいことは何も話してくれず、ただ自信ありげに胸を張って、任せてくれと請け合った。

 

仮にも自分は主人なんだから、もう少し詳しく教えてくれてもいいだろうという不満や、本当に上手くいくのかと不安な思いも当然あった。

 

しかし、ディーキンは別に悪意から隠し立てをしているのではなく、ただエンターテイナーとして事前にネタを明かしたくないだけなのだ。

ルイズにも、そのあたりのことはだんだんとわかって来ていた。

 

(あんたを信じてやれば、大丈夫なのよね?)

 

確認するようにちらりとディーキンの方を窺うと、自信に満ちた無邪気そうな笑みがかえってくる。

すると、幼い頃からずっと叱られ通しで苦手な上の姉の前で呪文を披露することに対する不安がすっと薄れ、気持ちが落ち着いてきた。

 

「……すぅ――――」

 

ルイズはひとつ深呼吸をすると、ゆっくりと杖を持ち上げて、呪文を詠唱し始める……。

 

見事な集中力で朗々と『虚無』の長い詠唱を紡ぎ上げていく彼女の姿を、姉や教師たちは固唾を飲んで見守った。

やがて呪文が完成すると、とある風景が、大きなホールの舞台の上に再現された。

 

「えっ……?」

 

それを見たエレオノールが思わず、彼女らしからぬ素っ頓狂な声を漏らす。

 

この学院の卒業生である彼女も、よく見知った眺めだったからだ。

ルイズの呪文で再現されたそれは、魔法学院の教室内、教壇周辺の光景だったのである。

 

エレオノールは一瞬、自分が学生として教室の席に座り、授業前に教師がやって来るのを待っているような錯覚に囚われた……。

 

 

 

「何度見てもすごい魔法ね……」

 

キュルケはそう呟きながらも、少し意外な気持ちがしていた。

 

確かにこれでも十分すごい呪文だということは伝わるだろうが、少々地味なのではないか?

何も、同じ建物の中にある教室の風景でなくてもいいだろうに。

昨夜のヴァリエールの屋敷の光景の方がずっと綺麗だし、演出としてもよいのでは……。

 

(それともディー君には、何か考えが?)

 

キュルケが訝しんでいると、ディーキンがとことこと幻の教壇の前に立ち、咳払いをして胸を張りながら、小ぶりな杖を取り出した。

それはまるで、音楽の指揮棒のようだった。

 

それから、芝居がかった仕草で御辞儀をして、話し始める。

 

「オホン……、それではみなさん、さっそく今日の授業をはじめるの。

 まず、一緒に合唱をしましょう。

 ラララァ~~、きれいな花嫁さんがやってきた……♪」

 

よく響く声で歌いながら、杖を降り出す。

 

「……ちょっと、ルイズの使い魔。おかしな遊びをしていないで、私の……」

 

質問に答えろ、とエレオノールが続けようとしたところで。

後ろの方の席で、ディーキンに合わせて歌う美しい女性の歌声が響いた。

 

「ラララ、ララ……、素敵な花婿さんが出迎えた……♪」

 

「……!?」

 

エレオノールは一瞬驚いて固まった後、はっと我に返って、目を吊り上げた。

 

このホールの座席には、私と教師2人の他には誰もいなかったはず。

誰が勝手に入り込んだのか?

 

エレオノールは、闖入者を怒鳴り付けようとしてそちらの方を振り向き……。

今度こそ、唖然として固まった。

 

歌っていたのはなんと、彼女の上の妹であるカトレアだったのである。

 

ただ、成熟した女性である現在よりも大分幼い……、今のルイズと同じくらいの年頃の姿をしていた。

そして、今のルイズと同じように、魔法学院の制服に身を包んでいた。

幼い頃から体が弱く、ヴァリエールの領地から出たことのない彼女が、一度も身を包んだことのない制服を……。

 

彼女は歌いながら、エレオノールの方を見つめて柔らかく微笑んでいた。

 

「か、カトレア? あなた、どうして……」

 

……いや、落ち着け。

 

本物のわけがないではないか。

第一、今のカトレアよりもずっと幼い姿をしている。

 

これもルイズの呪文で作られた、おそらくは幻の一種か。

いや、状況から考えるとむしろ、今出しゃばってきたあちらの使い魔の方の?

しかし、ルイズと違って、呪文を唱えているようなそぶりは……。

 

さまざまな考えが、エレオノールの頭の中をぐるぐると渦巻く。

 

その時、少し離れた場所で、また別の歌声が響いた。

皆が呆気にとられているうちに、次々と、新しい歌い手がホールのあちこちに姿を現していく。

 

その中には、ギーシュやモンモランシーといった、現在の学院の知己の姿があった。

やはり制服に身を包んだ、ルイズの旧知の青年もいた。

なぜか同じように制服に身を包んだ、トーマスの姿もあった。美形な彼は、貴族の中に紛れても違和感がない。

先日辞めた学院の元秘書、ミス・ロングビルの姿もあった。

授業参観にでもやってきたのか、ルイズの両親までもが、後ろの方に立って歌っていた。

そして終いには、美しい天使が数人、光の中から姿を現してホールに降り立ち、一緒に歌い始めた。

 

いくつもの幻の歌い手が奏でる歌声が重なり合い、いつしか美しい合唱になっていった……。

 

 

 

「こ、これは……、なんと?」

 

「ほう……」

 

コルベールやオスマンも、目を丸くしている。

 

ディーキンは彼らの様子に気が付くと、そちらの方にぴっと杖を向けた。

それから、生徒に注意する教師のような調子で話しかける。

 

「こら、そこの2人! サボってないで合唱に参加しなさいなの!」

 

「……へっ?」

 

「む……、わしらも歌うのかね? あまり自信がないが……」

 

「自信があるとかないとかじゃないの、合唱はみんなでつくるもんなの。

 ほら、早く!」

 

「は、はあ……、では」

 

「……ほっほ、もっともじゃな。教師がサボっておっては示しがつかんか。

 では、久し振りに喉を鳴らしてみるとしようかの」

 

やや困惑しつつも、楽しげに合唱に加わっていく2人。

 

「ほら、ルイズも、エレオノールお姉さんも、歌って?」

 

「ちょ、ちょっと。私は……」

 

「な、何を……」

 

「カトレアお姉さんも歌ってるでしょ? 一緒に歌って、ほら!」

 

場の雰囲気と、ノリノリなディーキンの勢いに流されたというのも、多分にあったが……。

姉妹であるカトレアがこちらに微笑みかけながら元気に歌っている姿を見た2人は、戸惑いながらも結局合唱に参加することになった。

 

ラヴォエラも、頼まれるまでもなく喜んで合唱に加わって、幻の天使たちと一緒に歌っていた。

彼女は音楽も大好きなのだ。

 

 

 

「ほらタバサ、シエスタ! 私たちも歌いましょう!」

 

興奮気味のキュルケが、2人の手を引く。

 

「で、でも。私たちは、隠れている最中ですし……」

 

「大丈夫よ、今なら私たちの姿もギーシュやモンモランシーと同じ、生徒の幻の一部ってことになるわ。

 むしろ、ディー君はその辺も考えてこういう演出にしたんじゃない?」

 

彼は舞踏会のときも、みんなで踊ろうと提案していた。

友人に隠れてこそこそ見ることを要求するよりも、堂々と参加してくれる方を本当は望んでいるであろうことは明らかだ。

 

「……私は、いい」

 

「何言ってるの、あなたもディー君の演出に協力したいでしょ?

 ほら、早く!」

 

キュルケは半ば強引に、シエスタとタバサの手を引いて、合唱に加わった。

いざ歌い始めると2人とも、目を輝かせて熱心に参加していたが。

 

 

 

そうして、『天使』と『虚無』のお披露目会は、大盛況のうちに幕を閉じたのだった……。

 




アストラル・デーヴァ(星幽界の天人):
 エンジェルの一種であるアストラル・デーヴァはより下位の善の存在を支援し、特に善属性の次元間旅行者を守護する役割を担っている。
彼女らには作中でも見せたように非常に多岐にわたる強力な能力があり、余程強力な悪の存在以外には後れを取ることはない。
いかなる毒や病、負傷でも癒せるし、ただの一言で己よりも弱い善ならざる者を打ちのめす『聖なる言葉』を何度でも使える。
聖なる力を呼び降ろして悪を打ち砕き、そのメイスによる強烈な打撃を受ければ巨人ですら朦朧として前後不覚に陥るだろう。
 アストラル・デーヴァを味方として使用する場合、その能力は20レベルの冒険者に相当すると評価されている。

パーシステント・イメージ
Persistent Image /自動虚像
系統:幻術(虚像); 5レベル呪文
構成要素:音声、動作、焦点具(羊毛少しと、砂数粒)
距離:長距離(400フィート+1術者レベル毎に40フィート)
持続時間:術者レベル毎に1分(解除可)
 この呪文は、術者の思い描いた物体、クリーチャー、力場の視覚的な幻影を作り出す。
さらに、この虚像は視覚だけでなく、聴覚、嗅覚、温度の要素をも含んでいるし、虚像に意味のある言葉を喋らせることもできる。
つまり、美しい音色を奏でるオルゴールの虚像を生み出せるし、美味そうな匂いのする御馳走の虚像も作り出せる。
近寄れないほどに熱いと感じられる炎の壁の虚像なども生み出せるのである。
ただし、いかなる幻覚を作ったのであれ、それで実際にダメージを与えることはできない。
 また、この虚像は効果の大きさの制限内であれば動かすことができ、術者の決めた筋書きに従って振る舞う。
例えば口論し合う酔っぱらいの一団の虚像を生み出し、次第に口論が白熱してついには殴り合いを始めるように設定することも可能である。
効果の大きさの制限は、「一辺が10フィートの立方体の区画4つ+術者レベル毎に1つ分」である。
呪文の距離内であれば、効果範囲は自由に配置することができる。

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