Neverwinter Nights - Deekin in Halkeginia   作:ローレンシウ

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第八十八話 Eye of Gruumsh

 ディーキンがゆっくりと詩歌を吟じ始め、他の皆はそれに耳を傾けた。

 それは、人間とオークという2つの種族の、2人の王にまつわる物語だった。

 

 

 

 

 遥かなる時 遥かな処

 

 これは人間の英雄王スレイと、オークの征服者グレイとの物語

 

 一人は民草の祝福を受けて生まれた正当の王位継承者で、一人は誰にも望まれずに生まれて反逆者として成り上がった無頼漢

 一人は美しく寛大で、一人は醜く狭量

 一人は己の種族を護り抜こうとし、一人は他の種族への侵略を試みる

 

 …………

 

 

 

 

 最初に語られたのは、人間の王スレイの物語。

 

 彼は王族の嫡子として生まれ、幼い頃から賢明で勇敢な子として皆に愛され、長じて王位を継いでからは民の尊敬を集めたという。

 彼の聡明さや優しさ、賢明さなどをあらわす小さなエピソードをいくつか挟んだのちに、物語はいよいよ佳境に入る。

 辺境に住まう野蛮なオークの部族が集結しつつあり、彼の治める国に攻め入ろうとしていることが明らかになるのだ。

 その数はあまりにも多く、到底自身の国の兵力だけでは太刀打ちできないという報告を受けたスレイ王は、近隣に住まう異種族たちと協力してこの脅威にあたるしかないと決断する。

 

「そこで彼は、近くの森に住むエルフたちと、山脈の大坑道に住むドワーフたちの代表者を招いて、協力を呼びかけたの。『我々は普段は離れて暮らしているが、今こそ護るべき民のために団結しなくてはならない』んだって」

 

 ディーキンがその部分まで語ると、聴衆がやや戸惑った様子で、まさかエルフと協力するなんてことが、とか、ドワーフってなんだい、とかいった疑問を口にし始める。

 

 ディーキンはそれに対して、小休止を兼ねて簡単な説明を挟んだ。

 ハルケギニアと違い、彼の故郷ではドロウなどの一部の亜種族を除けばエルフは基本的には人間と敵対してはいないこと。

 ドワーフとは、その質実剛健で頑固な性格と職人としての技量、屈強な戦士としての能力、そして比類なき酒量で知られる亜人の一種であるということ、などを。

 

 そうして大まかな事を理解してもらった上で、話を続けた。

 

「……それで結局、エルフの代表者もドワーフの代表者も、話し合いの末に協力してオークたちと戦うことに同意したの。エルフ族の代表者エルリーフはよく考えてスレイ王の言い分には理があることを認めたし、ドワーフ族の代表者サンダーヘッドは、彼の裏表のない誠実な態度を気にいったんだって」

 

 それから、スレイ王はエルフ族の主神コアロン・ラレシアンの叡智を讃え、エルリーフはドワーフ族の主神モラディンの不屈の意志を讃え、サンダーヘッドは人間の崇める太陽神ラサンダーの若々しい挑戦心を讃えた。

 最後に『今度は戦場で御一緒しよう』と言って握手を交わすと、彼らは別れてそれぞれの種族の元へ帰っていった。

 

 この話が伝わると、3つの種族の友好をもって国を守り抜こうとする英雄王、賢王としてスレイの名を連呼する民の声は鳴り止まず、国内の吟遊詩人たちはその偉業を讃える歌を連日歌い続けたという……。

 

 ディーキンの歌を交えた弾き語りの巧みさもあって、聴衆はみな詩歌の世界にのめり込んでいた。

 特にルイズやアンリエッタなどは、我が事のように誇らしげな顔をしてスレイ王の偉業に聞き入っている。

 確かに彼は、彼女らが思い描く“民を導きその尊敬を受ける誇り高い貴族”として理想的な存在であろう。

 

 ディーキンは皆のそんな様子を確認して、しばらく余韻に浸ってもらった後に、物語の続きを再開した。

 ここで大団円として物語を結ぶこともできるのだが、それではこの物語のもう一人の主役について語ることができない。

 

「……3つの種族の同盟を成立させられてスレイ王はほっとしたし、人間たちはみんな、王様の成功を聞いてとっても沸き立ったの」

 

 しかし、人間との同盟に賛同したはずのエルリーフやサンダーヘッドは、どこか浮かない様子だった。

 なぜなら彼らには、不安があったからだ。

 

 スレイは確かに善き王であり、紛うことなき英雄だと認めた。

 だが、それはあくまでも一個人としてはの話であり、人間には強欲な連中の多いことも彼らはよく知っていた。

 人間よりも遥かに長い寿命を持つエルフやドワーフからすれば、ほんの数年、数十年の間にころころと立場を変えたり、先代の約束など自分の知ったことではないという態度を取ったりする人間というのは、しばしばとても不実な連中に見えるのだ。

 

 彼らは同盟交渉の済んだ後、別れてそれぞれの種族の元へ戻る前に言葉を交わす。

 

 

 

 

『こうしてオークどもの脅威が持ち上がってくる前には、大勢の人間どもがわしらから坑道を奪おうと画策しておった。今は手を取り合っていても、戦が終わって落ち着けばじきにまたああだこうだと理屈をつけて坑道と宝石を自分たちのものにしようとしてくることだろう。お前さん方も気をつけておくがいい』

 

『そうだろうな。彼ら人間の寿命は短く、友情も恩義も忘れ去るのが早いからな』

 

『うむ……、あのスレイ王が存命の間はもつものとしても、百年後までの安泰は期待できまいよ。“知り合いと友人には百年の違いあり”というのがわしらの信条なのだがな』

 

『ああ。彼らは昔から、我らから森を奪うことも同じように正当化してきた。彼らはいつでも、人口が増えて食べていけないからやむを得ないのだ、などと弁明してこちらを泣き落とそうとしてくるのだ。もし断るなら、そちらの方が不人情な冷血漢だぞと言わんばかりの態度でな』

 

『こちらも同じよ。やつらはな、はっきりとした契約を結んで一部を与える代わりに残りには手を出さないと誓約させても、数十年も経たぬうちに代替わりだかなんだかで権利者の変更があったから以前の契約は改めねばならないなどと主張しては、じりじりと自分たちの取り分を増やそうとしてきおるのだ。ごく短い間だけなら連中も約束を守ることが多いが、少し長い期間となるとまるで信用できた試しがない!』

 

『やれやれ。ドロウのような忌まわしい地下世界の者どもはいざ知らず、この地上で人間ほど誠実ぶって厚顔無恥になれる連中というのも滅多にいないだろうな』

 

『そうだろうとも。同じ恥知らずでも、自分には少しも良識など無いことを隠そうとせんオークどもとはそこが違っておる』

 

『まったくだ。……だが、問答無用で襲ってくるオークと、くどくどと言い訳を捏ね回す人間のどちらかだと言われれば、人間が勝つ方がまだましだと言わざるを得ないがな』

 

『そうだな。まあ、わしらはせいぜい、事あるごとに今日のことを人間たちに思い出させるように努めるとしよう。連中にもいくらかは恥を知る心があるなら、少しは“盟友”に対して遠慮をするようになるだろうさ』

 

 …………

 

 

 

 

 エルフとドワーフの代表者が人間を評するそんな話を幕間代わりに挟んだ後、ディーキンの話はいよいよ、もう一人の主役であるグレイの方に移っていった。

 

「……グレイは、ある地方のオークたちを支配した王さま。だけど、最初から王だったわけじゃなかったの」

 

 グレイと呼ばれるそのオークにまつわる物語は、まず彼がオークの支配する地方の片隅で、貧しい農民として生活しているところから始まった。

 

 本来フェイルーンのオークには、土地を耕す者など滅多にいない。彼らは力を尊ぶ種族であり、ほぼ全員が暴力に頼って生きているのだ。

 戦って勝てば、勝者は敗者に所有するだけの価値がないと見なしたもの……つまりは自分が欲しいと思うものほぼすべてを、奪っていくことが許されている。

 食物が欲しければ誰かから奪い取ればいいのであり、土地を耕して汗を流すなどは戦う勇気もない軟弱者のすることだと考えられていた。

 

 それでもグレイが農民だったのは、昔その地を治めていたあるオーク王がいちいち略奪をせずに自分の望むときに作物を口にしたいなどと気まぐれを起こして、部下のうちで特に弱い者たちから武器を取り上げ、代わりに鍬と鋤を押しつけてその役目を強要したからであった。

 やがてその王はより力のある新たな王に取って代わられたが、新しい王たちは誰一人として、わざわざ卑しい農奴を解放してやろうなどと考えてはくれなかった。

 彼は、そんな落ちぶれたオークの家系の息子として生まれたのである。

 グレイなどという、およそオークらしからぬひ弱な人間のような名を与えられたのもそのためだった。

 

 力を尊ぶオークの社会は基本的に男尊女卑であり、女は男に劣らぬ能力があるということを証明できない限り、せいぜい価値のある所有物としか見なされない。

 そして卑しい農奴でしかないグレイの父には女を戦って勝ち取ることなどできようはずもなく、ただ土地を耕す希少なオークの家系を絶えさせないためだけに皆が欲しがらないオークの女を押し付けられて、その女がグレイを産んだのである。

 そんなグレイの母は当然のように器量も性格も最悪の一言で、他人には媚び諂う一方で夫のことは悪し様に罵り、僅かな彼の稼ぎを使い込んで手に入れた安酒をがぶ飲みしては息子を虐待した。

 

 もともと耕すことなど想定されていなかったオークの土地は荒れ果ててやせ細っており、作物の実りも悪い。

 大した量の食料生産もできず、他のオークたちから役立たずめと蔑まれ、同年代の子どもたちには虐められ、家族にも愛されず、孤独でひもじい思いをしながら生きていく……。

 グレイは次第に、そんな生活に耐えられなくなってきた。

 

「『他の皆にはできて、俺にだけできないなんてことがあるものか。グルームシュの名にかけて、俺にだって戦って奪い取れるものはあるはずだ』 ……彼はそう考えて、それを探したの」

 

 常に他人の顔色を窺いながら時にはこっそりと物をくすねたりもして生きてきたグレイには、自然と人を見る目が備わってきていた。

 

 彼が目をつけたのは、いつも仲間の後ろから自分を虐めているオークの少年だった。

 その少年はグレイと同年代だったが、自分の方が痩せていることを除けば体格でも勝っているし、オークの中では気が弱い奴だということも見抜いていた。

 

(あいつになら、一対一で戦えば負けはしない)

 

 グレイはそう確信して密かに復讐の機会を窺い続け、ついにその時が来る。

 

 彼はその少年が一人で路地裏をうろついている時にばったりと出くわし、袋小路へと追いつめて、自分に手出しをしたら後で仲間がだまっていないぞという必死の脅し文句も無視して散々に痛めつけた。

 殴られて腫れ上がった顔で情けなく命乞いをする少年を見下ろして、生まれて初めて味わった優越感と幸福感。それに酔ったグレイは、つい行き過ぎて彼を殺してしまう。

 いや、たとえそうでなくとも、仲間たちに告げ口をされて後日復讐を受けること避けるためには殺す以外にはなかっただろう。

 

 初めて己の手で人を殺したグレイはしばらくは目の前の光景が現実とは信じられず、次いで自分がしたことと、これからどうなるかを思って今更ながらひどく怯えた。

 だが、ややあって気を取り直した彼は、こうなった以上はどうにでもなれだと腹を据えた。

 

(とにかくこいつはおれを虐めた、おれより弱いのにだ。だからその報いを受けたんだ。グルームシュの教義に従えば、死んだこいつが弱いのが悪かったというだけのことじゃないか)

 

 嫌われ者の自分の言い分が通るかどうかはわからない。

 だが、とにかく事情を聞かれたら堂々とそう言ってやるぞと思った。

 

 ディーキンはそこで一旦話を止め、グルームシュというのはオーク族の主神であり、他の種族と絶えず戦って世界のすべてを奪い取ることをオークに要求する神であるということを注釈してから、続きを話した。

 

「……それで、グレイはその後すぐに殺しをしたのが見つかって、殺気立ったオークたちに取り囲まれたの」

 

 けれど彼は、先に決心したとおり堂々と自分に過ちのないことを主張した。

 自分より遥かに年長で大柄な大人たちに取り囲まれながらのその見事な態度に一人のグルームシュの司祭が感じ入り、今にもその場でグレイを殺そうかとしていた群衆を説得して彼を助けてくれた。

 

 部族の指導者たちはその司祭から事情を聞いて話し合った結果、グレイに“グルームシュに己の力を証明して無罪を勝ち取る機会を与える”ことに決めた。

 

 それはつまり、オークの支配する土地の外へ赴いて他の種族から十分な価値のある物を奪い取り、戻って来てグルームシュに捧げることで贖罪に変えよということであった。

 もちろん、見知らぬ土地、敵だらけの土地で単身でそのような任務を成し遂げることは極めて困難で、同様の処分を受けた者の大半は逃げたのか死んだのか、二度と戻ってこない。

 

(要するに、処刑が追放刑に変わったということだ)

 

 グレイはそう理解して黙ってそれを受け入れると、僅かな荷物をまとめて生まれ育った土地を離れた。

 

 もともと侮蔑と虐待しか受けてこなかった故郷に、さしたる未練もなかった。

 それに、一時は興奮し優越感に酔ったものの、同族の少年を殺し、目の前でその命が消えていくのを見たときのあの感覚……。

 故郷に残ってオーク同士で殺し合い、あんな恐ろしい思いをまた味わうのはできれば避けたいとも思った。

 

 僅か一日分の食料しか持って出ることを許されなかったグレイは不慣れな野外でたびたび飢えに苦しんだが、元より故郷でも満腹するまで食べられたことなどほとんどなかったのだ。

 試行錯誤して野外での生き抜き方を少しずつ身につけながら放浪の旅を続けるうちに、次第に逞しく成長していった彼は、ついに人間の土地へ辿り着く。

 

「彼はそこで人間の畑を見つけて、何か食べられるかもしれないと足を向けてみて……。そこにオークの土地では考えられないくらい豊かな作物が育っているのを見て、とても驚いたの」

 

 これほど豊かな作物を、どうやったら実らせられるというのか。

 土地の肥え方の差もあるだろうが、そればかりではないはずだ。

 

 思えば自分は農民だと言っても、ただただ無闇に土を掘っては種をまくばかりだった。

 農業を広く行っている人間にはやり方に関するもっと優れた知識があるに違いない、とグレイは悟った。

 

(これだ。これこそ、真に価値のあるものだ)

 

 グレイは、そう確信した。

 

 これだけの価値がある知識を持ちかえれば、仲間たちも自分のことを認めて受け入れてくれるかもしれぬ。

 自分の家族も、これ以上皆から馬鹿にされて苦労をしなくて済むようになるかもしれぬ。

 なればこそ、この知識を人間から学び取って帰らねばならぬ――――。

 

「……だけど、彼は上手くできなかったんだ」

 

 そこからしばらくの間、人間に受け入れられようとするグレイの半ば滑稽で、しかし物悲しい奮闘ぶりが語られた。

 ディーキンにとっては他人事ではないような話で、そこには彼自身の強い思いも籠もっていた。

 

 一番最初にグレイが農夫たちの前に友好をあらわすような仕草や微笑みと共に姿を現したときは、彼らはまるで豚か猪と屈強な原始人が混ざり合ったようなグレイの姿とその剥き出しの犬歯を見ただけで、悲鳴を上げて逃げ惑った。

 彼のとったオークの友好を求める仕草にしても、人間の目にはまるで威嚇でもしているようにしか見えなかった。

 慌てて追いかけて事情を伝えようとしたグレイは、人間を追い回す危険な亜人として近隣の農民たちに総出で鍬や鋤を持ち出されて威嚇され、這う這うの体で逃げ出すしかなかった。

 

 最初の失敗の落胆からなんとか立ち直ったグレイは、今度は教えを乞うのだから礼儀として贈り物を持っていこう、そうすればこちらが友好を求めていることが彼らにも分かるに違いない、と思いついた。

 そこで、グレイは近くの森で一日中頑張って狩りをして、よく肥えた兎や鳥を何羽も仕留めた。

 彼自身腹が空いていてその獲物を食べてしまいたかったのを我慢して用意したもので、自分に当然の権利のある貴重な獲物を譲り渡すというこの明白な表敬の行為によって必ずや誠意が伝わるはずだと思った。

 ところが農民たちは、仕留めたばかりの血塗れの獲物をぶら下げて近づいてくる彼の姿により一層恐怖と嫌悪感を露わにして逃げ惑い、武器を取って追い払おうとした。

 不慣れな人間の言葉でどうにか弁解しようとするも、誰も話を聞いてもくれず、またしてもグレイは失意のうちに逃げ出すことになる。

 

 グレイは人間は力よりも知恵に敬意を表するものだという話を思い出し、今度は理を説いて人間を説き伏せられないかと考えた。

 自分に農業の仕方を伝えてくれれば、そしてそれが自分の仲間たちの間にも広まれば、オークが人間から略奪をおこなうことは減るはずでお互いの利益になるじゃないか。

 人間が自分の聞いたような理知的な種族なのならば、武器を向けられても手向かわずに根気強くそういった明白な利点を論じれば、きっとわかってくれるはずだ。

 けれど、どうやって話を聞いてもらったらよいのだろうか……。

 

 彼は何度も場所を変え、相手を変え、細かな方法を工夫しては挑戦し、その度に挫折し続けた。

 その都度、彼は落ち込み、それでもまた立ち上がった。

 

 今度こそはわかってもらえるまで退かないぞと決意を固めたグレイは、話の分かる相手を求めて、今までで一番偉そうな人間を探した。

 そういった人物は大概他の人よりも聞く耳があるものだ、自分だって部族の指導者の裁定のお陰で追放刑で済んだのだから。

 グレイはそこに最後の望みをかけて、とても立派な身形をして何人も護衛を連れた人間の貴族に目をつけた。

 その貴族もこれまでの相手と同じように、グレイの姿を見るや護衛をけしかけて彼を殺させようとした。

 グレイは手向かわずに降伏の姿勢を示して必死に自分の考えを説明したが、相手は嫌悪感に顔をしかめ、さっさとこの汚らしい生き物を始末しろと言ったきりだった。

 

 どんなに彼が頑張っても、哀れっぽく訴えても、そいつはまともにグレイの方を見ようともせずに汚物でも見るような目で見下してくる。

 グレイを取り囲む護衛たちも冷笑を浮かべて彼の愚かしさを嘲笑い、臆病なオークの命乞い代わりの戯言と罵り、小突き回し、蹴り飛ばし、用意したささやかな贈り物を踏み躙り、唾を吐きかけた。

 彼らは、人間が豚と取引できるか、何を教えたところで豚などに理解できるものかとまで言った。

 散々罵った後、ついに彼らは何の手向かいもせずに地面に這いつくばっているグレイ相手に剣を振り上げて殺そうとした。

 

 それを見上げるグレイの心は、にわかに湧き上がってきた絶望と怒りで塗りつぶされた。

 

(何が理知的な種族だ)

 

 俺は奴らに頭も下げた、狩りの獲物も与えた、考えられる限りの礼を尽くした。

 それで、奴らが俺に何をしてくれたか。

 俺の誠意を踏み躙り、尊厳を汚し、命まで奪おうとしているではないか。

 

 グルームシュの教えの通りだった、人間はこのように恥知らずな振る舞いをして、自分たちオークのものを奪っていったに違いない。

 だからオークは略奪せねば生きるもままならぬ荒れ果てた貧しい地に住み、彼らは豊かな地で怠惰に傲慢に暮らしているのだ。

 

 その時、グレイの頭の中で声が聞こえた。

 

“殺せ!”

 

 それは自分の心の声だったか、それともオークの主神グルームシュからの啓示だったのか。

 いずれにせよ、グレイはそれに逆らおうとは思わなかった。

 

 自分は故郷を発つ前に同族だって殺したのだ、今更こんな畜生どもを殺すのに何を躊躇うことがある。

 こいつらはいくら礼を尽くそうとも道理に訴えようとも、端からこちらを馬鹿にして何も与える気がない、強欲な猿どもではないか。

 

 なら、奪い取るしかない。

 

 こいつらの土地を奪え、知識を奪え、尊厳を奪え。そして、命を奪え。

 それは元々、すべてオークのものだったのだ。強靭なオークが、ひ弱い哀れな種族どもに持っておくことを許してやっていたものだ。

 それをいい事に人間が……、エルフが、ドワーフが。

 余所者どもがこぞってつけあがるというのなら、奪い返すのだ!

 

 グレイは振り下ろされた刃を掴むと弾かれたように立ち上がり、事態が呑み込めずに呆然としている兵士の喉笛を食い破った。

 慌てて剣を構えようとする兵士たちの首を、手を、脚を、激怒の咆哮を上げながら枯れ枝のように薙ぎ払っていく。

 最後に、腰を抜かして情けなく這いずって逃げようとしていた貴族の首を骨が折れるまで絞めて殺すと、グレイは彼らの首を畑の稲穂のように狩り取って集め始めた。

 

 そうしていくつもの人間の首と、自分の内に目覚めた彼らへの憎悪とを手土産として、グレイはついに二度と戻らないだろうと思っていた故郷へと帰っていった。

 忌まわしい人間の土地にこれ以上留まるくらいならば、荒れ果てた故郷の方がよほどましだった。

 

(この地にはもう戻らない、オークの手にこの地を奪い取るのでない限りは)

 

 グレイはグルームシュに、そう誓いを立てた。

 

 故郷の者たちは皆、グレイの手土産を見て彼を賞賛し、罪を許すばかりか農夫の身分から解放して兵士の仲間入りをさせようと言った。

 しかし今やグレイは、もっと上を目指すつもりだった。

 この部族の頂点に立ち、近隣の他の部族をもまとめ、あの傲慢な人間どもの土地に攻め入るのだ。

 

 グレイは以前に自分を救ってくれた司祭に自ら志願して、“グルームシュの眼(アイ・オヴ・グルームシュ)”となるための辛く苦しい訓練を受け始める。

 長い訓練の日々に耐え抜き、想像を絶する苦痛にも耐え抜いて一言も上げずに自らの片目を抉り出すことで最終試練に合格した彼は、部族の尊敬を一身に集める英雄、新しい部族の長となった。

 

 そしてついに、今や彼の最も信頼する片腕となった司祭、ヴォルガフと共に近隣の諸部族の協力を取り付けることで十分な戦力を揃えた彼は、忌まわしい思い出のある人間の土地に攻め入って征服することを決断する――――。

 

 

 

「ディーキンも、これまでずいぶんたくさん人間に追っかけまわされたよ。グレイみたいにいろいろ試してもみたんだけど、ぜんぜんわかってもらえなくて……」

 

 ディーキンは長い話を終えて、一息つきながらそう言った。

 

 これからいよいよ戦争が始まるというところでまだ話の続きはあったが、今はそこまで語る必要はあるまい。

 ルイズらの様子を見る限りではかなり熱中してくれているようだし、思ってくれているところもあるようなので、いずれまた機会はあるかもしれないが……。

 

「でも、人間なんて悪いやつに決まってるとは思わないの。ボスやルイズみたいな人たちにも、いっぱい会ったからね!」

 

「グレイは、そんな人間には出会えなかった」

 

 嬉しそうに言うディーキンの顔をじっと見つめながら、タバサがぽつりと呟いた。

 

「……あなたがいいたいのは、そういうこと?」

 

 ディーキンが頷きを返した。

 

 自分は最初にボスに出会ったから、人間全体に絶望するということがなかったのだ。

 けれど、もしもそんな出会いがなくて最初からグレイのような目に遭っていたら、彼と同じだったかもしれない。

 

 生まれ故郷であるコボルドの洞窟に帰り、部族をまとめて軍隊組織として訓練し、人間に敵対する……。

 そんな自分の姿は、今となっては想像することも難しい。

 けれど、絶対になかったともまた言い切れない。

 

「……だからね、ディーキンはお姫さまたちのお手伝いはしたいけど、軍隊と戦いにはいかないよ。お話になら行くつもりなの。もしかしたら、グレイみたいな人にだって会えるかもしれないからね!」

 




アイ・オヴ・グルームシュ(Eye of Gruumsh、グルームシュの眼):
 D&Dの上級クラスの一種。オークまたはハーフオークのみがなることができる(それ以外の種族でこのクラスになった者がいるという、眉唾物な噂はあるが)。
太古の昔の叙事詩的な戦において、オークの主神グルームシュはエルフの主神コアロン・ラレシアンに左目を貫かれて失ったとされている。
このクラスを志す者たちはオーク・ダブル・アックスの扱いに熟達した上で、自らの信奉する神の失われた目を補うために己の右目を儀式的に抉り出して捧げることでその資格を得る。
その儀式の最中に一言でも苦痛の呻きを漏らしたならば試練は失敗し、その者は二度とこのクラスになることはできなくなるという。
その過酷な試練のゆえに、それを潜り抜けてこのクラスになった者はあらゆるオーク、ハーフオークから畏れ敬われる。
 アイ・オヴ・グルームシュは自身が強靱であるだけではなく、己の命令に従うすべてのオーク、ハーフオークを強くすることができる能力を持っている。
熟達したアイ・オヴ・グルームシュはその失った目で自身の死ぬ瞬間を予見しているといわれ、来るべき死を既に覚悟してそれに備えている彼らは恐れることを知らずに戦う。

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