Neverwinter Nights - Deekin in Halkeginia   作:ローレンシウ

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第八十九話 Getting ready to go

「枢機卿。……あの子に任せてしまって、本当によかったのかしら?」

 

「情けないことですが……、私にもあの亜人の少年は測りかねますな、姫殿下」

 

 ディーキンとの対話が終わった後、アンリエッタとマザリーニは学院で用意された部屋への帰路に着きながら顔を見合わせていた。

 ディーキンやルイズらとは話をした場所でそのまま別れ、途中まで送ってくれたオールド・オスマンとも部屋のある建物の入り口で別れ、今は2人だけである。

 

 戦争真っ最中のアルビオンへ赴き、オーク鬼やトロル鬼などの亜人が混ざっているような革命軍と話をしてきたいだなどと、彼の提案はおよそ正気の沙汰とも思われなかった。

 もちろん、彼女らとてその困難についてはディーキンに重ね重ね指摘し、思い止まらせようと説得した。

 しかし、ディーキンの意志は固いようだった。

 

 

 …………

 

『君のしてくれた話にはなるほど教訓的な部分があるし感じるところもあったが、オーク鬼のような亜人と話し合おうというのはやはり現実的に考えて困難過ぎるのではないかね』

 

『そうだね、難しいと思うよ。でも、あんたたちは天使やディーキンが何万の軍隊を相手に戦って勝てるって期待してたんでしょ? それだって、物凄く難しいことなんじゃないかな』

 

『む……』

 

『同じ難しいことなら、何万人も殺すよりは戦いを止めてそれ以上死人が出ないようにする方がずっとやりがいがあると思うよ。何万人の軍隊と戦って勝つことはできても、説得して戦いを止めさせることはできないってあんたたちが思うのには、何か理由があるの?』

 

『で、でも! どうやって、戦争中の敵軍の間を抜けて話し合いに行けるというのですか?』

 

『戦争中の敵軍を全部倒すよりは、こっそり間をすり抜けていく方が普通は楽だと思うの。ええと、透明になるとか、変装するとか……、向こうに着いてから状況を見て考えるよ』

 

『だ、第一あなたは、こう言ってはなんですが、どこの誰ともしれぬ亜人なのですよ。反乱軍の指導者どもがまともに応じてくれるわけがありません!』

 

『ンー、この国で一番偉い人たちが、こうしてお話に来てくれたのに? 反乱軍の人たちっていうのは、そんなにものすごく偉いの?』

 

『……仮に話し合いができたとしても、革命軍の者どもは既に勝利を手中に収めたも同然の状態だ。勝利の甘露を間もなく味わえるという、そんな状態からいまさら軍を退いてくれようはずがない』

 

『ありえないくらい難しいのはわかるの。でも、何か交渉できるような方法があるかもしれない。それはここにいても分からないから、向こうに行って探してみたいんだよ』

 

『しかし。情けない話だが我々としては天使に、ひいては天使につながりがあるという君に希望を託すしかない状態なのだ。それを、無駄死にに行くような……』

 

『ディーキンがもし何の役にも立たずに死んでも、少なくとも枢機卿のおじさんやお姫さまにとっては痛くもかゆくもないでしょ。駄目で元々だし、何の関係もない亜人が死んだだけだもの。軍隊と戦おうとして失敗して死ぬのも、お話に行こうとして失敗して死ぬのも、そんなに違わないんじゃないかな?』

 

『……そう言われてしまうと、我々としても元より虫のいい頼みで返す言葉もない。だが、私たちにはこの国のためにできる限りよい道を選ぶ義務がある。せっかくの天使が、君と共に無謀な話し合いに行って死ぬのを黙って見ているわけにはいかないのだ』

 

『ウーン……、わかったの。枢機卿のおじさんたちにも大事なものがあるんだものね。じゃあ、あんたたちの言う天使のラヴォエラにはここに残ってもらうことにするよ』

 

『……何?』

 

『もしディーキンが行ったきりずーっと音沙汰無しだったら、ラヴォエラに頼んでみて。軍隊と戦ってくれるかはわからないけど、事情を説明してちゃんと頼めば、何か手伝ってはくれると思うの。おじさんたちは、いい人みたいだからね!』

 

『て、天使を連れていかない……? まさか、あなた一人でそんな無謀な試みをするというのですか?』

 

『そのつもりだよ。もともとディーキンが勝手に決めたことだし、ラヴォエラにはこっちで改心させたい人とかもいるみたいだし、ついてきてなんてお願いするのは気が引けるからね』

 

『……わ、わかりません! 何のために、あなたはそんなに危険な事を?』

 

『だって、ディーキンはずっと、こっちでもすごい冒険がしたいって思ってたもの。こんな素敵な話を持ってきてもらって、ディーキンはお姫さまたちにとっても感謝してるの』

 

 …………

 

 

「……ああまで言われてしまっては、元より空手で他に策もなくただ縋りに行った我々としてはどうにもなりますまい」

 

「そうですねわね……」

 

 あの若々しい情熱にきらきら輝く目、それに理論的であるかどうかといったこととは無関係に不思議なほどの説得力を感じさせる、本物の自信に満ちた言葉。

 後から思い返せば自分でも不思議なほどに、彼らはあっさりと説き伏せられてしまっていた。もしかしたらこの亜人なら、本当にそんな奇跡のようなことをやってのけてくれるのではないかとさえ思った。

 これまで大勢の国民を相手に王族として振る舞うことに慣れていたアンリエッタも、国政を一手に担ってきた海千山千のマザリーニも、ディーキンのような人物に出会ったのは初めてだった。それは単に、彼が亜人だからというようなことではないだろう。

 

 とはいえ、こうして部屋を出てしばらく経ってからあらためて考えてみると、やはり不安を感じる。

 

(天使に頼むはずでいたのに、気がつけばあんな小さな亜人の子に頼んでしまうなんて……)

 

 だが、いまさらどうしようもない。

 こうなった以上は彼に任せて、もし駄目であれば……もしもも何も駄目に決まっている、とは理屈では思うのだが……提案に従って、ラヴォエラとかいう名の天使に改めて頼んでみるしかない。

 その時には彼の教えてくれた天使の性質とやらも考慮に入れて、話のもっていき方を慎重に考えておかなくてはなるまい。

 

(せめて、ウェールズ様が亡命してくださればいいのだけど)

 

 アンリエッタはディーキンを戦うよう説き伏せることは断念せざるを得なかったものの、その後にあらためて、アルビオンに着いたら敵と話をしに行く前にまず王家の側に亡命を勧めに行ってくれないかとは頼んでおいた。

 ディーキンが人の命を助けることならと快諾したので、マザリーニも内心では亡国の王族などを助けてもあまりメリットがないとは思っているかもしれないが、特に文句は口にしなかった。

 

 誇り高いアルビオンの王族は自分たちだけが逃げるを良しとせずに国と共に滅ぶ道を選ぶかもしれないが、少なくとも恋文を返してくれるように伝えることはできる。

 彼に渡した恋文……その中で彼女は始祖に愛を誓っており、それは婚姻の際の誓いでなければならないためにゲルマニア皇帝との婚姻を行なえば重婚の罪を犯すことになってしまう……が敵方の手に渡って白日の下に晒されてしまえば、ゲルマニアとの同盟も御破算になりかねず、いよいよトリステインは窮地に陥る。

 そうなってからではいくら天使の助力が得られたとしてももう手遅れかもしれないのだから、そこは手を打っておかなくてはならない。

 とはいえ、それでもマザリーニらに正直に打ち明けられないあたりはアンリエッタの小狡いところだった。まあ、恋の話など気恥ずかしいという乙女心もあるのだろうが。

 

 彼女はウェールズにあてた紹介の手紙の中に亡命の勧めと共に密かに恋文のことを書き添えると、封をしてディーキンに託した。

 さらに亜人であるディーキンが身の証を立てるためのさらなる証拠の品として、王家に伝わる“水のルビー”をも彼に渡そうとしたのだが、それは枢機卿が慌てて止めた。

 いくらなんでも、無事に戻ってくる可能性の低い使者に代々伝わる王家の秘宝を託させるわけにはいかない。

 

 その時のことを思い出して、マザリーニはあらためて溜息を吐いた。

 

「……まさか、それがあんな結果になってしまうとは……」

 

 

 …………

 

『姫殿下、それはなりませんぞ。“水のルビー”は王家の秘宝、たとえ王族と言えども軽々しく譲渡してよいようなものではありませぬ』

 

『命懸けの任務に赴いてくれようという者に渡すのが、どうして軽々しいのですか! 指輪で国は救えませんわ!』

 

『いや、しかしですな……!』

 

『心配いりませんわ、姫殿下、枢機卿猊下。私が一緒に参ります、ウェールズ様とは幼少のみぎりに面識もあるのですから、きっとわかってくださることでしょう』

 

『まあ、ルイズ! 無理よ、貴族と王党派が争いを繰り広げているアルビオンに赴くなんて!』

 

『何をおっしゃいます! たとえ地獄の釜の中だろうが、竜のあぎとの中だろうが、このトリステインと姫さまの御為とあらば。それに、自分のパートナーだけを危険な場所へ行かせて平気でいられるメイジなど、メイジではありませんわ!』

 

『姫殿下! このギーシュ・ド・グラモンにも、是非ともその困難な任務を共にするようにと仰せつけください!』

 

『私も行く』

 

『面白そうじゃないの。私も行くわ』

 

『わ、私も、どうか連れて行ってください!』

 

 …………

 

 

「別に指輪のことは関係ありませんわ。彼女たちは、何があっても彼と一緒に行くと言った事でしょう。うらやましいわ、あんなにたくさんの親しいお友だちがいるなんて」

 

 アンリエッタは、心からそう思っている様子だった。

 王族である彼女には身近に心を許せるこれといった友人もいないから、なおさらそう感じるのだろう。

 

 指輪の方はその後にディーキンの提案に従って、『いささかなりとも忠義に報いる意志を示すために』ということで、今晩だけルイズらに貸し与えられる運びとなった。

 明朝の出発の前に一旦返還されることになっているが、もしも今回の任務が成功したならあらためて譲渡しようとアンリエッタは既に決めていた。

 それは間違いなく国宝を譲るに値する、いやそれ以上の偉業なのだから、その時はマザリーニといえど文句は言わないはずだ。

 

「それは、そうかもしれませんが……」

 

 枢機卿は、苦々しげな顔で頷いた。

 姫殿下も彼らと同じように若いからいささか感じ入るところもあるのだろうが、まったく人の気も知らずに暢気なものだ。

 

 ディーキンの言っていた通り、彼はマザリーニらにとっては結局は単なる亜人であって、最悪アルビオンで死んでも何も害はなかった。

 しかし、彼と同行しようと名乗り出た者たちは違う。

 どこの誰ともしれぬ留学生のタバサや平民のシエスタはともかく、大貴族ヴァリエール家の令嬢であるルイズや、これから同盟を結ばんとしている帝政ゲルマニアの有力貴族家の令嬢であるキュルケ、それにグラモン元帥の息子であるギーシュ……。

 彼女らを無謀な試みに同行させて死なせたとあっては、大きな非難を浴びることになりかねない。

 

 よってマザリーニや、彼女らの身柄を預かっている学院の責任者であるオスマンは、しきりに思いとどまるよう説得したのだが……。

 いくら年配者が理を説いてみたところで、ディーキンの姿勢に感化されて火がついてしまったらしい若者たちの情熱を押さえようとすることは虚しい試みでしかなかった。

 

“貴族として、仲間が死地に赴くというのに自分たちだけが安全な場所にいられるか”

 

 ルイズらはみな、揃ってそう主張した。

 

 使い魔だけを死地に送って自分がここに残ったりなどすればそれこそ母に殺される、軍人として国のために戦った両親は自分の決断をきっとわかってくれるだろう、とルイズは言った。

 タバサの実家に行く際には単位の事などを気にしていた彼女だったが、さすがに母国の危機、姫殿下の頼み、パートナーの出征となれば話は違う。

 第一、この場にはオールド・オスマンもいるわけだから、彼のお墨付きをもらえば単位の心配などしなくてもよいだろうし。

 

 同様にギーシュは、軍人としてもレディーを守る薔薇としても行かないわけにはいかない、それこそ父上に顔向けができない、と言った。

 

 キュルケは、自分は情熱と友人のために動くのであって元よりトリステインの貴族ではないのだから指図は受けないし、火のメイジは戦場に惹かれるものだと言った。

 

 ディーキンにしても……彼はオスマンからルイズらには今回の件について知らせないでくれるよう頼まれてはいたのだが……戦場で仲間たちと危険を共有するのは冒険者として当然のことであるから、彼女らの申し出を歓迎こそすれ拒むつもりはないようだった。

 

 オスマンはそんな彼女らの主張やディーキンの姿勢に少しばかり恨めしそうな顔をしてはいたが、今回の事態は成り行き上止むを得なかったことでもあり、元より度量の大きい泰然とした人物。

 まあ本人たちがそう望むのでは仕方がない、後で保護者から文句が来たとしてもそう言ってやるしかなかろう、と割とあっさり腹を括ったようだった。

 

 マザリーニとしては胃の痛い話ではあったが……考えてみれば元々は、天使に頼るなどというのは馬鹿げた話で一切期待できぬと思いながらここへ来たのだ。

 それが思いもかけぬことに希望が少しは持てそうな展開になってきたのだから、そのくらいのリスクは甘んじて受け入れねばならないのかもしれない。

 まったく無関係な天使だの亜人だのにだけ危険を背負わせようというのがそもそも虫が良すぎたのだからと自分に言い聞かせて、しぶしぶ受け入れた。

 

「……まあ、杖は既に振られたのです。我々は我々のするべきことをしながら、待つしかありませんな」

 

「ええ……」

 

 不安な思いはどうしても拭えなかったが、2人はそう言って頷きあうと、それぞれにあてがわれた部屋の前で別れようとした。

 しかしそこへ、廊下の曲がり角から別の人影が姿を現す。

 

「夜分に失礼いたします、姫殿下、枢機卿猊下」

 

 そう言って片膝をついたそれは、美しい羽根帽子を被った長身の貴族だった。

 まだ若いようだが立派な長い口髭を蓄えており、精悍で隙の無さそうな佇まいをしている。

 

「あなたは、確か……」

 

 アンリエッタは首を傾げて、記憶の糸を手繰った。

 

「……魔法剣士のリカルド、だったかしら?」

 

「いえ、彼は魔法衛士のワルド子爵でございます。姫殿下」

 

 マザリーニが眉をひそめて訂正する。

 

「まあ、そうでしたか。ごめんなさい、間違えてしまって。思い出したわ、昼間、わたくしに花を取ってきてくださったわね」

 

 ワルド子爵は名前を覚えてもらえていなかったことに気分を害した様子も無く、恭しく頭を下げた。

 

「はい、姫殿下。私は殿下をお守りする魔法衛士隊、グリフォン隊隊長のワルドでございます。……恐れながら、夜分にお出かけになっている姿を目にいたしましたので、これまで遠巻きに護衛をいたしておりました」

 

 それを聞いたアンリエッタは、目を丸くした。

 

「護衛を? 今までずっと、わたくしたちに付いてきていたというのですか?」

 

「はい」

 

「まあ! まったく気が付かなかったわ!」

 

 マザリーニが、満足そうに頷いた。

 

「さすがだな、子爵。君ほどの『風』の使い手は、かの『白の国』アルビオンにもそうはおるまい……」

 

 そう言ったマザリーニの頭に、ある考えが閃いた。

 天使とつながりのあるところなどからいっても、あの亜人はおそらく見た目に似合わぬ力の持ち主ではあるのだろうが、とはいえその実力は未知数だ。

 ましてやその天使をともなわずに行くとなると、同行者は学生ばかりでメイジとはいえ足手まといになりかねないし、平民までいるし、戦力的に十分なのかどうかにはいささか不安がある。

 

(この男をこちら側の代表として、目付も兼ねて同行させられぬか)

 

 そんなマザリーニの考えをよそに、アンリエッタはワルドと会話を続けていた。

 

「それにしても、ワルドという地名にはなにか聞き覚えがありますわ」

 

「ラ・ヴァリエール公爵領の近くにある土地です」

 

「ヴァリエール領の近く……。そうなると、あなたの家系はヴァリエール家と親交があるのですか?」

 

「はい。ヴァリエール家の三女とは、幼少の頃によく遊んだ仲でした。親同士の口約束ではありますが、婚約もいたしました。懐かしい思い出です」

 

「まあ、ルイズとあなたが……」

 

 驚いたように目をしばたたかせたアンリエッタの頭にも、ある考えが閃いた。

 

(ルイズの婚約者なら、あの子たちと同行してくれないかしら?)

 

 戦力は、多いに越したことはない。

 ルイズらはみなお友だち同士であんなに熱心に同行しようとしていたのだから、婚約者ならなおのことではないか。

 

 アンリエッタとマザリーニは、互いに顔を見合わせて同じことを考えているらしいのを確かめ合うと、ワルドに事の次第を伝えてアルビオンへの旅路に同行するようにと命じた……。

 

 

 

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 話し合いが終わって解散した後、オスマン、アンリエッタ、マザリーニ、それに事情をよく知らないギーシュを除く一行は、ルイズの部屋に一旦集合し直した。

 明日から重大かつ困難な任務に赴くのだし、またしばらく学院を留守にするわけだから、事前にもう少し話し合っておこうというのだ。

 

「シルフィードには、こっちに残ってもらおうと思う」

 

 タバサはそう提案した。

 移動のための足はディーキンも用意できるので、彼女に付いてきてもらうメリットはあまりない。

 むしろ自分たちが留守の間に学院側と王都の酒場とを行き来するための足として残ってもらい、何か起きた時のために備えてもらう方がよいだろう。

 彼女だけではいざという時の判断力などに不安があるが、オルレアン公夫人やラヴォエラなど他の面々に助言を求めるよう言い聞かせておけば問題はあるまい。

 たぶん自分もついていきたいと言ってごねるだろうが、毎晩スカロン氏の酒場を見回りに行くついでにそこで料理を好きなだけ食べさせてもらえるとでも言ってやれば納得するはずだ。

 

「そうね、フレイムもついてきてもらうのは難しいだろうし、こっちに残すわ」

 

 キュルケはそう言って、親友の提案に同意した。

 オルレアン公夫人とトーマスに、ラヴォエラ、そしてシルフィードとフレイム。

 これなら留守中に万が一何かが起きたとしても十分な戦力のはずだ。

 

「うん。じゃあ、ディーキンはこれから酒場に行って、スカロンさんたちに事情を話しておくよ。ロングビルさんも一緒だし心配はないと思うけど、何かあったら連絡が取れるようにはしておくの」

 

 ディーキンもそう言って頷いた。

 念のため、非常時にこちらへ連絡を入れられるようなマジックアイテムをオルレアン公夫人に渡しておけば万全だろう。

 連絡が入ったら、即座に瞬間移動して彼女の元へ戻ればよい。

 

 アルビオンへ行く前に占術で情報を集めることや、アルビオンの王族に呪文を駆使して直接連絡を取ることなども考えてみたが……。

 まずは自分たちの目で確かめてからだろうと考えて、ひとまず保留にした。

 呪文で突然連絡を入れようとしても上手くいくかわからないし、上手くいったとして信用してもらえるかもわからない。

 ましてや、顔も会わせずに呪文での通話だけで亡命するよう口説き落とすとか、そんなことはまずできまい。

 占術にしても、まったく情報がない現状で試みてもあまりいい結果にはなるまい。

 何を調べればよいのか、ある程度自らの目で見て情報を集めてこそ、占術での調査もより詳細な結果を得られるものだ。

 冒険者としても、現地に足を運ぶのは基本である。

 家から一歩も出ずに問題を解決しよう、なんてわけにはいかない。

 

 そんな調子で一通り留守中の対応などを決め終えると、ディーキンはアンリエッタから借り受けた“水のルビー”とタバサの実家から持ち出した『虚無』関係の書物とを取り出して、ルイズに差し出した。

 

「それじゃルイズ、この指輪を試してみてくれる?」

 

 シャルル大公の遺した分析が正しければ、『虚無』の担い手であるルイズが王家の秘宝であるこの指輪をはめて書物を手に取れば、中身を読むことができるはずだ。

 ルイズは緊張した面持ちで指輪をはめると、おそるおそる本のページを開いていった。

 

 その瞬間、ルイズの手の中にあったその2つが輝きだし、全員がそれに注目する。

 光の中に浮き上がった古代のルーン文字……それはルイズ自身にしか見えなかったが……を、彼女はどきどきしながら読み進めていった。

 

「『序文。これより我が知りし真理をこの書に記す。この世のすべての物質は小さな粒より為る。四の系統はその小さな粒に干渉し、影響を与え、かつ変化せしめる呪文なり。その四つの系統は、『火』『水』『風』『土』と為す』……」

 

 もどかしい気持ちで、ルイズはページをめくった。

 

「……『神は我にさらなる力を与えられた。四の系統が影響を与えし小さな粒は、さらに小さな粒より為る。神が我に与えしその系統は、四の何れにも属せず。我が系統はさらなる小さき粒に干渉し、影響を与え、かつ変化せしめる呪文なり』……」

 

 どうやら序文には呪文に関する基本的な解説が載っているようだ。

 確かに、先日ディーキンが聞かせてくれたカラ・トゥアとやらの教えともかなり似通った部分がある。

 知的好奇心を疼かせながら、ルイズは読み進めていった。

 

「……『選ばれし読み手は“四の系統”の指輪をはめよ。 されば、この書は開かれん。ブリミル・ル・ルミル・ユル・ヴィリ・ヴェー・ヴァルトリ』」

 

 序文を読み終えると、ルイズは顔をしかめた。

 この注意書き自体選ばれし読み手が指輪をはめていないと読めないのだから、今さら言うまでもないことで無意味な記述なのではないか……と思ったのだ。

 

 まあ、そのあたりは分かり切ったことであっても一応書いておくべき前置きというやつなのだろう。

 そう考えて納得すると、気を取り直して先を読んでいった。

 序文も興味深い内容ではあったが、やはり何と言っても『虚無』の呪文の方が気になる。

 

 しかし……。

 

「……何よ、『初歩の初歩の初歩』のエクスプロージョンしか読めないわ。あとは白紙のままじゃないの!」

 

 ルイズが文句を言うのを聞いて、デルフリンガーが口を挟んだ。

 

「注意書きにあっただろ、娘っ子。『虚無』は危険だから、ブリミルも用心深くしてるのさ。読めねえ部分の呪文は、まだお前さんにゃ必要がねえってこった。必要な時には読めるようになる」

 

 それを聞いて、ルイズは不満そうにぶつぶつ言いながら本を閉じた。

 

「必要があればっていったって、この指輪は明日には返さなきゃいけないのに……」

 

 キュルケが肩を竦めてフォローした。

 

「そう落ち込むことはないわよ、これから会いに行くアルビオンの王族だって指輪を持ってるはずだわ」

 

 戦場でなら新しい呪文も必要になるかも知れないし、滅亡寸前の王国なのだから大切な他国からの使者が求めれば国宝だのなんだのと勿体をつけずに貸してくれるかもしれない。

 もしかしたら、反乱軍の手に渡るくらいならと譲渡してくれるようなことだってあるかもしれないではないか。

 

「うん、呪文っていうのはそんなにすぐに幾つも覚えられるものじゃないしね。向こうにいったら、王様とかにも聞いてみるの」

 

 ディーキンもそう言って、ルイズを宥めた。

 

 後はいろいろな細かい話をまとめると、皆は解散して明日に備えることになった。

 ディーキンはまだいくらか仕事があったので、十分な睡眠をとるために寝床に入ったルイズと別れると、まずは事前に話し合ったとおり王都の酒場に向かってオルレアン公夫人らに事情を伝えることにした。魔法の寝袋があるので、睡眠時間は最小限で十分なのだ。

 そういえば、以前に読んだフーケの告白書によれば、彼女は本名を『マチルダ・オブ・サウスゴータ』といってアルビオンの名家の出とのことだった。

 もしかしたら何か有益な情報を教えてくれるかもしれないから、彼女にも話を聞いてみよう。

 

 ディーキンはそうして夜通し忙しく動き回り、いよいよ旅立ちの時となった……。

 


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