「リンネ、私、東京行く」
受験シーズンが過ぎ、すっかり寒くなったとある冬の日。話があると呼び出された俺は、彩葉にそう言われた。
真剣な表情でこちらを見つめる彩葉。その瞳には、強い覚悟が宿っていた。
「…紅葉さんは、なんて?」
一応聞いてみる。本当は全部知っている。知っているが、こういうことはちゃんと本人の口から聞かなければならない。
「そりゃ反対されたよ。でも、最終的にはおじいちゃん達からも説得してもらって、あっちが折れてくれた。学費と生活費は自分で稼ぐことになったけど。まあ、こっちも譲らなかったし」
さも当然かのように言う彩葉。しかし、それは決して楽な道ではない。修羅の道と言ってもいいほどだ。でも、彩葉はその道を選んだ。いや、選ばなければいけなかったのだろう。
そして、これは俺の責任でもある。
朝久さんを救えず、酒寄家の崩壊をただ見ることしかしなかった、俺の。
あの時、俺は何度も“これはハッピーエンドのために仕方がないこと”と、誰もいない部屋で一人で言い訳をしていた。だが、言い訳をすれば最高のハッピーエンドに本当に辿り着けるのだろうか。いや、辿り着けるはずがない。そんな脆弱な思いでは絶対に辿り着けない。
もう、後悔なんてしたくない。だからこそ、俺も覚悟しなければならない。全ては、最高のハッピーエンドのために。
「そっか。それが彩葉の選択なら、ボクは応援するよ。それに…」
「それに?」
「ボクも、東京行くんだ」
「え…」
彩葉が驚愕の表情を浮かべてこちらを見つめる。そりゃそうだよね。勇気を出して東京に行くって打ち明けた相手が自分と同じように上京するだなんて、驚かないわけがないよね。
「本当に?嘘じゃないよね?てか、なんでなん?」
「こんな時に嘘はつかないよ。ボク、やりたいことがあるんだ。それは、そこじゃないとできないことだから。それに…」
俺は淡々と告げる。俺のやりたいこと。それは、最高のハッピーエンドに辿り着くこと。それは、東京に行かなければ達成できない。それは紛れもない事実だ。もちろん彩葉が心配だってのもある。優しくて、努力家で、どこか不器用。原作では、ヤチヨのおかげで首の皮一枚繋がっていたようなものだった。それに、彩葉は一人で抱え込んでしまう性格だ。万が一かぐやが来る前に潰れてしまったら、ハッピーエンドの道のりは完全に詰んでしまう。それは絶対に避けなければならないしね。
でも、一番の理由は……
「ボクはもう、後悔なんてしたくないんだ」
俺の今までの人生は、かぐや以外には、喪失と後悔しかなかった。
仲良くなった子どもは二十年も経てば親になり、五十年経てば体は衰えて、いずれ朽ち果てる。今と比べたら昔の人の寿命なんて短すぎる。現代の価値観で生きてきた俺とかぐやにとって、この事実は辛いものだった。
救えたはずの命も、確実にあった。でも俺は助けようとしなかった。できなかったんだ。一人でなんでも抱え込んで、破滅する者や、不当に幕府に捕まり、志半ばで倒れた者。数え出したらキリがないほど、俺はたくさんの命を見捨ててきた。歴史が変わってしまうのが怖かったから。
もし俺が介入することによって、歴史が変わってしまったら?誰かを助けようとする度に、それが頭をよぎって、結局見捨ててしまったのだ。
その度、俺は後悔に苛まれた。
でも、あのメロディーを聞いた日。
『彩葉、音楽は自由に楽しむんやで』
あの言葉を聞いた、あの日。
変われた気がした。でも、変われなかった。朝久さんを救うことはできず、酒寄家の崩壊もただ見ているだけだった。きっかけがあったのにもかかわらず、変わることができなかった自分に、苛立ちを覚えた。
ーー
「俺、後悔してるんだ」
俺が初めてツクヨミにログインしたあの日、俺はヤチヨにそう言った。
「何に?」
「俺は8000年の中で、沢山の人を見捨てた。歴史が変わるかもしれなかったから。そういうのは、いつもヤチヨに任せてた」
ヤチヨは何も言わない。ただ、こっちに向かって微笑むだけだ。
「朝久さん…彩葉のお父さんが亡くなったとき、辛かった。多分、今までのどの別れよりも、一番。わからなくなっちゃったんだ。どうするべきなのか」
「そっか……じゃあ、ヤッチョとお揃いだね」
「……え?どうしてお揃いなんだ?ヤチヨはちゃんとみんなを救おうとしていたじゃないか。救おうともしなかった俺とは、大違いだろ」
「ううん、お揃い。だって、わたしも後悔してる。助けたかったのに、助けられなかったから。わたしもリンネも後悔してる。ほら、お揃いでしょ?」
笑みを崩すことなくそうヤチヨは言う。しかし、彼女の目は笑っておらず、それは深い悲しみと後悔を物語っているようだった。
「でもでも〜っ!今のリンネは抱え込み過ぎ!だから、約束しよ!」
「約束?何を?」
「リンネもわたしももう後悔しないよって、お互いに約束するの!」
ヤチヨはそう言うと、いつもの作り笑いではなく、8000年の中で見せてくれていた本当の笑顔を、こちらに向けながら小指を差し出してきた。
「…指切りって、子どもかよ。ヤチヨもう8000歳だろ?」
「ヨヨヨ…でも、そういうリンネだって!ヤッチョと一緒に8000年過ごしたじゃん!中身の歳はヤッチョと同じでしょ〜?」
「中身言うな。でもざんね〜ん!身体はJCで〜す‼︎」
「……ふふっ」
「……ははっ」
「「あっはははは‼︎」」
俺とヤチヨは、一緒に笑った。なんだか、おかしくなったみたいだった。
俺は、一人で抱え込みすぎていたのかもしれない。朝久さんに“抱え込まないで”って言ったのに、これじゃおまいうだよ。俺は一人じゃない。ヤチヨがいる。彩葉だっている。
「ありがとう、ヤチヨ」
俺は、ヤチヨに向かって感謝を述べる。彼女のおかげで、大切なことに気づくことができたから。
俺は差し出されているヤチヨの小指を自身の小指で引っ掛ける。
「約束する。俺はもう後悔しない」
「…うん。私も、後悔しない。」
俺とヤチヨは決意を込めて互いを見つめ合う。そして…
「「ゆーびきりげーんまん、うそついたらはーりせんぼんの〜ます!」」
「「ゆーびきった‼︎」」
そう、約束した。
ーー
「ボクは、もう後悔なんてしたくないんだ」
彩葉は、何も言わなかった。
ただ、真っ直ぐ俺を見ていた。
おかしいな。なんで俺の決意を伝える時間になってしまっているんだ。ほんとは彩葉の決意を聞く時間だったはずなのに。今、彩葉はちょっとビビっている。そりゃそうだよね。悩んで悩んで決めた決意を伝えたら、逆に相手から重すぎる覚悟が飛んできたんだから。
「リンネ…ちなみに、どこの学校?」
「武蔵川高校っていう、都立の高校だけど。それがどうかした?」
「ぇ…私も…これ、なんて偶然⁉︎」
彩葉はまた驚愕する。もしかしてと思って聞いてみたはいいものの、本当に一緒の高校でビビったってところだろうか。
「彩葉もなんだ。すごい偶然だね」
嘘である。彩葉が武蔵川高校に進学することは映画とか小説とかで把握済みなのでそれに合わせただけである。まあ、そうしないと芦花真実とも出会えないし、彩葉を支えると決めた手前、一緒じゃないと色々と都合が悪いのだ。
「私がいうのもなんだけど、おじさんたちはいいって言ってくれたの?結構仲良い、よね…」
「仲がいいからこそだよ。いつまでも親元で甘えるわけにもいかないしさ。そりゃ初めは反対されたけど、理由を説明したら泣きながら応援してくれたよ。頑張ってこいってさ」
これは本当である。正直、俺は両親にこれでもかというほど溺愛されている。俺の両親は常に忙しそうにしている分、一緒にいられる時は俺に無償の愛を注いでくれた。正直両親がいなかったら、朝久さんを救えなかった後悔で病んでたと思う。親元を離れることは、俺としても寂しい。でも、最高のハッピーエンドのためには、離れなければならない。離れない選択をした方が、俺はきっと後悔するだろう。だからこそ、快く送り出してくれた両親には感謝しかない。生活費を自分で稼ぐと伝えた時もすんなり了承してくれたし。…やっぱり実績って大事なんだな。ありがとう、資産運用。
「まあ、とにかく。今ボクが言えることは一個だけ。改めてよろしく、彩葉」
俺は彩葉に向かって右手を差し出す。あのとき、ヤチヨとした指切りのように。
「……うん。こちらこそよろしく、リンネ」
彩葉は緊張の糸がすっかり緩んだみたいで、穏やかな笑みを浮かべてこちらの手を取り、固い握手を交わした。