それを愛と希望の物語という 作:指輪のかけら
ボーダー本部医務室。
午後の診察時間は比較的静かだ。
書類整理の音と、空調の低い駆動音だけが室内に流れている。
ロマンは机に向かったまま、健康診断のデータを端末へ入力していた。
「……よし、これで最後」
軽く肩を回したところで、医務室の扉が控えめにノックされる。
「失礼します」
入ってきたのは那須玲だった。
「やあ、那須さん。今日は定期検診の日だね」
「はい。お邪魔します」
那須は柔らかく微笑みながら椅子に腰掛ける。
本体の身体が弱い彼女は、他の隊員より医務室に来る頻度が高い。
とはいえ、重い空気になることは少なかった。
「はい、深呼吸して」
「……すぅー、はぁー……」
聴診器を外しながら、ロマンはカルテへ軽くペンを走らせた。
「うん、前回よりは安定してるね」
「本当ですか?」
「無理はしてない?」
「してません」
「本当かなぁ」
「……ちょっとだけです」
「正直でよろしい」
ロマンは苦笑する。
那須も少しだけ笑った。
静かな空気だった。
騒がしいわけではないが、不思議と落ち着く。
「でも、ボーダー入ってから前より動けるようになったんです」
那須がぽつりと言う。
「トリオン体があるから?」
「それもあります。でも、それだけじゃなくて」
彼女は少し考えるように視線を落とした。
「前は、自分にできることなんて少ないと思ってましたから」
ロマンは何も言わず続きを待つ。
「身体が弱いと、どうしても周りに迷惑をかけますし。できないことも多いし」
「うん」
「でも、ここでは戦えます。役に立てます。誰かと並んで前に進める」
那須は小さく息を吐いた。
「だから、多分。私はここが好きなんだと思います」
ロマンは少しだけ目を細める。
「……そっか」
その声は穏やかだった。
「というか、ロマン先生こそ無理してませんか?」
「え、僕そんな働いてる?」
「働いてます」
即答だった。
ロマンは少し肩を落とす。
「最近の若い子、容赦ないなぁ……」
「先生、見た目はそんなに年上に見えませんけどね」
「それよく言われる」
実際、ロマンの外見は若い。
二十代後半程度にしか見えないだろう。
もっとも、その内側に積み重なった時間を知る者はいない。
ロマンはカルテを書き終えると、ふと那須へ視線を向けた。
「……ねえ、那須ちゃん」
「はい?」
「死ぬのって、怖い?」
静かな問いだった。
医務室の空気が、少しだけ変わる。
那須は一瞬驚いたように目を瞬かせ、それから小さく考え込んだ。
「……怖いですよ」
その答えは、意外なくらい即答だった。
ロマンは少し目を細める。
「そっか」
「だって、痛そうですし」
「現実的だなぁ」
「でも」
那須は少しだけ笑った。
「それで全部終わるわけじゃないと思うんです」
「全部?」
「自分っていう存在そのもの、です」
ロマンは黙って聞いていた。
「たとえば、自分がいなくなっても、誰かが覚えていてくれるなら」
「……」
「それって、完全になくなるわけじゃないと思うんです」
穏やかな声だった。
押し付けるような強さはない。
ただ、自然にそう信じている声音。
「だから、怖くても」
那須はしっかりとロマンを見つめる。
「前に進まない理由にはならないかなって」
その言葉に、ロマンはしばらく返事をしなかった。
ただ静かに視線を落とす。
やがて、小さく笑った。
「……そっか」
「変でした?」
「いや」
ロマンはゆっくり首を振る。
「那須ちゃん、強いね」
「そんなことないですよ」
彼女は困ったように笑った。
「怖いもの、いっぱいありますし」
「でも進める」
「みんなそうなんじゃないですか?」
その言葉に、ロマンは何も返せなかった。
しばらくして、那須は立ち上がる。
「ありがとうございました、先生」
「うん。また無理しすぎたら来るんだよ」
「はい」
医務室の扉が閉まり、静寂が戻る。
ロマンは一人、椅子に深く座り直した。
そして小さく天井を見上げる。
「……強いなぁ、人って」
その呟きは誰にも届かなかった。
◯月✖️日
「こんにちはー」
軽い調子で医務室に入ってきたのは、空閑遊真だった。
ロマンは机から顔を上げる。
「あれ、遊真くん。珍しいね」
「修が訓練長引きそうだから暇つぶし」
「医務室を休憩所みたいに使わないでほしいなぁ」
「居心地いいからなここ」
遊真は勝手知ったる様子で椅子へ座る。
ロマンは苦笑しながら紙コップを差し出した。
「はい、お茶」
「ありがと」
遊真は一口飲み、ふぅと息を吐いた。
「先生ってさ」
「ん?」
「なんでボーダー入ったの?」
ロマンの手が、僅かに一瞬だけ止まる
「なんでって……求人?」
「へー」
遊真がじっと見る。
黒い瞳。
人の嘘を見抜くサイドエフェクト。ロマンはそれを知っていた。
もちろん、知らないふりをしている。
「先生、戦闘員でもないのに近界詳しいよな」
「本読んでるからねぇ」
「ふーん」
遊真はそれ以上追及しなかったが、代わりに、机の上の書類を見た。
「またレポート?」
「太刀川くんの」
「あー……」
納得した顔だった。
「先生って苦労人だな」
「否定できないのが悲しい」
ロマンは肩を竦める。
遊真は少し笑ったあと、椅子から立ち上がった。
「じゃ、そろそろ戻る」
「うん。訓練頑張って」
「先生も仕事頑張れよ」
「ほどほどに頑張る」
ロマンがそう返す。
遊真は医務室の扉を開き――そこで一度だけ止まった。
振り返らないまま、軽い声で言う。
「つまんないウソつくね、先生」
扉が閉まる。
静寂。
ロマンはしばらく動かなかった。
やがて、ゆっくり椅子に背を預ける。
「……やっぱり、鋭いなぁ」
その表情は、少しだけ困ったようにも見えた。
読んでいただきありがとうございます
どの隊と絡ませる?
-
風間隊
-
嵐山隊
-
加古隊
-
三輪隊
-
二宮隊
-
影浦隊
-
生駒隊
-
東隊
-
那須隊
-
弓場隊
-
鈴鳴第一
-
荒船隊
-
香取隊
-
諏訪隊
-
柿崎隊