死神とカスミソウ   作:竹@竹林にて。

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少女は、死神である。

 冥鳴ひまりは、死神である。人間の命を管理し輪廻の流れをコントロールする人外の一団のその構成員の一人である。その一団の中でも、冥鳴ひまりは外見に違わず死神の中では若者に分類される存在であったが、回収する魂の納期を守り私情を挟まずに正確無比な仕事をする優等生であった。

 そんな彼女の元に一通の通知が届いた。一匹の鴉が闇夜のビルの屋上で佇んでいた彼女の元に舞い降りる。そんな彼を指先で受け止めて、脚に巻き付けられていた文を取り外すと闇夜へと解き放った。羽音と共に黒い羽根が散り落ちるその下で文を開く。

 

『来季より一年間、音合町に派遣。学生として過ごすように』

 

 それに溜息を一つ落とす。人間に紛れて過ごすのは何時ぶりだろうか。まぁ、任務にはさして関係ないことだ。今回も、上手くやろう。それだけ考えて、ひまりは闇夜に消えた。

 

 

***

 

 

「冥鳴ひまりです。高等部一年生になります。よろしくお願いします」

 

 そんな素っ気ない返事で入寮歓迎会の自分の番を終わらせたひまりを多くの寮生は驚いたような奇特の視線で見ていた。不愛想なやつが入ってきたな、と不満げに見ていた者も決して少なくない。そんなことも意に介せずに、自分の席に戻って次の寮生が自己紹介するそちらへと視線を向けようとした彼女の袖を誰かが摘む。

 

「んぇ?」

「やっほー。あーし、つむぎっていうの。春日部つむぎ。一年先輩の同室だよ、よろしくー」

「あ、は、はい。ひまりです、冥鳴ひまり」

「うん、ひまりちゃんかぁ。ひまり、ひまり…。ねぇ、ひまっちって呼んでいい?」

「え、えーと…」

「ちょっと、つむぎちゃん。好みの子が来たからって紹介中に口説かないで」

 

 紹介も半分聞き流してひまりに親し気に話しかけるつむぎに、司会を任されていためたんが揶揄うように釘を刺す。

 

「えー、だってこっちに来て初めてできた後輩なんだもん。しかも同室で可愛いし。気になるのもしょうがないじゃん」

「まぁ、可愛い娘だけれども。なんにせよこっちに注目してくださーい」

「…か、かわ…」

「あー、顔真っ赤なのだ。クールぶってるけど可愛いって言われて照れてるのだ、ひまっち」

「ひ、ひまっちって呼ぶな!この緑っ子!」

「み、緑っ子ってなんなのだー!」

「はいはい、ひまっちちゃんも緑っ子もこっち向いてー。まだ紹介は続くんだから」

「そうだよー。もんちゃんもひまっちも落ち着いて!」

「あ、あんたが言うな!せ、先輩!」

「あ、先輩って言ってくれたー!可愛いなぁ、もう!」

「ちょ、ちょっと…!」

「あー。これはもう堕ちたかしら。ご愁傷様、ひまりちゃん。つむぎちゃんと仲良くね?」

 

 そう、つむぎに愛でられてずんだもんとめたんに弄られて。先程までの素っ気ない態度は何処へやら、ひまりは入寮後の顔合わせ一時間足らずで弄り甲斐のある後輩キャラに落ち着くことが決定づけられた。

 

 

* * *

 

 

「…あれはいったい何だったんですか?」

「いやぁ、ごめんごめん。こんなに可愛い娘が後輩で同室なんだーって思ったらなんか我慢できなくなっちゃって」

「あんまり、揶揄わないでください」

「…あちゃー、嫌われちゃったかな。ごめんね」

「…そういうわけではないですが」

「あ、そうかな?じゃあ、改めて。これからよろしくね、ひまっち」

「…はぁ、分かりました。よろしくお願いします、春日部先輩」

「…んー、つむぎの方がいいかな?できれば、つむぎ先輩って言ってくれると嬉しいな」

「分かりました、つむぎ先輩」

「ん、ありがとね!」

 

 そうウインクする先輩に目を向けて、ひまりは顔に出さず驚いていた。食堂での歓迎会の時は動揺で見逃していたが、目の前の先輩であるつむぎの先がそう長くないということが見えたのだ。死神は意識を集中することで、力を向けた相手の大まかな寿命を測ることが出来る。魂を回収するために必須の能力であるが、そこで見た目の前の快活とも軽薄とも取れる先輩の寿命は長くとも二十歳までは生きられないというものだった。

 

(この長さ…、事故でしょうか。それとも病気?なんにせよ、この時代にこの長さは…)

「あれ?ひまっち、どうしたの?」

「…いえ、なんでも」

「えー?あ、もしかしてあーしに見惚れてたとか?こう見えても、そこそこ美少女だしねー」

「あ、それはないです」

「即答!?ひどいよ、ひまっちー!」

 

 そうおよよと泣き真似をするつむぎの姿に溜息を付きながら、ひまりは動揺を静かに隠した。

 

(…まぁ、関係ありません。その時に私がいたら回収するまで。いつもと同じです)

 

 そう、誰に言うでもなくひまりは自身の心を立て直した。

 

 

***

 

 

「ただいま帰りました。…って、なにスマホ弄ってるんですか。寝てないと駄目じゃないですか、先輩」

「えー…。だって、眠れないんだもん」

「気持ちはわかりますが、ちゃんと寝てないと治るものも治りませんよ。風邪だってれっきとした病気なんですから」

「あれ、風邪って言ったっけ?それとも誰かから聞いたの?」

「…保健室の先生から。早退する先輩を見かけたので聞いてみたんです。同室のよしみでよくしてやってとも言われました」

「へー、心配してくれたんだ。ありがとうねぇ、ひまっち」

「…うるさいです。ほら、ちゃっちゃと寝て治してください」

「はーい…」

 

 そう嬉しそうに布団に身体を沈めたつむぎの身体が弱いことをひまりは入学早々知ることとなった。きっかけはなんて事のない、入学式の在校生合唱の最中にしゃがみこんだ姿を見たから。以降、同室なこともあって早退や欠席も人より多い彼女の姿を見ていたひまりは、この様子なら彼女の寿命がそう長くないことも変に納得していた。同時に、そんなつむぎがわざわざ親元を離れて寮暮らししていることに疑問を感じていたのだが、つむぎは驚いたような顔をした後にいつもの様に笑いながら『ここの大学に入学するつもりだったから、なるべく大学の雰囲気を肌で感じられる場所に居たかったんだ』と答えたので、それで納得していた。

 ともあれ、優しくも厄介な先輩は寝たことだし、温かいお茶かコーヒーでも貰おうかと部屋を後にしてキッチンへと向かった。一応、お湯くらいは持っていこうかと魔法瓶も手に入ったキッチンにスーパーの袋はあれど寮母の姿はなく、準備中かなと少々申し訳なさを覚えながらもお湯だけならとやかんを火にかけた。

 

「あれ?誰かと思えばひまっちじゃん?」

「あー、本当だ。ひまっちひまっちー」

「…どうも」

 

 その声に振り向けば、既に大学部に入学している少々苦手な先輩二人の姿がそこにあった。両名とも決して悪い人ではないがつむぎとも少々違う、或いはそれに輪をかけたような軽薄な様子で絡んでくることもあり、ひまりは彼女らの対処に少々うんざりしていた。

 

「そんな嫌そうな顔しなくてもいいじゃんかさー」

「そうだよー、つむぎにだけひまっち呼び許してるの酷くない?」

「…同室だから、喧嘩しないように気を遣ってるだけですって。そもそも許してないですし」

「ふーん…。あ、そうそう!ひまっちってメイクとか詳しい?もしくは興味ある?」

「?いえ…、生憎そういったものはあまり」

「やっぱりー!リップも使ってない感じだったから勿体ないって思ってたんだよねー」

「も、勿体ない?」

「そーそー!折角抜群にいい素材してるんだからさ、ここいらでもっと綺麗になってみない?さっきいい感じのコスメ買ってきたんだよねー!」

「ほらほら、先輩とのスキンシップだと思って!共同スペース丁度空いてるみたいだから、一緒にお化粧しましょ?」

「い、いや…。お茶も飲みたいですし、やかんも火にかけたままですし…!」

「んー?別に火にかけとけば音鳴って気付くでしょ?そんなことより、早く早く!」

「はーい、一名様ごあんなーい!」

「ちょ、ちょっと…!」

 

 そう、今までの魂を回収するだけの死神経験の中で接したこともない距離間でのコミュニケーションに人慣れしていないひまりは困り果てて、挙句いっそ死神の力を僅かに開放して驚かせてしまおうかとさえ思った彼女であったが、後ろからぎゅっと抱き締められる力にその思考も、死神の力の開放で低くなりかけた体温さえもかき消された。

 

「なーに、してんすか?先輩方」

「げ、つむぎじゃん」

「げ、って何ですか。酷いっすねー」

「いやぁ、つむぎお気に入りの後輩ちゃんにお化粧してあげようかなってー」

「てか、つむぎ大丈夫?顔赤くない?風邪?」

「あはは、それっぽいっす。…それよりも、ひまっちあんまり乗り気じゃないじゃないですか、もう」

 

 そう軽口を叩きながら先輩二人を牽制するつむぎの心臓は、しかしその軽口に反して僅かに小刻みに震えている。緊張しているのか、なんてその心音を感じれば人間関係に疎いひまりにも簡単に理解できた。

 

「あ、あはは…。やっぱ駄目だったかねぇ」

「それは、ひまっちが判断することなんであーしからは何も。でも、見るからに困ってるのに押せ押せなのはどうかと思いますよー」

「そっかー…。ごめんねぇ、ひまっちー」

「いえ…。でも、今日はまだ、ちょっとご勘弁を」

「んじゃあ、またね。あ、でも!メイク、気になったら私らに言ってくれたら教えたげるからさ!」

「は、はい…」

「あははー、ひまっち大人気だー…」

 

 そう言った言葉が聞こえて、背中から伝わる力が重さに変わる。どうしたのか、と後ろを向こうとしたひまりの身体からつむぎの身体が崩れ落ちて両手を床に置いて何とか身体を支えていた。息も荒く体温も高い。そこまで考えが至って、ひまりは咄嗟に声を上げた。

 

「先輩?っ、つむぎ先輩!?」

「ど、どうしたの、ってつむぎ!?」

「わ、やば…!とりあえず、部屋に運ぼ!」

 

 先程共同部屋に向かおうとした先輩達がひまりの弾かれたような声にキッチンに戻ってくると、ひまりはつむぎのぐったりとした身体を支えながら瞳を潤ませていた。それで事態を把握した二人がひまりに支えられながら四つん這いになっていたつむぎの身体を立たせてどうにかつむぎとひまりの部屋へと運んでやった。

 

「つむぎ先輩、大丈夫ですか…!?」

「あはは…、そんなに不安になるなって、ひまっちー…。ちょーっと、身体動かしすぎただけだからさー…」

「で、でも…」

「…私らのせいかもだけど、さ。無理して、後輩に心配かけさせんなって、つむぎ」

「…すんませんっした」

「ん、分かればいいよ。…じゃ、ひまりちゃん。とりあえず、病人は無理させないように寝かしとこ。話もあるし」

「え、あ…。は、はい…」

「ありがとうございます、せんぱい…」

「…言うなっつの」

 

 そう苦々しい顔でつむぎに寝るように言った先輩二人はひまりを共同スペースではなく、二人の部屋へと案内した。

 

「…そ、それで、話って…」

「とりあえず、さっきはほんとにごめん。ひまりちゃん困らせたのもそうだし、つむぎに無理させたのもだし」

「うん、つむぎが風邪だったの知らなかったのもあるけど、配慮が足りなかった」

「わ、私はもういいです。…けど、つむぎ先輩が無理したって…」

「あー…。私らもよく分からないんだけど、あいつ妙に勘がいい時があるんだよね。誰かが困ってる気配を感じてるんじゃないかって感じに。虫の知らせってやつ?」

「まぁ、それはいいんだ。でも、あいつ、今回もそれを否定しなかったからさ。多分、なんか感じてひまりちゃんを助けたと思うんだ。…だから、つむぎに無理させたってのは、それ。本当にごめんね。ひまりちゃんにも、つむぎにも」

「…それに関しては、もういいです。私も気にしてないですし、多分つむぎ先輩も…」

「…うん」

「…でも、お化粧はまだ。つむぎ先輩と一緒の時に、お願いします」

「…!う、うん!その時はよろしくね!」

 

 その一言で、ぱぁっと明るくなった二人の先輩に見送られてひまりは部屋に戻る。外からの日光も薄らいで薄暗くなり始めた部屋の中でつむぎは穏やかに寝息を立てていた。ぴと、と触れた額はまだ熱が感じられるが表情も和らいでいるのを見るに少なくとも先程無理をしたときよりはましになっているのだろう。それに安心してひまりは一つ溜息を零した。そこで、ふとひまりは自身に疑問を覚える。いずれ回収するかもしれない魂、確かに人間と関わるのは久しぶりだったかもしれないがその一つにこれだけ想いを馳せたことがあっただろうか。自分が死神として若く未熟だから、人間と触れあうのが久しぶりだったから。…これだけ親しく付き合ってくれる人間は初めてだったから。思い付く理由はいくつかあるが、そのどれが正解かは分からなかった。そんな物思いも、静寂を裂いて響いたスマートフォンからの魂回収の指令に押しやられて消えてしまった。

 

 

***

 

 

 残暑もまだ厳しいその日はひまりにとって、あまりよろしくない日だった。転生を嫌い、現世に留まろうと無駄に力を果たした魂の回収に追われて必要外の労力を負ってしまった。普段なら七時前には寮に帰ることの出来るはずなのに、一時間近くも変な時間外労働をしてしまったと溜息を付きながら玄関をくぐる。ふと、気配を感じた。死神の力を行使し過ぎたのか、微かな命の気配も敏感に感じ取れてしまう。今日は、リビングを兼ねた共同スペースに妙に人が集まっているように思う。何か面白い番組でもあったのだろうか、なんて人間臭い思考に取りつかれてしまっているなと笑いながら、遅れましたと謝罪の言葉を告げつつ部屋に入ろうとして、

 

「ひまりちゃん、ハッピーバースデー!」

 

 扉を開いた瞬間に破裂したような大きな弾ける音と紙吹雪の洗礼を受けて、ひまりは思わず身を固めてしまった。驚きのあまり立ち尽くして散り落ちる紙々と火薬の匂いを堪能していると、そんなひまりに声を掛けたのは大学部在学で寮のまとめ役もしているめたんだった。

 

「…あら。その様子だと、何かも聞かされてなさそうね?ちょっとー、つむぎちゃん?ちゃんとひまりちゃんに今日のこと伝えてたの?」

「えー?ちゃんと伝えてましたよ?今日は大切な日だから早めに帰ってきてねーって」

「ちゃんと、誕生日って伝えないと意味ないでしょ、全く…。それじゃ、つむぎちゃんからお願いね?」

「はいはい、任されましたー!それじゃ、改めて。ひまっち、お誕生日おめでとう!」

 

 そう言って、手渡されたのはピンクの花束。それを受け取って、そう言えば今日は自分の誕生日だと気付かされた。だって、死神にとって誕生日など自分の着任日を適当に設定するだけの、それ以上も以下もない日だったから。こういう風に祝われたことなど数えるほどもあっただろうか。

 

「…あれー。おーい、ひまっちー?大丈夫ー?」

「あ…、い、いえ!大丈夫、です…!そ、その…。こういう風に、祝われるのなんて本当に久しぶりだったので…、驚いてしまって…」

「…ん、そっかそっか!じゃあ、今日はとびきりにお祝いしないとね!」

 

 そう暖かな視線をたくさん受け取りながら、同室の先輩から頂いた言葉に恐らくきっとこれまでの生の中で一番頬を緩ませながら席へと導かれる。少し冷めてしまった夕食も、なのだなのだとうるさい小学生と奪い合ったケーキも、皆でお金を出し合ったらしいネックレスのプレゼントも。そのどれもが、今までの生で得たことのない貴重で大切なものと感じられて、気が付けば消灯時間も間際になって片付けやお風呂も忘れるくらいに楽しんで、その日はお開きとなった。

 

「…もう。あんなに騒がしくして、大変でしたよ。お風呂も浴びれませんでしたし…」

「そんなこと言っちゃってさー。楽しかったんでしょ、ひまっち?」

「…ん。言わなくても分かるくせに…」

「あはは、ごめんごめん」

 

 そう、本当は何とも思っていなさそうなことがありありと分かる謝罪を受け取りながら、はぁ、とひまりはいつもより余程幸福に溢れた溜息を零す。普段なら学校生活や死神としての仕事のことばかり考えているのに、今日は明日の朝の浴室の混みあいやプレゼントに貰ったネックレスのことばかりしか頭に浮かばない。

 

「…そういやさ、ひまっち。ちょっとだけ、時間ある?」

「…?どうしました?消灯までもう時間もないですけど…」

「あはは…。いや、重いかもって思われるかもしれないけれどさ。ひまっちに、渡したいものがあってね?」

「?プレゼントなら、皆さんからいただきましたが」

「あー、それじゃないの。あーしから、個人的にね」

 

 そう言いながら手渡されたのは、ネックレスの箱よりもいくらか小さいケースだった。開けてもいいですか。そう視線で問えば、つむぎからもいいよ、と穏やかな視線で返される。それを受け取ってリボンを解いてケースを開ければ、そこには飾り気の薄いハートのイヤリングが一つ慎ましく置かれていた。

 

「あーしも、あんまり詳しくないかもだけどさ。イヤリングならピアスと違って穴開ける必要ないから気軽に付けられるんじゃないかなって。…まぁ、ひとつしか買うお金が無いのはちょっと格好付かないけれど」

 

 そう恥ずかしそうに笑いながら、しかし、真剣に表情を硬くして。つむぎはケースに添えられたひまりの手を包むように自身のそれを触れさせる。

 

「…でも。本当に、ありがとうねひまっち。知ってるだろうけどさ、あーしあんまり身体強くなくて周りに迷惑かけてばっかりだったから。今年の寮会議の結果で、あーしに同室の後輩の子が出来るって聞いて、驚いたし心配だったんだ。あーしなんかが、って。でも、それでもさ。勇気出してお願いしますって頼んで、本当によかった。毎日が楽しくて、迷惑かけちゃうこともあっただろうけど、今のあーしがいるのはひまっちのお陰です」

 

 そう言いながら上げられた顔は、さして明るくない部屋の蛍光灯でも分かるくらいに赤く染まっていて。

 

「あーしの後輩で、ありがとうね。ひまっち」

 

 そう、恥ずかしそうに、でもしっかりと浮かべられた微笑みに、思わず口を開きそうになって。

 

「そろそろ消灯時間ですが、大丈夫ですか?お休みになられていますか?」

「あ、はーい。今寝るところでーす」

「それなら大丈夫です。ひまりさんも、誕生日会で落ち着かないかもしれませんが、夜更かしなさらないように」

「は、はい。おやすみなさい」

 

 無遠慮なノックと共に部屋に顔を出した医学部の丁によって会話は遮られ、早急に寝る空気となってしまった。

 

「それじゃあ、ひまっち。また明日ね」

「あ…」

「?どうかしたの?」

「い、いえ。後でで大丈夫、です」

「そう?じゃあ、おやすみなさい」

「はい、おやすみなさい。先輩」

 

 そうして挨拶を済ませると、つむぎは満足したかのように静かに呼吸を落ち着かせながら眠ってしまう。…本当に、この先輩は。ひまりは思う。自分の身体のことを考えて、他者に遠慮をするのはきっと間違ったことではないのだろう。結局のところ、人間も死神と同じで社会の上になり立つものである。社会にとって何らかの損失を与えうるものがその社会に遠慮を覚えるというのは、社会としては正しい反応なのだろう。しかし、この先輩は、派手な外見に反して社会に対して遠慮するばかりで、自身に与えられるものには存外無頓着だから。こうして、返そうと思った感謝の言葉も渡せず仕舞いになってしまう。

 

(朝起きたら…。いや、もっと大切な時に、きっと)

 

 今日のつむぎがそうしてくれたように、何か鮮烈な記憶として残るようなタイミングでいつかきっと、感謝の言葉を返そう。ひまりは心の中でそう誓った。

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