死神とカスミソウ   作:竹@竹林にて。

5 / 7
少女は、死神であった。

 それから時間は過ぎて一月ほど。十月に入り漸く気温も落ち着いてきた頃。ひまりはつむぎに連れられて街中に訪れていた。

 

「何かと来てみれば、また誕生日のプレゼントの見繕いですか。本当に、こういうお祝い事となると張り切りますよね、先輩って」

「ん~?まぁ、あーしの誕生日とか滅茶苦茶祝ってもらったし、そのお返しだから全然だよ。あんま重すぎても相手が大変だから、そんな高いものは買わないようにしてるし」

「…それって、イヤリングプレゼントした相手に言う言葉とは思えないんですけど」

「んえ?あぁ、あれは流石に特別だよ!ひまっちはあーしの最推しの後輩なんだから」

「…それは、どーも」

 

 その言葉に頬を僅かに染めるのを、イヤリングに触れた左手でそのまま隠して照れているのを誤魔化そうとする。きっと、それなりに勘のいい先輩にはばれてしまうのだろうと思いはしたが、こういう時は振りでもしないと感情が抑えられない。なんて、随分と人間臭くなってしまったなと思わず苦笑が漏れた。

 

「あ、最近本当によく笑うよね~、ひまっちも。どう?一緒に自撮り撮っちゃう?」

「それは嫌です。先輩SNSにすぐ上げるじゃないですか」

「そ、それはそーだけどさ…。じゃあ、後で一緒に上げない用のやつ撮りたい!」

「はいはい…。それなら、まず買い物終わらせましょ?さっきから話してばっかですし」

「あ、そーだね。すいません、このマニキュアください」

 

 やっぱり、それなりに値段するもの買ってませんか。なんて無粋な質問は心に仕舞って、ひまりは先に店の外へと出ていた。それにしても、だ。あの苦笑が、つむぎの予測したものと同じなのかはさておいて、自分がここまで一つ一つの機微に感情を持ってしまうようになるとは予想だにしなかった。それもこれも、寮での生活とあの先輩のせいだ。今までの人間生活への擬態では、集団生活など学校内の閉じた空間くらいのものだったから、そこまで人間付き合いに労力をかけることもなかった。それが今では、朝から晩まで同じ宿舎で生活を共にして時に弄られて、なんて今までの生活では考えられない労力で。それに、つむぎ先輩なんか特にそうだ。こちらの表情が代わり映えしないからなのか、笑わせたり怒らせたり兎に角様々な感情を引き出そうとしてくる。それに耐えきれずに、こちらが反応すればそれにいちいち一喜一憂するものだから、人の機微に疎いこちらとしてはとてもじゃないが困ってしまったものだ。…そう考えて、過去に難癖付けるのももう限界だろう。確かに、今の生活に馴染んで楽しんでいる自分がいる。ここまで人間臭い感情を手に入れてしまうなんて考えてもいなかったのだ。もし、仮にこの生活が死神業務に支障をきたしたら、なんて考えてしまう。そうならないように気を引き締めなければいけないのに、それをどうしようもなく惜しいと思っている自分もいて、それに笑みさえ零れてしまう。不意に耳元を飾るイヤリングが愛おしく思えて、つい立ち止まってそれを手で弄ってしまう。

 その時だった。

 

「っ、危ない、ひまっち!」

「え…」

 

 その叫び声と共に、ひまりの身体は突き飛ばされる。咄嗟に開いた死神の目で見えたスローモーションの視界の中で捉えられたのは、スマートフォン片手に驚愕の表情を浮かべながら突っ込んできた自転車の男と、それに撥ね飛ばされたつむぎの姿で。油断していたとか、死神ならある程度融通が利くのに、とか頭に過る思考は幾つかあったがそんなもの些末なものだった。突き飛ばされた身体が地に伏せて、弾みで外れたイヤリングがアスファルトに落ちて脆く砕ける。それと殆ど同じくして、撥ね飛ばされたつむぎの身体が地面へと投げ出されて強く打ち付けられる。遅くなった視界の先で、先輩の頭から鮮血が。そこまで理解して、ひまりはまだ痛みが残る身体も厭わずに立ち上がった。

 

「つむぎ先輩!?つむぎ先輩!いや、いやぁあ…!」

 

 そのまま走り寄って地に伏せったまま返事のないつむぎに縋るようにしてひまりは泣きついた。そんな様子に怯えたように逃げだした自転車の男も、突然の音と店前の惨状に驚いて119番通報をした店員の女性も、地面に無惨に転がったイヤリングも、何もかも気にする余裕もなく、ひまりはただ錯乱して泣き叫ぶことしか出来なかった。

 

 

***

 

 

「…ありがとうね。つむぎの為に、こんな風に来てくれて」

「…私に。助けられた私に、そんなこと考える資格なんて」

「そんなこと言わないで。貴方が生きているそのことが、つむぎの意志なんだから。…きっと大丈夫だから。今はただ、つむぎの無事を祈ってて、お願い…」

 

 そう、表情を強張らせながら泣き疲れた顔に微笑みを浮かべて対応するつむぎの母親に心を痛めながらひまりは特別病棟前の扉を後にした。強い女性だ、とひまりの頭の冷静な部分がつむぎの母を評する。娘が自転車に撥ね飛ばされた原因の自分に怒りや恨みをぶつけもせずに感謝の言葉さえ告げてくれる。昨日の病院に訪れた際の動揺ぶりからも、つむぎを溺愛しているのは丸分かりなのに。

 そんな冷静な分析もすぐに頭の隅から外れて、ひまりは誰もいない自販機スペースの中で意識を集中させる。昨日から変わっていない制服姿から、死神としての黒いゴシック服に変わりその姿も周りからは見えなくなってしまう。そんな霊体化が済んだひまりは身体を翻して外から宙を浮いて、つむぎの病室へと身体を透過して侵入する。陰では投げ捨てられてすらいるのではと危惧していた花束は、傍らの花瓶に入れられていた。

 

「あの子が貴方の言っていたひまりちゃんね?いい子ね、こんな花束まで持ってきてくれて…」

 

 そう言いながら、頭に包帯の巻かれたつむぎの頬に手を添えて疲れた顔で笑う母親の姿に咄嗟に開きそうになった口をどうにか閉じる。意識を抑えておかないといつ霊体化が解けるか自信がなかったから。

 

「本当に、貴方の周りはいい人たちばかりね。午前中に、貴方の担任の先生が来たのよ?本当に心配そうにしてくれて。それに、寮の子たちからも手紙とかを受け取ってきたらしくて…っ。…ねぇ、そんな人たちを悲しませちゃだめよ、つむぎ?ねぇ、起きて…っ。起きてよ、つむぎ…」

 

 そう言いながら泣き崩れるつむぎの母親にいよいよ耐えられそうになくなったひまりは、部屋を後にした。感情が追い付かぬままに霊体化を保てそうになかったのもあるがそれよりもひまりを愕然とさせたのは、昨日の朝はまだ二年は猶予のあったつむぎの寿命が今日になって残り一週間と著しく短くなっていたことだった。それは、このままではつむぎは長くともあと一週間のうちに死んでしまうということを意味していて、今のひまりにそれを容認できる余裕など微塵にもありはせず、脳裏に浮かんだ死神としての禁忌に手を染めることに躊躇いもなかった。最早かつての優等生然とした死神の姿は何処にもなく、そこにいるのは情に狂った魂狩りでしかなかった。そして、その魂狩りは標的を容赦なく選別していた。まずはあいつしかいない、とひまりは最早死神としての矜持など欠片もない思想に囚われて街中を駆け抜けた。

 

 

 

 

 

 

 男は夕暗がりの支配する部屋の隅でがたがたと震えていた。自身の行いに対する後悔か、重なった不運に対する悲痛、或いは怒りか。もしくはその全てかもしれない。だが、結果として男は酷く怯えながらこれから自分の身に降りかかる不幸に対して怯えていた。あそこで何故逃げてしまったのかと、今更ながらに過去の自分への叱責が漏れるが、今更悔いたところでどうしようもない。自分は既にひき逃げ犯なのだ。自転車であろうとそれは変わらない。自転車も川辺に捨てて、スマートフォンの電源も切りはしたが、今の警察相手にそんなことをして逃げられるわけはないだろう。そもそも、あんなところで急に立ち止まったあの女子高生も悪いのだ。自分だけが悪くない、と逃げの責任転嫁へと思想が及ぶ。それで逃げられるはずもないということから必死で目を背けているそんな男の前に、

 

「こんにちは」

「ひ、ひぃいいいっ!?」

 

 突如部屋に響いた女の声に、男は情けなく悲鳴を上げた。声に反応して思わず上げた視線の先には、昨日轢きかけた高校生の女が、昨日と異なる喪服めいた黒いドレスを身に纏って佇んでいた。

 

「な、なんで…っ!?か、鍵はかけて…!」

「関係ありませんよ、死神なので」

 

 そう冷めきった声でひまりは言う。死神の目の力で事故現場から昨日を辿り、目を背けたい事故の惨状から逃げ出した後を追って、辿り着いた安アパートに身を隠した男の情けない姿にひまりは呆れから溜息を零す。こんなくだらない男のせいで、つむぎ先輩は死にかけているのか、と。

 

「昨日はご迷惑をおかけしました。貴方のせいで死にかけましたよ」

「ひ…!わ、悪かったって…!謝るから…!」

「いえ、謝る必要はないです。謝ったところで、先輩の寿命は戻ってこないんですよ」

「せ、先輩…?寿命…?」

 

 そう混乱した表情を浮かべながら怯える男の姿は酷く小さく見えた。

 

「許してほしいですか?今なら、許してあげますよ?」

「あ、あぁ…!何でもする…!何でもするから…!」

「…じゃあ、これの分。返していただけますか?」

 

 そう言ってひまりは、男の目の前にふわり、と丁寧に壊れてしまったイヤリングを、つむぎのくれた想い出のイヤリングを浮かべた。

 

「い、イヤリング…?いや、それでいいなら…!こんな、これくらいの安物なら、いくらでもくれてやるから…!」

「…そうですか。じゃあ」

 

 その一言が、男の最期を決めたことなど誰も、ひまり以外は知り得ない。

 

「…もう、来世の分も来来世の分も、来ない筈のない未来の分まで後悔して死んじゃえ、ごみ屑野郎」

「あ…?あ、あぁ、あぁぁぁぁあああああああああっ!?」

 

 ひまりのその言葉に怪訝そうな声を漏らした男を、突如として青い炎が包む。広がった業火に反射的に叫びを上げる男であったが、その声はすぐに困惑と恐怖に変わる。

 

「あ、さ、寒い…!?い、いや、さむいぃいいいい…っ!?」

「珍しいでしょう?霊界でもそうは見ない温度を奪う青の炎です、特別ですよ?」

 

 そう、感情の見えない視線を向けるひまりが男を殺すために選んだものは、魂からその熱を奪う霊界でも珍しい青い炎。熱炎での苦しみさえも或いは凌駕しかねない魂の孤独と冷気に男は悲鳴を上げながら許しを乞うた。

 

「た、たすけ…!も、もうころして…!」

「…そんな簡単に殺すはずないでしょう?大丈夫です、どう足搔こうともう輪廻に戻れないのは決まっているんですから。目一杯苦しんでください、その方がお得でしょう?」

 

 助けか、死か。最早どちらを望んでいるのかすら定かでない男の嘆願を切り捨てたひまりは、笑っていた。死を司るものに相応しくない、或いは酷く相応しい残酷な笑みを浮かべて、ひまりは炎を操っている。

 

「さ、さむい…!さ、みしい…!」

「いい声になってきたじゃあないですか。…じゃあ、あと一時間。つむぎ先輩にも、お母様にも悪いので、あと一時間で終わらせてあげます。それが、私の出来る最大限の譲歩です」

「い、いや、だ…!こ、ころし…!」

「…そんなもの、許すわけないじゃないですか」

 

 そう、先程の笑みも消し飛ばして吐き捨てるように呟いてひまりは視線を薄暗がり始めた外へと向ける。最早肉体と魂の分離した男の叫びなど誰にも、それこそ死神や行き場に迷う魂の様な死の領域に属するものにしか届かない。そして、今この瞬間、その領域にいるのはひまりと男しかいないのだ。そうして、ひまりは一時間の間退屈そうに徐々に消えていく男の悲鳴を聞き流していた。

 

 

 

 

 

 

「…へぇ。あんな屑の割には、魂だけは綺麗じゃないですか」

 

 もう日も落ち切った街の空を、ひまりは病院へ向けて駆け抜ける。約一時間の冷焼の末に物言わぬ魂となった男の成れの果てをその手に抱えて向かうのはつむぎの病室。霊体を透過させて侵入すれば、相変わらず目覚める気配のないつむぎと心労か泣き疲れか傍らでうつらうつらと舟を漕ぐ母親の姿。

 

「…じゃあ、つむぎ先輩。お待たせしました」

 

 そんなつむぎの入院着に包まれた胸元に手をかざして、心臓マッサージでもするように彼女の胸に先程回収した男の魂を挿し入れる。これこそが、死神の成せる業にして禁忌中の禁忌である魂の植え継ぎである。本来は輪廻に戻すべき魂の寿命を他者の魂に継ぎ足してその誰かの寿命を延ばすための秘術。気が長くなるほど遠い昔は比較的ポピュラーな技法であったが、死神が輪廻の流れを司るようになって以降はそのサイクルを乱す禁術として畏怖されたものであり、絶対に破ってはならないと固く言われ続けていたものだ。だが、そんな禁則など今のひまりには薄い紙も同然だ。ずぶりずぶりと沈んでいくように胸から全身に溶けていった魂は、蝋燭の火の様に細々と燃えていた命を松明程度に燃え広がらせた。

 

「…流石に、残された寿命の全てを還元とまではいきませんが、これである程度は補充できるでしょう。それでは、今度は人間の姿で会いましょう」

 

 そう、誰にでもなく呟いてひまりはつむぎの身体から離れた。僅かながらに満ちたつむぎの生気に安堵の吐息を漏らして、そのまま窓に消えようとするひまりの耳に、

 

「…ん、ぅう…?」

 

 呻くようなつむぎの声が届く。はっとしたようにひまりが振り返った。

 

「っ!?つ、つむぎ…!?つむぎぃ…!」

「ぉ、かぁさ…?」

 

 同じ様にその声が届いたのか、すぐに目を覚まして涙を流しつむぎの身体に縋り付く母親の姿。つむぎも意識が戻ったのか声を漏らすその二人の様子に、ひまりも込み上がるものを感じながら密かにナースコールを押してやる。そうして、自分が残るのは無粋かとそれまで強張っていた表情を緩ませながら闇夜に飛び込んで皆が待つ学生寮へと向かった。

 

 

***

 

 

 それから数日、つむぎは事故で死にかけたというその様子が端から見れば信じられないほどに順調に回復を見せていた。当然と言えば当然であろう、魂全てを還元出来てはいないとはいえ人間一人分の魂の熱量を受け取っているのだから。経過観察を言い渡されたそんなつむぎの元を、今日もひまりは訪れている。数日おきに買い換えているカスミソウの花束を抱えて、だ。

 

「今日もお邪魔しますね、つむぎ先輩」

「どーぞどーぞ、友達のお見舞いの本でちょっと散らかっているけれど気にしないでね」

「…もう、元気になった途端にこれですか?ちゃんと片付けてくださいよ」

「もーう、お母さんみたいなこと言わないでよー」

 

 規則正しいノックと共に部屋に入ったひまりは、ほんの少しだけ、同業の死神でも勘付くか怪しいくらいに丁寧に死神の冷気を漏らす。多量に放てば人の意識など容易く奪えるそれをつむぎに怪しまれないように外気に溶かして、ゆっくりとつむぎを眠りへ誘う。こうすればつむぎの就寝時刻まで粘って寮監の目を気にする必要がなくなると気付いたのは、実はつい一昨日だったりする。

 そんなこと気にも留める様子など当然なく、つむぎは笑いながら軽くベッドの上に乱雑に散っていた漫画本をまとめてすぐ傍の物置台に置いてしまう。これでいいでしょ?なんて自慢気に言うものだからひまりは思わず苦笑して、仕方がないんですからなんて零しながらまとめられた漫画本のすぐ傍らに陣取っていた花瓶を手に取って中身を入れ替える。そういえば、とふと気になったことを尋ねることにした。

 

「そういえば、つむぎ先輩ってお好きな花とかあったりしますか?」

「んぅ?あーしそんなに花は詳しくないからなぁ。あ、でもこの花は好きだよ。お母さんがカスミソウって言ってたっけな。これがいいかな?折角のひまっちチョイスだし」

「私も特に詳しくはなくて、私のというよりは花屋の店員さんのチョイスなんですが…」

「まぁ、細かいことはいいじゃん!それに、この花ちょっとひまっちぽくて好きなんだー」

「…この花が、ですか?」

 

 ひまりは怪訝そうな顔でカスミソウを見る。自分が花に形容されるほど大層な存在だとは思えないというのもあるが、例えば自分の瞳の様な紫色の花ならまだ分からなくはない。しかし、この花はピンク色で自分のイメージとかけ離れているように感じられた。

 

「私には、こんな可愛い花似合いませんよ」

「えー?だからじゃん?ピンク色で小さくて可愛くて。如何にも女の子って感じで可愛いひまっちにぴったりだと思うけどなぁ。まぁ、確かにひまっちはクールって感じもあるかもだけど!」

「…私、そんなに小さくないですよ。つむぎ先輩とそんなに変わりませんって。…けど、それならその言葉を有難く頂戴して、これからもこのカスミソウをお届けしますね」

「ん、よろしく」

 

 そう言ってにへらと表情を緩ませたつむぎが眠たげに目を擦る。そろそろか、とひまりはつむぎの傍へと歩み寄る。

 

「つむぎ先輩?どうしました?眠かったりします?」

「うん…、また…。ごめんね、いつもさ」

「気にしないでください。私は回復していく先輩が見れることだけで嬉しいですので。まだ生気…体力が戻ってないんですから、今は何より回復することを優先してください。私は大丈夫ですので」

「でも、せっかく来てもらったのに…」

「また、明日も明後日も来ますから、心配しないでください」

「ん…。じゃあ、ごめん…。おやすみ…」

 

 そう言って目を瞑ったつむぎが寝息を立てるまでひまりは穏やかな表情でその姿を見守る。そうして、つむぎの胸元が上下に動くのが一定になるのを待ってから、ひまりは死神の姿へと自身を変容させる。死神の姿となった彼女の淡く光った手元には三つの魂がふよりと浮いていた。一つは末期の肺がんで亡くなった高齢の男性のもの。一つは仕事のストレスを苦に自殺した若い男性のもの。最後の一つは虐待の末に亡くなった幼女のもの。どれも苦しみの末に亡くなった魂。ひまりの言葉を信じて身を委ねた、本来は救われるべき魂。そんな魂を騙して私欲のために用いることに良心の呵責が無いと言えば嘘になる。しかし、そこに後悔は既になかった。この身も権能も最早全てつむぎの未来のために尽くすと決めたのだ。事故の翌日に初めてつむぎに託したように、ひまりは導くべき魂をつむぎの命の灯にくべる。そうしてより増していくつむぎの生気に満足げに微笑みを浮かべた。魂の植え継ぎが終わって死神から人間の姿へと戻ったひまりは冷気を収めてつむぎが目覚めるのをぼんやりと見守る。今日も目覚めることはなかったので、つむぎの寝顔を記憶に収めてまた明日、と返事を望まぬ挨拶だけ残して病室を後にした。

 帰り道、ひまりはくぁと普段の彼女らしからぬ気の抜けた欠伸を零しながら日の落ちるのが早くなった帰り道を急ぐ。ここのところ放課後はつむぎの見舞い兼植え継ぎの時間となっているので、今まで夕方に行っていた魂の回収は消灯時間の過ぎた夜間に行っている。同室のつむぎが入院中の為に誰かに勘づかれることはないが、それはそうとして寝不足に悩まされる。何故死神である自分が人間の器に困らされなければいけないのか、と子事の内側で一人愚痴りながら寮の扉を開ける。

 

「あ、ひまり!おかえりなのだ。つむぎはどうだったのだ?」

「もんちゃん、おかえり。先輩は大丈夫そうだよ、思ったより体調とか怪我の様子もよさそうだった」

「おー、それはよかったのだ!僕も早くお見舞い行きたいのだ!」

「はいはい、めたん先輩に都合してもらいなさいな」

 

 そうせっついてくるずんだもんの頭をくしゃりと撫でながら、ひまりは自室に向かおうと共同スペースの前を通り過ぎるとそのタイミングを見計らったかのように、

 

「あ、ひまりちゃん?おかえりー」

「めたん先輩?今日は早いですね」

「バイトがお休みになったからねー。あ、ちょっとお茶しない?丁度お湯沸かしてもらったところなの」

「あ、じゃあいただきます」

 

 開いた扉の向こうから振り向いためたんに呼び止められた。そのまま誘われたお茶会に参加を申し出て共同部屋のテーブルに座らせてもらう。向かいでめたんが用意してくれたコーヒーを受け取りカップに口を付ける。相変わらず、薄い。いくらアメリカンコーヒーでもこうはならないだろう。

 

「それで、聞きたいんだけれど。つむぎちゃんの様子はどう?」

「さっきもんちゃんにも聞かれましたね。つい一週間くらい前に事故に遭ったとは思えないくらいに元気でしたよ。もんちゃんを病室に連れて行っても大丈夫だと思います」

「そう。それならよかった。今度、バイトが都合いい日に誘いましょうかしら」

「きっと喜びますよ、二人とも。ぜひ誘ってあげてください」

「ふふ、そうね」

 

 そう笑いながら自分もコーヒーを一口飲んだめたんは、ふわりと柔らかい微笑みをひまりにも向けた。

 

「でも、つむぎちゃんもこんなに先輩想いな後輩を持てて幸せね。事故に遭ったのは当然忌々しいことに変わりはないけれど、ひまりちゃんがいてくれたから皆も前を向けるのだと思うわ。つむぎちゃんは特に、ね」

「…そう、ですか」

 

 相変わらず、つむぎの周りの人たちは優しさに満ちている。事故の原因の一端を担っているといっても過言ではないひまりを責めるものなど誰もいないのだから。それにひまりは少々の心苦しさを覚える。それを口に出したら、自分を大切にしろとか、つむぎの意志を黙って受け取れとか怒られそうなので口にはしないが。

 

「そうよ。ひまりちゃんも、つむぎちゃんのことは好きでしょう?そうでもなきゃ、こんなに誰かを気遣って行動できないもの」

 

 そのめたんの発言に、言葉以上の意味はなかったのだろう。ただ、好嫌の類で好きであってただ申し訳なさだけで動いているだけではない。それを問いたかっただけ。

 

「…はい。私は、つむぎ先輩のことが好きです。…きっと、愛してます」

「んっ…!?」

 

 ただ、ひまりはその言葉をそれ以上の、その先の意味で捉えて答えを返した。めたんは思わず面食らってコーヒーが口から漏れるのを堪えるが、ひまりは止まらない。

 

「…私って、人付き合いがずっと苦手で、これまで人と関わらないように生きてきたんです。だから、ああいう人も正直最初はあんまり得意じゃなくて…。でも、つむぎ先輩はそんな私を孤独から拾い上げて、根気良く付き合ってくれて。たった半年くらいの付き合いなのに、大切な思い出みたいに私のことを言ってくれて。あの人は、私にとって太陽みたいな…そんな輝かしい人なんです。そんな、つむぎ先輩の為なら、私はきっとなんだって出来るでしょう」

 

 そんな、照れも恥ずかしさも一切ない真剣な告白に、めたんは思わず感嘆の息を漏らす。ひまりにとっても、この告白はまだ僅かに残っていた植え継ぎされる魂への申し訳なさを振り切る明確な分岐点だった。

 

 

***

 

 

 もう一切の迷いもなく、魂の回収とつむぎへの植え継ぎがすっかり習慣化したある日のこと、めたんとずんだもんと交代の形になりながらつむぎの元へと訪れた。つむぎは段々と取り戻した、或いは無自覚なひまりによって過剰な程に与えられた生気に急かされたのかベッドから抜け出して外の景色を楽しんでいるようだった。快方に向かっているのは喜ばしいことだが、変に無理をして折角継ぎ足した生気を失っては元も子もない。ひまりは有無を言わせない様子でつむぎをベッドへと戻し、今日もまた魂を植え継ぎするために冷気を微かに零す。いつもの様に、他愛もない会話をして退院するまでの間もないうちにこれからの人生を謳歌できるように全力を尽くす。ただ、それだけのはずだった。

 

「もう少しかかるかもだけどそう長くはかからないと思うから待ってて、って皆に伝えといて。実際、お医者さんもびっくりするくらいに順調に回復してるみたいだし」

「本当ですか。よかったです」

「うん。それもこれも、ひまっちのお陰かな?」

「…っ、それは、どういう?」

 

 突然のつむぎの発言に、思わず言葉が詰まる。

 

「?だって、ほとんど毎日お見舞いに来てくれるし。他の人もだけど、多分ここ最近のあーしのエネルギーって、ひまっちのお見舞いパワーがくれてると思うんだよね。うんうん、ひまっちはあーしの天使さんだよ」

 

 そう、何でもない風に頷くつむぎの様子からして、変に勘づいたとかは無いのだろう。それでも、死神としての自分を、自分の死神としての風紀に反するつむぎが赦しそうもない行いを見透かされているようで、思わずひまりは言葉を失った。

 

「ひまっち、どうしたの?」

「…あ、い、いえ。私にそんなこと言うなんて、ちょっと驚いただけです。…そうですか、天使ですか」

 

 努めて冷静に振る舞う。動揺を表に出さないように。微かに零していた冷気を強める。これ以上は危険だと、理性が警告を出していた。

 

「うん。ここ最近調子いいの、絶対ひまっちのお陰だもん」

「…私は、そんないいもんじゃないですよ」

「うん?なんか言った?」

 

 あぁ、やっぱり。口を開けば開くほどにぼろが出る。思わず零れた言葉は意味を為さない羅列として受け止められたが、これ以上聞かれてはまずい。そんな焦りに応えるかのように、

 

「ん…、あれ…」

「…どうしましたか?もしかして、今日もまた眠く…?」

「うん…、またっぽい…。なんでだろ…」

 

 つむぎの身体が眠気を訴える。しめた、とつむぎが眠るのを促した。

 

「今日は、頑張って起きてる…」

「…無理しないでください。一緒にいられるだけで、私は嬉しいんです。あなたの傍にいられれば、私はそれで。…その為なら、私は何でも…」

「…ひま、っち?」

「…大丈夫です。ほら、おやすみなさい」

 

 そう急かすように眠りに導いて、意識を失ったつむぎの胸元にいつもの様に魂を継ぎ足す。そう、いつもの様に行えばいいはずなのに、どうしてかその手つきは自分でも不思議な程に覚束なくて。冷静さを欠いた自分の行いを反省する余裕もその時はなく、ひまりは植え継ぎを終えると逃げるように病室を後にした。

 

 

***

 

 

 つむぎの思いもよらぬ発言への動揺に苛まれた翌日、ひまりは迷っていた。今日はつむぎの元へ見舞いに行くべきかについて、だ。ひまりのことをよく見ていてここぞというときの勘も鋭い彼女は、昨日の動揺もきっと察しているだろう。もし、それを追及されてしまえば、彼女に対して抵抗のない自分はきっとそれから逃れられないという確信がある。それで、死神であることを口にしてしまったらどうなるのだろうか。何を言っているんだ、と笑い飛ばされるだろうか。どうして他の人を犠牲にしてまで、と怒りをぶつけられるだろうか。私なんかの為に、と悲しまれるだろうか。少なくとも、感謝を伝えられることはないだろう。つむぎは、誰よりも優しくて気の遣える人だから、他の人を無下に出来などしない。そんな自縄自縛に苛まれて、しかしひまりはつむぎを支えたい、それ以上に彼女の声や表情に少しでも触れていたいという欲求に抗えず、一先ずはラインを飛ばすことにした。『今日も病室にお邪魔していいですか』と。病室に向かうのは返事を待ってからでも遅くはないだろう。

 しかし、待てども返事は返ってこなかった。眠っているのかもしれない。或いはテレビや漫画本に夢中になってスマホを見ていないのかもしれない。そう自分を安心させようとするものの、一度死に直面した彼女の姿を見た己が叫ぶ。今すぐにでも彼女の元を訪れるべきだ、と。確かに昨日は生気に満ちていたはずだからと冷静さを訴える自分などねじ伏せて、生きているつむぎの姿を早く確認したいとあるかも分からない魂が叫んでいると、センチメンタルでもないはずの自分が訴えていた。

 帰りのホームルームが終わってからのひまりの行動は早かった。帰りの挨拶など無視して扉を飛び出して、他の学生の驚きも先生の注意も気にも留めずに病院への道を急ぐ。人間の身体でこれ程早く着くことが出来るとは思わなかったと自分でも驚きながら、エレベーターの中で呼吸を整える。まだ落ち着ききれていない心臓の鼓動を抑えながら、特別病室の扉をノックした。

 

「先輩、今日も来させていただきました。…先輩?失礼します」

 

 返事が無いことに自然と湧き上がる焦りをどうにかしたいと、努めて冷静に扉を開く。そうして開かれた扉の先に、つむぎはベッドの上で仰向けに横たわっていた。まるで、呼吸すらしていないかのように静かに。

 

「…っ」

 

 思わず息を呑む。落ち着け、まだ寝ているだけかもしれない。そんな微かな理性を精一杯に保ちながらすたすたと足早につむぎの元へと歩み寄る。どくんどくんと緊張で高鳴る鼓動を落ち着かせるように、そっと口元に手を添えれば微かに開いた唇と鼻腔から感じる呼吸に、思わず深い溜息が漏れた。

 

「…よかった。生きてる」

 

 それは間違いなく心からの安堵の声だった。つむぎは間違いなく生きていて眠っているだけ。ただそれだけの事実に、今までの焦燥感も不安もかき消された自分がいる。しかし、それが分かればもう遠慮はいらないだろう。今のうちに、植え継ぎを済ましてしまおうとひまりは死神の姿へと自身を移し替える。いつもの様に制服は黒い衣服へと変わり、その姿でいつもの様に寝ている間に終わるはずだった。変身に合わせて閉じていた目の向こうでがばり、と起き上る音が聞こえた。

 

「…え、せんぱい?」

「ひ、まっち。なに、その恰好…」

 

 開かれた視界の先で、つむぎは酷く驚いたような表情を浮かべていた。当然であろう、これまで見せたことのない服装に身を包んで死神としての冷気も止めどなく溢れているだろうこの姿を見て平静を保てる人間などそうはいなかろう。だが、驚いたのはこちらもだ。あぁ、つむぎ先輩。起きていたのですね。ということは、寝たふりですか。きっと、私の様子がおかしいことを察してそれを探るために一芝居打ったのですね。流石の勘の鋭さです。

 

「ど、どうしたの…。お洒落でもしたの…?それに、なんか寒くて…」

「…先輩、ごめんなさい」

 

 そんな動揺に満ちた脳内の端の方、変に冷静な部分が口から零した言葉は何処にとも分からない謝罪だった。つむぎに継いだ魂に対してか、魂を継がれたつむぎに対してか、或いは両方か。身体はそんなまとまりのない脳を無視して自然に動いた。冷気をありったけ掌に纏めてつむぎの額に添える。それだけで、つむぎの困惑に満ちた瞳が閉じられていく。

 

「どうにかばれないように気を遣っていたのですが、ですが気付かれてしまっては仕方ないです。…ごめんなさい、今までありがとうございました」

「ひ、ひまっち…?それって、どういう…」

 

 仕方がないなんてどの口が言うのか。気付かれて心が痛むなどこちらの都合だというのに。

 

「…これは夢のようなものなんです、先輩。今までの私は、先輩の人生にとって影法師の様な曖昧な存在なんです、それで構いません。…それに、私のやりたいことはとうに済ますことが出来ました。これで、先輩も大丈夫だと思います」

「ま、まって、ひまっち…。はなしを…」

 

 でも、死神としての自分がこれ以上彼女の人生を煩わせることはないだろう。幸い、彼女の生気はきっとこれからの人生を十全に楽しめるくらいには満ち満ちている。今日の分の魂も植え継ぎすればこれまでの我慢を忘れられるくらいの人生を送れるはずだ。

 

「こうなっては、もう私は会うことが出来ません。私のことは忘れて、これからの人生を楽しんでください。…そう言っても、つむぎ先輩は忘れてくれないでしょうけど。でも、どうか重荷にはしないで。それだけが、私の願いです」

「や…、いや…、ひまっち…」

 

 ただ、心優しい彼女はたった半年だけ関わった自分のことも忘れないだろうから。それが、彼女を縛ることだけは耐えられそうになかった。

 

「この半年弱、私は幸せでした。ありがとうございます、つむぎ先輩。…お元気で」

 

 その言葉を最後に彼女の意識は途切れた。ぷつんと線が切れたように眠りに落ちた彼女へ植え継ぎをするのは昨日より余程順調に進むことが出来た。後はこのまま彼女の元を離れれば、彼女は何も縛るもののない希望に満ちた人生を送れるのだろう。彼女の元に居たいなど自分の身勝手な願望なのだから。そう心では分かっていてその覚悟も決まっていたのに、無様なことに涙だけは止まらなかった。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。