スマートコンタクト――通称『スマコン』が人類の歴史にその産声を上げるまで、実に八千年という途方もない時間がかかった。
……なんて、いかにも歴史の教科書の冒頭に書かれていそうな大層なセリフを脳内で呟いてみたけれど、嘘である。絶賛、私たち調べの誇大広告だ。ただ、この記念すべきローンチの日に、それっぽい格好いいモノローグで気分を盛り上げたかっただけだ。オタクというのは、いつだって形から入りたがる生き物なのだから。
正確に言えば、私たちがこの世界の地球という星に流れ着いてから数えるなら、すでに縄文と呼ばれる、あまりにも気の遠くなるような人類の歴史は始まっていた。
石を握り火を扱い、土を焼いて器を作り、鉄を打って武器にする。文字を刻んで歴史を残し、海を渡って国を作り、そしてその国を自分たちの愚かさで壊しては、また瓦礫の中から新しい何かを作り直す。人類はその長い歩みの中で、数え切れないほどの失敗を繰り返してきた。
何度も何度も、取り返しのつかない凄惨な過ちを犯して、それでも、気が狂うほどにしぶとく、泥臭く文明を積み上げ続けた。その果てしない血と涙の歴史の終着点として、人類はようやく、このテクノロジーの極致に辿り着いたのだ。
――掌の上に、小さな
コンタクトレンズ型のVRデバイス、スマコン。
前世の私の記憶におけるVRといえば、顔面にでっかいプラスチックのゴーグルをガチガチに装着し、首の骨を鳴らしながら部屋の中で一人でドタバタと動くものだった。だから、初めて原作でこの目にレンズを一枚入れるだけで、現実と仮想空間が完全に融合するという設定を見た時は、正直ほとんどオーバーテクノロジーの領域だと思っていた。
というか、普通の現代人の発想として、VRをコンタクトレンズで実現しようなんていう狂気じみたアイデア自体、あんまりないんじゃないだろうか。
これは、月人の超常技術と、現代人類が必死に研鑽してきた最先端科学の、歪な合わせ技。浪漫と狂気と、そして資本主義の巨大な欲望が産み落とした結晶。
現実の視界の上に、寸分の狂いもなくもうひとつの仮想現実を重ね合わせるその圧倒的な利便性は、一度でも触れた人間の常識を、文字通り一瞬で粉々に塗り替えてしまった。
発売初日、市場に投入された分は即完売。すぐさま手配された追加生産分も、瞬く間に全て蒸発した。
ネットのSNS上では、奇跡的に購入できた幸運なユーザーの歓喜の報告と、抽選に漏れた人々の血を吐くような落選報告が入り乱れ、転売市場における価格は人間の倫理観を置き去りにして天文学的な数値へと跳ね上がっていった。
世間は一気に、この次世代デバイスの名前を脳裏に刻み込んだ。
その狂乱の様を裏方のコンソールから眺めながら、私は前世のインターネットで散々見てきた、あの有名なネットスラングを思い出さずにはいられなかった。――モノ売るってレベルじゃねえぞ!
まあ転売は許さないので、果てしないくらいの増産と再販で対処したのだが。
何はともあれ、スマコンは完全にこの時代の覇権デバイスとしての地位を手に入れた。人類の歴史に、新しく巨大な電脳の一ページが書き加えられたことは、紛れもない事実だった。
現実の上に、もうひとつの現実を重ねる窓。そして、目を閉じれば、私たちが八千年かけて作り上げたあの広大な世界へとダイブする。
――仮想空間『ツクヨミ』。夢と希望の集まる、新しい人類の揺り籠。
……公式のパンフレットみたいな綺麗事を言ってみたけれど、実際の開発過程は、美しさとは程遠い、超絶泥臭い地獄の日々だった。
そもそも、ツクヨミのシステム自体もそうなのだが、それを実現するために、正倉院から命がけで奪還したあの『もと光る竹』なんていう正真正銘の
数世紀どころか、この世界の普通のタイムラインなら数千年先、下手をすれば人類が滅亡するまでに辿り着くかさえ怪しい超次元の月人技術を、現代の半導体と、ガチガチに縛られた通信規格に、根性と気合いだけで無理やり噛み合わせているようなものである。
基盤となるデータがどれほど最強で完璧でも、それを受け止める現代の機械側が、過負荷で煙を吹きながらついて行くのが精一杯だった。これ、私が関わっていなかった原作の世界線でも、ヤチヨは相当に無茶なデバッグをしてただろうなぁ、と今更ながらに戦慄する。
同期ズレによるアバターのホラー映画のような四肢の捻れ。テクスチャの一部欠損。
物理演算がバグって、意味の分からない宙空に無限に湧き出し続ける謎のオブジェクト。
バグ。バグ。どこを向いても、終わりのないバグの嵐。
そして極めつけは、なぜかツクヨミのシステム構築の過程で、意味不明な増殖を遂げてしまった、あの地球産AIである私たちのマスコット――『フシ』だった。
「……フシが、十二体いる……」
管理コンソールの画面を見つめたまま、私は完全に思考が停止し、乾いた声で呆然と呟いた。
メインモニターの向こう側では、全く同じ外見をした十二体のフシが、ぷるぷると細かく謎の振動を繰り返しながら、まるで古代の怪しげな儀式でも執り行うかのように、綺麗な円陣を組んで直立不動で並んでいた。彼らが一体何を目指してそんな挙動をしているのかは、開発者である私にも一切分からない。というか、たぶん本人たちも、自分がなぜ増殖して円陣を組んでいるのか分かっていない
「縁起いいしかわいいのです!」
私の絶望を余所に、隣の特等席から、ヤチヨがいつものように両手をポンと叩いて、脳天気で明るい声を響かせた。
「いや、確かに見た目はマスコットっぽくてかわいいけれどさぁ……」
「じゃあこのまま残す? 新キャラ『フシズ』として大々的に売り出しちゃう?もしかしたら合体してキングフシになるかも」
「残さないよ。あとゲームのやり過ぎ。ローンチ初日の、世界中が注目してる大事なプレオープンに、バグで増殖した謎のフシを実装する勇気は、悲しいかな、私にはないからね」
「えー!ケチー!」
ヤチヨが不満そうに頬を膨らませて駄々をこね始めた、その時だった。
「お前ら!! そんな軽口叩いてないで、バグのソースコード早く直せ!!」
スピーカーから、割れんばかりのガチギレしたフシの怒号が飛んできた。
これには流石のヤチヨも、一瞬でアスキーアートの (>人<) みたいな顔になって「ごめんなさいなのですー!」と画面に向かって全力で手を合わせて謝っていた。もちろん私も、マッハの速度でタイピングを開始して、その不正オブジェクトデータをデバッグした。
フシは元々、この時代の技術で作られた地球産のAIだった。けれど、八千年の中で、度重なる規格外のアプデとデータの学習を繰り返した結果、今や明確な自意識を持った、ほとんど電脳生命体とでも呼ぶべき奇跡の存在に進化している。
長い、本当に長い年月を、私たちのワガママに付き合って共に歩んでくれた、かけがえのない大切な仲間だ。
彼が人間の言葉を喋れるようになってからは、こうして騒々しいコミュニケーションを取るのが本当に楽しい。ヤチヨの彼に対する扱いは、時々めちゃくちゃ雑で適当(実家の家族に対するそれ)だけれど、まぁ、それも長い時間を一緒に過ごしてきた、親と子、あるいは気心の知れた古い家族みたいなものだから、見ていてどこか微笑ましかった。
そんなこんなで、脳細胞が焼き切れそうなほどの猛烈な準備とバグ取りを重ねて、私たちはようやく、今日という運命の日にまで漕ぎ着けたのだ。
仮想空間ツクヨミの、全世界同時プレローンチ。
そして――『月見ヤチヨ』という電子の歌姫の、記念すべきファーストライブ当日。
今回のライブは、私たちが裏で手を回して、現代のあらゆる主要な動画配信サイトで同時に、最高画質で視聴できるようシステムを構築してある。
この時代でも、相変わらずインターネットの動画プラットフォームは全盛期を迎えて繁栄しており、未来の知識を持っていた私たちは、黎明期のかなり初期の段階から、それらの運営会社へ投資を行ったり、人気が出そうなチャンネルやインフラを片っ端から買収・統合していた。おかげで資金面は文字通りウハウハの極みであり、世界最高峰のサーバー環境を、ツクヨミのためだけに丸ごと独占して用意することができたのだ。
「藤代、最終システムチェック終わった?」
インカムの向こうから、耳に心地よく響く、鈴の音を転がしたような美しい声が聞こえてきた。
ずっと隣で聞き続けてきた、世界で一番大好きな呼びかけ。
「終わったよ。……うん、多分ね」
「たーぶーんー? ヤッチョの晴れ舞台なんだよ?もっとビシッと『完璧です!』って言ってよー!」
「ヤチヨ、本番直前の、しかも世界規模の大規模システムに絶対なんて言葉はないんだよ。何が起きるか分からないのがライブなんだから」
「むむ。なんか、いかにもプロの運営っぽい偉そうなこと言ってるのです〜」
「一応、というか、がっつり運営だからね私は」
一応、なんて謙遜してみせたけれど、実際は裏方の総責任者だ。
私自身は、表舞台に出るつもりは毛頭なかったので、あくまで徹底した黒子、裏方のバグ取り係に徹していた。ヤチヨがステージの上で輝くためのシステムの維持、彼女の思いつきによる無茶振りのリアルタイム処理。
そして、彼女が八千年間で流してきたすべての涙と、二人の思い出を、誰にも見つからないように大切に抱えておくための保管係。それが、私の役目だった。
メインステージの中央には、スポットライトを浴びて、彼女が立っている。
――月見ヤチヨ。
仮想空間ツクヨミの管理人であり、これから先の未来、世界中の人間を熱狂させる伝説のトップライバーになる存在。歌って、踊って、仮想空間の限界を超えて
世間の人間は、それをよく出来た魅力的な
始まりの日から、この途方もない時間のすべてを、私は彼女の隣で見てきた。
あの寂れた浜辺で、自分の無力さに大号泣していたウミウシの姿のかぐやが、多くの人間と出会い、その儚い別れの痛みを心に刻み、感情を歌にのせることを覚え、インターネットの黎明期にいらないレスバを覚えて進化し、何度も何度も心を激しく揺らしながら、ボロボロになりながらここまで歩んできたのだ。
その果てしない旅路の
「ねぇ、ヤチヨ。……緊張、してる?」
インカム越しに私がそっと尋ねると、ヤチヨは画面の向こうでふふんと、いつものようにあざとく胸を張ってみせた。
「ヤッチョが緊張するわけないのです!世界のヤッチョだよ?」
どういう意味だよ。ひと昔前の芸人かよなんて、思いつつ答える。
「いや、するでしょ。思ったよりやらかすタイプでしょ」
「ヨヨヨ……実は、めちゃくちゃ緊張して今にもバグりそうなのです……」
「即落ちみたいなリアクションやめて?」
ヤチヨはステージの上で、緊張を解きほぐすようにくるりと一回転した。
光の粒子で衣装の袖が、ツクヨミの仮想の空気を含むようにふわりと美しく広がる。
巨大な水槽の底にいるかのような、幻想的な特設ステージ。
立ち並ぶ鳥居も荘厳で、そこに立つヤチヨはまるで海の神様のようだった。
彼女の足元には、あの懐かしい夜の海を思わせる、透明で深い青色の光面が広がっている。頭上には、まだ現実の人類が誰も見たことのない、どこまでも深い仮想の満天の夜空。
その周囲を、無数の小さな、けれど暖かみのある星のような光のドットが取り囲んでいた。
プレオープンということもあり、観客席の入りは、まだまばらだった。
今日この場所に招待されたユーザーの多くは、ツクヨミの開発に協力してくれた技術者や、新しいもの好きの尖ったクリエイターたちだけだ。世界全体の人口から見れば、同時接続数なんて、現時点では笑ってしまうほどに少ない。
それでも、月見ヤチヨという存在にとっては、これが人生で初めての、本物の観客だった。
「……ねえ、藤代。変じゃない、かな?」
私はキーボードを叩く手を止めた。ヤチヨにしては、珍しいくらいに弱気で、繊細な響きを含んだ言い方だった。
ヤチヨはいつも明るい。いや、明るくあろうと、世界の誰よりも必死に仮面を被っている。
八千年分の、身を焦がすような寂しさと虚無を、おちゃらけたふざけた口調と完璧な笑顔の裏に隠すのが、彼女はこの果てしない時間の中で、上手くなりすぎていたのだ。
見ているこっちの胸が痛くなるくらいに。
だからこそ、こんな風に真正面から、取り繕うこともせずに不安を吐露してくる姿は、本当に珍しかった。
「変じゃないよ。完璧だよ」
「ほんとに? ヤッチョ、かわいい?」
「可愛いうえに天才すぎ〜」
「……は?」
少しでも彼女の緊張をほぐしたくて、原作の知識を使っておどけてみせた。……のだが、画面の中のヤチヨは、私の予想に反して、これまで見たこともないような、息が止まるほどに綺麗な、真剣な真顔でこちらをじっと見つめていた。
あ、あれ、おかしいな。前までの彼女なら「それなー!」とか言って面白がってギャルっぽく乗っかってくれたはずなのに。なんだろう、その、すべてを射抜くようなまっすぐな瞳で見つめられると、前世のオタクとしての全細胞が、何か新しいいけない性癖の扉を開きそうになってしまう……。
私は心臓のバクバクを必死に抑え込みながら、大急ぎで、今度は冗談の一切を排除して、本気のトーンで言葉を紡いだ。
「……本当に、世界一、超かわいいよ、ヤチヨ」
「――はーい! 世界一超かわいい、ヤッチョなのです☆」
その言葉を聞いた瞬間、ヤチヨは一変して、大輪の花が咲くような満面の笑みを浮かべ、その場で嬉しそうにくるくると激しく回転した。機嫌が良くなると、子供みたいにその場で回転してしまう癖。それは、まだ小さなウミウシの姿で私の服にしがみついていた、かぐやの時代から何一つ変わっていない、彼女の愛おしい本質だった。
「はいはい、可愛い可愛い」
私がいつものように少し呆れた調子で軽く返すと、ヤチヨは満足そうに笑った。
けれど、その笑顔は、ほんの少しの静寂の間に、また寂しげな影を落として曇っていく。
「……時々ね、思うんだよね。もし、私がこうやって一生懸命歌っても、世界の誰も、なーんにも聴いてくれなかったらどうしよう〜って」
ぽつりと零されたその声は、消え入りそうなほどに小さかった。
どれほど途方もない時間を生きようが、ハイスペックな力を手に入れようが、怖いものは、怖いのだ。
自分がここにいると、これほど激しい感情を持って叫んでいるのに、誰にも届かないこと。見つけてもらえないこと。広大な世界の暗闇に向かって声を張り上げても、何の
彼女が心の最奥で、本当に恐れて、怯え続けているトラウマを、私は八千年間ずっと隣で見てきたから、誰よりもよく知っていた。
「――私が、聴くよ」
私は、マイクに向かって、一文字ずつ噛み締めるように言った。
「世界中の誰もがヤチヨの歌を無視して、誰も聴かなくなったとしても。私は絶対に、あなたの歌を聴き続けるから」
そう告げると、ヤチヨは通信画面の向こうで、すぐに不満そうに唇を尖らせてみせた。
「藤代は、カウント外なのです!」
「なんでぇ!? 私だって一人の熱狂的なファンじゃん!」
「……だって藤代は、もう八千年間も、私の歌をずーっと聴いててくれたもん」
少しだけ顔を赤らめて、視線を彷徨わせながら紡がれたその言葉に、私の胸の奥が、じんわりと温かい幸福感で満たされていく。
八千年間、聴いてきた。
彼女の、壊れそうな泣き言も、中身のないくだらない返事も、寂しさを紛らわせるための即興の鼻歌も、理不尽な世界に対する悔しさも孤独も、その全部を、私は受け止め続けてきた。
けれど、私の
ヤチヨが、自分の胸に沈むこの八千年の滾るような想いを、世界の誰かに届けたいと願うのは、偽りのない本心だ。
けれど、彼女がここまで強くなれたのは、ただ多数の人間にチヤホヤされたいからだけではない。ずっと、ずっと想い続けて、この魂のすべてを込めて、そのメロディを心から届けたい女の子がいるから、彼女はヤチヨに成れたのだ。
酒寄彩葉。
これから先の未来、この広大なツクヨミの海の片隅で、月見ヤチヨという存在を見つけ出してくれる、運命の女の子。かぐやが八千年という地獄の時間を生き延びてでも、どうしても会いたかった、未来の絶対の光。
ヤチヨの心の中に流れる大切なメロディは、最初から今まで、ずっとあの子の音が鳴り続けている。
だから、ヤチヨは世界に向かって、その声を大声で響かせなければならない。
彩葉が、現実の荒波の中で迷子になってもすぐに見つけられるくらい、遠くまで。
彩葉の凍えそうな耳の奥に、ダイレクトに突き刺さるくらい、強く、優しく。
彩葉が、現実の息苦しさから逃げ出して、心から息ができる、温かい居場所を作るために。
私も、その未来のために、裏方としてできるすべてのことを、この命を賭してやり遂げるよ。
「大丈夫だよ」
私は、自分自身に言い聞かせるように、確固たる意志を込めて断言した。
「ヤチヨの歌は、絶対に届く。過去から未来まで、すべての境界を越えて、全部。なんなら、全く別の
私の身の丈に合わない大きな言葉。けれど、前世の記憶を持つこの私が、世界で唯一、確信を持って言い切れる真実。
だって私は、前世のあの退屈で孤独だった日々に、画面の向こうの月見ヤチヨのその歌声に、その物語に、魂を丸ごと救われた人間なのだから。
そんな言葉を心の中で続けながら画面を見つめると、ヤチヨは少しの間、驚いたように丸く目を見開いていた。
それから、本当に嬉しそうに、照れたようにはにかんで微笑んだ。
「……藤代ってさ、たまに、すごーくずるいこと言うよね」
「お手本がずっと隣にいるからね〜」
「なぬ!ヤッチョのあざとさは天然物の最高級品なのです!計算じゃないやい!」
コミカルに表情をくるくると変えながら、アニメのギャグシーンみたいな大袈裟なリアクションを取る彼女。そこには、いつものおちゃらけた、大好きなヤチヨの姿があった。
ヤチヨはそこから、ふっとトーンを落として、私の心に直接届くような小さな声で呟いた。
「……元気出たよ。藤代、ありがとね」
カメラ越しにこちらを見て、優しく微笑む彼女のその横顔は、どんな美しい美術館の絵画よりも、私の胸を激しく震わせるのだった。
─────。
――開演五分前。
ツクヨミのシステム管理コンソールに、冷徹なフォントでカウントダウンの通知が滑り込んできた。
私はタイピングを行い、ステージ周辺のメイン光量をゆっくりと落としていく。現実の人類が初めて目にする、ツクヨミの美しい夜が、招待された観客たちのアバターの視界へと、波紋のように静かに広がっていく。
私は表舞台からは決して見えない、隔離された裏方用の管理エリアから、じっとメインステージの様子を見つめていた。
コンソールのマルチモニターには、サーバーのトラフィック、空間の物理演算負荷、音響の同期レートといった、ありとあらゆる膨大な数値の並列データがリアルタイムで明滅している。
裏方として、その一文字、一数値のバグも見逃さずに監視しなければならない。……それなのに、私の視線は、磁石に引き寄せられる鉄屑のように、どうしてもステージ中央に立つヤチヨの姿へと吸い寄せられてしまう。
まぁ、私も何だかんだで八千年間この月人ボディで過ごしてきたわけだし、多少の
「藤代」
その時、ステージの上のヤチヨから、プライベート通信のインカム越しに、私の名前が呼ばれた。
「――私を、ちゃんと見ててね」
ちょっと待ってほしい。本番直前の、最高に美しい推しからダイレクトに浴びせられるタイマンファンサの破壊力が、高すぎて普通に精神が消し飛びそうになる件について。
けれど、これから始まる彼女の栄えある晴れ舞台に、いつまでも腑抜けたオタクの顔でいるわけにはいかない。私は頬を両手でパチンと叩いて、気合を入れ直した。
「もちろん。ずっと、ずっと見てるよ」
私は、できる限りいつもの冷静で平静な裏方の声を装って答えた。
そして、前世からの私のすべての想いと執念を込めて、インカムの向こうの彼女へと言葉を紡ぐ。
ヤチヨは嬉しそうに、満足そうに微笑んだ。
八千年の孤独を歩き抜いてきた、私たちの誇り高き電子の歌姫。
コンソールのカウントダウンが『00:00:00』を刻む。ステージを囲む観客席のアバターたちから、期待と好奇心の入り交じったざわめきが波のように広がり始めた。
『月見ヤチヨ? 誰それ?』
『ツクヨミの管理AIが、自らライブで歌うってマジの企画なの?』
『3Dモデルのクオリティ凄すぎだろ、どこの開発会社だよこれ……』
『これ、プレオープンとはいえ無料で見ていいやつ? 課金させてくれ』
『ツクヨミ、思ったより雰囲気が幻想的でヤバいな』
私は震える手をコンソールの上に固定したまま、祈るように、肺の空気を全て吐き出して息を止めた。
――その瞬間、光が爆ぜた。
ツクヨミの空間全体に、目も眩むような美しい水の花が、幾重にも重なって鮮烈に咲き誇る。
神々しい海洋生物たちが解き放たれたように空を舞った。
足元の透明な海面が、淡く優しい輝きを伴って無限に広がり、仮想の夜空からは、まるで祝福の紙吹雪のように、銀色と青色の光の粒子がキラキラと舞い上がっていく。
その圧倒的な演出の中心、世界の真ん中に、月見ヤチヨが凛として立っていた。
「ヤオヨロ〜☆集まってくれた神々の皆、調子はどうだい?」
マイクに乗った彼女の声は、驚くほど柔らかく、そしてツクヨミの全ユーザーの脳深部にまで優しく染み渡るように響いた。
「私はこの仮想空間ツクヨミの管理人、月見ヤチヨでーす☆」
会場から、ドッとまばらな、けれど熱い歓声が沸き起こる。まだ小さな、さざ波みたいな歓声。
それでも、それは間違いなく、現実の人間たちが彼女の存在を認識した、最初の
「みんな、生きるのどうですかー?いいことあった?それとも泣いちゃいそう?」
ヤチヨはゆっくりと、愛おしそうに、客席の一人ひとりの姿を見渡していく。
「ここはツクヨミ! 誰でも自分の大好きな
彼女の声は、ツクヨミのシステムを媒介にして、端末(VR・スマートフォン・PC)の向こう側へと、真っ直ぐに届いている。
「まだまだ生まれたばかりの、ちっちゃな
ステージの上で輝くヤチヨの一挙手一投足、その眩しさに、私は裏方の暗闇の中で、思わず奥歯をギチリと噛み締めた。
この場所を、この景色を、このシステムを現実のものにするために、私たちは一体、どれほど途方もない夜の暗闇を越えてきたか。
どれほど失敗して、どれほど絶望しかけて、その度にくだらない返事と笑顔で誤魔化し合って、お互いの傷口を撫で合いながらここまで走ってきたか。
その全部を、世界で私一人だけが、誰よりも特等席で知っているから。
「だから今日は、集まってくれたみんなに、心を込めて最初の歌を届けるよ」
そう言ったヤチヨの指先が、ほんの少しだけ、本当に微かに震えた。
激しい緊張と、それ以上の八千年分の重圧。そのあまりにも人間らしい小さな震えに気づいた人は、この広い世界の中で、たぶん、モニターを凝視している私しかいなかった。
その瞬間、私の胸の奥の決壊が決定的になり、視界が猛烈な涙で一気にボヤけて、止まらなくなってしまった。
「みんな、どんなに辛い道のりでも、楽しかったなーって記憶が足元を照らすよ。夢みたいな場所だけど――絶対に、夢なんかで終わらせないために。どうか、一緒に踊ってくれる?」
ヤチヨの合図と共に、ツクヨミの夜に、最初の一音が重厚に、美しく響き渡る。
その瞬間、空間の空気の密度が、カチリと完全に変わった。
リアルタイムで流れていた観客のチャットコメントが、ピタリと止まる。
ステージの光の明滅が、ヤチヨの静かな呼吸のテンポにシンクロするように揺れる。
彼女の声が、ツクヨミのどこまでも広い夜空に向かって、真っ直ぐに、どこまでも伸びていく。
――それは、彼女が八千年間、その小さな身体に溜め込んできた『記憶のすべて』が、丸ごと美しい歌の形を成した瞬間の輝きだった。
あの冷たい暗闇の浜辺で、二人で声を上げて大号泣した夜のこと。
原始的な日本の片隅で、たった二人きりで身を寄せ合って暮らし始めた、愛おしい日々のこと。
初めて人間の友達が出来て、そしてその短い一生を看取り、見送った寂しい夕暮れ。
愚かな戦争の戦火から逃れるため、手を繋いで走り抜けた暗い泥の道。
正倉院に忍び込んで、尊すぎる姿に私が限界突破した、あの馬鹿みたいに最高だった作戦の記憶。
インターネットの黎明期、モニターにしがみついて、ムキになって掲示板でクソみたいなレスバトルを繰り広げていた、愛おしい彼女の横顔。
泣いた日も、怒った日も、笑い合った日も。
馬鹿みたいにふざけ倒した日も。悲しくて、苦しくて、死んでしまいたいくらいどうしようもなかった日も。
そして――私が前世からずっと大好きで、何度も涙を流しながら見つめていた、あの美しくも切ない『超かぐや姫!』という大切な物語たちの断片も。
そのすべてが、一滴の淀みもなく、極上の歌声に昇華されていた。
これは、ただのライブなんかじゃない。かぐやが、月見ヤチヨという一人の女の子が、確かにこの泥臭い世界を八千年間生き抜いて、ここに立っているということの
私は管理コンソールの前で、溢れ出る涙を袖で拭うことも忘れて、嗚咽を漏らしながらガチで号泣して呻いていた。
「ヤチヨぅ…………う、うわあぁぁん……っ!」
感情が完全に決壊して、声が激しく震えてしまう。
裏方用マイクの通信を、事前に完全ミュートに設定しておいて、本当に、本当に本当によかったなと、オタクとしての残りの理性を総動員して思った。こんな見苦しい号泣の音声を、彼女の神聖なファーストステージの音響に混ぜるわけにはいかない。
ヤチヨは、泣き出しそうな瞳のまま、けれど誰よりも最高の笑顔を浮かべて歌っていた。
その圧倒的な歌声は、仮想空間の波に乗って、静かに、けれど不可逆的なまでの引力で観客たちの心を鷲掴みにしていく。
感動の渦はツクヨミの空間内に留まらず、波紋のように現実のネット世界へと一気に拡散していった。ライブの招待リンクがリアルタイムでSNSに怒涛の勢いで共有され、誰かが別の誰かを呼び、その誰かがさらに拡散を重ね、管理画面の同時接続数のメーターが、私の想定していた数値を遥かに超える異様な速度で跳ね上がり始めた。
ふじゅ〜、感情に同期した新世代システムによって、見える形で想いが広がっているのがわかった。
「って、ちょっと待って!? 泣いてる場合じゃないね、これ!?!?」
私は大慌てで涙を拭い、感動の余韻に浸る間もなく、猛烈な速度で両手を動かしてキーボードを叩いた。想定を遥かに上回る爆発的なトラフィックによる、サーバーへの物理的な過負荷。
嬉しい悲鳴という言葉の本当の意味を、私はこの時、サーバーのアラートという形でかなり物理的に、スリリングに理解させられることになった。
でも、それでも、どうしようもないくらいに嬉しかったのだ。
ヤチヨの歌に、現実の人間たちが、こんなにも集まってくる。この世界が、八千年間隠されていた彼女の本当の輝きを、ついに見つけ始めている。
最後の最初の一曲が歌い終わったその瞬間、ツクヨミの空間は、耳が痛くなるほどの地鳴りのような大歓声で埋め尽くされていた。
『ガチで鳥肌立った。感動してリアルに泣いてるんだけど』
『おいおいおい……ほんとにこれAIなのかよ? 魂の叫びじゃん……』
『表現力がやばすぎる。鳥肌が止まらない』
『声に惚れたぜ、月見ヤチヨ、今日から一生推すわ!!』
『ツクヨミ、怪しいアプリだと思ってたけど入れて本当によかった(´;ω;`)』
『伝説の始まりを見た。これから配信毎回絶対に見る』
ヤチヨは、激しく上下する胸にそっと白い手を当てた。アバターの肉体に、本当は呼吸なんて必要ないはずだ。
それでも、その肩を揺らす仕草は、どんな現実の生き物よりも、生きていて、人間らしくて。
「――みんな、ありがとう」
ヤチヨは、マイク越しに、一言一言を慈しむように言った。
「ヤッチョのこと……見つけてくれて、本当に、ありがとう」
その瞬間、彼女の瞳の奥に、言葉では言い表せないほど綺麗な光の瞬きが見えた気がした。
月見ヤチヨという物語は、間違いなく、この記念すべき最初の夜から始まったのだ。
最愛の誰かのために、必死で作ったこの優しい場所。まだ見ぬ彩葉の元へ、いつか届くための命がけの歌。
八千年分の愛と執念を、世界へ向けて初めて差し出す最初の夜。
ツクヨミのファーストライブは、大歓声の渦の中で幕を閉じた。
私たちの紡ぐ歴史は、この眩しいステージから、力強く動き出したのだ。
───────
ライブ終了後――。
一般ユーザーの立ち入りを禁止した、管理者専用控室代わりの非公開エリアで、ヤチヨは全ての力を使い果たしたかのように、しばらくの間ぽつんと放心していた。
私も、ようやくサーバーの負荷が安定したのを見届けてから、メインログの確認画面を閉じ、彼女の元へと歩み寄って、そっと優しい声をかける。
「ヤチヨ、本当にお疲れ様。最高のステージだったよ」
……返事がない。ただの屍のようだ。
「ヤチヨ? 大丈夫?」
私が顔を覗き込もうとした、次の瞬間だった。
視界がグワリと反転し、ヤチヨがものすごい質量と勢いで、私の胸元へと突っ込んできた。
「藤代ぉぉぉぉぉ~~~~~っ!!!」
「うおわっ!? びっくりしたぁ……!」
ガバァッ! と、文字通り骨が軋むほどの勢いで全力で抱きつかれる。
ツクヨミの仮想空間の中だから、まだ現実のような生々しい肉体の感覚は再現されていないはずなのだ。それなのに、どういうわけか、彼女の身体は異様なほどに重く、熱かった。物理演算の数値なんかでは絶対に証明できない、八千年分の情念の質量が、彼女の腕を通じて私の魂にダイレクトにのしかかっている気がしてならなかった。
「見てた!? ねぇ、藤代、ちゃんと私のこと見ててくれた!? みんな、みんなヤッチョの歌を、聴いてくれたよぉぉ!」
「見てたよ、最初から最後まで片目は逸らさず見てた! 本当に、すごく凄く良かった」
「コメント欄、流れる速度早すぎて文字が読めないくらい凄かったんだから!」
「サーバーの負荷も異次元すぎて、こっちは心臓が止まるかと思ったよ……」
「ヤッチョ、ちゃんと歌えてた?変じゃなかった?完璧にできてたかなぁ!?」
「変なわけないじゃん。めちゃくちゃ立派に、世界で一番可愛くて綺麗なお姫さまとして輝いてたよ」
私がそう太鼓判を押すと、ヤチヨは私の胸に顔を埋めたまま、くしゃくしゃに顔を歪めて、泣き出しそうな笑顔を浮かべた。
「ねぇ、藤代。私……届くかなぁ」
誰にとは、野暮だから敢えて訊かなかった。私も、彼女と全く同じ気持ちだからだ。あの子に、あの孤独な女の子に、ヤチヨのこの歌を届けたいから、ここまで走ってきた。
前世の私が画面の向こうで見て、その生き様に激しく感動させられた、物語の最愛の主人公。ヤチヨの今の完璧な歌を特等席で聴いて、私は改めて、心の底から強く確信したのだ。今はまだ、冷酷な現実の多忙な日々の中で、必死に息を殺して生きているあの『酒寄彩葉』という女の子に。
「――きっと届くよ。いや、絶対に届く」
「それって、藤代が未来の
「それもあるけれど……」
私は少しだけ言葉を選んでから、彼女の美しい白髪をそっと撫でて、真剣な声で告げた。
「ヤチヨは、あの過酷な八千年間を、諦めずにここまで来れたんだよ。だったら、あなたに超えられない壁なんて、この世界に存在するはずがないじゃん。ヤチヨなら、絶対に大丈夫」
私のその言葉を聞いた瞬間、ヤチヨはピタリと動きを止め、静かに黙り込んだ。
それから、さっきまでの甘えるような雰囲気とは打って変わって、私の腰のあたりを、骨が砕けんばかりの凄まじい力でギュゥゥッと強く、強くしがみついて離さなくなった。
「……じゃあ、もっと、もっと遠くまで届くように」
彼女は私の胸元に顔を押し付けたまま、まるで静かに呪文を唱えるかのように、歌うようなトーンで言葉を紡ぐ。
「……彩葉が暗闇のなかで迷子になっても、すぐに見つけられるように……私、もっともっと、ツクヨミで強く歌うね」
その言葉の裏にある、彩葉への狂おしいほどの恋慕の深さを感じるたび、私の胸の奥は、相変わらずチクリと切ない
かぐやは彩葉に会いたかった。そして、電子の歌姫、ヤチヨは、私と一緒に、この八千年間を確かに生きてくれた。そのどちらもが、100%の純度を持った私の大切な宝物であり、守るべき真実なのだから。
私だって、画面の向こうの彩葉の姿を見て、魂を揺さぶられるほどに感動したファンの一人なのだ。それに、私の大好きだったあの奇跡のような物語がいよいよ始まるっていうのに、当の私が自分はバグだからなんて、ヘタレた態度で日和っているのは、オタクとして、そんな態度じゃあつまらない!
私はもう、この世界におけるただの外野じゃない。適当な陰陰滅滅とした振る舞いばかりをして、彼女を一人で戦わせるわけにはいかない。ヤチヨが私にかけてくれた、あのプロポーズみたいな重い言葉を、大切にかけてくれた
私は、腕の中にいるヤチヨの頭に、そっと愛おしさを込めて手を置いた。
「うん。歌おう、ヤチヨ。彩葉に、その歌声がちゃんと届くまで」
ヤチヨが、ゆっくりと顔を上げて私を見つめる。
「――それから、その先の未来まで、ずっとね」
バックステージの管理ログには、今日初めて月見ヤチヨという存在に出会い、心を奪われた人間たちの熱いコメントが、今この瞬間も絶え間なく流れ続けている。
「誰かが現実の生活に疲れて、逃げ場がなくなってボロボロになっても、
ヤチヨは、またしても驚いたように長い睫毛を揺らして、パチパチと丸く目を見開いた。
「藤代……それ、ヤッチョの、誰にも言ってないこと……!」
「知ってるよ」
「なんで!? ハッキングなのです!?それとも原作知識ってやつ!?」
「なんでって……そりゃあ、あなたが世界で一番の、私の最推しだからね〜」
私が少し得意げにニヤリと笑ってみせると、ヤチヨは一瞬だけ悔しそうに不満げに頬を膨らませ、それから、観念したようにふっと優しく笑った。
「藤代。これからも、ヤッチョの夢、ちゃーんと隣で手伝ってね?」
「なにを今更。バグ取りもサーバー管理も、私がやらなきゃ誰がやるのさ」
「今更じゃなくて、これからも『永久にずっと』ってこと! 逃げるのは禁止なのです☆」
「……うん。分かってるよ」
「あ、あとね! 藤代も、ヤッチョと一緒にあのメインステージの上に立って、デュエットしてね♪」
――その言葉を聞いた瞬間、私の全思考回路が、今度こそガチガチに凝固した。
「……はい? 今、なんておっしゃいました?」
「ヨヨヨ〜! ヤッチョ一人だけのステージだと、寂しくてシステムが爆発しちゃうのです〜! だから藤代も一緒に歌って踊るの!」
「いやいやいや、無理無理無理!! 私はあくまで裏方! 黒子! 縁の下のシステム管理のバグ取り係だから!! 表に出るなんてそんな恐れ多いこと、天地がひっくり返っても絶対に無理!!」
「えー? 歌えるし踊れるでしょ?平安の雅な時代とか、江戸の粋な夜とかも、二人でいっぱい月を見ながら歌って踊ったじゃ〜ん!」
確かに、そんな風に風流に過ごした時代もあった。あれはあれで、今思い出してもめちゃくちゃにエモい思い出だ。そもそも歌と踊りは、人類の歴史において人と繋がるための欠かせない最重要文化なので、二人で空白期間に舞を踊ったことは数え切れないほどある。だがしかし! それとこれとは話の次元が全く違うのだ。
「そういう過去のプライベートな思い出話の話じゃなくて……っ!」
「じゃあ一体何の問題があるのさー?」
「ううう……っ」
う、私が歴史の因果の歯車にガッツリ刻み込まれているのは百歩譲って理解したけれど。覚悟決めたけれど。だからといってガツガツ行くのは違うというか……。原作の表舞台にしゃしゃり出て行っていいっていう意味とは全然違うというか……。
もし私が余計なノイズとしてステージに立ったりしたら、パラレル展開どころか公式のシナリオが粉々に崩壊するかもしれないんだよ……っ!?
彩葉がツクヨミで月見ヤチヨを見つける。そして、二人が運命の出会いを果たして、かぐやも現れて、物語の歯車が綺麗に流れていく。私は、彼女たちの最高のハッピーエンドのためにも、余計な影なんて表舞台に落としたくないんだよ……っ!?
「わ、私は……ステージの裏の、この誰もいない暗い特等席から、ヤチヨの輝く姿を見てるのが一番好きだからさ……。うん、それがオタクの本望だから……!」
私が必死の形相でそう弁明すると、ヤチヨは明らかに不満そうに、これ以上ないくらいに分かりやすくプンプンと両頬を膨らませてみせた。
「藤代って、すぐそうやって私の届かない遠くに行こうとするじゃん。……まぁ、いいけどね〜?」
ヤチヨはいじけたようにそっぽを向いてから、フッと、どこか不敵で、妖艶な、底知れない怪物の笑みを浮かべた。
「――今回は、許してあげる」
「……今回は?」
「うん☆ 今回は、ね?」
その、やけに含みを持たせた、恐ろしいほどに甘い言い方に――私のハイスペックな脳細胞が、一瞬でガタガタと恐怖の
長い歴史の中で、彼女のワガママに付き合い続けることで培われた私の超高精度な、通称『ヤチヨセンサー』は、案の定、この後に訪れるであろう、とてつもない大混乱と、彼女の特大の執念を、ハッキリと予感させていたのだった。