難産でした。
「なーくん、またなにか隠してるでしょ」
練習をしようとセカイの教室を訪ねた僕に咲希はそう言った。他の三人も口にはしないながら気遣わしげな視線をのぞかせている。
そんなにあからさまに表情に出していたのか、あるいはあんなことがあってから気を配っていたのか。あの時の咲希の言葉から察するに後者なのだろう。
「アタシたちに言えないこと?」
「……いや」
志歩を一瞥する。まさか自分に累が及ぶとは微塵も思っていない様子だ。彼女のタイミングで話してくれるのを待ちたかったが──いや、それは言い訳か。自分が拒絶されないために、傷つかないために逃げていただけなのだから。
「志歩が──」
「私?」
「フェニランに行った日あたりから、暗い顔をしてる時があったから」
視線が一斉に志歩に集中する。彼女は不安を見抜かれていたことに少し動揺していた。
「……気づいてたの?」
確認というよりはきっと気づいていたならなぜ黙っていたのかと、そう尋ねたかったのだろう。
「心の準備ができてなかったから、今まで訊けなかった」
その結果動くより前に自分が心配をかけているのは我ながら情けないことだが。
「つまり……奏多は志歩がなにか悩んでることに気づいてて、それを黙ってたってこと?」
一歌の問いかけに首肯する。最初は僕の悩みを聞く集まりだっただけに話がこじれてしまっていた。
「志歩」
「……わかってる」
覚悟が決まったようには到底見えない。それでも避けられないと思ったのだろう。志歩の話した内容は大方予想した通りのものだった。
「前にも言ったように、私はプロになりたい。……けど、みんなはそうじゃない。私の夢にみんなを付き合わせることは、できない」
道を究めるということは難しい。手塚さんも言っていたことだが、最初から小説家一本で生計を立てられるほどの成功を収めるような人はそうはいない。大抵は本業の傍ら執筆をする。
それはミュージシャンでも同じことだ。努力が報われるかすら定かではない世界においそれと周りを巻き込むことが、志歩にはできなかった。
「……つまり、Leo/needをとるか夢をとるかで迷ってるんだ」
言いにくい部分を代わりに言葉にすると、途端に漠然と漂っていた不穏な空気が凍りつく。
「志歩ちゃん……?」
「それ、ホントなの……?」
「……」
志歩は目を伏せるだけだった。
「でもそれなら、アタシたちでプロを目指せば──」
「それはやめて」
今度はきっぱりと、力強い声だった。
「私と一緒にいるためとか、そんな理由でプロを目指してほしくない」
音楽の道を行く者としての矜持を宿した言葉だった。咲希も志歩の演奏に懸ける熱量を身をもって知っているから反論できなかった。
結局その日は練習どころではなくなってしまった。僕はまだセカイの教室にいる。
「────……」
小さく息を吐く。
最初からわかっていたことだ。プロを目指すにせよそうでないにせよ、僕は足手まとい。本気でバンド活動をするなら言うまでもなく僕にバンドメンバーとしての参加は望めない。言葉にはしなかっただけで志歩も気づいているはずだ。
もしみんなが志歩と同じ道を行くと決めたなら、その時は五人で活動することは現実的とは言えない。僕は身を引くべきだ。それはある意味でこれまで通りといえるのかもしれない。けど誰も、志歩だってそんなことは望んでいない。みんなで一緒に演奏できたらどれほどいいか。そう思っているからこそ志歩も迷っている。
雑念が拙い歌声をさらに鈍らせる。こうなってしまったら練習しても意味がない。
「お疲れ様」
振り返ればミクさん、ルカさん、メイコさんが勢揃いしている。死角とはいえ三人が入ってきたことにも気づかなかった。
「聴いてたんだ」
「うん、少しずつだけどちゃんと上達してるよ」
進歩がないわけではないという事実が余計に焦燥を加速させる。このまま練習を続ければいつかは。それだけに時間が足りない現状が重くのしかかってくる。
「……自業自得か」
小学生の頃、一度音楽を諦めた。志歩は根気強く歌の練習に付き合ってくれていたのに。できないと投げ出して逃げてきた五年余り。その年月があれば何かが変わったかもしれないなんて、虚しい仮定に過ぎないけれど。
「奏多」
ルカさんが笑みを消した真剣な面持ちで一歩前に出た。
「あなたがプロとして最低限必要な実力を身につけるには長い時間が必要になるわ」
「ルカ……!」
「下手な慰めは意味がないもの。それに、奏多だってこれくらいはわかっているはずよ」
こちらへの視線を切らないまま、ルカさんは慌てた様子のミクさんを制する。その言葉に頷く僕を見てから彼女は続けた。
「その上で、これはあなたの望む答えではないかもしれないけれど……関わり方はひとつとは限らないわ」
「それは……」
「奏多は作曲をしてるんだよね」
不意に会話に入ってきたのはルカさんの後ろで事の次第を見守っていたメイコさんだ。
「まあ一応……うちのセカイのミクたちの力を借りながら」
「よければ聴かせてくれない?」
正直に言えば遠慮したかったが、三人の眼力がそれを許してくれなかった。とはいってもフルで完成した曲はまだひとつもない。仕方がないから九割方完成している『極星』のを再生すると三人はスマホを置いた机を囲んで顔をつき合わせて聴き始めた。
かたや音楽の才能がない素人、かたや名だたるバーチャルシンガー。普通に考えれば厳しい評価は免れないだろう。こちらのセカイのミクたちが手伝ってくれた以上、ボコボコにダメ出しされるようなことはないと思いたいが。
しばらく音源とここにはいないミクの声だけがセカイに繰り返し響く。その間三人は一度も口を開かなかった。三周目の歌声が途切れたところで示し合わせたように三人がこちらを振り向いた。
「それじゃ、行こうか」
「行くって……どこに?」
「いつもの、一歌たちが練習してる教室だよ」
そうして訪れた教室には誰もいなかった。あのいざこざがあってから数時間は経っているのだから当たり前といえば当たり前ではあるけれど。
奇妙な静寂のなかで三人はそれぞれの楽器を手に取った。メイコさんのスティックカウントを皮切りに止まっていた世界が動き出す。激しいビートが胸の鼓動と重なって増幅される。量子化された電子音がより荒々しいメロディに置き換わっていく。
聴いたのはたった数回。打ち合わせもほとんどなしに完璧な編曲を成し遂げている。ここまでくるともう経験や才能ではなく生き物としての格の違いだ。人間とバーチャルシンガーの差。
「──♪……ふぅ。どうだった?」
「──……ぁあ」
曲が終わったことにしばらく気がつかなかった。
「なんというか……とりあえず凄くよかったよ」
三人の圧倒的な技量や至近距離での生演奏というのも大きいだろうが、それを差し引いても曲が明らかに──彩度を増したとでも言うべきか。
「ありがとう。奏多の曲もよかったよ」
「今のを見せられた後で褒められてもな……」
彼女たちならどんな曲でも演奏技術で素晴らしく仕立ててしまうのではないか。少なくとも曲自体のよさより奏者のよさが目立っていたことは間違いない。
「それに、作曲は純粋に僕だけの成果とは言えないし」
作曲はうちのミクたちに一から教わっているが、それでもひとりで作業を進められる域には程遠い。作っていくなかで逐一アドバイスをもらいながら手探りしているのが現状だ。既に教わったことをあとから注意されたのも一度や二度じゃない。音楽が絡んだ僕はそれほどまでに要領が悪い。
「でもメロディの雰囲気や歌詞は奏多が決めているんでしょう?」
「そうだけど……」
三人の伝えたかったことは理解できる。目の前にある僕自身の問題はそれでなんとかなるかもしれない。
あくまでメンバー全員の意志が重要になってくる以上、それだけですべて解決するわけではないけれど、今回ばかりはそれぞれが自分と向き合って答えを出すしかない。僕にできるのは自分の問題を解決することだけだ。
けれど。
「……」
「まだなにか心配事?
「いや……」
プロを目指すということ。しかも不得手な音楽の分野で。趣味の延長で運よく小説家になった僕はまだその道の険しさを知らない。僕にできるのか、本当になれるのか。
「ありがとう。考えてみる」
新しい選択肢は解決を意味しない。これでようやくスタートラインだ。
ビビッドストリートに本当の意味で足を踏み入れるのはこれが初めてのことだった。何しろ前回は結構な雨が降っていて人通りも少なかった。事前のアドバイス通り以前見繕ってもらったストリート風の服装を選んだおかげで悪目立ちは避けられている。
それにしても、ここら一帯は至る所で歌声が響いている。無法、というよりはここにおいてはこれがルールということなのだろう。物見遊山をしてはきりがなさそうなのでまっすぐ目的地へ向かうことにした。
ライブハウスのフロアは熱気に包まれており、軽い気持ちで観に来たこちらが気後れするほどだった。開演を待つ観衆の声に耳を傾ければどちらが勝つか、なんてスポーツのような会話が聞こえる。そういえば白石さんは対戦形式とか言っていた。審査員がいるようには見えないからその場のノリと勢いで勝ち負けを決めるのだろう。いわゆる対バンみたいなものか。
青柳くんたちのチームはVivid BAD SQUADと言ったか。どうも彼らの出番は大トリらしい。順番の決め方など知る由もないが、ランダムでないとしたらかなり期待されているのではないか。
フロアの照明が絞られたのが開演の合図だった。誰か出てくる前から歓声が上がっていると有名人が出てくるのではないかという気がする。実際僕が知らないだけでこの界隈ではそうなのだろう。
と、余所者気分で観察していられる時間はそこまでだった。
ライブが終わった後、打ち上げに来ないかという旨の連絡が青柳くんから入っていた。僕はただ観ていただけだが断る理由もなかったので顔くらいは出すことにした。
「どうだった? 俺たちの歌は」
「音楽の知識なんてないからただの感想にはなるけど」
青柳くんの問いにそう前置きしてから答える。
「羨ましいなって」
「羨ましい……か?」
言葉の意図を測りかねたのは彼だけではなかったようで、他の三人も頭に疑問符を浮かべてこちらを見ていた。
「僕は基本的に誰かと腕を競うってことがないからさ」
小説にしろ作曲にしろ、それらは楽しいからやっていることで、自分一人で完結している。自分がいいと思うものを満足するまで追求して、形にする。それが僕にとっての表現というものだった。
だから今日のライブは──それだけじゃなくストリートのそこかしこで行われている歌のぶつけ合いも、すごく新鮮に映った。観客の心を上書きするが如き歌声の応酬が今も耳に残っている。
「いつか……どれだけ先になるかはわからないけど。僕もここで歌いたいって、そう思った」
一人ではたどり着けない、新しいアプローチ。
歌で観客を──相手をぶん殴ってねじ伏せるなんて。
「そんなの、絶対キモチイイに決まってる……!」
機嫌よさげだった十六夜は長居はせずに『WEEKEND GARAGE』をあとにした。
「すっごい迫力だったね……鳥肌立ってる」
「私も……なんていうか、吸い込まれるかと思っちゃったよ」
「十六夜は時々ああいう表情をするんだ」
中学の時、授業中によく同じ顔でノートにアイデアを書きなぐっていた。そのせいで周囲から奇異の視線にさらされていたことに、本人は気づいていなかったようだが。
「なんにせよ十六夜が目標を見つけられたならなによりだ」
「ずいぶん気にかけてんだな、あいつのこと」
「ああ」
短くはないが深くもない関係。それでも十六夜奏多という人物の人となりは多少なり知っているつもりでいる。
奔放でマイペース。やりたいことを好きなだけ、周囲の声などお構いなしに我が道をゆく。咲希さんや司先輩がいる場面ではむしろ逆と言っていいが、きっと本質は自由人なのだろう。
獰猛で、傲慢で、恍惚としたあの笑み。
羨ましいと思った。あんなふうに自由に音楽と触れ合いたい、とも。
「……まさかそんなことを言われる日がくるなんてな」
いつの日か十六夜と歌で勝負する光景を思い描く。目に焼きついた表情が伝染したのか、口の端が小さく上がるのを感じた。
家に帰る暇すら惜しかった。ビビッドストリートから離れるのもそこそこに、人気のない場所を探してセカイへ飛び込む。地面が崩れるような感覚がした後、開けた視界にミクたちの姿が現れる。
「よそ行きの服で来るなんて珍しいね」
「楽しそうだけど、なにかいいことでもあったのー?」
「ちょっと試したいことがあって」
彼方から差すか細い光を望む。遠近を確かめる方法なんか無くてレンとリンのいうことが正しいかどうかはわからない。でも景色の変化が心境の変化と重なっていることには気がついている。
であれば、だ。
僕の中に生まれた新たな想い。ほとばしるそれを頭の中で言語化していく。
瞼の裏に描くのは宙を焦がすほどの熱。夜明け前を焼き尽くすみたいな天地に轟く歌声。薄明の雲を空ごと烈火に染めてしまうような。
言葉を紡ぎながら、確信があった。形にした想いを胸に目を開ければ、鮮やかな紅の星が僕を中心に回り始めていた。
僕がそう望んでいる。だからセカイはそういう風に在る。それは無秩序な星を好き勝手に結んで物語を編み上げる傲慢と同じこと。思うがままに世界を紡ぎ出す──それこそが語り部の気概というものだ。
「『なにができるか』を考えてちゃいつまで経っても今のまま。奏多もわかってきたねー」
「世界を変えていくのはいつだって『なにをしたいか』だからね。それでこそだよ」
知った顔で頷くリンとレン。知っていたなら最初から教えてほしいものだが、口で言われただけでは理解できなかったとも思う。
「それで、どんな曲にするー?」
「ちょっと待って」
作業に取り掛かる前にスマホを取り出して耳に当てる。この際利用できるものはなんでも使ってしまえばいい。それが、僕自身が輝くための第一歩だ。
次でエピソードの締めにするつもりですが筆が進まなければ息抜きに番外編を出すかもしれません。